ホグワーツ特急が減速し、汽笛が長く尾を引く。
列車が完全に停車する前から、車内には新入生たちのざわめきが広がっていた。
誰も彼もが期待と不安の入り交じった表情を浮かべて、迫ってくる駅のホームを見つめている。
「ホグズミード駅……!」
その例に漏れず、コンパートメントの窓に張り付いていたハンナがつぶやく。
イヴは平静を装って座席に座ったまま、しかし心は窓から見える光景に釘付けられていた。
闇に包まれた静かな駅は、どこかノスタルジックでありながら魔法の気配に満ちていて、灯りの一つひとつが、普通の駅のものとは違う、温かな揺らめきを持っているように思えた。
「着いたみたいだね!」
隣のコンパートメントから顔を覗かせたハリーが、興奮を隠しきれない声で二人に呼びかける。
「うん、行こうか」
イヴは静かに頷いたが、その心はざわざわと波立っていた。列車を降りたら、本当に魔法界での生活が始まる――その事実に、期待と不安が入り混じりあっていた。
駅のホームに降り立つと冷たい夜風がイヴの頬を撫でる。少し寒そうに身を震わせたハンナの様子に、イヴはさりげなく彼女の風上に立ってそっと身を寄せた。
星明りの下、新入生たちが色とりどりのマントに身を包んでざわざわと動き回っている。
「イッチ年生! イッチ年生はこっちだ!」
そんな野太い声が人ごみの上から響き渡った。
イヴが声の主に目をやると、巨大な男――いや、ほとんど巨人と言っていいほどの体格の男性がランタンを掲げている。
「ハグリッドだよ、ホグワーツの森番なんだって。僕あいさつしてくるよ!」
そばに居たハリーは嬉しそうにそう言ってロンと共に人混みを縫って彼へ近づいていった。
イヴは目を丸くしながらその大男――ハグリッドのもとへ向かう二人を見送る。どうやら彼はハリーと既知のようで彼と言葉を交わしてにこやかに微笑んでいた。
少し恐ろしくさえある体格の持ち主だが、その笑顔にはおおらかさと優しさが滲み出ているように思えた。
「さぁ! イッチ年生は全員、湖を渡ってホグワーツに行くぞぉ! さあ、ついて来い!」
ハグリッドのその一声で、新入生たちは列になって歩き始めた。イヴとハンナもはぐれないようぴったり身を寄せあいながら、冷たい石畳の道を進む。
ホグズミード駅からほどなくして、視界が大きく開けた。
闇の中に広がる鏡のような湖面が、満月の光を受けて輝いている。
その神秘的な光景に、新入生たちは思わず立ち止まった。
「綺麗……」
つぶやくように漏らした言葉に、ハンナが笑顔で頷く。
「うん、ホグワーツに来るときはみんなこれを渡るんだって。伝統なんだよね」
湖のほとりには、ずらりと並べられた小さなボートが揺れていた。それぞれにランタンがぶら下がり、柔らかな光を放っている。
「どれでも好きなボートに乗るんだ!」
ハグリッドの指示で皆がボートへ乗り込んでホグワーツへの湖渡りが始まると、静かな水面に無数の航跡が刻まれた。
月明かりが波立つ水に反射し、湖全体が幻想的な雰囲気に包まれている。
イヴは、そわそわと落ち着かない面持ちで船首の方に視線をやった。
大きな城のシルエットが少しずつ現れ、胸の高鳴りと共に未知への不安がこみ上げてくる。
「感動してるのかい?」
背後からの声に驚いて振り向くと、そこには金髪の少年と二人の恰幅の良い少年が座っていた。
整った顔立ちと自信に満ちた微笑みが、彼を一段と目立たせている。
「ドラコ・マルフォイだ。こっちはクラッブとゴイル。君たちは?」
唐突な自己紹介に、イヴたちは一瞬戸惑いながらも言葉を返した。
「イヴ・アーヴィングです」
「ハンナ・アボットよ」
その名を聞いた瞬間、ドラコの眉が少しだけ跳ね上がる。
「アーヴィングにアボットだって?」
「えぇ、そうだけど」
彼女が答えると、ドラコの表情に笑みが浮かぶ。
「君たちの家名はよく知っている。父が『アーヴィング家は品位と誇りを忘れない一族だ』って言ってたよ。アボット家は……まぁ、
彼はすっとハンナに視線を移しながら、どこか嘲りを含んだ口調で続けた。
彼女が居心地悪そうに身動ぎするのを感じて、ドラコから見えないようにそっと手を握る。
ざわざわと心にさざ波が立つのを感じながらも、イヴは微笑みの仮面をつけ直した。
「スリザリンは僕たちみたいな者のための場所だ。純血の家系を守り、誇りを持つ者たちが集まる寮さ」
