ねえ、エリちゃん。
私のこと、信じてくれる?
―――――――――
ハイツアライアンスの夜。
緑谷出久が階段を上がった先の踊り場に、少女はひっそりと佇んでいた。
霊火はつい最近に黒髪のセミロングに戻した。緑谷やA組にとっては『また髪型変えたんだ』といつもの感想だったが、エリはかなり混乱していた。
こちらの足音に気付いたポニーテールが振り向く。
「お……はよ出久くん。眠すぎだね……」
「お疲れ様霊火さん。……ついに来たね」
「思ったより早かったね。令状取るのはもうちょい手間取ると思ってたんだけどなあ……」
つい先ほど届いたナイトアイ事務所からのメッセージ。
“八斎會の薬物製造と取引の証拠を押さえた”
“我々は明日の早朝に作戦を決行する”
緑谷としては、どうしたって胸がざわつく内容だ。
しかし肝心の霊火はむにゃむにゃと滑舌も怪しい。緊張感ゼロのまま少女はふわっと笑って続けた。
「ふわあ……めっちゃ眠たい……」
「霊火さんは凄いね……僕はもう、緊張で心臓が……」
「気負い過ぎない方がいいよ? まあ折角だから伝えておきたいことが……ん?」
その瞬間、遠くの方からパタパタと軽い足音が近づいてきた。
少女の指先にパチッと微弱な火花が走り、眠そうだった目は一転して鋭さを帯びる。
そのまま無造作に『トランジスタ』を構える霊火に緑谷は慌てた。
「霊火さん、いきなり攻撃は無しだからね!」
「出久くんは私のこと何だと思ってるの?」
そう言われても、最近の霊火は警戒心が強すぎる。
些細な物音にも超反応で反撃をぶっ放す割に、彼女自身は正当防衛が絶対に成立しない殺傷力の塊だ。
いつもの事だが、緑谷としてはこの反射行動の方がよっぽど心臓に悪い。
足音の主よりも霊火の方を横目で警戒しながら、緑谷もわずかに腰を落とす。
しかし廊下の角から現れた人物は良く知る顔だった。
「あ、霊火ちゃん!! デクくん!! メール見た? ついに来たね……!!」
「あ、お茶子ちゃんか。調子はどう?」
「麗日さん!! 明日は一緒に頑張ろうね……!!」
彼女も八斎會攻略チームの一員だ。
しかし麗日は、こちらを見た瞬間に足を止めてしまう。何故か戸惑いが混ざった表情で、半歩だけ後ずさった。
「……二人で話してたかな? 邪魔しちゃった?」
「ああ待って待って行かないでお茶子ちゃん。いい機会だから貴女にも話しておきたいの」
「本当? 邪魔してない?」
「んもう……。気にしすぎだよお茶子ちゃん。というか梅雨ちゃんと切島にも伝えないとな……」
緑谷にはよく分からない会話をしてから、赤い目の少女はこう切り出した。
「言おうか迷ったんだけど、ちょっとした注意事項があって……」
緑谷と麗日は霊火の言葉に耳を傾ける。
少女は僅かに目を逸らした。
「……今回の件、正直あまりいい終わり方をしないと思う」
「え……?」
「どんな結果になってもあまり引き摺らないようにって話なんだけど……」
妙な含みを持たせた言葉だった。
端正な横顔に僅かな影が差すのを見て確信する。
「……霊火さん。やっぱり——」
「聞かない方がいいと思うけれど」
かなり強く言葉に割り込まれたが、緑谷は思わず言葉を続けていた。
「ナイトアイの『予知』で……何か言われてるんだね?」
霊火ははっきりと目を逸らした。
これは隠している罪悪感というより純粋に困っているときの反応だ。
こういうリアクションをしている霊火を問いただしても、基本的に碌な事が無い。それぐらいは分かっていた。
そして経験通りに、あまり聞きたくない言葉が飛び出てきた。
「ん~……個人的にはだよ? 『
「アレで!?!?」
「正直、相当な上振れパターンなんだよねアレ……」
反応したのは麗日だ。
目を剥く彼女を少女は胡乱気な瞳で見つめる。
「資料でも見たと思うけれど、エリちゃんの警護に割く人員がおかしいでしょ? 私、ルミリオン、イレイザーヘッド、エッジショットだよ? 一体エリちゃんに何が起きるんだって話じゃん……」
「……エリちゃんが危なくなる『予知』って事?」
「出久くんは本当にこれ以上聞かない方がいい。状況が始まったら目の前の事に集中してね」
そういう少女は二人を交互に見た。
「……それにいい機会だからお茶子ちゃんの方には言っておきたいんだけど。あのさ、今回、本当に参加する必要ある?」
「え?」
ショックを受けたように固まる麗日。
緑谷は焦ったように何か言おうとしたが、霊火のアイコンタクトで止められてしまう。
