オーバーロード17 支配の共鳴[上]異種族の恒久的平和の為の世界平定と忘れ去られた38人目の忘れ形見(最新16巻直後からルート分岐) 作:ぽきぷし
エルフ王都外周の森林深くの前線に設営された拠点
【side:②エルフ王都周辺大森林内・スレイン法国軍前方拠点】
かつてエルフの殲滅を誓い、意気揚々と森の深部へ歩みを進めたスレイン法国軍の熱気は、今や湿った腐葉土のような澱んだ空気へと変貌していた。
急造された野戦拠点の天幕の中、侵攻軍の最高指揮官である軍元帥は、届けられた本国からの訓令を前に、苦虫を噛み潰したような表情で沈黙していた。
「……現状維持、だと? この状況でか」
参謀の一人が、堪えきれないといった様子で声を荒らげる。
拠点の外では、原因不明の「緑静の波動」に当てられ、戦う意志を失った兵士たちが泥を啜るような生活を強いられている。進軍は不可能。かといって撤退も許されない。
「元帥、本国は何を考えているのです! 『番外席次の安否を確認し、彼女の帰還を最優先せよ』――届く命令はそればかりだ。対エルフ王国軍の兵士全員の命よりも、たった一人の少女の行方の方が重いと言うのか!」
「……それがスレイン法国、それが戦争、だ参謀。一人の神人が、一万の凡夫より価値がある。それは我々も理解していたはずの理だろう。」
元帥の言葉は重く、そして冷ややかだった。
法国の国是は人間種の存続である。そのために、圧倒的な力を有する「神人」こそが守護の要であり、兵士たちはそのための消耗品に過ぎない。理屈では分かっている。だが、実際に目の前で同胞たちが倒れ、指揮系統が麻痺している現場の将兵にとって、その価値観は残酷な「絶望」でしかなかった。
「番外席次が、あの化け物のような姫様が敗れたのだとしたら、我々に何ができるというのです! 先行した精鋭の回収にも捜索隊を出せば出すほど、森の罠に嵌まり、あるいは謎の衰弱に襲われて戻ってこない。エルフ王都は目と鼻の先だというのに、透明な壁に阻まれているようだ」
「回収した精鋭の治療の人員も滞り始めています。兵たちの間では『始祖エルフの呪いだ』『森の神に見放された』という噂が広がっている。士気は最低です。このままでは、敵に襲われる前に軍が自壊しますぞ」
参謀たちの訴えに、元帥は地図を見つめたまま答えを出せずにいた。
エルフ王都は沈黙している。デケム王の傲慢で無駄としか思えなかった、準英雄級の戦力の単独投入といった戦略は感じられない。代わりに、そこには「何か」がいる。番外席次を飲み込み、法国軍の足を止めた、人知を超えた「何か」が。
「次なる侵略の手段……? フン、笑わせるな。我々は今、獲物を狙う猟犬ではない。底なし沼に足を取られ、主(本国)に見捨てられかけている溺死体だ」
元帥の自嘲気味な言葉に、天幕内は凍りついたような静寂に包まれた。
彼らは知らない。自分たちが「現状維持」を命じられている真の理由が、本国の混乱による思考停止と、魔導国が仕掛けた「情報の空白」によるものであることを。
そして、その沈黙を破るように、拠点の外から兵士たちの悲鳴に近い怒号が聞こえ始める。
「またか……また、捜索隊が戻らなかったのか」
誰もがエルフ王都の方向を睨みつけるが、そこにはただ、青白く光る大森林の不気味な静寂が広がっているだけだった。
法国軍の「誇り」は、この深い森の闇に、音もなく溶けて消えようとしていた。
そして数時間後・・・
幾度目かの本国からの伝令を見送った後、スレイン法国侵攻軍の最高責任者である軍元帥は、重厚な鎧に身を包んだまま、地図が広げられた長机を拳で叩いた。
彼の纏う装備は、法国の歴史を象徴する国宝級の品々であり、本来ならばそれだけで全軍の士気を鼓舞する象徴となるはずだった。しかし、今の彼から放たれるのは、隠しようのない苛立ちと疲弊であった。
(本国は何を考えておいでか! 撤退も、増援も、新たな策も無し。ただ『戦線を森林内拠点に下げて維持し、先遣隊の回収及び番外席次の安否の確認を第一とせよ』だと?『次なる進行に向けて漆黒聖典の増援を準備するか検討中、態勢を立て直し番外席次との合流を第一とせよ』だと?)