その言葉には、自信というよりは確信に満ちた響きがあった。
彼は自分の言葉が当然の真実だと信じて疑っていない。
そしてきっと「僕たち」の中に、ハンナは含まれていないのだろうとわかる。
「スリザリン、ね……」
彼の言葉の中にある「僕たちみたいな者」という表現が、彼女の胸に棘を残す。
狼人間という秘密を抱える自分が、その「僕たち」の中に含まれるのだろうか――そんな疑問が頭をよぎった。
マグルの血が一滴でも混じっただけで嘲笑するような者たちが、狼人間の自分を受け入れるだろうか?
「僕の父は、君がスリザリンに来れば大いに歓迎するだろうね」
ドラコの言葉に、イヴは少し困ったような表情を作って首を傾げる。
「ありがとうミスター。けれど寮を決めるのは私達ではないから」
その返答に、ドラコはわずかに目を細めた。
「君は謙虚だな。だが、スリザリンは選ばれるべき価値のある場所だ。それを忘れないでくれ」
ドラコのその言葉には自信に裏打ちされた熱意と強い仲間意識が見える。
イヴはただ微笑んで頷いたが、その背後で彼女の心は複雑な想いに揺れていた。
自分は今、ハンナに対してひどい裏切りをしているのではないか。
自分は今、ドラコに対してひどく不誠実な対応をしているのではないか。
――穢らわしい狼のくせに、挙げ句コウモリの真似事なんて……馬鹿みたい。
微笑みの仮面の下で渦巻く自己嫌悪に苛まれながら、彼女は再び船首へ向き直る。
「……ごめんなさい、ハンナ」
後ろの三人に聞こえないように小さく謝罪すると、ハンナは少しつかれた笑顔で首を横に振った。
「気にしないで。イヴはなにも悪くないもの」
二人してうつむきがちに黙っていると、やがてボートはホグワーツ城の船着き場へとたどり着いた。
新入生たちは次々と船を降り、ハグリッドに導かれて城の地下から大広間へ続く階段を登っていく。
大広間の手前にある巨大な扉の前には、整った髪型で小さな丸眼鏡をかけた女性が凛とした佇まいで待ち構えていた。
「マクゴナガル先生、イッチ年生たちです」
「ご苦労さまですハグリッド。ここからはわたくしが預かりましょう」
マクゴナガルの凛とした声が響く。
「さて新入生の歓迎会がまもなく始まりますが、大広間の席につく前に、皆さんが入る寮を決めなくてはなりません。組み分けはとても大事な儀式です。ホグワーツにいる間、寮こそが学校での皆さんの家なのですからね。寮生と一緒に勉強し、寮で休み、自由時間の多くは寮の談話室で過ごすことになるでしょう」
彼女の説明は簡潔ながらどの寮に入るかがホグワーツでの生活にとって重要な意味を持つと感じさせるのに十分なものだった。
「家」という響きが胸に突き刺さって、イヴは思わず視線をうつむかせる。
狼人間である自分を受け入れてくれる寮など、本当に存在するのだろうか――そんな不安が頭をよぎった
「イヴ、大丈夫?」
よほど酷い顔をしていたのか、ハンナが上目遣いで心配そうに彼女を顔を覗き込んできた。
「少し緊張してしまって。ありがとうハンナ」
そう言って微笑めば彼女はそれ以上何かを追求しようとはしなかった。
マクゴナガル教授の鋭い視線が二人に向かったのも理由の一つだっただろうが、イヴのそれ以上踏み込んでほしくないという心情をハンナが敏感に察知してくれたのだろうと彼女は思った。
「……寮は四つあります。グリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクロー、そしてスリザリン。それぞれ輝かしい歴史があり、多くの偉大な魔女や魔法使いが卒業しました。ホグワーツにいる間、皆さんのよい行いは、自分の属する寮の得点になり、反対に規則に違反した時は減点にされ、学年末には最高得点の寮に大変名誉ある寮杯が与えられることになります。皆さん一人一人が寮にとって誇りとなるよう、望みます」
ごくりと固唾をのむ音がした。
「それでは、ついていらっしゃい」
教授が扉を押し開けると、煌々とした光が新入生たちを包み込んだ。
大広間の天井は魔法で飾られた満天の星空が広がり、浮遊する燭台が無数の光を灯している。
四つの長いテーブルに座る上級生たちの視線が、新入生たちへと注がれた。
大広間の最奥、教授陣がかける長机の前に据えられた一脚の椅子に古びた三角帽子が鎮座している。
――あの帽子は何に使うんだろう?
