ハリー・ポッターとアーヴィングの狼   作:揚げ芋

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第一話:狼と杖選び

「ホグワーツで学ぶなら杖を新調せにゃならんな」

 

きっかけは祖父のその言葉だった。

イヴは純血一族の娘として、かつてアメリカの魔法学校で働いていた母アイシャの英才教育を受けていたが自分の杖をまだ持ってはいなかった。

その理由はいくつかあるが、一番は彼女が今の今まで「自分の杖」を持つことを頑なに拒み続けたことだ。

 

「でも、お父さんの杖があるから」

 

自分の杖を持つということは、彼女が生まれる前に亡くなった――より正確に言うならば、殺された父の杖を手放さなければならないということだ。

彼女にとって父の杖は決して扱いやすいものではなかったが、いつも一振りするたびに心の中に温かいものを感じさせてくれる宝物だった。

そのことをわかっているからか、これまで二人はイヴに対して杖を買うことを提案はしても彼女が首を横に振ればそれを汲んでくれていたのだが、流石に今回ばかりは譲る気がないようだった。

 

「お前がパーシヴァルの杖をたいそう大事にしてくれているのは知っとるが、あやつの杖はどこまでいってもあやつのものだ。お前の杖にはなれん。ホグワーツに入るなら、杖を新調せねばならんぞ」

 

ぴしゃりと言い放つ祖父エドワードの顔には可愛い孫娘に厳しい言葉をかけなければならないことへの苦々しさがはっきりと現れていて、イヴは少しうつむきがちに了承の言葉を口にすることしかできなかった

 

そんなやりとりをしたのが三日前。

彼女は今、活気にあふれるダイアゴン横丁の空気に圧倒されていた。

商店街の両側に立ち並ぶ店々からは、魔法の煙や光が絶え間なく放たれ、空気に独特の匂いを漂わせている。魔法界の人々が忙しそうに歩き回り、時折笑い声や威勢のいい掛け声が響く。

しかし彼女にとってその喧騒はあまり心地の良いものではなかった。

彼女にとって他人というのは常に気を配らねばならない対象で、彼らの一挙手一投足や表情の微妙な変化をも見逃さぬように伺うクセがついている。ダイアゴン横丁に訪れるのは初めてではなかったが、大勢の人々が無秩序に行き交うこの場所にはどうしても苦手意識がある。

イヴは内心に渦巻く不安を覆い隠すように背筋を伸ばし、わざとらしいほどに堂々とした佇まいで母の隣を歩く。

 

「イヴ、大丈夫?」

 

その声に、彼女はハッとして小さく頷く。

 

「大丈夫」

 

イヴのその言葉にアイシャは微笑むが、その目には深い心配の色が浮かんでいる。それでも彼女にはきっと今を逃せばイヴが魔法界に巣立っていく機会が失われてしまいそうで、今日このとき娘がこの世界に一歩を踏み出す瞬間を支えなければならないという決意とともにイヴの右手をとった。

 

「それならオリバンダーの店に行きましょう? あなたの杖を買わなくっちゃね」

 

温かい母の手に引かれて歩きながら、しかしイヴは周囲の魔法使いに気を取られていた。

煌びやかな服装をした純血の魔法使いや店の中で談笑するカップル、荷物を山積みにしたカートを押す者たち。

満月が訪れるたびに彼らの幸福を一瞬で打ち砕きかねない怪物へと変じる自分の居場所がそこにあるのか。そんなことをどうしても考えてしまう。

 

「イヴ。イヴ? ついたわよ」

 

母の声で現実に引き戻されたイヴはいつの間にかたどり着いていたそのレンガ造りの店を見上げる。

その店は、立ち並ぶ他のそれよりもずっと古びて見えた。埃を被ったガラスの窓には『杖職人 オリバンダー』の文字が書かれていて、そこから見える店内には所狭しと箱が積み上げられている。そのどれもが高名な杖職人オリバンダー氏手製の、一本とて同じもののない杖だと思うとその途方もなさに圧倒される。

ドアを押し開けた母に続くように足を踏み入れた店内は薄暗く、古い木の香りが立ち込めている。

客を歓迎しているようには思えない埃っぽい空気に彼女がけほっと小さく咳き込んでいると狭いカウンターの後ろから一人の老人が姿を表した。

彼が当代のオリバンダー、イギリス魔法界で最も高名な杖職人ギャリック・オリバンダーその人なのだろう。

 

「おや……これはまた、興味深いお客様ですね」

 

彼はイヴをじっと見つめ、まるで透き通るような目を細めて微笑んだ。

 

「こんにちは、オリバンダーさん。娘の杖を選びに来ました」

 

