世界の限界を越える歌声   作:鳥籠のカナリア

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第2話

 湊が高校三年生で湊たちRoseliaのもとにメジャーデビューの話が舞い込んできたころ。おおよそ二年ほど前の話。高校三年生といえば将来の選択をする大切な時期で、バンド自体の活動実績を鑑みればスカウトは必然だったのに湊はずっと悩んでいた。

 

「なー、湊ぉ」

「……なにかしら」

「お前はメジャーデビューしたいの?」

「……話したことはなかったはずだけれど、どうして知ってるの?」

「人の又聞き」

 

 バツが悪そうに瞳を伏せる彼女はなにかを悩んでいるように唸ったあと、観念したのか口を開く。

 

「Roseliaとしてベストな選択をしたいと思っているわ」

 

 Roseliaとして。その言葉を言い聞かせるように言う湊の姿はどこか苦しそうに思えた。湊は高校一年生のころに比べればすさまじい成長を遂げている。それはバンド的な成長もそうだが、なによりも人間として成長を深めているように思う。

 

 視野が広がったということは裏を返せば他のことが目に入ってしまう。盲目的であれば楽だったのかもしれないが、それは彼女の成長を否定することに他ならない。だが、彼女はきっと悩むだろう。そして、この悩みは周囲が無責任に手を貸すものではなく、彼女自身が悩んで彼女たちで解決するべき問題だ。

 

「……私は」

「あー……俺はお前の考えとか分からん。なにしたいのかも知らん。ただ」

 

 ただ、なにもしないのも違うだろう。湊の前で三本、指を立てる。

 

「この一件でお前の納得出来る道に進めたら。……お前のお願いを三つ、聞くよ」

「……どうして?」

「お前は今、これからの道を左右する場所に立ってる。ちょっとくらいモチベーションがあった方がいいんじゃないかと思った」

 

 人を意のままに操れる経験なんて、普通の人生ではほとんどない。ちょっとしたモチベーションくらいにはなるだろう。実際どの程度の効果があるのか分からないけども。

 

「……がんばるわ」

「……ん? おう」

 

 問題は、思ったよりも瞳に輝きが戻って妙なやる気に満ちていることだが……実は支配欲が強い人間性だったのだろうか。そうだとしたら、ちょっと意外な一面だった。

 

 

 

 夏目健一郎の朝はそれほど早くない。

 予定がなければ寝ていたいし、就寝する時間もまばら。

 大学生といえばそんなものだが、今日に限っては予定があるから仕方なしに起き上がる。

 

 寝ぼけた頭で時間を確認してみると、時刻は既に9時ごろ。

 早起きというにはあまりにも遅く、怠惰というには微妙な時間だ。

 

「あー……んー……散歩はしないでシャワーだけ浴びるか……」

 

 普段の休日であれば散歩に出て朝日を浴び、脳を起こしてから活動を始めるのだが、今日はそれほど時間の余裕がない。朝の準備なんてよほどがない限り時間がかかるものなので、余裕はいくらあってもいいのだ。

 

 シャワーを浴びて血圧をあげ、タオルドライだけしてアイロンと整髪料で髪型を整えていきながら今日の予定を立てる。決まってるのは服を買うくらいの話で、それ以外は特に決まっていない。

 

 淡い青のジーンズに白い長袖、アウターで厚めのカーディガンでも羽織れば十分だろう。この服装であれば、試着するときもある程度楽が出来る。これだけだとシンプルすぎるので首回りのアクセサリーと腕時計をして姿見でおかしなところがないか確認して準備完了。

 

 あとは香水などの化粧品など諸々をショルダーバッグに詰め込んで、朝食を取る。

 フランスパンに、練習用に淹れた紅茶を飲み干して一通りの準備を終えたころには既に待ち合わせまで三十分もなかった。

 

「出とくかぁ。遅れても失礼だ」

 

 誰にするでもない言い訳を並べて駅への道を歩く。

 そういえば、とこのデートのきっかけを思い出す。

 元々は新しい服を買いに行きたいというそれだけの話だったらしいが、Roseliaがプロ入りをするという話が出たころにちゃんと乗り越えられたら常識の範囲内で三つお願いを聞くという約束を持ち出して拒否権をなくすという周到なマネをされた。

