ビナー先生のキヴォトスでの優雅なティータイム   作:ひいろの鳥

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どうも。ほぼ二ヶ月ぶりの投稿です。思いのほか間が空いてしまって申し訳ない。色々と忙しかったということにしておきます。
...嘘です。いやまあ嘘ではないかもだけど。
最近は現代ホラーをちまちま書いてました。良ければそっちも読んでくれると嬉しくなります。
https://syosetu.org/novel/371295/


閑話休題:空崎ヒナの憂鬱

空崎ヒナは、慣れない紅茶を飲みながら、呆と外を眺めていた。

窓越しに、息の合った掛声の応酬が聞こえる。時計にちらりと目を遣ると、丁度訓練の時間だ。そう思うと、この掛声にも幾分か意味というものが付される。

しかし、そんな思考も直ぐに──紅茶の香りに掻き消されてしまった。矢張り、普段珈琲しか飲まない身にとって、この香りは中々に慣れないものである。

そもそも、この茶葉ですら、善く分からないままに、態々この日の為だけに買っている。ヒナを含め、風紀委員の人間はおろか、ゲヘナの連中は殆どが茶を嗜まない。万魔殿(パンデモニウム・ソサエティー)の長たるマコトなんかは、匂いだけでも嫌だと喚くほどだし、仕様がないのかなと思いはする。だが、それも眼の前にいる人達──シャーレから来訪したビナー先生と、その付き人であるシャオにとっては、酷く失礼なことなのだろうとは気づいていた。幸いにも、当のマコトは今日は出張──もとい、ビナーからの逃避行でこの場処かゲヘナの敷地内にすら居ないだろう。その為か、ヒナの気は平素より幾分か楽なものであった。

 

そもそも、何故シャーレから二人が訪れたのか。

端的に言えば、トリニティ総合学園と行われるエデン条約の為である。聞く所によると、ビナーはその為に、二つの学園を行き来している様である。だが、隣に居座るシャオという青年も共にいるのは、今日が初めてのことだった。

二人は、何も言わずに紅茶を飲んでいる。表情が変わることもない所為で、真意を掴めもしない。

只、外から響く旺盛な声だけが、三人の間の静寂を取り持っていた。

 

「──善き茶だ」

 

その静寂を打ち破るように、ビナーはカップを静かに起きながらそう言った。

 

「気に入って...くれたかしら」

「トリニティのものだろう。それも上等だ」

 

飲んだだけでそこまで分かるのかと、ヒナは少し感心した。

飲みなれていない者に取ってみれば、紅茶は引っ括めて全部紅茶であり、その間にある優劣や違いなど毛程も分からない。

 

「御前は珈琲ばかり飲んでいるようだが、偶には此の味も悪くないだろう?豆を煎るのとは違う、茶葉の苦痛を濾し出した味だ」

 

矢張り難解な説明に心の中で首を傾げたが、それでもビナーの言う通り、慣れないなりに紅茶の味を楽しんでいる自分もいた。

ヒナは静かに頷き、そのままゆっくりと紅茶を味わった。

だが結局、何故来たのかという話はまだ聴けていない。ビナーは静かに窓の向こうを見詰めているばかりで、シャオの方も書類を纏めたりしている。何方にも、どこか話しかけ難い何かを感じ、ヒナは少し憂鬱になりながらカップの中の紅茶を眺めた。

水面には、自分の顔が映っている。

矢張り、何処かうち沈んだ顔だ。だがこれも目の前の彼らのせいでは無い事は分かっていた。

その正体は、不安──なのだろう。

だが、その不安も莫としていて掴み所が無い。

来たるエデン条約に対してなのか、それに起因する弊害に対するものなのか、それともまた別にあるのか。

探そうと思えば幾らでも出てくるだろうし、それらが全て不安の種に思えてならなくなってくる。

だから、自分は何も分かっていないと、ヒナはそう思っていた。

 

「惰弱だな」

 