「正直、今回の案件はどう考えても学生が参加していい危険度じゃない。難しすぎる。悲劇慣れしてない貴女たちじゃ辛い事になる可能性も高いよ?」
非常に厳しい言葉だったが、その声色は真剣だった。
隣で麗日が拳をぎゅっと握る。胸に手を当てて彼女は小さく頷いた。
「大丈夫。私もエリちゃんを助けたい……!! そりゃデクくんとか霊火ちゃんに比べれば実力は全然だけど、私は自分の出来ることを全部やるつもり!!」
その気迫にこちらも背筋が伸びる。
「僕も覚悟はできてる。霊火さんたちが何をしているのかは聞かないけど……必ず全力を出すよ。『オーバーホール』も『アマリリス』も、絶対に捕まえよう……!!」
「………ふうん。そう。ならよし」
霊火はかなり困った顔をしていたが、諦めたかのように肩の力を抜いた。
「野暮な事聞いたかな。こんな夜にごめんね」
「……ありがとう霊火ちゃん。私、頑張るからね!!」
霊火は軽く笑い、くるりと踵を返した。
残った二人で顔を見合わせ、軽く会釈を交わす。
「……じゃ、明日は頑張ろうね、デクくん」
「うん。麗日さんも」
彼女が寮の廊下へと戻っていった。
廊下に静けさが戻る。自分も部屋に帰ろうと一歩踏み出した、そのとき。
「出久くん、ちょっといい?」
小さく潜められた声。
振り返ると、廊下の角から霊火さんがちょこんと顔をのぞかせて手招きしていた。
相変わらずちんまりとしていて小動物みたいだ。
「……霊火さん? どうしたの?」
「お茶子ちゃんには聞かれたくないから」
そういう少女は周囲へ鋭く視線を走らせる。
彼女はさらに声を落として言った。
「言うの忘れてたんだけれど……」
見た目だけならエリと同じぐらい愛らしい少女は、さらりと続けた。
「今回は『首輪』を付けた方がいいかも」
「……そこまでマズいことになるの?」
「今回は本当に難易度が高い。USJとか林間合宿の襲撃よりも大変だと思う」
殻木霊火は肩を竦める。
「正直、この調子だと私たち以外の一年生組は普通に死ぬんじゃないかなあ……」
「そんなサラッという事かな!?!?」
しかし、彼女はやや悲観的な見方をする事が多いため、真に受けすぎるのも危険ではある。
油断はするなという意味だと解釈しながら小さな少女を安心させるように緑谷は目線を合わせ、はっきりとこう言った。
「大丈夫。皆は絶対に僕が守るよ」
「……なんかエリちゃんと扱いが同じじゃない?」
プイとそっぽを向かれてしまった。
どうやらお気に召さなかったらしい。女の子は相変わらず分からない事だらけだ。
―――――――――
突入直前。
朝の空気を裂くように、強面の警察官が声を張る。
「隠蔽の猶予を与えないためにも、全構成員の確認・捕捉はできる限り迅速に行いたい」
緑谷たちヒーローの任務は、八斎會構成員の無力化と捕獲だ。
塀の高い屋敷の前には金属シールドを掲げた警察部隊がびっしりと並び、そのすぐ近くには錚々たるトップヒーローたちが陣取っていた。
エンデヴァー、ミルコ、マウントレディ、シンリンカムイ、リューキュウ、ファットガム、ロックロック。
総指揮を執るナイトアイは、静かな表情のまま左腕の腕時計を一瞥する。
すぐ傍でヒーローコスチューム姿の切島鋭児郎が肩のパーツを調整しながら天喰環にこう話しかけていた。
「決まったら早いスね」
「君、朝からテンションが高いな」
「普通に緊張してきた……!」
少し離れたところでは麗日お茶子。
リューキュウの傍らには蛙吹梅雨と波動ねじれも控えている。
見上げると、雲ひとつない快晴だった。
澄んだ青空が広がり、朝日が眩しい。
(……霊火さんは“難易度が高い”って言ってたけど)
緑谷出久は無意識に首元へ触れた。
林間合宿やギガントマキア戦の時にも使った銀色のリングが、指先にひやりとした感触を返す。
普段のヒーロー活動では極力使わないようにしている、霊火製の『首輪』。彼女が言うにはサポートアイテム関連の法律違反とのことだが、安全の為ならやむを得ない。
視界に、装着者にだけ見える半透明のUIが重ねられる。
風向きは矢印と数値で示され、気温と湿度は端に小さく常時表示。
近くのヒーローたちには輪郭をなぞるように緑の淡い枠線が浮かび、視線を合わせると頭上にヒーローネームと「心拍:安定」「負荷:低」などの簡易ステータスのウインドウまで現れる。
薄いガラスのHUDを覗き込んでいるような感覚だ。搭載AIの『レイ』も今は沈黙している。
半透明のネームタグを何となく見渡しながら、緑谷はこう思わざるを得なかった。
(これだけのヒーローが揃ってるなら……何が出てきても押し切れるはずだよな……?)
