2月も中旬になり、春のGⅠ戦線の始まりも近づいてきたある日。ゾンネのトレーニングの質をさらに上げるために、チームハチサとの長期的な合同トレーニングを組もうとトレーナー室で計画を立てていたところ。
「トレーナー、おはよう」
「どうしたんだ、ゾンネ?」
扉がノックされ、担当ウマ娘が入室してきた。彼女はそのままデスクまで近づいてきて、タブレット端末や書類が雑然と置かれた卓上を覗き込む。
「こんな日まで仕事してるの?」
「ああ、ゾンネのトレーニングメニューについて考えてたんだが……今日は何かあるのか?」
今日は祝日でもない普通の休日だったはずと思ってカレンダーを見ようとしたところ、目の前の彼女は本当に分かってないの、と呆れて溜め息をついた。
「今日は2月14日だよ、バレンタインデー」
「そういえばそうだったな、忘れてたよ」
朝、ここに来るまで学園の生徒たちが妙にソワソワした様子だったのは、バレンタインだったからか。そう納得していると、ゾンネはこちらの顔をじっと見つめて言う。
「わたしのこと真面目に考えてくれるのはありがたいけど、今日くらいは息抜きしたら?」
「息抜き、か……自分のことになるとすぐには思い付かないな」
担当のために用意する休息なら、いくらでも思考を巡らせられるのだが。
「そう言うと思ったから、わたしが連れてくよ」
そうしてゾンネに手を引かれ、トレーナー室を後にして外へと出ることになった。
◇
バレンタインデーの駅前通りからは、いつもとは少し違ったざわめきが聞こえてくる。
「もう友チョコあげたの?」
「まだだよ。あっ、でも一つは今あげよっかな、はいっ」
「ふふっ、じゃあ私からもこれ」
そんな風にチョコを渡し合う風景がそこかしこで見られる中でゆったりとゾンネについて歩く。どこに向かうとも言われず、ただ歩くだけ。行き先が気になり、彼女に尋ねてみると。
「目的地は決めてたりするのか?」
「いや、特にはないけど。何も考えずぶらぶらするのが良いかなって思って」
振り返ってそれだけ言うと、また歩き出す。バレンタイン、か。ゾンネにもチョコを渡したい相手がいるのだろうか?こういう行事にはあまり興味がなさそうだが、クルーシャルテイクたちに友チョコくらいは渡すんじゃないかと考える。
「うわっ……やっぱりまだ寒いね」
「ああ、そうだな」
如月の寒風に吹かれてそう溢し、体を縮こませる彼女に相槌を返した。どこか屋内にでも入ろうかと言おうとしたが、せっかく連れ出してもらったのだし全部任せようとまた歩き出す。
◇
そうしてトレセン学園の周辺をぐるっと1周のんびりと歩いてきて、校門の前に戻ってきた。
「さて、と……そろそろ仕事に戻らないとかな」
そう言ってトレーナー室のある建物へ向かおうとすると、ゾンネが後ろから声を掛けてきた。
「あ、あのさ!確かわたしのメニューについて色々考えてたんだよね。なら、わたしも一緒にいた方が捗るんじゃない?」
「そうだな……じゃあ、そうしようか」
二人でトレーナー室に向かい、到着したら机の上にこれまでのデータや資料を並べる。そしてそれらを元にトレーニング内容を修正していく。
「……あれ、もしかして短距離向けのトレーニングが増えてる?」
「ああ、とにかく春はヴィクトリアマイルが最優先目標だからな」
時折言葉を交わしつつ作業を進めていき、ふと窓の外を見ると空は橙色に染まり始めていた。あまり長いことゾンネを付き合わせるのも悪いし、切り上げることにした。
「……よし、今日はこのくらいにしておこうか」
「うん、それじゃあね」
部屋を出る彼女を見送って、明日の準備を済ませてからトレーナー寮に戻ろうと資料の整理をしているとドアが開かれた。
「あれ、ゾンネ?どうしたんだ」
「忘れ物」
忘れ物……と言っても、今日の彼女はほとんど手ぶらだったし何か忘れるようなものがあったのだろうかと思っていたら、その右手にラッピングされた箱があることに気付いた。
