えーわたくし伊吹八尋、駅からショッピングモールへの短い道で、芸能人からとんでもない提案をされています。
そもそも、クリスマスイヴにプライベートの芸能人が隣に歩いているという状態がおかしいんだけど、そんな芸能人から手を繋がれて「敬語をやめて」「名前で呼んで」と言われるなんてことがあるのだろうか。いや、ない。これは明らかにドッキリだろ、早めにネタバラシお願いしたい。
「さぁ、それじゃあ八尋くん?」
「は、はい……」
「はい? 随分他人行儀なのね、どうしたの?」
「いえ、いや……なんでも、ない」
しかもなんかすごい楽しそう。白鷺さん──えぇっと、千聖さんは表情こそマスクとサングラスで見えないけれど、絶対雰囲気が楽しそうなのが伝わってくる。というか語調がもう楽しそう。
「何が食べたいの?」
「うーん、軽いものでいいで……いいかな」
「あら、どうして?」
「夜のためにお腹を空かせておくためかな、チキン予約してるんで」
「確かに、沢山食べたいものね」
「ち、千聖さんは、何か食べたいものがあれば」
人混みの中、俺は隣を歩く千聖さんの横顔を見ながら、なんとかそう答える。テレビで見みていたよりも小柄で、華奢で、本当に隠れているのかと不安になってしまうくらいに輝いて見える。
「軽く済ませてしまいましょうか、長居すると……ね?」
「そ、そうだね」
ああもう、なんでそんな余裕そうな雰囲気なんだろう。俺はもういっぱいいっぱいすぎてどうしようもないのに。
とりあえずカフェにしようと決めて、俺と千聖さんは混みあったショッピングモールの中を散策し始める。幸運なことに席はちょうど入れ替わりで見つかり、俺は軽く会釈してありがたく横並び二つの席を取らせてもらった。
「壁に向いているならほぼバレずに済みそうだね」
「そうね」
「じゃあ俺、注文してくるから千聖さんは何が──」
「──ふふ、甘いわね八尋くん」
そう言うと千聖さんはスマホの画面を見せてきた。そこにはアプリでオーダーを取ってくれるというシステムで、俺は感心したような声を漏らしてしまう。
全国にいっぱいあるバーガーチェーン店のやつなら俺もアプリを入れてるし利用するけど、まさかこの喫茶店にあるとは。
「私、仕事柄よく利用するし、極力顔を見られなくて済むのよ」
「リスク管理徹底してる」
「あら、そんなことないわよ?」
「なんで?」
「そのリスク管理徹底している人が──今、何をしているでしょう?」
ふふ、とマスクを外して微笑まれるとドキドキしてしまう。いちいち仕草がかわいいんだけど、すごくかわいいんだけど。
最初は緊張だったのが、千聖さんから発される一人の女性としての魅力が俺を掴んで離さない。芸能人とか、アイドルとか関係なく俺は白鷺千聖という女性の素顔にやられそうだった。
もしこれが素顔でなくてドッキリ企画の演技だったとするなら、俺はきっと明日から女性不信か人間不信になるだろう。
「この後はどうするの?」
「それは勿論、色々と見て回るのよ」
「い、色々……か」
やがて注文したホワイトモカとキッシュを、千聖さんは抹茶ラテのホットとチーズケーキを口に運びつつ今後のことを決めようと声を掛けた。
千聖さんは頬杖を突きながら目線だけこっちに向けてくる。その仕草すらも絵になるんだからもうお手上げだ。
「ええ、服も見たい、インテリアを見るのもいいわね、後は靴とか……下着なんかもいいかもしれないわね」
「ちょ、冗談ですよね……流石に下着なんて意見求められても無理ですよ?」
「いいじゃない、あなただって男の子でしょう? 女性があなたの前で服を脱いで、そこから現れる下着の理想論くらいあって然るべきよ」
「そ、それはそうかもしれませんけど」
とんでもない話題になってしまったので極力小さな声で抗議する。この人、悪魔みたいな提案してくるし、しかも引き下がらないんだよ。
勿論、当然ながら俺は女性に対してそういう欲求があるし、シチュエーションを考えたことがないわけではない。ただ、それを千聖さんに「どういう下着がいいの?」と問われながらというのは話が違う。なにせその場合、ベッドの上で服を脱ぐ妄想の相手が具体的な人物に変わってしまうのだから。
「だめ? どうしても?」
「だめ、どうしても」
「ふふ、ならこれくらいで許してあげるわ」
「あのね、俺は女性経験なんてないんだよ、もうちょっと手加減してほしい」
「そうね、なら敬語使った分くらいにいじわるは留めておくわ♪」
あ、悪魔め……とは口に出さないでおこう。千聖さんが所属するパスパレで悪魔的なイメージは、どっちかというと小悪魔と言ったほうがいいかもしれないけど、氷川日菜さんの方だったのにな。
「千聖さん」
「なぁに?」
「いや、クリスマスっぽくないデート……お出かけ?」
「デートでいいわよ」
「いいわよって……」
あっさりデートとか言ってくるのも、余裕の表れなんだろう。そりゃそうだよな、千聖さんは芸能人で、アイドルだ。子役でもあったからその世界にもう十年いることになる。その間に大人の世界を沢山見てきただろうし、もしかしたら俺も知らないところで秘密のデートなんてものも、経験しているのかも。
同じ年なのに、俺と千聖さんの間にはすごく精神年齢に開きがある。そんな気がしていた。
「じゃ、じゃあデート、で大丈夫なのかなと思って」
「クリスマスっぽいデートってなんなのかしらね?」
「そりゃあ……イルミネーションとか、クラシック鑑賞とか」
