心臓の鼓動と電車に揺られること数分。最寄りの大型ショッピングモールに到着した。手を握ったまま傍にいたおかげで心臓が破裂してしまうほどの鼓動は鳴りを潜め、なんとか普通に喋ることが出来る。
問題は手を握ってほしいと言ってきた彼女の方で、少し俯いたまま手を握られてされるがままに付いてきている。普段の凛々しい姿とは似ても似つかないしおらしい姿に揺れるこころを好き勝手してやりたいという欲望が鎌首をもたげてため息を吐く。
そういうのは恋人同士になってからお互いの同意ありきでやるものであって、恋人でもない人間がやることではない。……なんでこんなこと考えてるんだろうか。
「……それで? 服以外はなにか気になるものあるか?」
「そうね……音楽関係は気になるけれど、服をあとにした方がいいかしら」
「服の紙袋ってかさばるんだよ。湊に持たせるつもりもないし、あとにしよう」
バイトの給料日に洋服をワンセットで買おうとしたら袋が多くなって大変だった記憶がある。服に興味はないが年齢相応に身なりを整えておきたい、というのが悪い結合反応を見せた結果の末路だったがあれは面倒だった。なにより持ち手が蒸れるし疲れる。
片手はこのデート中ふさがったままなわけで……となると持てる量にも限度はある。
「分かったわ。適当に見て回りましょう」
「うーん……ショッピングエリアを上から行くか」
女性の買い物は長くなりがちだとよく言われる。
原因としては男性は目的のものを決めて、それだけを購入するが女性はショッピング自体を楽しむからという話がある。
そうは言ってもこれは傾向の話で湊の話ではない。彼女は特に他のものに興味を持つこともなく、服屋付近まで辿り着いてしまって困惑する。
「なんか聞いてた話と違うんだけど」
「……どうしたの?」
「いや、なんでもない……」
目的地まで来たのだし、服選びを楽しもう。ウィンドウショッピングで時間潰せると思ってたからデートプランをほとんど練っていなかったが、相手が湊なのだからもう少し考えておくべきだった。
「湊の好きな服ってどういう系統だ?」
「そうね……柄物はあまり好きじゃないわ」
「分かる。柄物は活かすのが難しくて憧れはあるんだけど、ハードルが高くてなぁ」
Roseliaのベースがファッションの幅が広く、彼女を参考にして服を選ぶこともあるくらい彼女はなんでも着こなす。
いつかにやっていた猫耳コスプレは見た時に苦笑したが、あれは例外とする。
彼女は猫が関わるといつも以上にぽんこつに成り下がる。
「湊の服も上手く着こなすよなぁ」
「そう?」
「ああ、このカーディガンの一式はお前のファッションを参考にしたからな」
流石にスカートを履くわけにはいかなかったからズボンスタイルにして、色の感覚を自分に寄らせてはいるが湊の服装を見て服に凝ろうと思ったのは間違いない。
俺はこのスタイルとスーツカジュアルくらいしか幅がないから、彼女のように多くの服を着こなせるのはある種憧れのような感覚があった。
「元々カーディガンの方が好きだったと思うけれど」
「いや、ジャケットも好きだよ」
カーディガンの使い方はスーツでいうところのベストのような使い方をしていた。
ジャケットをアウターにして、シャツとの間にカーディガンを着こんでいたおかげで子供っぽく思えたかもしれない。
つまらないことで過去を思い出していると、湊から視線を向けられていることに気が付く。
「……なんだ?」
「ひとつ、気になるのだけれど」
「おう」
「アクセサリーは付けるのに、手首は時計以外付けないのはどうして?」
「あー……そういえばそうだな。特に理由があるわけでもないんだけどなぁ」
特にこだわりもないのだが、強いて言うのであれば両手にアクセサリーを付けているとじゃらじゃらして見た目が悪くなりそうという先入観があるから。
試してみないのもファッションの幅が少なくなるし、かといって似合うファッションが思い浮かぶかと言われればそうでもない。試すこともないだろうなぁ、と他人ごとのように考えて──湊に引っ張られて近くにあったアクセサリーショップに入る。