「今日、バレンタインでしょ。だからチョコあげる」
「俺に?いいのか?」
「いいに決まってんでしょ!駄目ならわざわざ持ってこないし」
ゾンネは頬を赤く染め、机にその箱を置く。早速開けてみると、中に入っていたのは一見普通のチョコケーキに見えた。しかしよく見ると中央には穴が空いており、上面のチョコも波打っていることからおそらくバームクーヘンにチョコソースを掛けたもののようだ。
「美味しそうだな」
「……早く食べてよ」
ソワソワした様子で急かす彼女の言う通り、箱に同梱されていたプラスチックのフォークで食べやすい大きさに切り分け、口に運ぶ。
「すごく美味しいよ、ゾンネ」
「そ、それなら良かった……」
ただ……このチョコバウムは小さめのホールケーキくらいの大きさがあり、一人で完食するにはさすがに多すぎるかもしれない。
「ゾンネも一緒に食べないか?ちょっと俺一人だと食べ切れないと思う」
「えっ、わたしフォーク持ってないんだけど……」
「それなら確か、ここに……」
コンビニで買った食事に付いている、袋入りの使い捨ての箸。その使わなかった分を棚に入れてある。さすがに古くなったものは定期的に処分してはいるが。
「あ、ありがと……それじゃ、半分もらうね」
彼女は割り箸を受け取り、そうして自分で持ってきたバウムクーヘンを食べた感想は、というと。
「……うん、おいしいね。やっぱり会心の出来かも」
「もしかしてこのバウムクーヘン、ゾンネの手作りなのか?」
「そうだけど……何、わたしが料理下手だと思ってたの?」
ジト目でそう睨まれる。確かに、これまで料理が得意な様子も特に見られなかったゾンネが、ここまで完成度の高いケーキを作ってきたことにも驚いてはいるが……それ以上に気になったことがある。
「俺に手作りのチョコを用意してくれるとは思ってなくて」
「べ、別に……何だかんだ、いつもお世話になってるからそのお礼!変な意味とかじゃないし!」
自分としては担当ウマ娘である彼女を支えるのは当たり前のことで、感謝されるほどでもないと思うが……バレンタインだし、ここは素直にその気持ちを受け取っておくことにした。
◇ ◇ ◇
バレンタインデーも近いということで、トレセン中が独特な甘いムードに包まれている中、オレもまたソワソワする気持ちを隠せないでいた。
美浦寮のとある部屋の前まで来て、ドアをノックして応答を待つ。
「はいはぁい、どないしました……って、ゾンネはん?」
「えっと、キヨミズノマイ先輩……もしよければ、手伝って欲しいことがあって、今度大丈夫かな……?」
そう、ここはキヨミズノマイとコレオプシスカラーの寮部屋だ。オレが予定していることを滞りなく実現するには、キヨミズノマイの助力があった方が心強いだろう。
「それはもちろんええですよ、テイクちゃんがようお世話になってんお返しがしたい思うてたんです」
「ありがとう、それで手伝って欲しいのは……その……」
改めて口にするとなると気恥ずかしくて、つい言い淀んでしまう。しかしながら、彼女はオレの様子で大体を察したらしかった。
「ふふ、この時期ですし言わんでも分かりますよ。愛しのあの人に贈るチョコを作りたいんやろ?」
「い、愛しの……!?そ、そういうのじゃないから!」
冗談です、と笑うキヨミズノマイ。本当に冗談なんだろうかと気がかりに思いつつも、中で話しましょと招き入れられる。部屋にはキヨミズノマイだけで、コレオプシスカラーはいないようだ。
「あ、コレオプシスはんはさっき買い物行ってんしばらく戻って来いひんと思います」
「そうなんだ。えっと、その……トレーナーに、日頃の感謝の意味で!チョコをあげたくて。先輩は料理が得意だってテイクが言ってたから、失敗しないように助けてほしかったの」
そう、あくまで感謝の気持ちを込めてあいつにチョコをあげるのだ。バレンタインだからと言って何かやましい意味があるわけではない、断じて!