少なくとも『危機感知』は何も告げていない。
『レイ』に話しかけてみようか迷っていると、横合いから気さくな声が飛んできた。
「『デク』やな。話も噂も聞いておるわ!! 流石、他の一年よりも落ち着いとるなあ!!」
丸々とした巨漢のファットガムが、にかっと笑ってこちらに手をひらひらと振っていた。
彼は霊火の職場体験先でもある。彼はこう続けた。
「令状読み上げたらワァーッと突っ込むで。向こうが何かしようとする前に、こっちが一気に決めたるんや」
「はい!! 一緒に頑張りましょう『ファットガム』!!」
「烈怒頼雄斗もそうやが、やっぱ若いのは元気良くていいわあ!!!! なあ『サンイーター』!!!!」
「やめてくれ……!!!! そのフリが俺を更なる暗がりへ導く……!!!!」
フードのインターン生がよろめいた。
ファットガムは大らかに笑って、屋敷の正門へと目を向ける。
そこでは、数名の警察官が最終確認として書類を手にしている。
正門前に緊張が張りつめる。
警察官の一人が書類を胸元に抱え、深く息を吸った。
「――これより、指定敵団体“死穢八斎會”本部施設への家宅捜索を執行する!!」
声が朝の冷気を裂いて響く。
ミルコはニッと笑って軽く跳ね、エンデヴァーは腕を組んだまま全身から炎を燃え上がらせた。
「対象施設、八斎會本部屋敷! 構成員および関係者は、直ちに武器の携行と抵抗行為を中止しろ!! 〇八三〇――着手ッ!!」
読み上げと同時に警察隊が金属シールドを一斉に構える。
トップヒーロー達も前傾姿勢で突入のタイミングを待ったその瞬間だった。
あっさりと。内側から巨大な木の門が開いた。
「……な!?」「開いたぞ!? なんでや!?」
扉を破壊する気満々だった警察側は動揺する。ヒーロー側も戸惑いを隠せない。
タイミングをずらされた。門を開けた人物は呆れ気味の声で穏やかに言った。
「朝からどうしましたか? ”ママ”は庭いじりに忙しいんですが?」
「な……!?」
……まず目に入るのは、二メートル半はあるであろう異様な長身。
しかしそれ以上に、その圧倒的な美貌に全員が目を奪われる。
艶のある長い黒髪は控えめに巻かれ、朝日を受けてさらりと肩へ落ちる。
圧倒的なボリュームの胸元から細い腰のラインに肉感的な脚のライン。男どころか女でさえも見惚れる完璧な造形。
薄手の白いワンピースの上に緑の大きなエプロンをつけ、そしてつば付きの作業帽を被る若奥様といった所か。
本当に庭仕事をしていたのか、左手には長大な剪定鋏。
ワンピースには土の跳ねた跡がついている。
ゾッとするほど整った美人が、誰もを魅了する柔らかい笑みを浮かべた。
「おや、警察にヒーローの方々。”ママ”に何かお願いしたい事でも?」
八斎會資料に載っていない顔だ。
緑谷は一瞬、家を間違えたのかと思うほどだった。
わずかな沈黙の後、先頭の警察官がシールドを上げ直して背後に叫ぶ。
「行け!!!! 突入ーーッ!!」
「おっと」
女が軽く脚を引いたと思った次の瞬間に。
振り抜かれた腕一本で、警官数名がまとめて吹き飛んだ。
「不法侵入です。正当防衛を……令状が出ているのでシンプルに公務執行妨害ですね。ママは困りました」
成人男性がシールドや装備ごと十メートル以上吹っ飛び、コンクリートの塀を突き破っていった。
明確な敵対行動にヒーローたちが動く。
緑谷の『首輪』が映し出すUIが真っ赤に染まり、赤い三角警告が視界に連続して並んだ。
「っ!!」
緑谷は地面を蹴る。
ためらえば被害が拡大する。鋭く加速しながら身体を低く沈め、そのまま若奥様の足元に回し蹴りを叩き込む。
「──っらァ!!!」
「てんめええええぇ!!!!!」
同時に、白い塊が爆ぜるような速度で突っ込んでくる。
ミルコの狙いは頭部へのドロップキック。『デク』の突出に連携してくれた形だ。
