まるで民家のような飲食店。メニューが出てくるまでの間、ビーチでのことを思い出していた。
ビーチで遊ぶの案外楽しかったわね。愛を興奮させる作戦とか普通に忘れて遊んじゃったわ。
うっかり砂の四糸乃像を衣装違いで三つも作ってしまったわね。
「あの像達、明日には崩れちゃうのよね?どうにか残せないかしら?」
結構熱意込めて作ったから、愛着が湧いちゃった。そんな冗談を言ってしまうくらいには。
「どうにかしようか?」
うっかり、冗談がわからない奴に聞かれちゃったわね。愛なら本当にどうにかしかねない。
「流石にいいわよ。四糸乃たちには写真で見せることにするわ」
ああいうのを作るたびに保存してたら、家がいくつあっても足りないもの。思い出の中にあるだけで十分なのよ。
「そう?じゃあ、四糸乃にはいい写真を送ろうか」
「頼むわよ。変な写真を四糸乃に見せられないもの」
愛の無駄に洗練された撮影技術が役に立ったわ。ちゃんときれいに撮れてる。
本物の万分の一も再現できていない稚拙な像。それでも、お茶請け代わりの話題ぐらいにはなれそう。
「お待たせしました。イラブー汁です」
そんな話題で時間をつぶしてたら、店員が昼ご飯を持ってきたわ。美味しそうないい香りがする。
見た目は出汁のきいたお汁だけど、明らかに普段見ないものが入ってる。鱗のついた黒い肉。
「これがウミヘビね」
ウミヘビから出汁を取った伝統料理。もとは宮廷で食べられていた、ってのが触れ込みらしいわね。
箸でつまんでよく見てみる。なんていうか、生き物って感じが強い。
「七罪はそういうの苦手?」
「別にそういうのじゃないわよ。普段見慣れないから、ちょっと見てただけ」
嘘嘘嘘。本当は口に入れたくない。
口の中で暴れだしそうだもの。なんで私、よりにもよって頭を掴んじゃったのよ。
愛の奴、普通に笑顔で食べてるし。偏見がないのはいいところなんだけど。
でも、愛が私を楽しませるために選んでくれたんだもの。露骨に嫌な顔見せられない。
私は女優、私は女優、私は女優。これくらい平気で食べてみせなさい。
なるべく動きがぎこちなくならないように意識して口に入れる。ウミヘビだろうと何だろうと、胃の中に入れてしまえば一緒よ。
なるべく早く顎を動かして食べる。早く私の分の料理を机から消すために。
嚙んでも嚙んでも噛み切れない。革靴でも食べてるみたい。
なんで最後の抵抗なんかしてるのよ。大人しく食べられなさい。
表面の皮を選り分けたら噛み切れるようになった。中は案外柔らかいわね。
何とか噛み切って飲み込む。口から出た本音は……。
「美味しい……」
高級和食みたいにメチャクチャ美味しいってわけじゃない。でも、食べてて飽きない落ち着く味。
噛んでるとカツオに少し野性味を足したような味が口に広がる。飲み込んだころには普通に抵抗がなくなってた。
「うん、美味しいね。これが薬効ばっちりだっていうんだから、すごいよ」
愛も食べながら感想を話す。さらっと気になるワードが出てきたわね。
「薬効?」
「うん、そうだよ。ウミヘビは元々長生きするために食べられてたんだって。薬をこんなに美味しくできるなんてね~」
愛は『興味深い』って言いたげに料理を見てる。相変わらずね。
でも私は別のことが気になった。
「それって、滋養強壮とかもあるの?」
「そこまで詳しくないけど、たぶんあると思うよ。昔の料理の薬効ってだいたいそういうのだから」
「ふ~ん」
折紙が好きそうな効果もありそうね。今日は都合がいいわ。
♦♦♦
正直、私は大自然の神秘とかあんまり興味ない。そんなものより漫画呼んでた方が面白くない?って思っちゃう人種。
