映画が終わった頃にはすっかり日が落ちて、夜景とイルミネーションがキラキラと人や道を照らしている。
暖かいところにいたせいか、それとも今夜の冷え込みがすごいのか、風が吹くとまるで切りつけられるような感覚がして、思わず大きく息を吐いた。
「思っていた以上に寒いわね、八尋くんは大丈夫?」
「俺は大丈夫、千聖さんこそ、手冷やさないように」
「……ありがとう」
手袋はしているけどそれだけじゃ足りない。特に弦を弾く人は指に気を遣ってもらわなくちゃいけないから。
視界確保のためサングラスは外し、けれど防寒の意味も込めてマスクだけは継続して装着してもらっている。声がくぐもればそれだけ千聖さんだってバレにくいという理由でもあるけれど。
「こうしたら、暖かいわ……反対の手はカイロを使うもの」
「うん」
手を繋いだまま、それが俺のコートのポケットに仕舞われる。風を遮った空間に二人分の体温が、お互いの手を温め合う。手袋を片っぽだけ外して、少しひんやりした千聖さんの手がじんわりと温かくなっていく。
「手汗掻いたら、その……ごめんなさい」
「気にしないよ、お互い様でしょ?」
「それは違うわよ、八尋くんの汗でぬるぬるになるのは嫌よ」
「えー、ひど」
「ふふ」
「……そこは冗談よ、とか笑ってほしいところなんだけどなぁ」
苦い顔をすると、千聖さんは僅かな灯りで照らされているだけだけど、すごく楽しそうに笑っていた。寒いことと、手がポケットの中ということもあって距離はさっきよりも更に近づいて、右側を向けばすぐ下に千聖さんの頭があるという距離感だった。
「キレイだね」
「ええ、スマホを構えるのが億劫でなければもっとよかったわ」
「そうだね、俺が代わりに撮るよ」
「なら後で送っておいてくれるかしら? キレイに撮ってくれるのよね?」
「なんでプレッシャー掛けてくるの?」
どうやら千聖さん曰く夜景やイルミネーションを撮るのにはコツがいるらしい。確かに、夜の写真ってボヤけたり手ブレでロクでもない写真になったりするよね。
そこで千聖さんからスマホでもキレイに撮る方法を色々と伝授してもらう。千聖さん自身も教えられた側だと言うけど。
「彩ちゃんが詳しいのよ」
「あー、よく自撮りとかしてるイメージ」
「合ってるわよそのイメージ」
連写モードで何枚か撮って千聖さんに判定してもらいながら、それをきっかけに千聖さんはぽつぽつとメンバーの話をし始めた。意外というか、プライベートなパスパレの話をされると思ってなかったから、俺は驚きつつも遮ることなく聞くことにした。
「今日のアリバイ作りにも協力してくれたわ」
「アリバイ?」
「この日にアイドルから音沙汰がないと、それはそれで杞憂する人がいるのよ」
「なるほど……千聖さんの場合は杞憂じゃないけどね」
「それもそうね、でも必要なことよ」
「……うん? じゃあアイドルとか芸能人ってなんもなかったら24日には予定を埋めがちってこと?」
「最優先で埋め──あ、えっと」
そう、俺はちゃんと覚えてたからね。駅からココに向かう時、ほんの数時間前の出来事だから。千聖さん今日しか空いてなかったと言っていた、でも実際はファンからの杞憂をなくすためにアリバイ作りをするか、余計な心配をされないために敢えてその日を埋める場合が多いみたいだ。
だから、千聖さんの言葉は必然的に嘘、ということになる。さっきまでとあの時じゃ明らかにどっちが素か、比べるまでもない。
「敢えて、空けたの?」
「……そうよ」
「俺とデートするために?」
「ええ」
俺はその気まずそうな千聖さんの項垂れた頭の上で百面相をしていた。
さっき、今さっき意識し始めた、好きだって気づいた相手が芸能人で多くは望まないと思っていた、でも──千聖さんは敢えてクリスマスイヴに予定を空けて、そこに俺とのデートを入れてくれた。これは、勘違いをしてもいいんじゃないだろうか。
