ぼくがその美女と出会ったのは、8月某日。
とある浮気調査の依頼のために訪れた「米花町」なる町での事だった。
「あー……っついなぁ」
じりじりと照りつける太陽と、その光を反射するジュラルミンケース、アスファルトから舞い上がる熱。その暑さたるや筆舌に尽くし難く、まさに夏真っ盛りと呼ぶに相応しい気温。
どの位筆舌に尽くし難かったかというと、このぼくが木曽川に「太陽を殺して下さい」とメールを送りかけてそのまま下書きに保存した、そんなレベルだ。ゲロ吐きてぇ。
加えて、喧しく啼き叫ぶセミの声と流れ落ちる汗がまた鬱陶しい事この上ない。
そんな感じに暑さから来る不快感に苛まれ、グダグダと煮立った思考のまま街中を歩くぼくの前に―――彼女達は現れたのだ。
―――夏の暑さと対比できるほど涼やかに整った顔の造形
―――小柄ながらも均整の取れた体つき
―――そして、ノースリーブから覗く白い腋
少しでも涼しい場所を歩きたいと、街中を流れる川に沿って歩いていたぼくは、その対面からやって来る彼女達の姿に思わず歩みを止めた。
何故ならば彼女の美貌は今まで出会ってきた女性の中でも最高峰―――そう、ぼくと共に暮らしているトウキ級のものだったのだから。
年齢は恐らく6、7歳と言った所だろうか、女性として油の乗り始める年頃だ。
彼女の隣には友人と思しき活発そうな印象の女性が歩いており、それがまた彼女のクールな印象をより一層高めていた。そしてその女性自身もまた別ベクトルで整った顔立ちをしていて、美女の周りには美女が集まるのかな、なんて益体も無いことをぼんやりと思った。
そんな相反する二人の容貌は、合わせて陰と陽の関係性を思い起こさせた。太陽と月、でも可かな。
……ぼくは手に持ったジュラルミンケースを地面に置き、街道の手すりに肘を掛け川を眺める振りをしつつ―――そっと、彼女達の様子に目を向けた。
「ねぇ哀ちゃん! 早く帰らないとアイス溶けちゃうよ!」
「ドライアイスを入れてもらったんだから、そんなに慌てなくても大丈夫よ」
……どうやら、二人は買い物か何かに行った帰りのようだった。
太陽(活発そうな女性)は買い物袋に入っているらしきアイスが心配らしく、しきりに相方をせっつき。
月(クール系美女)はそんな太陽を苦笑しながら宥め、マイペースで歩いている。
ぼくはその様子を携帯電話を取り出して写真に収めたい欲求に駆られたが、ぐっと堪えた。 携帯電話のメモリーは既にトウキの写真とこれまでに偶然出会った女性の写真でパンパンだったことを思い出したのだ。
彼女達とぼくの距離からいって、二人の目を掻い潜り既存の写真を削除しカメラモードに切り替える余裕もなく、こんな事なら早く新しいメモリーカードを入れておけば良かったと泣きそうになった。実際涙がこぼれた。
……ならばせめて、彼女達の姿を僕の脳裏に焼き付けておこう―――
ぼくは悲壮な決意でもって顔を上げ、何時も被っている緑色の帽子を目深に下げ、全力の流し目で彼女達を瞳に写した。
眼球が痙攣し、視神経が千切れるかのような鈍い痛みが目の端に走る。しかし表情筋は欠片も動かさないように。多分その時のぼくは軽くホラーな表情を浮かべてたと思う。
「……! ……!」
あせった表情を見せる太陽と、それを慈母のような視線でもって優しく笑みを浮かべる月。 その表情見ていると、きっと彼女は良き母親になれると思った。
……しかし悲しいかな、世の法律は彼女の美しさを保ったままに母親と成らせる事を是としないのである。
彼女が結婚し、子を孕む事が許される時期になる頃には、既に彼女は結婚適齢期を外れた嫁き遅れの熟女と化してしまうのだ。まったくもって世界は悪意に満ち満ちている。
(だからこそ、ぼくはこの一瞬を記憶に焼き付けておかなきゃならない)
彼女を見る目に力が篭る。
そうして、ぼくが彼女達の姿を脳細胞に焼き付けているうちに、彼女達はぼくの背後を通るために視界の端から消えていく―――
……その、瞬間。
「―――」
ほんの一瞬。 ぼくが限界を感じて彼女達から視線をはずしたその刹那。
月の女性とぼくの視線が交錯した。
「―――……」
思わぬ接触に動揺し、心臓がピッチを早めるけど―――態度や仕草には微塵も出さないよう勤める。
