第十九話.いざ、魔法の森
明け方、今までの疲労で倒れるようにして寝ていたスネークが目をさますと、白玉楼にコブラ部隊の姿はなかった。別れも告げずに行ってしまうところがいかにもザ・ボスらしい。
スネークは立ち上がると寝る時に外したバックパックや装備を身につけ、おぼつかない足取りで廊下に出た。その様子から、スネークにどれだけ疲労がたまっているかが伺える。
重い足を運びながら白玉楼の中を歩いていくと、砂利が敷き詰められた庭で剣の稽古をしている妖夢を見つけた。冥界に生き物はスネークと半人半霊である妖夢しかいない(幽々子もいるが)ので、昼間といえど真夜中のように静かだ。通常、剣が風を切る音のような小さい音が二十メートル以上離れているスネークに聞こえるはずないのだが、妖夢の剣を振るう速度が常識はずれなのと冥界の静けさも手伝って良く聞こえる。
声をかけようかと思ったが、とても話せる雰囲気ではない妖夢の真剣さに、スネークは声をかけるのを思いとどまった。スネークがその場から動こうとした瞬間、下から吹き上げるような風が吹いた。妖夢はスカートを履いているので当然ーーーー
「……白ね」
気がつけば、横に幽々子がどこか人の悪い笑顔を浮かべて立っていた。神出鬼没とはまさにこのことだ。
「いつからそこにいたんだ?」
「うふふ、ちょっと前からよ。それにしても、弟子に別れの挨拶をしないで行っちゃうなんて彼女も薄情ねぇ」
「いや、それがボスだ。気にしたら負けというやつか? だいたいそんな感じだ」
スネークが幽々子の方を向いて喋ろうと体の向きを変えた時、そこに幽々子の姿はなかった。辺りを見回してみれば、庭に降りて妖夢に駆け寄っていく幽々子の姿があった。幽々子は妖夢のそばまで行き、なにやら耳打ちをしている。
幽々子が離れたかと思えば、妖夢の顔が急激に赤くなっていった。幽々子はスネークの横まで戻り、その様子を満足気に見ている。
スネークは妖夢の反応で幽々子が何を言ったのかおおよその見当がつくが、一応聞いておくことにした。
「いったい何を言ったんだ?」
そう聞かれた幽々子は、満足気な笑顔を崩さずこう答えた。
「貴方が妖夢の下着を見たって伝えてきたの」
予想通りの答えで、スネークは片手を顔に当て深々とため息をついた。
「誤解を招くような言い方をしないでくれ。あれは不可抗力だ」
「あら、見たのは事実なんでしょう?」
「そう言われればそうなんだが……」
あやうく納得しかけたスネークは、そろそろ白玉楼を出ることを伝えて出て行くことにした。次何が起こるのかわかったものではないからだ。
それを言おうと幽々子の方を向くと、またも幽々子の姿はなく、妖夢に駆け寄って行た。妖夢は幽々子を視認するとあからさまに嫌そうな顔をしていたが、幽々子が耳打ちをすると顔を真っ赤にしてスネークを睨みつけてきた。その顔はどう考えても怒っている顔だ。
スネークが庭に降りて幽々子に近づこうとすると、妖夢は手にしていた白楼剣をスネークに向けて構えた。何をそんなに怒っているのか、さすがに想像できない。
幽々子がスネークの方へと歩いて来たので、何を耳打ちしたのか聞くことにした。嫌なの予感しかしないのだが。
「いったい何を言えばあそこまで怒るんだ?」
「貴方が妖夢の下着に対していいセンスだって言ってたって伝えてきたの」
「そんなこと言った覚えないぞ」
「うふふふ、そうだったかしら? 私はお腹すいたから退散するわね。それじゃお気を付けて〜」
幽々子が脱兎の如き速さでその場から離れた時、顔を真っ赤に染めた妖夢がスネークに神速の斬撃を放った。白楼剣はスネークの髪を少しかすめたが、幸い体には当たらなかった。あと少し反応が遅れていたら、とてもではないが表現できない事態になっていただろう。本気で殺す気のようだ。
「一度ならず二度までも! もう許せません!!」
「待て、俺はなにもしていない」
「問答無用! とりあえず斬り捨てます!」
妖夢は恥ずかしさと怒りで目に涙を溜めている。かなり物騒なことを言うと、力任せに白楼剣を振り回した。速いうえに予測できない動きなので、スネークは避けるのだけで精一杯だ。
スネークが当たる=即死の刃を寸前の所でかわし続けていると、さすがにやり過ぎたと思ったのか、否、恐らく思ってもいないだろうが幽々子が妖夢の肩を掴んで制止させた。口からは演技なのか本心なのか、よだれが一筋垂れている。
「妖夢〜おなかすいた〜」
「幽々子様さっき食べたじゃないですか。邪魔しないでください」
「それでもおなかすいた〜」
「ああもう! わかりましたよ! 何か作ってきます!」
そう言うと、妖夢は白楼剣をしまって白玉楼の中に入っていった。幽々子はそんな妖夢の姿を見て相変わらず微笑んでいる。
「……俺はもう行くことにする」
「あらそう? もう少しゆっくりしていけばいいのに」
「いや、遠慮しておこう。ここに長居するといつか死ぬかもしれないからな」
スネークはそう言って長い階段を駆け下りた。だが、最後の段に差し掛かった所でその足を止めた。ここで問題。スネークが冥界から出られなかった理由は?
