探偵、花咲太郎は気付かない   作:変わり身

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後編

ワンワン泣く。

 

ギャンギャン泣く。

 

ビビって一目散に逃げ出す。

 

正直言ってぼくは少年が取る行動をそのどれかだと思っていた。

 

 

「……………………」

 

「……………………」

 

 

しかし実際はどうだろう。少年は泣くこともビビる事も取り乱すことも無く、冷静にビフォーアフターを―――刃物で滅多刺しにされた遺体を観察しているではないか。

 

流石にドアを開けた瞬間は驚いた表情を見せていたが、それだけだ。今現在はしゃがみこんでそれはもう本格的に検分している。

首筋に指を添えて脈拍を確認したり、全身をくまなく観察したりと手馴れたものだ。ほんと何者だよこの子、あとで警察に怒られても知らないぞ。

 

 

(うーむ、少年の心に傷が付かなかったようで何より……と喜べるのか、これは?)

 

 

てっきり幼気な少年の心に傷跡が付けられる瞬間を目撃してしまうかと思っていたのだが、この反応は予想外である。関係ないけど幼気ってインモラルな感じしない?

 

ぼくは彼に伸ばした手はそのままに、一体どうすればいいのかと立ち竦んでいた。

少年が特に動じた様子を見せない以上、ぼくが彼を止める理由は無くなった訳で。あ、人道的にどうなんだという批判は受け付けません。ぼくは既にトウキ関連で色々とやらかしているので。

 

動じない少年と、動けないぼく。この場には奇妙で微妙な雰囲気が辺り一帯に漂い、何かモヤモヤとした空気をぼくらの体に擦り付けていた。

実際は1分も経っていなかったのだろうけど、ぼくの体感としては1時間とか2時間ぐらいに長く感じたね。それほど重い空気が漂っていた訳ですよ、はい。

 

……そうして何時までも続くかと思われたそんな時間を終わらせたのは、やはり件の少年だった。

 

 

「……この人、一体どうしたの?」

 

 

思う存分遺体の観察をし終えたのか、少年はこちらを振り向き例によって鋭い目をこちらに向けてきた。

ぼくはその言葉に思わずぽかん、そして言葉の意味を理解し終えると同時、焦りが心中に生まれたことを自覚する。

 

 

―――やっべぇ、すっげぇ怪しいわ、ぼく。

 

 

死体のある部屋の前にいて、嫌な事と聞かれてその部屋に視線をやって、少年がドアを開けようとした時に焦って止めた花咲太郎。

いやはや、自分で言うのもなんだけど状況的には殺人犯以外の何者でもなくね? 笑えねぇってばよ。

 

そうしてそんな疑惑を向けてきた少年は、何故かしゃがんだまま踵の辺りと腰元に手を当てていた。そのポーズの意味は分からないけど、こちらを警戒している事だけはすごく良く分かる。

おそらくだが、それは少年なりの逃げるためのクラウチングポーズの様な物なのだろうと推測する。こちらが少しでも不審な行動を取れば即座に逃げ出すつもりなのだろう。

 

 

―――が、しかし、だ。

 

 

少年はそれでぼくを揺さぶっているのかもしれないが、その程度の事じゃ我がデモンベイン的な精神は崩れない。

伊達にこれまで法律に抗い少女達を視姦してきた訳じゃないのだ。焦った時の平静の取り繕い方はそれはもう良っっっっく熟知している。

 

 

「さぁ? ぼくも今さっきそれを見つけたばかりだからね、良く分かっていないんだ」

 

 

エリオット式の胡散臭い笑顔をでもって心中の焦りを押しつぶす。

 

その際、伸ばしたまま固まっていた腕を流れるような自然さで帽子へと添え「やれやれだぜブラザー」みたいな感じで肩をすくめた。

ちょっと芝居がかった感じがしなくも無いけど、少年のような年頃の子供にはこういった少々漫画的な仕草が案外好感を持たせてくれる物なのだよ。

 

 

「じゃあ、何でそんなに落ち着いているの? もし死体を見つけちゃったら、普通は取り乱して警察とか呼ぶのに必死になるんじゃないの?」

 

「ははは、まぁ死体を見るのはこれが初めてって訳じゃないからね、驚きはするけど取り乱しはしないさ」

 

 

いや本当にね、実際死体を見ても「ああまたか」で済んじゃうようになるよ。

死体の損傷具合では気分が悪くなることもあるけど、それだけだ。

 

 

「警察だって呼ぶつもりだったさ、さっきだって少年君が来なければ呼んでいたと思うよ」

 

「何で僕が居ちゃ駄目だったの?」

 

「そりゃあぼくはこれでも善良な一般市民だからね、子供の前で人が殺されましたなんて言える訳無いだろ?」

 

 

今は言っちゃってますけどね、我が身可愛さで。善良(笑)。

そう答えると少年は、何か見落としていたものを発見したかのような顔をして赤面、ごほんと一つ咳払いをした。まぁ、次の瞬間には元の鋭い視線に戻ってしまった訳だけど。

 

 

「ふーん……それじゃあ、死体を見慣れるようなお兄さんの職業って―――」

 

「―――こっちも聞きたいんだけど、君はどうなんだい?」

 

 

慌てて突っ込んだ。危ない危ない。

 

もしこのまま職業のことを突っ込まれて、ぼくが探偵だという事を知ったら、また中村青年の時のような面倒くさい事になるかもしれない。

先程の死体の検分や、逃げずに犯人(疑)のぼくを問い詰めている態度からして少年も探偵願望があるみたいだし、下らない感情から状況を引っ掻き回されるのはご遠慮願いたいところだ。

 

 

「……どう、って?」

 

「君だってビフォーアフターを―――あの死体の事ね、を見たにしては随分と落ち着いているように見えるけど」

 

「それは……」

 

 

僕の質問を受けて、少年が言葉に詰まる。おや、苦し紛れの言葉にしては割りといい所を突いたかもしれないな。

 

