殺人現場より、愛をこめて   作:トリスメギストス3世

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119:文化祭⑪

「来たぞ!!!! 灯火部隊だ!!!!」

 

 希望という言葉を、喉の奥から無理やり引きずり出したような声だった。

 

 がちん、と。

 上空で光が爆ぜ、夜の海が昼に引き裂かれる。

 

 照明弾の比ではない。

 夜空を白く塗り潰し、海面に沈む闇を根こそぎ剥ぎ取る。

 影という概念そのものを許さない、暴力的な輝度だった。

 

 次の瞬間、海底を埋め尽くしていた影の節足動物たちが一斉に動きを止めた。

 脚や関節がぎこちなく震える。

 

「……止まった?」

 

「違う……鈍ってる!!!! 今だ!!」

 

 光に照らされて黒い甲殻が鈍く反射する。

 あれほど無尽蔵に押し寄せていた“影”が確実に押し留められていた。

 

 灯火部隊。

 対【図書委員】のためだけに開発・編成された、アメリカの切り札だ。

 

 その正体は”実体のない光源”。

 撃ち落とされず、止められないもう一つの太陽。一直線の白が海底を薙いだ。

 

 海底の黒色の動きが明確に鈍る。押されていた戦線が止まる。

 そして押し返し始める。

 

「行けるぞ……!!!!」

 

「照らせ!!!! 逃がすな!!!!」

 

 希望が怒号に変わり、怒号が確信に変わる。

 

 天使たちの方は動きは鈍っていないが、歩兵たちが無力化されつつあるのを理解したのか後退を始めた。

 

「親玉が下がるぞ!!!!」

 

「やった……!!!!」

 

 誰かが笑って誰かが泣いた。

 誰かがただその場に座り込んだ。

 

「やった!!!!」「勝ちだ!!!!」「守りきったぞ!!!!」

 

 港はまだここにある。

 背後の街も食い荒らされていない。人類はまだ灯りを失ってはいない。

 

 白と黒の大軍勢が光に押し返されていく。

 

 チャールズ・アダムズは、煤と海水にまみれた顔で呟く。

 

 「……神よ」

 

 それが祈りだったのか、

 それとも皮肉だったのか。

 それを知る者は、誰もいない。

 

―――――――――

 

(……ちゃんと栞ちゃんの『カルキノス』対策を準備していたんだ)

 

 救助活動の最中だった。

 霊火は巨大化“個性”同士の喧嘩を収めて、現在は崩落したビルからの救出作業に当たっている。

 

 なまじ医療の心得があるせいで応急処置からトリアージまで一手に引き受ける羽目になった少女は、死にそうな目で遠くを見つめていた。

 

 せっかくセットした髪はぐちゃぐちゃ。服も泥と埃にまみれて薄汚れている。

 さっきからずっと涙を堪えているこの少女は、これでもアメリカを襲撃した『天使』と『図書委員』の制作者でありアメリカ侵攻の主犯格だ。

 

 姿の見えぬ国敵への復讐に燃えるペンタゴンも、まさか『アマリリス』が好きな男の子とのデートが中止になって肩を震わせているとは夢にも思っていないだろう。

 

(アメリカの方も、結局は負けてるしさあ……)

 

 しかし正直なところ、霊火はアメリカを見直していた。

 戦闘前は『天使』と『図書委員』で楽勝だと思っていたが現実はまるで違う。

 

 本土防衛は徹底されており、純粋な軍事力の水準がこちらの想定をはるかに上回っていた。

 彼らにとっても国難。アメリカ建国以来、最大級の危機だ。

 

 彼らもよほど焦ったのだろう。霊火ですら見たことも聞いたこともない謎の超兵器が次々と確認された。

 中には“個性”と技術が融合したような兵器まで存在していた。

 

 特にアレは興味深い。

 どこか人体実験の成れの果てのような気配だった。やはりあの軍事大国、正義の名の下でやることはやっているらしい。

 とはいえ、個性社会において軍隊が「個性の軍事転用」を研究していないはずがないとも言える。

 

