戦闘職であると同時に芸能人でもある現代ヒーロー。
その善悪がどうであれ、注目され、撮られ、語られることまで含めてが職務なのは事実。
当然、容姿やセンスの良し悪しは人気に直結する。特に女性ヒーローの場合には。
そんな環境に適応しなければならないのは、雄英ヒーロー科の女子生徒。
彼女らは日々、メイク技術やコーディネート能力の向上に励んでいた。
「よし、霊火の飾り付けするぞー!!」
「うおおおおお!!!!!」
「ええ……?」
ハイツアライアンス共用パウダールーム。
ミラーの前に座る少女は、ミラー越しに首を傾げた。
華奢で小柄な着せ替え人形、殻木霊火は可憐な声色に軽い困惑の色を載せる。
「別に一人で出来るのに」
「そう言わないで!!」
取蔭には一蹴された。
「三奈は忙しいでしょう? 文化祭で」
「ええ~!? デートのおめかしさせてよちょっと時間あるから!!!!!」
「そんな大したお出かけでもないけどな。映画行くだけだよ一緒に」
この片想いは良く知られている。特にA組の中では周知の事実。
…………………あまり弄ると霊火の危険な地雷で爆死する。いつもの危険で楽しい恋バナが始まった。
何かと不安定で扱いの難しい霊火と一番うまくやれている、取蔭切奈はにやりと笑う。
「でもデートでしょ?」
「まあデートかも?」
「なら可愛いって思って貰うために気合い入れなきゃ!!」
「リップだけでも完成するんだけど私」
何気にとんでもない自信家発言をかます少女。
しかし友人たちは完全スルー。霊火も特に気にせず自身のメイクセットに手を伸ばした。
芦戸三奈は背後から殻木霊火のほっぺをつまむ。
「うひゃあ、こうやってみるとすっぴんの霊火マジでめっちゃ無害そうに見えるね」
「虫一匹殺せなさそうだよね。教室の隅で本とか読んでる可愛い子に見える」
「なんだよ2人して。『実はすっごく狂暴なんです〜』みたいな言い方するじゃんか?」
「「すっごく狂暴だよ」」
「酷い」
背後の友人二人が髪の毛を持ち上げるが抵抗しない。
ヘアカラーやヘアスタイルを次々と変える霊火だが、今は腰ほどまである黒髪ロング。
友人たちがどうアレンジしてくれるのか、興味がある。ヘアセットなら任せてみよう。
「ひゃーサラサラ!! 何をどうしたらこうなるんだか」
「癖っ毛だから羨ましいわ私」
「取蔭はまだいいじゃん私なんて地毛も素肌もピンクだから応用しようがないんだよ!!」
この”個性”社会。メイクもコーディネートも流行りに合わせて皆お揃いというわけにもいかない。
霊火は少し低身長(それでも”規格”を外れる程ではない)だが、通常の人体と同じ見た目なので何かと選択肢が多く楽だ。
霊火は鏡の中の学友を見た。
「三奈はロングが似合うと思うんだけれどな?」
「ヒーロー活動の邪魔かなあ。ほら、『酸』で濡れたまま乾かせない時も多いから、それで誰か怪我させたら大変」
「なるほど。責任感だ」
霊火は深く頷いた。
他人の霊火がその場で考えることは、当の本人もとっくに検討済みか。余計なことを言ったかもしれない。
芦戸は肌の色が彩度の強いピンク色だ。
このように『普通の見た目』から外れた人間は、それぞれ自分のお洒落を見つけないといけない。彼ら彼女らは大変な苦労を背負っているのだ。
背後では既にコームが用意され、ヘアゴムの袋が開く音がしている。
ついでに芦戸三奈は霊火に聞いた。
「ぶっちゃけ緑谷って何が好きなの?」
「清楚系」
「なーる。でもポニテは味気ないねえ」
霊火の毛先で遊ぶ取蔭は軽く舌打ちした。
「デートでしょ? 思いっきり気合入れて圧かけようよ。あの女の敵に」
「え、マジで? やっちゃう?」
