夜のハイツアライアンスの、煌々と明るい共用スペースにA組が集まる。
目的は文化祭の出し物決め。公開座学を避けるために今夜中に決めなければならない。
ソファやローテーブルに思い思いに腰を下ろす。
軽口が飛び交いながらも、決断は為されないそんな時間だった。
「なあ、ちなみにさ」
話しかけてきたのはラフなシャツ姿の上鳴だ。
彼は肘掛けにもたれて気楽そうな口調で霊火に声をかける。
「なに?」
赤いフレームの眼鏡をかけた殻木霊火は、スマホから視線を上げずに短く応じる。
「殻木とかミスコン出ねえの? B組からは拳藤とかが出るっぽいぜ?」
「ん~……出てもいいけど……波動先輩が出るならパスかなあ」
「え、マジで? 勝てないって事はなくね? 殻木から見ても波動先輩ってそんな綺麗なん?」
「私が明確に勝ってる所って”個性”の派手さぐらいじゃん。スタイルと愛嬌はボロ負けだし」
自分の容姿には自信がある。
勝負事も嫌いではないし、セルフプロデュースだって得意だ。
女性誌の『今一番可愛いプロヒーローランキング』で一位を取った自分を見てニヤニヤするぐらいにはチヤホヤされたいという願望もある。
しかし学祭のミスコンという舞台で、あの波動ねじれと競うほど愚かではない。
あの種のコンテストで求められるのは単なる造形美ではない。陽性で、健康的で、見る者の視線を自然と引き寄せる“光”だ。
人懐っこい笑顔。
照明を味方につける存在感。
観客の期待を裏切らない、完成された華。
波動ねじれは、その条件をすべて満たしている。
「そう言えば二連覇中の絢爛崎先輩は?」
「ああサポート科の睫毛が長い人? この私が技術と演出の勝負で負けるわけないだろ」
「えげつね〜……」
「あと隻腕の私がミスコンに出たらポリコレで勝っちゃうよ」
「うっ……えっと……えっとうん……あー……」
上鳴の言葉が途中で溺れていった。
「あっはは!! ごめんごめん上鳴、冗談だよ。ちょっとブラックジョークが過ぎたね」
霊火は軽く手を振り、空気を解きほぐすように笑った。
「ほら霊火、無駄話しない!! 皆で出し物決めるよ!!」
少し強めの声が飛び、霊火はくすくす笑いながら前に向き直った。
インターン組の麗日と緑谷は補習の為にここにいない。彼らはクラスの決定に従うとのことだ。
一つのローテーブルをソファと椅子を使って囲む。
「はいはーい、じゃあ仕切るよー」
主権を握るのは取蔭だ。彼女はまず指を立てる。
「前提条件の確認からいこ。飯系はナシ」
「即決!? きのこカフェは!?!?」
「キノコは難しいって……。うちらには砂藤はいるけど、何をやってもランチラッシュに勝てないし、時間もかかる」
「……取蔭の言う通り、ランチラッシュを越えるのは絶対に無理だ。技術や経験が違う」
砂藤が腕を組んで頷いた。
一同で納得と落胆が混ざったため息をつく。霊火は付け足した。
「まあ食中毒も怖いしねえ……」
「模擬店で焼きそば! とかクレープ! とか夢はあるけどね。でも現実は保健所、導線、仕込み、ロス管理。ちょっと荷が重いかな~……」
取蔭は淡々とした口調だが反論の隙がない。何人かが「それもそうか」と頷く。
「じゃあ次。体験型か観る系か、この二択で考えよう」
「う~ん、『ダンス』『ヒーロークイズ』『ふれあい動物園』『演舞発表会』『漫画体験』『アニメ鑑賞会』『特撮鑑賞会』……ねえ」
「体験型か観る系が残ったね」
全員で首を捻った。霊火もイマイチピンと来ない。
鱗飛竜が慎重にこう切り出す。
「観る系って、角取のアニメ鑑賞会とか?」
「面白いデスよ……!!!!!」
「鑑賞会……ねえ。このサブスク全盛の時代に鑑賞会してもしょうがなくない……?」
こういう受動的なコンテンツはA組の身内でやるから面白いのであって、文化祭ならライブ感が欲しい。
霊火の意見で吹出と角取は落ち込んでしまう。
とはいえ、これは他のクラスメイトの同意も得られたらしい。尾白がすまなそうにこう続ける。