「せやったら丁度ええですね、バレンタインはうちもチームに配るチョコ作ろ思うてたんよ。せっかくやしゾンネはんも一緒にどうです?」
「うん、手伝ってもらうんだし……わたしにできることなら頑張る」
そうしてバレンタインデーの前日に二人で協力して手作りチョコを用意することを決めて、詳細を詰めていく。
「ドイツのお菓子にしようと思ってて、それでネットのレシピ調べてたんだけど、卵焼き器を使えば家庭でもバウムクーヘンを作れるみたいで、それにチョコソースを掛ける感じで……どうかな?」
「バウムクーヘンですか……ふふ、素敵な贈り物やと思いますよ?」*1
時折意味ありげに、あるいは微笑ましげにオレを見つめる彼女にやや不安を覚えたが、当日までに用意しておく材料や道具をリストにまとめ、キヨミズノマイたちの寮部屋を後にした。
◇
2月13日、トレーニングが終わった後。オレとキヨミズノマイは美浦寮の食堂キッチンへと入った。
「ゾンネはん、要るもんちゃんと持ってきてます?」
「うん、大丈夫だよ。食材はこっち、使う道具は木の丸棒とアルミホイル、あとビニール手袋……卵焼き器とかは備え付けてあるよね?」
「せやね、ほな早速始めてきましょか」
キヨミズノマイの言葉に頷き、まずはレジ袋から生地の材料を取り出す。近所のスーパーで買ってきたもので、そこだけで全部揃えられたのは助かった。
「最初は卵を溶いて……その次にボウルに砂糖と蜂蜜、牛乳に溶き卵を入れて……」
「そそ、ええ感じです。力まんようにちょい肩の力抜いてな」
そうして泡立て器で混ぜ合わせたら、ホットケーキミックスを入れる。これを粉っぽさがなくなるまでよく撹拌して、バターとバニラエッセンスを加え最後にもう一混ぜすれば生地の完成だ。
「えっと、卵焼き器にサラダ油をひいて……中火で熱する……温まってきたら適度に油を拭き取る……」
「んで、弱火にして生地ひいて下さい」
じっくり火を通して、生地が固まってきたところで……卵焼き器のサイズに裁断した丸棒にアルミホイルを巻いた芯を奥に置いて、ヘラを使って巻いていく。
「よし、あとはこれを生地がなくなるまで繰り返し。巻いた生地を奥に、また油をひいて……生地を広げて……」
そして十数分くらい経っただろうか、ついに生地を使いきり、バウムクーヘンが完成した。
「おお、ようできてますね」
「うん、とりあえずここで失敗しなくてよかった……」
少し冷ましたらまな板の上に移し、芯棒を抜き取って包丁を入れるとお馴染みのあの年輪模様が姿を現した。
トレーナーに渡す分の他に余ったものは、一口サイズに切り分けて袋に入れてテイクへのお土産にした。そしてそのうちの1切れずつをキヨミズノマイと試食する。
「よし、不安だったけど……綺麗に、美味しくできてる」
「ふふ、ほんまおいしおすな。ほんで、次はチョコの湯煎ですね」
これまたスーパーで買った板チョコを袋から出し、3分の2ほどをボウルに細かく割る。それから50度くらいに温めたお湯を入れた大きめのボウルに、チョコの方のボウルを入れてゴムべらで溶いていく。
「満遍なく火ぃ通るようにしっかり混ぜてな」
「うん……!」
段々とチョコは滑らかな液状になり、塊がなくなったところでボウルを取り出す。そして残りのチョコを刻んで入れ、空気が入らないように丁寧に混ぜる。これはテンパリングという作業で、チョコを美味しく綺麗に作るなら絶対やるべきなんだとか。
「そろそろ良さそうやな、温度計ってください」
「分かった。えっと、30度……」
これなら大丈夫だろう。チョコをお玉で掬い、バウムクーヘンに掛ける。生地が見えなくなるまでチョコで覆ったら、冷ますために一旦冷蔵庫に入れる。
「さてと、これであとはチョコが固まってトッピングするだけかな」
「そうなりますね。次はうちの方、手伝ってもろてええですか?」
「うん、確かチョコブラウニー作るんだっけ」
そうして彼女のチョコ作りを手伝い、作業が終わったところでチョコバウムを取り出す。ちゃんとチョコが固まっているのを確認したらプレゼント用のボックスに入れ、キヨミズノマイと分かれて寮部屋まで持ち帰る。