華奢な少女は軽く苦笑い。
最近、A組女子からの株がほんのり下がっているのが緑谷出久という男だ。
理由は単純かつ理不尽で、彼が殻木霊火の好意に応えてくれないからである。
「もう、二人とも落ち着いて。私を好きになれないことで出久くんを責めるのもちょっとアレだよ?」
「いやダメでしょ。あんな世話になっといて捨てたりとかしたら、結構ガチで軽蔑なんだけど」
「マジであり得ん。好きになれようちの霊火を。小さくて可愛いだろ」
女の子は友人が失恋することを非常に嫌う生き物だ。
特に、霊火のように明確に一生懸命頑張ってしまっている女の場合は、男の自由意志は存在しないものとして扱う。
取蔭が刺々しく言った。
「霊火が死ぬほど気合入れたメイクして現れたらあいつ焦るっしょ」
「切奈、出久くんは普通に喜んでくれると思うんだよ……!!」
「ていうかなんで緑谷ってあんな選り好みすんの? あり得なくない?」
「三奈、出久くんは選り好みしてるわけじゃないと思うよ……!!」
おかげで一番の擁護派が霊火になる始末だった。
そのせいで取蔭と芦戸の機嫌が余計に悪くなり始めた。
「……普通さあ、こんなに尽くした女の子を振る? サイテー……」
「振られてはいないよ……?」
「マジで可愛そう。許せん。アイツあれだけ世話になっといて霊火のことなんだと思ってんの? マジであり得ないんだけど」
「にゃーん」
「なにそれ霊火の中で流行りの必殺技なの?」
ここで仔猫はふと思い出した。
「あ、待って!!!!!!!!!!!!!!!」
「うわビックリした!! 何いきなり大声出して」
「私、少なくとも彼の『最も守りたい人』ではあるみたいだよ?」
「え、それどこ情報?」
「インターンでそんな報告書見たのよ」
これの情報源は『美貌』だ。
"緑谷出久が最も守りたい人物は殻木霊火"。
これは客観的に証明できる事実であり、誰にも否定しようがない感情なのだ。
酸性少女は困ったように眉を曲げた。
「ああ、切島が言ってたかも。『美貌』、だっけ?」
「三奈が切島とどういう関係なのかはとっても気になるんだけど」
霊火側の疑問は無視された。酷い。
芦戸はこう続ける。
「確か切島は『質問をして、相手が思い浮かべた人物に変身する』とか言ってたような」
「あ、それ私もお茶子から聞いた。わけ分からんって思ったけど、実際どうだったの霊火」
「確かインターンの話でしょ? 私、あの時は『神域』側でその班にいなかったんだよな……」
これは、麗日や切島が八斎會前で『アマリリス』製アンドロイド『美貌』と交戦した時の話だ。
霊火は推定伝聞形で言う。
「相手の脳内イメージを引きずり出して、それに変身するみたいな能力だったらしいよ」
「ヤバすぎ…………」
「私も報告で見たんだけど、出久くんへの質問は『最も守りたい人は誰か』だったの。それでね……私だったんだって!!」
「「キャー!!!!」」
「……うふふ、素敵でしょ? 中学時代の私だったんだよ?」
「「キャーーーーーー!!!!!!!!!!!!」」
3人ではしゃぐだけはしゃいだあと、芦戸はふと遠い目をした。
……明るく元気な彼女が憂いを帯びた顔をするとなんか異常に様になる。
「…………切島は、霊火の姿をした『美貌』に酷い目に遭わされたみたいだけどね」
「あー……滅茶苦茶強かったみたいだね”私”モード……」
霊火はちょっとの罪悪感で目を逸らした。
それに気が付かず、取蔭はキョトンとして芦戸に聞く。
「え、どうしたのよ。切島ってB組の? 大怪我でもしたの?」
「霊火の姿をした敵に、霊火の『幽霊斬り』を喰らったんだって」
