狂三が去った後、僕たちはフラクシナスに移動した。僕たちは家に戻らずに、姉さんが起きるのを待っている。
僕がいないと面倒なことになりそうだから。CRユニットがないとはいえ、暴走されると困る。
それは良いのだけど、何故か七罪まで一緒にいる。七罪の方から自主的に残ったのだ。
どうしても言いたいことがあるそうだ。あと、僕がディスコミュニケーションを発揮しそうだと。
あれだけ七罪に殺意を向けていたから帰って欲しいのが本音だ。でも、七罪を拒否することはできなかった。
「……ここは?」
姉さんがゆっくりと目を開く。視線を巡らせるけど、身体は動かせない。
黒いベルトのような拘束具が何重にも巻かれている。暴走を防ぐための措置だ。
「姉さん、起きた?」
「愛、どうして?」
姉さんの瞳が揺れる。幻でも見たかのような表情だった。
「やっと目覚めたみたいね。」
一瞬の沈黙が走る。
「《ウィッチ》!殺してやる。」
姉さんは七罪を見た瞬間に暴れ出す。拘束しておいてい良かった。
「どうしてそこまで殺意を向けるのかしら?弟が取られたのがそこまで嫌だった?」
「黙れ……!お前が、愛を……洗脳したんだろう……。」
「洗脳?私そんなことできないんだけど?」
「お前が、他の天使をコピーできるのは知っている。その力を使って、愛と士道を……洗脳したに決まっている。」
……なるほど、そういうことか。どうしてあそこまで明確な殺意を抱くのか不思議だったけど、そうやって騙されたのか。
色々知っている僕からすれば、滑稽な仮説だ。でも、姉さんを騙すことは難しくない。
「姉さん、七罪は洗脳なんてできないよ。」
「あなたは洗脳されているから、そう言わされている。騙されない。全ての元凶は《ウィッチ》、お前だ。」
ダメだ。僕の声じゃ届かない。これは誤解を解くのが大変そうだ。
「まあ気持ちは分からないでもないわ。こいつ変だもの。洗脳されているように見えても、仕方ないわね。」
七罪が変な同意をする。一体どっちの味方なんだ?
「でもそんなこと、どうでもいいわ。私が愛を洗脳したかどうかなんて。」
七罪はとんでもないことを言い始めた。姉さんの説得が難しいからって諦めたのか?
「私があんたから弟を奪う事実に変わりはない。やり方がどうあれ、結果は一緒よ」
何だろう。とんでもない理論を展開しようとしている気がする。僕ですら驚愕するような理論を。
「ふざけるな、お前なんかに愛を……。」
「そう?少なくともあんたと一緒にいるよりはマシだと思うわよ。弟を殺しかけた、あんたと一緒よりは。」
七罪は嘲るを通り越して、憐れむような目線を姉さんに向けている。
「……何を言って……?」
姉さんは言葉の意味を咀嚼しかねている。珍しく思考停止している。
「覚えてないの?あんた、私と一緒に愛にも攻撃してたんだけど。殺意を目一杯込めた弾丸を何発も。」
「私、そんなこと……。」
「映像あるわよ。見る?」
姉さんの顔には明らかな動揺が見える。撃った記憶があるのか、記憶がなくて何をしたのか覚えていないのか。
どちらにしろ、七罪の言葉は真実だ。何度も攻撃されたことを僕自身覚えている。
「すごいわね……。憎しみを優先して、弟も簡単に殺せてしまうなんて。私には理解できない。」
一切心の籠ってない賞賛の言葉を送る。その言葉は直接向けられていない僕にすら突き刺さる。
七罪の言葉には普段から予想できない鋭さがある。人を殺せてしまうような鋭さが。
「別に、私を恨むのは好きにすればいいわ。恨みを買うようなことはしているもの。
でも、愛を巻き込むのはどうなの?こいつはずっと、あんたのことを案じていたのよ。
その仕打ちがこれ?ふざけるのも大概にしなさいよ。」
七罪は怒っている。姉さんに対してかつてないほど怒っている。
あの七罪が人を心を傷つけるのを厭わないほどに、怒りを露わにしている。
「ああ、あああ。そんなつもりじゃ……。」
姉さんの顔は酷く歪んでいる。今にも泣きそうなほどに。
「結果的にそうなっているのよ。確かにDEMは狡猾だったわ。洗脳されてなかったら、あんなことはしなかったでしょうね。でも、もっと気をつけていれば、こんなことにならかったんじゃないの?」
七罪の言葉は容赦がない。どこまでの姉さんを追い詰める。見ていられない。
「愛が生きていたのは奇跡に近い。一歩間違えたら死んでいた。それも全てあんたが……」
「七罪、もう……止めてよ。」
言葉の途中で七罪の手を取って強く握る。これ以上、こんな光景は見たくない。
七罪は肩で息をしながら言葉を止める。僕の顔を見てから、瞼を閉じた。気持ちを切り替えるように。
深呼吸をして再び目を開ける。その瞳に宿る感情は怒りを越えた何かだった。
「……鳶一折紙。あんた、起きてから一度でも、愛の顔まともにと見た?あんたほとんど、愛の顔を見てないんだけど。」