もし彼女達に不振がられて警察でも呼ばれてしまっては目も当てられない……いや、あの表情を見られていたらどっちにしろ終わりだけど、それは置いておく。
「…………」
「…………」
ぼくは不規則に刻む心臓を押さえつけ、(表向きは)自然体のままジュラルミンケースを拾い、そっと歩き出す。
もっと彼女達を眺めていたい、と悔しさが胸に広がるが、まぁ仕方が無い。視線に気づかれたらその瞬間で試合終了なのだ。やすにし先生の言は偉大なり、と。
「…………」
「…………」
そうして彼女達とすれ違い、そのまま何事もなかったかのように(実際何事もないし)お互い反対方向へと歩みを進めた。……そんな立ち去るぼくの背後から視線を感じた気もしたけど、気のせいだと割り切る。
美女からの視線を背に受けているというシチュエーションには心踊る物があるが、それに反応してしまってはまるでぼくが彼女達を視姦していた犯罪者のようになってしまうじゃないか。
もしかしたら好意的な視線だったりするかもしれない事を考えると血涙が流れそうになるが、いろんなフラグをスルーするのがぼくがぼくたる所以だからね。決してビビッテル訳じゃナイノーヨ。
「……いまの……」
「え?……どうし……の?」
後ろから聞こえる会話に「やっぱバレてたかもー」逃げ出したくなるが、ここで逃げたら本格的に通報コースなので、歩く速度は保ったままで心なし早歩きでその場から立ち去った。
くそっ、女性を観察するのにも気を遣わないといけないなんて、何て生き辛い世の中なんだ。
じりじりと照りつける炎天下の下、ぼくはこの日本を支配する悪法に悪態をつくのであった。
「……はぁ」
もしあんな美女とお付き合いすることができたら、ぼくの人生はきっと今までよりも充実した物になるのだろう。
トウキがあと2年足らずで熟女へと退化してしまう事を考えれば、まだ老い先の長い彼女達に唾でも付けておけばよかったかもしれない。いやまぁ、物理的な意味でも付けたいところではあるのだが。
「……人生とは、ままならないものだなぁ」
そんな枯れた老人が今際の際に吐き出す様な言葉を口にしつつ、そろそろ大丈夫だろうとそっと振り返る。
ぼくの振り返った視線の先には、やはり仲睦まじく歩く二人の美女の姿。
……どうやらぼくの事を意識から外してくれたらしい、とほっと一息をついて、懐から古い機種の携帯電話を取り出す。今ならば誰に注目されることなく堂々と操作できるだろう。
どうせならあの美しい顔の映る真正面から写真に収めたかったが、しょうがないと諦める。代わりに帰ったらトウキに写真を取らせてもらう事で溜飲を下げることにしよう。
携帯電話のメモリーに入っている美女達の写真のうち、一番優先度の低いものを削除。 そして彼女達の後姿を激写。
よし、これでこの写真を見る度あの二人の姿を克明に思い出せるな。一つ頷き、ぼくは彼女達に背を向けて今度こそ振り返ることなく再び歩き出した。
「まぁ、いい出会いではあったよね」
何でこのクソ暑い中こんな所まで遠征しなければならないのかと思っていたが、彼女達と出会えた事を考えれば、そう悪い事でもなかったかもしれない。
そう気を取り直して、依頼を果たすべく足を踏み出す。 美女と出会って気力回復、何て模範的な男性の姿だろう。 ぼくはこんなぼくの事が大好きだ。
そしてそのまま携帯電話を懐にしまい―――
「……あ」
ふと思い出し、木曽川に送るつもりだったメールを削除。 ふぅ、危ねぇ。 思わず奴の痕跡を残してしまうところだった。
今度こそ憂いは無くなったと電話をしまい込み、ぼくは仕事モードへと頭を切り替える。
「トウキへのお土産は何にしようかな」
仕事モード? ああ、いい奴だったよ。
ぼくはそんな浮かれた頭をぐらつかせながら、目的のマンションへとじっくりとっくり近づいていくのであった。
―――今しがたすれ違った美女が、一瞬だけぼくを振り返った事など知る由も無く。
―――正直に言おう。
この出会いより数十分後に起こった殺人事件、ぼくが一人の探偵の活躍を潰した出来事よりも、この時の一瞬の邂逅のほうが強く記憶に焼きついている。
血まみれの遺体よりも、涼やかに整った顔が。