……冷静に考えてみれば、確かにかなりおかしいよな。ぼくだって最初に他殺体を目にした時は気が動転して混乱したものだ。しかし、この少年にはそれが無いのだから。

加えて殺人犯(疑)が目の前に居るというのに、まったく怯える事無くむしろ睨み付けて来るのは一体どういう了見だ。普通は少しでも神経を逆なでしないようにへりくだる物じゃないのか、少なくともぼくはそうしたぞ。

 

とりあえず口に出した勢いのまま続ける。

 

 

「しかもあんなに血塗れの死体を見て、怯えるでもなく検分までして見せた。到底、死体を初めてみた子供ができるような事じゃないよね」

 

「…………」

 

「君の方こそ一体何者なのかな?」

 

 

まぁ、ただの格好付けたいだけの子供なんだろうけどさ。少年探偵なんて漫画の中にしか居ないのよ。

 

だがしかし……何だろうね、この空気は。まるでその漫画の追求シーンみたいじゃないか? ワクワク。

何となくテンションが高揚するぼくにそう問いかけられた少年は、何も答える事無くただこちらを睨み付けた。何で睨むのか意味が分からん。

 

 

「……………………」

 

「……………………」

 

 

少年はぼくを睨み、ぼくは少年に作り笑いを向ける。

 

そんなピリピリとした雰囲気の中で、ぼくはふとこの状況に疑問に思った。

ぼくはただ浮気の調査に来ただけだというのに、死体を見つけて、子供相手(例え15歳以下でも男なら子供だ)に真剣に言い訳したり。何やってるんだろうねぇ。

 

 

「…………はぁ」

 

 

何か急に馬鹿らしくなって、ため息が漏れ出た。投げやりな気持ちのまま右手で帽子で目元を隠すように押さえ、残った左手を懐に突っ込んだ。

 

「……っ」その空気を無視した突然の行動に、少年が息を呑んだ音が聞こえた。同時に、何かをキリキリと回すような音も。

ぼくはそれを少年が逃げ出すために身をよじり、踏んでいた小石を踏みにじった音と判断し、無視。取り出した携帯を顔の横に持って行き、ぷらぷらと左右に振った。

 

 

すなわち。

 

 

 

 

「警察、呼ばない?」

 

「……は?」

 

 

 

 

―――ぽーん、ぽーんと。

 

 

何処からか飛んできたらしいサッカーボールが足元に転がってきて、ぷしゅっと空気が抜けていったのだった。

 

 

 

 

 

 

**********************************************

 

 

 

「……あ、はい、どうも。警察の方ですね。すみません、実はマンションの二階で人が死んでいるのを見つけてしまいまして……」

 

 

先程とは違い、部屋の前では無く部屋の横。壁に背を預けたぼくは今や完全に解放されたドアを眺めつつ、只今皆のお巡りさんへと電話中。ちなみに電話を取ったのはおっさんだった。

 

詳しい場所とか、死体を見つけた時の状況だとか、お巡りさんがこちらに辿り着くための最低限の情報をできるだけ細かく伝える。

そうして一通り説明したらすぐ来ますとの事だったので、ぼくは「お願いしますー」と挨拶一つ。「ご協力ありがとうございます」という声を最後まで聞く事無く電源ボタンを押し込んだ。

 

……通話をするためのボタンは「通話ボタン」なのに、通話を断つためのボタンは「電源ボタン」。この辺りをよく考えればそれなりに深い意味を見出せそうだったけど、特に興味も沸かなかったのでそこら辺にぶん投げておこう。

 

 

「……よし、と」

 

 

そうして役目の終えた携帯電話をポケットに放り込み、ぼくは視線を左に向けた。

壁に立てかけてあるスケボーのその先、開かれたドアの内部でごそごそと蠢く塊が視界の端に移る。

 

やや! 何とビフォーアフターがゾンビと化して立ち上がったでござる! 天狗の仕業じゃ! 面妖な! 面妖な!!

 

……なんて事は勿論無く。

 

 

「……これは、腹部から心臓部まで何度も刺されたのか……。……ん? この傷は……」(テレレン!)

 

 

先程から色々大切なものを無視して勝手に遺体検分をしている眼鏡少年だった。独り言……っていうか、無意識に考え事が漏れている、友達いないのかな。

 

さっきは一触即発モドキかっこ笑いな雰囲気で対峙していたぼくらだけど、結局は警察を呼ぶ方向で話は纏まった。

少年はこちらの警戒をまだ解いていないみたいだけど、一先ずは逃げる事は止めてくれた様だった。ぼくはそんなに怪しい人間に見えるのだろうか。ちょっと傷つく。

 

まぁとにかくそういう訳で、今現在の彼は傷口からはみ出た臓器や、肉の欠片の事なんて気にもかけずに遺体をじっくりと観察中。本当に何なんだろねこの子供。

そんなに見ても、ただグロいだけで素人目に分かる事なんて無いに等しいと思うんだけどなぁ。

 

……そういえば中村青年は警察が来たあと、一体どうなったんだろうなぁ。

恥をかいた事は、まず間違いないだろうが。

 

「たたたた」あの皆に支持された空回りっぷりを思い出し、何か頭痛がしてきた。

……もうやめよう、あの時の事を考えるのは。健康に良くない気がする。木曽川的な意味で。

 

ぼくは頭を軽く振ってその思い出を振り落とす。

その際にずれた帽子を片手で直しつつ、とりあえずドアの影から首を出し、ぼくのかわりに探偵役をやってくれている少年君に警察の件を伝えることにした。

 

 

「……今、通報し終えたよ。お巡りさん、すぐ来るってさ」

 

「ふーん、そうなんだ」

 

 

…………それだけ?