 まああの国に関しては人体実験なんて建国以来の伝統芸に近いので今更驚きもない。何しろキャプテン・アメリカが絶賛される国だ。

 星条旗を守るためならどんな悪事も正義に変換される。そういうルールで生きているアメリカ国民はきっと「新たな戦力」を喝采するだろう。

 

「フロイライン! こっちの瓦礫を……!」

 

「はーい」

 

 霊火の『死因』は対物必殺。

 ヒトが埋まった瓦礫の山から瓦礫だけを選んで消し飛ばすという器用な応用もできる。

 

 だから救助活動になど一ミリも興味はないのに、容赦なく駆り出されて大忙しだ。

 いくら待っても『ナイン』が襲撃してくる気配はないし映画は見損ねるし、髪も服も台無しだ。

 

「…………」

 

 いつからこんなに弱くなってしまったのだろう。

 

 鼻の奥がつんと沁みて、つい涙が出そうになるのを、少女は必死に食い止めた。

 

―――――――――

 

型番【Class-4 Lookism】

 

 個性機械。アマリリス製アンドロイド。

 通称【美貌】。人間名は「真奈美」。

 

 まず目を引くのはおよそ250センチに及ぶ長身。

 そして圧倒的な胸のボリューム、細いウエスト、豊満なヒップ、肉感的で長い脚。

 通称が示す通り、外見の完成度だけで言えばアンドロイドたちの中でも群を抜いている。

 

 自信家である殻木霊火が明確に「自分よりも“美しい”存在」として設計しただけあり、八斎會事件以前のテレビ中継だけで世界に7000万人のファンを生み出した。そのほぼ全員が男性である。

 

 AIの性格傾向はやや優しめ。

 一人称は『ママ』。口調は丁寧語で、ジョークを好む。

 

 直接戦闘担当として設計されており、搭載個性は『無貌』『霧散』『夢幻』の三種。

 追加オプションとして、物理系に依存しない索敵レーダー『アンダーセンス』、および超圧縮技術を用いたガーデニングツール『法具』を搭載している。

 

 アンドロイドの中でも随一の膂力を誇り、恵まれた体格を活かした圧倒的な格闘性能が最大の持ち味。

 長物・投擲武器の扱いにも長けており、個性を抜きにしても相当な戦力となる地力の高さを備えている。

 

 『無貌』は広義の視覚干渉能力。

 対象の意志とは無関係に、視線を強制的に自身の顔面へ固定する。

 その際に対象の恐怖反応を誘発し、瞼の動きを停止させる。

 『美貌』と対峙した場合は激しい回避行動や視線を切る動作は許されない他、下手をすれば頸部がねじ切れるという極めて攻撃的な能力でもある。

 

 なお、カメラ越しでも発動するためテレビ中継は阿鼻叫喚となった。

 実際、車のドライバーなどが『無貌』の影響を受けたことによる交通事故が世界中で発生している。

 

 『霧散』はシンプルな短距離テレポート能力。

 最大跳躍距離は5メートル、クールタイムは30秒。

 特筆すべき弱点や制約はなく、ただただ純粋に強力な“個性”であり、『無貌』と組み合わせた際の初見殺し性能は凶悪の一言に尽きる。

 

 『夢幻』は変身能力。

 相手に「“最も〇〇な人は誰?”」というフレーズで質問し、対象が思い浮かべた人物へとそのまま変身する。

 複雑な発動条件に加え奇怪な独自仕様が多く、不安定かつ非常に扱いづらい能力。

 しかし条件が噛み合った際のパフォーマンスは随一で、変身後の身体能力は『美貌』本体に依存するというインチキ仕様がとにかく強力。

 『夢幻』状態の美貌はいかなるダメージを受けても本体に一切の損傷が及ばないという特性を持つ。

 

