オーバーロード17 支配の共鳴[上]異種族の恒久的平和の為の世界平定と忘れ去られた38人目の忘れ形見(最新16巻直後からルート分岐) 作:ぽきぷし
side:バハルス帝国 帝都アーウィンタール 皇城奥宮
夜も更けていた。
皇城上層、皇帝私室。
宴席を終えたジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは、重厚な長椅子へ深く身体を沈め、大きく息を吐いた。
「……疲れた」
珍しく、取り繕わぬ声音だった。
向かい側でワインを口にしていたロクシーが、くすりと笑う。
「陛下がそこまで露骨に消耗を見せるのは珍しいですね」
「仕方あるまい。相手が相手だ」
ジルクニフは額を押さえた。
「しかも今日は、妙に精神まで解された状態だったからな。普段以上に神経を使った」
「あのレスタト様の力ですか」
「ああ」
思い返す。
春風のような翠の光。
警戒心だけを静かにほどいていく不思議な感覚。
理性は保たれている。
だが、“本音を隠す壁”だけが薄くなる。
「危険な力ではありました」
ロクシーが静かに言う。
「少なくとも、敵対者へ使われれば厄介でしょう」
「だが」
ジルクニフは肩を竦めた。
「本気で敵対するつもりなら、あの者達はあんな回りくどい真似をする必要すら無い」
沈黙。
その事実が、何より重い。
圧倒的な力を持ちながら。
なお“対話”という手順を踏もうとしている。
そこに、今夜の異様さがあった。
「……意外でした」
ロクシーがぽつりと漏らす。
「何がだ?」
「魔導王陛下です」
彼女はグラスを揺らしながら続けた。
「もっと、“超越者”なのだと思っていました」
「価値観そのものが我々とは断絶した存在かと」
「だが違った、と?」
「ええ」
ロクシーは静かに頷く。
「あの方、“支配する側”の理屈だけで物を言っていません」
ジルクニフは目を細めた。
「続けろ」
「あの方は恐らく、“使われる側”を知っています」
静かな分析だった。
「命令される側」
「組織へ従う側」
「理不尽を呑み込み、上の都合へ振り回される側」
「そういう人間の感覚を理解している」
ジルクニフは宴席を思い返す。
“人は、自分の意思で従っていると思いたがる”。
あの言葉。
あれは単なる支配者の発想ではない。
巨大組織の中で、人間関係へ揉まれた者の実感だった。
「……確かにな」
皇帝は低く呟く。
「恐怖だけでは組織は回らぬ。納得したと思わせねば、人は長く従わん」
「しかもあの方、それを“実感として”理解しているように見えました」
ロクシーは続ける。
「だから妙に現実的なのです」
「無意味な不公平」
「責任転嫁」
「努力を踏みにじられる事」
「成果を奪われる事」
「……そういうものへ嫌悪感がある」
そこでロクシーは、小さく息を吐いた。
「もしかすると」
「かつて自分自身が、そういう目に遭ってきたのではないでしょうか」
ジルクニフは少し驚いたように笑う。
「骸骨の王へ向かって“苦労人”扱いする者は、お前くらいだぞ」
「ですが妙に納得感がありませんか?」
「ある」
即答だった。
魔導王アインズ・ウール・ゴウン。
余りにも強大。
余りにも異質。
だがその一方で、“支配欲”そのものは薄い。
むしろ。
責任感。
管理者意識。
組織を破綻させまいとする苦労人の気配が滲む。
「だから厄介なのだ」
ジルクニフは苦く笑う。
「暴君なら読みやすい。狂人なら対処も決まる」
「だが、理性的で現実的で、それでいてあれほど強いとなると……」
「敵に回したくありませんね」
「ああ」
即答だった。
ロクシーは少し微笑する。
「ですが陛下。随分と好意的に見ておられますね」
「当然だろう」
ジルクニフは肩を竦めた。
「少なくとも、“話が通じる”」
「それだけで十分過ぎる」
そして皇帝は、ふと表情を引き締めた。
「……もう一つ、気になった事がある」
「レスタト翁ですか?」
即答に、ジルクニフは目を細めた。
「気付いていたか」
「ええ」
ロクシーは静かに頷く。
「力そのものより、“距離感”が印象的でした」
ナーベを始め、魔導国側の者達は皆、魔導王へ絶対的敬意を向けていた。
崇敬。
忠誠。
畏怖。
