殺人現場より、愛をこめて   作:トリスメギストス3世

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108:インターン⑭

 まだ日差しのやわらかい朝のリビングで、エリは真新しい幼稚園のスモックのボタンと格闘していた。

 薄い水色の布が指の間でくしゃりとよれるたび、眉がきゅっと寄る。

 

「エリちゃん、私がやってあげようか?」

 

 小さな少女の背後からふわりと影が差し、殻木霊火の姿をした『熾天使』がしゃがむ。

 頭上ではエノク文字のヘイローが小さく揺れ、朝の光を受けて金色にきらめいた。

 

「……できるもん……」

 

「はいはい、じゃあやってみようか。先生に“遅刻はダメです”って言われたでしょ?」

 

「ん…………」

 

 エリが一生懸命にボタンを留めるのを面白そうに見守る『熾天使』。

 彼女は少し不満げに頬をふくらませたが、何とかかんとか着替えを終わらせる。

 

 鏡に映る自分を見て、エリはそっと胸を張った。

 

「……かわいい?」

 

「かわいいかわいい世界一かわいい」

 

 霊火やA組女子たちが一生褒めていた影響で、自分が可愛いという事に自覚的になりつつあるエリだった。

 

 『熾天使』はヘイローを軽く揺らして、エリに靴下と上履き袋を差し出した。

 エリはちょこんと座って靴下を引っ張りながら、今日の献立の話をはじめる。

 

「きょうね、カレーなの!」

 

「カレーかぁ。エリちゃん……スモック汚さないようにね?」

 

「がんばる!」

 

 小さな靴音がぺたぺたと響き、玄関に元気な気配が満ちていく。

 バッグのチャックを閉め終えたところで、熾天使が頭をぽんと撫でた。

 

「じゃあ行こうか。で、お友だちはできた?」

 

「うん!!! ナナちゃんとミサキちゃんがね―――!!!」

 

 エリは嬉しそうに頷き、差し出された手をぎゅっと握りしめる。

 柔らかい青空の下、二人は幼稚園に向かって歩き出す。

 

 ―――――――――

 

 殻木霊火は肩をすくめて軽い調子で言った。

 

「うんうん、三時間くらいで雑に組み上げた割にはよくできてるね。園児たちも先生も異常なし。真奈美さんも幼稚園の先生役やってみる?」

 

「では明日にでも。それにしてもあなたはどれだけ尽くすタイプなんですか。普通に“ママ”もドン引きです……」

 

「普通に私が、貴女の”ママ”だよ?」

 

 神野区『神域』の内部。その一角にある『監視室』には人影が二つあった。

 

 一人は、ヒーロー活動のついでと称して時折『神域』の様子を見に来る殻木霊火。

 もう一人は、彼女の横で整然と佇むアンドロイド――『美貌』だ。

 

 壁一面を覆う巨大モニターには、ある人工都市の姿が映し出されていた。

 

 それは『神域』の地底に広がる巨大な地下空間。

 広さは約九平方キロ、天井までの高さはおよそ百メートル。

 完全に閉ざされた空間でありながら、天井には昼と夜が交互に訪れるため閉塞感は無い。

 空調をはじめとした様々なテクノロジーによって季節も天気も巡るため、そもそも地下にいるという事実すら忘れるだろう。

 

 コンセプトとしてはよくある郊外の新興住宅街といったところだ。

 広い庭付きの戸建てが立ち並び、公園と道路がゆったりと配置されている。

 通行人や住民が当たり前の日常を過ごすこの街を、製作者たる『アマリリス』は『箱庭』と呼んでいる。

 

 緩いスウェット姿の若奥様は、化物でも見るかのような目で自分の製作者を凝視した。

 

「ここで何人の“住人”を動かしているんですか?」

 

「四万五千体ぐらいだったかな。エリちゃんが接する可能性のある機体以外は動かしていないから、進行形で稼働中なのは三百体ぐらいだけど」

 

