Side 蓮
空間に開けた穴を通り抜け、逃げた先はDEMの日本支社。ウェストコットたちの根城だ。
「はぁ、ぐっ……」
穴を閉じた瞬間、全身の力が抜けて崩れ落ちる。窮地を救ってくれた新しい天使も砂のように消え去る。
背中を預ける友の前でもないのに、なんとも情けない。
相手は小さく偉大な私たちの叔父上。万分の一の力も出していないようだが、それでも私の首は危うかった。
何重にも保険をかけておいたのは正解だったようだ。
「大丈夫ですか、蓮?」
慌てた様子で駆けよってくるエレン。
存外人間味のある行動を取るな。だが、そんな手を取る気はない。
「心配ありません」
エレンの手を振り払って立ち上がる。弱みを見せるわけにはいかない。特にこの男の前では。
「作戦は上手く行ったようだね」
到底人間のものとは思えない暗く濁った瞳。不気味に嗤う口元。
アイザック・ウェストコット。
この男は精霊を人とは思っていない。——いや、人すらもこの男にとっては玩具の一つ。
隙を見せたら
「いくら貴方様でも、今の今。ほんの数瞬前の出来事を知るのは不可能じゃありませか?」
「映像や観測値を見るまでもない。君は今、新たな天使の能力でこの部屋に戻ってきた。《ゾディアック》の霊力を奪えたのだろう?」
抜け目のない男だ。まあ、どうせバレるのだからどうでもいい。
「ご慧眼恐れ入ります。ウェストコット様のおっしゃる通り、私は星宮六喰様の霊力を奪い、新たな
霊力を振り絞り、新たに私のものとなった天使を再び喚び出す。
「ご覧ください。これが
全てを開き、全てを閉ざす鍵の天使。金色の輝きが何と美しいことか。
これを自分のものとして誇ることができる。最高の気分だ。
「くく、くくくく。ああ、なんて素晴らしい。君は本当に最高の仕事をしてくれた」
「勿体ないお言葉です」
まるで自分が手に入れたような口ぶりだな。あくまで私のものだというのに。
「わざわざ私の援護を断って向かったのです。失敗して戻ってもらっては困ります」
ウェストコットと違ってエレンは不満げな様子だ。自分が暴れられなかったのがそんなに不満なのだろうか?
「申し訳ありません、エレン様。しかし、これは貴方様を守るためだったのです」
「ほぅ、私相手にその言葉。随分舐めた口を利いてくれますね?」
この程度の言葉で青筋を立てるとは。
「我が母が力を失い堕落した今、最も警戒すべき相手は叔父上です。叔父上が本気で力を振るえば、塵のように消し飛んでしまうでしょう。
例え、世界最強の
「……《アポクリファ》が始原の精霊ならばそれは否定できません。前回戦ったとき、微塵もそのように思えませんでしたが」
悲しいことだな。始原の精霊の恐ろしさを真に知らない。
「何故かは存じませんが、叔父上は強大な力のほとんどを封じております。
でなければ、私は屍となりこの場に戻ることも叶わなかったでしょう。
あの方はそれほどの相手なのです」
「ならばむしろ戦力を増やすべきだったのでは?」
「即時撤退は単独の方が容易いのです。
「ぐっ……」
ようやくエレンでも理解してくれただろうか?
