殺人現場より、愛をこめて   作:トリスメギストス3世

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次の回でインターン編終了です


107:インターン⑬

 瓦礫まみれの住宅街で、白いワンピースがひらりと翻った。

 『美貌』は長身女性の姿のまま優雅な笑みを浮かべ、重量感のある園芸用スコップをガッツンガッツンとぶつけ合っている。

 

「よっこいしょ〜!!!」

 

「大人しくしてくれ、『美貌』……!!!」

 

 金属音と火花が散る。

 凄まじい膂力で振り回されるスコップが、デクの拳を弾き返した。

 

 反動で自身も後方へ吹っ飛ぶのを、彼女はハイヒールの両足と左手を地面につけて強引に制動。

 アグレッシブな若奥様はニヤリと笑った。

 

「麗日お茶子の“殻木霊火”、切島鋭児郎の“ギガントマキア”。それぞれの肉親や子供たち……また面倒なのに変身される前に仕留めたいですね?」

 

「分かってるなら……!!!」

 

「でもまあ、実際ママの役割はもう終わりました」

 

 『美貌』はスコップの柄をくるりと指先で回し、上品な所作でスカートの裾を軽く払う。

 

 なぜか緑谷出久へ妖艶な投げキッスを飛ばしながら、くるりと一回転。

 

「それでは、また」

 

 止める間もなかった。

 若奥様の長身はそのまま消失した。

 

―――――――――

 

 短距離テレポートと言っても直線距離で5メートル。

 下水道とかに逃げたら普通に追えないんだよね。

 

―――――――――

 

 元々霊火だけで互角の戦いだったのだ。

 通形が参戦すると流石に一方的な展開になった。

 

 上空から薄紫の光線が無数に分裂して降り注ぐ。

 着弾のたび、赤い薔薇が爆ぜて光の残滓が空気を裂く。

 閃光と衝撃に満ちた空間で、治崎は舌打ちしながら後退した。

 

(いまだ——!!)

 

 通形ミリオは深く息を吸い、足元の瓦礫の下の地面へと沈む。

 “個性”『透過』。

 自分だけが無音の海へ溶けていくような独特の感覚の後、浮上した時にはもう身体が走り出していた。

 

 壁を抜け、霊火の桜吹雪すら通り抜け、狙うは治崎の死角。

 そこで霊火が白く輝く十字の光芒を手元で炸裂させる。

 完璧なタイミングだった。治崎の視線がわずかにそちらへ流れる。

 

(見た……! ここだ!)

 

 ミリオは瓦礫を蹴り、跳ね上がる。

 治崎が気付いた直後、霊火の爆風が横合いから叩きつけ、男の足取りを大きくよろめかせた。

 

 ミリオは拳を固く握り、全身の推進力を一点へ収束させる。

 

「POWERRRRR!!!!!!」

 

 拳が肉へ深くめり込む。

 完璧な手応えだった。治崎の身体は弾かれて大理石へ激突する。

 

「よし!!!!!」

 

 拳を軽く振って感触を確かめる。

 治崎は瓦礫に埋もれたまま動かない。完全に伸びている。

 ……脳震盪が入っているため、三時間は起きないだろう。

 

 治崎廻、撃破。

 

 舞い上がる灰の向こうから、小さな足音が駆けてきた。

 

「ルミリオンさん……!!!」

 

 高く震える声。

 白い服を埃まみれにしながら、エリが瓦礫を飛び越えてくる。

 

 ミリオは笑みをこぼし、膝を折って目線を合わせた。

 胸の奥に張りつめていた戦闘の緊張が、ゆっくりとほどけていく。

 

「エリちゃん……!!! 大丈夫だった?」

 

「大丈夫!!! お姉ちゃんが守ってくれたから……!!!」

 

「遅くなってごめん。でも、もう大丈夫。一緒に雄英に帰ろう!!!」

 

「う……うん!」

 

 エリは迷いなくミリオへ駆け寄り、その胸に抱きついた。

 その無邪気な安堵の色に、通形ミリオの胸は熱く満ちていく。

 

 なお白い灰が降り続く中、殻木霊火がゆっくり歩み寄ってきた。

 ほっとしたように彼女は言う。

 

「……助かりました、通形先輩」

 

「遅れて申し訳ないね!! それにしても一年生、よく一人でエリちゃん守りながら戦えたね!?」

 

「すっごい大変だったんですよ? でもエリちゃんも手伝ってくれたので、何とか……」

 

 霊火は苦笑しつつ、手のひらについた煤を払う。

 安堵をにじませながらも、ふと思い出したように口を開いた。

 

「で、治崎はどうします? 私、拘束具なんて持ってないんですけど」

 

