オーバーロード17 支配の共鳴[上]異種族の恒久的平和の為の世界平定と忘れ去られた38人目の忘れ形見(最新16巻直後からルート分岐) 作:ぽきぷし
side: レエブン侯爵
魔導国から派遣された視察団が我が領に到着してわずかな会話を交わしたのみにもかかわらず、執務室に漂う空気は数年分もの政争を凝縮したかのような重圧に満ちていた。ラナー様は到着早々、休む間もなく「祈りの時間」として一室を借り受け、ナザリックの守護者であるユリ様と文官バランス様がその扉を固く守っていた。
退室してきたラナー様の顔に浮かんでいたのは、かつての王都でも見たことのない、狂おしいほどの悦びに満ちた微笑だった。一泊の用意すら解かぬまま、彼女は次の目的地への出発を急いでいる。
「お待たせしましたわ、レエブン侯。……ええ、とても『有意義』な雑談でした」
彼女の手には、王国の工芸品とは明らかに一線を画す、禍々しくも美しい意匠の通信アイテムが握られていた。
「ラナー様、その……『耳』からの報告ですか?」
バランス様が問いかける。彼はラナー様がスレイン法国の内部に間諜を飼っていることは知っているようだが、その詳細までは把握していないらしい。
「ええ。スレイン法国の意思決定機関、最高評議会の側に仕えるあの子は、本当に便利ですわ。今、法国は大変なようですね。彼らが長年執着し、泥沼の戦争を続けていたエルフの森。そこを攻めていたはずの軍勢が、正体不明の強者たちによって文字通り『掃除』されてしまったのですから」
ラナー様は、まるで子供が宝物の話を披露するように続けた。
「エルフの王は廃され、法国軍の精鋭は沈黙した。最高評議会は、これが魔導国による介入であることすら確信できずにいます。番外席次の捜索どころか、自分たちの喉元に誰の剣が突きつけられているのかも分からず、暗闇で怯え、泡を吹いて右往左往している……。ふふ、滑稽だと思いませんか?」
彼女は、エルフの森に向かったナザリックの者かアイテムによって広域防護、エルフの森の守護が成されたことを、断片的な情報から正確に推察していた。事前にどこまで知らされていたのか不明だが魔導王陛下の進める策略を理解して成果も予期していたのだろう。
「……陛下たちの作戦は、完璧に成功しているようですね。法国の包囲網は、今この瞬間も、彼らが気づかぬうちに敷かれています。……レエブン侯、貴方も覚悟しておきなさい。魔導国が法国と対峙するその時、この旧王国の地も、彼らを追い詰めるための『巨大な檻』の壁となるのですから」
私の背筋に、冬の突風のような寒気が走った。
魔導国の狙いは、単なるエルフの救済ではない。大陸最大の人間国家であるスレイン法国を、盤面ごと窒息させるための布石なのだ。
「ラナー様。失礼ながら、その『耳』……情報源の詳細は、我らも共有しておくべきでは?」
バランス様が、その危うさを懸念するような声音で尋ねる。しかしラナー様は、鈴を転がすような笑い声ではぐらかした。
「あら、それはダメ。女の子の同士の秘密ですもの。……それに、これらはすべて王女の頃、最初に接触してきたデミウルゴス様を通して陛下から融通していただいたもの。陛下は、私がどのような『趣味』で情報を集めているか、大体はご存知のはずですわ」
デミウルゴス。私が初めて耳にするその名が出た瞬間、ユリ様の表情がわずかに動いた気がした。
ラナー様が人間であった頃から、魔導国の対外活動での高い裁量権を持つ者と繋がっていたという事実。そしてその繋がりを、アインズ様が黙認しているという現実。もはや、この女に「人間」の物差しを当てはめること自体が間違いだったのだ。この場の誰よりも魔導王陛下の描く絵図を正確に理解している。理解の遅い凡百に囲まれていた王女の頃より人外の怪物に囲まれる現在の方が本領が発揮できるのであろう。