「俺も殻木と同じ意見かな。文化祭でやる必要は無いと思う」
「まあ私も同感」
「ガーン!!!!! って感じだね。でも異論は無いよ」
角取もしょんぼりと頷いたところで、委員長は続ける。
「じゃあ体験系かショー系? 音楽、パフォーマンス、ヒーロー科っぽい奴。ふれあい動物園は衛生上厳しいとして……」
「皆で踊ると楽しいよ~」
芦戸三奈はパタパタと足を鳴らしながら小さく主張する。
「ダンス、いいんじゃないか?」
「超意外な援軍が来た!!」
前に出たのは轟焦凍だった。
普段なら議論の端で静かに成り行きを見ている側の男だが、今回は珍しく自分から発言する。
「ちょっといいか。何ていうか……あっただろ。バカ騒ぎする感じのやつ」
そう言って、紅白頭がノートパソコンを操作する。
動画サイトから引っ張り出されたのはテンション高めのダンス動画だった。
画面いっぱいに映るのは大人数。
派手な振り付け、目まぐるしく変わるフォーメーション。まあいかにも「文化祭向け」と分かる華やかさはある。
「轟から出る発想じゃねー!!」
「俺も見るぞこういうの。で、どうだ?」
しかし、肯定の声は上がらない。
取蔭は腕を組んだまま表情を曇らせ、霊火はこめかみに指を当てていた。
「……ダンスって、上手い人がやるから成立するというかさ」
霊火が慎重に言葉を選ぶ。
「正直、素人芸ほど見ててキツいものってないと思うんだけど……?」
「大丈夫だって! 私、教えられるよ!」
空気を切り裂くように芦戸三奈が手を挙げる。
待ってましたとばかりに一歩前に出る。
「振り付けも簡単なのにすればいいし、フォーメーションで誤魔化せば全然いけるって!」
「まあ、そこは頑張れば何とかなる気はするけどさ……」
自信満々の芦戸とは対照的に、霊火の表情は晴れない。
そう、霊火が気にしているのはダンスの方じゃないのだ。
「…………B組、バンドやるっぽいんだよね」
「え?」
「B組の耳郎響香が音楽めっちゃ強いの。で、あっちはダンスとセットでやるみたい」
「うげ、完全に被るじゃん……」
場の空気が目に見えて沈む。
このままでは、A組の出し物はB組の完全な劣化コピーになる。
「……楽器、できる人いる?」
低く問いかけたのは取蔭だ。
「左腕があった時は出来たよ」
霊火の回答には沈黙しか返ってこなかった。
「ギターとか」
「義腕でいいなら……」
「ベース」
「一応出来るけど……」
誰も目を合わせてくれない。
「……ドラム」
「やったことないけど、多分出来るよ?」
「……霊火に分裂してもらうしかないね」
「私の人権は?」
千手観音と思われている。隻腕なのに。
そこまで行くならもう音源を流せばいいだろう。常闇が諦観したように肩を竦めた。
「俺はFコードで一度、音楽を手放した人間故……」
「……私以外に即戦力は無し。その上B組は爆豪がドラムやれるっぽいんだよな……。私も楽器の腕じゃ響香に敵わないし、肺活量が無いからボーカルは無理」
「……じゃあA組は、ダンス単体で行くしかないか」
否定が否定を呼ぶ。
議論は行き止まりに突き当たり、誰も次の言葉を出せず沈黙だけが落ちた。
……やるなら本気でやりたい。
それがA組の共通認識だ。そしてB組にも負けたくない。
少女は深く息を吐いた。
額に指を当てたまま観念したように口を開く。
「……
「え?」
霊火は軽く肩を竦める。
一人で抱え込むのは良いやり方とは言えないが、まあ出来なくはない。
霊火は大抵の事をやろうと思えば出来るのだ。天才の悩みは、いつだって自身のモチベーションなのである。
「ちょ、待って霊火。どういう意味? 具体的には何すんの?」
「三奈のダンスを活かせて、ショー系で、生演奏が要らないものならいいんでしょ?」
一拍置いて、人差し指を立てた。
「……じゃあミュージカルとか?」
「「「「「ミュージカル!?!?」」」」」」
芦戸が一拍遅れて叫ぶ。
「歌って踊って芝居するやつ!? あの!?」