 

 誰の入れ知恵だよどうせ湊の幼馴染の今井だろ、あのギャルマジで許さねぇ。お願いされてデートするとかどんなご褒美だよ。

 

 それはこっちにとっても得があるからお願いじゃなくてもいいのに頑なにお願いとして一緒に過ごしてほしいと言われたからお手上げ。今井、なんとかしろ。

 

 街路樹の葉が少しずつ色褪せていくような季節、涼しい風が吹いている道をゆっくりと歩いた。

 

 正直、少し緊張している。デートの経験なんて皆無と言っていい俺にとって、良く思っている女性から誘われると特別な意味を感じてしまう。

 もしかしたら、彼女にはそういった意図はないのかもしれないが、人の心というのは分かっていてもどこかいい方向に考えてしまうものなのだろう。じんわりと感じる体温が普段よりも高いのを自覚しながら駅前に辿り着いた。

 

 集合11時で時刻は10分前。あたりを見回すと、既に湊は待っていた。チェックのスカートに黒いタートルネック、白くふんわりとしたアウターは鋭利さではなく柔らかさを感じさせるが、浅く被った黒のベレー帽が少女ではなく、確かに大人を感じさせる。

 

 高校のころは短めのタイトスカートとフリルのついた白いシャツの記憶があったのだが、やはり人は変わっていくのだろう。服装ひとつを見ても時間の変化を意識する。

 

 向こうも気が付いたのか、こちらを向いて微笑みかけて寄ってくる。

 

「悪いな。待たせた」

「構わないわ。今来たところだもの」

 

 どきりとする。それではまるで、恋人同士がするようなやり取りではないか。

 だが、彼女はそれほど照れた様子がない。勘違い、か?

 

「……湊ってお約束みたいなこと言えるんだな」

「お約束……?」

 

 不思議そうに首をかしげる湊。

 これに関しては湊は悪くないが、気負ったこちらがおかしいみたいで笑ってしまう。

 以前よりは分かりやすくなったものの、人としての機微はあまり得意でないことに安心すればいいのか、読み取れない自分にため息を漏らせばいいのかわからない。

 夏目漱石の有名な翻訳とか言っても分からないかもしれない。授業中に歌詞とか考えていそうだもの。

 

「あぁ、本当に今来たのな……」

「ええ。……そんなに頭を抱えてどうしたの?」

「いや、自分がとんでもないことを口走ってたことを自覚しちゃってな……」

 

 恥ずかしさを誤魔化すために湊のことを見ようとして、また固まる。

 普段とそんなに変わらない服装なのに、妙に色付いて見える。陰影がいつもよりはっきりとして、血色がよく見えるのはおそらく彼女が美少女というだけではない。

 これはきっと幻覚じゃないし、唇を見て勘違いでもないことに気が付いた。あれは……グレー系のリップだろうか。

 

「勘違いだったらすまないが……もしかして化粧してる?」

「……わかるの? リサがせっかくのデートだからって。正直、落ち着かないわ」

「普段しないからだよ。……すごく、似合ってると思う」

 

 やっぱり今井の仕込みか、と彼女に感謝する。多分以前のお願いを使ってまでデートに誘ってきたのも彼女の仕込みなのだろう。

 流石今井。ナチュラルメイクに寄らせているのに化粧に疎い男の俺でも分かる程度に主張して普段よりも血色がいい。

 

 見れば気付けるというのは見つけてみろと言われているようだが心のなかで手を合わせる。ありがとう、今井。あなたのおかげで俺は大変いいものを見られている。

 

 似合っている、というとマナーモードのように静かに震えて、落ち着かなさそうに視線を逸らされる。変なことを言ってしまっただろうか。

 

「他人には興味無さそうなのによく見てるわよね」

「まぁ、お前のことはな」

 

 処世術として周囲を見ることが身についていることは否定できないが、目に収めておきたい相手なのだから自然と目で追ってしまう。表情の理由が知りたくて、じっくりと見るから変化に気が付けるんだろう。

 

 自覚すると恥ずかしくなってくるもので、自然と目線が下がっていく。

 

「……そう」

「そ」

 

