ホグワーツでの最初の一週間は、本当に目まぐるしいものだった。
毎日イヴたち三人は慣れない授業でヘトヘトになったあとで翌日のスケジュールを確認し、夕食後の談話室で授業のある各教室までの道順をセドリックをはじめとした上級生たちから聞き出さなければならなかった。
それでもそうして聞き出したルートも、気まぐれな動く階段や、校内を管理するアーガス・フィルチが行う点検や修繕といった作業のために使えないことがあったのだ。
結果として彼女たちは毎日教室から教室への移動で毎日ばたばたと動き回る羽目になり、ただでなくとも疲れる日々に追い打ちをかけられていた。
「でも魔法薬学だけは遅刻しちゃダメ! ほらハンナ急いで!」
しかしそうして必死に授業を受ける日々ももう一週もすればとなんとなく“絶対に気を緩めてはいけない授業”というのも分かるようになってくる。
三人が今まさに遅れそうになっている魔法薬学こそが、その“気を緩めてはいけない授業”において次点の変身術に大きく水をあけたぶっちぎりの筆頭であるということは、ホグワーツ全寮生徒の意見が一致する数少ない事柄の一つだろう。
「でも、むり、足、うごかないぃ〜」
大きく肩で息をしながらひぃひぃ言っているハンナをスーザンが急かす。
しかしついさっきまで行われていた飛行訓練でなけなしの体力を奪い尽くされた彼女の足取りは重い。
「ハンナお願い、三人も遅刻したらハッフルパフから十五点は無くなるわよ?!」
「そんなこと言ったって〜!」
ついに立ち止まってぜぇぜぇと息を整えはじめたハンナを見て、イヴはひとつ覚悟を決める。
「ごめんハンナ、ウィンガーディアム・レヴィオーサ」
懐から取り出した杖をひと振りして彼女に向かって浮遊魔法を放った。
まだまだ羽根より重い彼女を浮かせられるほどの魔法力はイヴに無かったが、今はそれで十分だ。
そうして彼女はまだ目を丸くしているハンナに優しく触れると、ひょいっと彼女を横抱きに持ち上げる。
女の子らしく華奢で小柄な彼女の体はもともと軽かったのだろう、魔法効果もあってかまるで子猫でも抱き上げているかのような重みしか感じない。
「イヴ?!」
「じっとしててねハンナ」
羞恥に顔を真っ赤に染めて声を上げるハンナにそう言って、彼女をしっかりと抱いたまま走り出す。
「王子様みたいよイヴ」
「ありがとうスーザン。……それ褒めてるよね?」
「もちろん!」
地下へと駆けていく途中でその様子を面白がった名前も知らないグリフィンドールの双子がひゅーひゅーと囃し立てる声に三人揃って顔を赤くしながらも、彼女たちはなんとかベルがなる前に魔法薬学の教室の前ににたどり着いた。
そこには既にスリザリンの生徒たちと、彼女たちを除く殆どのハッフルパフ生が揃って入室を始めていて、珍妙な三人組の登場に目を丸くしている。
「ハッフルパフは近々演劇でも披露してくれるのかな?」
聞き覚えのある声が彼女たちを揶揄する。
イヴが息を整えながら顔を上げれば、 声の主、ドラコ・マルフォイがスリザリンの一団の中心に立ちながら、その端正な顔に嘲るような笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「それともアーヴィング、一週間でもう恋人ができたのかい?」
彼の言葉にスーザンが鋭い目を向ける。
「誰も恋人なんて言ってないでしょ。イヴはただ、友達を助けただけ。それをバカにするなんて、あなたにはその発想がない証拠じゃない? ……あぁ、もしかしてお偉いマルフォイ様には下僕はいてもお友達なんていないのかしら?」
スーザンのあまりにも鋭い言葉のナイフにドラコの笑みが僅かに歪み、彼の傍らに控えていたクラッブとゴイルが憤慨した表情で歩み出ようとする。
しかしドラコはすぐに平静を装って手で彼らを制すると、肩をすくめた。