「そうだね、まずはエリちゃんを連れて『神域』から出ないと」

 

「いや、そういう意味じゃなくって——」

 

 その瞬間、通形ミリオの脇腹にチクリと痛みが走る。

 

「……え?」

 

 赤い目の少女の視線が、通形ミリオを貫いた。

 

「――最後まで気が付きませんでしたね、通形先輩」

 

 痛みよりも先に圧倒的な困惑が脳を支配した。

 腕の中のエリを見下ろすが、見た目こそいつも通りだ。

 しかしその小さな手には、さっきまで無かったガラス製の器具が握られている。

 

 注射器。

 透明な薬液が、見る間に彼の体内へと注ぎ込まれていく。

 

「エリ……ちゃん?」

 

 声が掠れた。

 どんな成分か分からないが、強烈な脱力感が一瞬で全身を沈ませる。

 頭の中は真っ白だ。理解がまったく追いつかない。

 

「え、り……ちゃん……? ……何、を……」

 

「ん~、これで確定かな? 冷静に考えれば最初から最後まで全部おかしかったんだよな。まったくナイトアイも面倒なことに巻き込んでくれる」

 

 腕を組んで困った顔をしているのは殻木霊火だった。

 質問には答えてくれない。彼女の中で通形ミリオへの関心が薄まるのがありありと伝わる。

 

 ミリオの腕の中で、小さな少女が顔を上げた。

 じっと通形を見つめるエリのその表情には、呆れを含んだ憐れみが多分に含まれていた。

 幼い彼女には絶対にできない非常に大人びたコンテクストだ。

 

 それでも、本物そのものな舌足らずな声で"それ"は言った。

 

「わたしの“個性”はかいのせいぶんをうちこんだから、『透過』はもうつかえないよ、ルミリオンさん」

 

「『風香』ちゃん? もう"それ"解いていいよ?」

 

「はあい」

 

 どろり、と。

 エリの表層が崩れ落ちる。

 

(……!?)

 

 現れたのはエリとそう離れていない年頃の少女。

 蒼い角。金色の目。

 

 アンドロイド『風香』。

 

「な…………………………?」

 

 自分の鼓動が遠くなる。

 さっきまで抱えていたはずのエリが、何十キロも先に行ってしまったような喪失感。

 

 エリには大きかったオーバーサイズの洋服を鬼の童女はぴったりと着こなし、間延びした声で言った。

 

「んん……なりきりはどうだったあ?」

 

「トガの『変身』は完璧。何かと応用が利きそうで楽しみだけれど」

 

「特殊メイク系の派生研究に使いたいんだったよねえ?」

 

「そうそう。肌の上から粘土みたいに造形していく感じで、うまくやれば採血なしの変身が出来るってわけよ。”個性”は”個性”を使わない応用研究こそが華。……本物の『変身』と違って『自分より小さい相手に変身できない』縛りはあるけれど、小柄な私が使う分にはあんまり関係ないな」

 

「この手の頭脳派(ヴィラン)に搦め手を与えたらロクなことにならないんだよなあ……」

 

「私からすればあの破綻JKも『二倍』の彼も、あの"個性"でなんで警察に追われる身になってるのかさっぱり分からん。人生が下手すぎるというか、シンプルに犯罪が下手。完全犯罪なんて工夫すれば無個性でも簡単に出来る。中学校の定期テストで一番になる方が普通に難しいと思うけれど」

 

「テスト勉強無しの一発勝負でえ? 殺人なんて一般人は場数を踏めない。普通な人は一度も他人を殺さず死ぬのがノーマル。最初の一回で学年一位を取るならそれは天才と呼ばれる人種じゃないのお?」

 

「私のような専門職じゃなければ、完全犯罪と言っても本当の意味で誰にも見破れないガチの満点取る必要は無いんだよ。現実にゃ名探偵なんて存在しないんだから赤点を取らなければ良し。初心者向けに分かりやすいのは、死体を見つけさせない方法か自然死を装う方法だね。何しろ捜査線上に乗せて表の科学捜査班とかが出てくると素人には躱せないから」

 

「そもそも社会に仇なす何かをやるためには綿密な計画が必要って思考自体が一般人には無いんだよお? 超常による追跡すら技術で簡単に撒く『検死官』さんには分からないと思うけどお」

 

「悪事に限らず大抵の事には綿密な計画が必要でしょ? でも『変身』ねえ……あの特殊性癖で世間に認められるのは絶対に無理だから、大人しく社会に溶け込んで普通を装いながら"自分の好き"を味わい尽くす連続殺人鬼あたりを目指せばいいのになあ」

 

「スタンド使いの爆弾魔みたいな?」

 

「四部? というか『風香』ちゃんはいつ漫画読んでるの?」

 

 倒れている通形ミリオには目もくれず、非常にテンポの速い言葉のラリーが始まった。

 話す言葉の一つ一つが血生臭い。通形の全身に冷や汗が噴き出る。

 

(まさか……まさか……!?)