「それそれ。ショー系がまあ鉄板じゃね?」
「え、でもミュージカルは準備めっちゃ大変じゃない? 間に合わないよ?」
「脚本、演出案、配役、大道具、音響、照明、小道具、衣装、メイクまでは私がやるから」
「え?」
「三奈に振り付けをお願いするから、後はみんな演技とダンスと演出の練習をするだけでいい」
「そうだ霊火って割とこんな感じだった。……え、本当に行けるの?」
「言っとくけどそっちも大変だよ。私が制作全般をやって、出演する人たちは演技とダンスの精度を上げる事だけに集中するのが一番クオリティ出せるでしょ?」
腕を組んでの傲岸不遜な発言に、ざわりと空気が揺れる。
しかし『全部やる』と言われて素直に頷けるほど、一年A組も夢見がちではない。
最初に口を開いたのは、いつも冷静な鱗飛竜だった。
A組でも強烈な激情家に、視線を泳がせながらも言葉を選ぶようにゆっくりと言う。
……そこまで怖がられるのは不本意なのだが。
「……正直に言うと、信じたい気持ちはあるけど少し不安だな。殻木が凄いのは良く知っているが、それはヒーローとしての強さとか頭の良さとかだ。ミュージカルを作れるのかは知らない」
「そりゃそうだ」
「脚本だけでもいい。殻木がどんな話をやるつもりなのか聞かせてほしい」
とても真っ当な意見だ。同意するように何人かが目を合わせ、小さく頷く。
霊火はその視線を受け止めて少し眉を顰めた。
「ねえ今から考えるんだよ私? ここで脚本教えろとかどんな難題だよもう……」
「だけど期限は明日の朝だ。ここで決めなきゃダメだろ?」
「ん~……まあしょうがないか……。ならこの脚本に納得したら私に任せてよ?」
霊火だってクオリティの高い出し物をしたいのは同じなのだ。
額から指を離し、背もたれに体重を預ける。
「まあ素人芸だもんな……バックステージ・ミュージカルじゃないとダメだな……」
「ごめん早速分からないよ殻木さん」
「ミュージカルって大きく分けて二種類あるのよ。バックステージとイングレイテッド」
数人が首を傾げた。
……イングレイテッドは『統合型』だ。
歌とストーリーが分けられていない”王道”のミュージカルで、『ロミオ、ああ、何故あなたはロミオなの……』とか『さあ諸君、革命の時だ!』とかで感情が昂ぶれば歌いだすのが特徴。
……歌い始めるまでの感情の助走とか演技がとても難しいので、初心者には向かない。
タイツを履いて『ああジュリエット愛してるよ~♪』と歌うことで客を魅せるためには、とても高い技量が必要とされるのだ。
「私がやりたいのはバックステージ……いわゆる“舞台裏もの”。オーディションに集められたダンサーたちが演出家に人生を掘り下げられる『コーラスライン』とか、田舎から出てきたコーラスガールが主役の怪我によってスターになる『四十二番街』、サイレント映画からトーキーに移り変わる時代のハリウッド映画製作を描いた『雨に唄えば』あたりが有名どころかな……見たことある人いる?」
「名前だけなら……」
「ま、物語の中で登場人物たちが「ある舞台作品」を上演しようとしている形式のミュージカルだと分かってくれればいいよ。劇中では、トラブル、主役の降板、恋のトラブル、資金難とか様々な困難が降りかかる、けど演劇界では「何があっても幕は開けなければならない」……”The Show Must Go On”という鉄則がある。それがドラマを盛り上げるって内容が基本かな」
そしてバックステージ物は「リハーサルのシーン」や「オーディションのシーン」として歌やダンスが披露されるのも特徴だ。
ミュージカルに不慣れな人でも入り込みやすく、演じる側も観る側も初心者向けと言える。
霊火は片目を瞑りながら人差し指を立てた。
「私たちの場合、まあベタではあるけど『まさに今、学祭の準備をしている学生たちの物語』って体でやってもいいんじゃない?」
「内輪ノリ過ぎない……?」