 八斎會攻防戦において、ほぼ全ての戦闘が世界中に配信された存在の一人。

 エンデヴァーを含むトップヒーロー集団を相手に単独で互角以上に斬り結んだ光景は、世界中に衝撃を与えた。

 

―――――――――

 

「ええ、ノーフォーク海軍基地に押し寄せた分かりやすい大軍勢に気を取られている場合ですかね?」

 

「う……あ……」

 

「さあペンタゴンの奥深く。貴方たちが警戒し続けた“ママ”が来ましたよ」

 

 ワシントンD.C.に鎮座する五角形の要塞、ペンタゴン。

 地上五階、地下二階。全長およそ二八〇メートルの回廊が環状に連なり、アメリカ国防の象徴として君臨する建造物だ。

 

 本来ならばその内部は完璧なはずだった。

 無数の警報網、監視システム、そして人間。

 

 赤色灯が狂ったように明滅し、警報が空気を引き裂く。

 侵入検知。熱源感知。生体認証。行動予測AI。

 特にサイバー攻撃があったわけではなくすべては正常に作動していた。

 

 それでも、誰一人として彼女を止めることができなかったのだからしょうがない。

 

 通路には血溜まりが点々と続き、その中に警備兵が転がっている。

 銃を握り締めたまま絶命した者。

 通信機に手を伸ばした姿勢のまま動かなくなった者。

 

 鏖殺。

 効率的で、静謐で、感情の入り込む余地すらない殺し方。

 寒気がするほど美しい女は、ギロリとターゲットを見下ろした。

 

「はじめましてですね。ティモシー・アグパー」

 

「『美貌』……!!」

 

 ペンタゴン最深部。

 数十センチの装甲に守られた隔壁は短距離ワープによって無かったことにされた。

 アメリカ軍司令は、震える声でこう問いかける。

 

「何をしに来た……『アマリリス』……!!」

 

「別に。欲しいものはとっくに奪って行きましたので特に何も。ご挨拶をと思いまして」

 

 アンドロイドはふうと、一つ息を吐いた。

 その仕草はあまりにも人間的で肩がわずかにすくめられる。

 

 本当に興味がないと言わんばかりだ。アグパー司令官は震える声で主張する。

 

「……我々は、勝った」

 

「お見事です。まさかこの短期間で【図書委員】の無限増殖カルキノスへの回答を用意していたとは。ママたちも良いものを見せていただきました」

 

 ブラフか本気か。

 女には焦りの欠片もない。

 

 アグパーの額に、冷や汗が滲む。

 ブラフであるはずだ。ブラフでなければならない。

 『アマリリス』にとっても、海軍基地侵攻戦の敗北は痛手である。そうでなければ困る。

 

 その上で司令は恐る恐る口を開いた。

 

「……停戦を……」

 

「したいでしょうね。ママたちは国家というより一つのイデオロギー。つまりテロ団体に近い。ペンタゴンのお偉いさんは全員今すぐ停戦したくてたまらない、と」

 

 長身の女はここで嗜虐的に嗤って、ギロリと米国司令官を見下した。

 

 ……しかし彼女の指摘は図星だった。

 アメリカはかつて「テロとの戦争」という大風呂敷を広げ、その結果として悲惨な結末を迎えている。

 

 正規軍同士の戦争とは異なり、対テロ戦争には『相手の首都を制圧して政府が降伏文書に署名すれば終わり』という明確なゴールが存在しない。

 非対称な消耗戦は際限なく続き、復讐は復讐を呼び、あの時のアメリカ合衆国は確実に疲弊していった。

 

 同じ過ちを、繰り返すわけにはいかない。

 

 アメリカ軍の司令官。

 この国家に責任を負う男は『アマリリス』という史上最悪のテロリストを相手に、事前準備もないまま会談の席に着いていた。

 

 これは公的な記録として残る。

 天使やアンドロイドの造物主も、それを理解した上でこの建物に『美貌』を突入させたのだろう。

 