どちらも増強系のトップヒーロー。
一撃で敵を倒せる威力だが、庭仕事のマダムは赤い瞳をギラリと光らせた。
「ママは戦うつもりはないのですが……」
左手の剪定鋏をくるりと回してミルコの蹴りを正面からあっさりと受け止める。
そして足払いはワンピースの裾を揺らしながらの蹴りで相殺した。
「来るなら殺しますよ?」
衝撃が地面を震わせ、緑谷の足に途方も無い大木を蹴ったような反動が走る。
(強い……!!!!)
ミルコは空中で一回転して着地し、獣のように笑った。
「やんなあテメェ!!!!! どっから出てきた!!!!!」
「おや、気が付いていないのですか? ママはそこそこ有名人のつもりなのですが」
「知らねえっ!!!」
「なら勉強不足です」
女の足元に影が落ちた。
巨大化したマウントレディが、天空から拳を振り下ろす。
爆乳高身長な若奥様は、あらあらと頬に手を当てながら、軽いステップで隕石のような一撃を軽々と避ける。
「避けてんじゃないわよ!!!!」
「う~ん……単純な力押しというのも面白味に欠けますね」
「そもそもあんたどこの誰よ!!!!」
「ママのことは親しみを込めて“真奈美さん”と呼んでください」
次の瞬間、白ワンピースをエンデヴァーの炎が包んだ。
しかし次の瞬間に揺らめく赤の向こうでシルエットが揺らめき、防草シート用の固定ピンが豪速で飛んでくる、
超高速で投擲された30センチ強の杭が複数本。
完全に不意を突かれたマウントレディの巨大な太腿に深々と突き刺さる。
「刺さったペグの大きさは変わらないので『巨大化』を解除したら死にますよ? 因みに新品と言うわけでもないので、早く消毒しないと破傷風で死にます」
「バニシング―――」
「これまた情熱的な殿方ですね」
「フィストォ!!!!!!!」
全身高熱の塊と化したエンデヴァーが全力で殴り掛かるが、そもそも高熱の効きが悪い。
薄手のワンピースにすら焦げ一つ無い有様だ。おそらく何らかの対策を施してある。
「このっ……!!!」
「わあクールビューティー。カッコイイですね?」
リューキュウが炎を掻き分け鋭い竜爪で敵を引き裂きにかかるが、若奥様は燃え滾る熱拳と鋭い爪の両方を強引に受け流し無理矢理同士討ちさせた。
流石に体勢を崩した瞬間を狙って再突撃してきたミルコの蹴りだが、こちらは頭突きで迎撃される。
シンリンカムイが叫ぶ。
「なんだこの化け物は!?!?」
「あらあら困りましたね。ママはまだ"個性"を使っていないのですが」
キンッ、と金属が弾ける音が鳴る。
金属製の杭が、リューキュウの補助をしようと浮き上がった波動ねじれめがけて音速に近い速度で投げ放たれた。
「先輩!!!!」
「キャッ!!!!」
緑谷は跳んだ。
攻撃に反応しきれていない波動ねじれに飛びつき、無理矢理地面に叩き落とす。
咄嗟の抱き寄せで色々ともみくちゃになったが。アスファルトの上を転がって視線の通らないスペースに退避。
腕の中で可愛らしい悲鳴を上げられたが、投擲された金属ピンは辛うじて回避に成功した。
「危なかった……!! 波動先輩大丈夫ですか!?」
「だ、大丈夫……!! ごめんねありがとう!!」
「先輩は、少し離れて避難誘導や負傷者の救出をお願いします!!!!!」
彼女の肩を支えたまま真剣にこう言うと、戦場に走る。
『……私の警告で間に合ったというのに、随分といい思いをしましたね?』
「なんでちょっと不機嫌なの!? ごめんね!?」
なぜかサポートAIの声がトゲトゲしい。
身に覚えがなさすぎて焦る緑谷は、とりあえず謝ってAIの機嫌を宥めながら戦場へ復帰。
リューキュウとともに若奥様に距離を詰めるナイトアイが、ちょうど女へ向けて叫んでいた。
「何者だ!!!! ”個性”は!!!!」