生意気な男子小学生よりも、美しい小柄な体躯が。
犯人の必死の形相よりも、ノースリーブから覗く白い腋が。
人間、誰しも嫌な事よりもいい出来事を覚えていたいはずだ。 それが美しい美女の事であるならば尚更ね。
―――何故ならば、ぼくはロリコンであるのだから。
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「……今の男、私を探っていた―――?」
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ぼくの名前は花咲太郎、犬や猫の捜索が専門に近い……いやもう専門にしたい、専門にさせて下さい、まぁそんな感じの探偵だ。
自慢じゃないけど、トウキという13歳のとっても可愛い女の子と同棲中。
殺人事件を引き寄せた挙句にその犯人を直感のみで特定できるという難儀な性質を持っていることが玉に瑕だけど、ぼくがベロベロ舐めて治すつもりだから気にはしていない。
二月に一度あるかないかの浮気調査の依頼が大事件となる極々小規模な探偵事務所に勤めて、毎日昼夜問わずに犬猫の捜索に明け暮れている。
……というか、明け暮れたい。 いやね、思うんだけどさ、最近のぼくはどうも何だか変な方向に向かっている気がする。
ぼくは二代目花咲太郎のように、しっかりと地に足が着いた殺人事件とは無縁の地域(ぼくの場合は15歳以下の女性限定)密着型の探偵になりたいと常々思っている。
名誉も名声もいらない、犬猫探しが本職で良いんだ。
だから、殺人事件に遭遇したり、殺人鬼と知り合ったり、殺人鬼と殺しあって人差し指をポキポキされたり、殺し屋と知り合ったり、グロ系の殺人事件に巻き込まれたり、火かきマンに殺されかけたり、殺し屋と腐れ(きった納豆の糸の様な)縁もどきになったり。
そんな「殺」の一文字が飛び交う不穏当且つ波乱万丈な展開はノーセンキューなわけである。
まぁトウキと一緒に居る事を決めた時点である程度の覚悟はしていたけど、なんというか、些か度が過ぎているのではなかろうか。
もはや彼女がどうとかじゃなくて、僕自身にも何らかの問題があるのかもしれない。
―――目の前に転がっている死体を見ていると、ぼくは心底そう思う。
「……勘弁しちくりー」
トウキはこの場に居ないはずなのにネ! いやんなっちゃう。
ぼくは乾いた溜息を一つ吐き、帽子を目深へと押さえつけ、心臓の鼓動を沈めることに勤める。
中途半端に開け放たれたマンションのドアを閉め、閉じられたその正面に背を預け、愛しのトウキの姿を思い浮かべて大きく深呼吸をした。
「出て来るならアナウンスくらい入れてくれよ……」
そう呟いて、ぼくはドアに背を預けたままズルズルとしゃがみ込んだ。
……これまでの事件で幾度と無く人間の死体を見てきたぼくであるけれど、慣れる事はあっても平静で居られる事は無い。
どんな人間でも、流石に何の予防も無くいきなり血だるまの死体を見せられて驚かない人は居ないだろう。
ぼくには殺人を生業とする鬼と屋の知り合い(何でこうなったのかねぇ)が一匹ずつ居るけど、そいつらだってこの状況に陥ったら目を丸くする位はするはずだ。
「うぁー、帰りてぇ」
どこに? ロリコン的な酒池肉林のパライソへ。 行った事無いけど。
心臓の鼓動がある程度収まった後、ぼくはこの後に起こる厄介事を予測し、うだるような声を上げた。
……まぁ、直接手を下す事は警察への通報しかないんだけど―――……え? 現場保存? 周辺住人への聞き込み? 知らねぇよそんなの警察に任しとけよ。
ぼくが言いたいのは、そういう面倒な手順を踏む行動からくる厄介ごとじゃない。
「…………」
目深におろしていた帽子を被り直し、立ち上がって意を決してドアを開ける。
目に映るのはベージュ色の壁と、茶色の靴箱。そして血塗れで倒れている死体の姿。
よく見てみると床の上には、元は靴箱の上に置かれてたらしきリボンをつけたネコのぬいぐるみが散乱しており、この場で何か争いがあった事が伺えた。
「……もしもし?」
本当は死んでいなかったら良いんだけどなーと甘い希望を抱いて呼びかけてみたけど、やはりと言うべきか返事はなく。目の前で転がる彼はしっかりがっつり死んで居た。真に遺憾である。