 

言外に探偵ごっこに興じられる時間はあと少しだと教えられたにも拘らず、返ってきたのはドライな一言。

むしろ警察が来るのが当然といった風情だ。もしかして警察が来た後も探偵役のポジションで居られると思っているのだろうか。

 

ぼくはそんな少年に一抹の不安を感じつつ、続ける。

 

 

「警察が来た時に色々弄ってると怒られる事になるから、もうそろそろ止めておいた方が良いんじゃないかなあ」

 

「大丈夫だよ、僕警察の人に知り合いが居るから」

 

 

だからなんじゃい。警察の人と知り合いという事と君が怒られないという事はイコールで結ばれないぞ。

むしろその知り合いの人の名前を出したら、その人にまで迷惑がかかる事になるんじゃないのか。

 

そんな思いと共にぼくは少年に胡乱気な視線を送ったが、彼は助言どころかこちらを見向きする事も無く、再び遺体の検分に戻り始めたのであったとさ。

 

 

「……ま、良いけどね」

 

 

怒られるのはぼくじゃないし。こっちに被害が来ない分には好きに勝手にやってくれて構わないさ。

どうせ警官が来たら拳骨なり何なりを食らって探偵ごっこは強制終了されるのだ。今のうちに探偵気分を味わっておいても良いんじゃないかな。

 

……いや監督責任とかで何か言われるかな? でもぼくは少年に警戒されているしなぁ。

言うことも聞いてくれないし、できる事なんて限られてるよねっと自己弁護。

 

 

「……となると、ベランダにロープ痕があるはず……」

 

 

少年は少年で今度は死体から周辺の状況に興味が移ったらしく、彼は何某かをむにゃむにゃ呟きながら部屋の奥へと向かっていく。

よく分からんが頑張れ少年、閃け少年。この殺人事件の解決は君の手にかかっているぞ!

 

小さな背中に無責任なエールを心中で送りつつ、首を戻す。

 

そうして三度壁に背と後頭部を預けつつ、ここじゃ警察が来ても分かり辛いかな、と思案していたところで―――思い出した。

 

 

「……そうだ、浮気の調査」

 

 

そう、色々あって忘れかけていたが、ぼくは元々浮気調査の名目でビフォーアフターのマンションにやってきたのだった。

これから近いうちに警察の介入がある以上、依頼の達成ははもはや不可能であるが、一応未だ依頼は続行中。という体をなしている。

 

ならば一応探偵業を営んでいるものとしては、今からでもできる限りの調査はするべきなのだろうか。

 

 

「…………」

 

 

少年が消えていったドアの向こう。

先程まで関わりたくないと思っていたその先が、今では何となく悪魔の誘惑を放っているようにも感じられた。

 

…………いやいやいや、ぼくは中村青年の二の舞は勘弁だぜ。

 

ため息をついて首を振る。何かぼくってため息をついてばっかりだ、今までどれくらいの幸せが逃げたのかねぇ。

顔と壁に挟まれた後頭部が帽子越しに擦れ、ぐしゅぐしゅと髪の毛が絡まる。

 

 

「……ああ、そういえば所長に連絡してなかったな」

 

 

ぼく達が浮気調査の依頼を請け負ったことを知らせたら、タップダンス(比喩表現)しながら喜び狂っていた飛騨牛。

きっと今回の依頼がお釈迦になった事を知ればブレイクダンス(比喩表現)でもしながら、ねちっこくイヤミを放ってくる事だろう。

 

正直その事を考えると、知らせを入れるのにジメっとした抵抗感を受ける。しかしぼくは哀れにも彼の下で働いている下っ端であり、上司たる飛騨牛への連絡は避けられない。

まぁ最初に連絡する相手に真っ先にエリオットを選んでいる辺りぼくの所長に対する扱いは察せられるだろうが、一応上司は上司なのである。

 

 

「さてさて、と」

 

 

警察への通報という大役を果たしてくれた携帯電話君、今一度出番がやってきたぞ。君の電波を送信してくれ。

 

ぼくは携帯電話を取り出しつつ、開け放たれたドアを一瞥する。

探偵少年君に何か一声かけていくべきかと思ったけど、ちょっと電話をかけるだけだし別にいいかと思い直した。

 

とりあえず、この場所から少しだけ距離を取っておいたほうが良いかな。少年君に声が届くことはまず無いのかもしれないけど、念のために。

 

別段聞かれても困ることは少ないのだが、あの探偵役にどっぷり浸っている少年君に聞かれては、また何やかんやと質問責めにされるのは目に見えているからね。

僅かながらもビフォーアフターと縁がある事を知られて、人物相関図に容疑者枠で参入するのは避けたい所だ。いやもうなってるのか?

 

…………あ、あと守秘義務とかもあるし。

 

 

「アドレス帳から左を二回下を一回」片手で携帯を操作しつつ、ジュラルミンケースを掴みあげる。左手の皮膚に触れた部分の体温が急上昇、よほど太陽の光を吸い取っていたようだ。

 

そうしてマンションの廊下の突き当たりにあるエレベーター前に向かって歩き始めた。

エレベーターには殺人鬼の時の件で若干苦手意識を持っているぼくだが、乗らない分にはまぁ問題は無い。

 

あのホテルでの事件で出会った個性的な面々を思い出しつつ、通話先の事務所の番号を呼び出し、通話ボタンを「ぽちっとな」。無機質な電子音が耳の中に木霊する。

飛騨牛も一応は携帯電話を持っているのだけど、這い寄る年波の影響か何時もどこかに置き忘れていて繋がらない事がよくあるのだ。

 

その点事務所に備え付けられている電話機ならば、携帯電話よりは繋がる可能性がある。何せ仕事が無い時は一日中事務所で昼寝してるからね、あの牛さん。

 

……まぁ、どこかに遠征している時は当然その限りではないので、一抹の不安はあるのだが―――「お」っと言っている間に繋がった。

耳の中に木霊する音が電子音からボコボコというくぐもった音に置き換わる。

 

 

ぼくは早速、飛騨牛に浮気調査の件を報告しようと口を開け―――

 

 

『はーい、こちら……かみもり?探偵社でーす』

 

「すいません、依頼なのですがぼくと二年間だけ永遠の愛を誓っていただけませんか」

 

『死ねーいロリコーン』電話を切られた。

 

 

ので性質の悪いストーカー張りにリダイヤル連打。

 

 

