ついに迎えた、メイクデビュー当日。オレたちは前日昼にトレセン学園を出発、飛行機で羽田空港から新千歳空港へと向かい夕方に札幌レース場近くのホテルに別々の部屋を取って一泊し、充分すぎるほどの休息を入れてからこの場に臨んでいる。
オレが出走するメイクデビューは第5R、12時10分に発走する芝1800mのレースだ。白地に黒字で4番の表記がなされたゼッケンに青の体操服、この前の模擬レースと番号以外同じ状態に着替えてレースの準備を整える。
なお、トレーナーはその模擬レースの時と同じく対戦相手の想定データをまとめており……。
『予想される作戦は逃げが3人、先行がインデアゾンネを含めて5人、差しと追込が2人ずつで計12人だ。前方脚質が多いからペースの早い消耗戦になる可能性が高い。インデアゾンネの能力なら問題はないだろうが、一応念頭に置いておくように』
……とか言っていた。先行の中でも少し後ろの方で脚を溜めておくべきか?出走少し前、控室でそんな風にレース展開をシミュレートしていると、トレーナーが声を掛けてきた。
「インデアゾンネ、どんな感じだ?」
「どんな感じって言われても……ねえ?」
いよいよオレのトゥインクル・シリーズがここからスタートするんだと思うとソワソワするし、ここで負けると未勝利戦に出なくてはいけなくなるので、その分ハンデになるだろうから少々不安になる。
「そうだな……うん、インデアゾンネなら大丈夫だ。必ず1着になれる、俺はそう信じているよ。それに……」
「それに?」
「……いや、なんでもない。持てる力を発揮してきてくれ」
……なんか企んでるなこいつ。それが何かはわからないが、これまでの経験でそれをなんとなく察した。しかしレース前だし、特に何かできるわけではない。トレーナーについてはレースが終わった後にたっぷり詰めることにして、地下バ道へと出てパドックへ向かう。
〈さあ、1番人気を紹介しましょう。4番のゼッケンを着けて堂々登場のインデアゾンネです〉
〈重賞2勝の母を持つウマ娘です、素晴らしい仕上がりですね。人気と実力を兼ね備えた、私イチオシのウマ娘です〉
前世のゲームでどこか聞き覚えのある実況と解説を聞きつつ、パドック内でレースの準備が完了するのを待って、本バ場に出る。出走前、体を暖めるために軽くストレッチ、いよいよ発走時刻となりゲートへ。札幌・函館レース場共通の一般競走ファンファーレが鳴り響き、係員の指示に従ってオレもゲートに入る。
〈さあ、全員のゲートインが完了しました。全てはここから、芝1800mメイクデビューが、今スタートしました!〉
ゲートが開くと共に飛び出し、芝を踏みしめる。チラリと横を見やると6枠、緑の体操服のウマ娘が一人大幅に出遅れた以外はまずまずのスタートを切っており、先頭へと掛けていく
〈おっと、8番ライニッジコストが出遅れです。これはレースにどのような影響が出るでしょうか?〉
〈彼女は逃げ脚質のウマ娘です、作戦の変更を余儀なくされるでしょうね〉
逃げが一人減っていたのは先ほど出遅れたウマ娘が逃げの予定だったかららしい。ならおそらくペースは予定よりも遅くなるだろう、オレは外に回って少し上がり、先団の横に付ける。
〈さあ先頭から見ていきましょう、並んで3番プリクラブと6番プルームプリムラ。この二人がペースを作っています、二人とも譲りません〉
スタート直後からの直線が終わり、1コーナーへと入っていく。オレは変わらず先行集団の横で体力を浪費しないように抑えながら追走する。
〈──続いて、4番のインデアゾンネです。本日の1番人気を背負って、堅実な先行策でレースを進めています。横に5番のユキササコ〉
コーナーを回っていき、向こう正面に入る。夏盛りに青々とした芝の上を、北海道の涼しい風を切りながら、ただ駆けていく。
〈バックストレッチから3コーナーへ、おっとここでユキササコが早くも仕掛けるか?上がっていきます〉
〈掛かってしまっているかもしれませんね、落ち着けるといいのですが。先頭は変わらずプルームプリムラ、差がなくプリクラブ。ユキササコ、並びかけます〉
冷静に、仕掛けどころはまだだ。周囲に惑わされるな。4コーナー終わりの手前、そこからだ。あと少し、もうすぐ、そう──ここだ。
〈まだ様子をうかがっているようです、インデアゾンネ!いや、ここから仕掛けます!〉
〈直線に入ってぬるっと伸びてきます、後ろのウマ娘も一斉に仕掛けて、さあラストスパート!〉
先頭めがけて脚を伸ばす。後150mほどだろうか、そのままのスピードで、行けば……!