母が答えると、彼は頷き、ゆったりとした足取りでイヴに歩み寄る。

つい後ずさりそうになるのをこらえて、イヴは極めて洗練された所作でオリバンダーにカーテシーをする。

 

「こんにちはミスター。今日はよろしくお願いします」

 

見たものを魅了してしまいそうな完璧な微笑みをその中性的で整った顔に貼り付けたままの彼女を、アイシャはわずかばかりの寂しさが浮かぶ瞳で見つめていた。

 

「もう少し早くいらっしゃるかと思っておりましたが……イヴ・アーヴィングさん、ですな?」

 

イヴは驚いてアイシャを見る。彼女は店内へ踏み入ってから一度も呼ばれていない自分の名前がオリバンダー老人に知られていることに戸惑いを感じていたが、母は何も動じていない様子だった。

 

「どうして私のことを?」

 

恐る恐る尋ねるイヴに、オリバンダーは微笑んで答えた。

 

「私は杖職人ですからな。杖を必要としている魔法使いのことは、なんとなく分かるものなのです」

 

彼の声は少し低くなったが、優しさが含まれていた。

 

「貴方の心に寄り添ってくれる杖は必ずある」

 

イヴは身体をこわばらせた。理由はわからないが、彼は自分が狼人間だと分かっているのだと、そう確信する。

だがしかしオリバンダーは変わらずまるで日常の挨拶のように穏やかな顔をしていた。

 

「さあ、始めましょうか。まずは、こちらをどうぞ」

 

恐る恐る彼が差し出した一本の杖を受け取る。

その杖は、ひどく重く感じられた。

柄から伝わる拭いきれない違和感にわずかに眉をひそめながら、ちらりと母とオリバンダーに視線を送る。

 

「ほら、振ってみなされ」

 

彼の言葉に母が微笑みとともに頷いているのを確認し、杖を軽く振る。

すると店内の棚が揺れ、小さな埃が舞い上がって三人ともが同時に噎せた。

 

「これはいかん、どうやら違うようですな。では次はこれを試してください」

 

次に手にした杖は、妙に軽く感じる。

振った瞬間、棚の上の箱が崩れ落ち、やはり舞い上がった埃で咽る羽目になった。

 

「なかなか手強いお客様のようだ」

 

オリバンダーは嬉しそうに笑ったが、イヴは不安になり始めていた。

その後、優に七本を超える杖を試すことになったが、そのたびにカーテンが燃えたりガラスが割れたり、巻き起こった突風で杖の箱が崩れ落ちたりするばかりで「これだ」と感じられる杖は一本も存在しなかった。

 

「……私には……杖が見つからないのかもしれません」

 

五本目辺りまではうまく取り繕えていた表情を失って、ひどく不安に苛まれたような様子でぽつりと呟く彼女の手を母がそっと握る。

 

「そんなことはないわ、イヴ。必ず貴方を選ぶ杖がある」

 

「その通り。……あぁ、もしかすると、あの杖が良いかもしれませんな」

 

そう言いながらバックヤードへと引っ込んでいったオリバンダーは、一つのひどく古ぼけた箱を持って戻ってきた。

 

「月桂樹にグリフォンの羽、13と2/3インチ*1、しなやかで重くなく、振りやすい」

 

箱から取り出された杖はツヤのないマットな仕上がりで、柄には細かな滑り止めの刻みと特徴的な三日月の装飾が描かれていた。

イヴが震える手でその杖を握ると、じんわりと暖かな感覚が手のひらに広がっていく。光が杖先から漏れ出して柔らかな輝きが店内を照らす。

 

「素晴らしい、実に素晴らしい」

 

イヴが視線をやるとオリバンダーは満足げに頷いていて、アイシャは喜びに感極まった様子で口元に手を当て目をうるませている。

 

「月桂樹とグリフォンの羽根――非常に稀有な組み合わせだ。忠誠と勇気を象徴する組み合わせだ。君に杖を握り続ける覚悟があるのなら、この杖は決して君を裏切らないだろう。……そして君のお父様の杖の芯材と同じものを使った兄弟杖でもある」

 

オリバンダーが語る父の杖と兄弟杖という言葉にイヴは目を見開いて、自分の掌に収まった杖を凝視する。

母が目をうるませるわけだ。

 

「イヴ、貴方の門出をパーシヴァルも喜んでいるわ」

 

痛いほどきつく自分を抱きしめる母を抱き返しながら、イヴはぽろぽろと涙をこぼした。

*1
約34.7cm




イヴのお父さんの名前は、祖父のエドワードが勝手にアルバス・パーシバル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドアから頂戴して名付けました

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