つまらない人って後ろ指刺されるかもしれないけど、間違ったこと言ってると思えない。だって、そういうの見たいなら写真でいいじゃない。
なのに時間とお金かけてわざわざ面倒な準備していくなんて。私一人なら永久に来なかったと思う。
この場所も雰囲気を作るための舞台装置。……心のどこかで、そう思ってた。
ちょっと舐めてたわね。わざわざ見るに来る人がいる理由もわかる。
人の手がほとんど入っていない天然の鍾乳洞。天井から生える数えきれない鍾乳石。
控えめなライトアップが薄ぼんやりと形をはっきりさせる。少しでこぼことしたとがった柱。
白っぽいそれは夜空の星のように静かに輝いてる。少し、圧倒されるたわ。
「それじゃあ、ここからはカヌーに乗ろうか」
道の先は底の浅い水路になってる。歩いて先には行けなさそうね。
愛が小さな受付の方を指さす。隣の船着き場には、二、三人乗れそうなカヌーが何艇か停まってる。
お金を払って二人で乗り込む。愛がオールを漕いで進み始める。
静かな水面が鏡みたいに天井の鍾乳石を反射してる。結構くっきり映し出してて、三百六十度すべて囲まれてるみたい。
天宮市では絶対に見られない景色。思わず息をするのも忘れて見入っちゃった。
「楽しんでくれてるみたいだね」
「はうっ!」
突然話しかけられてびくっとなる。愛のこと忘れて景色ばっかり見てた。
何、目的忘れて景色に集中してるのよ。一番大事なのは愛との関係を進めることでしょ。
……でも、今日しか見られないわけだし、もったいない気もするのよね。
ちらりと愛の方を見ると、楽しそうに私を見てる。あれは私の反応を見て楽しんでる顔ね。
「あんたも楽しんでるじゃない。私の方を見て」
こいつは私の反応ばっか見てる可能性すらある。だって愛だし。
「……七罪ばっかり見てたわけじゃないよ。鍾乳石の炭酸カルシウム以外の成分を予想するのも楽しいね。」
「誤魔化してない?急に科学の話されても困るんだけど」
変な楽しみ方をしてる愛をじとーっと見つめる。嘘じゃないけど、本音でもないわね。
いくら愛でも、急にここまで変な話題は出さないでしょ。さっさと白状しなさい。
「……もうちょっと景色を楽しもうか」
やっと本当のことを吐いたわ。やっぱり、私ばっか見てたのね。
まあ別にいいけど。それが目的だったし。
♦♦♦
しばらく進むと船着き場があって、案内板が立ってる。ここで降りて歩いて進めってことね。
カヌーを停めて降りる。
結構濡れてるわね。ちょっと苔むしてるし、下手すると転びそう。
「大丈夫?手つなぐ?」
愛が手を差し出してくる。この状況で手をつないでも転ぶ確率が倍になるだけじゃない。
「そうしましょうか」
そんな言葉を抑え込んで手を出す。無粋なこと言わずに状況を楽しんだらいいのよ。
何故か愛は滑りやすそうな場所なのに全く滑らない。私はアホみたいに滑ってるんだけど、愛はそれを支える余裕すらある。
何、こいつの足裏に粘着テープでも貼ってんの?バランス感覚どうなってんのよ?
「わぎゃぁ!」
そんなふざけたことを考えていたら、派手に滑った。身体が後ろに向けて投げ出される。
普段の運動不足がたたって、受け身もまともにとれない。思わず目をつぶる。
でも、想像した衝撃はなかった。
「大丈夫、七罪?」
その前に、愛に支えられて無事に済んだ。器用に手を握ってたのと逆の手で体重を支えてる。
「ありが、と……」
愛の左手は私の右手を持って、愛の右手は私の腰のあたりに回してる。必然的に至近距離で向かい合う形になるわけで……。
愛の顔が目と鼻の先にある。今にもキスできそうな距離に。
多分、愛はそんなこと気づいてもいない。真剣に私の体に傷がないか確認してる。
でも、私はドキドキしてる。このまま、キスした方がいいの?