「…………………………”お母様”は四万五千人も新たにアンドロイドを造ったんですか? この『箱庭』のためだけに?」

 

「そのお母様呼び他所でやらないでね。住民の彼らはほとんど自動生成の雑な人格だから、こっちの労力はほぼゼロだよ。私が人格データに手を入れたのはエリちゃんが通う幼稚園の先生たちと、そこに通う幼稚園児五十人くらい」

 

「わざわざ、エリちゃんに意地悪する男の子まで作ったんですか?」

 

「ああ、ヒデキ君のこと? 彼はエリちゃんが気になってちょっかいをかけてるって設定だよ。いない方が逆に不自然」

 

 彼女の通う幼稚園には、当然色んな性格のアンドロイドを通わせている。

 その大部分は素直な優しい子だが、威張り屋や不機嫌になる子、距離感が近い子、軽めのいじめっ子といった問題のある園児も揃えてある。

 しかし、この『箱庭』の本当の住民はエリだけだ。なんかこんな映画があった気がする。

 

 八斎會に監禁されて悲惨な人体実験を繰り返され、精神に多大な傷を負った彼女を現実世界に慣らすために組み上げた治療室。

 それが『箱庭』だ。

 

 実際、ここにエリを住まわせてから分かって来たことも多い。

 笑わない。大きな音に敏感。

 園児の男親モデルの成人男性が非常に苦手。消毒液の匂いやハサミなどの刃物も苦手。

 

「んん……歯医者さんとか予防注射はまだ先かなあ……エリちゃん大パニックを起こしそうなんだよな……」

 

「ああ……手術台や無影灯がダメでしょうね……」

 

 何にしても、エリが『アマリリス』の庇護で健康そのものなのは間違いない。

 今の問題は『神域』の外だ。そもそも表の世界でエリは“死んだ”ことにしている。

 

 霊火が疲れた顔でモニターを眺めているせいだろう。

 

 割と戦闘狂な『風香』や、ドライな仕事人の『栞』ちゃんに比べると、AIの中でも特に優しく設定されている『真奈美』さん。

 妖艶な彼女は、製作者である霊火を気遣うように声をかけた。

 

「……A組の生徒さんたちは、どうなのですか? ”ママ”は心配です」

 

「あんまり良くない……。いや、これ私が甘かったのかなあ……。治崎に身体を弄り回される本物の生き地獄の中で“来ないヒーロー”を待ち続けてる、みたいな状況じゃなくてさあ……」

 

「…………………………ちゃんと死んだからもう大丈夫だよ。の方がマシだと思ったのですか?」

 

「……意外と立ち直らないんだよね、皆」

 

「馬鹿ですか”お母様”は。当たり前です。目の前の女の子を守れず殺させてしまっただけじゃないですか。ヒーローが最も嫌う状況でしょう」

 

 押しも押されもせぬスーパー敵『アマリリス』は、低い呻き声をあげながら椅子からナメクジみたいにずり落ちた。

 自分が組み上げたAIに正論で詰められている。とても苦しい。

 

「…………だってナイトアイが、エリちゃんが苦しんでいない事を知らせてあげてって……」

 

「コールドスリープ状態のナイトアイだって仰天ですよ。普通ヒーローたちに、“エリちゃんは実は無事だよ、心配しなくていいよ”って匂わせる場面じゃないですか」

 

「すっごい嘘っぽくない……? そんな事匂わせられたらエリちゃんを探すだろヒーローたち……」

 

「だからと言って『検死官』としての技術を使ってまで死体を準備する必要がありましたか? ママはとても疑問です」

 

「勢いと工数の都合でナイトアイも死んだことにしちゃったけど、地味にそっちもマズいんだよなあ……。特に通形先輩とオールマイトが……」

 

「貴方は”死”に慣れすぎです。人の死なんて普通に一大イベントなんですよ本来は。おまけに自然死ですらない。刺殺と撲殺!!」

 

「”個性”『死因』だぞ私。死生観ぐらいぶっ壊れるよ……」

 