ビナーは唐突にそう言った。

心の裡を見透かすような言葉に目を丸くしながらも、ヒナはそれを顔には出さずにビナーの顔を見詰めた。

ビナーは変わらずに、窓の外を眺めている。その視線の先には、訓練中の風紀委員達の姿があった。

 

「威勢は好いが、力が無い。ネズミの掃除ぐらいは出来るだろうが、心許無い」

 

その言葉は、きっと風紀委員達のことを言っているのだろう。中々に酷い言い分に、ヒナは言葉を発した。

 

「そんなこと言わないで頂戴。彼女達だって頑張って──」

 

そこまで言って、ヒナは少し言い淀んだ。その言葉は、結局風紀委員達が弱いということを認めているようなものだったからだ。

彼女達を嘲るでも見下すでもない。それでも矢張り──弱いのだ。

いつの間にか、ビナーはヒナの方を向いて、その顔を見据えていた。

ヒナとビナーの眼がかち合った。

ビナーの、その瞳の黯さに──ヒナは少し怯みながら、それでも負けじと凝とビナーを見詰めた。

 

「不安か」

 

ビナーは静かに、然して厳かな声でそう言った。

ヒナは、頷くでもなく只黙っていた。

 

「何が御前の安寧を奪っているのか」

「──何も」

 

ビナーの言葉に、ヒナはそう答えた。

半ば強がりだ。不安と言えば、何もかもが不安なのだ。

だが半分は──真実(ほんとう)だった。

不安と言うのも、実際には心の上辺だけに蟠っているもので、本心では何とかなるだろうという、ある種期待にも似た感情を抱いている。少なくとも、ヒナ自身はそう分析していた。

 

「此の辺りでは常に悲鳴が聴こえている。素晴らしい事だ」

「...そうかしら」

「其の騒擾には慣れたか」

 

ビナーは少し口角を上げながら、厭らしくヒナに問い掛けた。酷く嗜虐的な笑みが、ヒナは少し苦手だった。否、苦手というのであれば、感情も真意も読み取れないその態度そのものが苦手なのだったが。

 

「直に、彼の者達を縛り付ける事も成り立つだろう。其れ故に、此処の騒音もまた強くなる一方だ」

 

ビナーが言っているのは、エデン条約のことなのだろうと──ヒナは諒解した。

だが、それでも変化があるとは思えない。ただいつものように騒ぎを起こして、自分に捕らえられる。ずっとその繰り返しの中にいるし、それを厭とも思っていない。

 

「それなら...問題無いわ。いつもの事だもの」

 

ヒナがそう答えると、ビナーは静かに頷くと、席を立って窓辺に近寄った。

 

「矢張り弱いな」

 

窓の外を眺めながら、ビナーはそう言った。

きっと、風紀委員達の事を言っているのだろう。

今度は、ヒナも何も答えなかった。

 

「此れ迄に、感情のみの獣になるか、或いは感情を武器として扱う者を見てきた。だが、彼等はそうでは無い」

「どういう事かしら」

「抑圧されているのだろうな」

「...悪い事かしら」

 

少し棘のある言い方に言い返すと、ビナーは小さく首を横に振った。

 

「そうでは無い。だが、あのままでは何れ喰われるだろうな」

「...何にかしら」

「御前が識らぬ道理も無いだろう」

 

はぐらかされるような言葉にムッとしている間に、ビナーは静かにシャオを呼んだ。

 

「シャオよ」

「如何なさいましたか」

「彼等の相手をしなさい」

 

その言葉に、シャオという青年は何も答えないまま、一冊の本を取って立ち上がった。

 

「どれぐらいにしますか」

「好きになさい。彼等は惰弱だが、肉体は強かだ」

「了解しました」

 

そう言うと、シャオは扉の前まで向かい、失礼しますと一礼して去っていった。

 

「何を...」

 

ヒナのその言葉に、ビナーは愉しげに答えた。

 

「人は苦痛から学習するものだろう」

 


 

