七月末の海浜公園は湿気と熱気が強烈なうえに潮と廃棄物の臭いも合わさって強烈な不快感だった。
照り付ける太陽の下、砂からは熱気が立ち上り空気そのものが重たく感じられる。
吹き抜ける潮風もただの熱風と化し、影すらも暑さを逃れる場所ではなくなっていた。
「あっっつ……」
霊火は日傘を片手に錆びついたベンチで休んでいた。
制服のリボンを少し緩め、額に浮かぶ汗を制服の袖で拭う。暑さで髪が首筋にへばりつく感覚が鬱陶しい
今日は一学期最後の日。誰もが夏休みに浮かれて自由に過ごす日。
視線の先では、緑谷出久が奮闘していた。
壊れたドラム式洗濯機を砂浜で引きずる彼のジャージは、汗を吸って完全に色が変わっている。それでも彼は休むことなく、巨大な廃棄物と格闘を続けていた。
(よくやるなぁ……)
緑谷出久は、霊火の知るあの日から毎日欠かさずこの海浜公園でトレーニングを続けていた。
最初はちょっと大きな家電一つも動かせずに少し運動しただけで吐くほど虚弱だったが、今の彼は最初に比べれば見違えるような体力を手に入れていた。
霊火は毎日とは言わずとも余裕のある日は可能な限りこの海浜公園にきて、彼を見守るのがルーティンワークとなっていた。
霊火は今日も緑谷の、果てのない掃除をぼんやりと眺める
遠くでは、カモメの鳴き声も聞こえる。夏の陽炎の向こうで、海面はギラギラと銀色に輝いていた。
霊火は緑谷の奮闘を眺めながらのんびりしていると、ふと自分ののどが乾いていることに気が付いた。
(ああそういえば……)
続けてここに来るときにいつも買っている飲み物がない事に気が付いた。
今日は午前授業だったので何となくいつものテンポがずれて、買うタイミングを逃したのだ。
「あー……何か買いにいこ」
トレーニングを続ける緑谷から視線を外して、ベンチから腰を上げようとした。
「…………あれ?」
視界がぐらりと傾く。頭部に強い衝撃。少し遅れて、霊火は自分がベンチから転がり落ちたことに気が付いた。
砂が口に入る。視界が歪む。差していた日傘が風に吹かれて飛んで行くのを、地面に横になりながらただ見送った。
「っ殻木さん⁉ 大丈夫!?!?」
緑谷がこちらに気が付き、叫ぶ。
こちらに駆け寄ってくる彼の足音を聞きながら、霊火は目を閉じた。
――――――――――――――――――――
緑谷に背負われて飛び込んだコンビニの中は冷房が効き、外の炎天下とは打って変わって快適だった。
イートインコーナーの窓際の席で、霊火は申し訳なさそうに俯いている。テーブルの上には、既に空になったスポーツドリンクのペットボトルが置かれていた。
「ほんとごめん……邪魔しちゃってるね私……」
霊火の小さな声に、緑谷は慌てて首を振った。
「気にしないで! 殻木さんの体調が一番だよ それで調子はどう? 本当に救急車呼ばなくていい?」
「大丈夫……」
完全に油断していたというかなんというか。
霊火には事情があって、自分の体の感覚が常人よりも鈍感なのだ。暑いとか寒いとか、喉が渇いたとかおなかがすいたとか、そういう生きていくうえで必須の感覚が弱い。
今日はその典型的なパターンだった。あんなになるまで気が付かないとは……。
窓の外では照りつける太陽が容赦なく地面を焼きつけている。
平日の昼下がり、海沿いのコンビニには他の客の姿はなく、レジ係が時折二人の方を気にしながら品出しをしている程度だった。
霊火は少し体調が戻ってきていたものの、まだ全快とはいいがたかった。緑谷は心配そうにこちらの様子を窺っていた。
「殻木さん、何か欲しいものある? アイスとか食べる?」
「あ、食べたいかもソフトクリーム……。 ちょっと待って、お金渡すから……」
「いいよ今日は僕が払うよ! 僕いつも殻木さんにはお世話になってるから!」
彼は止める間もなくレジに走って行ってしまった。
霊火はかなり真面目に反省する。
(脱水症状だったな……水分補給は意識してやらないとってわかってたのに……)
「アイス買ってきたよ!」
「ありがとう緑谷……」
コンビニのアイスは熱された体にしみるようなおいしさだった。ゆっくりとアイスを口に運ぶと、少しずつ体温が下がっていくのを感じる。
「本当に大丈夫?」緑谷は依然として心配そうな表情を浮かべている。
「うん、もう大丈夫」霊火は小さく微笑んで答えた。「助けてくれてありがとうね」
「い、いやいやいやいやいや! 大丈夫そうで安心したよ!」緑谷は慌てて手を振りながら、「でも、無理して僕に付き合う必要はないからね。暑くなってきたし……それに殻木さんは受験もあるでしょ? 僕のことは気にしなくていいから」