『今度言ったらこの電話の線引っこ抜くから』

 

 

そう不機嫌そうに再び電話を取ってくれたのは、飛騨牛とは似ても似つかない涼やかな声。

ぼくが今思いを寄せている女の子、トウキその人であった。

 

何時もはアパートに居るはずの彼女がどうして事務所に居るのか。

気にはなったものの、ぼくはトウキと喋る事に無粋な疑問を挟むような悪い子ではないのですぐに忘れた。

 

どうでも良いけどロリコーンって何か神秘的な言葉だよね、ユニコーンみたいで。

 

 

「酷いなぁ、思いがけずにトウキの声を聞けた喜びでプロポーズが前倒しになっちゃっただけなのに」

 

『ほんとにルイージは爽やかな声で気持ち悪いこと言うよね、やっぱり死んだほうが良いんじゃない?』

 

「実はもう婚約指輪の構想は練ってあるんだ。期待してくれていて良いよ」

 

『ねぇいつ死ぬのー? ねぇねぇ、いーつーしーぬーのー?』

 

 

ね? ツンデレでしょ?

 

ぼくはそんな彼女の照れ隠しに笑みが漏れ、死体やら少年君やらの事で感じていたささくれ立った気持ちが晴れていく。

何というか、回復魔法を食らったような気分。やはりトウキはぼくにとってのお姫様なんだなー、と今更ながらに再確認した。

 

ちなみに補足すると、彼女の言葉の中に出てきた「ルイージ」とはぼくの事だ。その理由は直接聞いたことは無いけど、多分ぼくが何時も頭に乗せている帽子とその色から連想したものと思われる。

トウキ―――つまりは「桃姫」と「ルイージ」、中々に洒落と皮肉が効いている呼び名同士だとぼくはひっそりと思っていたりする。

 

 

「ハハハハハ、少なくともあと二年は死ねないかな。二年経ってもトウキが居る限りは死ねないだろうけどね」

 

 

一応、これは本音だ。

 

ぼくがトウキの面倒を見ている理由に、彼女が物凄くぼく好みの女性であるという要素が大部分を占めている事は否定しない。あわよくばイイ関係になれるかもという打算もある。

しかしそれらと同時にトウキ自身の事も凄く気に入っているのだ。少なくとも、例えあと二年で結婚適齢期から外れ女性として見る事ができなくなっても嫌うことは無いだろうと断言できる程度には。

 

何より、彼女に手を差し伸べたのはぼくなのである。その責任は果たさなければならない。

 

「恋愛関係にはなれなくても、友情は育むことができるのさー」とはぼくの弁だ。どうしてだろうね、字面は綺麗でもぼくが言うと何か薄汚れた意味に聞こえるのは。

そう答えると彼女はフンスと鼻を鳴らしたあとに『……で、何の用?』と聞いてきた。

 

おっと忘れるところだった。

 

 

「ああそうそう、実はちょっと所長に用があるんだ。もし近くに居るんなら蹴飛ばして起こしてくれるとありがたいな」

 

『ていうか、どうして私がここに居るのかは聞かないのね』

 

 

君もぼくの話を聞いてくれないのね。

 

清清しいほどに頼みごとを無視する彼女の声に「困った子だなぁ」というニュアンスの苦笑が浮かぶ。まぁそんな所も愛しい訳ですがね!

 

 

「もちろん、ぼくが居ない事が寂しくてわざわざ事務所まで会いに来てくれたんだろう? まったく、今日ぼくは事務所に居ないって伝えてあったのに……でも、君がそこまで想ってくれてた事はとても嬉しいよ。ありがとう」

 

 

と、ここまで言い終えた時には既に通話は切られていた。リテイク。

 

 

『ウチの扇風機が壊れちゃってさ、あんまりにも暑かったから事務所まで歩いてきたの』

 

「ああ、だいぶ古い型だったからね」今度お墓でも作ってあげるべきだろうか。

 

『ていうか何時もルイージこんな涼しい所で仕事してるの? ロリコンの癖に贅沢ね、ずるくない?』

 

 

はて、ロリコンが贅沢をしてはいけないという法律は無かったと思ったけど。

 

 

「ハハハ、それもこれも全部は愛しい君との生活の為さ。少しの環境的役得ぐらいは大目に見てもらえると嬉しいなぁ」

 

『それ頭に期間限定が付くんでしょ、このロリコン。……あーでも、ホント涼しいなぁ……今度から朝ルイージと一緒に来ようかな……』

 

 

トウキが思わずといった様子で呟いたその声は、かなり小さい声量ではあったもののしっかりとぼくのロリコンイヤーへと届いた。

 

……ふむ、まぁ、別に良いか? 扇風機も無しに日中暑い中放置していて熱中症になられたらぼくは死ぬほど後悔するだろうし、何より彼女をそんな目に合わせたくは無い。

本当は探偵社という仕事場に子供が居る、という姿は客に不安感を与えかねないのであまりよろしくないのだろうが、お茶酌みとかしてもらってマスコット的な立場にすれば……いけるかな?

戻ったらエリオット達に相談してみよう。

 

唯一の心配事といえば、トウキの必殺&直感の毎ターン発動型精神コマンドの事だけど……多分何とかなるんじゃないかな。

ぼくだって何度も死に掛けたが結局は五体満足で生きているのだ、ロリコンが生き残って宇宙人と飛騨牛が生き残れないなんて道理はあるまいと楽観視する。

 

……と、さっきから思考がずれているな。いやロリコン的には正しいんだけど。

話題修正。

 

 

「まぁそれは明日にでも話し合うとして、そろそろ飛騨牛を呼んでくれると助かるんだけど」

 

『居ないわよ』

 

 

即答。

 

コンクリートに投げたスーパーボール並みに勢いをつけて跳ね返って来た返事に即座に対応することができず、ぼくは「うん?」と無意識に疑問の声を上げる。

……あ、良く見たらジュラルミンケースにガムが引っ付いてら。

 

 

「え、居ないの?」

 