いや、本番は夜なのに今は早すぎるでしょ。でも、別に初めてってわけでもないからもっとフランクに考えても……。
「特にケガも汚れもなさそうだし、先へ行こうか」
そんなこと考えてるうちに、愛の顔が離れていった。ホッとするような、残念なような複雑な気持ち。
……これでよかったのよ。こんな時間から発情してたら、夜までもたないわ。
今は普通のデートを純粋に楽しむだけ。ええ、それでいいのよ。
♦♦♦
奥に向かう道の途中で気づいた。
「潮の香り?」
未だ鼻の中に少し残ってるのと同じ香りがした。
というか風?ここ洞窟の中なのに?
「そろそろ本番だね」
何か知ってそうな愛が意味ありげに笑う。少し期待しながら足を進める。
「うわ~」
道中も確かにきれいだった。天井全体を覆う氷柱のような鍾乳石と青くきらめく水路が、幻想的な景色を生み出していた。
ライトアップされた鍾乳石はまるで夜空に輝く星みたい。あれはあれでよかった。
奥では一気に雰囲気が変わる。洞窟の後ろで海が広がってた。
海への道が開けている。岩場が多くてこっちからは入れなさそうだけど、景色はよく見える。
そして、光が差し込んで鍾乳石も印象がガラッと変わった。太陽の光を反射して、ダイヤモンドみたいにきらめいてる。
「きれいね~」
また感情がこぼれ出る。きれいな風景は夢の中のよう。
「この風景は、下手に人の手を加えてないから残ってるんだって。鍾乳洞ってもともと丈夫じゃないから、こんな開けた場所の鍾乳石が残ってるなんて奇跡なんだよ」
「へ~、よく観光資源にせず我慢したわね」
愛の説明を聞いて、納得する。確かにこの島、観光客を呼び込もうとしてない。
来る人は拒まない、隠れた名所って感じ。自然を大事にしてるのが伝わってくる。
「こういうの好きなんだよね。人が手を加えてない、自然の強さを感じられるものが」
「へ~、意外ね。機械いじり好きだし、人工物の方が好きなイメージなんだけど」
愛は
天然よりも人工の方が好きとか言いそうな気がしてた。
「所詮、人が作るものは再現性を高めるためのコピーなんだよ。
それ自体、悪いと思ったことはないし、目的を考えたらむしろ適してる。でも、本物には敵わない」
愛は潮風を浴びながら、海の方を見て話す。その言葉は微妙に私の方に向けて話してない。
まるで自分に言い聞かせてるみたい。
「自然が生んだ本物は強い。磨かれた輝きがある」
風景を見て微笑んだ顔はどこか遠くを見ている。
本物と贋物ね。……自分が贋物だとでも言いたいのかしら?
「相変わらず、わけわかんないこと言うわね」
「あはは」
愛は苦笑いする。自分でも、変な哲学持ってるのは自覚してるのよね。
でも、口で言うほど感じ取ったものは少なくなかったわ。私も贋物を作るのが得意な精霊だもの。
♦♦♦
今日は旅行の中でも唯一、島に朝から晩までいる。時間があるけど、その分予定を詰めすぎると大変。
ただでさえひ弱な私が一日ずっと遊べる体力なんてない。何が言いたいかっていうと。
「あ~い~、疲れた~。休めるところない?」
可及的速やかに休憩が欲しい。身体全部投げ出してスライムみたいに溶けたい。
「もうちょっと待ってね。休めるところに着くから」
愛はそう言ってるけど、ゴールは見えない。緩やかな石畳の道が続いてる。
「もー、無理」
そう言って全体重を愛に預ける。シンプルに体力の限界。
昨日と違って全部歩きだったし。引きこもりを一日中歩かせるのが無理なのよ。
まあ、霊力を使えばどうにでもなるんだけどね。……今はそうしたくない気分。
「仕方ない。負ぶっていくよ」
愛が腰を下ろして背中を向ける。そこに乗れって手招きしてる。
それを見て心の中で悪い笑みを浮かべる。こういうのを狙ってたのよ。
お姫様抱っこの方が……。ちょっとアレナな考えもしたけど、そんな贅沢口が裂けても言えない。
こんな骨と皮ばっかの身体でもそれは厳しいでしょ。愛も中学生だし。
差し出された背中にゆっくり乗る。腰を上げても不安定になる様子はないわね。
これなら少し歩くくらい大丈夫そう。余計な負担をかけないように引っつく。
「それじゃあ、行こうか」
「うん、よろしく」
この体勢でよかったかもしれないわね。顔を見られなくて済むから。
こんな緩み切った顔、見せられたもんじゃないわ。
♦♦♦
夕日が半分以上隠れたころ、小さな屋根が見えてきた。十人も入れなさそうな空間には、ひのきの暖かそうな空間が広がっている。
足元に張られた深さ二十センチくらいのお湯。立ち上るかすかな湯気は、お湯の程よい温度を教えてくれる。
「足湯だったのね。休憩するところって」
「休憩挟まないといけないだろうな~、って思ってはいたんだけどね。なかなかいい感じの場所が見つからなくて、少し歩く羽目になったんだけど」
愛は申し訳なさそうな態度を取る。本当、高望みというか妥協を知らないというか。
「別にいいわよ、ここまで負ぶってくれたし」
「そう言ってくれると助かるよ」
別に自分を下げなくてもいいと思うけどね。ミスと言えるようなミスでもないし。
どっちかというと、体力切れの振りをしてる私の方が悪いわよね。ちゃんと歩くべきだったかしら?