よく晴れている。暖かい陽射しを浴びながら、銀鏡イオリはそう思った。

心地よい秋風も相まって、かなり過ごし易い。意識せぬままに、勝手に気分も高揚してしまう。

部下達の溌剌な声を聴きながら、自分も銃を構えながら動き出す。

今はエデン条約などの兼ね合いで、風紀委員長であるヒナが上手く動けないでいる。その為、部下である自分達がそれを補わなければならない。

否、そもそも今までがおかしかったのだろう。ヒナ委員長が強過ぎる余り、自分達が出る幕が無かった。だが、今はそうでは無い。だがそれで良いと、イオリは考えている。圧倒的な個に依るのも些か不健全だろう。

斯く言うヒナはどうしているのだろうか。

午前中はイオリ自身が見回りで外に出ていて、午後も訓練の方には顔を出していないから、今日はまだ顔を見ていない。

だが、きっとあの真面目具合だし、エデン条約の諸々に忙殺されているのだろうなと、少し呆れた気持ちでそう考え直した。

ひゅうと、少し強く風が吹いた。雲も翳ってきた所為か、秋らしい肌寒さに様変わりした。雲は厚く、長く続いている。ここから暫くは冷え込むだろうなと、呆とそう思った。

 

瞬間。

背後から、奇妙な気配を感じた。

振り返ろうとしたその一瞬間に、イオリの頬を何か鋭いものが掠め飛んできた。

咄嗟に振り向きながら銃を振り翳すと、そのまま何かと銃とが克ち合い、鈍い金属音が辺りに響いた。

眼前には、青いコートに身を包んだ青年が、表情を変えないままに、片腕で軽々と大きな鎌のようなものを支えていた。

 

「だ、誰だ!」

 

そう叫ぶと、青年は一瞬間の内に後ろに退がりながら答えた。

 

「私はシャオと言います。ビナー様──先生の補佐と思って下さい」

 

その言葉に、イオリは硬直した。何故その様な立場の人間が急に襲いかかって来たのか、ヒナ委員長は、否、先生は何をしているのか。

そんな思考を掻き乱すようにシャオは器用に鎌を振り回している。その動きに、警戒するように銃を構えた。

 

「私がこうしているのも、ビナー様に命じられたまでです」

 

イオリの疑問を見透かすように、シャオはそう言った。

それに対し言葉を詰まらせている間に、後ろからまた気配がした。今度は大勢だ。

背後から、自分を呼ぶ声や何が起こっているのか訊く声が聞こえる。この気配達の正体は風紀委員達だろう。

 

「皆下がって、何が目的か分からないけど──撃ったらダメだ」

 

イオリは冷静を保つように努めながら、後ろにそう声を掛けた。聞くところによると、先生は──そして恐らくこの青年も、キヴォトスの住民よりも格段に脆いと言う。うっかり銃弾が当たって死んでしまったりすれば大問題だろう。

だが、それに対してシャオは、酷く詰まらなさそうな声で言った。

 

「いえ、寧ろ来て下さい」

「...え?」

「私は、貴女方の相手をするのが目的です。ああ、銃弾も使って貰って構いません」

「い、いや、キヴォトスの外から来た人は脆いって...」

「このコートは特別なものなので大丈夫です。それに──」

 

そこでシャオは突然言葉を切り、一瞬何かを逡巡した。

 

「こうしましょう。貴女方が私に三──いえ、一発でも当てられれば、貴女方の勝ちです」

 

その言葉の裏に隠された自信に──イオリは内心苛立った。舐められているのだ。それも、キヴォトスの外から来た人間に。

だが、その怒りを抑えながら、イオリは言った。

 

「目的は何だ!?」

「先程も言いましたが、ビナー様に命じられたからです」

 

シャオは詰まらなさそうに答えると、急かすように鎌で地面を削っている。

だが、その眼差しは真っ直ぐにイオリを射抜いている。決して腑抜けている訳でも、驕っている訳でも無いようだ。

ひゅうと、一瞬の風が吹いた。

イオリは心を固めると、後ろに居る風紀委員達に向かって叫んだ。

 