『うん、何か……何だっけ、しほーしょし、何とかってお仕事が入ったから、ちょっと出てくるって言って出かけちゃった』

 

「あー」

 

 

そっちの仕事が入ったのか。トウキの可愛らしい言い方に身悶えつつも額に手を当て宙を仰ぐ。ふと見ると、エレベーターの表示が下に降りて来る所だった。

 

実を言うと、我らが神守探偵社は所長が推進する多角経営の一環として司法書士事務所の看板も掲げていたりする。

そっちの方は資格を持っているのが飛騨牛だけなので、それ関係の仕事が来た場合には彼自らが出撃しなくてはならないのである。

 

エリオットはぼくと同じく朝から故・ビフォーアフターの職場のほうに向かって居たはずだし、成る程、事務所には今トウキしか居ないのか。一抹の不安的中。

だから彼女が電話を取ったと言う訳ね。閃かない頭が今になって状況を把握した。

 

 

『何? 大事な用?』

 

「んー、いや、そこまで大事な用でもないから、別に今じゃなくても良いんだけど」

 

『……ふーん? ほんとに?』

 

 

少なくとも君の事に比べたらチリみたいなもんですたい。

……と、気の無い振りで言い放ったはずなのに、何故かトウキはそんなぼくの言葉―――というかぼくの受けている依頼に強い興味を見せてきた。どうせ興味を持つならぼく自身の方にしてほしいのに。

 

 

『ほんとに大事な用じゃないの?』

 

「……と、言いますと」

 

『ルイージ、何か事件に巻き込まれてたりしない?』

 

 

 

 

ぎちり、と。胃袋の中が引きつった。

 

 

 

 

 

……相変わらず鋭い勘をお持ちですね。癒しの象徴がガラガラと崩れ去っていく音が聞こえる。

 

だがしかし、ぼくは平静を取り繕うことなら探偵社で誰にも負けない自身がある。それがトウキの前だとするなら尚の事。

声帯を必要以上に震わせないよう意識して、爽やかな声をひねり出す。

 

 

「ハハハ、まぁ今回の依頼は浮気調査だからね。まだ危険な目にはあってないけど、これから先穏便に済まない事もあるだろうさ」

 

 

嘘はついていない。既に殺人事件に巻き込まれているけど、ぼく自身が犠牲になった訳じゃないのでギリギリ穏便の範疇に収まっているはず。と、思いたい。

何となく落ち着かなくなって、再びエレベーターの表示に目をやる。光っている番号は5階だった。

 

 

『えー? 絶対になんかあるでしょ。あるに違いないわ』

 

「……何でそう思うのか、聞いても良いかな」

 

 

いや結局は勘なんだろうけど、参考までにね。

 

事件に巻き込まれた形跡を見た訳でも、犯人の顔を見た訳でも、その声を聞いた訳でもなく、ただ電話越しにぼくの状況を直感するなんてどういう事なんだろうかと少し気になったのだ。

ぼくへの愛ゆえに、だったら嬉しいんだけど。無いですよねー。

 

 

『んー、別に何がどうって訳じゃないんだけど』

 

「うん」

 

 

エレベーターの表示が5から4、3、と降下を続ける。

ぼくにはそれが何らかのカウントダウンの様に思えてならず、不吉な印象を受けた。

 

 

『あれよ、さっきまでは何とも無かったんだけどさ、ルイージの電話を取ったらビビビって来たのよ』

 

「前から思ってたんだけど、君は一体何処から電波を受信しているんだろうね」

 

『さぁね、私だって知りたいわよそんなん』

 

 

等とじゃれていると、ちょうどエレベーターの表示が2の数字で点滅。ポーンと言う音が響き、この会に誰か降りてきた事を伝える。カウントダウンが止まり、ちょっと安心。

もしかして警察かな、と僅かに期待したけど、上の階から降りてきたって事は違うよな。と思い直した。

 

 

『それで、何でルイージが事件に巻き込まれてることが分かったかというとね』

 

(あ、そこはもう確定なんですね)

 

 

当然といった口調で話すトウキの言葉に相槌を打ちつつ、ぼくという存在が邪魔にならない様にケースを持ってエレベータの前から少しだけ移動する。

日々ロリコンロリコンと変態扱いされているぼくだけれど、決して社会に迷惑をかけている訳ではないのだ。むしろ探偵である以上人様の為に生きていると言っても過言ではない。

存在自体が迷惑だとトウキは言うけど、それは偏見という物なのだよ。ぼくはそんな理論を頭の中で展開、ゆっくりと開いていくドアを惰性で見つめながら、彼女の言葉を待つ。

 

心の中で「でょるるるるるる」とドラムロール、下がり気味のテンションを無理矢理持ち上げた。

 

 

 

 

 

 

―――そうして、トウキの息遣いが通話口を叩く音と、エレベーターのドアが開ききったのはほぼ同時であったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

彼女は言った。

 

 

『何か、犯人っぽい人がルイージの所に近づいてってる気がしたから』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――犯人?」

 

 

「えっ」『うん』

 

 

「は?」

 

 

―――開いたエレベーターの扉の中。

 

何と無しに眺めていたその場所に現れたのは、何かワイヤーの様な物が巻き付けられた紅く染まった包丁を鞄の中に押し込もうとしている女性の姿。

 

そして彼女はぼくの「犯人」という言葉を耳に入れてしまったらしく、目を丸くしてこちらを――――――

 

 

 

 

 

うそーん。

 

 

 

 

*********************************

 

 

ぼくの死滅しかけた脳細胞は、一瞬でこれから起り得た筈の未来をシミュレートした。

 

 

もしもぼくがエレベーターの前で電話する事が無かったら。

 

もしもぼくが「犯人?」等と口に出す事が無かったら。

 

もしもその女性がもう少し早く凶器らしき包丁を鞄の中に仕舞う事ができていたら。

 

どれか一つでも違っていれば、少なくともその場は何事も無く消化することができたのだろう。

 

そして何某かのトリックを終えてきたらしきこの女性は悠々とぼくの傍をすれ違い、自室だか事件現場だかに向かい、探偵を気取って調査をしている少年に驚く。

この時点ではまだ彼女が殺害犯(トウキに勘により確定済み)だと誰も知らないため、おそらく彼の事を諌める何なりするのだろう。

そうして呼ばれてきた警察に、目撃者を装って「犯人を捕まえてください」なんて白々しく訴えかけるのだ。少年が警察に怒られているのを尻目に。

 

いや、もしかしたらスーパー少年タイムが始まって土曜日の夕方六時的な展開が始まる可能性もあるか? 

