さて、今回の内容はかなり重い話です。軽い話が余りない作風ですが、特に重い話です。
それではどうぞ。
四糸乃が封印されたからか、梅雨も明け、雨が降ることも少なくなった。
今日は選ばれたように、雲一つない快晴だ。偶然か、それとも何かのめぐりあわせか。これ以上ない天気が僕を迎える。今日は父さんと母さんの墓参りに行く日だ。
七罪は一緒にいない。父さんは精霊に殺されている。精霊である七罪を連れて行くのは、どうしても気が引けた。
七罪は僕の一番大事な存在だけど、父さんに誇るのは少し違う気がする。
その気持ちを察したのか、七罪も一緒に行こうとしなかったし、僕も誘わなかった。
静かな寺の片隅に、二人のお墓がある。水を汲んで、『鳶一家』の墓に向かう。
久しぶりだから、迷うかもと思っていた。記憶は存外に鮮明だったようで、迷わずに見つけることができた。
買ってきたお花を供えて、軽く墓石を掃除する。でも、ほとんど必要なかった。
姉さんがこまめに来ているようだ。ほとんど汚れていなかった。僕がしたことは形だけの行為だ。
線香をあげて手を合わせる。目を閉じたまま語り掛ける。
「父さん、母さん。ごめんね、親不孝な息子で。二人は生きていたら泣くかな?」
死者に言葉は通じない。墓石に語り掛けても返事はない。だから、今語りかけているのは自分自身なのだろう。
「否定できない。」
墓石に語り掛けたつもりなのに、思わぬ返事があって驚く。
聞き覚えのある淡々とした声だ。振り返ると姉さんが立っていた。
「姉さん……どうしてここに。」
「あなたと一緒。お父さんとお母さんのお墓参り。」
考えてみれば当たり前のことだ。先ほど、頻繁に来ていると思ったばかりではないか。
偶々、同じ日に来てしまったのだろう。七罪を連れてきていなくて本当によかった。
「約束を守ってくれて嬉しい。」
「いや、本来姉さんに言われなくてもやるべきことだから。」
少し前、姉さんと話をしたとき、ここに来ると約束した。僕は長い間一度も来ていなかったから。
親の墓参りに行くなんて当たり前のことだ。褒められるべきじゃない。むしろ、今まで行かなかったことを謗られるべきだ。
「姉さん。」
「何?」
「父さんと母さんはやっぱり、こんな酷い息子を嘆くのかな。」
酷い人間であるという自覚はある。父さんを殺した精霊の味方をしたり、長い間顔を見せなかったりと。『生むんじゃなかった』って言われても仕方がない。
「……嘆くと思う。あなたが酷い人間だからではなく、あなたが危険なことばかりするから。」
「姉さん……」
「お父さんとお母さんは子供の幸せを心から願う人だった。だから、今のあなたを見たら嘆くと思う。」
姉さんの考えでは涙を流す結果は変わらない。でも、その理由が違うと言っている。
僕の幸せを思っているから泣いていると。危ないことばかりする子供のことを思って泣いていると。僕の為に泣いていると。
「じゃあ姉さんも泣かせているね。」
「……」
姉さんは押し黙る。変わらない表情の代わりに、強く握られた拳が姉さんの感情を示していた。
姉さんもASTで結構無茶している。原作で独断専行をして危険な目に遭っていた。僕がASTに所属していたころもそうだった。多分今も同じだろう。
僕はそれ以上の事をしているから、他人のことは言えないけど。本当に駄目な姉弟だ。
「ありがとう、姉さん。気遣ってくれて。」
「私は代弁しただけ。」
「じゃあ二人にもお礼を言わなきゃね。ありがとう、父さん、母さん。」
姉さんの表情は変わらない。あの日、感情を預けてきたままだ。
でも、優しい人であることは変わらない。誰かの為に動く、自慢の姉さんだ。
家族の時間は終わり、別れの時間が訪れる。もうそろそろ家に帰らなくてはならない。姉さんのいない家に。
「愛。」
「何、姉さん?」
「……渡しておくべきものがある。」
そう言いながら姉さんは手帳を取り出す。ピンク色の花があしらわれた可愛らしい手帳だ。
「これは?」
「お母さんの日記。コピーは取ったからあなたにあげる。」
姉さんはとんでもないことを言っている。これが母さんの遺品だと。
「いや、だったら僕がコピーで良いよ。」
「これは私よりもあなたが持っているべき。」
姉さんは頑なに渡そうとする。こうなった姉さんに言うことを聞かせることは至難の業だ。姉さんを丸め込むなら、ちゃんと姉さんが納得する論理を展開しないといけない。
強く拒否する気の無い僕は日記を受け取った。姉さんはそれだけ渡すとスタスタと帰って行った。何か言われるかと思ったが、何も言われなかった。
しかし、意味が分からない。母さんは僕が生まれた時に亡くなった。つまり、僕は母さんの思い出が皆無だ。
勿論、父さんや姉さんに話を聞いたことは有る。けれど、所詮人伝の人物像しか知らない。だったら、思い出のある姉さんの方が持つべきじゃないだろうか?