「あれ、ゾンネちゃん?その箱は……」
「バレンタインに用意したチョコ。テイクにはこれあげるから取っちゃ駄目だよ」
「わあ、バウムクーヘンですか?……って、いくらあたしでも、知らないお菓子を勝手に食べたりはしないのですよ!」
「ふふ、冗談だって」
部屋に備え付けの小さい冷蔵庫にボックスを入れる。それからオレが作ったバウムクーヘンを美味しそうに頬張るテイクを見て、トレーナーも美味しいと言ってくれるだろうかと思いつつ明日を待った。
◇
ついに迎えた当日、オレはあいつの様子を見にトレーナー室へ向かったが、今日がバレンタインということにすら気付かず仕事に没頭していたらしい。
「ゾンネのトレーニングメニューについて考えてたんだが……今日は何かあるのか?」
「今日は2月14日だよ、バレンタインデー」
「そういえばそうだったな、忘れてたよ」
オレは呆れて、とりあえず仕事から離そうと部屋から連れ出した。そして行く宛もなく、ただトレセン学園の周囲をぶらぶらと散歩して、またトレーナー室に戻ってくる。
「……よし、今日はこのくらいにしておこうか」
「うん、それじゃあね」
それからしばらくオレのトレーニングメニューについての話をまとめていたが、窓の外を見てトレーナーは仕事を切り上げることにしたようだ。オレは一旦そのまま部屋を出て、寮まで戻ってくる。
冷蔵庫に保存していたチョコバウムの箱を持って食堂キッチンまで行き、中からバウムクーヘン本体とオレンジソースの瓶、それにオレンジ1個を出した。
「最後の一仕上げ、っと……」
チョコバウムにオレンジソースを放射状に掛けて、輪切りにしたオレンジを添えてこれで本当に完成。箱に戻したら、崩れないよう慎重にトレーナー室へ戻る。
「あれ、ゾンネ?どうしたんだ」
「忘れ物」
疑問を持った様子でこちらを眺めるトレーナーに右手に持ったボックスを差し出し、言葉を続ける。
「今日、バレンタインでしょ。だからチョコあげる」
「俺に?いいのか?」
「いいに決まってんでしょ!駄目ならわざわざ持ってこないし」
オレがチョコを机の上に置くと、トレーナーは箱を開けてその中身をまじまじと観察し出した。なんだか気恥ずかしさを感じてしまう。いいからさっさと食べろと思って催促するが、いざその時が来るとやっぱり緊張する。
「すごく美味しいよ、ゾンネ」
「そ、それなら良かった……」
せっかく自分で手作りしたわけだし、美味しいと思ってもらえているのなら嬉しい。ただ、一人で食べるには大きいからとオレも食べるよう誘われた。
(フォークは1つしか入れてないし、まさかトレーナーが使ったのを……それ間接キス……!)
そんな風にオレがどぎまぎしていると、トレーナーは平然とした様子で棚から割り箸を取り出して渡してきた。なんか一人で舞い上がってたオレがバカみたいじゃないか。不満に思いつつもバウムクーヘンを口に運ぶが、適度な甘さとコクがあり、パサパサせずしっとりしていて。
「……うん、おいしいね。やっぱり会心の出来かも」
「もしかしてこのバウムクーヘン、ゾンネの手作りなのか?」
「そうだけど……何、わたしが料理下手だと思ってたの?」
オレが料理できて悪いのか、おい。確かに本格的にお菓子作りなんかしたのは昨日が初めてだが、レシピ通りやってちゃんと完成させたんだぞ。
「俺に手作りのチョコを用意してくれるとは思ってなくて」
「べ、別に……何だかんだ、いつもお世話になってるからそのお礼!変な意味とかじゃないし!」
そう、あくまで日頃のお礼だ。それ以上の意味はない。無いったら無い。そう力説したあと、チョコバウムをゆったりと味わいつつオレたちのバレンタインの夜は緩やかに過ぎていった。
「ハッピー……バレンタイン。」
インデアゾンネの
バーム風チョコケーキ
インデアゾンネ
いつもはあんまり言えないけど、
これでもあんたにはすごく感謝してるから。
わたしとこれからもよろしく、ね。
「……なんでそんな驚いた顔してんの、わたしだってこういう日くらいは頑張るよ。お世話になってるんだし、それに……な、なんでもない!」