店員がすかさず声をかけようとしたのを苦笑して止めると、察してくれたのかにこやかな笑顔を向けられたおかげでちょっと肩身が狭い。ジュエリーショップというほどではないが、ちょっと手を出すのに勇気がいる雰囲気の店だ。
「おーい湊ぉ?」
「これ、付けてみてくれないかしら」
「銀色のブレスレットか……目立たないしアリだな」
元々付けているネックレスが同系統の色で相性もいいだろう。
実際に身に着けてみても違和感はない。
質感を確かめるように表面をなぞると、意匠があるのに気が付いた。
「……薔薇かぁ」
リングの表面には目立たないように薔薇の意匠が施されており、ただのつまらないリングではないらしい。個人的には柄物や、主張の激しいアクセサリーは好きじゃないのだが、こういった遊び心があるものは好んで付ける。
それにしても薔薇とは……たしか、彼女のバンドも薔薇をモチーフにすることが多かったはずだ。
「私も同じものを買おうかしら」
「シンプルめのものは似合うよなぁ」
冷静に考えたらペアルックでは、と首を傾げている間にレジで会計を済ませてしまったらしい。
こういうのって男側が勝手にやるものなんじゃないのか。
「いくらだった?」
「今回のデートのお礼だもの。構わないわ」
「……ありがとう。大切にする」
せっかくの善意で買ってくれたものをいただけるのであれば、気持ちよく受け取った方がいい。
年下に出させているという事実に、脳みその裏側がちりちり焦げるような感触を覚えるが多分気のせいだ。気のせいということにしておこう。
せめてなにかでお礼をしなければ、と密かに決意する。
収入は明らかにメジャーデビューしている湊の方が上だが、それはそれこれはこれ。
デート代は男が出すものなんて古風なことを言うつもりはないが、一方的な奉仕の関係なんて隷属と変わらない。
「……ちょっと失礼するわね」
「え? ……ああ」
小難しいことを考える悪癖が身に着けるのを渋っていると勘違いされたのか、自然な動きで右腕を手に取ると湊が付けてくれる。
感謝を告げようとして彼女を見ると、達成感よりも恥ずかしさが勝るのだろう。普段は自信の見える表情が朱に染まって戻らない。
「……よく似合っているわ」
「湊が選んでくれたものだからな」
同年代の女性からプレゼントされるのはなんだかむず痒くて、じんわりと胸のあたりで熱が拡がっていく。渡されたのはただのモノのはずなのにまるで気持ちを渡されたような感じがするのはきっと気のせいだ。
言葉を渡されたわけでもないのに勘違いしそうになるなんて、女性慣れしていない証拠。ぽやぽやと脳内でパレードを始めそうになっているのを咳払いで誤魔化す。
散れチビども。汝は咎人罪ありき。
「……服屋に戻ろうか。なにが気になってるんだ?」
メインイベントに戻ろうと湊に声をかけるとギクリ、と言わんばかりに宙に視線を右往左往。
やがて観念したのか、少し申し訳なさそうにこう言った。
「忘れたわ」
「そんなことある?」
変なやつだなぁ、と苦笑して彼女の手を引く。
目的のものを忘れてしまったのならいいと思うものを探せばいい。
デートを楽しむってのはきっとそういうことなんだろうし。
「忘れたんなら気に入る服を探そう」
「……いいの?」
「俺も新しい服は欲しいからちょうどいい。湊の趣味でいいから意見をくれ」
湊の手を引っ張って服屋に戻る。
自分一人だと女性用フロアになんてわざわざ近寄らないが、女性用の服も面白い。
中にはどうやって着るんだこの服……と思ってしまうような服すらある。
「湊はパンツスタイルもスカートも似合いそうだよな」
「そうかしら……リサに選んでもらうときはスカートの方が多い気がするわ」
「今井はそっちの方が好きそうだよなぁ」
リサ、というのは推定このデートの首謀者、そして彼女の幼馴染のお節介ギャルだ。