 

 どれだけ恐ろしい結論へ辿り着いても、通形の身体は動かない。

 頼みの綱の”個性”も発動しない。

 

「で、演技のほうは実際のエリちゃんから抽出したデータを使っただけあって私から見ても違和感ゼロだったよ。『変身』とは別枠で『巻き戻し』のコピーも必要だったけど、正直こっちのほうが大変だったな。本人がいないとチャージできないし」

 

「よくもまあ、あの短期間でエリちゃんの角からエネルギーを引っこ抜く方法を見つけたねえ……。流石私の製作者、問題解決能力が普通に狂ってる……。でもさあ、私が『再現』で『変身』と『巻き戻し』の同時発動……割と危なかったよねえ? 一回でも治崎に『オーバーホール』されたら、アンドロイドって即バレだったよお?」

 

「その場合は"天使"たちで囲んで取引(きょうはく)するつもりだったから」

 

「そこまで含めて、同盟相手への扱いとは思えないなあ……」

 

 そして風香は気絶した治崎を見て、子供っぽく首を傾げた。

 

「で、このヤクザどうするのお? 警察に引き渡して逮捕?」

 

「八斎會に協力するって約束した上で、切断した右腕まで受け取ってるからね。ちゃんと契約は履行するよ。……治崎の奴、私の本当の"個性"に気付いたかもな」

 

「え、マジで? どんだけ頭いいのこのヤクザ。ん〜じゃあお月様行だ。取り調べで余計なこと言われたら厄介だしい……」

 

 そのとき。

 星空を裂くように、黒鉄のSLが降下してきた。

 

 煤けた漆黒の車体。

 表面に走る火花。

 腹の底に響く轟音。

 銀河鉄道は最後の螺旋を描き、蒸気を噴きながら『神域』のホームへ着地する。

 

 吹き荒れる風になびくセミロングを押さえながら、霊火はあっさりと通形ミリオの絶望を上塗りした。

 

(ま、まさか……う、うそだろ……?)

 

「通形先輩には一応言っておくけど、私が『アマリリス』だよ」

 

 赤い瞳の少女が通形をチラリと見た。

 その一言で、"天使"たちが駅舎になだれ込む。

 白銀のラブラドールが治崎をオモチャのように咥え、客車へ放り込む。

 

「じゃ、"天使"たち。八斎會の皆さんを客車に詰めてあげて。月に監禁しちゃえば私のコントロールが効くからね」

 

「『透過』くんはどうするのお?」

 

「殺すのが一番安全だけど……助けに来てくれたのも確かだしなあ。まあ、これでいいでしょ」

 

 殻木霊火の手が伸びる。

 個性の使えない通形ミリオの頭に、触れた——。

 

―――――――――

 

「実際、『混濁』はどこまで有効なのお? 色々話しちゃったから"微妙に覚えてました"じゃ洒落にならないと思うよ?」

 

「強力な睡眠剤と抗精神薬を併用しているから、間違いなくこの5分間の記憶は吹っ飛ぶよ」

 

「……割と最低じゃない……?」

 

「まさか。八斎會特製の永続個性破壊剤じゃなくて、一時的な効果の未完成品にしてあげたんだよ? 我ながら慈愛の塊だと思うけどなあ」

 

―――――――――

 

 火を吹く怪力ゴリラだけでも十分すぎる難敵だというのに、空中を泳ぎ回り、触れるものすべてを焼き切る極悪ビームを乱射してくるバンドウイルカの“天使”まで合流してきていよいよ手がつけられなくなっていた。

 

 ”天使”だというのに全体的にパワフルすぎる。

 イレイザーヘッドとエッジショットは咄嗟に下がる。

 巨大ゴリラのパワフルなドラミングとともに爆ぜた炎が床を溶かし、金属の床材が赤く膨れあがる。

 

「このままじゃジリ貧だぞ、イレイザー!!」

 

「分かってる……!! だが、俺の生徒が……!!」

 

 それに呼応するかのように、空中に真っ黒な泥のようなものが逆流するように広がった。

 そこから殻木霊火と通形ミリオが、口の端から黒い液体を滴らせながら姿を現した。

 

 相澤は仰天して声をあげる。

 

「殻木!?!? ルミリオン!!」

 

「クッソ、やられた!!!!!」

 