体の方は何か刃物で滅多刺しにされたらしく、上半身が真っ赤に染まっていた。 はみ出た内臓とかあまり見たくないので、そこにはあまり注視しない。
目の前で殺されて居る人間だったものは、見た限りでは30台から40台にかけての男性。肩にかかる程度の長髪を明るい茶髪に染めていた。
その表情は恐怖と嘆きに醜く歪んでおり、それに付随して鼻と口の周りは流れ出た体液によってぬらぬらと光っていた。
きっと平時ならば割かしイケメンだった事が伺えるだけに、その酷い死に顔は同じ男として同情を禁じえなかった。かわいそうに。
「……やっぱり、そうだよねぇ……」
呟いて、後ろ手にドアを閉めた。 クーラーはついていない様だったが、日の光が差さないせいか外よりは涼しかった。
「………………」
ぼくは死体に触れないよう玄関の端っこに移動し、手に持っていたジュラルミンケースを床に置いた。
そして鍵を開けて、今ぼくが請け負っている浮気調査の資料の入ったファイルを手に取る。その中から一枚の写真を取り出し、仰向けに転がっている死体の頭と並べてみた。
するとどうだろう、綺麗なイケメン面をした写真の中の男と、その隣の苦しみの表情を浮かべた男とで劇的ビフォーアフターが完成してしまったじゃないか。
「……何という事でしょう」
匠の手によって、そこそこなイケメン面がこんなにも醜い顔に! なんて言ってる場合でねーよ。
そこに作り出された光景は、ぼくの気力を大きく奪い去っていく。 今日ここに来た意味は何だったのだろうか、と。
……ぼくは認めないといけないのだろうか、この二つの物体は同じものであると。
「………………………………………」
そう、ぼくの目の前に転がっている死体。と、写真に写っている人物。それは依頼人の命により今まさに探ろうとしていた、浮気疑惑の被疑者であったのだった。
被疑者が被害者にジョブチェンジ、字面は似ているはずなのに何故こんなにも違うのだろう。
「……ヴぁー」
調べるべき対象が既に死亡していた場合、これから行うべき筈だった浮気調査はどうしたらいいのだろう? ぼくわかんない。
打ち切りか、続行か。それを決めるのはぼくでは無いんだろうけど、調査の対象が死んでしまった現状、一体何が出来るというのか。
浮気調査までならぼくの領分であったのだが、殺人事件となるとこれより先は警察の領分だ。
一介の(うだつの上がらない)探偵など瞬く間に弾き飛ばされてしまうだろう。
しかもこの死体は明らかに他殺体と分かるような有様で亡くなっている。 怨恨の線がある以上、彼が生前抱えていた人物関係など彼らにかかれば容易く丸裸コースだ。
(うだつの上がらない)探偵一人と、みんなの味方ポリスメン(ズ)。 このまま調査したところでどちらが早く真相にたどり着くか等、火を見るよりも何とやら、だ。
依頼人が関係者というのも厄介である。重要参考人として警察に招かれる事となるだろうし、その時に浮気の事についても根掘り葉掘り質問され、またそれに関わる情報も聞かされる可能性がかなり高い。
このまま行けば、ぼくはに何も出来ないままで自動的に依頼は収束するだろう。 依頼料なぞ請求できる訳が無い。
…………ほんともう、どうしようかなあ。
「……また飛騨牛にネチネチ言われるよなぁ、これ……」
探偵なら殺人事件の一つでも解決して警察を出し抜いて見せろよ!! とか言われそうである。 あーやだやだ。
ぼくはこのまま部屋を去って見なかった事にしたい衝動に駆られたが、一応これでも花咲太郎の名前の頭には『善良な』と『小心者』が引っ付いていると自負している。
これから起こる殺人事件は自分に害が無い限り見逃すけど、流石に目の前にある死体を見ない振りできる程図太くは無いのだ。
探偵として何か間違ってる気がしないでもないが、ぼくは犬猫探しが専門の閃かない探偵だから、しょうがないね。
「……助けて、毛利せんせー」
ぼくはこの町に居るはずの名探偵の名を呼びながら、どうしてこうなったのだろうとボンヤリした思考を巡らせ始めたのだった。
……ああ、警察も呼ばないといけないのか。気が重い。
ねぇそこの死体君、きみ自分で警察を呼んでみるガッツとか無い?