「そこは工夫次第だよ。世界観の方で味付けする。そうだね、世は大アイドル時代、そして雄英高校は日本一の芸能科を抱えた学校。そして私たちはその生徒たちって設定で行こう」
つまり、世界的スーパーアイドル『オールマイト』。そして炎熱系実力派アイドル『エンデヴァー』が存在するアイドル世界と考えれば良い。
子供たちは誰もがアイドルを目指す世界。これなら観客たちにも直感的に分かりやすい。
世界観の共有も簡単なので、導入をスムーズに行える利点もある。
「……面白そうだね。スクールミュージカルって奴だ」
「そういう事。だから役名はそのまま本名を使って貰うよ。つまり私は『殻木霊火』役だし、轟は『芸能科の轟焦凍』役をしてもらう事になる」
「……努力はする」
つまりは、"現役No.1アイドルエンデヴァーの実子"という属性となる。
「ダンスが上手い三奈は、そのままダンスコーチの大人。峰田は子役経験者。切奈はモデル。希乃子はアイドルって具合かな。そもそも出演するかどうかまで含めてある程度は要望を聞くよ」
クラスメイトがそれぞれ期待を込めた目で顔を見合わせた。好感触だ。
基本的には『普段の自分たち』として振る舞えば、そのままリアリティに繋がる仕組みなので楽だ。
素人劇団を成功させるコツは、役者の個性に役を寄せる”当て書き”だ。
霊火は大まかに概要を頭の中で纏めると、首を傾げてこう告げる。
「じゃあ主人公は……間違えてガチの芸能学校に入学してしまったド素人の留学生ね。これはポニーにやってもらおうかな」
「What!?!?」
「そんなポニーがウキウキで入学してみると周りはエリートばかり。可哀想な留学生はダンスの練習で大失敗して、轟や切奈から『レベルが低いから学祭に出るな』と言われていじめられるの」
「霊火にはちょっと言いたいことがあるんだけど」
「………………おい殻木、本当に俺にやれるか?」
「入学当初の性格キッツイ頃を思い出して轟。見てる小さな子が泣き出すような迫力でお願い」
紅白頭は大変困惑した顔で黙り込んだ。
「で、落ち込んだポニーは泣きながら夜の学校でダンスの練習をしようと忍び込むの」
「犯罪……」
「いいのミュージカルなんだから。で、そこでポニーは旧い制服を着た幽霊に出会う。片腕のない幽霊……10年前の学祭のステージで、ステージ事故で亡くなった幽霊役を私がやる」
「なんか自分はちゃっかりいい役やろうとしてるし!!」
「USJの襲撃で右脚を痛めてるから踊れないんだよ私は」
そして霊火は既に有名すぎるため、一般生徒役だと逆に目立ちすぎる。
どう考えても少し"浮いた"ポジションの方が自然だ。これは緑谷も同じで、そこの対策も必要となる。
「で、ポニーは夜の教室で出会った幽霊に憑りつかれてスパルタ特訓を受ける。そしてポニーは学祭のセンターポジションを目指す! って感じの青春コメディでいいんじゃない?」
何となくで話していたら、恋愛要素が無い学園版『オペラ座の怪人』になってしまった。
共有スペースの空気が小さく揺れた。
全体的な雰囲気としては「意外とアリでは?」といった具合。否定するほどの理由も無く、代案を出す余裕もないというのが本音か。
「……まあ、面白そうじゃん?」
最初に折れたのは尾白だった。場の緊張が緩む。
「正直、今から別案考えるよりは現実的だろ」
砂藤が腕を組んだまま言う。
「役もだいたい決まってるしな」
「練習内容も想像つく」
「衣装、そこまで凝らなくていいよね?」
当然ながら熱烈な賛成ではない。
どれもこれも「否定するほどじゃない」「これで行くしかない」という消極的な肯定だ。
霊火は肩を竦める。
「私、作曲もアレンジも出来るよ。衣装も全部私が作るし」
逃げ道を用意した。
ここを機と思ったのか、前へ出た取蔭。
「じゃあ採決取るよ。一年A組の文化祭出し物、霊火案のミュージカル企画に賛成の人〜」
半数がすぐに手を挙げた。
残りのメンバーも周囲をちらりと見て、そしてぽつぽつと増えていく。勢いはないが止まることもない。