「皆、準備して!」

「え、で、ですが──」

「大丈夫。きっとヒナ委員長もこの事は分かっているはず。それに──」

 

舐められたままで終われるか。

 

「落ち着いて、訓練してる通りにやれば良い。一発でも当てたら──私達の勝ちらしいから」

 

言葉に出すと、矢張り馬鹿馬鹿しい勝利条件だ。

だが、受けた以上は全力でやらなければならない。

風紀委員達はイオリの言葉を受けて、()()()()()準備を始めた。

 

暫くして、シャオを取り囲むように、風紀委員達が並んだ。各々、恐れながらも銃を構えている。

 

「安心して下さい。私が皆さんを殺せるとは思わないので」

 

殺す──その言葉は、この都市(キヴォトス)では聞き慣れない言葉だが、この青年が言うと何故か気迫というものが生まれる。

それに負けじと、イオリはシャオの正面に立ちながら、銃を構えた。

 

「何時でもどうぞ」

 

挑発的とも取れるその言葉に、イオリは深く息を吐き出しながら、その腕を見据え、引き金を引いた。

 

高らかな銃声と共に、蹂躙劇は幕を開けた。

 


 

「...勝てるかしら」

 

窓から外を眺めながら、ヒナはそう呟いた。

窓の向こう側では、風紀委員達が、シャオを取り囲むようにして銃を構えている。

 

「先生は、どう思うの?」

「観えぬ未来を考える事は、酷く愚かしいと言わざるを得ないだろう」

「...そう」

 

ビナーは会話をする気など更々無いらしい。それを再確認すると、ヒナもまた押し黙ってしまった。

だが、そう思ったのも束の間、ビナーは言葉を発した。

 

「御前は、獣と人との違いは何処に有ると思うか」

「...唐突ね」

 

そう言いながら、ヒナは少し考えて答えた。

 

「やっぱり...理性じゃないかしら」

「御前がそう言うのなら、其れもまたそうなのだろうな」

 

ビナーの方から訊いたにも関わらず、その返答は淡白だった。それに若干の不満を持つヒナに、ビナーは静かに続けた。

 

「理性は、何かを形作るのだろうか」

「...ええ」

「では、其れは何だろうか」

「...倫理観とかじゃないかしら」

 

ヒナがそう答えると、ビナーは静かに頷き、窓の外を見遣った。

 

「彼の者──シャオは、生きる事に必死だった」

「そう...なのね」

 

少し意外だった。ビナーと同じように泰然としていて、掴み所の無い印象があったからだ。

 

「彼の者は、生きるために親を喰い、同輩を其の手で屠った」

 

そう言いながら、ビナーは愉快そうに微笑んだ。

 

「彼の者に、理性という物は有るのだろうか」

 

その言葉に、ヒナは口を噤んだ。

答えられる訳も無かったが、それでも、その言葉は──ヒナの中の何かを否定するようだった。

目を背けるように窓の外を見たが、そこにあった光景に、ヒナは息を呑んだ。

銃弾がシャオの元に届く前に、一人一人が巨大な鎌にねじ伏せられ、或いは銃を掠め取られ呆然と立ち尽くしている。

度々当たりそうになる弾丸も、全て鎌で器用に弾かれ、尽くが地面に墜落し極小のクレーターを作り出している。

既に風紀委員の半分程が地面に伏している。蹂躙という言葉が似つかわしい光景だった。

その光景を、ビナーは予想出来ていたかのように、ただ無表情に見詰めてばかりいた。

 


 

予想外。

地面に蹲っている風紀委員達を見ながら、その三文字が、イオリの頭の中に浮かんだ。

斯く言うイオリ自身も、まだ動けるとは言えそれなりにダメージを受けている。それとは対照的に、眼前の青年は何事もないかのように悠然と佇んでいる。

シャオは鎌で地面をコツコツと叩きながら、もう終わりかと言いたげな視線を、脇腹を抑えて蹲るイオリに投げかけた。

 