 苛立ちを隠さず叫ぶのは殻木霊火だ。

 正真正銘の病弱お嬢様のくせに、髪も顔も泥まみれのままギリギリと歯を噛みしめて舌打ちする姿が異常に似合う女は、痛恨の表情で天を仰いだ。

 

「治崎までは倒したんです!!! でもエリちゃんだけ残して私たちだけ"飛ばされた"!!!」

 

「なっ……!?!?」

 

「ワープがゴミ過ぎ!! 最初に私ごと持っていかれた時も思ったけど、『アマリリス』があんなの保有している限り、私たちのする全ての護衛や拘束は意味がなくなっちゃう!!」

 

 直径1メートルはあるデカめのバランスボールみたいな火球を自分を中心に衛星軌道で振り回し、迫る“天使”たちを片っ端から破壊しながら、殻木霊火は毒づいた。

 

 相澤の胸が冷たく凍りつく。

 

「っ!! じゃあエリちゃんは!?」

 

「『神域』中央部に置き去りです!! ワープで立ち位置いじられたらどうしようもない……!!」

 

「待て!! つまりルミリオンとお前は、何と戦っていたんだ!?」

 

「治崎の後にアンドロイド『風香』と連戦です。対物必殺で押し切れると思ったら、『ファイバーマスター』みたいな個性で謎素材の鋭いワイヤー振り回してきて、鬼火を全部防いでくるんですよ!? だから全然互角以下でした!! ルミリオンもダウンしちゃって……!!」

 

 ——そして、だ。

 

 ゴォォォォォォン!!!!!! と。

 

 突如、地響きのような轟音が『神域』全体を揺るがした。

 直後、金色のレールが天蓋を貫き、まばゆい光の軌跡を描きながら伸び上がる。

 

 そこを黒鉄のSLが疾走する。

 夜空を切り裂く彗星のように車体は光をまとい、信じられないほどの速度で上昇していく。

 

 相澤は叫んだ。

 

「フロイライン!!!」

 

「撃墜してもいいんですかあれ!?!? ()()()()()()()()()()()()()()()()()!?」

 

 一瞬の逡巡がそのまま命取りになった。

 

 僅かに遅れて少女は、ぱちん、と指を鳴らした。

 白い鬼火が彼女の周囲に無数に生成され、凄まじい速度で射出される。

 

 だが、金色のレールが空を渦巻くように湾曲し、列車はその曲線に沿って急旋回する。

 信じがたいことに鬼火よりも速い。

 

 列車は加速する。

 車体全体が光の塊となり、視認できないほどの速度域に突入した。

 

「……やらかした……!!!」

 

 霊火の声が震える。

 黒鉄のSLは最後にガラスが割れるような音と共に空間にヒビを入れながら。

 次元の裂け目へ呑み込まれるかのように、光に溶けて消えた。

 

 ―――――――――

 

 結論から話すと、八斎會の構成員の確保には失敗した。

 保護対象のエリは列車に乗って行方不明。『美貌』も『図書委員』も逃走。『神域』は攻略に失敗。

 残ったのは、目的地を見失ったヒーローたちと瓦礫の山。そして世界を襲った『太陽の消失』による大混乱。

 

 つまり八斎會攻略作戦は、限りなく完全敗北に近い結果となった。

 

 サー・ナイトアイはビジネス街をひとり歩く。

 

 ヒーローは、死なない限りは負けて終わりな仕事では無い。

 八斎會攻略作戦の提唱者として負わねばならない事後処理は山のようにあり、そのどれもが優先度の高い案件だった。

 負傷者の搬送経路の整理、瓦礫撤去に関する行政との折衝、全ヒーローの行動ログの提出、治安悪化に備えた緊急対応班の再編。

 行方不明となったエリ、および逃走した『美貌』『図書委員』に関する新たな捜査線の構築。

 

 どれもがヒーロー社会全体の信用に直結している。

 

 あの最低な夜から三日。

 世間の批判は増す一方だ。

 

 特に『アマリリス』の奥の手らしき『太陽を消去し、偽りの天蓋を降ろす個性』がマズかった。

 世界的な注目度が高すぎる。

 

 「救えなかった」「無謀だった」「被害を拡大させた」。

 メディアもSNSも冷静さを欠いた声ばかりが国内外で飛び交い、怒りと失望で支配されている。

 批判の対象となったナイトアイ個人としては、それ自体はまあいい。プロヒーローなど昔からこんなものだ。

 

 この批判は仕事を失敗した以上覚悟して然るべきだ。批判の矢面に立つのが他のヒーローではなく自分であるのは、むしろありがたいくらいだった。

 

(辛いのは――)

 

 作戦に参加したヒーローたちだ。

 