「イルミネーションはまだ時間が早すぎるし、クラシックなんてチケット取る暇なんてないもの」
「そ、そっか……つまんなくない?」
「まだ始まってもいないのよ? その問いかけは幾らなんでもせっかちが過ぎるわよ」
せっかちと言われてしまって、うぐ、と変な声を出すことしかできないでいた。
相手はあの白鷺千聖、なのに俺と千聖さんがいるところはなんの変哲もない、何処にでもあるチェーン店ばかりが並ぶショッピングモールだ。場違いというか、もうちょっと水族館、遊園地、テーマパーク、色んな選択肢があったんじゃないかと思ってしまう。
「逆に問うけれど」
「はい」
「また敬語ね」
「あ、ごめん」
「自分で言うのもどうかと思うけれど、
「あ、あー……えっと」
そんなことないと言おうとして想像してしまった。うん、ないな、絶対断るしドッキリか何かと疑う、今の俺より更に疑心暗鬼になっているだろう。
千聖さんはそれを見越して、ギリギリデートスポットっぽくないショッピングモールという選択肢を投げたってことか、策士すぎる。
──そして一瞬脳裏に浮かんだ「なんでそこまでして」という疑問は今はやめておこう。今の千聖さんはなんだか解放されている感じなのに冷や水をぶっかけるようなことになったら申し訳なさすぎるし。
「迂闊に承諾したとしても、後で日付を知ったら手のひら返しちゃうかも」
「八尋くんは小心者ね、私の男性ファンってみんなこんな感じなのかしら?」
「それは、わからないけど」
そもそも俺がファンかどうかで言ったらちょっと微妙なところはある。確かに俺はガールズバンドが好きで、電車の中や一人になった時には聴いてることがほとんどだ。その中にはパスパレも入ってる、だけどイベントとか行ったことないし、ライブも他のグループと一緒だったところに偶々という感じが多かったから。
「でも千聖さんとデートなんて、ファンなら誰もが妄想すると思うよ、ましてクリスマスデートなんて猶更」
「他人事みたいに言うわね、八尋くんはその妄想を現実にしているのに」
「羨ましがられるだろうね」
「ええ、SNSで匂わせれば大炎上間違いなしでしょうね」
「その場合は千聖さんに延焼することも間違いなくなるけど」
そもそも出かけ先で写真を撮ってそれを不特定多数に見せるという行為をしないから安心してほしいところだ。SNSなんて見る専だし、そもそも今日は相手が相手なのでスマホをカメラモードにすることはしないと決めているんだ。
──チラリと横目で千聖さんの姿を視界に収める。小柄で、今日はいつもよりもかわいい系の恰好で、コートを脱ぐといつもの印象とはまるで違うはずなのに、抹茶ラテのフタを外して吐息で白い湯気を前方に押し出している姿は、キレイだなぁと思ってしまう。
「──私、これでもアイドルだから視線に敏感なのよ?」
「ご、ごめんなさい……つい」
「いいわよ、怒ってない」
見惚れてしまったせいでジロリと視線を合わせられ、慌てて逸らす。
見られる仕事だもんな、と一人で納得しつつ俺はそれからなるべく不躾な視線を向けないように努めつつ、昼ご飯を終えた。
片付けをパパっと纏めてやってしまって、俺は千聖さんを入口付近で待つとやってきた彼女は再び俺の手を握ってきて、心臓が煩くなった気がした。
「ば、場所決めて行く?」
「いいえ、時間はあるのだし、のんびりしましょうか」
「うん」
これで万が一週刊誌に「アイドル白鷺千聖、一般人男性と手繋ぎラブラブクリスマスデート」とかすっぱ抜かれたらと思うと心配でしょうがないけれど。
と思っていたら前にネットで同じような記事を見かけた気がして、そのイメージのせいかと息を吐いた。
「どうしたの?」
「前に千聖さんのスキャンダル……スキャンダル? みたいな記事を見かけたことを思い出して」
「確か、あれもデートで、手を繋いで……あったわねそんなこと」
まぁその時は特に燃えることもなかったわけだけど、なんせ手繋ぎガチ恋距離デートをしていた相手は一般人女性──つまりは現在千聖さんと一緒に暮らしているあの人なのだから。
それを記事にするのもどうかと思うけれど、まぁちょっとでも閲覧数稼げるならなんでもいいんだろうねああいうのは。
「でもあれで増えたわよ、アンチ」
「ええ……なんで?」
「そりゃあそうよ、私のファンには女性の……所謂ガチ恋勢もいるのだから」
「いるんだ」
「いるのよ」
反転アンチというやつだろうか、そんなガチ百合界隈にも人気の千聖さんと、言い方は悪いけど同棲している松原花音さんはよくのほほんとしていられるな。よく二人で喫茶店の方に来てくれていたけれど、いつもほんわかしている人だった。
そんなことを考えていると手を引かれる。マスクを少し下にズラして、千聖さんは口許に笑みを浮かべてくれていた。
「スキャンダルのことなんて八尋くんは考えなくていいのよ、楽しんでほしいの」
「……うん」
「無理なのはわかっているのよ? でも、気にしすぎるのは」
「千聖さんの言いたいこと、わかるよ」
動機とか、人選とか、諸々の謎はありつつもただ一つ事実として彼女のプライベートとしての時間をもらっているということ、俺と過ごす時間を楽しもうとしているということだった。
だから、俺は彼女を楽しませたい、そしてこの時間を楽しめばいいんだろう。
現時点でこの作品企画の投稿がないのは寂しいですね
感想待ってます、それと企画仲間も待ってます