「……出口がどこかわからないんだったな」
ザ・ソローが見つけたと言っていた出口の場所を、スネークは聞いていなかった。聞かなければ帰れないし、聞きに行けば切り捨てられる危険がある。どうやら、スネークはここで究極の選択を迫られるようだ……
その後、スネークは意を決して白玉楼へと戻った。幽々子は戻ってきたスネークを不思議そうに見ていたが、理由を聞いて納得したようだった。出口の場所を聞いている途中で妖夢が屋敷の中から出てきたので、斬られるのを覚悟したが特に襲われはしなかった。非常に気まずい空気は流れたが。
現在スネークは巨大な河に差し掛かっていた。来る時には手漕ぎ舟が放置されていたのでそれを使ったのだが、置いてあったはずの手漕ぎ船がどこにもない。最初手漕ぎ舟で渡る時にもかなり時間が掛かったので、泳いで渡ることは不可能である。
スネークが河岸で足止めを喰らっていると、向こう岸から誰かが乗っている船が見えてきた。うっすらとだが、手に何か大きな物を持っているのが見える。スネークの頭に嫌な予感がよぎった。
漕いでいたのは赤い髪の女性で、手にはその女性の身の丈ほどある鎌を持っている。あの世+大鎌といえば、西洋でも東洋でも有名な死者を迎えに来るといわれる死神と考えられるが、その女性に死神というイメージは全くない。どちらかといえばただの人間だ。唯一死神らしい大鎌も刃がぐにゃぐにゃと歪曲しており、とてもではないが切れそうにないという、死神っぽいのに死神らしくない印象である。え、何を言っているか分からない? 安心してくれ、私も同じだ。
その女性はスネークを見つけると、少々眉をひそめてスネークの近くへ船を停泊させた。気付かなかったが、後ろには老人が座っている。老人は船から降りると、どこかへと歩いて行ってしまった。
「あー、そこの人。この舟一方通行だからさ、現世には戻れないよ」
「そうなのか?」
「そうそう。亡者はここで裁きが下るのを待つしかないから、大人しく待ってな」
その女性は半笑いでそう言うが、スネークは亡者でもないので納得いかない。
「オレは一応生きているんだが……」
「冗談はよしておくれよ。こっちには生きている者は入れないんだ。あんたは死んだのさ」
そこまで言うと、女性はハッとしてスネークを上から下まで見つめた。そしてどこからともなく一枚の写真を取り出すと、写真とスネークを見比べ始めた。怪訝そうな顔をしていたが、数回見比べた辺りで申し訳なさそうにその女性は笑う。
「あんた、名前はなんて言うんだい?」
「俺はスネークだ」
「ああ、やっぱり……あたいの上司にスネークってヤツが来たら河を渡してやれって言われてたの、すっかり忘れてたよ」
そう言うと、女性はスネークに乗るよう促した。スネークは促されるまま舟へと片足を乗せるが、とつぜん舟が揺れた。当然、足場が揺れたことになるので、体制が不安定になる。
スネークは頭から河に落ちた。
「おいおい、大丈夫かい?」
「ああ、問題ない」
女性がスネークを引き上げようと手を差し伸べてきたので、スネークはその腕に掴まった。が、靴が濡れているので滑る。今度は女性を道連れにして河に落ちてしまった。
スネークの装備に問題はなかったが、二人ともずぶ濡れ状態だ。道連れにされた女性は大丈夫と笑っているが、微妙に迷惑そうな顔をしている。そのまま舟は出航したが、やはり気まずい雰囲気になった。
「……一つ聞いてもいいかい? なんで冥界なんかに行ったんだ?」
「いや、よく分からないが……なんで冥界に行ったんだろうな?」
「あたいが聞いてるんだけどなぁ」
ようやく会話が成立……はあまりしていないが、女性の方が口を開いた。
「そういえば、名前はなんていうんだ?」
「あたいは小町だよ。現世から彼岸へ亡者を送り届けるのが仕事さ。そうそう、昨日は大変だったよ。昼寝してる間に誰かがあたいの舟盗んじゃってさぁ」
それを聞いたスネークは背中に嫌な汗をかいた。まさか、昨日河を渡る時に使った舟は……
小町は目の前にいる人物が舟を勝手に使っていたことなどつゆ知らず、舟を盗まれた苦労話をしている。それを聞かされるスネークは罪悪感がどんどん膨らんでいくが、いろいろややこしくなりそうなので黙っておくことした。
それにしても、仕事中に昼寝をするというのはいかがなものか。スネークは以前そんな感じの中国っぽい妖怪を見たような気がするが、よく思い出せない。
「あんたは外の世界じゃ何やってたんだい?」
ようやく舟を盗まれた苦労話が終わり、スネークが外の世界で何をやっていたのかという話題になった。こここ住民に隠すべきことはないので、スネークは全部話すことにした。非常に長くなること間違いなしである。
「俺は「おっと、もう現世に着いちまったよ」……」
スネークが話そうとした瞬間に舟は現世に着いてしまった。何らかの悪意が働いたのだろうか。
小町は舟を現世の陸につけ、スネークを降ろすと、大きなあくびを一つした。どれだけ昼寝好きなんだ、とスネークが考えていると、大胆にも舟の上で職務放棄ともとれる昼寝をし始めた。上司にばれたらさぞ叱られることだろう。しかし、寝る速度が速い。まるで某青猫漫画のメガネのようである。
気持ち良さそうに寝ている小町を起こすのも忍びないので、スネークは黙ってその場を離れることにした。河から道なりに歩いて行くと、あの草原が目の前に現れた。遠くにはいつぞやの山が見える。
どこに行くべきか分からないスネークは、とりあえず香霖堂で情報を仕入れることにした。だが、スネークがいる位置から香霖堂は森を挟んだ向かいにある。あの魔法の森を抜けるのが一番の近道だ。
当然、あの白黒盗人に遭遇する危険はある。とはいえ、異変を早めに解決したいスネークは森の中を直行することに決めた。
「奴に出会わないといいんだが」
スネークはそう呟くと魔法の森へと足を進めた。