「あ、ああ~…………あ~そりゃダメだわ。確か切島って硬くなる人でしょ? 壁を無視する座標攻撃はキツイだろ~ね…………」
「背後に守ってた警察官を守れなかったんだってさ。それですっごい悩んでてさあ……」
申し訳なくなってきた。霊火はちょっと顔を伏せながらこう謝罪する。
「私の『幽霊斬り』がごめんなさい…………」
「なんかBの梅雨ちゃんもしばらくショックから立ち直れなかったみたいだし」
「あっちは確か『夢幻』での幼い妹さんを蹴り殺しちゃったんだっけ?」
「「えっぐ…………」」
改めて考えると鬼すぎる。
本当に自分がやった事なのかと自問自答する霊火だが、何をどう考えても自分の操作だった。
なんかノリノリでやってた気がする。戦闘で気が立っている時の霊火は本当に残酷で倫理が消失しているため注意が必要だ。本人ですらギョッとする体験が多すぎる。
「まあとにかく緑谷は霊火と結婚したいってことで」とヘアアイロンを持つ芦戸。
「だいぶ無理して話を戻したし、割と端折ったね三奈」とカーラーを持つ取蔭。
「割と端折ったじゃないよ切奈、最初から最後まで全然違うよ」と霊火。
芦戸は、霊火の髪の毛を弄りながら口を開く。
「でも、実際にさあ……」
「「ん?」」
「緑谷ってこの子が一番大事じゃん? それは私たちもわかるのよハッキリと」
「え、そうなの?」
キョトンとする霊火だが、友人たちは勝手に話を進めてしまう。
「ちゃんと一番大切で一番優先なんだろうなって一目で伝わるって感じ?」
「霊火は霊火で意外と分かりやすいけど、緑谷はそれ以上だわ。アレに割って入るのは相当な覚悟が無いと厳しいって」
「そんなもんなのかね?」
霊火はピンと来ない。
芦戸が軽い溜め息をついてこう続けた。
「マジでなんで付き合ってあげないんだろうね。緑谷だって殻木のこと大好きじゃん」
スキンケアとベースメイクを急いで終わらせてアイブロウの仕上げに入った霊火。
眉マスカラで慎重に毛の色をトーンアップさせながら何ともなしに言う。
「夢に一生懸命で忙しいんでしょ。オールマイトに勝てないって言ったのは切奈だけど……」
「うぐっ………それは分かるけどでもさあ!!!! こんな可愛い子に好き好きアピール―――」
「三奈?」
警告。
芦戸が急停止して取蔭が反射的に飛びのいた。
霊火の髪の毛がひとりでに蠢き、芦戸の両手に絡みつく。
「な、なになになになに!?!?!?」
「ちょ、霊火ダメ!!!!」
赤い瞳を細める少女はビューラー片手に少しだけ止まる。
……彼に対して媚びているつもりはない。今も昔も。
軽く息をついて、髪の力も抜けた。
小さな少女は何もなかったかのように動き出す。
「実際、あのレベルのハードスケジュールの割には良くやってると思うよ。出久くんは」
「待って今の髪の毛何!?!?」
「ごめんって。私はこの癇癪を治さないといけないな……」
取蔭が慌てて次の話題に接続する。
「地の体力あるよね緑谷。あれだけのハードスケジュールの後でも、霊火の前で話を切り上げたそうな気配なんて全く見せないもん」
「え、あれ誰に対してもあんな感じじゃない?」
「少なくとも私にはあれだけ徹底してないよ。忙しそうな時に話しかけたら嫌そうにはしないけど、『あ、ごめんそろそろ……』とか普通に言ってくるし」
「私の知る出久くんとは違う………」
「まあ、大切にはされてるよね、霊火は」
こんな感じで、霊火を異性として扱わないという一点を除きさえすれば、彼は相当いい感じなのだ。
「それで私の髪をどうするか決まった?」
「リボン編み込みハーフアップ」
「待ってそんな手間のかかる奴やってんの?」
―――――――――
「出来たー!!!!」「可愛い~!!!!」