「だから増強系ではありません。ママは可愛いママなのです」
その言葉の直後だった。
女の顔が、ノイズを走らせたかのように歪んだ。
「これがママの“個性”です」
次の瞬間には緑谷の『首輪』のAIが一発で回答を出した。
『レイ』が焦ったように言う。
『誰かと思ったら……!!!! あれはピースキーパー期間、札幌で猛威を振るったネームド
「む、無貌!?!?」
視界に検索結果が並ぶが、緑谷は半透明のそれらを見ることが出来ない。
視線が女の顔に“固定”される。脳を直接掴まれたような暴力的な強制力。
「……っ!? な、なんだこれ!?!?」
『動かないで下さい!!!! 精神感応系の能力、アレはそういう”個性”です!!!!』
まばたきもできない。
視界が女の顔から動かない。そして人は意外と視覚の中心しか見えない生き物だ。周辺の情報が急激にぼやけていく。
(な、なんだ……!? これ……“危機感知”が反応しない……!!)
『
「っ、あ……!」
命令に従って視界を覆うと、”個性”は解けた。
眼球の制御権が戻る……が。
「いい分析です。しかしフィジカルモンスターの”ママ”を相手に”それ”は命取りですよ?」
戦闘中に自分で視界を防ぐなど隙でしかない。
声が終わる前に目の前へ女の輪郭が跳ぶ。床を蹴る音すら聞こえなかった。
眼前に迫る強烈な圧迫感に負けて反射的に拳を振り抜くが、軽く身体を傾けられただけで空を切った。
『しまっ――』
カウンターが緑谷の胸部を砕く。
「——ッぐ……!!?」
肺の空気が絞り出されて胸骨が嫌な音を立てる。
凄まじい勢いで後ろへ吹き飛ばされ、背中から地面に叩きつけられた。
もう一度息を吸う間もなく、影のように距離を詰めた若奥様が、どこからか取り出したレンガを振りかぶった。
分かりやすいナイフなどよりよっぽど怖い。こちらも必死に横に転がろうとするが、試してみる前に絶対に間に合わないことを悟ってしまう。
少年の喉奥が干上がる。
しかしレンガが顔面に叩きつけられる直前に、奥様の横っ腹からエンデヴァーがタックルをぶちかました。
「おや、流石ですナンバーワン」
「デクをカバーしろ!!!! 移動は突進とバックダッシュ、横ステップと防御、そして遠距離攻撃で動きを統一すれば、コイツの『無貌』は攻略できる!!!!」
「はい、札幌のスーパー
エンデヴァーの更なる怒声と共に熱線が奥様を吹き飛ばした。
炎の衝撃波が緑谷の髪を揺らすが、地面に倒れたままの緑谷はまともに呼吸ができない。
視界が白く明滅し、意識がかすむ。
『……判断を間違えました。申し訳ありません。あの場面で視界を防いだらこうなるのは必然でした』
未来予知じみた精度で相手の動きを予測する『首輪』にしては珍しいミスだ。
霊火の声で落ち込んだ声を出されるとこちらが申し訳なくなる。
何か言葉を返して慰めようとしても肺がまだ上手く動かない。指先で銀色の首輪を撫でた。
『……現在はエンデヴァーと交戦中です。……流石ナンバーワン。視線が外せなくても戦えています』
「……僕も……戻る……!!!!」
『その方がいいです。エンデヴァーの理論は確かに完璧ですが、それでまともに動けるヒーローが今のところエンデヴァーだけです。視線の固定という性質上、そもそも遠隔”個性”の方が戦いやすいんでしょうね』
視線を向けられない緑谷に代わり、『レイ』が状況を報告してくれる。
『視覚を固定し恐怖を与える“個性”』、確かに“ピースキーパー”の資料にそんな敵がいた。霊火も説明していたはずだ。
気合だけで無理矢理起き上がりながら、緑谷は呻く。
「札幌のネームド敵……まさか八斎會に……!!!」
『いいえ。アレはアンドロイドでした。身体が有機物で構成されていません』
言葉の重さに肺の痛みすら一瞬吹き飛んだ。