「それは……。」
その言葉は先ほどの言葉より、姉さんの胸を抉っているように見える。止めるべきなのか迷いつつ、七罪を信じて続きを聞いてみる。
「家族の恨みを語るなら、せめて家族の顔くらい見てからにしなさいよ。」
七罪は出口の方に向かって歩いて行く。扉の前で少し立ち止まった。
「……私、あんたのことが嫌いよ、鳶一折紙。」
言い終わると同時に、七罪は部屋を出た。背中を向けながら呟いた言葉は、何度も反響した気がした。
「愛……私は……どこで間違えたの?」
姉さんは今にも折れそうな姿で問うている。
「……分からない。ただ間違え過ぎたから、こんなことになった。僕も姉さんも。」
間違えたのは姉さんだけじゃない。僕も間違え続けた。
「どうすれば良かったの?」
あの姉さんが、縋って答えを求めている。小さな子供のように涙を流し続けている。
「……分からない。過去に戻ったとしても、正しい選択肢を選ぶ自信なんてない。でも、一つだけ言えることがある。」
「それは……何?」
「僕たちは、ずっとすれ違ってばかりだった。顔を突き合わせて、もっと寄り添う時間を作るべきだった。そうすれば、ここまで酷くならなかった――そう思う。」
家族の顔を見ていない。それは僕にも言えることだ。
ずっと顔を背けてきた。父さんを失った五年前から、向き合って話すことを避けてきた。
怖かった。父さんの復讐に燃えて、地獄のような訓練を自身に課す姉さんが。
後ろめたかった。姉さんに隠れて精霊である七罪と仲良くする自分が。
だから、どんどんと距離が開いていった。気まずさを感じないように。
「愛、顔を見せて。」
「これでいい?」
拘束されている姉さんに見えるように、体勢を変える。
「《ウィッチ》の言う通り、何も見えていなかった。私の中のあなたは、ずっと幼いままで……止まっていた。今ここにいるあなたのことが、見えて……いなかった。私の目は……曇っていた。」
姉さんの瞳からは涙が流れ続ける。ハンカチで拭ってあげてもずっと濡れたままだ。
「聞かせて……。
私じゃ、ダメだった?
どうして家を出てまで、《ウィッチ》選んだの……?」
「……言えないよ、それは……。」
どうして七罪を選んだのか。それは姉さんを馬鹿にする言葉だ。
言えない。言ったら、姉さんを酷く傷つける。
「聞かせて……。私はもう、間違えたくない。」
その答えはシンプルだ。これ以上ないくらいに。
「……僕は、ただ、自分を受け止めてくれる人が欲しかった。
理解してくれて、ときどき甘えさせてくれて、一緒の未来を見据える。そんな相手が欲しかった。」
今はもう違う。そこから踏み出しつつある。
でも、前の僕が欲しいのはそれだけだった。それ以上に欲しいものなんて存在しなかった。
「私はあなたを受け止められなかった?受け止められると思えなかった?頼ってもらえないほどに、不甲斐なかった?」
七罪を求めた。それはつまり、姉さんが不十分だというに他ならない。だから、言いたくなかった。
「姉さんは復讐で手一杯だった。だから、自分で相手を見つけるしかないと思った。それがたまたま、精霊だった。それだけなんだよ、七罪を選んだ理由は。」
姉さんは復讐以外の全てを切り捨てた。娯楽と言えるものをほとんど遠ざけた。力や知識、技術を身に着けるため、青春を捧げた。
前世の記憶を取り戻す前は構ってもらうため、必死だった。嫌々ながら、復讐を志している振りをしていた。
前世の記憶を取り戻したその日、姉さんと一緒に何かを楽しむことは諦めた。姉さんが僕を満たしてくれることはないと。
「ごめんなさい、ごめんなさい。私はあなたのことを何も考えていなかった。近くにいたのに、何も分かっていなかった。ずっと寂しい想いをさせてきた。」
「姉さんだけじゃないよ。僕も自分勝手だった。姉さんのことを考えず、自分のことばかりだった。」
やっと互いの内心を曝け出した。開いた距離を縮め始めた。
「色々言う資格なんてない。私からあなたに何か頼むなんておこがましいと理解している。それでも、もう一度やり直す機会が欲しい。」
「……たまには家に帰るよ。それでいいかな?」
七罪と暮らす部屋を出る気はない。でも、ずっと帰っていなかった家に戻りたい。
失った時間を取り戻すため。いつかまた、姉さんと笑い合う日のために。
「いつでも帰ってきて。待ってる、ずっと待ってる。」
「……うん。」
間違えだらけの僕たちは、やっと正しい道を歩き始めた。
♦♦♦
愛が去ったあと、私は拘束を解かれた。もう必要ないと判断されたようだ。
少し、心を落ち着ける。しかし、平穏は破られる。
再び扉が開く。そこに立っていたのは意外な存在だった。
「どうして戻ってきたの、《ウィッチ》?」
わざと吐き捨てるように言う。《ウィッチ》と目が合う。
不機嫌そうな顔でこっちを見る《ウィッチ》。一体何の用だろうか?