〈ここでかわして先頭に立ちました、インデアゾンネ!これは決まったか、譲らず差を広げます、およそ1バ身!〉
〈そのままゴール板を駆け抜けて、1着はインデアゾンネ、インデアゾンネです!無駄なく勝利を飾りました!〉
確かに1番にゴールへ辿り着いた、その手応えがあった。オレが、勝ったんだ。掲示板を見れば、Ⅰの横には4の数字がある……オレのゼッケンの番号が。そして下との差は2、つまり2バ身差の勝利。それさえ知られれば充分だ。
「おめでとう、インデアゾンネ。まずは1勝だ」
ウイナーズ・サークルで勝者インタビューに簡単に答え、控室へ。するといつも通りの表情で佇んでいたトレーナーがそう一言。
「うん、勝ったんだよね、わたし」
「ああ、間違いない」
それを再確認して、ホッとしたところであることを思い出す。そう、レース前のことだ。
「……単刀直入に聞くけどさ、何か企んでるでしょ?」
「さあ、何のことかな。それよりもほら、ウイニングライブがあるし、そろそろ準備しないといけないんじゃないか?なんといったってセンターなんだからな」
露骨にはぐらかしやがったなこいつ。勝利に水を差されたようで腹が立ち、せめてもの抵抗に一睨みしてから更衣室へ向かう。そしてライブ衣装*1に着替えてライブステージに上がった。
◇
無事に大きなミスもなく『Make debut!』を踊りきり、再び控室に戻ってきたのだが、そこにはトレーナーの他に意外な人物たちがいた。
「えっ……?母さんに、父さんまで……?」
「ゾンネちゃん、全部見てたわよ!今日のメイクデビューも、ウイニングライブも、すごく立派だったわ」
「ゾンネ~!ごめんなぁ、忙しくて家にいる時全然勉強手伝えなくて……!今日は絶対見に来なくちゃって思ってたんだ」
父は普通の会社員なのだが、特に忙しい部門で中間管理職を務めているからか、小学校の時は帰ってくると遅めの夕飯を食べてすぐに寝ていた。そのため、トレセン入学対策に付き合っていたのは専ら母だった。
その父がわざわざこうやって北海道まで来たのは、かなり頑張って時間を作ったのだろうか。そう言えば、ウイニングライブの時にゾンネ、ってオレを呼ぶ声が微かに客席から聞こえていた気がする。
「いや、まあその……見に来てくれてありがとう。札幌まで……嬉しいよ、本当に」
二人が直接見に来ていたとは知らなかったものの、まずはトレセンに入って最高の報告を言葉の代わりにできたようで何よりだった。それはいいのだが。
「……で、トレーナー?」
「ハハハ」
知ってたなら先に言えよ、おい。なんか企んでるなぁってずっと怪しく思ってたけど両親が観戦に来てるの知ってたんだな。
「なんで黙ってた?」
「ハハ、もちろんその方が面白いから……待ってくれ、脛蹴らないでくれ、地味に痛い」
ゲシゲシと何度も小さく蹴りを入れて抗議の姿勢。その様子を見た両親はというと。
「ふふ、トレーナーとの関係って色々あるのねぇ」
「ゾンネはトレセンで上手くやれていますか?トレーナーさん」
オレは大きく溜め息をついて、蹴るのを止めてやった。するとトレーナーは父の方へ向き直って問いに答える。
「はい、寮の同室の子と仲良くやっているようですし、学業なども良好です。担当ウマ娘としては手が掛からなくて助かりますよ」
そんな風に冗談めかして言うと、父と母は顔を見合わせて微笑み、それから。
「ゾンネちゃんをよろしくお願いしますね、トレーナーさん」
「ええ、頼まれました。彼女なら重賞はもちろん、GⅠだって夢じゃありませんし、良い報告ができると思いますよ」
はあ、全く。こいつはどこまで本気なんだか。まさか全部本気なんだろうか?
