「彼女」のことを説明するのに「反抗的」の三文字以外を用いる必要はないのではないか、ふと頭の中で思う。
眼の前にいるウマ娘はエスポワールシチー。俺と契約したウマ娘だ。契約したからには、トレーナーとして精一杯彼女のサポートをしなければならないのだが……
「ね、ねえ、今日こそ筋力トレーニングしない?……」
「……」
視線を一切合わすことなく、エスポワールシチーは俺の前を通り過ぎる。そしてそのままトレーナー室を出ていってしまった。
彼女の評判は前々から聞いていたが、ここまでだとは思わなかった。もちろん彼も彼女に対して対策を何も講じなかったわけではない。思春期に関する本や教育指導の本などを読み漁り、ベテラントレーナーにアドバイスを求めたりして、ある程度、彼女への対応の仕方については、知識を入れたつもりだった。しかし、それが実ることはなかった。
今の今までなぜトレーナー契約の関係が続いているのかが謎である。
一人残されたトレーナー室で呟く。
「俺はエスポのトレーナーに向いているのだろうか……」
一抹の不安がよぎった。
────
エスポワールシチーは確かに「指導者」に対しては反抗的だ。しかし、「特定人物」には反抗的であることが難しいのが正解である。
「ね、ねえ、今日こそ筋力トレーニングしない?……」
「……」
息を止めながらトレーナー室から出る。呼吸をすると、そのまま本音が出そうになるから、少々我慢した。
(……あっぶねぇー……もう少しで「分かった」って言っちゃうところだった……危ない、危ない)
エスポワールシチーは、トレーナーに対しては少々弱かった。
(なんでこうも、あーしはトレーナーに弱いんだろ……いや、べ、別にアイツがコワイとかそういうわけじゃねーし!…………本当に何でなんだろ)
エスポワールシチーは俯きながら廊下を歩く。
向こうからエスポワールシチーの担任の姿が見えた。
「あ、エスポワールシチーさん!今度こそ補習に参加してもらいますよ!」
エスポワールシチーは指導者を嫌うため、当然「教師」の存在も気に入らなかった。そして当然、勉強の成績の方は芳しくなかった。
「うっせー!」
「なっ!……エスポワールシチーさん!待ちなさい!」
エスポワールシチーは、べっ!と舌を出して来た道を走って戻る。担任はかつてはトレセン学園にいたウマ娘だと聞く。生半可な逃げ方をしてしまえば、捕まってしまう。故に力をいれて逃げる必要が出てくる。
(あれ……この先って……)
彼女は自然とトレーナー室のあるルートで逃げていた。他にも選択肢はあったはずだが、無意識にそのルートを選んでしまっていた。
「ちっ……」
軽く舌打ちをして、そのまま走り続ける。担任が追いかけてくることを計算すると、走って来た道を戻ることはできない
トレーナー室を見つけるなり、滑り込むように駆け込む。
ガラララ……バンッ!と勢いよく扉が閉められる。
「ハァ……ハァ……」
此の程度の距離では、ウマ娘は息があがることはない。しかし、 追いかけられるという極度の緊張が彼女を襲ったのだ。
わかりやすく説明すると、ただプールでクロールするより、サメに追いかけられながらクロールするほうがより緊張感があるということだ。
「エスポ?……大丈夫?息が上がっているけど……?」
困惑と心配が混ざった表情でトレーナーが尋ねる。
「別に……」
そっぽを向ける。トレーナーからすれば、(俺、嫌われてるのかな……)と思うところであろうが、実態は、ただトレーナーと顔を合わせられなくなっているだけである。理由は彼女本人も分かっていない。
「水、飲む?」
そっとペットボトルの水を差し出す。
「…………ありがとう」
エスポワールシチーは少しの間躊躇った後に、水を受け取った。彼女は別に水を必要としていた訳では無いが、水を断るほどに反抗をしたいわけではなかった。
「何があったかわからないけど、奥で休んだら?」
「……そうする」
此のときトレーナーはやけに不思議な感覚を覚えた。先程までツンデレのデレがない、つまりツンドラのようにツンツンしていたエスポワールシチーがやけに素直なのである。
そんなことを考えているうちに、トレーナー室の扉がノックされる。
エスポワールシチーは誰が来たか一瞬にして理解ができた。そのためトレーナー室においてあるソファの裏に隠れた。
「すみません、エスポワールシチーさんのトレーナーさんですよね?」
「ええ、そうですが」
「エスポワールシチーさんを見かけませんでしたか?」
「エスポをですか?……」
エスポワールシチー自身は必死に「いない」と言ってくれることを願った。それが無駄だと分かっていても。
「えーっと……見てないですね」
(え?)
「……そうでしたか、ありがとうございます。では、失礼します」
一度間を置いてから、担任は会釈をしてトレーナー室を後にした。
トレーナーが振り返り、ソファに座る。エスポワールシチーも隠れるのをやめて、反対側のソファに座る。
しばらくしてから、エスポワールシチーの方から口を開いた。
「……どうして」
「ん?」
「どうして、あーしがいないって言ったの?」
エスポワールシチーは俯きながら、質問をする。
「どうしてかって?そりゃ……エスポが逃げるようにここに来たから、なんかあったんだろうなって思って……で、その後担任の先生が来たから『なるほど!』ってひらめいたわけさ」
名探偵が推理を披露するかのように得意げに言う。
「そうじゃ、なくて……どうしてあーしなんかを庇ったの?」
言葉を絞り出すように、徐々に言葉から力がなくなっていく。
「どうしてって、エスポにもエスポなりの事情があるんでしょ?」
「でも、あーしはいつも、トレーナーに反抗してばっかだし、嫌いじゃないの?」
支離滅裂になりかけているが、それでも言いたいことをどうにかトレーナーにぶつける。
「嫌いな訳あるか。エスポが俺に反抗的になっちゃうのは、指導者の俺にも原因があるんだし。君はありのままでいいんだよ。レット・イット・ビーってやつかな?」
少々臭いことを言うトレーナーに対して、エスポワールシチーは思わず吹き出す。
「フフッ……なにそれ」
「……ちなみに、今日の筋力トレーニングには参加してくれる気になりましたか?」
「いえ、まったく」
「えぇ……」
悲しそうな顔をするトレーナーを見て、微笑む。
「ジョーダンだよ、トレーナー」