「"誰でもいい"ハッフルパフの薄っぺらな友情自慢はおしまいかい、ボーンズ? 選ばない者は誰にも選ばれないと弁えておくんだな」
そのままドラコはスリザリンの仲間たちと一緒に教室へと消えていった。
「……やっぱり嫌な奴だわ」
スーザンがつぶやく。イヴは気を取り直して笑みを浮かべた。
「気にしないで。それより、早く教室に入ろう? 遅刻は免れたけど、準備に時間かけている余裕はないよ」
教室内では、既にスネイプが黒いマントを翻して教卓の前に立っていて、その冷徹な眼差しが、遅刻ギリギリで入ってきた三人に鋭く突き刺さる。
その絶対零度のまなざしに縮こまりながらそそくさと彼女たちが席につき、教室のドアが閉まると同時に、彼の冷たい声が響き渡る。
「さて……授業を始める前に、いくつか確認しておくことがある」
その声に、教室の中の全員が背筋を伸ばす。
スリザリンの生徒たちは悠然と構え、ハッフルパフの生徒たちは一様に緊張した表情だ。
「まず、今日は諸君に簡単な鎮痛薬を作ってもらう。実技に際しての余計な喋り声や動きは許さない。次に、材料を一つでも無駄にすれば減点だ。そして最後に……」
一瞬の間を置いて、彼はハンナをちらりと見やる。
「他人にしがみついて、救いを求めるのは、狼にでも追われているときだけにしろ、アボット」
ハンナが真っ赤になって俯く中、スリザリンの生徒たちからクスクスと含み笑いが漏れる。
イヴはハンナに声をかけることもできず、ただただその目を恐れに揺れさせながらスネイプを凝視した。
彼はイヴがホグワーツで服用している脱狼薬の調合を担っている。そんな彼がわざわざ"狼"などと口にする意図が、彼女にはわからなかった。
「もっとも……」
彼はそんなイヴの様子を見て口の端に冷笑を浮かべる。
「アーヴィング、君のような『白馬の王子様』が相手では狼すら気後れするだろうがな」
その言葉に今度こそイヴは凍りついた。
彼がその言葉にどれだけの意図を込めたのか――それを察した瞬間、イヴの全身に冷たい汗が滲む。
彼は明確にイヴに――狼人間に敵意を抱いている。
そう思わせるのに十分な言葉だった。
「それでは、鎮痛薬の調合を始めるぞ。材料と手順は黒板に記してある。」
スネイプが冷たくそう言い放つと、教室内は再びざわめき始めた。生徒たちは急いで材料を用意し、調合に取り掛かる。
「イヴ、大丈夫?」
隣でハンナがそっと声をかけてくる。
イヴはぎこちなく微笑みながら頷いた。
「うん、気にしないで。大丈夫……だから。」
だが、その言葉とは裏腹に、彼女の心にはスネイプの言葉が突き刺さる。
狼人間――自分の秘密に触れる言葉を、彼はいっそ見事なまで巧妙に"いつも通り"の嫌味の中に隠していた。
彼女だけがそれに気付くように。
やがて授業が始まると教室の中は、スネイプの冷ややかな視線が行き交う中で、緊張感を増していった。
黒板に記された手順を見つめながら、イヴはなんとか平静を装い、気を抜くと震えそうになる手で慎重に材料を揃え、薬を調合し始める。
彼女の隣では、ハンナがそわそわと落ち着きなく動き、スーザンが小声で手順を確認している。
「スイセンの根を刻むのは、一回一回水に濡らしてから。さもなければ、反応が遅れる……ええっと、三分の一インチに揃えなきゃ……」
スーザンの声を聞きながら、イヴは淡々と手を動かす。
彼女は「いずれ脱狼薬を自分で調合できるように」との思いで優秀な魔法薬師である母が施してくれた英才教育のおかげで、基本的な薬草の扱いや調合手順には慣れていた。
胸のざわつきを抑えるように、彼女は目の前の作業に集中していく。
そうしていると隣でカチャカチャと音を立てていたハンナが、ふと材料の瓶をひっくり返してしまった。
ガラスが床に落ちる音が響き、教室の中が一瞬静まり返る。
「アボット!」
スネイプの冷たい声が、ピシャリと響いた。
彼は静かに、しかし威圧的な足取りで近づいてくる。