二人の弾ける歓声がパウダールームに響いた。
お洒落好きとはいえ、流石に一人では手を出さない難易度のヘアスタイルだ。
ハーフアップに取った毛束を、三つ編みやロープ編みにしていく過程で細いリボンを一緒に編み込む。
見ての通りの面倒の塊な上に実際結構難しいのだが、手間がかかるだけあって完成さえしてしまえばやっぱり可愛い。
ガーリーでキュート。
同性ならばひと目で「手が掛かっている」と分かる見栄えだ。
「何とか一時間で終わって良かったよ……」
肩の力を抜く霊火だが、実のところ今回は最初から本気仕様だ。
身体のラインを上品に拾うワンピース。
上には質感の良いカーディガンを羽織り、全体の色味はあえて落ち着かせている。
小柄で華奢な霊火は少し油断するとすぐ女子小学生になってしまうため、あまり派手な格好が出来ないのが縛りといえば縛りだ。
ちなみにこれの簡単な解決法は『高い服を買う』であり、大変可愛げが無いため誰にも言ったことが無い。
甘さと清楚さ。ガチガチの本命デートコーデ。
身だしなみは言語だ。同性であれば確実に伝わるであろうその気合の入り方と切実さに、芦戸は感嘆の声を漏らす。
「なんだかんだで本気出してるじゃん。本気で緑谷取りに行ってるじゃん!!!!」
「まあ折角の映画館デートだからね。もう出久くんにも絶対に伝わる気合で行って反応を見ようかと」
「ふふ……緑谷ってこういうの気が付くの?」
「前髪を数ミリ切っただけでも意外と気づくよあの人」
女の子が最も落ち込む『一生懸命準備したのに気づかれない』がまずないのは彼のいい所だ。
観察癖というか、単純に目がいいのだろう。
洋服にしても髪にしても、こちらの努力や意図をきちんと見つけ出してしっかりと褒めてくれる人だ。
ノーメイクでも見惚れてくれるので、こちらは楽しいったらありゃしない。
取蔭は面白がるように腰に手を当て、明朗に言った。
「もう一回、告白する準備は出来た?」
「二回目は無理……」
「いけるって頑張れってやれるって出来るって大丈夫だってそう悪い事にはならないって」
他人事だと思って無責任なものだった。
臆病な少女はあきらめ気味にくすりと笑う。
「まあ向こうもまさか映画見に行くだけで、ここまで気合入れてくるとは夢にも思っていないと思うよ」
「ね!! 驚かせてやろうよ緑谷を!!」
「ま、どうせ向こうはいつもの謎センスのTシャツ着てくるよ。そうなったらみんなで笑ってあげようね」
その上で、霊火は最後にもう一つ聞いた。
「でも切奈と三奈はなんでこんなに手伝ってくれたの? 恋バナに興味があるのは分かるけど、忙しいでしょう?」
「え、殻木それマジで言ってんの?」
芦戸三奈はちらりと取蔭とアイコンタクトを交わした。
代表して彼女は、晴れやかな笑顔で身を屈める。
「殻木が一番、文化祭の準備頑張ってくれてるじゃん!!」
「あ~……まあ?」
「実はさ、殻木とはこれまでちょっと距離感じてたんだけどさあ。ほら、殻木って滅茶苦茶強くて頭もいいのに、ヒーローに興味無さそうじゃん。でも、今回でやっと仲良くなれたような気がして嬉しかった!!」
そして小柄な霊火に言い聞かせるようにこう言ったのだ。
「だからこれはそのお礼!! 緑谷とのデート頑張って来てね!!」
―――――――――
ちなみに、霊火を含めた女子陣の予想は開始一秒で外れた。
「あ!! 霊火さん!!」
「ごめ~ん、待った? ……あれ?」
夕方。
防犯のため物々しい雄英シェルターのすぐ傍。
集合時間より三十分も早く現地に向かった霊火は、すでに待っていた人物を見て大きな両目を瞬かせた。
ビーウェイトの無地オーバーサイズTシャツに、落ち感のいいゆったりしたカーディガン。