「別に大したことを言いに来たわけじゃないわ。あと、その《ウィッチ》って呼び方止めてくれない。私にはちゃんと七罪っていう名前があるの。」
「あなたの指図を受ける謂れはない。それで……何の用なの、《ウィッチ》?」
敢えて識別名で呼び続ける。せめてもの嫌がらせ。
今更何かをしようとは思わない。こいつに手を出しても、愛を悲しませるだけ。
でも、精霊の存在を認めたわけじゃない。こいつらが世界に害をもたらす存在であることに変わりはない。
「……しおらしくしているのかと思えば、随分強気な態度じゃない?何も反省しなかったのかしら?」
青筋を立てながら声を震わせている。《ウィッチ》への反撃は成功したらしい。
「反省はした。愛にはこれから一生かけて償うつもり。
でも、あなたはそれと何の関係もない。あなたは愛の付属物。愛の気が変わったら、すぐに捨てられる哀れな存在。」
「言ってくれるじゃない。言い過ぎたと思ったのが馬鹿みたいね。」
「何も問題ない。路傍の石に何を言われても、私の心には響かない。」
そうこいつは路傍の石。その貧相な体のように、ちっぽけな存在。
「顔ぐちゃぐちゃにして泣いてた癖に、よくそんなことが言えたわね。」
「……。」
本当に口だけはよく回る。どうしてあの子はこんな性悪が好きになったのか、甚だ不思議で仕方ない。
「遠慮はいらないみたいだから、はっきり言うわよ。愛は私が貰う。これは確定事項よ。」
「お前との関係なんて、絶対に認めない。」
決意を固めて宣言する。あの子の相手が精霊なんて間違っている。
ただの気の迷い。思春期の過ち。
私が正してあげないといけない。ゆっくり時間をかけて。
「へえ?愛の方が私にベタ惚れなのに?」
《ウィッチ》は馬鹿にするような笑顔だ。忌々しい。
「あんたの許可なんて必要ないのよ。恋人を作るのに姉の許可が必要なんて、どこの法律かしら?」
しばらくにらみ合いが続く。しかし、決着はつかない。
「これは一方的な宣言。愛のために義理を通しただけ。あんたは指を咥えて見てなさい。」
「愛は絶対取り返す。お前みたいな見た目も性格も悪い奴ではなく、もっとふさわしい相手を見つける。」
何を勘違いしているのだろうかこのチビは?初めての女になったからと調子に乗って。
あの子がまだ子供だから、騙されたに決まっている。もっと世界を広げてあげたら、こんなチビはすぐに捨てるに違いない。
「やれるものならやってみなさいよ。到底無理でしょうけどね。」
「後で吠え面をかくのはあなた。覚悟しているといい。」
正義の戦いは幕を開けた。これは戦争。絶対に負けるわけにはいかない。
「ところで、鳶一折紙。あんた復讐はどうするの?」
ずけずけと人のデリケートな部分に踏み込んでくる。デリカシーのない性格をしている。
「復讐に生きるのはもう止める。近日中にASTも辞める。」
「以外ね、復讐のためだけに生きてきたんじゃないの?」
そんなことまで話しているなんて。お姉ちゃん悲しい。
この女に迂闊なことを喋らないように愛に注意しないといけない。でないと、身ぐるみ全部剥がされかねない。
「今でも、お父さんを殺した精霊は憎くて仕方がない。この手で殺してやりたいと思っている。
でも、それで残った家族を大事にしないのでは意味がない。私はあの子との関係を取り戻すことに専念する。」
「それでいいと思うわよ。『復讐をするな』なんて綺麗事を言うつもりはないけど、それで自分の身を滅ぼしているようじゃ、本末転倒だもの。」
分かったような口を利く。小学生のような見た目なのに。
「ましてや、家族を巻き込んで自滅なんて論外よ。次に同じことをしたら、容赦しないわ。」
「分かっている。」
耳に入れるのも不快だけど、こいつの言葉は的を射ている。迂闊に信じる気はないけど、参考にはなる。