 彼女は呆れてしまったのか、なんとも言えない表情で視線を合わせてくれなくなる。

 ほんのり耳たぶの血色がよくなっている気がするが、照れているなんてただの都合がいい思い込みだと言い聞かせて話題を変える。

 

「あー……そうだ、昼飯どうする?」

 

 男同士なら適当なラーメン屋やら洋食屋に入れば話は終わりであとは好きなものを勝手に食べて勝手に共通の話題で盛り上がればいいのだろうが、相手が女性となるとそうもいかない。彼女自身はラーメンに抵抗がないらしいが、デートで連れていく場所かと言われれば違う。

 

 デートといえば少しお高いレストランというイメージはあるが、身の丈に合わないことは足を浮かせる。足が浮いたままでは彼女もいい顔をしないだろう。

 

「……あそこでもいいんじゃないかしら?」

 

 考える素振りを見せていると、湊がある建物を指さす。

 彼女が普段行っているファミリーレストランで、行きなれた場所だ。

 確かに女子集団であればあそこでもいいだろうけど、一応とはいえ男と女のデート。シチュエーションは大切にしたい。

 

「あそこも若者っぽいけど大学生っぽくないし捻りねぇだろ……」

「私はそれでもかまわないわ」

「……まぁ、お前はそうでは?」

「なんだか呆れられた気がするわ」

「手間がかからない女でいいけどよ……」

 

 もうちょっとわがままな方が男としてはデートする甲斐もあるってものだと思う。こいつの場合は他の自我が強すぎるから他で適当なくらいが帳尻合ってるとも言えるが、それはそれで寂しいも。

 

 芸術に身を浸している人間は自分の興味がある物事以外がどうでもよくなる傾向にある。

 これは芸術に触れていない人間でなくともある程度そうなのだが、興味のあること以外には選択肢をあまり増やしたがらない。最近はマシになってきたと思っていたのだが湊らしいといえば湊らしい。

 

 呆れた視線を向けても不思議そうな顔をされるだけでなにが言いたいのか分からないらしく大仰にため息を吐いて頭を切り替える。勝手に提案しよう。

 

「何か食いたいものあるか?」

「……ないわね」

「湊は少食だろうしカフェとかにするか?」

「そうね。朝ごはんは食べてきてしまったし、そうしましょう」

「うーん……行き付けのカフェがあるからそこでいいか?」

「……カフェなんて行くのね」

「湊〜。俺、一応大学生なんだけど〜?」

 

 湊は驚いたように瞳を大きく開く。もしかして、俺のことをバイトと大学と家の往復生活で友達も趣味もないかなしいやつだと思ってないか?

 否定も出来ないけどさ。

 

「大学生ってカフェ巡りとかするものなの?」

「さぁ? 一定数店巡りに目覚めるやつはいると思うけどカフェ行くのは少ないかも」

 

 もっとも、以前から通っている羽沢コーヒー店がだいたい知り合いが居て絡まれるから別の落ち着ける場所が欲しいだけ。あそこに行けば聞かれる話はだいたい湊と関係性はどうだとか、音楽はどこがいいだとかそういうもの。

 だからと言って人気チェーンカフェなどあの手の流行に敏感な人間が居るようなところに行きたくない。あそこにいる人たちってキラキラ輝いててこわいもの。

 これが湊のように自らの力で燦然(さんぜん)と輝くダイヤモンドのような輝きではなく、それとはまた別種の、薄気味悪いほど眩しさを放つ光で勝手な忌避感を持っている。

 

「とりあえず行きましょう」

「はいよ」

 

 ゆっくりと歩き出す湊の横を歩く。出来るだけ自然に車道側を歩き、彼女のペースに合わせて来たときとは別の道に歩いていく。こつこつ、鳴らす足音はいつも聞いているはずの音なのに不思議な落ち着きがある。

 

 ああ、そういえば。この音を静かに聞くのはあまり経験のないことだったのかもしれない。時計の秒針のように規則性のあるリズムは不思議なやわらかさを伴って耳朶を打つ。

 

 ただの靴の音だというのに特別さを感じるだなんて、俺はこのデートを思っていたよりもずっと楽しみにしていたのかもしれないと笑った。

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