 特に、雄英の生徒たちの落ち込みようは酷い。

 自身のインターン生のミリオ。プロヒーローの緑谷出久。

 ファットガムの下につく切島鋭児郎と天喰環。リューキュウの班の波動ねじれ、麗日お茶子、蛙吹梅雨。

 彼らは雄英高校でエリと信頼関係を築いていた分、保護に失敗したことに強いショックを受けていた。

 

 中でも緑谷出久は、誰にも告げず単独で『神域』へ踏み込む始末だ。

 いくら実力があっても、彼らはまだ学生なのだ。

 

(……殻木霊火だけは一瞬で立ち直ったと聞いたが……)

 

 まあ、それほど不思議なことでもない。

 どれだけショックな出来事でも、割り切って“やるべきこと”に移れる人間は、大人の社会にもいるにはいる。

 基本的に非常にいい性質というか、割り切れるというのは得難い才能だ。報告を聞く限り、今は周囲の生徒のメンタルケアに奔走しているらしい。

 

 ……ナイトアイとしては、『美貌』の霊火形態があまりに凶悪すぎて、正直いい思い出はない。

 ただ、雄英関係者に言わせれば、あれでいて非常に面倒見のいい生徒なのだという。警察嫌いが過ぎて反権力に片足突っ込んでいるという噂もまた事実らしいが。

 

「…………いい子、なのだろうな。イレイザーは微妙な顔をしていたが……」

 

 生徒の様子を報告しに来たイレイザーヘッドの事を思い出す。

 どうやらエリと特に深く接していたA組は、全体的に非常に重い雰囲気らしい。

 そういう相澤消太本人ですら明らかに憔悴の色が見えた。学生というのは得てして気が付かないが、教師とて人間なのだ。

 

 ——あまりにも『アマリリス』が本気だった。

 

 悔しさ、無力感、敗北の実感。

 学生の彼らには荷が重すぎる結果だった。

 

 サーナイトアイは書類の束を抱え、事務所のドアを開ける。

 被害額申請書類の提出期限まであと四時間。連日の激務で体力は尽きかけているが、止まるわけにはいかない。

 

 この三日間、まともな休息をほとんど取れていない。

 事務所に戻れば机に倒れ込むようにして一、二時間眠るだけという生活だ。

 

「……ふぅ……」

 

 脚が鉛のように重い。

 敗北に伴う膨大な処理が、確実に精神を削っていた。

 プロヒーローといえど人間であり、特にエリの保護失敗はナイトアイ自身にとっても耐え難い出来事だ。

 

 僅かな睡眠時間で、毎回同じ夢を見る。

 

 手術台の上に縛り付けられ、悲鳴を必死に堪えるエリの夢だ。

 ヒーローが助けに来てくれると、残酷な希望を与えられたまま壊されていく少女の姿を見るたびに飛び起きる。

 

 それでも歩く。

 これは自分がやらねばならない仕事だ。

 社会を生きる大人なら、責任は取らねばならない。

 

 ビルの自動ドアが軽いモーター音と共に開く。

 乗り込んだエレベーターの鏡面に映った自分の顔色の悪さから目をそらす。

 

(あと四時間で提出……その後少し仮眠を取ってその後は……)

 

 自分に言い聞かせるように思考しながら事務所フロアへ向かう。

 廊下は静まり返っていた。サイドキックの気配もない。彼らにも多くの仕事を任せてしまっている。

 

 鍵を差し込み、事務所の扉を押し開ける。

 

 ——そこで、彼は足を止めた。

 

 明かりの付いていない室内。

 書類の山が乗るデスク。その上に、小さな人影が腰掛けていた。

 

 小柄なシルエット。脚をぶらぶら揺らすようにして座る少女はじっとこちらを見ていた。

 あまりに場違いな光景に、疲労困憊の脳が一瞬だけ停止した。

 

 その少女の瞳が一瞬だけ桃色にギラリと光った。

 次の瞬間、見えない何かに全身を鷲掴みにされる。

 

「……ッ!?」

 

 完全に反応が遅れた。

 気づけば身体は宙に浮き、透明な巨人に掴まれたかのように胴体を丸ごと圧迫される。

 肺から強制的に空気が抜け、喉から変な音が鳴った。

 

「ぐ——っ……!」

 

「『念動力(テレキネシス)』は非常にメジャーな"個性"ですが、他人を直に掴んで動かせる物は意外とレアですからね」

 

 ナイトアイは拘束から逃れようともがくが、そもそも足が地面について居ないのでどうしようもない。

 

 空気そのものが意思を持って締めつけてくるような強烈な圧力。

 床に落ちた眼鏡がカランと小さな音を立てる。

 

 デスクの上の“少女”は卓上のリモコンを取り、スイッチを押した。

 ピッ、と。場違いな電子音とともに明かりがつく。

 