「こっ...この...!」

 

シャオの背後の影から、ボロボロになった風紀委員が飛び出した。服の擦り切れ具合からも、もう動ける身体では無い筈だ。

 

「待て...!」

 

イオリの言葉も虚しく、その風紀委員視界は青いコートに遮られ、次の瞬間にはシャオの蹴り腹を抉られ、後方に吹き飛ばされていた。

続いて両脇から飛んできた銃弾も横に逸れながら避け、そのまま高く飛び上がると──一人の利き腕を殺ぐように、鎌を地面に叩き付けた。

着地に合わせて撃たれた銃弾も、動けなくなった風紀委員を壁にしながら防ぎ損ねた物を弾き、その脇から飛び出して一瞬にして一人ずつ刈り取っていく。

最早、戦いと言うより蹂躙とでも呼ぶべきだった。

イオリはそれを何とかしようとしたが、身体の至る所が痛み、上手く動かせない。隙だらけだ。

それなのに、シャオは鎌を構えるでもなく、何の体勢も取らないまま口を開いた。

 

「貴女は──何故この活動を続けているんですか?」

「...急に何だ」

 

キツい口調で問い返すと、シャオは声色を変えないままに続けた。

 

「ここの組織名は風紀委員──でしたよね」

「そうだが...」

「この組織は何を目的にしてるんでしょうか」

 

唐突な質問に、イオリは一瞬黙った後、直ぐに答えた。

 

「治安維持だ。ゲヘナには無法者が多いからな」

「そうですか。では時に──」

 

無法者とは何でしょうか。

そのシャオの静かな言葉が、鋭い風に乗って飛んできた。

 

「何って...」

「無法とは背くべきものが有って初めて成り立つものでしょう。然し、此処には、最早その法それ自体が形骸化されているように、誰もが自由に渾沌を生み出している──そうですよね」

 

その言葉にイオリは押し黙ったが、シャオは構わずに続けた。

 

「依拠すべき物が胡乱になって仕舞えば、貴女方は何を目指して動くのでしょうか」

 

「それは──」

 

何だろうか。

頭の中をその疑問が駆け巡り、呼応するように腕から力が抜ける。

確かに、年々暴徒の数は増えている。この所はエデン条約のことも相まってか、一層過激になってしまっている。

そして暴徒が大多数を占める中で、自分達は何を取り締まると言うのだろうか。

 

...否。

 

「正義だ」

 

イオリは、毅然とした声でそう答えた。

 

「正義、ですか」

 

シャオは意外そうな声でそう言った。

 

「そうだ。私は、私達は、正義に則り行動している。それに違いなんて──」

「いえ、それ自体は否定しません。ただ──」

 

シャオは左手で顎を掻きながら、鎌をゆっくりと持ち上げた。

 

「不十分でしょうね」

「不十分...なのか?」

「ええ。そこに感情は介在していますか」

「それは...」

 

している訳が無い。そう言うと、だからだとシャオは言った。

 

「だから...?」

「感情の無い理性は、傲慢なだけで終わってしまうでしょう。それでは──貴女はそれ迄です」

 

そう言いながら、彼は鎌を持ち上げたまま、足音を立てずにゆっくりと動いた。その先には、地面に伏した風紀委員が居た。

 

「お、おい、何をする気だ!」

「今から私のする事は、恐らく悪なのでしょう。ですが──」

 

そこで一瞬言葉を切ると、シャオは振り上げた鎌を、そのまま倒れている風紀委員の腹に突き刺した。

彼女は不格好な声を上げたまま、腹を抑えて身を縮めた。

 

「止めろっ!!」

「止めません」

 

静かで冷淡な言葉と共に、今度は蹴りが彼女の腕を踏みにじる。

止めようとしても、身体が動かない。痛みだけでは無い。竦んでしまっているのだ。

そのまま、伏している彼女は鎌で脚を切り裂かれ、腕を拗られ、身体中に攻撃を受ける。その度に、苦しそうな声を上げているのに、シャオは淡々と、作業でもするかのようにその拷問を止めない。