きっとどこかの平行世界ではそんな事も起こりえたのかもしれない。テレビを通してなら割と見たかった展開だ。

 

……まぁ、こんな状況となってしまったこの世界線ではいくら考えても詮無い事なんだけど。

 

 

 

 

―――人、それを現実逃避という。

 

 

 

 

 

「いぎっ―――!」

 

 

殺害犯(確)の行動は素早かった。

 

凶器を見られた焦りからか、それとも自分が犯人だと見抜かれたと勘違いしているのか。

どちらかは分からないけど、とにかく焦った様子で奇声を上げながら、電話を片手に呆けているぼくの下に突っ込んできたのだ。

 

その勢いと『ルイージ? ねぇ聞いてんのちょっと』と耳元で囁かれる甘い言葉に反応し、ぼくは事ここに至りようやく再起動を果たした。

「え? あ、とでね」まわらない口で通話を切り、携帯電話とジュラルミンケースで両手が塞がった状態のまま体の前面にクロスして本能のままに防御体勢をとった。

 

ぼくの混乱に満ちた脳内には、一瞬だけだったが確かに見えた包丁が強烈に印象に残っていて、殺害犯(確)がこちらに突撃してきた事と合わせて「刺される!」と思ったのだ。

 

 

「ちょ、あ、え」

 

「っちぃにぃぃ……!!」

 

 

しかしそんなぼくの予想は外れ、殺害犯(確)はそのクロスした右腕を掴み、女性とは思えないような力強さで引っ張り上げた。

「おぅわっ!」口から情けない悲鳴が漏れ出て、ぼくの決して小さくは無い身体が前方へと倒される。

 

腕のクロスが外れ開けた視界に見えた景色は、口を開けたままのエレベーター。と、ぼくの腕を握り締めた、目を血走らせた女性が一人。

彼女は女性を捨てたとしか思えない、力強く足を踏ん張った体制で円を描くようにぼくを振り回し配置交換。ぼくは倒れまいとバランスを取るのに必死だったので、成す術無くその力の激流に翻弄されてしまった。

 

そうして遠心力も加えた勢いで、彼女はぼくをエレベータの中に向かって投擲。「っぐ」いきなり手放されたおかげで勢い良く後方に吹き飛び、そのままエレベーターの中へホールインワン。

真っ白な内壁に背中からぶち当たり「ぐへぇっ」尻餅。一瞬息が出来なくなり、帽子が頭の上から離れ床に向かって落下する。

 

また犯罪者とエレベーターでランデブーかよ! ほんとにもう勘弁してくれ!!

 

そう嘆くぼくの感情など知ったこっちゃ無いという風に、殺害犯(確)は再びエレベーターの中へ舞い戻り、ぼくの腹部に勢い良く跨り首に手をかけようとした。

「……ぎっ!」何をするつもりなのかを理解して血の気が引いたぼくは、先程掴まれていた右腕に握り締めたままだった携帯電話を彼女の顔に向かって突き出した。ぼくの首を絞めて良いのはトウキただ一人だけだ!!

 

がぎり、と鼻の下の部分―――確か人中だったっけ?に偶然当たり、一瞬怯ませる事に成功。その隙を突いて彼女の必死の形相に頭突きをかまし、仰け反らせる。

歯か顎か。硬い所に当たった額がかなり痛んだけど、そんな事に気を取られている場合じゃないと滲む涙を我慢して「うらあっ!」っと気合一発。殺害犯(確)の下から身体を引き抜き、ついでに腹部にヤクザキックを入れて距離を取った。

 

といっても、エレベーターの中だからそんなに離れられないんだけど、それでも攻撃に対応できる距離にはなったはずだ。

ぼくは息も絶え絶えで、エレベーターの入り口近くに陣取ったままこちらを睨み付けて来る殺害犯(確)を警戒する。

 

熟女依頼人と同じくらいであろう年齢の彼女は、足跡の付いた腹部を押さえながら肩から掛けたままだった鞄の中に手を突っ込み何かを漁っている様だった。

 

 

「は、は、おち、着こう。まずは、話し合いを」

 

「せ、せっかく、あの××チンを、殺すの、に、考えた、のに」

 

 

その「何か」の正体に心当たりがあったぼくは、とりあえず彼女を落ち着かせるために話し合いを提案するけど、にべも無く一蹴。

取り乱した様子の彼女は近くにあったエレベーターの「閉」ボタンを叩きつける様に押し込み、擬似的な密室空間を作り出した。やべぇ。

 

 

「やっと、やっと、やだ、捕まりたく、ないのに」

 

「わかり、ましたので。分かりましたから、落ち着きましょう、ね?」

 

「だって、悪いのはあの男だったのに、何で、何で、私が」

 

 

暖簾に腕押し、糠に釘。どうやら混乱しているのは向こうも同じらしく、何やら動機の断片らしきものを口にしつつ血走った瞳からぽろぽろと涙を溢れさせている。

 

まぁそれも仕方も無い事なのだろうか。証拠と証言からじわじわと順番を経てアリバイやら何やらを切り崩されていく事無く、トウキというチートコードを使ったロリコンにいきなりトリックを無に帰されたのだから。

加えて殺人によって生まれた精神的な負荷と、トリックの遂行より気分が高揚していた彼女は正しい判断を下すことが出来なっていた訳だ。いや殺人が正しい判断なのかはさて置くとして。

 

