オーバーロード17 支配の共鳴[上]異種族の恒久的平和の為の世界平定と忘れ去られた38人目の忘れ形見(最新16巻直後からルート分岐) 作:ぽきぷし
第一章:020話 歪な純真と、語られぬ慈悲
バハルス帝国領を一路、南南東へ。
魔導国から派遣された外交使節団を乗せた豪華な馬車は、石畳の街道を滑るように進んでいた。
車内には四人の人物。竜王国への使者として同乗しているのは、外交使節代表のセバスと竜王国で修行予定のクレイム、対スレイン法国への戦略の統括の様な立場であるレスタトの分霊と王国での活動で一応の面識がありクライムの為人を知っているだろう事から配慮されたのか、
セバスとクライムの間の気まずさにより生じた若干の沈黙を破ったのは、穏やかな笑みを湛え、白髭を撫でるレスタト翁であった。
「……さて。クライム殿。ナザリックでの生活には慣れましたかな? 窮屈な思いをさせていなければ良いのですが」
水を向けられたクライムは、背筋を正し、かつての王国騎士時代よりも研ぎ澄まされた――あるいは、どこか人間離れした静謐さを纏った所作で一礼した。
「はい、レスタト様。温かなご配慮、痛み入ります。今の私は、ラナー様をお守りするために必要な知識を学べる環境に、ただ感謝するばかりです」
「ほっほっ、それは重畳。……セバス殿、この若者の眼差しは実に清らかだ。迷いが消え、進むべき道が一つに定まった者の顔をしていますな」
「左様でございますね。……クライム様。貴方がラナー様の忠実な『手足』として機能するためには、武勇だけでなく、この世界の非情な力学を理解せねばなりません。今回の竜王国への旅は、そのための第一歩となるでしょう」
セバスの言葉に、クライムは僅かに視線を落とし、自問するように呟いた。
「……非情な力学。私は……旧王国の末路を思い出すことがあります。魔導王陛下の御力が無ければ、もっと別の、穏やかな解決があったのではないかと、愚かにも考えてしまう瞬間があるのです」
その言葉を待っていたかのように、レスタト翁は目を細め、慈愛に満ちた、しかし冷徹な真実を告げる口調で語りかけた。
「クライム殿。それは優しい誤解というものです。……断言しましょう。仮にアインズ様がこの地に降臨なさらなかったとしても、リ・エスティーゼ王国は近いうちに滅んでいた。それも、今よりもずっと無残な形でです。」、王国の腐敗を裏から操り、緩やかな崩壊を待っていた。貴族派と王家派の対立、例年の徴兵による生産力の低下、麻薬の蔓延……。それら全ては、最後の一押しで王国を地図から消すための、法国による『剪定』の一環だったのです」
クライムは絶句した。王国の正義を信じていた彼にとって、隣国の巨大な悪意は想像を絶するものだった。
「ラナー様は、その残酷な未来を予期しておられたのだ。……あの聡明な御方は、腐りきった貴族たちを導くことがもはや不可能であることを悟り、しかし王族としての責任を果たす道を探し続けておられたのでしょう」
「ラナー様が……王族としての責任を?」
「左様。ただ無力に法国に呑み込まれ、民が奴隷のごとく扱われる末路を拒み、代わりに最強の守護者であるアインズ様の手を取られた。……あれは裏切りなどではない。出来うる最善を尽くし、貴方という最も大切な存在と、王族としての誇りを守り抜くための、最も果敢な『決断』だったのです。……王としての正義を、彼女なりに貫かれたのですよ」
レスタト翁の言葉が、クライムの乾いた心に染み渡っていく。
「……ああ、やはりそうだったのですね。ラナー様は……私だけではなく、最後まで救いを探しておられた。そのために、自ら悪名を背負う道を選ばれた……」
「理解されたようで何よりです。……セバス殿、後は任せましたぞ。心の重荷が取れた少年は、ここからさらに強く伸びるはずだ」
「承知いたしました。……クライム様、竜王国ではすぐに戦場に援軍として向かう事になるでしょう。それまでに馬車から離れて帝国の森で野営の演習を行いましょうか。疲労と睡眠無効化のアイテムを着用したままで、緩急をつけて長時間集中力維持する方法、神経の配り方をお教えします。」
「はい! よろしくお願いします、セバス先生!」
揺れる馬車の中、クライムの瞳に宿る光は、より深く、純粋な色へと染まっていく。
窓の外、夕闇に染まり始めた街道の先には、断末魔の悲鳴を上げる竜王国の国境が待ち構えていた。
side:セバス・チャン
夜間の走行は外交使節団として相応しくない為帝国領内で行った野営と夜間の森林部での修行の真似事を終え、日が昇り始めるとデス・キャバリエは常識的な速度で再び帝国領を進む。
竜王国の現状と魔導国の立場を伝え今回の交渉の概要を共有する。