「まず聞きたい。『アマリリス』の目的は何だ。君たちは、一体何を目指している」

 

「より良き世界を。誰もが飢えずに必要な医療を受けられる、安全で優しい仕組みを」

 

「ならば、なぜ人を殺す。『アマリリス』の力は、世界平和を現実的に実現できるほどのものだ。それほど強大な力を持ち高貴な理想を掲げながら、なぜ平和や笑顔のために使えない……?」

 

「貴方たちが思っている以上に人類存続の条件は厳しいからです。ママたちは、好きで悲劇をばら撒いているわけではありません。それが最も成功率が高く確実な道だと“知っている”から、そうしているだけです」

 

「……その条件とは何だ。……我々と共に歩むことは、本当に不可能なのか」

 

「検討しなかったわけではありません。ですが成功率があまりに低いため却下しました。ママの造物主『アマリリス』はあまりにも優秀であるが故に――多くの場合は一人で事を為す方が確実なのです」

 

「……停戦の条件は?」

 

「『スターアンドストライプ』」

 

 アグパー・ティモシー司令官は、絶望に目を見開いた。

 くすくすと笑う女は、心底楽しそうに続ける。

 

「彼女の身柄引き渡しをもって、停戦条件としましょう」

 

「……っ!! ダメに決まっている!! 彼女はアメリカの誇りだ!!」

 

「では停戦は不成立ということで」

 

 命無きアンドロイドは特に落胆した様子もなく、あっさりとこう告げた。

 

「では二ヶ月後に同じことをします。

 その二ヶ月後にも同じことをします。

 そしてそのまた二ヶ月後にも同じことをします」

 

「ふざけるな!!!!」

 

「いいえ、ママは本気です。我々はそれが可能です。というかこれでもフル稼働ではないです」

 

 彼女の声音は柔らかい。

 叱る母親のそれにすら聞こえる。

 

「唐突ですが、我々に兵站という概念はありません」

 

「……嘘だ」

 

「我々は燃料なしで動き、食料を必要とせず、給料という概念がありません。我々は“無”から製造され、そして一体一体が何もせずとも未来永劫動き続ける」

 

「嘘だ!!!!」

 

「この国が大好きな持続可能ななんとやらって奴です。本来ならその実現に喜ぶべきでは?」

 

 嘘だ。

 司令は必死にそう思い込もうとする。

 

 戦争を僅かでも知るものなら、この発言がどれほど絶望的な物なのかが理解できるだろう。

 これが本当なら負ける。本当であってはならない。嘘だという前提で考えるしかない。

 

「故に我々は領土も賠償金も資源も必要としません。民の安全、経済的な折り合い、隣国との合意。そういった現実に屈すること無く理想を突き詰める極大のイデオロギー。それが『アマリリス』です。かつてこの国が戦ったテロ団体の百倍悪質でしょうね」

 

「………こんなのは戦争と言えない」

 

「しかし貴方たちがするのは戦争です。次の襲撃までに予算を組み直し、兵器を再生産し、兵士を補充するでしょう。素晴らしい。しかしこの大国、あと何回同じことが出来ますかね?」

 

「…………」

 

「あと四回かな。我々五回目の襲撃の頃にはドルは紙屑になり米国債は暴落し、経済は石器時代に戻っていることでしょう。これでもって我々の勝利とします」

 

「……そんなことが出来るはずがない。あれほどの軍隊、お前たちも何かしらのコストを支払っているはずだ」

 

「時間という最も高いコストは必要とします。ですがそれは貴方たちも同じでしょう?」

 

 女は微笑む。

 

「……無い。それは無い前提で動く」

 

「ではテストしてみましょう。アメリカが”この”個性社会でエネルギー問題とどれほど真剣に向き合ってきたのかを……おや?」

 

 ここで様子が変わった。

 アグパー指令は訳も分からず長身の女を見上げる。彼女は少し困ったような顔でこう続けた。

 