 ”個性”は、人格に深く関わる。

 『変身』の渡我被身子は、吸血で成り代わる事でしか欲を満たせなかった。

 『オーバーホール』の治崎廻は、何でも直せる故に壊す事への罪の意識を持てなかった。

 

 外から見た彼らは確かに歪んでいる。しかし本人たちにとっては、それが基準で唯一の物差しでもある。

 しかし社会はそれを”悪”と定義し、弾圧し、矯正しようとする。

 それは間違いなく合理的な行いではあるが、その正当性は誰が保証してくれるのだろうか?

 

「……報酬系の設計が違う生物に、同じ道徳を要求するのは筋が通らないと思うんだよね」

 

 ライオンにシマウマを食うなと説教しているような物だ。

 これは様々な敵を見てきた霊火だからこその、素直な意見だった。

 

 もちろん危険な殺人鬼を排除する事それ自体に異議を唱えるつもりはない。

 罪を糾弾することや罰が下されるのは正当な行いだ。

 法の裁きは社会の機構として存在するべきだと霊火は考える。

 

 しかし、その生得的衝動そのものを”間違っている”と責めるのはナシだろう。

 そんなのは”個性”社会と言えない。いつも胸焼けするほど叫んでいる多様性はどこに行ったのだ。

 せめて"個性"カウンセリングとかにもっと力を入れるべきだ。狂人は狂っているから狂人なのではない。世間の無理解がズレた人を狂人にしてしまうのだ。

 

 この不寛容が存在しなければ、発生しなかった悲劇がどれだけあることか……。

 思索にふける製造者に、『美貌』は首を傾げた。

 

「哲学の話ですか? あなたが有史以来最大の大量殺人犯じゃなければ聞いてもいいのですが」

 

「ハッキリ言うね真奈美さん……」

 

 返す言葉もない。

 ここまで言い負かされて反省も改善もするつもりが無いのが、自分が敵たる理由なのだろう。

 

 そもそも、『アマリリス』が目指す未来に多様性は無い。

 そこにあるのは霊火の好悪と価値観だけ。それが世界にとって一番良い行いだと、霊火が決めた。

 

 民主主義。これが諸悪の根源なのだ。

 どうしようもない馬鹿どもに意見を言う権利を与えた愚かな国家が、うっかり世界の覇権を握った所から人類は道を間違えはじめた。

 

 そこを正す。

 もちろん、寿命が短い霊火は社会を変えたところで何の恩恵も無い。

 それでも自分の死後に人類が終わる事を分かったまま死ぬのは癪だ。

 

 短命なら短命なりに、人類の未来は続くと確信した状態で死にたい。

 

 これは霊火の夢だ。

 緑谷出久にだって絶対に邪魔させない。

 

「ママとしては、優れた技術者である殻木霊火が、本当に優れたリーダーなのかが相当疑問なのですが」

 

「…………………………いけるよ? 多分? だって私は天才だもん?」

 

「既に疑問形が挟まっているのが超不安です」

 

 まあそこら辺は後から考えよう。

 霊火は目指す先が『良い社会』というより『続く社会』なので、ぶっちゃけ市民の幸福度とかは後回しでもいいのだ。

 少なくとも労働からの解放と食料の量産と医療の安定と戦争の排除にだけは明確な解決策があるので、人類の皆様はどうか期待して欲しい。

 

 殻木霊火は椅子から立ち上がった。

 『神域』には隙を見てコッソリ来ているので、あまり長居したらマズい。

 

 長身のグラマラスな美女は、自身の製作者を見て軽く頭を下げた。

 

「それでは、さようならお母様。ママはいつでもあなたの事を応援しています」

 

「この話の流れで私に無条件に協力してくれるのもおっかないな……」

 

 所詮はAIか。肝心な所で人格や体温を感じない。

 どうしても緑谷出久やA組のクラスメイトと話すときとは全く違った感触だ。

 霊火製のアンドロイドは、エコーチェンバー対策のために霊火に対してかなり批判的な話し方をするよう設計してあるが、結局は味方でしかないので何を言われても響かない。

 

