ホグワーツでの初めての朝が明けた。
イヴは柔らかなキルトから身を起こし、窓に目をやった。魔法で映し出された星空は薄明かりに変わり、窓枠には朝霧のような淡い光が差し込んでいる。昨夜はハンナとスーザンのお陰で穏やかに眠りにつけたのだが、今は全身に新しい日が始まる緊張感が張り詰めていた。
寝間着から制服に着替え、髪を整えると、イヴはハンナとスーザンと一緒に談話室を出る。
朝の光が廊下を照らし、古い石の壁に刻まれた無数の歴史を浮かび上がらせていた。
肖像画が談笑し、時折、新入生たちに視線を送りながら微笑む。
壁にかかるアーチや動く階段の影が、まるでこの城全体が生きているかのよう感じさせた。
「ホグワーツって、ほんとに素敵な場所ね……」
ハンナが感嘆の声を漏らす。
イヴとスーザンもその光景に言葉を失いながら頷いた。
この場所には、魔法界の全てが詰まっているような重みと美しさがある。
大広間に向かう途中、数人の上級生とすれ違った。彼らは柔らかな笑顔を浮かべて、ハッフルパフの新入生たちに「おはよう」と声をかけてくる。
大広間に足を踏み入れると、昨夜とはまた違った景色に三人は目を奪われた。魔法で装飾された天井には、朝の柔らかな日差しと漂う雲が映し出されている。四つの長いテーブルには、それぞれの寮生たちが色鮮やかな制服をまとって談笑していた。
ハッフルパフの席に向かう途中で、食事を終えて広間を離れるところらしいセドリックが軽く手を振りながら声をかけてくれる。
「おはよう、新入生のみんな! いい一日をね!」
その声にイヴは控えめに微笑み、「ありがとうございます」と小さく答える。
彼の明るさと親しみやすさはハッフルパフという寮そのものを象徴しているかのようで、彼女たちだけではなくハッフルパフに組み分けられた多くの新入生が彼に対して既に好感を抱いているようだった。
食卓には見たことのない料理が並んでいて、湯気の立つパンケーキ、鮮やかな果物、甘いシロップの香りが漂っている。
三人は思い思いに食事をとりながら、会話を楽しむことにした。
「イヴ、これ試してみて! すっごく美味しいの!」
ハンナがフォークに刺したベーコンを差し出してくる。
その無邪気な笑顔に引き込まれるように、イヴは“行儀が悪い”と自覚しながらもそのベーコンを食べてみることにした。
「美味しい……!」
口の中に広がる香りと肉汁が自然と彼女の頬をほころばせる。
「あなたそんな可愛い顔もできるのね」
スーザンが少し驚いたような表情でそう言うと、ハンナは「あら! イヴって、けっこう表情豊かなのよ? 基本スンってしてるけど」なんて言って笑う。
イヴはどうにも気恥ずかしくなってごまかすようにリンゴジュースを口に運んだ。
そうこうしているうちに、不意に隣のグリフィンドールのテーブルから聞こえて声が、イヴの意識を引く。
楽しげな声の中に聞き覚えのあるものが混じっている。
振り返ると、そこにはハリーとロンがいて、二人は笑顔で話し合い、時折肩を叩き合っていた。
「でもやっぱりグリフィンドールで良かったよ! ハッフルパフなんかに組分けされてたら、フレッドやジョージにどんだけからかわれてたか!」
ロンのその言葉にハリーは少しだけ気まずそうにちらりと背後を伺って「ハッフルパフだって悪くないと思うけど」と彼を嗜めるように言う。
「いやいや、グリフィンドールより良い寮なんて無いよハリー! ダンブルドアやマクゴナガルだってグリフィンドールの出身だぜ? その点ハッフルパフなんて誰でも入れる寮じゃないか」
彼らの会話に、イヴの手が思わず止まった。
ざわざわと落ち着かない心持ちで周囲を伺うが、ハッフルパフの上級生たちのほとんどは彼の発言をさっぱり気にしていないようで、皆思い思いに談笑しながら朝食に舌鼓をうっている。中には「ありゃあ確かにグリフィンドールだな」なんて言ってけらけら笑っている者さえいる。
「こらロン! まだ組み分けされただけだっていうのに随分偉くなったな? 他寮を侮ってグリフィンドールの品位を落とすような真似はやめろ。2点減点だ」
「嘘だろパーシー!? 僕はグリフィンドールを褒めただけじゃないか!」
パーシーと呼ばれたグリフィンドールの赤毛の監督生が彼の頭を持っていた本でポンと叩きながら叱る。
彼の話題はそこから“おえらい監督生のパーシー・ウィーズリー様”とロンのじゃれ合いのような兄弟喧嘩へ移り変わっていく。
グリフィンドールの食卓からは、ずっと楽しそうな笑い声が響いていて――イヴはリンゴジュースを持つ手をそっと下ろした。
ロンの言葉が直接的に彼女を非難しているわけではない。
きっと悪気だってなかったのだろう。
それは分かっている。
それでも「誰でも入れる」というフレーズが心に刺さって、そこから広がる影のような感情を抑えられなかった。
――誰でも入れる。それなのに、私は?