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事の発端は今より1日程前。
世間的には日曜日と表記するその日に、ぼくの所属する神守探偵社に一人の女性客が訪れた事から始まった。
その日のぼくは受け持っていた迷い猫探しの依頼もひと段落し、ほっと一息。新しい仕事が舞い込むまでのフリーの時間を、クーラーの効いた事務所内で満喫していた。暇だったと言い換えてもよし。
同じく暇を持て余していたらしい同僚のエリオット(年齢不詳、まるで宇宙人のような水色の髪と目を持つ超絶イケメン男)と紙相撲をして遊んだり、木曽川から送られてくるメールを片っ端から削除したり、それなりに不毛な時間を送っていたことは覚えている。所長こと飛騨牛は外出中だ。
ちなみに紙相撲の力士の名前はそれぞれ「ペド利山」と「ジョジョの富士」。少なくともぼくの力士は一目瞭然であろう。
始めこそ惰性で始めた暇つぶし程度だったのだが、何故か一試合ごとにヒートアップ。土俵を叩く音がトントンからドンドン→ドムドム→ダンダン→ズダダダダと進化していった。
そうして最終的に叩く対象がお互いの顔面にシフトしたその時に、件の彼女は現れたのだ。
『すいません、依頼をお願いしたいんですけど……』
緊張しながらそう切り出してきた女性の年齢は二十台半ばくらいであり―――まぁ、そのほか特に特筆する程に特徴ある名前も顔立ちもしていなかったので、熟女依頼人と表記しよう。 一々考えるのも面倒だしね。
その依頼の内容は、浮気調査。 この神守探偵社において数ヶ月に一度あるかないかの大事件である。
ぼく達二人は、机の上に置いてあったペド利山とジョジョの富士を椅子の脇に設置してあったゴミ箱にそっと放り込んだ。
『私には、結婚を約束した恋人が居るのですが―――』
彼女は語る。
何でもその恋人は今働いている職場の先輩に当たる人であり、入社当初に優しく指導してくれた時から好感を抱き、つい半年ほど前に告白し交際が始まったそうだ。
仕事が忙しく、二人きりで会う時間はなかなか取れなかったけどお互いを思う気持ちは本物で……惚気話が続いたのでこれより先は割愛。 何が嬉しくて結婚適齢期過ぎの女性による爛れた恋愛話を聞かなきゃならないのだろうか。
浮気調査という大口の依頼であったため、ぼくは表面上は真摯な表情を作って相槌を打っていたけれど、内面ではトウキに作る結婚指輪のデザインを思い描いていた。
隣に座るエリオットもぼくと同じような表情だったけど―――こいつの場合はその性格の良さで本当に真面目に聞いていたのだろう。
『年の差はありましたけど、お互いに愛し合っていたと思っていました。ですが……』
『……その関係に、ヒビが入ってしまった?』←エリオット
(トウキのお指ペロペロしたい)←誰だろうね
『…………残念ながら』
詳しく聞くと、大体今より一ヶ月前くらいからその交際相手の男性の挙動がおかしくなって来たらしい。
自分と会う時には何時も浮かべていた笑顔が、何か煩わしい物を見るような表情に変わった。
二人きりで会う約束も何かに付けて引き伸ばしにし、メールも電話もかけてくれなくなった。
挙句の果てには職場で顔を合わせても目を合わせてくれず、話しかけても、問い詰めても無視されるようになった。
そしてとどめに、自分以外の女性と親しげに連絡を取り合っている姿を目撃してしまった……。
『きっと、私はもう捨てられているのでしょう』
そう言って、熟女依頼人はそっと目を伏せた。
女性が浮かべる憂いを帯びたその表情。エリオットはその様子に痛ましげな視線を向けていた。
『別に、捨てられてしまった事についてはもう良いんです。 自分なりに飲み下しましたので。
……ですが、彼が何も言ってくれないまま、何も知らないままで終わるのだけは嫌なんです』
熟女依頼人は最後にそう締めくくり、再び浮気の調査をぼく達二人にお願いして、深く頭を下げてきた。
『お願いします、どうか私に真相を教えて下さい―――』
……勿論、その答えは肯定だ。
聞いた話と齎された資料、そしてや彼女の印象から法律を違反する危険な依頼だとは思えなかったし、何度も言うが浮気調査はぼくたちにとってはとても大きな仕事なのだ。 断る理由なんぞ無い訳で。
熟女依頼人が頭を下げている隙に、ぼくとエリオットは数秒だけ視線を交わす。
ぼくは頷きを一つして、エリオットは親指を突き出した。
『謹んで』『お受けしましょう』