揺れる馬車の車輪の音を聞きながら、揺れない車内でセバス・チャンは向かいに座るクライムを観察していた。
この若者はあまりに純粋で、そして危うい。
(……ラナー様の「愛」という名の執着。その真実を、この若者が今知る必要はありません)
セバスは、主であるアインズ・ウール・ゴウンが、ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフを「精神的な異形種」と評したことを思い出す。彼女が王国を滅ぼした動機は、ただ一人、このクライムを飼い殺すため。その過程で流された数多の血と絶望を、この少年が知れば、その精神は瞬時に崩壊するだろう。
だが、クライムが「無能な玩具」のままであれば、いずれナザリック内での価値を失う。それは主の不利益となり、ひいてはクライムの死……すなわちラナーの暴走を招きかねない。
(彼には、誇りある「盾」として自立してもらわねばなりません。たとえ、その根拠となる大義名分が我々の用意した偽りであっても、アインズ様がガゼフ殿に見出したという生きる者の命を燃やして大義を成そうとする際の生命の煌めき、強き信念を宿す「目」を持ち続ける事が……、かつてアインズ様を救ったというたっち・みー様の様な存在として仕える事こそが、彼にとってもナザリックにとっても好ましいでしょう。)
セバスは隣に座るレスタト翁と視線を交わした。
事前に打ち合わせた通り、老賢者は静かに頷く。
「クライム様」
セバスの重厚な声が、沈黙を破った。
「……はい、セバス先生」
「貴方は今、王国と決別し、魔導国の臣民となりました。ですが、それは決してラナー様を『守られる存在』のままにしておくことではありません。むしろ逆です。魔導王陛下の御許で、ラナー様はこれから、より広大な、そしてより過酷な世界の調整を担われることになります」
セバスは言葉を選び、クライムが最も受け入れやすい「正義」の形を提示する。
「王国の滅亡は悲劇でした。しかし、レスタト殿も仰った通り、腐敗した体制を放置し続ければ、より多くの民が永劫の苦しみに喘いだでしょう。ラナー様はあえて汚名を被り、最短距離で平和を手繰り寄せられた……。貴方が担うべきは、その『ラナー様が築こうとしている新しい平和』を、影から支え、守り抜くことです」
「影から……支える……」
「そうです。竜王国への派遣も、その一環です。志を共にできる弱者を救うためにあえて強大な力を行使する。それは、かつて貴方が王国で抱いていた騎士道と何ら矛盾しません。ただ、舞台が広くなっただけなのです。」
ここで、レスタト翁が絶妙なタイミングで言葉を添えた。
「ほっほっ、その通りですな。ナザリックの御方々はあまりに強大ゆえ、人間種の細やかな機微を時に見落とされることもある。クライム殿、貴方はラナー様の側にあり、人としての心を繋ぎ止める『最後の楔』であらねばなりません。そのためには、ただ剣を振るうだけでなく、人としての強靭な意志と、状況を支配する技量が必要なのです」
クライムの目に、強い光が宿るのをセバスは見逃さなかった。
(よろしい。……自分が必要とされている、という実感。それこそが彼の士気を高める最大の劇薬)
ラナーが求めているのは楔などではなく完全な盲従だが、それを伝える必要はない。クライムが「自分はラナーの良心を守っている」と信じ続ける限り、彼はナザリックのために、より一層の研鑽を積むだろう。
「……わかりました。私は、ラナー様の選ばれた道の正しさを証明するために、強くなります。彼女が背負った悲しみや責任に報いるために」
「その意気です。では、アインズ様がエルフの国から戻られたそうですので、セバス殿はナザリックへ戻り協議に参加致します。その間ナザリックから持ち出した蔵書で座学の時間としますかな。」
レスタトの言葉を受け、セバスは立ち上がった。
「クライム様。私が戻るまでに、レスタト殿に課された課題を完璧にこなすと約束してください。それが、ラナー様を守るための第一歩です」
「はい! 必ず!」
迷いを振り切り、前を見据えるクライム。
セバスは、その純粋な少年に向け、嘘偽りのない、しかし深淵を隠した微笑みを向けた。
(彼女の貴方へ漏らす葛藤や悲しみは全て貴方を繋ぎ止めるための偽りでしょう……願わくば、貴方が真実を知ることなく、高潔な心のまま戦士として完成することを。いつか真実を知った時に後悔のない決断を下せる様に見聞を深めること。それが私にできる、精一杯の指導です。今はただ修練に没頭することです。)
帝国領の半ば、転移の渦へ消える直前、セバスは馬車の窓から見えるクライムの背中に、静かな期待と、一抹の憐憫を込めて別れを告げた。