 華奢で小柄な肢体。

 膝下まで届くほどに長い、黒い髪。

 そして暗がりでもはっきりと分かる、血のように赤い瞳。

 

 少女はひどく悲し気に微笑んでいた。

 

「お疲れ様ですナイトアイ」

 

「っ……!!! 殻木っ……霊火!?!?」

 

「残念ながら違います」

 

 空気が焼けるような微細なノイズ音が走った。

 

 次の瞬間、”天使の輪”がゆっくりと回転しながら少女の頭上に現れる。

 黄金でも白銀でもない、エノク文字の光輪。ナイトアイは絶句する。

 

「……『神域』の……”天使”!?!?」

 

「第一階級『熾天使(セラフィム)』。これでもあそこの防衛システム『S.E.R.A.P.H.』の長なんですよ?」

 

 クスクス笑いの少女から目が離せない。

 

「『巻き戻し』の少女を取り返すヒントを得るために貴方たちが何度『神域』に乗り込もうと、最終ステージに出現させられなかった"天使"の大ボスです。会いたそうなのでこちらから出向いてあげました」

 

「なっ……何故『神域』にいない……!!」

 

「おや、"私"が貴方に説明したじゃないですか。"天使"は『神域』外にも出られますよって」

 

 ただでさえ追いつかない理解をさらに追い抜くように、少女の背中で何かが裂けた。

 

 殻木霊火の姿をした天使。

 その背中と腰の間あたりから、白銀の巨大な翼が一対、ゆっくりと展開される。

 羽ばたいたわけでもないのに書類がひらりと舞い、壁際の観葉植物が揺れた。

 

「第九が軟体動物、八の節足、七の魚類、六の両生類と爬虫類、五の鳥類、四三二と哺乳類が続いて?」

 

「……頂点は人類という事か」

 

「その通り、まあ向こうの天使学っぽい正当な進化でしょう? そしてあの『神域』は、神のシステムそのものというわけです」

 

 この話全てが、一つの真実を示している。

 ナイトアイは苦しい呼吸の中、どうにかこう吐き出した。

 

「……殻木霊火が、『アマリリス』」

 

「『神域』は私の制作物なので、説明している途中でうっかり口を滑らせないかとドキドキしていました」

 

「何故こんな事を……!! 何故!! 神野区に隕石を落として人を殺したりする……!?」

 

「それについては社外秘です。理解されないことを説明することほど馬鹿らしい事も無いので」

 

 天使は軽く首を傾げる。

 その動作一つで念動の拘束がさらにきつく締まった。

 

「ぐっ……!!」

 

「さて、ではこちらから質問してみましょうか」

 

「答えるとでも……」

 

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 奇妙な響きのある声だった。

 ナイトアイの意思とはまるで別の場所で、口だけがなめらかに動きはじめる。

 

「……雄英体育祭の頃からだ。私は、元々オールマイトが『OFA』の継承先を“無個性の中学生”に決めたと聞いた段階で反対したが、その際緑谷出久の身辺調査を行っていた。結果、彼自身には一切の不審点もなかった」

 

「オールマイトの元サイドキック。多分、オールマイトもそれぐらいはしたでしょうね」

 

「そして、体育祭でその最も近い友人として殻木霊火の存在を知った。一応調べてみると、蛇腔病院の養子だという事は分かった」

 

「そうですね。表のストーリーとしては『親が病弱で大人まで生きられない私を捨て、殻木院長が育てた』という事になっています」

 

「しかしその”実親”についてはどれだけ調べても出てこない。まあそれはいい。しかし中学生のころから一人暮らしで、職場体験で単独でステイン撃破を達成した雄英生……。明らかに不自然だ。私は君の事を気にしていたが、いくら探しても証拠は出てこなかった」

 

「……結構危ない所まで嗅ぎ付けられていたなあ。なるほど、出久くんへ近づく怪しい女枠だったのか私……」

 

「私はむしろ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

あっぶないなあ!?!?

 

 天使は、相当分かりやすく怯んだ顔をしていた。

 いかにも人間らしい。おそらく殻木霊火の遠隔操作かそれに似たものとナイトアイは推測する。

 

 天使の輪っかと天使の翼を持つ『熾天使』は、分かりやすくため息をつく。

 

「……いやあ、冴えない男子中学生に近づく謎の高スペックミステリアス美少女だもんね……。疑われて当然というか……改めて外から見てみるとハニトラ要員としか思えないな私……」

 

「違うのか……?」

 

「ち・が・う!!! 悪人だって男の子を好きになる事ぐらいあります!!」

 

 非常に強い主張を込めた言葉だった。

 天使は困った顔で頭を抱える。

 