だからうっかり凶器を見てしまい、尚且つ「犯人」という言葉を口にしてしまったぼくに襲いかかって来たのだろう。ぼくを「殺害現場」と「自分」を結びつけ「犯人」と断定した者と仮定し、己を捕まえてこようとする邪魔者を排除するために。

……実際のところは、ぼくは何一つ状況を分かっておらず、加えて犯人を積極的に捕まえようという気は皆無だったのだが、他人にそれが分かる訳もなし。

 

つまりこれは完全無欠に彼女の早とちり且つ墓穴という事っすな! ははははは、ふざけんなばか。

 

 

「殺さなくちゃ、そして、隠して……」そう言って鞄の中から取り出された手には、予想通り刃の部分が赤黒く染まった包丁が握られていた。

柄の部分には何故かワイヤーが括り付けられており、何らかの頭のいい方法で使用された事が如実に分かる有様となっていた。ぼくにはさっぱり分からなかったが。

 

……そう言えば、少年がロープ云々言っていたが、もしかしてこの事だったのだろうか。

そうだとしたら本気で探偵の素質あったんじゃないかと思ったが、今はそんな事に気をかまけている場合ではないので頭の中からほっぽり出す。

 

そうこう考えているうちに、包丁を構えた殺害犯(確)は「だから、あ、あぁぁああああああ!!」叫びながらぼくに向かって突進。この美しい地球からロリコンを一人排除しようと迫り来る。

 

ぼくはそんな彼女に咄嗟に携帯を投げつけて、ジュラルミンケースを腹が見えるように両手で構えた。

携帯電話がこめかみに当たり、少しだけだが勢いが削がれた事を確認した後、大きくジュラルミンケースを振り上げる。

 

そうして「ロリコンは病気じゃないんだよおおおおお」威嚇する意味を込めて叫びつつ、重量を乗せた一撃を振り下ろした。

それに気づいた殺害犯(確)はぼくの行動を阻止するべく包丁を突き出してくるけど、一瞬だけこちらのほうが早かったようだ。

 

 

ガギィィン――――――!

 

 

聖剣ジュラルミンケースと魔刀包丁が激突。けたたましい音を立ててその刃が欠け、ついでにケースの塗装が剥がれた。「まただよ!」

しかしその威力はそれだけに収まらず、殺害犯(確)の包丁を持っていた指と手首をすごい角度へと折り曲げる。

 

 

「ぎ、ぃっ―――!」

 

 

どうやら手に激痛が走ったらしく、彼女の顔が苦痛によって更に歪み、動きが止まる。

それでも包丁を手放さなかったのは敵ながら天晴れと言いたくなったが、この場合は喝と叫んでおきたい所だ。

 

 

 

―――ぼくはその隙を逃す事無くもう一度ジュラルミンケースを振り上げて、今度は殺害犯(確)のこめかみに―――先程携帯電話が当たった箇所へと思い切り叩き付けた。

 

 

 

ぼぐん、と物凄い音がエレベーター内に響き、彼女の頭が横に大きく振られる。そして勢いのままに壁に叩きつけられ、今度こそ包丁を取り落とさせる事に成功する。

そして更に火かきマンの時の如く鳩尾に一発、戦闘意欲を削ぐために角を使っての一撃を畳み込んだ。

 

 

「あ、がっ」

 

 

その一撃をまともに喰らった殺害犯(確)は身体を痙攣させ悶絶し、壁を伝ってズルズルと床へ倒れこむ。追い討ちをかけたいところだが、やり過ぎてぼくが殺害犯(疑→確)となってしまうのは是が非でも避けたかったので、警戒したまま様子を見る。

しかし、まだ向かってくるかとビクついているぼくとは裏腹に、彼女は倒れこんだままピクリとも動かず身動ぎ一つしなかった。

 

…………お、おやおや?

 

 

「……も、しもしー……」

 

 

……よもや殺害犯(疑→確)が爆誕してしまったか、と不安になり震える足で近づき呼吸を確かめてみると「すひょーすひょー」という音が聞こえて、ほっと一安心。

 

そうして白目を剥いたままの顔を悲鳴を上げかけ、頬を強めに叩いてみたが起き上がる気配は無し。どうやら気絶しているようだともう一安心。

 

ぼくを襲う死の脅威の排除に完全に成功した事をようやく確認し、さらにもう一回安心ボーナスだドン。

 

 

「……はぁぁぁぁぁぁ」

 

 

ぼくは一際深いため息を吐きつつ、エレベーターの隅に飛んでいた携帯電話と緑の帽子、殺害犯(確)の傍に落ちていたワイヤー付き包丁を指紋が付かないように回収。

携帯はポケットに、包丁は彼女から離れた所に投げ捨て、帽子を目深に被りなおした上で壁にもたれ力無くしゃがみこんだのだった。

 

 

……何とか、勝った。

 

 

心臓がばくばくと激しい鼓動を刻み、全身から暑さとは別の冷や汗が流れ出る。

だからエレベータは苦手だって言ってるじゃないですかー。やだー。

 

 

「うごきたくねーぇぇぇー……」

 

 

ポーン、と。

いつの間にかエレベーターが動いていたらしい。電子音と共に扉が開き、生暖かい風が吹き込んだ。

 

表示を見れば階層は1。外から差し込んでくる電球とはまた別の光に目を細め、ぼくはゆっくりと立ち上がる。先程の宣言通り本当はもう指一本動かしたくは無かったのだが、この状況を放って置く訳にも行かない。

エレベーターという密室に、気絶した女性とぼくが居座るこの光景。一つ一つの要素はまったく持って別物だけど、光景だけを見ればまるで青スーツの殺人鬼の時と一緒だ。

あらぬ誤解をまた受ける羽目に陥りそう。

 

 

「まぁ、あの時はぼくが気絶した側だったけど」

 

 

愚痴るように呟きつつ、左手にジュラルミンケースとワイヤー付き包丁のワイヤーの先を、右手に殺害犯(絶)の腕を抱えて、引きずるようにエレベーターを後にした。

キキキキと包丁が床とこすれる音が響く。ぐったりとした人間一人を片手で引きずるのは結構大変だったけど、何とか運べたのでまぁ、良かった。

 