「なるほど。中々どうして上手くいかないものです。ママがこんなにカッコつける前にやって欲しかったのですが」

 

「何……?」

 

「予定変更です。やはり怖いのはヒーローですね。世界のルールとして悪は正義に勝てないので、立ち位置の調整は丁寧にしなくては……」

 

 ―――――――――

 

 大西洋のど真ん中。

 

「ここでOKなのお兄ちゃん?」

 

『間違いないぜスター!! ここの海底に『アマリリス』の拠点がある!!』

 

 夜空は引き裂かれたように雷光が走り、黒雲がうねる。

 暴風が彼女の星条旗マントをはためかせ、足元の海が荒れる。

 

 その上空。

 随伴する戦闘機が雲を切り裂き、編隊を組んで旋回していた。

 

『やったれ、スター!!』

 

「――《新秩序》」

 

 ごう、と。

 嵐の中心で風が一瞬だけ息を止めた。

 米国ナンバーワンヒーローの指先が荒れ狂う海面に触れる。

 

「海水は、10倍の質量を持つ!!」

 

 大西洋の表層数百メートルがあり得ない質量を帯びた。

 波は波であることを忘れて巨大な鉄塊のように沈み込み、軋んで圧縮される。

 

―――――――――

 

(大西洋第三聖堂ロスト……と。こりゃアメリカ攻略はかなり先延ばしだなあ)

 

 スターの接近に気が付いて、【図書委員】や上位天使を逃がしてあげられたのが救いか。

 ダイナに持たせた警報機も中々役に立つ。『予知』を持たせた特別製のため何かと注意は必要だが。

 

 とはいえ拠点の全壊は流石に激痛。

 認めよう。完敗だ。

 霊火たちの計画は大きく後退してしまった。

 

「…………………………はあ」

 

 胸の奥に溜まった重たい息を、ゆっくり吐き出す。

 ここでムキになっても碌な事がない。意識的に呼吸を整える。

 

 確かに大被害だが、リカバリー不可能というわけでもない。

 

 アメリカで『美貌』が話した事は概ね事実だ。

 神域は、事実上の永久機関。

 補給という概念の無い『アマリリス』にとって、一つ一つの勝敗に大した意味は無い。

 

 何しろ相手は何をするにも莫大な金がかかる。

 原価ゼロの天使をけしかければ、相手は一発数億円のミサイルを撃つ。この構造が成立している以上こちらが消耗戦で負ける道理はない。

 最初から最後まで、愚直に、飽きることなく同じ手を続ければ『アマリリス』は必勝だ。

 

 効くと分かっている戦術を擦り続けるのは、戦争の鉄則でもある。

 

 その上こちらの人間は霊火一人。

 肝心の霊火ですら必須のパーツというわけでも無い。

 あの『神域』は未来永劫製作者の思想のまま動き続ける。

 

 もちろん、アメリカ側だって馬鹿ではない。

 彼らは文字通り死ぬ気で対『アマリリス』の研究を続けるだろう。

 

 『神域』の優位性がいつまで保てるかについては過信しない方がいい。

 実を言うとこの点に関しては、霊火でさえ油断すると危険な要素でもある。

 なにしろあの国は、遥か昔にわずか三年で基礎理論の確立から核兵器の製造にまで到達した実績があるのだ。

 

 そして今のアメリカは、まさに死線の上に立たされている。

 追い詰められたら怖いのはヒーローや敵だけではない。追い詰められた国家ほど危険な存在も無い。

 彼らはとんでもない速度で技術を発展させてくる。それは容易に想像がついた。

 

 逆に言えば、追い詰められて本気になったアメリカ相手に兵器開発速度勝負で勝てるという自信があるからこそ、『アマリリス』はあの大国に戦争を仕掛けている。

 

 この世界に本物の天才というものを見せてやろう。

 