「うう……ヤダな………これ、出久くんに疑われたりとかしたら心折れるな……」

 

「……彼が大切なのか?」

 

「………大切だよ……。だから疑われたりとかしたら冗談抜きにぶっ壊れるかも……いや出久くんはそんなひどい事しないもん……!!」

 

 天使はなんか吐きそうな顔をしていた。

 考えるだけで本気で調子が悪くなったらしい。

 

「私だって恋することぐらいあるよ……出久くんが『OFA』後継者だって知った時は本気でビックリしたよ……」

 

 案外気安い感じの天使様だった。

 ナイトアイは必死に口を閉ざそうとするがそれは出来ない。何らかの”個性”を使われている。

 嘘や沈黙が許されない。

 

()()()()()()()()()()()()

 

()()()()()。”オールマイトの死”を見て以降、私は他人の将来の予知をやめた。今回のミリオにしたという『予知』についても嘘だ」

 

「そうだと思った。八斎會に突入するルミリオンの『予知』はするのに、『エリちゃんの未来を視る』っていう一番確実で強い『予知』を使わないなんて筋が通らないもんね? ちなみに、なんで他人の未来を見たくないの?

 

「見た未来は変えられないからだ。過去何度も試してきたが、見た未来と全く異なる行動をとっても帳尻を合わせるようにして元の流れに戻されてしまうからだ。私は自分が”見る”事によって、その人の未来を確定してしまっているのではないかと思った。私はそれが怖かった」

 

「ん~……未来の確定は個人の能力故に限度があるから本当の意味で確定はしていないはず。貴方が変えられないのは、確定させているのが“貴方自身”だからじゃない? 複数人で動けば案外あっさり予知の外に行けると思うよ?」

 

 天使は自分の見解を述べつつ、軽く肩を竦めた。

 そして次の質問。

 

「で、『予知』をしていないなら、どうやってアマリリスの参戦を察知したの? 実際に、私は八斎會と手を組んでいたからそれで貴方の『予知』を信じていた節があるんだけど、予知未使用ならどうやって知ったの? まさか当て勘?」

 

「捜査のために私はずっと前から八斎會の捜査を続けていた。その時、アマリリス製アンドロイド『風香』が八斎會に接触するのを確認したからだ」

 

「ああなるほど。それは納得。意外と単純な話だったな。……じゃあ、なんであんな狂言までして、『エリちゃんが誘拐される』『エリちゃんが殺される』なんて未来の話までしたの?

 

「『巻き戻し』の概要を聞いた時、アマリリスの狙いは『巻き戻し』そのものだと思ったからだ。当然『アマリリス』の狙いはエリちゃんに決まっている以上、外れても全く問題無い『予知』の話をして、殻木霊火の反応を見たかった」

 

「まあ自然な解釈か。それで万が一『嘘の予知に対してアマリリス側に変な動きが見えたら、元々怪しい私がアマリリス確定』って罠を張ったわけね。危ないなあ……。……それで見たのが、エリちゃんをすごく大切にしている私だったと」

 

「嘘には見えなかった。私は非常に混乱したが、殻木霊火を信じる事にした」

 

「わあ……なにが助けになるか分からないねこの世界。エリちゃんを大切にしていたのなんて、偶々私の好みに一致した以外の理由が無いんだけどな……」

 

「……なら……! エリちゃんは……無事なのか……!?」

 

 ナイトアイは必死に身を乗り出し聞いた。

 『熾天使』は肩の力を抜き、あっけらかんと微笑んだ。

 

 空中の一点に泥が湧き出た。

 

 滅茶苦茶咳き込んで涙目になりながら、清潔な子供服を着たエリが現れた。

 ナイトアイが目を剥く。

 エリは”天使”を見上げて顔を輝かせてこう言った。

 

「てんしのお姉ちゃん!!!」

 

「いきなり呼び出してごめんねエリちゃん」

 

 抱き着いてくるエリの頭を撫でながら、『熾天使』は小声でナイトアイにこう耳打ちする。

 

「実際、この子を狙っている敵は私や治崎だけじゃないの。雄英に置いておくのはちょっと危なくて……」

 

「………………………………エリちゃんを大切にしている姿は、嘘じゃなかったんだな」

 

「別に極悪非道の最恐敵で売ってるつもりはないんだけれど。別に敵もお気に入りが出来たりはするよ」

 

「…………………………私は、これからどうなる」

 

「貴方も殺しはしないよ。しばらく監禁はさせてもらうというか、眠っててもらうけど」

 

「…………………………」

 

「二年後には絶対に解放されてるから、まあ死ぬよりマシだと思ってよ。解放後の為に追加でもう一つ”個性”が欲しいぐらいなら聞いてあげてもいいからさ」

 