程度の差はあれ、共通している。
だが。
「レスタト翁だけは違った」
ロクシーが言う。
「臣下というより、“古くからの理解者”に近い」
ジルクニフも頷いた。
「特に、“会社”という単語を漏らした時だな」
あの瞬間。
アインズは珍しく明確に狼狽した。
だがレスタト翁は即座に空気を読み、自然な軽口で流してみせた。
しかも、必要以上に畏まる様子も無い。
軽い呆れ。
苦笑。
保護者じみた視線すら混じっていた。
「魔導王陛下は、他者の前では常に“魔導王”を演じているのでしょう」
ロクシーが分析する。
「弱みを見せず」
「迷いを隠し」
「絶対者として振る舞う」
「ですがレスタト翁の前では違いました」
「妙に人間臭かったな」
「ええ」
ロクシーは微笑する。
「レスタト翁が居る時だけ、“組織の頂点に立つ支配者”ではなく、“気苦労の多い男”へ戻っていた」
ジルクニフは腕を組み、ゆっくり思案する。
「……それに、気になる」
「地下大墳墓で初めて会った頃、レスタトという存在は居なかった」
「最近まで眠っていた、か」
「そうだ」
アインズ自身がそう説明していた。
長らく地下大墳墓で眠っており、最近目覚めた存在。
そして現在は“相談役”。
わざわざその立場を与えている。
「魔導王が、あれほど信頼している相手だ」
ジルクニフは低く呟く。
「レスタト翁が目覚めた事で、何か方針変更があったのかもしれんな」
「方針変更?」
「少なくとも、“余裕”は生まれたように見える」
闘技場で相対した頃の魔導王は、もっと張り詰めていた。
得体の知れぬ超越者。
底知れぬ恐怖。
今もそれは存在する。
だが今夜のアインズには、“統治者としての落ち着き”があった。
他者へ歩み寄る余裕。
自ら腹を割る選択。
対話を試みる姿勢。
「レスタト翁が、精神的支柱なのかもしれませんね」
ロクシーが静かに言う。
「王を支える知者、か」
「ええ」
ロクシーは頷いた。
「恐らく、“孤独な王を理解出来る数少ない存在”なのでしょう」
その言葉に、ジルクニフはふと苦く笑った。
「……少し、フールーダーを思い出した」
ロクシーが視線を向ける。
「老師を?」
「ああ」
若き日の自分。
帝国改革へ踏み出した頃。
フールーダー・パラダインは確かに支柱だった。
宮廷魔法使いとしてだけではない。
“皇帝である前の若者”へ助言を与える年長者として。
だが今は違う。
あの老魔法使いの心は、既に魔法の深奥へ魅入られている。
忠誠対象は帝国ではない。
まして、自分でもない。
“より高みの神秘”。
その先にいる魔導王へ向いている。
理解は出来る。
責める気も無い。
魔法詠唱者として、あの魔導王は余りにも抗い難い存在なのだ。
だが。
(……もう、昔のようには頼れんか)
若き日の自分が抱いていた、“老師なら支えてくれる”という無条件の安心感。
それはもう戻らない。
裏切りとは少し違う。
だが確実に、以前と同じ関係ではいられない。
その事実が、胸へ鈍く残っていた。
「……寂しいものですね」
ロクシーが静かに言う。
ジルクニフは苦笑した。
「皇帝にもなると、人を疑う事には慣れる」
「だが、“昔のようには戻れぬ”と理解するのはまた別種の疲れだな」
窓の外では、帝都の灯が揺れている。
変わりゆく世界。
変わってしまった関係。
その中でなお。
魔導王アインズには、“変わらず隣に立つ理解者”が居る。
(……少し、羨ましいな)
そんな感情を抱いた自分へ気付き。
ジルクニフは、自嘲気味に笑った。
そしてロクシーが、ふと静かに呟く。
「ですが――」
「その理解者が居るからこそ、魔導王陛下は“王”でいられるのでしょうね」
ジルクニフは窓の外を見たまま、小さく頷いた。
「ああ」
「恐らく、そうなのだろうな」
――そして同時に。
皇帝の脳裏へ、一瞬だけ不吉な想像が過った。
もし。
フールーダーのように。
心から信頼した存在が裏切ったなら。
あるいは、永遠に失われたなら。
あの理性を備えた怪物は、一体どのような行動へ出るのか。
背筋を冷たいものが走る。
だが。
(……いや、考えるだけ無駄か)
ジルクニフは即座にその想像を打ち消した。
少なくとも今は。
魔導王の隣には、あの老賢者が居るのだから。