 批判するように命令したから、批判している。こんなの予定調和だ。

 どこまで行っても、ここにあるのは霊火の願望の反射でしかない。

 

(…………………………まあそういうのは世界を手に入れた後に考えるか)

 

 特別な日だ。

 今日はエリちゃんの告別式がある。

 

 ―――――――――

 

 貸衣装に舞台用の大きな照明や音響。

 業者のための軽食やドリンクに、導線の構築をするスタッフ。

 陰鬱な雰囲気を無視して場の要素だけを並べてみると、葬式と言うのは案外イベント設営の裏方に近い空気がある。 

 

 セレモニーホールの玄関で待たされているA組だが、隣の取蔭切奈が話しかけてきた。

 

「……雄英の制服ってカラーが明るいからさ、こういう場には向かなくない?」

 

「気持ちは分かるけど制服でいいんだよ切奈。学生限定冠婚葬祭オール対応のワイルドカードだよ」

 

「そんなもんか」

 

「勇み足して一人だけ喪服ってのもきつくない?」

 

 そして女性の喪服というのは、これでいて似合う人がかなり限定される難しい衣装だ。

 ちなみに霊火は喪服との相性がかなり悪い。小柄で華奢すぎる体格のせいで、黒のフォーマルを着ると私立小学校の制服っぽくなってしまうのだ。

 

 目元の赤い取蔭を直視しないようにしつつ、霊火は努めて平常心で口を開く。

 

「それにしてもA組は全員参加か。任意だったのに」

 

「…………………………そりゃそうだよ。だってエリちゃんは………私たちと……」

 

「ごめんごめん泣かないで切奈。まったく、変な同調圧力にやられてる子がいないといいんだけれどな」

 

「逆に霊火はなんでそんな平常心なの……?」

 

「小児科病棟の主を舐めんなよ。自分を慕ってくれてた年下の子が将来の夢を語ったその夜に急変してPICUへ運ばれ、そのまま二度と部屋に戻らなかったなんて日常茶飯事なんだからな」

 

「……ごめん霊火、聞いた私が悪かった」

 

「人の死って意外と慣れるんだよね。いいことなのか悪いことなのかまでは分からないけどさ」

 

 そもそも霊火としては、この告別式で泣く要素が無さ過ぎる。

 何しろ本物のエリは『箱庭』にて楽しく登園して『美貌』とおままごとをしているのだ。この場で泣けと言う方が難しい。

 

(しかしまあガチガチの殺人事件の割にはマスコミが来ないな……私が取材する側なら絶対にこっちに来るけど……)

 

 マスメディアなど来ないに越したことは無いが、本当に来ないと逆に気になるのが人情だ。

 もしかしたらナイトアイの告別式の方に釣られているのかもしれない。

 

 列が進む。

 エリと特に深い関わりを持つ霊火は弔辞担当のため、ここでA組とは一度お別れだ。

 

 同じく弔辞を行う相澤と共に控室の襖をそっと引く。

 

 ひんやりとした空気が霊火を迎えた。

 広さは八畳ほどの小部屋で、簡素な長机と座布団がいくつか並んでいた。中には数人の警備担当者らしき人々が控えており、何となく重苦しい沈黙が満ちていた。

 

「…………………………」

 

 何も会話がないまま、告別式の時間になってしまった。

 

―――――――――

 

 あまりの湿っぽさに霊火の心は折れてしまいそうだった。

 弔辞が終わり、弔電奉読が終わり、焼香が終わった。

 

 小さな葬式だった。警察関係者と雄英関係者と一部のプロヒーローぐらいしか来ない。

 殺人事件の被害者の葬式はそこそこの高確率で犯人が来るため私服警官の姿も見かけたが、正直この参加人数じゃ紛れ込む余地は無いだろう。

 強いて言うなら一番感動的な弔辞を読んだ殻木霊火こそが真犯人だ。相変わらずこの世界は何かが狂っている。

 