頭の中の葛藤を顔に出さないように気をつけつつ、足湯に向かう。靴と靴下を脱いで、汚れを流してからお湯につける。
足先から太ももの方へ暖かさが昇ってくる感じ。普段のお風呂とは違うよさがあるわね。
「たまにはこういうのもいいわ~」
足の感触を楽しみながら、正面の太陽を見つめる。もう、オレンジ色に輝き始めてる。
「こういうの好きでしょ。天宮市でも探そうか?」
許可を取るでもなく、こぶし一個すら開けないすぐ隣に座る。これが愛と私の当たり前の距離。
好き好き言ってたくせに微妙に距離撮ってたあのときから、ここまで距離を詰めさせた。十分次に進んでいい段階まで来てる。
「いいわね。家から徒歩十分以内で探しておいて」
「それは無理」
冗談を言いながら、笑い合う。
「は~、丁度いいクッションがあって助かるわ~」
「はいはい、僕は七罪のクッションだよ。いつでも寄りかかっていいからね」
横の愛に肩を寄り添わせて身体を預ける。愛も自然にそれを受け入れてる。
甘えてる――だけじゃないのよ。
自然な体勢で相手の脈を測る方法は身に着けてる。誰かさんの姉を参考にしてね。
顔だけ誤魔化しても無駄よ。少し早くなった鼓動があんたの本心を教えてくれるんだもの。
♦♦♦
少し早い晩御飯を終わらせて帰路に着く。仮宿のヴィラが私たちの帰りを待っている。
「今日は疲れたわ。シャワー浴びてさっさと寝させてもらうわよ」
「おっけ~」
思いっきり噓を吐く。まったくそんなつもりはない。
でも、この方が都合いい。こう言っておけば、愛も早めにベッドへ向かうでしょ。
お風呂場の鏡の前で念入りに身体を洗う。こんな身体をきれいにしても焼け石に水かもしれないけど、少しでもマシにしないと。
内心で垢だらけとか思われたら絶対トラウマになる。いや、そもそも成功するかわかんないんだけど。
鏡とにらめっこしながら三十分は格闘してた。
カバンの底を二重にして隠しておいた
丈が超ミニなのに深~いスリットが入ってる。歩いたら見えちゃいそう。
裸よりもこれ着るほうが恥ずかしい気がするのはどうしてかしら?