もう一度、慎重に若奥様を視認する。
ルールさえ分かればパニックは少ない。視線がロックされるのを感じながら両足で立ち、相対。
若奥様は周囲のヒーロー全員と”同時に”目を合わせながら、炎を払いながらワンピースの裾を軽く整える。
「では、改めまして。ママは『美貌』。正式名称は[Class4:lookism]」
ご丁寧に『無貌』を解除までして、彼女は優しく微笑んだ。
スカートの裾を指先で軽く摘まみ、片足を引いて優雅に膝を折る。
「『アマリリス』製人形の一人。今日は――」
ワンピースの下から、ジャコン!!! と奇怪な音を立てて様々な得物が飛び出した。
生垣などを整えるための柄の長い大きな刈込鋏。
太い枝を切るための剪定ノコギリ。
片手で使う小さな移植ゴテ。
土を耕したり畝を作る鍬。
堆肥を混ぜたり土に空気を含ませるためのガーデンフォーク。
落ち葉などを集める金属製の熊手。
ホース、麻紐、支柱、杭、草刈機、鎌。
何処にでもあるありふれたガーデニング用品。
庭造りが得意な美人な若奥様は茶目っ気たっぷりに片目をパチンと閉じて、笑った。
「――存分に、ママと殺しあいをしましょうね?」
―――――――――
“個性”『無貌』
本来は“常時発動型”の個性で、使用者の顔面には常にノイズが走っている。
その視覚干渉は相手の意志とは無関係に視線を顔面へと強制的に固定し、目を合わせる。
対象の恐怖反応を引き起こし、対象の瞼の動きを停止させる。
―――――――――
『美貌』の戦闘はマニュアルモードだ。
『アマリリス』たる殻木霊火がリアルタイムで遠隔操作している状態なので、雄英待機中の霊火も退屈はしなかった。
(うんうん。高出力のボディに純粋なデバフ”個性”を乗っけるだけで、まあまあ手が付けられなくなるね)
心操人使や相澤消太が上位脳無レベルの身体能力で動いたら最強みたいなものだ。
本体の身体能力が低いから許されていたようなデバフが、機械の身体を得たことで一気に壊れる。こういう組み合わせも”個性”と”身体”を切り離せるアンドロイド技術ならではの醍醐味だ。
(私のアンドロイドは脳無と比べると非力だけれど、その代わりとっても賢いからね。難しい”個性”を持たせて『ドクター』の筋肉ダルマとの差別化を図りたいけれど……)
色々と思案を巡らせる霊火は雄英高校の会議室で欠伸をする。
エッジショットとイレイザーヘッド、ルミリオンと同じチームに組み込まれた霊火の役割は”エリの保護”だ。
「デクさんは……?」
「デクお兄ちゃんはお仕事だよ。彼はヒーローだから、たくさんの人を助けたいんだね」
「そうなんだ……」
隠してはいるつもりだが、霊火や相澤たちの緊張を感じ取ってしまっているのだろう。
エリが不安そうに霊火を見上げてくる。頭を撫でて落ち着かせていると、相澤がこう伝えてきた。
「本隊は交戦に入ったそうだ。ただ八斎會のメンバーはいなくて『風香』とは別のアンドロイドが待ち伏せしていたらしい」
「うっわあ焦げ臭くなってきましたね……」
特に驚きはない。まあ当たり前だが。
(……そろそろかな)
タイミングを計り続けて来たが、今が好機だ。
殻木霊火は誰にも見えないよう、後ろ手に"それ"を構える。
金と銀が織りなす繊細な懐中時計。
(さて……と。自動解除は三時間後でいいか)
エリを救うために全力を出す。
エリを助けるために出し惜しみはしない。
エリを生かすために『図書委員』を動かしたい。
『予知』を攻略するために必要だから、使った。
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”個性”『永夜』
地球全体に夜をもたらす異能。
ついに100話目!!!
いつもたくさんの感想と評価ありがとうございます。大きな励みとなっております。