疑問に思いながらも、僕は七罪の待つ家に帰った。
♦♦♦
自室で姉さんに渡された日記の中を簡単に確認する。パラパラとめくってみるが、何の変哲もない日記だ。僕や姉さんと違って、母さんは普通の人だから、当たり前だけど。
日付が飛び飛びで、毎日書いているのではなく思い出深い日を記録しているようだ。
日記には付箋がつけてある。自分の日記に付箋をつける人はいないと思うから、父さんか姉さんが付けたのだろう。
付箋のページを開くと日付は十五年前の十一月十一日。つまり、姉さんの二歳の誕生日だ。
母さんにとって大事な日であることは分かるけど、どうしてこの日にだけ付箋が?
日記は数年分のものだから、姉さんの誕生日はこの日だけでは無いのに。
とにかく内容を読んでみよう。
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十一月十一日
今日は折紙ちゃんの誕生日。お誕生日おめでとう。
苺のホールケーキを買って盛大にお祝いしたよ。折紙ちゃんは今日で二歳。これからも元気ですくすく育って欲しいな。
嬉しいことはこれだけじゃ無いんだよ。病院に行ったらお医者さんが妊娠しているって。
折紙ちゃんがお姉ちゃんになるんだよ。パパと二人目が欲しいって話をしていたから、パパも喜んでくれた。
元気で生まれて来てね。赤ちゃん。
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内容を読んで得心が行った。付箋が示していたのは姉さんの誕生日ではない。
母さんが僕の妊娠を知った日の話だ。姉さんの誕生日だったのは偶然だ。
僕の誕生日は七月二十三日。妊娠期間は十月十日って言うから、妊娠が分かるのは姉さんの誕生日頃になるのか。
母さんにとって、この日は娘の誕生日と次の子供の妊娠判明が重なった幸せな日だった。この後の事を知っているから、素直に喜ぶことはできないけど。
次のページを捲る。
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十二月三日
お医者さんの所に行ってきた。赤ちゃんが順調に育っていないっておっしゃっていた。
妊娠初期は流産しやすいらしいけど、私たちには無縁の事だと思っていた。でも、周りの人に聞いたら妊娠初期で赤ちゃんが流れてしまうことは、偶にある話だって。でも、よりによって私たちがそうなるとは思っていなかった。
私にできることは体調に気をつけて、赤ちゃんに負担をかけないようにすることだけ。もどかしいけど、大事なことだってお医者さんも言っていた。しばらくは気をつけないと。
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十二月二十五日
パパと二人でお医者さんに話を聞いてきた。
「子供は年を越せない可能性が高い。覚悟しておいてください。」
そうおっしゃっていた。
パパの胸でいっぱい泣いた。折紙ちゃんにだけはこんな顔見せられないから。パパは泣かなかったけど、暗い顔をしていた。
神様お願いします。この子に未来を与えてください。クリスマスなら奇跡をこの子に与えてください。
どんな代償も甘んじて受け入れます。だから、どうかお願いします。
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どうやら僕はそこまで順調に育ったわけではないようだ。日本の死産の可能性はかなり低い。
それでも、妊娠初期は流産の危険がある。今の僕に目立った異常はないけど、当時は大変だったことが予想できる。
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一月七日
病院に行ってきた。パパも私も不安でいっぱいだった。結果は良好だった。
「赤ちゃんは元気に育っている」って、お医者さんはびっくりしていた。奇跡だって。
パパと抱き合って喜んだ。看護師さんにちょっと怒られた。でも、それくらい嬉しかった。
本当に奇跡が起こったのかもしれない。神様ありがとう。
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二月十日
お医者さんの所に行ってきた。赤ちゃんの性別は女の子だって教えてもらった。折紙ちゃんと仲の良い姉妹になって欲しいな。
なんだか最近疲れやすい気がする。もう私も若くないのかな。マンションの廊下を歩いているだけで息が上がってしまった。
パパが気遣ってくれるから何とかなっているけど。赤ちゃんが生まれたら、普段からもうちょっと運動しなきゃいけないかな?
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窮地を脱したのは手放しで喜べる内容だ。良かったと思う。けど物申したいことがある。
今ここにいる僕は男なんですが。どうして女だと思われていたのだろうか?
