吐いた息は白く   作:黒マメファナ

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エピソード2

 伊吹くんと出会った時、彼は私が白鷺千聖だと気づかなかった。

 そんな小さな「違う」ということ、それが彼に興味を持ったきっかけだった。

 後で考えると我ながらセンチメンタルにも程があるわね、当時高校二年生で、軌道に乗り出したアイドル活動の中で、有名になるごとに「私」が勝手に独りで歩いている感覚を味わっていた。子役をしていた頃にもあった違和感を、否応なしに、もっと強く味わうことになってしまった。

 

「いやぁ、まさかあの白鷺千聖さんだとは、気づかなくてすみません」

「いえいえ、私も変装していましたし」

「あはは、変装ってグラサン一つでわかんなくなっちゃうもんなんですねぇ」

「間近で見られて気づかれなかったのは初めての経験でした」

「うわ……なんか、本当にごめんなさい」

 

 彼はその後もフラットに接してくれた。あくまでただのお客さんであり顔見知りの常連として接してくれた。それが同性のつぐみちゃんではなく、花音でもなく、異性だったというだけで特別に感じてしまうのは少しだけ不義理かなとも思ったけれど。

 

「ねぇねぇ、それって……好きになっちゃった、ってこと……!?」

「──っ! か、花音、あなた何を言って」

「だって、気になるんでしょ?」

「……いつになく前のめりね、あなた」

「あ……ふえぇ、つ、つい……」

 

 その不義理かなという気持ちが彼への認識を鈍らせていた。そんなにチョロい女じゃないのよというプライドもあったように思う。

 だけれど、そんな思いとは裏腹に彼を知る度に、彼と話す度に、私は甘い世界に浸っていくようになっていた。

 

「なんで初対面の時に気付かなかったか……ですか?」

「ええ、私のことを知らなかったわけじゃないのでしょう?」

「まぁ、そうですけど」

「なのにサングラスを外すまであなたは全然気づかなかった、どうして?」

「そりゃあ……ええっと、なんというか空気?」

「どういうこと?」

「店でリラックスしてる時の白鷺さんって、普通の女の子なんですよ。今だって、芸能人だって思ったら緊張してしゃべるどころじゃないけど、今の白鷺さんは、なんというか普通の同い年みたいなんで」

 

 すっかり常連となった頃、ふいに訊いてみたらそんな答えが返ってきた。

 そしてそれが、私の否定したかった気持ちから見て見ぬふりができなくなったきっかけでもあった。

 ──どこかで芸能人でいる疲れがあったのかもしれない。ただの千聖になってそんな自分でも迎えに来てくれる誰かを求めていたのかもしれない。そんな自分らしくないロマンチストのような気持ちを、私はもう否定できなかった。

 

「ふふ、やっと素直になったんだ」

「その前からわかっていた顔はやめてほしいのだけれど」

「だって、その通りだもん……それで、告白とかするの?」

「……しないわよ、相手に迷惑をかけることになるのだから」

 

 けれど私は何処まで行っても白鷺千聖であって、他の名前を得ることはできない。本名で、そして顔を出して売っているのだから、そんな自由はない。まして私はアイドルなのだから。

 裏で付き合って、それがバレて問題になった同業者なんて数えるのも億劫になるほどだ。

 

「──へ、閉店って……嘘、よね?」

「エイプリルフールにはちょっと時期が早すぎるけど、四月には閉めるって店長が言ってましたよ」

「どうして」

「……ほら、最近RiNGってライブハウスが出来たじゃないですか」

「え、ええ……まさか」

「多分、俺だって直接原因を問いただしたわけじゃないんで、確定ではないんですけど」

 

 だから──告白しないと気持ちを封印したことは間違ってないと今でも思っている。たとえお店がなくなって彼と会えなくなっても、私は間違っていない、そう思うことにした。

 そう思わないと、私はこの奥底に眠る黒い感情をぶつけてしまいそうになってしまう。それが縁のあるまりなさんや香澄ちゃんたちであったとしても。

 恋は人を盲目にするとは言うけれど、まさか私がそうなるとは思いもしなかった。

 

「こちらのお席どうぞ」

「……え」

「あ、し、白鷺……さん」

 

 失恋、という程きちんと恋愛をしていたわけではなかったけれど彼と会う機会がなくなり、その傷も癒え始めた頃、私は思わぬ再会をしてしまった。

 仕事帰りに気まぐれで入った喫茶店の席が隣、そんな奇跡のような偶然は私に諦めたくないと思わせるのには十分すぎた。

 

「12月四週目の火曜日なら空けられるけれど」

 

 意地の悪い訊き方だ。その日が24日──クリスマスイヴだとすぐに気づけないような、なんでもない平日かのような問いかけ、空けられるという誘っている側とは思えない素直じゃない言葉、全てが白鷺千聖(わたし)のイメージから離れていく。

 

「急にどうしたの千聖ちゃん……空いてるけど」

「そう……日菜ちゃんは?」

「紗夜ちゃんと用事があるんだって」

「なら彩ちゃんと花音と私の三人ね」

「う、うん……」

 

 デート前の土曜日にはクリスマスパーティの予定も立てておく。すぐにはSNSに上げずにクリスマスイヴが終わるくらいの頃に投稿しようと言うとなんだかファンを裏切るみたいで嫌だなぁと彩ちゃんには文句を言われてしまったけれど、私にとっては大事なことなのだから。

 

「私は千聖ちゃんのこと、応援してるよ」

「……ありがとう花音」

「ふふ、どういたしまして」

 