喜びと、戸惑いと、千聖さんが意識してくれているかもというにやけと、ごっちゃごちゃになった感情が俺の表情筋を筋肉痛にさせるんじゃないかってくらいに動かしていく。
「八尋くん?」
「ああ、いや……えっと、俺は別に嘘吐かれて嫌だったとかそういうのはないよ」
「そう、ありがとう」
「むしろ、というか今日こうしてデートしてきて、千聖さんのイメージはすごい変わった」
「そんなに?」
画面の向こうで見た千聖さんは、明るくてキレイなお姉さんという印象だった。
スタジオ兼喫茶店でバイトをしていた時、千聖さんはクールで友達思いの優しい人という印象だった。
だけど今の千聖さんは、ちょっと意地悪だけどかわいくて笑顔が素敵な同じ年の女の子だ。
「……女の子って年でもないわよ、もう成人しているのだから」
「でもそういう印象だったから」
「子どもっぽいってことかしら」
「違うよ」
いやちょっと子どもっぽいところもあるかも。
──そして俺は、言葉にしていくことで実は最初の方、千聖さんが苦手だったのではという結論に達していた。なんせ初対面は気づかなかったけど千聖さんは如何にも芸能人という感じだ。プロ意識があって、絶対に弱音は見せない。子役で、アイドルになった後も女優として活躍している。俺にとってはどこか遠い存在だ。
「八尋くんだって、成れたはずよ」
「俺には無理だったよ。誰かのための自分であり続けるなんてさ、言葉を選ばないなら──正気の沙汰じゃない」
バンドは楽しかった。特にベースを持っている間は自分が
でも、それを続けているうちに
「アイデンティティじゃないけどさ、楽器を持たない俺って結構無価値というか、無個性というか、それが怖かった──って、結局辞めちゃったからアイデンティティもクソもないんだけどさ」
「八尋くん」
「だから千聖さんのことも、怖かったんだと思う」
俺からすれば理解のできない怪物のようなものだった。
でも、今日俺は千聖さんを知った。怪物のように大きく見えていた像は霧散して、後に残ったのは一人の女の子だった。
「改めて、今日デートしてくれてありがとう、千聖さん」
「……私の方がお礼を言う立場よ、あの時引き留めて、無理やり会いたいだなんてわがままを八尋くんは嫌な顔せずに承諾してくれた。だからずっと、今日が楽しみだった」
「そっか」
「彩ちゃんや花音に協力してもらって、クリスマスパーティを先週したわ、花音にはいつもと違う自分になりたくて服を選んでもらったの」
「全部、今日この時のために?」
「ええ……八尋くんとデートをするために」
千聖さんにはすごく申し訳ないけれど、俺は今日という日が来るのを嫌だと思っていた。なんで、どうして、何があって、そんな疑問ばかりで日付が進むのを拒んだ時もある。緊張と疑念で頭がいっぱいだった。
「でも俺も楽しかったよ、千聖さんを知れて、千聖さんといっぱい言葉を交わして──俺は
「まだ、八尋くんに見せてない
「それはまたおいおいってことで」
「……八尋くん」
「これで終わりにはしたくないから」
今日が最後、千聖さんもそういうつもりだったんだろうけど。俺はもっと一緒にいたいと思った、千聖さんをもっともっと知りたいと思った。
相手はアイドルで女優、芸能人だ。高嶺の花、雲の上の存在、そうであることに違いはない。
それでも、俺は千聖さんとの時間を今日限りで終わらせたくはなかった。
「予定が合わないならどんだけでも待つ、一ヶ月先でも、二ヶ月先でも、俺は待ってるから……今度は俺からデートに誘わせてほしい」
「そうね……条件があるわ」
「えっ」
──ん? なんかこの雰囲気だと「ええ、喜んで」って微笑んでくれてそこでEDが流れるところじゃないですか? ハッピーエンドだろそこで、でも千聖さんはそんなセオリーを破壊して悪戯な微笑みで交換条件を出してくる。