そしてぼく達が捜査するに当たって必要な事柄を2、3質問し、彼女が帰宅した後、早速ぼく達は依頼へと取り掛かった。
まずは調査対象の詳しいプロフィールから拝見する。
調査対象の名前は……後の有様からとってビフォーアフターとしておこう。 だって一々考えるのとかめんど以下略。
年齢は38歳、身長は177cm。顔は10人中4人がイケメン、残りが普通と評するような微妙なレベルのイケメンだ。
熟女依頼人と同じそこそこ大きな外資系企業に勤めているそうで、その職業柄出張が多く二人揃って会社で仕事をする時間は少なかったそうな。
ビフォーアフターは元は米花町という町に住んでいたらしく、転勤によって今の会社へと移動。 米花町にある自宅マンションから電車通勤しているらしい。
『どうやら、今回は二つの視点から調査を進めていく必要がありそうだ……まったく、難儀だとは思わないかい?』
『浮気調査って大体そんなもんじゃなかったっけ、今までも職場と住処周りから突付いてた訳だし』
『ノリが悪いなぁ太郎君は、もう少し探偵らしく進めようよ』
『依頼人が美女だったら義憤に燃えてやる気も出たんだろうけどねぇ』
相手が消費期限切れじゃ格好を付ける意味も薄いよねぇ。
そう答えるぼくにエリオットは「まったくしょうがないなぁのび太君は」とでも言いたげな仕草で肩をすくめ、机の上にメモ帳を取り出し資料の内容を写し取り始めた。
ぼくも彼に習ってメモ帳とボールペンを取り出して写し取りを始める。どうせなら資料そのものをコピーしてしまえば手っ取り早いのだろうが、事務所のコピー機は生憎絶賛故障中なのだ。
近所のコンビニでコピーを取ることも一瞬考えたけど、流石にどうかと思ったので重石を付けて脳みその中に沈めておく。
そうしてしばらくカリカリという音が響く中、先に書き終えたらしいエリオットがメモ帳を懐に仕舞い込みつつ顔を上げた。
『さて、どうする?』
『何が?』
『いや分担の話。職場に行くか、それとも……こめはな町?の方に行くか、どっちが良い?』
『それ、多分べいか町って読むんだと思うけど』
『あ、そうなんだ。じゃあそっちよろしく』
『へいへいへーい』
意味が分からない、何が「じゃあ」なんだよこの水色宇宙人。
『いやあ、私は曲がりなりにも外人さんだからね。この慣れない日本の暑さの中、知らない町まで遠征するのは遠慮したいんだ』
『ならなんで最初に聞いたんだよ』
『いやあ、私は曲がりなりにも心は日本人だからね。発言には民主的な感じを取り入れてみようと思ったんだ』
『ぼくの意見を聞く前に決めた気がするんだけど』
相変わらずコロコロと国籍を使い分ける男である。
ぼくは胡散臭い笑顔を浮かべる宇宙人を同じく胡散臭い笑顔で迎え撃ち、イケメン度の判定負けを喫しそっと目を逸らした。数字で表すと10-0。THE、圧倒的。
まぁ、別に良いさ。暑い外界に長時間外出したくないのはぼくも同じではあるが、仕事と言い訳すればまだ我慢できる。
そう自分に言い聞かせ、ふぅ、とため息を吐いた。
『……分かったよ、ぼくは米花町の方に行くから、職場のほうを頼む』
『流石は太郎君だ、私は信じていたよ、君はできる子だと。あ、あとお土産よろしくね』
『わはははははははは』
笑顔の耐えない職場です。誤字ではないと言っておこう。
……しかし、米花町、ねぇ。
米花町といえば、かの有名な殺人事件専門の名探偵、眠りの小五郎こと毛利小五郎の住む町だったはずだ。
我らが探偵界隈(あるのかどうか知らんけど)じゃ、行ってみたい町ランキング一意に輝く場所と言ってもおかしくない、名探偵の守護する町。
犬猫探し専門の探偵のぼくにはあまり関係ないだろうけど、パワースポット的な何かがあってそのご利益で少しは閃く様にならないものか。ぼくだって、まるで漫画の中みたいな名探偵にはちょっぴり憧れる物があるのだ。
そんな妄想を浮かべつつ、ぼくは数枚ほどあったビフォーアフターの写っている写真のうち、一番写りの良い物をファイルへと挟んだ。
そしてぼくに続いて二番目に写りの良い写真をメモ帳に挟み込んだエリオットは、安物のスチール机に立てかけておいた黒い鞄を手に取り、立ち上がった。
『さて、私は早速職場の周辺に聞き込みに行こうと思うが―――太郎君はどうする?』
『今日は大人しく留守番しておくよ、日曜日だしね』
先程の熟女依頼人も仕事が休みだからこそこの場所に来たのだ、同じ職場のビフォーアフターも休みであると見ていいだろう。依頼人にも確認したのでまず間違い無い筈だ。