 そして出棺の時が来た。

 霊柩車に乗せる前に、皆で花を手向ける時間だ。

 

 殻木霊火は棺の中に手を差し入れ、そっと頬を撫でる。

 

「わあ……エリちゃん、綺麗にしてもらったね」

 

 もちろん、棺に横たわっているのは霊火が用意した偽の遺体だ。

 殺人事件の被害者である以上司法解剖は避けられないが、どこかの誰かが高価なエンバーミング処置まで施したらしい。

 

 つまり動脈に特殊なポンプを繋いで腐敗の原因となる血液を排出したうえで、ホルマリン系の着色された防腐液を全身に循環させてある。

 こうする事で血管を通った淡いピンク色の薬剤が肌に柔らかな血色を与え、眠っているかのように穏やかな表情になるのだ。腐敗対策のためにドライアイスでガチガチに凍らせる必要もなくなるため遺体が柔らかいのも特徴的だ。

 

「……ほら出久くん、ちゃんとお別れを言わないと後で辛くなるよ?」

 

 故人の魂をあの世へ送る葬式と違い、告別式は生きている人が故人に別れを告げるための儀式だ。

 つまり、根本的に告別式は生者のためにある式典と言える。

 永遠の別れというと陳腐だが、”これからは会えない”ではなく”もうとっくに会えない”という現実を受け入れ、折り合いをつけるためのセレモニー。

 

(いやまあエリちゃんの場合いつかは会えるんだけれど……)

 

 霊火の隣で、緑谷は震える指で一輪の白い花を掴んだ。

 しかし、棺の縁まであと数センチのところで止まってしまう。エリの遺体を直視しきれていない。

 

「エリちゃん……ごめん……っ、本当にごめん……!!」

 

 耐えきれなかったのだろう。

 棺の中を見れないまま後退りする少年の手を掴み、殻木霊火は優しく諭す。

 

「……ダメだよ出久くん。私たちが、エリちゃんの人生を終わらせてあげるの」

 

「……っ!! でも……!!」

 

「出久くんも後追いなんてする気ないでしょ? 私たちはこれからも生きていかなきゃいけない。だったら、ちゃんと、ここでさよならを言わなくちゃ」

 

―――――――――

 

 『箱庭』内。

 肝心要のホンモノエリちゃんは、とても小さな声でこう訴えてきた。

 

「…………………………デクさんに、会いたいな」

 

「やっぱりそうなるかあ……!!!!」

 

 『熾天使』は頭を抱えた。

 幼稚園から帰ってきて、夜ご飯を食べて、お風呂に入って、されたお願いがこれだ。

 しかし安全対策やその他諸々の都合で、このとても可愛らしい”お願い”をそのまま聞くのはとても難しい。

 

「そうだよね、エリちゃんにとってのヒーローはデクさんだもんね……!!」

 

「うん……大好き……!!」

 

(あれ? もしかして恋のライバル育ててる?)

 

 とはいえ、エリちゃんは公的に死んだことになっているのだ。

 これでエリの手を引いて緑谷に会わせたらそりゃ彼も大喜びだろうが、その後霊火はどう言い訳すればいいか想像もつかない。

 

(『妹』さえいなければなあ……そもそもこんな監禁まがいなことする必要が無かったんだけれど……)

 

 しかし、エリちゃんのこの要望は聞いてあげたいというのが本音だ。

 緑谷そっくりのアンドロイドを造ってエリちゃんに会わせるなんて手もあるが、流石の霊火もあまり取りたくない手段だ。ロマンに反する。

 

「ううん…………………………すぐにって言うのは難しいけれど……」

 

「…………………………ごめんなさい……」

 

「……………………………………………………お姉ちゃんもなにか考えてみるね……」

 

 ……文化祭にでも連れて行こうかな。

 

―――――――――

 

 