脚のラインをすとんと隠すワイドスラックス。足元は赤のダッドスニーカー。
そして、どこから調達したのか分からない細めのシルバーチェーンネックレス。
ヘアセットまで抜かりない。
おでこを出し、ワックスとオイルでモサつきを抑えた仕上がりは、なかなかのものだ。
服はまあ、マネキン買いという可能性もあるだろう。
だが、髪は妙に手慣れていた。
上から下まで一通り視線を走らせた霊火は、初手でこう推測する。
「……へえ。上鳴?」
「なんで分かるの!?!? いや、上鳴くんが“殻木と会うならこれくらいしとけ”って、服も貸してくれて……」
「彼がその服着てるの一回見たことあるのよ。私って一度見たものは忘れないから。でも出久くんもすごい似合ってるよ」
霊火が小さく笑うと、緑谷は少し照れた様子で頭をかいた。
そのまま彼は霊火をじっと見つめる。次の瞬間、彼は固まって頬を赤くして慌てて目を逸らす。
「…………霊火さんも可愛いよ」
「え、ガチっぽくてこっちまで恥ずかしいんだけど!?」
「…………………………あの、その編み込みが綺麗で、すごく手間がかかってて。元々可愛いけど、さらに可愛くなってて」
「普段はもっとサラッと褒めてくれるじゃん!?」
そう言いながらも、緑谷は霊火の右手をそっと掴んだ。
割と圧倒的な力の差を感じながらも、少女は少女で抵抗せずに指を絡めてしまう。
「……………出久くん、手とかはあっさり繋ぐよね」
「はぐれたら危ないよ」
「やっぱり私を小動物か何かと思ってない?」
―――――――――
型番【Class-4 Anarchism】。
個性機械。アマリリス製アンドロイド。
通称【図書委員】。人間名は「栞」。
これといった派手な特徴の無い、地味な中学生ほどの文学少女。しかしとても可愛い。
情報・集団戦用として設計されており、搭載個性は『黒影』『二倍』『コミック』の三種。
追加オプションとして、掌をかざすことで全ての種類の電池を暴発させる『B-エクスプローダー』を備える。
AIの傾向としては冷淡、口調はダウナー。やや悲観主義。
紙の本が好き。製作者の目を盗んで勝手に外出し、都内の古本屋で店主と仲良くなっていたことさえある。
元々戦闘用に設計されていないが、搭載している”個性”がどれも超一線級のためそこそこ戦えてしまう。
スペックとしては、個性『黒影』によって作り出す影の巨大蟹『カルキノス』に完全特化している。
それらは『二倍』によって、1分間で9倍に増殖する。この倍々算における圧倒的な質量戦能力と展開速度こそが彼女の唯一かつ最大の特徴と言える。
『カルキノス』はかなり多芸で、救助や誘導、撃退などの複雑な命令への対応、さらに個性『コミック』による遠距離戦も可能。
他の節足動物への変形機能も持つが、その場合『二倍』の増殖は喪われる。
光に弱く、太陽に触れると即座に消滅する。
しかし『天使』の光には完全耐性があるため同時運用は十分に可能。
ちなみに『蟹』の理由は、単純な身体構造ながら硬い甲羅を持ち、高い踏破性能や丈夫なハサミに優れているためである。
霊火製アンドロイドの中で唯一、エリちゃんにまったく興味を示さない存在。
非常に冷淡かつ共感性に欠けるところがある。そのためか特に良識派である『ダイナ』とやや不仲。
全くの余談だが、アンドロイドたちのAIはいずれも殻木霊火の性格の一側面を切り取って構成されている。これはつまり、霊火の中に「エリちゃんに全く関心を持たない共感性に欠けた側面」が存在することの証明にもなっている。
ちなみに『緑谷出久への恋慕』要素は全てのアンドロイドが持たないようになっている。