「よしたまえ、エレン」
「しかし、アイク!」
「結果は成功で終わった。彼女の筋書き通りに。褒め称えこそすれ、責める場面ではないだろう?」
「それは、おっしゃる通りです……」
ほぅ、番犬を手懐けるのは上手いようだ。感謝の気持ちくらいは持っておこうじゃないか。
「それに、《シスター》の方も上手くいったのだろう?」
「ええ、勿論。予定通り反転させることができました」
「ならば私たちはそちらでいいじゃないか。残り物でエレンには退屈かもしれないけれど」
「いえ、決してそのようなことは」
「ようやく精霊を反転させることができたのだ。しっかりと仕留めておくれ、可愛いエレン」
「はっ、承知しました。必ずや
叔父上を引き付けるための撒き餌がここでも役に立ったようだ。一石二鳥といったところか。
「お気を付けください。かなり疲労させましたが、叔父上はまだ何か企んでいるかもしれません」
「忠告痛み入るよ。胸に留めておこう。前哨戦で火傷しては目も当てられない」
あなたたちに死んでもらっては困る。私の願いのために。
♦♦♦
Side 士道
俺たちは今から反転した二亜を止める。
街を守るため。何より、二亜を救うため。
「なぁ、折紙」
「何、士道?」
折紙は武装を身に着けて戦う準備をしている。今は手に持った槍を確認していた所だ。
「二亜が愛たちのところに行ったのって、本当に急いでたからだと思うか?」
「……わからない。少なくとも、非合理的な判断だとは思わなかった。——ただ、愛に頼ろうとしていた可能性は否定できない」
「そう、だよな」
令音さんに連絡すればよかったのに、わざわざ自分で向かったんだ。その方がしっくりくるよな。
「俺、少しは心を預けてもらってると思ってたんだけどな」
同人誌を描き上げたときの何とも言えないあの顔。
辛くて苦しくて、でも乗り越えて。解放されないまでも、どこか清々しさがあった。
あれじゃダメだったんだろうか?まだ二亜は捕らわれたままだったんだろうか?
「……愛は士道とは別の人間。愛にしかできないこともある」
「ああ、わかってるさ」
気持ちだけの問題じゃない。
愛しか知らないことはある。愛しか思いつかないことはある。
それは理解してる……つもりだ。
「——同時に、士道にしかできないこともある。今、二亜を救うことは士道にしかできない」
「……そうか、そうだよな」
慰められた上に発破をかけられている。情けないことを言ったな。
「士道は何がしたい?」
「俺はただ……二亜を助けたい」
蓮がどうとか、反転した理屈だとか、難しいことは正直よくわからなかった。ただ二亜が苦しんでいることだけはよくわかる。
どんな理由であれ、女の子を苦しめる理由にはならない。そんな理不尽は許されるわけがない。
「士道には私だけを見ていてほしい気持ちがある。でも、ここで二亜を見捨てる人間ならば、好きになることはなかった」
折紙は少し口元を緩めていた。
「折紙、俺を助けてくれるか?」
「勿論」
一呼吸おいて前に出る。みんなはもう準備を終わらせ、待っていた。
「シドー、準備はできたか?」
「かかか、待ちくたびれてしもうたわ」
「迅速。夕弦は既に準備万端です」
「だーりん、二亜さんを助けに行きますよ」
「兄様、早く出陣しましょう!」
戦意は十分。あとは出陣するだけ。
「士道、覚悟はできてるわね?」
琴里が最後の確認をする。返事の前に
「悪い、みんな待たせたな。行こう!」
俺たちは二亜のところへ転移した。
♦♦♦
「これは……」
転移した先は地獄だった。
破壊しつくされ、瓦礫の山になった校舎。焦土と化し焦げ臭い匂いを放つグラウンド。
我が物顔で闊歩する影のような化物たち。数えるのも馬鹿らしくなるくらい、うじゃうじゃと湧き続けていた。
そして、その中心。二亜はそこにいる。
のっぺりとした顔で魔王のページをひたすらめくり続ける。二亜が魔王を操ってるんじゃなくて、魔王のために二亜が動いているようだ。
めくったページの一枚一枚が化け物になり、野へ放たれる。まるで地獄の門だ。
あの二亜がこんなことをしたいわけがない。すぐにでも助けないと。