「さて、レエブン侯。現在進行中の作戦に関する事を耳に入れさせたのは魔導国が軍事力以外でも国民を護りうる存在である事の提示する為です。貴方達も魔導王の下知に従い一丸となって王国を陥れようとしていたスレイン法国に対して行動していただきたいのです。この地を含めて、半日足らずで6つの『生かされた貴族』が治める領地での芸術復興の布告を済ませました。……さらにペースを上げますので失礼しますね。デスキャバリエの走行速度を最大限に活用すれば、今日中にさらに数箇所の飛地を回れるはずです」
ラナー様は立ち上がり、淀みない動作で身支度を整えた。一泊の休息すら、彼女の思考の速度には必要ないらしい。
「王国の各地で『英雄譚』の劇が始まれば、民の視線は自然と法国への憎悪と、陛下への称賛に塗り替えられます。……行きましょう。このペースで、王国全土に存在する領地をできる限り回り切りますわ。」
バランス様、ユリ様を従え、ラナー様は夜の闇へと消えていった。
到着から2時間。後に残された私は、冷めた紅茶を見つめながら、魔導王という神が描く巨大な歴史の歯車としての役目を果たす重責に、ただ震えることしかできなかった。
side:ユリ・アルファ
デスキャバリエの車内。ここまでは旧王国民が見たら途轍もない速度で走行する魔物の引く馬車であったが、ここからは、車両ごと防壁のオーラで空気抵抗を防ぎながら目にも留まらない速さで走行する謎の物体といったところだろう。車内は揺れもなく快適な状態が保たれている。もっとも、旧王国の9割の国民を殺害した先の制裁の結果、街道を行き来する者は皆無の為、接触事故の心配が無いからこそ可能な移動方法だ。
デスキャバリエが引く馬車の車内は、外の猛烈な速度が嘘のように静まり返っている。
車両全体を包む防壁のオーラが空気抵抗を無効化し、旧王国の荒れた街道を滑るように進む。だが、私の心境はその快適さとは裏腹に、かつてない波立ちを感じていた。
向かいに座るラナー様は、膝の上に置いた通信アイテムを愛おしそうに撫でている。
先ほど、彼女が口にした「デミウルゴス様」という名。今やデミウルゴスの起こした聖王国での作戦の結果、プレイアデスの半数は聖王国では悪魔族の投降メイドとなっている。今後、ナザリックに仕える自分達が現地の悪魔として振る舞う必要が出るのか?妹達の長年の忠勤を対外的にとはいえ否定されるのはメイドの誇りに反するが当の妹達は気にするようなタイプではない事も理解している。これまでナザリック外での作戦行動に従事していなかった自分は、この世界の事象をナザリックの者の報告からの伝聞でしか知らない。ナザリックの守護者である彼が、この人間……今は悪魔へと至った女と、ナザリックが表舞台に出る前から通じていたという事実。それは、私の中に言い知れぬ寒気を呼び起こした。
(……恐ろしいお方です。外見こそお美しく、今は同胞の末席に名を連ねておられますが)
彼女が「耳」と呼んだ情報源……スレイン法国の最高評議会という、この世界の人間種にとっての最高意志決定機関の懐深くに、彼女は自らの神経を這わせていたのだ。ナザリックが力で蹂躙するよりもずっと早く、彼女は毒を回していた。
さらに気になるのは、隣で無機質な筆致で書類を整理しているバランス様だ。
彼はナザリックの文官として派遣されているが、その出自や能力の全容を私は知らない。ただ、ラナー様の異常なまでの知略の飛躍に、彼は手腕を称賛しながら師事するかの様な姿勢で交わされる問答には、凡百のこの身には踏み込めない「計算の共有」があるように見えた。
(『少年への執着の為に国を売り渡した王女』と『己の理想の為に数多のコミュニティを破滅させ来た魔物』ですか…)
「ユリ様、何か気になることでも?」
ふいに、ラナー様がバランス様から視線を移して問いかけてきた。その瞳には、慈愛と、その奥に潜む底知れない虚無が混ざり合っている。
「いえ……失礼いたしました。旧王国の民が、我々の広める『物語』をどのように受け止めるか、その後の統治への影響を考えておりました。九百万の同胞を失った彼らが、そう容易く我らを受け入れ、法国を恨むようになるものかと」
私の問いに、ラナー様はくすりと、毒を含んだ蜜のような笑みを漏らした。