 そう言って天使は座っていたデスクから飛び降りた。

 大きな白い翼を震わせて、一言。

 

「ていうか貴方には、解放した後のエリちゃんを守ってあげて欲しいんだよね。そんなに遠い未来じゃないと思うんだけれど、それは任せてもいい?」

 

「……敵の言葉は信じられない」

 

「そうかな? これでも私は職業的な専業敵だよ? 鉄の掟や親子盃なんて言葉が賛美されるように、犯罪者社会というのは真っ当な裁判所や警察のお世話になれない分、表の人よりもよっぽど信頼や義理に重きを置く場所でもある。もちろん適度なところで損切りして裏切るのも敵の華だけど、それだって金より重い信用という見えない代価を支払って初めて正当化される行為だもん。ましてやこっちは『アマリリス』、表のヒーローに対してそんな悪質な取引はしないよ。私のプロ意識に関わる」

 

 呆れたように肩を竦める『熾天使(セラフィム)』だが、ナイトアイの身体は相変わらず強大な圧力で壁に抑えつけられている。

 抵抗は絶対に出来ない。こちらに断らせる気なんて一ミリも無いのだ。

 

「…………一つお願いしていいだろうか」

 

「言ってみて?」

 

「……ミリオの為にも、エリちゃんが『オーバーホール』に苦しめられてはいるわけではないと、何とかして伝えてあげられないか?」

 

「…………………………………………………………()()()()()()

 

 少女はとても困った顔で顎に指をあてた。

 

「ただ、やり方は私に任せてもらうよ。相当リスクある行為なのは間違いないから」

 

「……………………それでエリちゃんが傷つかないなら」

 

「そう。なら契約成立だね。さあオールマイトの元相棒。世界の底の底、『アマリリス』の庭へようこそ」

 

―――――――――

 

 警察からの連絡を受け、雄英高校を出た3人は極度の緊張状態にあった。

 

 ハンドルを握るオールマイトは、声に出さずとも焦燥を隠しきれていない。

 助手席の緑谷は唇を強く噛みしめ、後部座席の霊火は不安げに指を組んでいた。

 

「出久くん、お願い。私の話を聞いて。貴方は行かないほうが―――」

 

 しかし、泣きそうな霊火の声は緑谷出久にはほとんど届いていなかった。

 ビジネス街のビル群が車窓に映り込んだ瞬間、車が止まりきる前に緑谷はドアを開けてそのまま飛び降りた。

 

「ねえ、出久くん!? 待って、待ってよ!!!」

 

 霊火が慌てて腕を掴む。しかし、それでも彼を止められない。

 緑谷はただ前だけを見つめ、歩みを止めることすらしなかった。霊火はよろめきながら必死に引き戻そうとするが、まるで力が足りていない。

 

 ナイトアイ事務所。

 黄色と黒の規制テープが幾重にも張られ、パトカーの赤色灯が夜気を断続的に照らし出す。

 現場検証に追われる捜査官たちが行き交い、その空気はひどく重く沈み込んでいた。

 

「緑谷少年! 殻木少女の言う通りだ。まずは状況を確認するべきで―――」

 

 オールマイトの声すら、緑谷には届かない。

 後ろから霊火が掴む腕の感触さえまるで意識に上っていないようだった。

 

 規制テープをくぐったところで、塚内警部が飛び出してきた。

 

「緑谷くん!?!? 待て、やめておけ! 中は……君が見ていい状態じゃ――」

 

「そんなわけ……嘘だ……!!!」

 

 もはや会話が成立していない。

 

 追いすがった霊火はバランスを崩して転倒し、オールマイトが慌てて彼女を支えた。

 塚内も緑谷を止めようとするが、彼がプロヒーローである以上現場確認そのものを完全に制止することはできない。

 

 緑谷がナイトアイ事務所に踏み込んでまず目にしたのは、エレベーター前の薄暗い廊下に倒れた一つの人影だった。

 

 頭部から血を流し、冷たく横たわるサー・ナイトアイ。

 鼻を刺す微かな血の匂い。

 見開かれた瞳は何も映さず、閉じることも、瞬きすることもなかった。

 

 後ろから追いついたオールマイトが、言葉を失ったように首を振る。

 

 緑谷はその場で硬直したまま動かない。

 しばらくして我に返り、ふらりと前へ進む。

 

 ――悪い夢だ。

 ――何かの間違いだ。

 

 少年はそう願うように、重い足を引きずりながら事務所の扉へ手を伸ばす。

 扉を開け、ゆっくりと中へ入った。

 

―――――――――

 

 エリちゃんは、大きなナイフでお腹を刺されて死んでいた。

 

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