派手な見た目とは裏腹に繊細で世話好きで少女趣味。そしてなによりいい男を捕まえてほしいと純粋に願える人間性。イロモノ揃いのRoseliaの中では珍しくまっとうな人間性で相手をしていて苦にならない人間でもある。
ちなみにイロモノ扱いはおおよそ半分。ボーカル、ギター、ドラム略してボギドの三名である。
ギターは生真面目でちょっとした間違いをすぐに指摘するし、ドラムは物事の本質こそ見れるがお子様で、ボーカルはめちゃくちゃ冷たかった。
全員最初のころの印象を引きずっているだけと言われればそれまでだが、バイト始めて二年目でなければ心が折れていたかもしれないと思うくらいには当時のRoseliaは空気が重かった。
そのボーカルとこうしてデートをしているのだから、世の中付き合いが長くなれば印象も変わるんだなと他人事のように思っているとぎゅっと手に込める力が強まる。
「あなたは、どっちが好きなの?」
「俺? あー……湊が着たいものを着るのが一番いいと思うけど……」
パンツスタイルは彼女の利発さと美しさが前面に出てくるし、スカートであれば少女らしい純粋さを出せるだろう。俺個人の趣味であれば断然……。
「俺個人の好みならスカートが好きだ」
「普段通りになるわね」
「普段が好みだからなぁ」
この言い方だと口説いているみたいだろうか。
湊なら軽く流してくれるだろう。そう期待して横を見てみると、きゅっと唇を噛んで目を見開いたまま時が止まったように驚いた表情をしている。
「……」
「あのー、湊さん……?」
迂遠な表現をすると通じないから真正面から感想を言えば頬を染めて縮こまられると最初に比べれば人間っぽさが出てきたなぁと他人事のように思いつつ、実際のところは心臓が暴れて落ち着かない。
毎日思っていることではあるが、こうして女性として意識するのを許される場面でもなければいうこともない言葉だとは思うが、まさかそこまで反応されるとは余計なことを言っただろうかと思わずこちらが縮こまってしまう。
「……ナツメさん」
「はい」
「そういうことを軽々しくいうものではないわ」
「別に他の誰に言うわけでもないし、湊にしか言わねぇし」
俺の周りに居て関わる相手なんてオーナーかバンドガールの子たちしか居ない。
オーナーは確かに美人だが、あの手のサバサバしてますと言わんばかりの立ち振る舞いをしている人間の内面はすごくウェットなものだと経験上分かっているし、あれはそんなことを言った暁には婿に迎えると言わんばかりの勢いで引き込まれるだろう。
バンドガールはあくまでお客様であって、漏れ聞こえてくる演奏を褒めることはあってもわざわざ身なりを褒める機会はない。
軽口を叩ける相手はRoseliaの面々くらいのものだが、その手の勘違いされそうな言い回しは避けるようにしている。気のあるフリをして損をするのはお互い様だろう。
そうなると称賛する相手なんて湊くらいしか居ない。
いまだ固まったままのことに首を傾げつつ、肩をすくめる。
「別に今更……このくらい、言われなれているだろう?」
そもそも事実として、湊は美人だ。可愛い要素と凛とした美しさの両方を併せ持つ素晴らしい女性だ。それは、立ち振る舞いも含めてのことで、ならば自分の外見がいいことなんて自覚しているのだろうしそこに突っ込まれるとは思っていなかった。
俺個人がどうこう言ったところでわざわざ反応することもないだろう。
そう考えていたのだが、彼女は照れたような苦言を呈したいような複雑な表情をしている。
「どうした?」
「あなた、後ろから刺されるわよ」
「湊からしか刺されないだろ。問題ない」
「はぁ……服はあなたに任せるわ」
諦めたようにそっぽを向いて女性用のフロアに引きずられる。
機嫌を損ねてしまったかと不安になって彼女を見てみれば、手を握ったままわずかに耳が赤くなっていることに気が付いて照れ隠しかと思っておくことにした。
それにしても、俺のことを刺されそうと言うものの、彼女の方こそ気があると勘違いされそうだと思う。普段であれば綺麗と言われた程度ならありがとうとひとこと言う以外に反応もしないのに、デートだからか……?