背中なんてリボンが結んであるだけでほぼないし。こんな紐に防御力なんて一ミリもないでしょ。
『狼さんどうぞ私を食べてください』って言ってるみたい。いや、私みたいなのを食べたい男なんて、どこぞの
覚悟を決めて着ていたパジャマを脱ぎ捨てる。言い訳なんて考えちゃダメよ。
逃げたら幸せはどんどん遠のく。今まで身をもって体験してきたでしょ。
あいつに寄り添うって決めた時点で私から動くしかないのよ。愛は自分からは一線超えないんだから。
全部脱いで死ぬほど恥ずかしい衣装を身に着けた。後は
愛の部屋の扉が魔王城の扉みたいに見える。最近はちょくちょくノックすら省いてたのに。
加速し続ける心臓の音を自覚しながら扉をたたく。返事が返ってくるのとほぼ同時に扉を開けた。
♦♦♦
愛はベッドに座ってスマホを見てた。多分、明日のことでも確認してたんでしょ。
「えっと、どうしたの七罪?」
でも、私の姿を見て瞳が揺れた。冷静を装っているけど、私からしたら内心が透けて見える。
「一緒に、寝ない?」
ちょっと動く度にひらひら舞う裾を握りながら絞りだす。かわいく誘う言葉も欲望を煽るような言葉も出てこない。
顔もぶすっとしてると思う。なんで私、こんなことしか言えないのよ。
愛はスマホをベッドの脇に置いた。そして、私の姿をじっと見つめる。
その視線を感じて身体を隠そうと手が無意識に動く。それを意思の力で無理矢理押さえつける。
興奮――しているようには見えない。何かを悩んでいるような顔。
「……本気?」
じっくり考えて、その言葉を放った。私を気遣っただろう言葉に、怒りがこみ上げた。
この期に及んで自分の感情に蓋をする愛。そんな間違え過ぎな気遣い、いらないのよ。
「私の格好見てわからない?あんたの目は節穴?頭いいんだから、それくらい察しなさいよ!」
愛との距離を詰めて胸ぐらを掴む。それでもなお、愛は冷静だった。
「誰にそそのかされたの?姉さん?令音さん?カレンさんって線もあるかな?」
私の背後にいる人間を予想する。
雰囲気に流されてるって言いたいみたいね。舐めないでよ。
「これはカレンからの贈り物よ。でも、着たのは私の意思。それがわからないほど鈍くないでしょ!」
「…………」
愛は分が悪いのを察して黙り込む。私が自分で着る以外にないって、考えなくてもわかるじゃない。
ここには私たち以外誰もいない。こんな恥ずかしい衣装を愛の前に出てきたのよ。
愛が好きだから。もっと愛してほしいから。
胸ぐらを離したら、愛は再びベッドに座り込んだ。目を閉じて何か考え込んでる。
ここで追い打ちをかける。絶対に逃がさない。
「私のこと、この世で一番好きなのよね?」
「そうだよ」
迷いなく答える愛。瞳からは強い意志を感じる。
「胸なしのチビガリだけど、こんな私が好きなのよね?」
「自分に魅力があると自覚してほしいな。そういう七罪が大好きだよ」
愛は不満そうに否定する。ずいぶんマニアックだけど、この身体が愛に一番効く釣り餌なのよね。
「それだけ言うなら、その気持ちを行動で見せて。愛されてるって実感させて」
近かった距離をさらに詰める。愛のベッドに踏み込んでいく。
愛が後退しようとしたから、膝の上に軽く手を置く。それだけで金縛りにあったように動かなくなる。
辛うじて触れない近さで顔を向き合わせる。戸惑ってる愛の顔がよく見える。
「僕は七罪を……」
「傷つけたくないとか、舐めたことは言わないで。この場でそれは最大限の侮辱よ」
「…………」
愛の言葉を予想して封じこめる。やっぱりそういうこと言おうとしてたのね。
こっちは痛いのも怖いのも覚悟して誘ってるのよ。中途半端な優しさはいらない。
「抱くか抱かないか。返事はどちらか一つよ。それ以外の言葉はいらない」
敢えて厳しい選択を強制する。自分でもどうかと思うけど、こいつはそうしないと逃げ道を探すから。
「さあ、答えて。別に拒否してもあんたの前からいなくなったりしないから」
一応の保険をかける。これで愛は逃げる大義名分を失った。
さあ来なさい。目の前の据え膳をそのまま食べなさい。
「……は~、そろそろ動くかなって思ってはいたんだよね。むしろ、ちょっと遅かったくらいか」
愛は証拠を突き付けられた犯人みたいに語りだす。その顔には疲れと諦めが強く滲んでる。
ここ最近、ずっとはぐらかされ続けてきた。だから、今日は徹底的にやったわ。
「それで、どうなのよ?」
ゆっくり語ろうとする愛を急かす。こっちはそんな浸りを聞きに来たんじゃないのよ。
「……あんま言いたくないから避けてたんだよね。七罪、僕たち大事な前提を満たしてないんだ」
「前提?」
訳が分からないことを言い始める。でも、煙に巻こうとしてるのともなんか違いそう。
「この身体、精通がきてないんだよね」
「え?」
突然の事実に頭が回らなくなる。どういうこと?