ハッフルパフでさえ心の意味で受け入れてもらえるかわからない自分。
この場所で生き残るには、もっと何かをしなければならないのではないか――そんな思いが胸に広がる。
「イヴ、大丈夫?」
ハンナが心配そうに問いかける。イヴは微笑みで返事をしながら首を横に振った。
「何でもないよ。ただ少し考え事をしていただけ」
「そう? それならいいけど……無理しないでね!」
ハンナの優しい声に、イヴの心は少しだけ軽くなった。
「さて、そろそろ行きましょう二人とも。初めての呪文学の授業に遅刻なんてできないわ。それに、勇猛果敢なグリフィンドール様のお手並みを見せていただかなくっちゃね?」
スーザンが立ち上がり、冗談めかして言う。
このあと受ける初めての授業――呪文学はグリフィンドールとの合同だ。
気づけばグリフィンドールの食卓ではいつの間にかロンとパーシーの言い合いに赤毛の双子が解説役で参戦していて、彼らがいれる絶妙な茶々に周囲の生徒たちがげらげらと楽しそうに笑っていた。
その様子になぜだか笑ってしまいそうになる自分に困惑しながら、イヴは彼らを見つめる。
「どうしたの?」
スーザンの不思議そうに問いかけに、イヴは小さく微笑む。
「いや……彼らが遅刻しなければいいなと思って」
「「それは多分無理そうね/じゃない?」」
くすくす笑いながら声を揃えた二人の言葉に、思わずちいさく吹き出してしまった。
* *
呪文学の教室は、天井の低い古びた石造りの部屋だった。
壁にはたくさんの魔法の書物が収められた棚が並び、その合間には古い巻物や奇妙な魔法の小物が飾られている。
教卓には、背丈が小さく、白髪と口ひげが特徴的なフリットウィック教授が既に立っており、授業の準備をしていた。
「席について、教科書を出しておくように」
教授は柔らかい声で指示を出すと、自らも小さな脚立に登り、教卓に手をついてこちらを見回した。
彼の目は小柄な身体とは裏腹に鋭く、すでに教室内を観察している様子だった。
イヴ、ハンナ、スーザンの三人は早めに教室に入り、最前列に近い席に腰を下ろしている。他のハッフルパフの生徒たちも、談話室での穏やかな空気そのままに席についていた。
グリフィンドールの生徒たちはまだまばらにしか席についておらず、三分の一か半分ほどが教室へたどり着いていないようだった。
「きっと素敵な授業になるわ」
スーザンが期待を込めて囁くと、ハンナが小さく頷いた。
「フリットウィック教授って、呪文学の天才なんでしょう? 楽しみだわ」
イヴは二人の会話を聞きながら、教科書を整える。
心の中で彼女も少しずつ緊張を解こうとしていた。
だが、その静けさが破られるのはそう遅くなかった。
教室の扉が突然勢いよく開き、ハリーとロンを先頭に、数人のグリフィンドール生が慌ただしく駆け込んでくる。
ロンは口を大きく開けて息を切らし、ハリーはあたふたと教室内を見回している。
「間に合った? 間に合ったよね?」
ロンが安堵の表情を浮かべ、フリットウィック教授がやれやれと肩をすくめる。
「ええ、かろうじて。とはいえ席につくまでに遅刻になる可能性はありますな」
フリットウィック教授は声を少しだけ厳しくして言ったが、すぐに穏やかな笑顔を浮かべた。
「次回からはもっと余裕を持つことをお勧めしますよ、ミスター・ウィーズリー」
グリフィンドール生たちは笑いながら空いている席に座り込む。
中にはまだ息が上がっている者もいて、机の上に教科書を広げる間もない。
「あれで間に合ったなんて意外だわ」
そう小さく呟いてスーザンが肩をすくめる。
彼女は明らかに呆れているが、それでも少し微笑んでいた。
その反応に、イヴとハンナもつられて小さな笑みを浮かべる。
「さて、皆さん。今日は最初の授業ということで、魔法の基本的な呪文を練習します」
教授は杖を手に取り、机の上に置かれた小さな羽根を指し示した。
「こちらを浮かせる練習です。教科書をお持ちの方は、該当のページを開いてみてください。『ウィンガーディアム・レビオーサ』……魔法界でも基本中の基本ですが、正しい発音と杖の振り方が重要です」