「まずこのデートが終わっても、敬語と呼び方は戻さないこと」
「まぁ、それくらいなら」
「まず、と言ったはずよせっかちね」
「交換条件だしてる側のセリフかなぁ?」
イルミネーションが輝く中で、それでも褪せない輝きを千聖さんは放っていた。どうやら条件は三つあるらしい。多いよ千聖さん、と呆れる暇もなく次の条件を俺に、非常に楽しそうに突き付けてくる。
「次に、私もチキンが食べたいわ」
「……今日ですか?」
「夜は用意されてないもの」
「松原さんは?」
「花音はハロハピとイヴちゃんとでフィンランドに行っているわ」
「どういうこと!?」
「なんでもサンタさんを捕まえる作戦の真っ最中らしいわよ」
本当にどういうこと? 現地案内役のイヴちゃんはわかる、いやわからん。
まぁこの際、そういうものだと割り切っていこう今はそこを広げる時間じゃないしな。サンタさんを迎えに行くではなく捕まえる、なのは本当にどういうことなんだろうと疑問が湧くけれど。
「い、いいですけど……え、ウチに来るの?」
「そうね、その答えと三つ目は、後で言うわ」
「は、はぁ……」
そう言いながら、俺と千聖さんは再び駅前へと戻ってきた。人はそこそこいるけれど、ここでお別れという雰囲気でもない。いや俺と一緒にクリスマスチキン取りに行く気だもんね。
なんだか拍子抜けというか、てっきり駅前に来たらまたねと別れると思い込んでいたから、嬉しいんだけどさ。
「ここなら、いいでしょう」
「うん……って、千聖さん?」
俺と千聖さんは駅のホームの一角、人の少ないところまで来た。もう明るいところだから千聖さんは元の完全防備に戻っているが、唐突にそれを外し始める。
改めて見ると美人でありつつもかわいいという印象も抱く、千聖さんの美貌に思わず見惚れてしまう。隠されていたせいか、余計に。
「最後の条件は──条件ではないの」
「どういうこと?」
「どちらかというと、お願い」
「う、うん……」
「抱きしめて」
「えっ」
「私を、抱きしめて」
ここで? という無言の驚きに千聖さんは少し顔を朱色に染めながら頷いた。人は少ない、確かに少ないけど電車バンバン来てるし、見られる可能性が非常に高いよ? だが千聖さんは譲らない。なんなら手を広げて待っている。
「早く、チキン冷めるわよ」
「それはないと思うけど……では失礼します」
「んっ」
小柄だし身長差があるから、当然千聖さんがすっぽりと収まる感じになる。ふわりとした優しい香りと体温に俺の心臓は破裂しそうになる。
しかも千聖さんは俺の胸に顔をうずめるようにして頭をやや下にするもんだから余計に。
「……ふふ、ドキドキしているのね」
「そりゃ、千聖さんとこんな距離でドキドキしないなんて無理だよ」
「私も、ドキドキしているわ」
「……本当に?」
「ええ」
ちらりと見ると千聖さんの耳が真っ赤に染まっていた。どうしよう、これ結構恥ずかしいことしてるんじゃないだろうか。というか、一応顔が隠れてるせいで千聖さんだとはバレないだろうけど、注目されはしないにしても二度見くらいはされるんじゃないかな。
「このまま……聞いてほしいことがあるの」
「う、うん……なに?」
「今から言うことは本気よ、何かのドッキリでもなくて嘘偽りのない本音そのもの」
「わかった」
千聖さんが俺の腕の中で大きく息を吐いた。俺も釣られて息を吐く、ホームの寒空にさっきよりもくっきりとした白い息が上へと昇っていった。
何を言うのか少しわかり始めていた。俺も同じ気持ちだから、だろうか。
「──私、八尋くんのことが好き」
「……千聖さん」
──予想通りと言うと味気ないかもしれないけれど俺は千聖さんに告白をされた。短い、けれどハッキリと。
次回そして次々回で最終話の予定です
また同じ時間に