自分の都合のいいように考え始めた脳みそを誤魔化すように服を選び始める。
ファッションというのは移り変わりの早いもので、秋の終わりに差し掛かればほとんどの商品は冬物にとって変わる。
スカートが好きと言った以上は取り入れてくみ上げる必要は出てくる。
アウターもセットで考えられると楽なんだが……カーディガンよりはこれからの季節も使えるコートの方が品揃えは多そうだ。
「湊、コートの数って増えてもいいか?」
「構わないわ」
「おっけ。もし同系統のものを持ってたらそっちを使ってくれ」
黒を基調とした白色のストライプのスカートを手に取って、白ニットを合わせる。上下で色を合わせるのも悪くはないのだが、色のアクセントを変えないいけないし、合う合わないも分かれる。
湊友希那という女性は単色よりは複色で見た目を作っている方がしっくりとくる。
ただ、三色以上となるとちょっと冒険している気分になるからコートは靴と同じ色にした方がいいだろう。
そこまであたりをつけて、湊から心なしか熱がこもっているような不思議な視線を向けられる。
「どうした?」
「いえ……男の人に選んでもらうのは初めてだから、なんだか新鮮ね」
「同性が選ぶのとそんな変わらないだろ。自分が着てほしいものを選んでるだけだよ」
「着てほしいの?」
「……そのつもりで選んでる」
プレゼントするなら相手のためになるかどうか考えているかどうかは当たり前として、結局は自分が相手に抱いている印象ベースでものを選んでいる気がする。
コートをじっくりと見て目についた茶系統のボアコートを手に取る。首元と手首に動物の毛のようなもこもこ生地が縫い付けられていて暖かそうだ。
いつだったか、今井が湊に対してマフラーをいくつも巻いていたことがあったが、気持ちが分かった気がする。暖かくしろ湊。
「こんなところかな……」
「……買ってくるわ」
「まずは試着からでしょーが」
会計にノータイムで向かおうとする湊の両肩を掴んで試着室に押し込む。サイズ合ってなかったらどうするんだあいつ。……いや、今井がだいたい選んでるとしたらあいつが全部把握してんのか。
そんなことを考えていると、メッセージアプリが通知を知らせる。
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「なんとも言えない顔をしているみたいだけど、どうしたの?」
「いや、なんでもない……」
声に反応して視線をあげて──見えた景色に固まる。
まず見えるのは黒と白のストライプスカート、そしてブラウンのコート。心配になるくらい華奢な彼女を美しい女性という魅せかたが出来ていて、襟や袖から見える白が差し色になっている。
自分で選んでおいてなんだが、ここまで彼女に似合うとは思わず驚く。
「……どうしたの?」
「あ、いや……よく似合ってる。サイズは大丈夫か?」
「ええ、不思議なくらいピッタリ。……私のサイズ知ってたの?」
ジト目で責めるような視線を向けてくる彼女に首を振りながら弁解する。
これでも長い付き合いだ。おおよその体骨格くらいはアタリをつけられるだけでわざわざ探ったりとかしない。Roseliaの衣装担当に聞けば理由を説明したうえで教えてくれるだろうが、そもそも本人ではなく周囲に聞く男は嫌だ。本人に聞くのも大問題だが。
「あらぬ疑いをかけるな。だいたいこのくらいかな、って推測が当たっただけ」
「そうなの?」
「本当だよ」
人の身長体重スリーサイズなんて恋人でもなければ把握したくないし、聞いても忘れるようにしている。酒飲んで出来上がってるオーナーが何度うっかりで言って忘れるのに苦労したことか。
酒飲みのことを思い出して少し具合が悪くなるのを自覚しながら彼女に視線を向ける。
「で、気に入ったか?」
「ええ、一旦脱いでくるわね」
「はいよ。適当に時間潰しておくからゆっくりでいいよ」
試着室にUターンして数分後、先ほどまで着ていた服に戻って手の中にある服を名残惜しそうに見つめている彼女の手から服を抜き取る。……少し体温が残っている気がするが気にしないことにしてカウンターまで行って会計をキャッシュレスで済ませ、紙袋に詰めてもらう。
押しつけがましいのは自覚しているが、あまりスマートな方法も思いつかなかった。
「この一式はプレゼントだ」
「自分のものくらい自分で出すわ」
「いいから。普段一緒に居られている感謝の気持ちってことにしてくれ」
財布を出そうとする湊の手を取って繋いで黙らせる。
少し強引だったかな、と不安になって彼女の方を見ると、彼女の瞳にあったのは驚きではなく読み取れない感情だった。
人がやるのを見たことは何度かあるが、気恥ずかしいってのは初めて知った。
「ずるいわ……」
「なにが」
「……」
俺の疑問には答えてくれず、静かに手を握りなおしてくる。
無言の時間はだいたい居心地の悪いもののはずなのに、不思議と嫌だとは思わなかった。
そういえば、男性から女性にプレゼントとして服を贈るのはなにか意味があった気がするんだが、思い出せない。*1
「うーん……?」
いくら考えても思い浮かばずに天井を眺めても見えるのは天井にある電飾だけで答えなんて出てきてくれない。感覚としては探していないときに見つかるという意味で家のなかで鍵をなくした感覚に近いかもしれない。
「ま、いっか」
思いつかないということは大きな地雷でもないのだろうと割り切った。