 

「あー……」

 

 

そうして日の当たる一階の廊下、運良く人通りの皆無だったその床に彼女を寝かせ、うなり声を上げる。

よくよく観察してみると、彼女の服にはガムがくっ付いていた。どうやら鳩尾を殴った際にジュラルミンケースから移ったらしい。どうでもいいか。

 

いやあ、これからどうしようね。いいアイデアが出てこない。

 

それに加えて、この人は一体なんだったのか、殺人に使われたトリックとはどのような物だったのか。

疲れ果てた頭で考えるも、何一つ察する事も出来なくて途方に暮れる。

 

 

「あ」

 

 

そんな中、唯一申し訳ない事をしてしまったという人物に思い至り、ぼくは宙を仰いで帽子を指で押さえ呻いた。

 

ぼくが偶然から無に帰してしまった状況を、今も必死に調べているであろう彼。

 

その事を意識した瞬間、ぼくはやっちまったという感情で一杯になったのだった。

 

 

 

 

 

 

「―――すまん少年探偵君、犯人はぼくが撲殺してしまった」

 

 

 

 

 

 

**************************************

 

 

 

それからの事は特に語るまでもない。というか、語ることが出来ない。

何故ならば、ぼくは先の中村青年の時と同じように警察の到着を待つ事無く事件現場から逃げ出したからだ。

 

警察への事件説明も面倒くさかったし、何より殺害犯(絶)との死闘を説明するのがそれ以上に面倒だったのだ。

死体を発見しただけならまだしも、「事件の犯人と殺し合って何とか捕まえる事ができました」なんて報告したら、事情説明で何時間拘留されるか分からない。

犯罪者扱いなら慣れてるから別にいいけど、下手したらヒーロー扱いなんて柄じゃない扱いをされそうだ。いやん。

 

事務所で一人きりのトウキの下へさっさと馳せ参じたい事もあり、ぼくはこの事件をまるっと投げ飛ばすことにしたのだ。

 

 

―――具体的に言うならば、少年探偵の方角に向かって。

 

 

彼曰く警察に知り合いが居るらしいので、きっと何とかしてくれるでしょう。うん。

 

ぼくはそう決めるや否や殺害犯(絶)の手首と足首を包丁についたままのワイヤーを使ってぐるぐる巻きにし、メモ帳から破りとった「この人が殺害犯です、包丁が証拠」と一言添えた紙を彼女の服にくっついていたガムの上に貼っ付けた。

そしてもう一度警察に連絡してその旨を伝えた後、ぼくはスタコラサッサとマンションを後にした。いやあ、一階に下りてて地味にラッキーだったな。

 

マンションから出た後大通りを走っていたタクシーを捕まえ、駅に向かう。道中にパトカーが事件現場へと向かっている光景を見て、ぼくは安堵のため息を吐いた。

……これ、もう少し出るのが遅かったら警察に見咎められたよな。危ない危ない。

 

 

「何かあったんですかね」

 

 

そしてタクシーの運転手が会話を求めて放ったその一言に、ぼくは疲れ果てた声で「さぁ?」と答えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

後部座席のクッションに身を沈めながら、ぼくはここに何をしに来たんだろうと考えた。

 

浮気調査の為にわざわざ暑い中米花町までやってきて、それで得たものは何も無し。その癖、失った物だけは沢山ある。

依頼の件に、ぼくの体力と、そして交通費。そのほか精神的なものが色々。

 

殺人事件が起こったにしては珍しくぼくが探偵だという事は誰にも露見しなかったけど、結局犯人との殺し合いになったし、何というバッドイベントだろうか。

 

依頼の件に関しては殺害犯(絶)に問い詰めれば良かったかなとも思ったが、あの精神状態じゃ無理だったよなぁ。

それにもしかしたらあの女性はストーカーだったという可能性もあった訳で。もし聞けたとしても、その情報の信憑性は怪しい物だ。

 

気絶が醒めるのを待ってたら警察も来てただろうし、とりあえずはまぁ、これがぼくにとっての最良だったのだろう。

 

……いやはや、それにしてもトウキが居なかったから殺人事件は起らないだろうと思っていたが、ばっちりと巻き込まれてしまった。

そういう所は徹底していたはずなのに、今回に限っては何でなんだろう。

 

 

……ああそうだ、トウキで思い出したけど。

 

 

「少年君には悪い事したかなぁ」

 

 

きっと探偵に憧れていたのだろう、あの眼鏡をかけた少年の事を振り返る。多分、今頃は警察の人たちに怒られてる頃かな。

何となく不思議な感じのした子供だったが、流石にお巡りさんに怒られたら泣いて謝るしかないんじゃないかな。うん。

 

大の大人としては少年君に物事を投げ飛ばした事に罪悪感を覚えなくもなかったけど、警察と知り合いだって言うしね。

本人も大丈夫って言ってたし、うん。ぼくはそれを信じただけサ!

 

なんて、ぼくの小さい良心に向かって自己弁護。

 

 

すると「何ですか?」と、独り言を聞きつけたのかタクシーの運転手が振り向いてきた。

 

前! 前! と叫びかけたけど、良く見れば赤信号だった。疲れてるねぇぼく。

力の抜けたぼくは「何でもありません」と答えを一つ、そのまま疲れてますよオーラを出して会話を打ち切ろうとして―――

 

 

「っと、そうだ。ちょっと聞きたい事があるんですが」

 

 

エリオットからのメールを思い出して、ぼくの方から会話を続行させた。

 

タクシーの運転手はそんなぼくの様子に心なしか嬉しそうな表情で、その先を促す。

 

この人、客と会話するのを楽しむタイプの人っぽいな、探偵としても個人的にも好感の持てる人物である。

ぼくはソファに身を沈めた時にズレた帽子を定位置に戻し、今度は嘘偽りのない笑顔を浮かべて口を開いたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――ここら辺でいいお土産屋さんとか、知りません?」

 

 

 

 

 

 

 

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