「それじゃ、ゾンネちゃん。GⅠウマ娘になるって約束、本当になるのを待ってるわね」
「……うん、母さん」
約束──確か、数年前。前世の記憶に目覚めた時に言ったことだ。
『でも、トゥインクル・シリーズはそんなに甘くないわよ?これでも重賞2勝のウマ娘だったもの、まずは私に勝てるどうかってところからね!』
『うん、トレセン学園に入ったら母さんよりも強くなって見せるよ。GⅠを勝つようなウマ娘になる』
あの日のことは今でも忘れない。オレが始まった日のようなものなのだから。
「ゾンネがGⅠに挑戦する時は絶対見に行くからな!」
「うん、父さん」
そうして短い間ではあったが久しぶりに家族と会話し、気持ちを新たにする。そう、オレは家族の期待を背負っているんだ。
◇
せっかく来たから少し札幌観光をしてお土産も買っていくという両親を見送り、制服に着替えてからレース場を出て、再び飛行機で東京へと戻ってきた。そして学園のトレーナー室で今後についての話をする。
「インデアゾンネ、出走レースに希望はあるか?」
「そっちに任せるよ」
ティアラ路線だし、阪神ジュベナイルフィリーズへの出走ができたらいいとは思っているが、絶対に出なきゃいけないとは言わない。さすがに桜花賞は行くつもりだが。
「そうか、なら……阪神JFを大目標として、間に1戦か2戦挟む感じで……俺はこう考えてる」
トレーナーはメモ用紙にパパっと書き込み、オレに差し出した。そこにはメイクデビュー→サフラン賞→阪神JFと武骨な文字で書かれていた。
「なるほど、阪神JFはイケるって判断?」
「ああ、インデアゾンネならきっとな」
しかし、その予定表には気になるところがあった。
「そう言えばサフラン賞ってプレオープン*2だよね?重賞は出なくていいの?」
「それはもちろん考えてあるよ。ただ、重賞レースは出走ウマ娘の質が高い分、激しいレース展開があって消耗しやすい。ここを連勝できれば阪神JFへの出走は充分可能だから消耗を避けようと思ってな」
へえ、意外と考えてるんだな。オレはアプリの経験でつい重賞未満に出走する意味なんてないと思っていたが、そういう見方もあるのか。
「さて、このローテで問題はないか?インデアゾンネ」
「任せるって言ったでしょ、いいよ」
そうして今後のレースについて確認したら、だいぶ暗くなってきた空の下、寮へと戻る。自室の部屋の扉を開けると、同室が出迎えた。
「あ、ゾンネちゃん!お帰りなさい、それとおめでとうなのです!」
「うん、ただいま。テイク」
さすがに1泊2日分空けるので、事前にメイクデビューのため札幌へ行くことは伝えていたが、予定が合わず現地へは来れなかったらしい。
「残念ながら札幌へは行けませんでしたが……中継では見たのですよ、ゾンネちゃんのレース!ただただ強かったのです!」
「ありがと。……そう言えば、テイクってメイクデビューいつになりそうなの?」
折角同室なのだし、行けるなら行ってやりたいところだが。まあトレーニングとかの兼ね合いもあるので絶対行けるとは限らないだろうけど。
「はい、うちのトレーナーからはもう少し先になりそうと言われているのです」
「そっか、もし決まったら教えて」
「もちろんなのです!どこのレース場になるのでしょうか?できれば小倉とか、府中から遠いところがいいのです。ご当地お菓子……えへへ」
そうして蕩けた表情でお菓子のことを考えるテイクをやれやれと思いつつ眺めて、オレの初レースの1日は終わった。
ちなみに、後日両親に送ってもらった札幌でのお土産。その中には饅頭みたいな見た目のカスタードケーキなどの甘味もあり、いくらかテイクに分けてあげたところ、とても嬉しそうに頬張っていた。