―――――――――
大西洋の臍、水深4,000メートルの暗黒。
数億トンの水圧が支配するその低温の闇に、「それ」はあった。
かつてアトランティスと呼ばれた夢想すら陳腐に見えるほどの超巨大海底都市。
暗黒の荒野に威容を誇る巨大な電子回路じみた神殿群。
特殊なガラスとナノカーボンで編み上げられたその外殻は、深海の生物発光を模倣したペールブルーの脈動を繰り返す。
その最奥。
神殿における至聖所とも呼べる一角に、その部屋はある。
扉を開ければ、そこはかつてのベルサイユや冬宮殿を再解釈したかのような空間だ。
一言で表現するなら豪華絢爛。天井は高く、煌びやかなシャンデリアが尽きない蝋燭の揺らぎを散らしている。
壁面は深海の水圧を完全に遮断しながらも外の深淵を透過させる特殊なガラス張り。巨大なサメや深海魚の『天使』が横切っていく。
その部屋の中央に、滑走路のように長い巨大な食卓が置かれていた。
数十人が晩餐を楽しめるはずの磨き上げられた天板は、天井のシャンデリアと深海の闇を映し込んでいる。
その広大な食卓の端、上座に一人の少女が座っていた。
豪奢な椅子に身体を沈め、飾り気のない制服のような衣服を纏う女子学生。
彼女の手にあるのはタブレットでもホログラムでもない。 古びた紙の束だった。
「……ん~、これ無理じゃない……? まあ試せって言うならやるけどさあ……」
甘く澄んだ声。
彼女は指先で紙をめくる。 カサリ、と乾いた音が波紋を広げた。
ここは『神域』。第三聖堂。
かの領域は決して極東の一都市に留まらず、貪欲に勢力を拡大。
その中でも最も成功した飛び地。それがこの大西洋の都市群だ。
文学少女の持つ書類の文字列が更新された。
それは、無機質なディスプレイの光よりも紙の匂いや手触りを愛する栞のために制作者が特別に設計した、極めて特殊な端末だ。
感覚としては電子書籍リーダーが近いか。
しかし紙上に敷き詰められた粉末そのものが動いて直接文字や図を描き出すという、きわめて非効率な方式を採用している。
「見られている瞬間」には一切動作せず、視線を外した隙や瞬きの刹那にのみ内容が更新されるというギミックも搭載した趣味の一品だ。
元はと言えば、殻木霊火が保有する”既に存在する書面を自由自在に改竄する”技術の派生だ。
本家の”砂”は、ひとつまみで契約書、誓約書、借金の借用書に条約の批准書。私的なものから公的なものまでありとあらゆる文書を書き換えるという凶悪な代物。
あちらはあちらでジョージ・オーウェルも裸足で逃げ出す結構な厄ネタなのだが、今は意味がない。
今回の【図書委員】の任務は性能テスト。
神野の数十回もの防衛戦で、天使が『神域』を守り切れるのは分かった。
ならば侵略はどうなのか。防衛と攻撃は同じ戦争でもまるで話が違ってくるため、そこをテストしてみる価値はある。
第二階級『智天使』二機。
第三階級『座天使』十二機。
中位天使五百機と、無限増殖の『カルキノス』。
一か月かけてコツコツ増産してきた”天使”たちをつぎ込み、彼らがどれだけやれるのかをテストしてみよう。
今回の『天使』の進軍コマンドを、文学少女は歌うように唱えた。
「『主よ。あなたは私の周りを囲む盾、私の栄光、私の頭を高く上げてくださる方です』」
いつものお出かけかと思ったら出久くんの様子がいつもと違う……あれ、もしかして新たな進展が……!?!?
頑張って霊火ちゃん!!!!
チャンスは目の前、後は想いを伝えるだけよ!!!!
次回、「アメリカ死す」 デュエルスタンバイ!!!!
…………感想や評価ありがとうございます。いつも大きな励みになっております