全員の手が上がったのを確認し、委員長は小さく頷く。
「全会一致だね」
「じゃ、皆よろしくね」
―――――――――
「はーい!! みんな〜、見て見て〜!!」
夜の共用スペースに、明るい声が響く。
その機嫌の良さが珍しかったのだろう。会話が途切れて全員の視線が入口へ向く。
「なんだよ殻木。そんな大荷物で……」
鱗飛竜が、半眼のまま言った。
ガラガラと安っぽい車輪の音。
霊火の背後には、彼女の身長の半分ほどもある銀色のトランクケースがある。どこにでもありそうな量産品だ。
A組は揃って首を傾げる。
「いや〜、皆に学祭の演出を共有しとこうと思って?」
「演出……? そのトランクが?」
「まあ見ててよ」
キャスターがフローリングを擦る。
霊火がハンドルを握り込んだその瞬間。
――ブゥゥン、と。
ケースの内部から、低く腹の奥に響く振動音が漏れ始めた。
緑谷が反射的に一歩踏み出す。
「ちょっと待って霊火さん!!」
「展・開☆」
制止は間に合わなかった。
バチンと青白い火花。
ロックが弾けた刹那、ケースの隙間から“闇”が噴き出した。
「なにっ!? えっ!? なにこれ!?」
「怖がらなくていいよ?」
闇の正体は、無数の微細な黒い粒子だ。
それは意思を持つ流体のように放射状へ広がり、床を、壁を、天井を塗り潰していく。
光や輪郭や距離感が丸ごと削り取られていく。
「さあ、これが学祭で使う予定の『サンドボックス』だよ」
「霊火さんもうちょっと説明をちゃんとして―――」
緑谷の声は闇に飲まれた。
照明や窓から差す月明かりが丸ごと喰われる。
共用スペースは、完全な暗黒に沈んだ。上下左右、三百六十度。
世界は一面の黒。
『自律型空間描画粒子群』。
それが、トランクの中に収められていた霊火の発明品だ。
「さあ、『描画』開始!」
暗室で、少女が靴底をフロアに打ち付ける。
次の瞬間。
視界いっぱいに、叩きつけられたのは鮮烈な“緑”。
痛いほどの色彩。
同時に、耳を引き裂く音圧が襲いかかる。
膨大な量の虫の鳴き声が、全方向から雪崩れ込んだ。
見上げれば、樹齢数百年は下らない巨木。
重なり合うキャノピーが空を覆い、木漏れ日が粒子となって舞い落ちる。
そこは熱帯雨林。
湿度を含んだ空気が、肌にまとわりつく。
「なにこれ……!? ワープ!?」
「んな馬鹿な。来てくれたお客さんをジャングルに放り出したら可哀そうでしょ」
少女はこともなげに言う。
「単に部屋内をスクリーンで覆っただけだよ。でも実際の風景と見分けがつかないでしょう?」
「え、つまりここどこ!?!?」
「普通にハイツアライアンスだけど。変色する粒子群で景色を描き替えているといったら分かりやすいかな?」
甲高い熱帯鳥類の啼き声。
耳元を何かが掠め、羽ばたきの風圧が頬を叩く。
「スピーカー機能付きだから音響も完璧。我ながら良くできたな」
そう言って少女は床を踏み鳴らした。
緑の喧騒がぶつりと途切れる。
代わりに襲いかかるのは、耳が詰まるような気圧変化。
清潔で閉塞した空気。
床下から伝わる、ジェットエンジンの重低音。
そこは航空機の内部だった。
窓の外には成層圏の青と、眼下に広がる雲海。
プラスチックの壁に乾いた空調の匂い。
「ひ……飛行機!?」
「風に弱いからあんまり動かないでね」
再びの足音。
今度の世界は雄英の教室。しかしみるみる世界が拡大される。
しかし視点は床スレスレ。
小人になったような視界に、巨大な影が落ちる。
「ま、こういう訳でファンタジー全開の演出も出来るって訳よ」
「ぎゃあああああ!!」
峰田の悲鳴。
山脈のような茶トラ猫が雷鳴じみた唸り声をあげる。
ビルの窓ほどもある金色の瞳が、ぎょろりとこちらを見据えてきた。
「おいおいおいおいおいこれどうすんだ殻木!?!?」
「テレビに映る怪物だから殺傷力はゼロだよ。その気になれば衝撃波や粉塵攻撃ぐらいは出来るけどね」
霊火がつま先立ちでくるりと指先を回すと、巨大なイエネコは空中に浮かびあがる。