暫くして、シャオは再び鎌を持ち上げると、今度はすっと、彼女の首元に刃先を宛てた。

 

「お、前...!!」

「...」

 

シャオは何も言わずに、そのまま鎌を横に動かそうとするかのように、腕をピクリと動かした。

その動きの先に何が待っているのか──イオリは瞬時に理解し、身体が一層強ばった。動かなければ、止めなければと頭では理解しているのに、身体が硬直してしまっている。

その時、蹲る彼女と、眼が合った。

 

「イオリ...せん、ぱい...」

 

確かに、そう聞こえた。

か細く弱々しいが、自分を呼ぶ声。

それに、イオリの中の何かが、音を立てて切れた。

 

「うあああああっ!!!」

 

イオリは叫びながら、先程まで微塵も動かなかった身体が嘘みたいに飛び出して、シャオの首元に喰らいついた。

シャオはそれを軽くいなしたが、イオリは銃を振り回しながら、シャオの懐に潜り込んだ。

 

「それですよ。それこそが、貴女を突き動かす感情なんでしょう」

 

イオリの猛攻を鎌で弾きながら、シャオは続けた。

 

「ですが、それで終わってはいけません」

 

そう言って、シャオは我武者羅に暴れるイオリの両腕を受け止め、その眼を真っ直ぐ見据えた。

 

「私の来た場所──都市でも、貴女のように怒りに燃えながら何もかもを壊そうとする人を、私は大勢見てきました。もしかすると、嘗ての私もそうだったかもしれません。ですが──」

 

シャオはそこで一瞬言葉を切り、両手を離しイオリ解放した。

イオリは、最早立つ力もないでも言うように、地面に倒れるように座り込んだ。

その顔を覗き込むように、シャオも屈んだ。

 

「大きな感情は、時に自分の身を喰らい、燃やします。先程の貴女が──私が煽り立てたとは言え、正にその通りでした。

しかし、貴女には──正義という名の理性があります」

 

シャオはそう言いながら、ゆっくりと立ち上がった。

イオリは肩で息をしながら、少し顔を上げて、次第に合わせるようにゆっくりと立ち上がった。

 

「理性のない感情は身を燃やし、感情の無い理性はただの傲慢となって道を塞いでしまいましょう。大切なのは、感情を自覚し、理性でそれを包み込み形作ること──なのでは無いでしょうか」

 

その言葉に、イオリはゆっくり、然し確りと頷いた。

その目は、真っ直ぐにシャオの向こう側を見詰めている。

 

「...ありがとう、シャオ...さん」

「すみません、態ととは言え、貴女の後輩を──生徒を危険に晒すような行為をしてしまいました」

「それは...うん、許し難いけど...」

 

語尾を濁すようにそう呟くと、シャオは分かったというように小さく頷き、先程の風紀委員の元に近寄り、懐から何かを取りだして飲ませた。

 

「えっと...な、何をしたんだ?」

「再生アンプル...まあ、治療薬みたいなものです。他の人達はある程度手加減していたので、多分大丈夫でしょうが...」

 

シャオのその言葉通りに、他の皆もフラつきながらだが、徐々に立ち上がって此方に向かってきている。

 

「皆、戦闘は終わり!私達の負けだよ」

 

イオリのその言葉に、皆が少し悔しそうな声を漏らしたのが聞こえた。

それに、イオリは無性に笑いそうになった。

気づけば、空には雲一つ無くなっていた。

 


 

「御前もまた、傲慢なのだよ」

 

シャオが風紀委員達を蹂躙している光景を見ている最中、ビナーはヒナに向かってそう言った。

 

「...唐突ね。それに、どういうことかしら」

「あの様を視て、御前は如何に思ったか」

 