つまり調査対象が家に居る可能性が高いのだ。仮に居なくても何時自宅に帰ってくるか分からない状態で周辺に聞き込みや張り込みをするのは少々リスキーだと言わざるを得ない。
ならば今日のところはエリオットの調査を待ち、予め何がしかの情報を得た上で行動の予定を組んだほうが良いだろう、というのがぼくの判断だ。
まぁ、僅か一日で有益な情報が手に入るとは思えないけど、こいつの甘いマスクならば、休日出勤の女性辺りからビフォーアフターの大まかな行動パターン位は引き出せそうな感じではある。
その考えを告げると、エリオットは「流石だなぁ出来杉君は」とでも言いたげに笑顔を浮かべて「では行ってくるよ」
これから暑い太陽光線を浴びに行くとは思えない快活な足取りでドアの前まで行き、そのノブを掴みつつぼくに振り返ったのだった。
『私は何らかの情報を持ってくるから、太郎君はお土産を忘れないでくれよな』
『わはははははははははははは』
********************************
そうして次の日の朝9時半、朝一番で米花町にやってきたぼくは、思いがけない美女との出会いにウキウキ気分。
昨日エリオットが調べてきてくれた情報(お土産の催促と一緒にメールで送られてきた)から、ビフォーアフターは朝の7時までに出勤することが分かっていた。
なので浮かれた気分のままスキップしつつ彼のマンションまで辿り着き、彼の部屋のある二階まで上がりその位置を下見した。 そう、ここまでは良かった。 良かったんだ。
……しかし彼の部屋の前に立ったぼくは一つの違和感に気がついてしまった。 部屋のドアが中途半端に開いていたのだ。
今から考えればこの時点で不穏な空気は漂っていたのだが、その時のぼくの頭は美女の事で占められていてそれに気づけなかったのである。ガッデム。
そしてそれがふと気になったぼくは、何か調査の手がかりとか無いかなーと好奇心の赴くままにドアの隙間から内部を覗いてしまい―――こうして、ぼくはビフォーアフターの死体の第一発見者と相成ってしまったのであった。
「…………はぁ」
昨日の内、若しくは死体が発見されてから来れば良かった。 どっちにしろ調査にはならなかったろうけど。
ぼくは後悔と共に脳裏に浮かべていた回想を打ち切り、帽子の位置を直しつつ目を開いた。途端に視界へ真っ赤な死体が飛び込んでくるけど今回は特に驚きもせず、立ち上がる。
そうしてファイルをしまったジュラルミンケースを持ち上げて、ドアノブを掴み、部屋の外へと歩き出す。
流石に警察を呼ぶのに死体と睨めっこしながら、というのは御免だったのだ。 悪いねビフォーアフター。
「あっちーなぁ」
外に出ると同時、ぼくの体にむわっとした熱気が絡みつく。とりあえずこれはトウキの吐息だと思い込んでみたけど、本人の姿がない以上うまくいかずにやはり不快なままだった。
天から降り注ぐ日の光が体を焼き肌の中のメラニン色素を溶かしていく中、ぼくは部屋の前にある手すりに肘を突き、懐から携帯電話を取り出した。
日光に炙られた手すりはフライパンのように熱かったけど、何となく体を包む熱気がそこに吸い取られている気がしてそのままで。
折り畳み式の携帯電話、その待ち受け画面に映っているトウキの姿に目じりを細め、目減りしていた気力を充填。 親指を『110』の最初の数字に乗せて、
「…………」
……とりあえず警察より先に、今も調査を進めているであろうエリオットに連絡することにした。 依頼が無駄になるかもしれないと伝えておかないとね、まったくエリオットはぼくみたいな同僚を持てて幸せだなぁ。
まず最初に電話で伝えようとしたけど留守電になっていたのでメールに方向転換。 ビフォーアフターが死体となっていた事と、依頼自体がなくなる可能性がある事を書いて送っておく。
何となく、警察よりも先に秘匿するべき情報を他人へと発信できた事に不謹慎な優越感を感じた。
そうして画面に表示された『メールを送信しています』の文字を眺めつつ、ぼくはやれやれ一仕事終えたぜぇ的な雰囲気をかもし出し、今度こそ警察に通報するべく110と番号を押し込み―――
その時だった。
「―――ねぇお兄さん、何してるの?」
「……うん?」
不意に横合いからかけられた声に、ぼくの指が止まった。
その声は高く幼げで、もしかしてぼく好みの女性かとほのかに期待しつつ、なるべく格好をつけた仕草で首を声のした方角へと傾ける。関係ないけど幼毛ってインモラルな感じしない?