元帥の傍らに立つ参謀たちは、誰もが視線を落とした。
彼らもまた、届く伝令の度に落胆を繰り返してきた者たちだ。
タレント持ちの特別伝令官のメッセージのやり取りで確認しても、現状を何度説明しても、言い回しが多少変わるのみで実質的に絶望的な戦場の側で待機せよ以上の指示が降りてこない。
「元帥、兵たちの不満は限界です。食糧の補給は滞り、森のあちこちで兵士が『目に見えぬ恐怖』に怯えております。エルフ王都は目前だというのに、そこへ向かう道すら確保できない。番外席次殿の特別捜索隊も、既に三隊が未帰還です……蒼いオーラの引いているエリアを迅速に捜索して回った回収隊が30名の先行部隊を回収しましたが、捜索隊の被害は100名を超え、その内半数以上は現地で衰弱、未帰還者52名、帰還して治療が必要な者は回収された先行部隊と合わせて39名、早期回収に成功した初期被害兵と合わせて124名、未だに誰も快方に向かいません。王都周辺の生死不明の被害兵は約300名、未だに連絡がつきません。未だに自力帰還者は番外席次様を含め0です!元帥!この蒼いオーラは外周部は薄くなっていますが徐々に拡大していっています。いずれ我々の拠点にも影響が及ぶやもしれません!」
「……わかっている! しかし、最高執行機関である六大神官長たちの決定は絶対だ。彼らにとって、我ら一万の軍勢よりも漆黒聖典、とりわけあの『神人』の子孫こそがスレイン法国にとって必要だということなのだ。」
元帥の言葉には、自嘲の色が混じっていた。
理解はできる。スレイン法国という国において、圧倒的な武力を持つ「神人」こそが人類存続の希望であり、最強の切り札である。彼女がいなければ、近く遭遇するであろう真なる強者の国、アインズ・ウール・ゴウン魔導国に対抗できない。
だが、実際に現場で泥を啜り、いつ終わるとも知れぬエルフの謎の能力に怯える兵たちに、「自分たちの命は、全て合わせても彼女の爪の先ほども価値がない」と説明して納得させられるはずがなかった。
「士気の高め方だと? そんなもの、私にも分からん! 目の前でエルフの王都が沈黙し、番外席次という最強の盾を失った今、我らはただ、暗闇の中で主人の命令を待つだけの猟犬ですらない、捨て駒だ」
元帥は天幕の隙間から、不気味に静まり返った大森林を睨みつけた。
いずれ衰弱していない森林内の全兵力が拠点周辺に帰還するだろう。そして回収に成功した39名の戦友の衰弱した姿を見たものから恐怖が広まるのだ。決して死にはしない、衰弱してかろうじて飲食が可能な肉の塊がこの地に量産されていく未来を幻視して蒼い粒子に触れずとも多くの兵士が心を壊すだろう。打開する術を持たず撤退も後退も選べない司令官たちは士気を上げるのではなく暴動や逃亡兵の心配をしなくてはならなくなる。いくら人間の美徳を国教として教え込まれた法国の兵士であろうとも眼前の衰弱した昨日まで共に戦った友の看病を続けながら自分もそうなる恐怖に耐え続け食い扶持を減らされ続ければ悟る。従軍を続けた者の行き着く先は衰弱と飢えの末の死しかない事を。そして選択を迫られる、待ち受ける死をただ受け入れるのか、指揮官に抗い隊規違反を犯しての逃亡かを。現状、命懸けの職務放棄にしか活路はないのだ。エルフ王都に近づけない我々には、降伏の手段すらないのだから。
エルフ王都への接近どころか、今日一日の生存すら危うい。そして祖国は撤退を許さず敵は接触すら許さない。
本国への不信感と、エルフ王都から漂う正体不明の「沈黙」の気配。
かつての勝利への確信は、深い霧の中に消え去り、そこにはただ、音もなく崩壊へと向かう巨大な軍隊の死に体だけが残されていた。
誤字報告採用しました。
軍の総数の誤解を招く表記、日本語的におかしい箇所改稿しました。