イヴがそんな疑問を抱きながら帽子を見つめていると、帽子がひとりでに動き出した。
つばの縁の破れ目が口のように動いて、歌を歌い始める。
君の頭に隠れたものも
組分け帽子はお見通し
かぶれば君に教えよう
君が行くべき寮の名を
グリフィンドールに行くならば そこは勇気が住まう寮
勇猛果敢な騎士道で 他とは違うグリフィンドール
ハッフルパフに行くならば 君は正しく忠実で
忍耐強く誠実で 苦労を苦労と思わない
古き賢きレイブンクロー 君に意欲があるならば
機知と学びの友人を ここで必ず得るだろう
スリザリンではもしかして 君はまことの友を得る
どんな手段を使っても 目的遂げる狡猾さ
かぶってごらん! 恐れずに!
興奮せずに、お任せを!
君を私の手にゆだね
だって私は組分け帽子!
帽子は四つの寮の特徴を歌い上げながら、新入生たちの緊張を和らげているようにも見えた。
歌が終わると、マクゴナガル教授が名簿を手にし、名前を読み上げる。ざわざわとしていた大広間が一瞬にして静寂に包まれ、その場の全員が帽子による組み分けの時を待っているのがわかった。
「アボット、ハンナ」
ハンナが小さく息を吐いて、帽子の前に歩み寄る。
帽子をかぶるとほんの数秒で「ハッフルパフ!」と帽子が叫び、ハンナは喜びに満ちた笑顔で一瞬イヴに向けて手を振ってハッフルパフのテーブルに向かっていった。
彼女の組分けを皮切りにABC順で次々と名前が呼ばれ、帽子の判断に従って生徒たちはそれぞれの寮に振り分けられていく。
そしてHからはじまるファミリーネームの子がレイヴンクローへ組分けされると、とうとうイヴの番がやってきた。
「アーヴィング、イヴ!」
名前を呼ばれた瞬間、大広間が静まり返った。
ホール中の視線が一斉に彼女に注がれている。
その圧倒的な緊張感に飲まれそうになりながら、イヴは肩の力を抜こうと息を深く吸い込む。
「大丈夫よ、イヴ……大丈夫……」
小声で自分に言い聞かせるように呟き、ピンと背筋を伸ばしたまま組み分け帽子の前に歩み寄る。
椅子に腰を下ろすと、帽子の古びた感触が頭に触れた。
「おや、君は……ふむふむ、なるほど、面白い」
帽子の声が彼女の頭の中に響く。
その声音は年老いているようでいて、どこか知的な響きがある。
「君には勇気があり、誠実で、思慮深く、誇り高い。だがそのどれもが、君の本質とは言えないな。じつに面白い!」
イヴは驚きながら、心の中で問い返した。
「……本質とは言えない?」
「君は"そうあれかし"と自分に言い聞かせているだろう?」
帽子の言葉にイヴは動揺した。
確かに彼女は自分がどの寮に組分けされようとも絶対に狼人間であることを隠し通し、問題を起こさず、家族の名に恥じない振る舞いをしようと心に決めていた。
勇気も、誠実さも、思慮深さも、誇り高さも、求められるなら必ず身につけてみせようと。
「さて、まずはスリザリンが思い浮かぶ。君のその覚悟と"身内"へ向ける深い愛情はスリザリンにこそふさわしい」
スリザリン――。
イヴの脳裏にドラコ・マルフォイの顔が浮かぶ。
彼が湖渡りのボートで語った言葉――「スリザリンに来れば大歓迎だ」という声が耳の奥でこだました。