「えっと、つまり
「なんで?」
「なんでも何も、僕中学生だよ。ちょっと遅いけど、許容範囲だよ」
愛は当然の摂理でも話すかのように続ける。そこまで聞いてようやく頭が回りだす。
「ど、どうして、そういう知識にく、詳しい……のよ?」
信じたくなくて否定の材料を探す。でも、希望はあっさり砕かれる。
「前世の知識。あと、精霊攻略の必要知識だと思って一通り勉強した」
アホみたいな答えが返ってくる。性に目覚めてもいない子供が性知識を勉強?
どう考えても頭おかしい。でも、『こいつならやりそう』って自分で思っちゃってる。
「どうして言わなかったのよ。言っててくれたら私だって……」
「ちょっと恥ずかしいじゃん。彼女とはいえ、あんまり露骨な話をするのは」
愛は困った顔をしてる。実は羞恥心があるのよね、こいつ。
それに冷静に考えたら納得できるところが多い。そういえば、一度も慰めるような声を聞いたことがないじゃない。
性欲がないんじゃなくて、目覚めてすらいなかったってこと?私そんな相手に発情してたの?
うわ、死にたくなってきた。追い詰めたって思ってた少し前の自分を海の底に沈めたい。
「というわけで、すぐに手を出せないんだよね。折角覚悟してくれたのに、ごめん、七罪」
本当に申し訳なさそうに謝る愛。それであんなによそよそしかったのね。
「……いいのよ。勝手に盛り上がって勝手に自滅しただけだから」
ベッドにの字を書いて行き場のない感情を持て余す。流石にそんな答えが返ってくるとは思わなかった。
はあ、馬鹿みたい。さっさと着替えて寝ましょう。
ベッドから立って出口に向かう。一気に旅行の疲れが出て倒れそうになる。
早く寝たい。消え去りたい。
そのとき、後ろから手を握られた。
「何よ、愛?これ以上、ここにいてもみじめじゃない。さっさと退散させてよ」
不満全開で愛を見つめる。さっさと布団にもぐって反省会しながら寝たい。
「いや、そんな不完全燃焼は嫌だろうって思ってね」
「え?」
アホ面さらす私。その顔を見て、愛はこれ以上ない笑顔になる。
「僕は嬉しいんだ。七罪がその格好で来てくれたこと。それだけ僕のこと愛してくれていること」
愛はそう言いながら私をベッドに引き寄せる。よくわからない合気みたいな方法でベッドに座らされた。
少し呆けている間に愛はてきぱきと準備を終わらせる。ベッドを軽く片付けて、明日の準備を最低限終わらせて、部屋を薄暗くして。
「最後まではできない。でも、それ以外全部やるよ。それで我慢してね、七罪」
「っ!」
そう言った愛の目は暗い中でもわかるほど貪欲だった。その瞳に吞み込まれそう。
こんなに強く欲望に染まった顔は見たことない。今までずっとこの感情を隠してたの⁉
「楽しもう、七罪。明日の朝は遅くても大丈夫だから」
ベッドに押し倒されて覆いかぶさられる。いつもよりも長くてじっくりとしたキスから夜は始まった。
いくつかよくわかったことがある。
愛は間違いなくあの
愛の器用さはベッドの上でも発揮されるってこと。そして、とにかくねちっこいってこと。
というわけで二人の関係が進展するお話でした。考えてるんだこの主人公?ってなりますね。
さて今回の裏話は愛君の性知識について。
愛君はそういうビデオを一切興奮せずに参考書扱いして見る子です。観察力が高く、手先が器用なので、ぶっつけ本番で実践もできてしまいます。何この子、怖い。