そう言いながら、ビナーはチラリと横目で外を見遣った。恐らく、あの蹂躙のことを指しているのだろう。

正直なところ──驚きはそこまで無かった。勿論外から来た人一人にあそこまで圧倒されるとは思わなかったし、相応に青年が強い事の証左なのだろうが、それでも──どういう訳か、それ程吃驚した訳では無かった。

そう言うと、ビナーは静かに頷いた。

 

「では、御前があの場にいれば──如何なると思ったか」

「それは──」

 

勝てるのでは無いか。

幾らあの青年が強かろうと、如何に風紀委員達が負けようと、それでも自分が居れば──。

無根拠な訳では無かった。ただ、何時もそうだから、此度もきっとそうなのだろうという、それでも甘い予測だとは思った。

そしてヒナが言葉を紡ごうとした次の瞬間に──目の前に、何かが飛び散るようにして飛んできた。

咄嗟に銃を構えてそれを撃ち落とすと、眼前には掌を前に突き出すビナーの姿があった。

 

「急に...どうしたの、先生」

「御前は、御前の力を能く識っている。だがね」

 

そう言いながら、今度はすっと突き出した拳を握りしめた。

瞬間、ヒナの腕が上手く動かなくなり、銃が力の抜けた手を離れてカランと音を立てて地面に落ちた。

 

「御前もまた、酷く脆いものだ。彼等とは違う理由でな」

 

ビナーはそう言いながら、音を立てずにヒナの傍に近寄り、ヒナの腕にそっと手を翳した。

ヒナの腕に掛かっていた見えない拘束は、その瞬間に解かれた。

 

「私が脆いって...」

「御前もまた、傲慢なのだよ」

 

ビナーは繰り返し諭すようにそう言った。

 

「御前の力で処せぬ物は無いだろう。だが、御前の腕に抱えられる物は、御前の身体を超えては無いのだよ。

何れ程強く輝く星も、総ての星を照らせぬ様にな」

 

そう言いながら、ビナーは再び席に着いた。

ヒナは立ち竦んだまま、凝とビナーの顔を見た。

 

「御前より輝きがか弱くとも、星は確かに御前の周りに在るのだよ。それを視ずに星空を象ることもまた、不毛と言わざるを得ないだろうな」

 

ヒナはそれに何も答えずに、静かにビナーの向かいの席に座った。

 

「もっと周りを信じろ...ってこと?」

 

ヒナがそう問うと、ビナーは首を縦にも横にも動かさずに答えた。

 

「御前の為したいようになさい」

 

その言葉を残し、ビナーは席を立つと、そのまま扉の方まで近寄った。

 

「ま、待って!」

「御前は己の力で星を見つけられるだろうよ」

 

そう言って、ビナーは外に出ていった。

慌てて追いかけようにも、ビナーの姿は既に廊下には無かった。

だが、ヒナはビナーの言葉を心の中で反芻してみた。

再び外を見てみると、イオリは憑き物が落ちたような顔で、シャオを向かい合っている。見違えたようなその表情に、ヒナは少しハッとした。

何処かで、他人に対する期待を諦め、自分に対する期待で心を埋めていたのだろう。だが、イオリのその顔は──ヒナの心の深くに、確かに種を植えた。

空を見ると、雲は消え去り、善く晴れている。

憂鬱な気分も、この晴れの元では、雲散してしまう。そしてそれは、ヒナの希望を育てるには格好の陽射しであった。




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目を覚ますと、先生になって過去に戻っていた黒服が先生としてどうにかやっていく話。▼アビドス編は大体原作沿いですが、それ以降は本編との乖離が徐々に進んでいきます。▼※某掲示板で投稿している内容の保管であり、修正などはあるかと思いますが、▼基本的な内容に違いはないです。▼アビドス編(対策委員会1・2章に相当)完結▼ミレニアム編(パヴァーヌ1章に相当)完結▼トリニ…


総合評価:2792/評価:8.61/連載:182話/更新日時:2026年05月19日(火) 18:00 小説情報


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