「何のつもりだ? 材料を無駄にするとは、君は私の警告を聞いていなかったのか? それとも無視しているのかね?」
「す、すみません……」
「『すみません』では済まされん。無駄にした材料分減点すると言ったはずだが?」
イヴは小さく息を飲んだ。
スネイプの冷たい言葉が、隣のハンナに突き刺さっているのがわかる。
ハンナの肩が小さく震えて、その大きくてくりくりとした目にじわっと涙が浮かぶ。
「先生、ハンナといっしょに調合してもよいでしょうか? それなら追加の材料は必要ありません」
クラスの視線が一斉にイヴに集まった。
スネイプの黒い瞳が、イヴの顔をじっと見つめる。
彼が方眉をわずかに引き上がるのが見えた。
「ほう……?」
低く響くその声は、好奇心を含んでいるようにも聞こえた。
「アーヴィング嬢、君がハッフルパフらしい自己犠牲の精神を持っているのは結構なことだ。だが、他者の不出来を補うために己の学びの機会を捧げるなど愚の骨頂だと覚えておくのだな。
……まぁいい、アボット、何をぼうっとしている早く材料を取りに行け」
「……はい、先生」
イヴはスネイプの厳しい視線を受けながら再び材料をとりにいくハンナを見送ることしか出来ない。
それでもハンナがちらりとこちらを向いて弱々しくも微笑んでくれたことで、少しだけ救われた気がした。
そうこうして調合が進む中、教室に張り詰めた緊張の糸は今にも引きちぎれてしまいそうな程だった。
スネイプの目は教室の隅々まで行き渡り、誰かが少しでも手を止めたり、不自然な動きをすれば、それを逃さず鋭い指摘を飛ばす。
イヴはそんな視線を意識しながら、正確な動きで薬の調合を進めていた。
彼女の隣ではハンナが真剣な表情で頑張っているが、動きがぎこちない。スーザンがスネイプの目を盗んで都度都度小声でさりげなく助け船を出している。
イヴは自分の調合が順調に進んでいることを確認し、二人に目配せをした。
「ハンナ、スーザン、大丈夫?」
「う、うん、大丈夫……たぶん……!」
「こっちは順調よイヴ」
二人の答えにイヴはほっと胸を撫で下ろす。
――よかった、あと少しで完成する。
イヴがそう考えた矢先、別の机で微かな音がした。
誰かが薬の調合に失敗したらしい。
部屋に立ち込める、わずかに焦げたような匂いがそれを物語る。
「誰だ?」
スネイプの冷たい声が教室に響く。
その声には、怒りよりも静かな威圧感が含まれていた。教室中の生徒たちが、一斉に音の発生源を見つめる。
「あ……」
音を立てたのはスリザリンの生徒だった。彼の前に置かれた鍋から、白い煙がもくもくと上がっている。
スネイプがゆっくりとその生徒の机に近づき、鍋の中を一瞥する。
「……まずい手際だ。指示を一つも守らないのでは、調合とは呼べん。やりなおしたまえ」
彼はそう言い放つと、再び教卓へと戻っていく。
生徒全員が緊張した面持ちで手元に集中し直す中、イヴは静かに息を吐く。
――大丈夫よ、イヴ。
そう自分に言い聞かせながら、最後の調合を慎重に進める。
横に並んだ三人の鍋の中の液体が、理想的な色合いに変化していくのを見て、イヴはようやく肩の力が抜けるのを感じた。
そうして授業が終わる頃、イヴの調合した薬はなぜか教卓に並べられていた。
なにかマズイことをしただろうか、スネイプはなにをする気なのだろうかと、焦りと不安に苛まれ、絞首台に登る囚人のような心持ちで彼の言葉を待つ。
しかし、スネイプは大方の生徒たちの予想やイヴ自身のどんな悪い想像とも違って、ただ淡々と彼女の薬を大鍋から薬瓶に移して棚に置く。
「……まあまあの出来だ、アーヴィング嬢。少し残りたまえ」
その一言で授業は終了を告げた。
可愛い子が精神的に追い詰められてるの好きなんですが、どこまでやっていいものか……
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