まあ、出産前の検査で性別を間違えるというのはない話じゃない。妊娠中に性別が変わるって話も聞いたことがある。
この時は間違えていた。それで良いのだろう。
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二月二十五日
お医者さんに母体への負担が異常に大きいと言われた。原因はよく分からない。けれど、このままだと私の命が危ないって。
今ならまだ中絶できるっておっしゃっていた。はっきりと言われなかったけど、きっと中絶した方が良いのだと思う。
パパと何度も相談した。でも中々結論が出ない。
パパは私の意思を尊重してくれるって言っている。でも、私の心がなかなか決まらない。
とにかく今日は疲れたから寝る。私はどうしたら良いのだろう。
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三月八日
お医者さんに中絶しないことを宣言した。お医者さんにはこれが最後の機会だと念押しされた。でも、私の心は決まった。
これから何か月もしたら後悔するかもしれない。でも、それ以上にこの子に生まれてきて欲しいから。
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窮地を脱したと思っていたが、そうでも無かったようだ。結末を知っていると、そこまで不自然な話ではない。だが、頭を抱えたくなるような内容だ。
日記を読んでいる僕がこれなのだ。当事者である母さんの気持ちは、想像を絶するものに違いない。
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四月六日
近くの幼稚園で入園式が有ったみたい。それを見て、そろそろ折紙ちゃんも考えないといけないと思った。
パパに相談したら、全部やっておくって言っていた。今は自分の身体と赤ちゃんのことだけ考えてくれって。
確かに最近身体が重くなった。以前は鼻歌交じりにやっていた家事も、何度も座り込まないとできなくなった。
パパが仕事の後にほとんどやってくれて申し訳ないともう。折紙ちゃんもあんまり手がかからない良い子だから何とかやれている。
正直、思っていたよりも大変だ。でも、もうちょっと踏ん張らなきゃ。
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五月十四日
最近、本当に身体の調子がおかしい。少し前までは疲れるけど、普段の暮らしはできていた。でも、今は立ち上がることすらままならない。
トイレに行くのも一苦労。病院に行くのもパパに付きっきりでお願いしている。
折紙ちゃんもまだ二歳なのに私に気を遣って我儘を言わなくなった。親として不甲斐ないけど、正直助かっている。
ごめんね、折紙ちゃん。しばらくしたら遊んであげるから。
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六月十七日
赤ちゃんの名前を決めた。周りの人から愛情をいっぱい受けて育って欲しいから「愛」。
パパも色々と考えてくれたのに、殆ど私の意見が通っちゃった。「ママの方が大変だから、ママの意見の方が優先」って言っていた。
折紙ちゃんの時はそんなこと言っていなかったのに。気を遣ってくれているのかな。
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男にしてはって名前だと思っていたけど、女の子だと思われていたからだったのか。これを見ると自分の名前を大事にしなければいけないと思う。
そして次のページは七月。この日記の記載も終わりに向かっている。
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七月一日
そろそろ出産予定日も近づいてきた。お医者さんにはもしもの時に母子のどちらを優先するか考えておいて欲しいと言われた。
パパといっぱい相談した。パパには反対されたけど、子供を優先して欲しいとお願いした。
せっかくここまで育ったのだから。無事生まれてきて欲しい。
大丈夫。経済的にはそこまで困っていない。私に何かあったとしても十分生活できる。
もしものときはよろしくね、パパ。
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七月二十二日
最近は一日を通して意識が遠い。起きていても視界がぼやけたまま、ずっと悪夢に捕らわれているみたい。
折紙ちゃんの時とは明らかに違う。体に負担がかかっているのが分かる。
命ががりがりと削られているような実感が有る。毎日少しずつ身体から動く部分が消えていく。
いやだよ。こわいよ。しにたくないよ。
まだ、パパと一緒に暮らしたいよ。折紙ちゃんと遊びたいよ。
時々お腹を殴ってしまいたくなる。こんなに辛いならいっそと思うことが有る。
この子が本当に自分の子供じゃないように思えてしまう。まるで理解できない何かが居座っているような。
駄目な母親でごめんね、愛ちゃん。
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日記はここで途切れている。当たり前だ。次の日は僕の誕生日。つまり、母さんの命日でもある。
この後の事は嫌でもわかる。母さんは次の日に僕を出産して亡くなった。
全く知らなかった。誰も何も話さなかったから。いや、隠していたのだろう。僕が傷つかないように。
今になって姉さんがこれを渡してきた意味は分からない。けれど、何か言いたくて渡してきたのかもしれない。僕を非難するような言葉を。
目をこすると指が濡れている。自分はあまり涙を流さない人間だと思っていた。そうでもないようだ。
僕は母さんの日記を一番上の引き出しにしまった。
いつでも手に取ることができるように。
でも、再度開くのはかなり先の話になりそうだ。僕が母さんの気持ちと向き合える強さを手に入れた時、再びこの日記を開くだろう。
この話を書くために色々と勉強しました。親ではないから妊娠の知識なんて全くないもので。不自然に思っても多少は許してください。
余談ですが、修正した話に裏話が無かったら追加しています。現在は一話と二話ですね。良かったらそこだけでも読んでみてください。
さて今回の裏話と行きたい所ですが、今回はありません。話すネタがないわけではありません。今回の話に関連する裏話をするとネタバレになりかねません。なので、悩んだ結果無しにしました。
今回の話はこの作品の根幹に触れています。とんでもない展開が有ったら読み直してみてください。