それではご覧ください。
目を開けた勇仁が最初に視界に入ったのは巨大な壁画だった。微笑みを浮かんでいる人物と草原や湖などの大自然が描かれていた画。
だが、その画に描かれた人物を見た勇仁はすぐに目を逸らした。無性に気持ち悪さを感じたからだ。
「雫、恵理、無事か?」
「え、えぇ……」
「いったい、何があったの?」
隣で困惑する二人を確認した勇仁は冷静に周りの状況を確認する。雫たちと同様に動揺を隠しきれずに周囲を見渡すクラスメイトたち。全員が台座のような場所に立っており、そんな彼らを囲うようにフードを被った人物たちが祈りを捧げているかのように膝を着いていた。
「ようこそ、トータスへ。勇者様、そしてご同胞の皆様。歓迎致しますぞ。私は、聖教教会にて教皇の地位に就いておりますイシュタル・ランゴバルドと申す者。以後、宜しくお願い致しますぞ」
そこにイシュタルと名乗る老人が手に持つ錫杖を鳴らしながら、好々爺然とした微笑と共に話しかけてきた。その顔を見た勇仁はうっすらと目を細めるのだった。
~~~~~
勇仁たちはイシュタルに連れられてテーブルが幾つも並ぶ広間へと連れて行かれた。彼は雫と恵理と共に付いていき、彼が席に座ると二人はその両隣に座る。
全員が席に着いたのを確認したイシュタルは手を叩く。すると別の扉が開き、そこからメイドたちがカートを押しながら入ってきた。
メイド喫茶にでも行かなければ見ることができないメイド服。さらにそのメイドたちは全員、容姿が整っていた。思春期である男子生徒の大半は鼻の下を伸ばして凝視し、それを見た女子生徒は冷たい眼差しを向けていた。
(先生やリーザさんたちと比べたらな……)
一方、勇仁もメイドたちを眺めていたが、これといった反応を示さなかった。彼が思い出すのは、向こうの世界で共に旅をした仲間たち。全員が美女、美少女と言ってもいい容姿を持っていた。
そんな彼女たちと一緒に旅をした勇仁は他の男子生徒とは違って、メイドたちの姿を見ても特に惹かれるようなことはなかった。
「ちょっと、勇仁?」
「何、見ているのかな?」
だがメイドたちを眺めすぎたからか、彼の両隣に座る二人から冷たい視線を向けられてしまった。
「さて、あなた方においてはさぞ混乱していることでしょう。一から説明させて頂きますのでな、まずは私の話を最後までお聞き下され」
イシュタルは全員を見て、この世界の状況を簡単に説明した。
この世界はトータスと呼ばれていること。
人間族と魔人族が何百年も戦争を続けていること。
そして、人間族が滅びの危機を迎えているので神エヒトが増援として勇仁たちを呼んだこと。
イシュタルは、神託を聞いた時のことを思い出しているのだろうか恍惚とした表情を浮かべていた。
「ふざけないで下さい! 結局、この子達に戦争させようってことでしょ! そんなの許しません! ええ、先生は絶対に許しませんよ! 私達を早く帰して下さい! きっと、ご家族も心配しているはずです! あなた達のしていることはただの誘拐ですよ!」
そんな中、猛然と抗議したのは、勇仁たちの担任教師である畑山愛子。勇仁よりも低い背丈とその庇護欲をそそる容姿から『愛ちゃん』という愛称で呼ばれているが、転移する前、教室にいた中で唯一の大人である。
勇仁も内心では愛子に賛同するが、口には出さない。むしろ、顔を険しくしていた。
「お気持ちはお察しします。しかし……あなた方の帰還は現状では不可能です」
愛子の懸命な訴えに対してイシュタルは申し訳なさそうに答えた。
「ふ、不可能って……ど、どういうことですか!? 喚べたのなら帰せるでしょう!?」
愛子が叫ぶ。
「先ほど言ったように、あなた方を召喚したのはエヒト様です。我々人間に異世界に干渉するような魔法は使えませんのでな、あなた方が帰還できるかどうかもエヒト様の御意思次第ということですな」
「そ、そんな……」
愛子が脱力したようにストンと椅子に腰を落とす。それを機に周りの生徒たちが口々に騒ぎ始める。
「うそだろ? 帰れないってなんだよ!」
「いやよ! なんでもいいから帰してよ!」
「戦争なんて冗談じゃねぇ! ふざけんなよ!」
「なんで、なんで、なんで……」
誰もが狼狽える中、勇仁はイシュタルの様子をバレないように一瞥する。
静かに静観しているように見えるイシュタルだが、その瞳の奥には侮蔑が込められていることに気づく。
(神様に選ばれたっていうのに、どうして喜べないのか、ってところか。しかし、まずいな……)
今、勇仁たちの生命線は目の前にいるイシュタルの手に握られている。彼らがいるのは異世界。今まで習ってきた常識がまったく通用しない未知の世界だ。一度、別の異世界に行ったことがある勇仁はそれを身をもって知っている。
ここでイシュタルの申し出を断れば、勇仁たちは外に放り出されるかもしれない。最悪、無理やり従わせるかもしれないと彼は危惧していた。
(だが、戦争に参加する。それもそれでまずい)
ここにいるのは全員が学生。教師である愛子も含め、戦争や争いがない平和な時代を生きてきた者たちだ。そんな者たちが戦争に参加すればどうなるか。少なくともロクな結果にはならないだろう。
勇仁はこれからのことを考えていたその時、光輝がテーブルを強く叩き、立ち上がった。
「皆、ここでイシュタルさんに文句を言っても意味がない。彼にだってどうしようもないんだ。……俺は、俺は戦おうと思う」
(……は?)