「今すぐにでも愛を家に連れ帰りたい。でも、私にそんなことを言う資格はない。」
「そうね、あんたに愛の行動を制限する資格なんてない。しっかり覚えているじゃない。
鶏レベルは越えていて助かったわ。いちいち、あんたと顔合わせたて言いたくないもの。」
言葉の全てが神経を逆撫でる。喧嘩しながらでないと会話ができない。低能の証拠。
「……だから、愛の好きなようにさせる。あの子が望む限り、あなたと暮らしていることに何も言わない。」
「そうね。愛が、望んで、私と暮らしているのよ。」
前から思っていたけれど《ウィッチ》は人を馬鹿にするのを好む。
「悔しいかしら?悔しいのでしょう?でも、仕方ないのよ。愛が私を選んだのよ。姉のあんたよりも私をね。」
今のこいつを見たら、優しい士道も助走をつけて殴りに行くかもしれない。それほどに苛々する顔をしている。
「愛って私のことが、だ~い好きなのよ。私がいないと、生きていけないらしいわね。重くて困っちゃうわ。」
全く困っていない、嬉しそうな顔で何度も言ってくる。本当に憎たらしい。愛と別れたら、すぐにでも処理してやる。
「あの子を死んでも幸せにしなさい。あなたの命に代えても。」
こいつが愛を不幸にしたら許さない。命を懸けて幸せにしろ。むしろ、そのために命を捨てろ。
「……元々そのつもりよ。でも、あんたに言われると腹立つわね。」
気に入らないけど、愛のことを想っていることだけは間違いないらしい。精々あの子のために役に立って欲しい。
「心配しなくても責任もって愛は大事にするわ。私たちの幸せのために。」
「ちっ。」
こいつとは相容れない。精霊である以前に性格が終わっている。
それでも――こいつしかいない。あの子を今まで支え続けたのはこいつで間違いない。
何も聞かなくても分かってしまった。今の私はこいつに敵わない。
こいつが愛と会ってから二年も経っていない。それなのに、傍から見て分かるほど通じ合っている。
視線だけで会話して、相手の想いを汲みとる。言葉なんていらないみたいに。
まるで――熟年の夫婦のように。
そんなものはただの幻想。錯覚に過ぎない。
私と愛の方がずっと長い時間を一緒に生きてきた。
それなのに、私にはできなかった。何十年かけてもあの領域に辿り着ける気がしない。
「私あんたのこと嫌いだけど……愛のためなら、少しは我慢してあげてもいいわ。」
《ウィッチ》は何かを思いついたように呟く。言いたいことは予想できなくもない。
「愛の前では仲良くしている振りをしましょう。協力してくれるかしら、おねーちゃん?」
悪戯をするような顔で笑みを深めている。これも愛を思っての提案。
「愛の前で仲良くすることは同意する。」
私は受け入れるしかない。あの子を想っての行動なのだから。
「でも、あなたにおねーちゃんと呼ばれる筋合いはない。」
少なくとも今のこいつは愛にとって一番の存在。こいつの存在が心の大部分を占めている。
それは認めるしかない。けどそれとこれとは別の問題。
おねーちゃんは受け入れられない。愛も琴里も真那も私をそう呼んでもいい。
でも、お前は私の
「お前だけはダメだ、《ウィッチ》。」
その宣言を聞いて尚、《ウィッチ》は笑っていた。本当に憎たらしい。
すれ違っていた姉弟がようやく仲直りできました。良かったね、愛君。
さて今回の裏話。折紙の気遣いについて。
皆さん疑問に思いませんでした?何で『魔女のこと言わないの』って。折紙は愛君のことを気遣っています。愛君を庇って父親が死んだと気づかせないように。
あれだけぶち切れながらも、気配りを忘れてなかったんですよ。母親の日記も『あなたは大事にされてたんだよ』って教えたかっただけです。