イヴは教科書を開きながら、指示に従って杖を持つ。フリットウィック教授は軽やかな動きでデモンストレーションを行い、小さな羽根がふわりと空中に浮かび上がるのを見せてくれた。
「これが理想的な結果です。杖の振り方はびゅーんひょいですよ? さあ、皆さんも試してみましょう!」
にわかに教室内が活気づく中、イヴはぎゅっと杖を握りしめた。
「ウィンガーディアム・レビオーサ……」
小さな声で呪文を唱えながら、彼女は慎重に杖を振る。
しかし、羽根はぴくりとも動かない。
――冷静に。焦らないで。
自分に言い聞かせながら、再び呪文を試みる。
家で練習したときは百発百中だったというのに、緊張でうまく口が回らない。
その時、不意に背後からビュンビュンと風切り音が聞こえてきた。びっくりして振り返ると、二つほど後ろの席でロンが勢いよく杖を振り回していて、その隣の席についた少女――ホグワーツ特急でヒキガエルを探してコンパートメントにやってきたあのフサフサ髪の子が呆れた表情を浮かべていた。
「やめて! そんなに振り回したら危ないでしょ! それにあなたのは発音が違ってる、レヴィオーサよ? あなたのはレビオサー」
「そんなに言うなら君がやってみろよハーマイオニー!?」
売り言葉に買い言葉といった様子で挑みかかるロンだったが、彼女――ハーマイオニーがさも当たり前という様子で魔法を成功させると愕然と言葉を失ってしまう。
「素晴らしい! ミス・ハーマイオニーがやりました! グリフィンドールに1点!」
とても嬉しそうに宣言するフリットウィック教授の声を聞きながら、イヴは大きく息を吐いた。
この授業での一番乗りは彼女が持っていってしまった。
一番でないなら、きっと何番だって一緒だろう。
そう考えると、少し肩の力が抜けていく。
「ウィンガーディアム・レヴィオーサ」
杖を振ってそう唱えると、イヴの前の羽がふわりと一定の速度を保ったまま浮かび上がり、狙った通り、目線の高さでビタリと静止する。
「ミス・アーヴィング! 素晴らしい精度ですな! ハッフルパフに1点!」
フリットウィック教授が拍手しながら称賛する声に、イヴの心は少しだけ軽くなった。
授業の中での成功体験は、彼女に少しの自信を与えてくれるようだった。
「やったじゃない、イヴ!」
隣でハンナが目を輝かせて囁く。イヴは小さく笑みを返した。
「ありがとう。でも、もう少し頑張れる気がする」
その時、再び背後から大きな音がした。
誰かが誤って隣の羽根を爆発させてしまったらしい。
……何をどうすれば羽根が爆発するような事態になるのか、イヴには見当もつかなかったが。
「……先生、シェーマスは新しい羽根が必要みたいです」
煤まみれになって呆然としているシェーマス少年の隣で、自分も煤を被って目を丸くしたままハリーが進言する。
フリットウィック教授は「そういうこともありますよ」と楽しげに笑って、とことこと彼らに歩み寄って羽根を手渡した。
そのやり取りを見ていたイヴは、二人の無邪気さに少しだけ安堵する。
「さてさて、皆さん、成功したあとも繰り返し練習してくださいね。魔法はいざ使いたいときにしっかりと使えなくては意味がありませんからな」
フリットウィック教授のその言葉を聞いてイヴは再び杖を構える。
「ウィンガーディアム・レヴィオーサ……」
今度もまた狙い通り、羽根はさっきと寸分たがわぬ動きと高さで浮かび上がった。
「やはり、君は魔法の制御がお上手なようだ。素晴らしいことです」
フリットウィック教授の称賛の言葉を受けて、イヴは、小さな喜びが胸の奥に灯るのを感じた。
あなたのレビオサー、わたしのはチェストオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!
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