 服を選んでもらって、いつもと違うカジュアルながらガーリーな、言い方を選ばなければ花音の趣味全開の服装になってしまったけれど選んだ本人は至って楽しそうにこれで大丈夫だよと微笑んでいたため、親友の言葉を信じることにした。サングラスとマスクで顔を隠しちゃうの勿体ないねとも言われたけれど、これは伊吹くんを守るためでもあるから仕方ない。

 

「行ってらっしゃい」

「ええ……行ってきます」

 

 ──心が弾むのに、会うのが怖くもある。今までの会って、おしゃべりができたらよかった頃の臆病な恋とは違う、一歩勇気をもって踏み出したことで始まった私の恋。

 わかっている、私はアイドルで女優、一挙手一投足にファンの期待を、理想を、潔癖を背負わなくてはいけない。

 それでも私は、白鷺千聖(わたし)はもう一度芽吹いてしまったこの気持ちを否定することはしない。最初で最後のわがままだから。

 

「……ふふ♪」

 

 改札を出ると微笑むだけで息が白くなる程の寒さ、そんな外気温に耐えかねたのか彼はコンビニのイートインスペースで間食を取っている姿にすら、愛おしさを感じてしまう。

 きっと彼は今頃戸惑っているのかしら、そうよね、いきなりデートの予定を立てられたと思ったら相手は私で、しかも今日はクリスマスイヴなのだから。

 

「伊吹くん」

 

 声を掛けると素早く目線をこちらに向けた、と思ったら周囲を少し確認する素振りも見せてからゆっくりと手を挙げる。

 何かを心配している、という雰囲気に少しだけ笑みが零れてしまった。お詫びにとホットのミルクティーを差し出すと、ふにゃりと優しい笑顔でありがとうございます、と笑ってくれる。この笑顔が、私を狂わせてしまうのかしら。

 

「……今日の恰好、かわいいですね」

「そう? 花音に選んでもらったから、私の好みとは違うけれど」

 

 アウターを脱いで一息つくと、思ってもないセリフが彼から飛び出してきて、ちゃんと平常心を保って返事ができたか不安になってしまう。直球でかわいいなんて言われてしまい、しかも相手は伊吹くん──咄嗟にありがとうと営業(アイドル)スマイルで返すことも出来ず、誤魔化すような口調になってしまった。バレてないわよね? 

 

「なるほど、雰囲気が違うわけだ」

「似合わないわけじゃなさそうで安心したわ」

 

 変ではないと思ってもらっているなら、それでいい。花音に感謝しなくちゃいけないことがまた増えてしまったけれど、それよりも今は少しでもいいから伊吹くんに意識してほしい。白鷺千聖が、伊吹八尋くんという一人の男の子に想いを募らせているのだと。

 

「白鷺さんは、なんか食べたいもんとかないんですか?」

「そうね」

 

 ティータイムを経て私たちはひとまず昼食の相談をしつつ目的地であるショッピングモールの方向へと足を進めていく。勢いで24日にしてしまったけれど、ここは観光地でもあるため既にすごく人がたくさんいる。ここで迂闊なことをすればバレてしまうのは少し考えればわかることだった。

 

「いや、逆にいいんじゃないですか?」

「え?」

「木を隠すなら森の中──顔隠してれば、人混みの中で他人の顔をジロジロ見る物好きなんてそういませんよ」

「それも、そうかもしれないわね」

「というわけで、敢えて」

「連れていってくれるのかしら?」

 

 手を差し出す。その手に、伊吹くんは一瞬だけ止まった後、上を向いて白い息を吐き出す。この仕草だけで彼が如何に、今日のデートを意識しているのかが伝わってきて、ついつい甘えてしまいそうになる。

 恋は盲目、今の私は夢の国に連れ出される物語のヒロインのようで。

 

「わかりました、そう思って俺も準備してきましたし!」

「準備?」

「そうです、白鷺さんだけだと逆に目立つと思って、俺も変装セット持ってきてるんですよ」

「……ふふ、そうなの」

「これなら手、繋いでも大丈夫ですよ」

「なら……お言葉に甘えさせてもらうわね」

 

 こんな気遣い、きっと特別なことじゃない。誰にだって、やろうと思えばできること。それなのに彼がいたずらっぽく微笑むだけでこんなにも胸が高鳴る、幸せすぎてどうにかなってしまいそうになる。

 そして、その度に実感する──ああ、私は恋に堕ちている。

 

「やっぱ中ですかね、そっちの方が色々ありそうですし」

「そうね、外だと食べ歩きには向いているでしょうけれど、お腹がちゃんと膨れる保証はないわよ」

「そうですね、お値段も張りますし、ここは学生らしく」

「……ええ」

 

 学生らしく、なんてきっと伊吹くんにとってはなんでもない、当たり前のようなセリフなのだろうけど、白鷺千聖(わたし)にとってみれば甘美な響きを持っている。魔法に掛けられたように、自分の肩に乗っていたものを忘れてしまえる。

 

「ねぇ伊吹くん?」

「なんですか?」

「学生らしく、もいいけれど……手を繋いでいるのだし、カップルらしくするのも、どうかしら?」

「か、カップルですか……あ、敬語ってこと」

「それもそうだし、名前も」

 

 まだまだ始まったばかりなのだから、ゆっくり距離を縮めていけばいい。幸い、今日はクリスマスイヴ、タイミングは幾らでもあるのだから。

 それにしても私とお揃いで表情の見えなくなった彼はそれでも、何を考えているのかわかりやすくて、同時に表情が見えなくてよかったと心の底から安堵してしまうわね。

 

 

 

 

 




まだまだ進みは悪いですが、明日もよろしくお願いします
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