「この世界の人たちが滅亡の危機にあるのは事実なんだ。それを知って、放っておくなんて俺にはできない。それに、人間を救うために召喚されたのなら、救済さえ終われば帰してくれるかもしれない。……イシュタルさん? どうですか?」
「そうですな。エヒト様も救世主の願いを無下にはしますまい」
「俺たちには大きな力があるんですよね? ここに来てから妙に力が漲っている感じがします」
「ええ、そうです。ざっと、この世界の者と比べると数倍から数十倍の力を持っていると考えていいでしょうな」
「うん、なら大丈夫。俺は戦う。人々を救い、皆が家に帰れるように。俺が世界も皆も救ってみせる!!」
光輝は持ち前のカリスマが発揮して、絶望しかかっていた生徒たちの顔に活気が戻る。皆が光輝の意見に乗ろうと、戦争の参加を表明しようと思っていたその時、
「天之河。お前、自分が何言っているのか分かっているのか?」
勇仁はゆっくりと立ち上がる。彼は先程まで感じていた危機感をすっかり忘れて、ただ光輝を睨みつけていた。
「いきなりなんだ、光月。もちろんわかっているさ。魔人族を倒しこの世界を救うことだ!」
「違う!!」
広間に勇仁の声が木霊する。彼の迫力に光輝を含めたクラスメイト全員が目を丸くする。
「俺が言いたいのは、戦争に参加するということだ。戦争に参加するというのがどういうことなのか分かっているのか!!」
「い、いきなり何を言ってるんだ? そんなことわかって……」
「わかってねぇだろう! 戦争に参加するってことはな、敵を殺すっていうことなんだぞ! お前がしようとしていることは、ここにいる俺たち全員に人殺しをやらせようとしているってことだ。本当にわかっているのか!」
勇仁の話を聞いていたクラスメイトたちは、ようやく今の状況に気が付く。
敵を殺す。戦争に参加すれば、敵を殺すことになる。自分たちが何をしようとしているのかを理解した生徒たちは顔を青ざめており、中には口を押さえる者もいた。
「な、何を言っているんだ! 殺す必要なんてないだろ! 無力化して話し合えば……」
「話し合いで解決するなら、戦争なんて起きるわけがないだろう!」
勇仁の鬼気迫る勢いに光輝は押し黙ってしまう。彼とそれなりに付き合いのある光輝だったが、ここまで敵意を向けてくる彼の姿は今まで見たことがなかった。
一方で勇仁は光輝の発言に苛立ちを隠せずにはいられなかった。
彼がアークたちと共に立ち向かった敵は己の野望のために多くの人たちを平然と犠牲にしてきた。その中に話し合いで解決できた者など一人もいなかった。どちらかが全滅するまで、ただひたすらに争い続けた。
トータスの件も同じだ。何百年も争い続けている人間族と魔人族の戦争。それを部外者である勇仁たちが介入したところで何かが変わるわけがない。話し合いで解決するなど論外だ。
勇仁は光輝から視線を外してイシュタルの方に目を向ける。
「イシュタル教皇。戦争に参加するかどうかは、こちらのお願いを聞いてからでもよろしいでしょうか」
冷静になった勇仁はイシュタルに嘆願する。そこに光輝が何か言おうとするが、すかさず、雫が彼に近づいて、口を押さえる。
「ふむ、お願いとはなんでしょう?」
「まず、衣食住の確保です。この世界にいる間、俺たちの安全に生活できるように取り計らってもらいたい」
「もちろん。麓にあるハイリヒ王国にはすでに伝えております。皆様の生活は保障しましょう」
「二つ目は、戦争の参加を志願制にしてもらえないでしょうか」
「志願制、ですか?」
イシュタルの顔つきが変わる。勇仁は慎重に言葉を選びながら説得に応じる。
「俺たちが暮らしている国は、七十年以上も戦争をやっていません。法でも戦争をしないと定められています。つまり俺たちは戦争はおろか、戦いに関してもまったく関わったことがない素人集団です。相手を殺すどころか、傷つけることにさえ、拒否感を持つ人もいます。全員参加するのではなく、志願制にして参加するものは戦士として前線に立ち、参加しないものは武器や食料の管理など後方支援として参加するようにしてほしい」