するとそこには今朝あった女性と同じくらいの年齢の眼鏡をかけた少年が立っており、ぼくの事を笑顔で見上げていた。期待はずれだった、残念。
スケボーを嗜んでいるのか、お尻の部分にブースターの様な物をくっつけたスケートボードを抱えていたのが特に印象に残った。
……というか誰だろう、この子供。今は夏休みの期間だから子供がこの時間にここに居ても別段おかしなことではないけど。
「……別に、何もしてはいないかな?」
困惑混じりに返事を返す。
この部屋に死体があったので、警察に連絡しようとしてましたー。などと馬鹿正直に子供に向かって言えるはずもなく、嘯いた。
その際、この子が女性でなかった事に落胆を感じていた事もあり、意識せず声色がざらついてしまう。年齢的にはOKだったんだけどねぇ。
少年はそんなぼくの声に滲む不機嫌さを感じ取ったのか、一瞬だけ目を細めてこちらを伺うような表情を見せた気がした。ちょっと悪い事をしたかもしれない。反省。
「ああ、ごめん。さっきちょっと嫌なことがあってね、気分が立っていたんだ」
とりあえずぼくはそう謝って、携帯電話を懐に仕舞い込んだ。流石に子供の前で死体を発見したと通報するのは憚られたのだ。
……本当にこの子は一体誰なんだろう。多分このマンションに住んでいる子なんだろうけど、どうしてぼくなんかに話しかけてきたのやら。
ただ電話をかけようとしていた青年の何処に子供の気を引く要素があったのだろう、まったくもって理解不能だ。
どうせ気を引くなら美女からの気を引きたいのに、引っかかるのは男ばかり。泣けるね!
「ううん、別に気にしてないから大丈夫だよ」
少年はそう言ってにっこりと笑みを取り戻す。これで女の子だったらよかったのになぁ。
ぼくはその少年の様子に何となしに安心し、ドアの向こうの死体のことを一瞬忘れかけ―――
「でも、嫌なことって何があったの?」
同じく一瞬で思い出させられた。空気読みなさいよ少年。何か馴れ馴れしいな少年。
思わず緩みかけていた頬が引きつり、目線がほんの僅かな時間ドアの方向に向きかけた。
「……はは、別に大した事じゃないさ」
「ふーん……?」
ぼくは少年に悟られまいと無理矢理目線を元に戻したけど―――その眼球の動きは彼の持つ観察力に引っかかってしまったようだ。
少年を見てみれば、眼鏡の奥にある細く眇められた鋭い瞳がドアの向こうへと続いていた。
「…………」
……嫌だなぁ、その先に興味とか持つのは止めてほしいなぁ。
最近は何となく麻痺している感があるけど、ぼくだって一応は人並みの正義感ぐらい持っているのだ。小さな子供が血塗れの死体を見てトラウマを背負う光景はあまり見たくない。
今では殺人に慣れきっているトウキという例だって、話を聞く限りでは最初に死体を見たときは混乱状態に陥った様だし―――いや、それは被害者が母親だったという件も関係しているかもしれないけど。
とにかく、この少年だってきっとそうだ。こうやって見る限り何だか随分と落ち着いた印象を受けるけれど、あんなグロテスクで真っ赤っかな死体を見てしまっては取り乱してしまうに違いない。
……そして同時に、心にある程度の歪みが生じてしまうのだ。
その嫌な未来予想図にげんなりしたぼくは、少年の意識をそこから離れさせるために、意図的な無駄話へと興じる事にした。
ごほんと咳払いを一つして、話しかける。
「で、だ。 少年君、君はぼくに何か用で―――」
「―――よっ」
「も?」
前言撤回、この少年が落ち着いているなんてとんだ勘違いだ。
気づけば彼は油断しきっていたぼくの脇をすり抜け、ビフォーアフターが地面とほっぺたをくっつけて涼んでいる光景を遮っているドア先輩の下へと駆け寄っていた。
まったく走り出す予備動作を見せずに駆け出したその身のこなしは、木曽川が人を殺す際の動きとある種の共通点を―――なんて暢気に実況している場合か!
「おおおぉぉちょっ」反射的に手を伸ばすが、少年は驚異的な反射神経でそれを回避。伸ばした左手は虚しく中を掻き毟る。
そうして元よりぼくと部屋までの距離が殆どゼロに等しかった事もあり、少年は容易くドアの下へ辿り着き、そのドアノブを握りこんで、
「やめ……!」
ぼくの必死の制止を無視して、その扉を開け放ったのだった。
せっかく珍しく男のために動いてやろうと思ったのにね。ヤメテー。