「スリザリンは、君の能力をさらに引き出し、純血としての立場を守る術を教えよう」
「でも……私は、狼人間です」
イヴの心の中でその言葉が小さく響く。帽子は微笑むように答えた。
「それがどうした? スリザリンは、君が自分を隠す能力をさらに鍛える場所になり得る。だが、君が望むのは隠れることかね?」
ドキリとした。
狼人間であることは隠し通さねばならない。
「左様。隠し通さ
そうあれかしと言い聞かせている。
組み分け帽子が語った言葉を、イヴは思い出した。
「グリフィンドールはどうだろうか? 君には勇気がある。困難に立ち向かう意思も十分にある。グリフィンドールは君に偏見と戦い続ける術を教えてくれるだろう……しかし、君が望むのは"戦い続けること"かね?」
グリフィンドール――彼女は少しだけその響きに憧れを覚えた。
狼としての呪いを抱えながら、堂々と前を向いて生きる。
それは理想的な生き方に思えた。
「私は……戦い続けることに疲れてしまうかもしれない」
帽子は同意するように頷いた。
「左様。君の心に勇気があるのは確かだが、それもまた君の本質とは言えない。
……ならば、レイブンクローはどうだろうか? 君の知識欲と分析力は、この寮で大いに活かされる。偉大な研究者への道をレイヴンクローは示してくれるだろう、しかし――」
イヴの頭に母が教えてくれた古典魔法の書物や、魔法薬に関する勉強の時間がよみがえる。
確かに学ぶことは好きだし、自分の武器になることも知っていた。
「私は……ただ勉強だけをするために生きているわけでは、ない……?」
帽子は少しだけ笑い声を漏らした。
「その通り。君は学びに意義を求めておる。……それでは、ハッフルパフはどうかね?」
「ハッフルパフ?」
「そうだ。寛容で、誠実で、公平な者たちが集う寮。何より、彼らは他者を信じることを恐れない」
帽子の言葉にイヴは心が揺れた。
「私を受け入れてくれるでしょうか? 私が狼人間だと知っても……?」
「確かに、恐れる者もいるだろう。だが、ハッフルパフの者たちは恐れや偏見ではなく、信頼を基盤に物事を考える」
イヴの胸に、一縷の希望が灯る。
「……でも、私は、その信頼を裏切らない自信がありません」
「君は責任感が強いがゆえにそう思う。しかし、君が真に背負うべき責任はすべての人を満足させることではない。ハッフルパフは、その答えを見つける場所になり得る」
イヴは心の中で静かに息を吸い込む。
「私が真に背負うべき責任……」
「左様。それを知りたいと思うかね?」
帽子の問いかけに、イヴはこくりと頷いた。
「よろしい! ならば……ハッフルパフ!」
その言葉が大広間に響くと、ハッフルパフのテーブルから温かな拍手が沸き起こった。
イヴは帽子を外しながら、心にほんの少しだけ軽さを感じていた。
大広間からハッフルパフテーブルの拍手が響き渡る。
イヴは少し戸惑いながらも、確かな足取りで彼らのもとへ歩む。
そこではハンナが満面の笑みを浮かべながら彼女を待っていた。
「わたしイヴもハッフルパフだったら嬉しいなって思ってたの!」
イヴはその言葉に驚きつつも、胸の奥に暖かな火が灯るのを感じた。
ハットストールです。
感想、評価、ここすき、誤字脱字報告、ツッコミ、展開予想、何でもお待ちしています。