「ふむ、内容は理解しましたが、先程も申し上げた通り、我々はあなた方に人間族を救っていいただきたいのです。どうか全員参加することはできないでしょうか」
「無理やり参加させれば、むしろ邪魔になるのではないんですか。殺せるチャンスがあるのに殺すことができない。その結果、人間族が滅ぶことに繋がってしまえば、あなたたちにとっても都合が悪いのではないですか?」
「ふむ……」
「それとも追い出しますか? あなた方が敬愛するエヒト神が呼んだ俺たちを。それもそれであなたがたには都合が悪いと思いますが」
勇仁の言葉にイシュタルの顔が曇る。彼は深く考え込み、勇仁から一度、視線を外して、クラスメイトたちを見渡す。
「……確かに仰る通りですね。わかりました。騎士団の方には私の方から報告いたしましょう」
「ありがとうございます。最後に俺たちに訓練する時間を設けてほしい。いきなり力を手に入れても、使い方がわからなければ、逆に味方に危険を晒してしまいますので」
「わかりました。あなた方の訓練についても騎士団に報告いたしましょう。……それで、以上ですかな」
「はい。少なくとも、この三つだけは確約をお願いしたい」
(これで、多少の時間は稼げたな……)
勇仁が交渉が上手くいったことに、顔色を変えずに心の中で安堵する。そんな彼の様子をじっと見ていたイシュタルは席を立った。
「それでは皆様を王国へと案内いたします。どうか、私の後を付いてきてください」
広間から出て行ったイシュタル。彼の後を付いて行こうと勇仁たちも動き出すが、その時、光輝が勇仁に近づいて、胸倉を掴んできた。
「光月! お前、いったいどういうつもりだ?!」
「ちょっと光輝! あなた、何を……」
「雫は黙っててくれ! おい、光月。なぜ、あんな条件をつけた!」
突然のことに全員が二人を見て固まってしまう。
光輝は鬼気迫る勢いで勇仁に迫るが、対する勇仁は冷めた目で見つめていた。
「何か問題があるのか? ここは異世界。俺たちの常識が通用しない世界だ。そんなところで、今まで通りに生活するなんてできないだろう。それをさっきの交渉でイシュタル教皇は俺たちの生活を保障してくれた。少なくとも、放り出されて野垂れ死ぬことはなくなったんだ。感謝されこそすれ、こんなふうに胸倉を掴まれる筋合いはない」
勇仁の説明に愛子やクラスメイトの一部は、先程の交渉の意図を知り、納得する素振りを見せていた。
「そういうことじゃない! 俺が言っているのは、戦争の参加を志願制にしたことだ!」
「……それに何の問題がある?」
眉間にしわを寄せる勇仁。だが、その理解できないという態度に光輝はさらに彼を責め立てる。
「大ありだろう! この世界の人たちが苦しんでいるのに、どうして、戦争の参加を志願制にしたんだ! 俺たちには力があるんだぞ! ならば、全員で戦争に参加してこの世界を救うのが正しいはずだろう!」
「お前、さっきの話を聞いていなかったのか? 俺たちの中には相手を傷つけることに拒否感を覚える奴もいるんだぞ。そいつらの意思を無視して、無理やり戦争に参加させるのが正しいことだって言うのか?」
「力を持ったからには、その責任を果たさなきゃならない! この世界から力を授かった者として、俺たちにはこの世界を救う義務がある!」
「ねぇよ、そんな義務。この世界の問題は本来、この世界の人たちが解決するべきことだ。それに力を持ったところで、使う当事者がロクでなしなら意味がないだろう。気に入らないだとか、変な難癖をつけて、背中を撃たれるなんて俺はごめんだぞ」
「皆がそんなことをするはずないだろう!」
勇仁は光輝の発言に怒りを通り越して呆れはてていた。
光輝はクラスメイトの中に裏切る者はいないと信じていた。教室でハジメと檜山たちの絡みを見ておきながら、彼は本気でそう言い切ったのだ。
「第一、お前にどうこう言われようが、俺には関係ない」
「なんだと!」