窓から外に放り捨てられたネコを見て悲痛な声を上げる口田を無視して、霊火は場面を切り替える。
今度は視界が、白いストロボで焼き尽くされた。
暴力的な音圧の壁。
バスドラムのキック。ベースの重低音。
歪んだギターの轟音が、脳髄を直接かき回す。
そこは数万人の熱狂で満たされたスタジアム。
突き上がる拳、飛び散る汗。
巨大なアンプの塔の前で、豆粒のようなボーカルが絶叫した。
『ウオォォォォォォォ!!!!』
少女は両耳を手で塞いだ。
観客の咆哮と演奏が混ざり合い、巨大な奔流となる。
「とまあ、こんな具合で……」
少女が、軽く手を打った。
轟音も、熱気も、狂乱も、嘘のように途切れた。
ざわり、と世界そのものが揺らぐ。
逆再生されるように闇の粒子が引き潮となり、剥がれ落ちていく景色は黒い流体へと還っていく。
それらは渦を巻きながら霊火の背後へ収束し、銀色のトランクケースの内部へ吸い込まれた。
カチリ、と乾いた音。ロックが閉まる。
共用スペースに、元の照明が戻った。
蛍光灯の白い光。夜の静けさ。
あまりにも現実的な、いつもの空間。
「デモンストレーションでした。もちろん、本番はもうちょっと大人しくするけどね」
こくんと首を傾げる。
「で、どうだった?」
一呼吸おいて、誰かはこう言った。
「……やっっっっっべぇな、これ……!」
「学祭ってレベルじゃねえだろ……」
彼らは、まだ痺れが残っているように腕を振る。
少女は我が意を得たりと言いたげにニヤリと笑った。
「RGBの発光機能と変色機能を持つ極小の特殊な結晶体を制御……まあ有機ELのお化けみたいなものだと思ってね」
「もうヤバい事が分かる」
「ま、こんな感じだよ。狭い部屋を無限に広がる景色で上書きするの」
霊火はトランクの上に手を置き、挑戦的な笑顔でA組全員を見渡した。
「これを学祭当日、ホール全域に散布する」
どよめきが走る。夢から醒めたような虚脱感と痺れ。
「演出ではこれで観客席まで含めて全域を覆いつくす。自分で作っておいてなんだけど、相当面白いことが出来ると思うよ?」
「おいおいおいこんなの使えるなら最高の奴が出来るんじゃ―――」
「なので皆は、『これ』に“負けない”演技とダンスが求められま~す!!」
高揚と衝撃で浮ついていた共用スペースの空気が一瞬で冷えた。
A組の全員が同じことを考えた。
霊火の演出はあまりにも完璧だ。否定の余地がない。
だからこそ、誰もが思う。
――自分たちは、本当に必要なのだろうか?
『これ』だけで、十分なのではないか。
役者は添え物であり、観客は演出だけで満足する。自分たちが「添え物」になる未来が嫌というほど鮮明に思い浮かんだのだろう。
共用スペースに深刻な沈黙が降りた。
赤い目の少女は、それを楽しむように両目を閉じる。
にやにやしながら歌うように告げた。
「演出自体は上手くいくよ。だって私だもん」
自信に満ちた声。
本物の天才の断言から導かれる、疑いようのない事実。
「……なるほどね」
取蔭が乾いた笑いを漏らす。そして霊火は嬉しそうにこう続けた。
「それでも、お客さんの目を奪うのは、ヒーロー科の私たちだよね?」
ほんの少しだけ口角を上げた。
それは挑発であり、同時に信頼でもあった。
「まあ『これ』単体でもB組には負けないと思うけれど―――」
一拍置いて、A組全員を見回す。
「―――私は、皆となら、きっと良いものを作れると思うんだけどなあ……?」
空気が変わった。
「……皆!!!!!」
芦戸だった。
張りのある声を上げ、周囲を見回す。
彼女は一度、大きく息を吸った。
「――せーの!!」
「「「「「Plus Ultra!!!!!!」」」」」
ちゃんと一発で揃った。
Q:この『サンドボックス』、何?
A:神野区の『自在都市』、[Class6:paternalism]の応用
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