 実のところ、人間というのは根本的に”延々と喪に沈み続ける”ようには出来ていない。

 食べる、寝る、周りに合わせて生活するといった日常の力はとても強く、だいたいの人は数日で普段の行動パターンに戻る。

 

 そして、雄英高校1年A組はヒーロー科だ。

 学生とはいえ、仮にも危険なプロヒーロー志望。死”という概念に対する耐性は一般の高校生より高い。

 

 亡くしたのも、まあ二週間程一緒に過ごしただけの女の子だ。

 クラス全員が重度の喪失を抱えるわけではないだろう。距離感としては”殻木霊火の妹”辺りが近いのではないだろうか。

 霊火自身は誰よりも早く立ち直っているため、つまりは一番引きずったのは緑谷出久だった。

 

―――――――――

 

「まさか、ハイツアライアンスに帰って来なくなるとは夢にも思わなかったけれど」

 

「霊火さん……」

 

「エリちゃんと一緒に過ごしたあの空間が嫌? 帰ったら思い出す?」

 

 地方都市の郊外。

 何の変哲もないだだっ広い公園。

 緑谷出久は痛む身体を引きずりながら頭を上げる。

 

 目の前には白いシャツにジーンズ姿の殻木霊火。

 夕焼けをバックに白い鬼火を浮かばせて、腕を組んだままこちらを見下ろすその表情は不安になるほど無感情だった。

 

「……私のこと、ブロックしたでしょ」

 

「……ごめん」

 

「……心配、したんだよ?」

 

 つまりはこういう事だった。

 エリの告別式の後、緑谷出久はすぐにヒーロー活動を始め、連絡もしないまま72時間に渡って帰寮しなかった。

 そしてこれだ。空を飛んでいた時にいきなり『墜落』の鬼火に被弾した時は死ぬかと思ったが、こうやって無事なあたり彼女も手加減はしてくれているらしい。

 

 彼女はとにかく無表情だった。

 自身の肘を指先で叩くその仕草だけが彼女の苛立ちを表していた。

 だけど結局『危機感知』は反応しない。彼女は一切の悪意なく、心の底から心配してくれている。

 

「まあ、現実逃避でやることが『ニコニコ笑顔で日本中の困っている人を助ける』なのは流石に恐怖が勝つんだけど……」

 

「……霊火さんには心配かけちゃったね。でも大丈夫、僕は一人でもやっていけるから霊火さんが心配する必要なんて……」

 

 少女はショックを受けたように息を吸った。

 大きな瞳にじんわりと水の膜が張り、大粒の涙が零れる。

 

「………………………………………………………………………………そんな事言うんだ」

 

「ごめん霊火さん今のは失言だった!! ごめん!!! ちゃんと寮に帰るから……!!!」

 

「泣いてない……!!!!!」

 

「霊火さんは泣いていないね!!!!!」

 

 夕焼けの赤が群青に溶けていく。

 

 霊火に軽く腕を取られて近くのベンチへ誘導された。

 彼女の鬼火がふわりと散り、風に乗って消える。

 

「ごめんね霊火さん、折角探しに来てくれたのにね……!!」

 

「泣いてない……泣いてないもん……」

 

 霊火は意外と激情型だが、怒りが持続しない。

 しばらく宥めていると、なんとかいつもの理性的な霊火が帰ってきてくれた。

 

 隣に座る彼女は膨れっ面で言う。

 

「まあ様子を見れただけで私は満足かな。別に連れ戻しに来たわけじゃないし」

 

「え、そうなの?」

 

「相澤先生やオールマイトは帰ってきてほしそうだけれどね。ほら、出久くんは割と思考が内向きに閉じていくタイプだから、あんまり一人で思い詰められるのは怖いわけよ」

 

「…………………………思い詰めてなんか」

 

「私があっさり立ち直ったから、出久くんには逆にプレッシャーだったかもね。早く立ち直らなきゃって」

 