「ふふ、ユリ様は真面目すぎますわ。人間という生き物の『愚かさ』と『強かさ』を、少し過大評価していらっしゃる。……いいですか? この国の交通網は未発達で、隣の領地がどうなったかさえ、平民にとっては伝聞の域を出ません。生き残った領地の民の多くは、自分に近い親類が無事であれば、それで満足なのですわ」
彼女は窓の外、闇に消えていく荒野を指差した。
「彼らにとって、隣領が全滅したという悲劇は、現実に肌を焼く熱ではなく、ただの『遠くの物語』……娯楽に近いものです。自分に直接被害が及ばない限り、他人の不幸は対岸の火事。それよりも、自分たちを戦場へ引きずり出し、無残な敗北を喫した旧王国の貴族たちへの恨みの方が、よほど生々しく、鋭いものとして彼らの中に残っています」
ラナー様の言葉を、バランス様が静かに引き継ぐ。
「左様。強大すぎる支配者である魔導王陛下に怒りを向けるのは、本能的な恐怖が邪魔をします。ですが、かつての統治者を恨むのであれば、保身の面でも心身の負荷が少ない。……そこに、魔導国からの格安の穀物配給という実利が加われば、答えは一つです」
「……胃袋を掴み、思考を誘導する。ということですか」
「ええ。お腹がいっぱいになれば、人は過去を忘れやすくなります。その隙間に、美しく脚色された『ガゼフ英雄譚』を流し込むのです。法国の陰謀、王国の腐敗、そして陛下という唯一の救済者……。彼らは自ら進んでその物語を信じ、法国への憎悪を自らの正義だと錯覚し始めるでしょう。感情という名の不確定要素を固定化するための、最も洗練された算術ですわ。」
ラナー様はそこで一度言葉を切り、夜闇に溶ける景色を眺めながら続けた。
「生者の労働の多くを魔導王陛下のアンデッドが肩代わりする以上、以前の暮らしより確実に豊かになるのは確定しています。幸福度向上という解が既に提示されている事象の途中式を提供する事で、彼らに『自ら選んでこの幸福を掴み取った』という錯覚を抱かせるのです。そうすれば、恩義を強制せずとも利便性は『慈悲』へと、豊かさは『信仰』へと勝手に変換されますわ」
「慈悲と信仰、ですか...」
楽しげに笑う彼女の指先が、窓硝子をなぞる。
「はい。人間とは、自分を正当化してくれる物語にはどこまでも盲目になれる生き物。かつての仲間を見捨て、敵であった陛下に飼われる自分を許すための『言い訳』を、物語という形で与えてあげるのです。この計算式が完成すれば、統治のコストは劇的に下がりますわ。恐怖で押さえつける必要などありません。彼らは自ら進んで旧王国の記憶を不都合な害悪として上書きし、自分たちで自分たちを縛り、喜んで管理されるようになるのですから。そして怨敵である法国の没落に反して豊かになっていく生活。利便性は『魔導王陛下の慈悲』へ、陛下がもたらす豊かさは『絶対的な信仰』へと変換されていきます。ただ生かされ管理されるだけの家畜ではなく、かつての不自由を『悪しき法国の影』とし、今の豊かさを『陛下の光』とする論理を脳内に植え付ける。人間種だけを守護する厳しく不自由な法国の宗教に比べ全ての生者を豊かさと平穏に導く魔導王陛下を神と崇める、実益をもたらす神を崇める宗教国家の樹立すら可能となります。……ふふ、六大神信仰のスレイン法国を存在意義を否定する最高の演出だと思いませんか?」
算術。
彼らにとって、九百万の犠牲も、民衆の涙も、すべてはアインズ様という唯一の解を導き出すための数式に過ぎない。
ナザリックの住人として、その忠誠は歓迎すべきかもしれない。だが、この「新参者」たちがもたらす、感情を排した純粋なまでの効率主義に、私はかすかな危惧を覚えざるを得なかった。
もし、彼女たちの計算がナザリックの予想を超えた方向に振れた時。あるいは、アインズ様の慈悲さえも計算式の一部として使い潰そうとした時。
私はメイドとして、その首を撥ねる覚悟を持っておかねばならない。
「……次の領地が見えてきましたわ。ユリ様、バランス様。ここでも最高の『演出』をいたしましょう」
ラナー様の微笑みが、夜の闇に白く浮かび上がる。
デスキャバリエは速度を落とすことなく、次なる獲物……旧王国の民が待つ領地へと、音もなく滑り込んでいった。