「俺たちの目的は元の世界に帰ること。戦争の参加はあくまで、その手掛かりを見つけるための手段の一つだ。それを探すために参加するのなら、俺も止めはしない。俺は俺で別の手がないか探す。だから、お前のわがままに俺を巻き込むんじゃねぇ」
「逃げるのか、この卑怯者!」
光輝の目には勇仁は逃げ道を作って、戦争に参加しようとしない無責任な臆病者に見えるのだろう。だが、勇仁は一切、怯まなかった。
「何とでも言え。お前にそう言われようが、俺は何とも思わねぇ。そんなに自分の言っていることが正しいと思ってるなら、周りの奴らに聞いてみたらいいんじゃないか? 少なくとも、全員が戦争に参加したいなんて思っていないだろうよ」
「いい加減にしろよ、光月! お前、これから一緒に戦う仲間を侮辱するつもりか!」
「何でそうなるんだよ。いいから、周りの意見を聞け。話はそれからだ」
「くっ……、皆、聞いてくれ!」
光輝は勇仁の胸倉を放して、生徒たちに声をかける。自分の思いと覚悟を伝えるために。
「俺はこの世界を、そして、そこに住む人々を救うために魔人族と戦う! 光月はあんなことを言ったが、大丈夫だ! 俺が皆を絶対に守ってみせる。皆で力を合わせて、一緒に世界を救おう!」
勇ましく堂々とした姿で宣言する光輝。自信に溢れる宣言に誰もが沈黙が走る中、一人の男が前に出た。
「へっ、お前ならそう言うと思ったぜ。お前一人じゃ心配だからな。……俺もやるぜ?」
「龍太郎……」
光輝の親友、坂上龍太郎だ。そして、彼を皮切りに次々と前に出る者が現れる。
(世界を救う。……そんな簡単にできるわけがないだろう)
勇仁は参加表明をするクラスメイトたちの顔を見て、不快感を覚えていた。
カリスマ性を持ち、完璧超人とも言える光輝の宣言に安心したというのもあるが、彼が言った「世界を救う」という言葉に惹かれて、誰もが顔が緩んでいた。
だが、勇仁は知っている。世界を救うというのが、どれだけ過酷なものなのかを。その過程でどれだけの悲劇と犠牲が生まれるのかを。
「雫! 君も参加してくれるよな。雫もいれば、俺たちは確実に勝てる!」
光輝は雫に近づいて、手を差し伸べる。雫ならば協力してくれる。手を取ってくれると信じて疑わない光輝。だが――、
「悪いけど、光輝。私は参加しないわ」
彼女からきたのは不参加の声明だった。
一瞬、何を言っているのかわからなかったか、その場で固まってしまう光輝。だが、すぐに彼女を問い詰める。
「し、雫。何を言っているんだ? この世界の人たちが困ってるんだぞ。俺の知っている雫は困っている人を見捨てるような奴じゃない」
「助けたいっていう気持ちはあるわ。でも、そのために戦争には参加したくない」
「ど、どうしてだ!」
「怖いからよ」
真っ直ぐ見つめてくる雫の眼差しに光輝は思わずたじろいでしまう。
「戦争に参加すれば、私は否が応でも人を斬ることになるわ。いいえ、それだけならまだマシ。最悪、人を殺すことになるかもしれないのよ」
「そ、そんなことはさせない! 人殺しなんてしないし、させない! 雫のことは俺が絶対に守ってやるから。だからっ!」
「守る云々の話じゃない! 戦えば、そういうことが起きるっていうことよ! 私は怖いのよ。人を斬るのが、相手を殺しちゃうかもしれないって思うと、怖くて戦うこともできなくなるわ」
雫は手を握り、自分の胸に置く。よく見ると、手がかすかに震えていた。
参加表明をしていたクラスメイトたちは、彼女の姿を見て、先程までの高揚感が薄れていく。
「だ、だから、俺がそんなこと……」
「もういい」
これだけ言っても届かない光輝に見切りをつける雫。説得を諦めた彼女は彼から離れて、クラスメイトたちの方に視線を向ける。
「みんな、周りに流されないでよく考えて。ここで考えもなしに行動すれば、きっと後悔することになるわ。まずは今日一日、周りともしっかり話し合って考えてから、答えを出して」
彼女の必死な訴えにクラスメイトたちがどよめきだす。全員が隣にいるクラスメイトと話し合って、今後のことを相談し始めていた。その様子を離れたところから見守っていた勇仁は小さく微笑むのであった。