しばらく、二人の間に沈黙が流れた。
窓の外では、帝都アーウィンタールの灯が静かに揺れている。
やがて。
ロクシーがゆっくりと口を開いた。
「ですが陛下」
「今夜、最も重要だったのは、そこではありません」
ジルクニフは静かに頷く。
「ああ」
「――転移者の告白、だな」
ロクシーもまた、小さく頷いた。
「まさか、自ら明かされるとは思いませんでした」
「六大神、八欲王、魔神……彼らと同類であると」
「しかも、我々だけに」
再び沈黙が落ちる。
皇帝は腕を組み、静かに目を閉じた。
「あれを、どう見る」
問われたロクシーは、少し考え込む。
「率直に申し上げれば……信用を示されたのでしょう」
「我々を敵ではなく、協力者と見ている」
「だからこそ、あの秘密を明かした」
だが。
ジルクニフはゆっくりと首を横へ振った。
「違うな」
ロクシーが目を向ける。
「あれは信用だけではない」
「……と、仰いますと?」
皇帝は静かに答えた。
「投資だ」
その一言に、ロクシーは眉を僅かに動かした。
「投資……」
「ああ」
「帝国という国家へ対する投資だ」
ジルクニフは窓の外を見ながら続ける。
「魔導王は、今後大陸規模で動くと言った」
「異種族共栄」
「秩序維持」
「その為に帝国へ協力を求める、と」
「ならば」
「帝国を敵ではなく、理解者へ変えておく方が得策だ」
ロクシーは静かに息を吐く。
「つまり……」
「秘密を共有する事で、我々を巻き込んだ」
「そういう事だ」
ジルクニフは苦笑した。
「実に見事な外交だ」
「秘密を握れば、裏切る理由より守る理由の方が増える」
「しかも我々は、自ら口外せぬと誓った」
「……ええ」
「気付けば、帝国は魔導国と運命共同体へ近付いている」
ロクシーは感嘆とも呆れともつかぬ笑みを浮かべた。
「恐ろしい方ですね」
「恐ろしいとも」
皇帝は即座に肯定した。
「だが」
「悪意ではない」
その言葉に、ロクシーは静かに視線を上げた。
「魔導王は、本気で我々を利用しようとしている」
「しかし同時に、本気で共に歩もうともしている」
「そこが、あの方の恐ろしさだ」
しばらく沈黙が続く。
やがてロクシーが、ぽつりと呟いた。
「では陛下」
「帝国は、どう動くべきでしょう」
ジルクニフは迷わなかった。
「決まっている」
「全面的に協力する」
ロクシーは静かに頷く。
「私も同意見です」
「敵対は論外」
「中立も、いずれ立場を失う」
「利用しようとすれば、こちらが利用されるだけでしょう」
「ならば」
「理解者となる以外にありません」
皇帝は満足そうに笑った。
「流石だ、ロクシー」
「全く同じ結論だ」
静かな夜風が窓から流れ込む。
ジルクニフは、その風を受けながらゆっくりと言葉を紡いだ。
「魔導王は言っていた」
『力を持つ者ほど、世界との繋がりを増やさねば暴走する』
「あの言葉は、他者へ向けた教訓ではない」
「自らへ課した戒めでもあるのだろう」
ロクシーは思い返す。
ザナックへの敬意。
ガゼフへの惜別。
クアゴアへの配慮。
エルフへの憂慮。
どれも演技には見えなかった。
「あの方は」
ロクシーが静かに言う。
「既に、この世界へ情を抱き始めています」
「ああ」
ジルクニフは頷いた。
「だからこそ、我々はその情を育てねばならん」
「育てる……ですか」
「故郷は失われた」
「だが」
「第二の故郷ならば、作る事が出来る」
ロクシーは皇帝の真意を悟る。
「魔導王陛下に、この世界を愛して頂くのですね」
「そうだ」
ジルクニフの声には迷いがなかった。
「人を知って頂く」
「国家を知って頂く」
「文化を知って頂く」
「この世界に生きる者達を知って頂く」
「喜びも」
「悲しみも」
「守る価値も」
「全てだ」
彼は静かに笑う。
「世界を愛する者は」
「世界を容易く壊しはせん」
ロクシーも微笑した。
「つまり」
「帝国は、魔導王陛下の理解者となる」
「ええ」
「それこそが、帝国最大の国益」
ジルクニフはゆっくりと立ち上がり、帝都の灯を見下ろえた。
「従属ではない」
「追従でもない」
「世界と魔導王を繋ぐ橋となる」
「それが今後の帝国の役目だ」
その声音には、皇帝としての決意が宿っていた。