もっとも美しい思想でも、書きとどめておかなければ完全に忘れさられて再現不可能になるおそれがあり、
最愛の恋人も結婚によってつなぎとめなければ、我々を避けてゆくえも知らず遠ざかる危険がある。
──アルトゥル・ショーペンハウアー
「プロポーズ?」
昼下がりのトレーナー室で、オグリキャップから珍しい話題が出された。すごい失礼なのは承知だが、他人の色恋沙汰には興味がないように感じる。
「ふぉう(そう)、ふぃふぉうふぉ……ふぉふぁふぁふぇ……をふぃふぇな」
口いっぱいに白飯を詰め込んでいるオグリキャップは今日12度目の食事である。山のようにあったカレーライスも全て彼女の胃の中に消えていった。
「食べるか喋るかのどっちかにしてくれる?」
それもそうだ、的な納得した顔を見せて、飲み込み、水を一杯飲んでから再び口を開く。
「……昨日の夜にやっていたドラマで、プロポーズのシーンを見たんだ」
「へえ……」
オグリがドラマ?……とも思ったが、同室のタマモクロスなら見ていそうだと、何故か納得できた。(なんかトレンディドラマが好きそうなイメージがある)
「そして、そのシーンが感動的で、特に、男の人の迫真の演技が非常によかったんだ」
「そうなんだ。今度見てみようかな」
「そして……私もプロポーズを体験してみたいと思った」
「へえ〜……ん?」
「というわけで、トレーナー。少々付き合ってくれ」
──
オグリの前で膝をつき、お祭りの屋台でゲットしたおもちゃの指輪を差し出す。おもちゃにしては見た目が非常にシンプルで、小さなガラス結晶がついている程度である
「お……俺と結婚してください」
我ながら、気弱な声で、典型的だなと思う。そもそも俺はプロポーズの経験がない……
「……」
「……」
真剣な顔持ちで、オグリを見つめる。
そして、一拍置いた後、彼女が返事をする。
「……なんか、イマイチ」
「……そりゃそうでしょうね」
恋愛関係のない二人の間でプロポーズをしたって、そこにはなんの感動も生まれないのは自明だ。そもそも演技とはいえ、プロポーズするのは少々恥ずかしい。
「次はもっと……こう、堂々とした感じでやってくれないか」
「まだやるの?」
「もちろんだ」
「もちろんなのか……」
本音を言うと、先程のやり方は俺自身も納得していない。
改めてやり直すために、ひと呼吸置いてから真剣な眼差しでオグリに向き合う。
「オグリ……俺の女になってくれないか……?」
一昔前のドラマの口説き文句が咄嗟に出てしまった。密かにこういうのに憧れていたが、うん、リアルで言うと結構アレなんだなって思いました。
「トレーナー……」
「……」
「……」
「……これも違う……」
「……うん、そうだね……」
改めて思ったが、俺には演技の才能はないようだ。
第一、プロポーズというのは、実際には恋愛関係の延長線上にて行われるものだ。トレーナーと生徒の関係では、プロポーズの裏にある「強い情念のもとに行われるさらなる強固な関係の提案」は果たして成り立つのだろうか?
「そもそも、俺なんかで役が務まるのか?」
「?」
首をかしげるオグリ。
「フジキセキとか、そういうのが上手そうな人にお願いしたほうが、よっぽど魅力的なプロポーズになるんじゃないのかな?」
「それは、だめだ」
少し強い口調で否定された。
「私は……私はトレーナーにプロポーズされたい」
それがどういう意図なのか、俺にはわからないがとにかく本気でプロポーズ体験をしたいということだろう。ならばこちらも、本気でいくしかない。
「オグリ」
「……」
「俺が……俺が絶対に君を幸せにするから」
「俺と結婚してくれ!!!」
オグリは一瞬驚いたような顔を見せたが、すぐに微笑み、俺が差し出した、おもちゃの指輪を左手の薬指にいれる。
そういえば、いくら擬似的なものとはいえ年頃の少女の左手に指輪をつけるのは如何なものだろうか。
「……もちろんだ、トレーナー」
これは合格だろうか。
オグリが俺の全身全霊のプロポーズに応えたと同時に、トレーナー室のドアが開けられる。
「オグリ〜飴ちゃん余ったからお裾分けにきた……で……」
元気に入ってきたタマモクロスは、俺達の姿を見るや否や、目を丸くする。持っていた飴の袋を落とす。
「……お、お邪魔しました……」
関西弁がなくなるほどの衝撃を受けたのか、タマモクロスはそのまま後退して、部屋から出ていった。
パタン、と扉が閉められると同時に、静寂が訪れる。
「……あれ……やばくね?」
今の状況を第三者に見られたことは、あらぬ噂が学園内で立つ可能性がある。それどころか、たづなさんに「お呼び出し」がかかって……相当アレがアレすることになる。
「……オグリ、今すぐ弁明に行くぞ!……オグリ?」
彼女は恍惚とした表情を浮かべて、その場に立ち尽くしている。
「このままだと俺が本当にプロポーズしたことになる!」
「……べつに……いいんじゃないか」
「いやいや、君も不快な思いをするだろ?」
「私は別に……むしろ、これが本当になってほしいまである」
「?……寝言は寝てから言ってくれ!……とりあえずタマモクロスを追いかけるぞ!」
オグリの手を取り、急いでトレーナー室を飛び出し、タマモクロスの姿を探す。
「……ばか」
「ん?なにか言った?」
「……何も言ってない」
「そうか…………しかし逃げ足が速いな……白い稲妻と呼ばれるだけある……」
校舎内を右往左往しているうちに、校内放送が鳴る。
『オグリキャップのトレーナーさん、至急理事長室までお越しください』
「終わった……」
俺は全てが終わる覚悟をして、理事長室へ赴くのであった……
「今度は……トレーナーから、ちゃんと本当の言葉でもらう」
彼女の左手には、「まだ偽物」の指輪が輝いていた。