 彼女の瞳は、いつでも簡単にこちらの心を見透かしてくる。

 こちらが少なからず動揺したのを悟ったのか、霊火は優しい目つきで薄く笑った。

 

「別に悲しんでもいいんだよ?」

 

「…………………………僕はエリちゃんを救えなかったから、救える人を救わなきゃいけない。悲しんでるヒマなんて……」

 

「やっぱ自傷行為入ってるなこれ。自己罰もここまでくると痛々しい……。エリちゃんを救えなかったのに相変わらず人を助ける気が一ミリもない私の立場はどうなるんだよ……」

 

 なんか遠い目をしている霊火は心底呆れた声でこう続ける。

 

「別に出久くんの責任じゃなかろうに。貴方だって、エンデヴァーだって、ナイトアイだって彼らの仕事を全力で果たしていたよ。どう考えても悪いのは『アマリリス』でしょ?」

 

「でも……」

 

「ほら考えすぎない。私たちが力及ばずエリちゃんが亡くなったというのは本当だけど、そこに悔しさや悲しさを感じるのは私たちの自由だよ」

 

 霊火はそっと立ち上がった。

 

 夕焼けはもう完全に落ち、公園の空気は群青に沈みつつあった。

 少女の黒いシルエットがすらりと伸びていく。セミロングの髪が風を含んで揺れ、その向こう側に街灯の光が滲んだ。

 

 霊火は少し少年を見下ろす形になる。

 

「……死は、乗り越えるものじゃなくて折り合いをつけるものだよ。私は連れ戻さないから、出久くんの中で整理が出来たら帰ってきてね。でも連絡はしてね」

 

「……………霊火さんは大人だね」

 

「悲劇慣れする事は大人と言わないよ。単に麻痺しているだけ」

 

 少女はひとつ息を吐き、小さな声でこう続けた。

 

「……でも早めに帰ってきてね。出久くんが来ない雄英とかなんで通ってるか分からないもん……」

 

「…………………………あのさ、霊火さん」

 

「なあに?」

 

 霊火は、街灯の白い光を背にしてこちらを覗きこんだ。

 ふと思い出したのは、折寺中学校時代のこと。いつも自分のそばにいた彼女の姿を想起する。

 

「……霊火さんは―――」

 

 気づけば、言葉が口をついて出ていた。

 霊火が軽く首を傾げる。風が髪を揺らした。

 

「中学の時から……なんで僕のそばにいてくれたの?」

 

「え?」

 

「だって、僕……無”個性”で、取り柄もなくて……霊火さんみたいな人が気にかける理由なんて……」

 

 霊火は一瞬固まった。

 まばたきすら忘れたように目を見開き、明らかに動揺したように視線を大きく泳がせる。

 

「……えっ、え?」

 

 聞き返すでもなく、否定するでもなく、ただ混乱していた。

 思っていた反応と違う。

 

 緑谷出久が『OFA』の後継者という事を知っていたから、彼女が接触してきた。

 ずっとそういう前提で考えてきたが……。

 

「……知らないフリして私で遊んでるとかじゃないんだよね?」

 

「え?」

 

「違うな。これ素でやってるな。えっ……困ったな……これ私が悪いのかな……?」

 

 小声でぼそぼそと何かを呟く少女は、ベンチに座る緑谷の前に立った。

 

 

「……………………………………………………特別だよ」

 

 ふわりと、少女は少しだけ身を屈めた。

 

 風の音も、夜の静けさも、遠のく。

 

 長い髪が頬に触れる。体温が直に伝わる。

 触れたのはほんの一瞬。

 

「…………………………………………………………早く帰ってきてね。寂しいよ」

 

 目を合わせられないまま俯き、震える声でそれだけ言い残し、彼女は風に髪を揺らして去っていった。

 

 残されたのは、動けないまま固まった緑谷出久だけ。

 

「………………………………………………………………え?」

 

 耳鳴り。息が止まる。

 緑谷出久は呆然と、まだ体温の残る口元をそっと押さえた。

 

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