(……だから私が生きている間に決着をつけたいんだよねえ。あんまり時間を与えてうっかりタイムマシンとか開発されちゃったら超怖いし)

 

 その意味でも主要大国は早めに手折っておきたい。

 

 『永夜』を絡めたセットアップ。

 こちらから仕掛ける分には極めて有効な通商破壊。

 『検死官』としての権能をフルに使った破壊工作。

 アンドロイドたちによる暗殺の連打に高度差速度差を押し付けた空爆。

 非生物の利を活かした感染症や化学兵器の運用など選択肢は多い。

 

 正直なところ、【図書委員】の“蟹”を大雑把に解き放って虐殺祭りにするのが、一番手っ取り早い。

 だが、それは最後の手段だ。

 

 軍人は殺されるのも仕事のうちだ。

 だが民間人は、そうではない。

 

 無抵抗の一般人を無差別に殺しまくるのはやや行儀が悪い。

 今の霊火には余裕がある。

 別の方法があるのならそちらを選ぶべきだ。

 

(まあすぐに頭から抜けるだろうなこれ)

 

 小学校の帰り道にアスファルトの白線の上を歩き続けるようなものだ。

 自分ルールは自分ルール。特に代償があるわけでもなく、本人が微かに落胆するだけの些細な拘りに過ぎない。

 

 そしてアメリカ以外の国は、霊火たちの攻撃を耐えきれないだろう。

 どんな技術を隠し持っているか分からない『ドクター』や、未だ姿を見せない『姉』といった不安定要素はある。

 だが現実的に、世界征服はすでに視界に入っている。

 

「……な……に?」

 

 身体が重い。

 視界の端がわずかに滲み、足の裏の感覚が薄れていく。

 

 時刻は夜の七時。

 そろそろ救助活動も一区切りし、日本にもアメリカの歴史的勝利のニュースが届くころだ。

 

「霊火さん!!!!」

 

「ん……?」

 

 好きな男の子の声で呼ばれて、振り返ろうとした。

 

 霊火はその声を聞いただけで泣いてしまいそうになった。

 少女は彼の方を見ないまま、生返事を返す。

 たった一言。それだけのやり取りにすら感情の揺れが滲み、霊火は小さく肩を震わせた。

 

 緑谷は、罪悪感でひび割れた声でこう言った。

 

「……本当にごめんなさい。霊火さんを巻き込んじゃった」

 

 丁寧にセットした髪も、考え抜いたコーデも、煤と埃に汚されてしまえばかえって虚しい。

 

 が、実を言うと霊火はそれどころではなかった。

 身体の奥で何かがぷつりと切れた感覚がした。

 

「……出久く――」

 

「霊火さん!?」

 

 視界が、ぐらりと歪む。

 地面が傾いたのではない。自分自身が崩れている。

 

 次の瞬間には霊火は緑谷の腕の中にいた。

 意識が一瞬飛んだ。時間軸が取れなくなってきている。

 

 小柄な体を両腕で抱え込む形になりながらも、彼自身はほとんど体勢を崩す気配は無い。

 ぐったりした霊火を受け止めてくれている。

 

「霊火さん大丈夫!?!?」

 

 返事をしようとしても喉が動かない。

 声が形にならない。視界は白く滲み、音が遠ざかっていく。

 代わりに身体の奥からじわじわと熱が湧き上がってくる感覚だけが、異様なほどはっきり主張しだしていた。

 

(あ……あれ……?)

 

 マズい感覚だ。

 病弱極まりない身でも初めての感覚。

 

 寿命という名の死神の気配。

 殻木霊火のタイムリミットはもう長くない。

 

「……っ、霊火さん!? 返事して!!」

 

 緑谷は慌てて彼女の額に手を当て、息を呑んだ。

 

「……酷い熱だ。霊火さん、しっかり、気を強く―――――――――」

 

 なるほど。映画に行けても結果は同じだったか。

 

 この思考を最後に、霊火の意識は落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 




踏んだり蹴ったり




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