『いい、士道?今回に限っては正攻法なんてないわよ。
イチかバチかキスしてみなさい。それでお姫様にかけられた魔法がとけることに懸けるわ』
「琴里らしくないな。そういう無茶は俺が言うもんじゃないのか?」
『自覚があるなら自重してほしいものね。言いたくないけど、状況が既に詰んでるのよ。逆転するなら奇跡に頼るしかないわ』
「はっ、違いない」
笑えてくる。藁に縋るような作戦じゃないか。
絶望的な状況。もう、何度目のことだか。
「詰んでる?絶望的?それが足を止める理由になるかよ!」
俺は二亜を助ける。そこに確率論も何もいらない。
必要なのはこの気持ちだけだ。
『よく言ったわ、士道。信じなさい、二亜と一緒に過ごした日々を。なにより、自分自身を』
「ああ、わかった!」
化け物を切り裂いて前に出る。
「私たちが道を作る」
「シドーは二亜を頼んだぞ」
折紙と十香が化け物たちに攻撃を放つ。光を浴びて蒸発し、斬撃を受けてバラバラなる。
二亜のところへ伸びるか細い道ができた。
「露払いは我らが引き受けてやろう」
「援護。士道は二亜のところに行くことだけ考えてください」
耶倶矢と夕弦が俺を挟み込むように少し前を走る。盾となって化け物たちを蹴散らしていく。
「だーりん、私の応援を受け取ってください」
美九の【
「ありがとう、みんな!」
足の裏に力を溜めて大きく跳躍する。化け物たちの包囲網を飛び越えて一気に二亜のところへ。
「————!」
空中の俺は格好の的。化け物たちが声にならない声を上げて襲い来る。
「兄様には指一本触れさせません!」
その化物たちを真那が一太刀で斬り伏せる。
「真那!——ありがとう」
真那に背を向けもう一度加速する。今度こそ一気に二亜の元まで。
「がっ!」
自らの皮膚で首を絞められたかのようだった。
慣性を完全に無視して身体が止まる。空中に縫い留められたようで指先一つすら動かせない。
あと少し。大股で跳べば二亜のところに届くというのに。
「…………」
二亜はいつの間にか羽ペンのようなものを持っていた。俺をじっと見つめながら高速で
「これは……未来記載?」
二亜は記載を止めない。目にも留まらぬ早さでペンを走らせる。
「鏖殺公が⁉」
手に持っていた天使が消えた。二亜がそう描いたからだろう。
俺が持つ天使さえも自由自在に操る力。正に神のような力だ。
「だからどうした!」
胸の熱に任せて身体をつき動かす。
ただ、二亜のところへ。その意志だけを込め。
「二亜、俺の声が聞こえるか!」
「…………」
ゆっくりと身体が動き始める。錆びついていた歯車に油を差したかのように。
【二亜、頼む聞いてくれ】
二亜に俺の気持ちを届けたい。その想いがいつの間にか形になっていた。
声を届ける天使、
「し、どー……」
草が擦れるような小さな声。それでも、確かに二亜は言葉を発していた。
【そうだ、俺だ。士道だ】
「なん、で……」
二亜の目には困惑の色が見える。
なんで、か……。
【二亜と漫画描くのが案外楽しかったからかな?】
俺は二亜と一緒にまた漫画を描きたい。理由なんてそれで十分だ。
「少年……」
二亜の手から力が抜けて、ペンが地面に落ちる。俺を見ながら赤い涙を流していた。
【戻ってこい。俺がずっと隣にいるから】
身体を縛っていた力が急に消える。俺は二亜に向けて手を伸ばした。
二亜まであと数センチ。そんなところで——二亜の胸から光の刃が生えた。
「がっ⁉」
「二亜、……二亜⁉」
二亜の口から大量の血が流れる。さらに、刃が抜けて胸からもおびただしい量の血が。
とっさに倒れ込む二亜を受け止める。受け止めたその手にべったりと生暖かい感触が広がる。
「感謝します、五河士道。おかげで楽に《シスター》に近づくことができた」
さっきまで何もなかった空間が揺らぎ、白銀の武装をした女が現れる。
世界最強の魔術師、エレン・メイザース。その目は冷淡に二亜を捉えていた。
何だこの展開。作者は性格悪いな~。
さて、今回の裏話は未来記載を打ち破れた理由について。
原作にちゃんと書いてありますが、霊力で対抗できます。数人分の霊力持ちが対抗できないわけありません。
根性とかじゃないんです。