「そっか……今日みたいなことがあると邪魔だもんね」霊火はぽつりと呟いた。
「え!? そ、そういう意味じゃなくて……!」緑谷は慌てふためいた。
「冗談だよ」
霊火は小さく笑った。緑谷はからかわれたことを理解するまでに数秒かかったようで、その後急に再起動したかのように慌てて早口で話し始めた。
「い、いやそうじゃなくて! 殻木さんが来てくれるだけで、すごくモチベーションが違うし、時間管理もしてくれるし、来てくれるだけで本当に嬉しいんです! だから、その、あの……」言葉を詰まらせながら、緑谷は早口でブツブツと言い続けた。
霊火は緑谷の慌てふためくいつもの様子を見て満足する。
そしてほどほどのところで遮る。彼との会話も慣れたものだ。
「ごめんごめん! それに私の成績のことは心配しなくていいよ。 知ってるでしょ? 私の成績」
「う……うん。 ずっと一番だもんね殻木さん…… 僕が心配するようなことじゃないね」
「全科目満点だぞ讃えろ~~」
殻木霊火、『ドクター』の関係者で、これでも助手みたいなものなのだ。
良くも悪くも頭だけは本当に良かった。
ましてや公立中のペーパーテスト程度でミスするわけがない。
「まあ緑谷も勉強に困ったら言ってね。 雄英志望でしょ?」
「う……うん。 そっちはもしかしたらお願いすることになるかも……」
緑谷は申し訳なさげにそう言った。
彼が目指す雄英高校は偏差値79の日本最難関の学校だ。テスト対策も決して軽視できるものでもない。
ただ、それ以前に緑谷が”無個性”でどう雄英に合格するつもりなのかがさっぱりわからないけど……。
「そういえば、殻木さんは進路希望どうしてるの?」
「ああ、私はうちが病院だからそれを継ぐつもりだよ。 だから普通に進学するつもり」
「え? 殻木さんの家って病院なの!?」
「まあ……うん……」
「なんで遠い目をするの……?」
蛇腔総合病院は立派な病院だが、なんとも答えづらい話だった。
そもそも霊火は殻木球大(ドクターの表の名前だ)の養子という扱いだ。
が、その辺りにあまりにも後ろ暗いことが多すぎるため、深掘りされるのは霊火の本意ではなかった。
「そっか……それじゃあもし僕が怪我したりした時は殻木さんのところでお願いしようかな」
「絶対やめろ」
「なんで⁉」
そんな無駄話をしていると、霊火は少しずつ体力が戻ってきているのを感じた。
軽く深呼吸をする。
「そろそろ大丈夫。海浜公園に戻れるよ」
「え? 本当に大丈夫なの?」緑谷は心配そうに霊火の顔を覗き込む。
「大丈夫大丈夫。どっちにしても貴方あまり時間ないでしょ?」
霊火はパッと緑谷の手を取って、そのまま引っ張って立ち上がらせた。
――――――――――――――
日が沈み始めた海浜公園に、紫がかった夕闇が忍び寄っていた。潮風が運んでくる海の香りと、漂う生暖かい空気が混ざり合う。昼間の灼熱地獄とは打って変わって、少しずつ涼しさが戻ってきていた。
街灯の淡い光が公園を照らし始める中、霊火はスマホの画面から顔を上げた。
その横では、緑谷が今にも倒れそうな様子で清掃活動を続けていた。汗で髪が額に張り付き、疲労の色が濃く出た顔をしながらも、まだ懸命にゴミを運び続けている。
「HAHAHAHA!!!!」
夜の海浜公園にアメリカンな笑い声が聞こえてきた。
二人の元に、金髪の痩せた男がやってくる。
彼は八木という人物で、ヒーロー事務所の事務員として緑谷のコーチを務めている。彼は何かとここにきて緑谷を指導しており、霊火とも顔見知りだ。
「私が仕事を終えて来た!」八木は元気よく声を上げた。
「八木さん!!」緑谷は疲れた顔に笑顔を浮かべる。今日一嬉しそうだ。
「お、少し進んだんじゃないか?」
八木は周囲を見回しながら言った。それから霊火の方に向き直り、「殻木少女、今日も見守ってくれてありがとな」と声をかけてきた。
曖昧な表情を浮かべ、誤魔化すように小さく頷く。
霊火は相変わらずこの八木という男はほんのりと苦手だった。
本当は害のない人だとは分かっているのだが……。
「それじゃあ緑谷少年、もう一息だ!」
八木は激を飛ばした。その言葉に緑谷の顔が一瞬で真っ青になった。
霊火は心の中で「鬼か」と思いながら、八木が自分の隣にちょこんと座るのを見る。
「いやあ君には本当に感謝してるんだ」八木は静かな声で話し始めた。
「改めてお礼を言わせて欲しいな。緑谷少年を見守ってくれてありがとう、殻木少女」
「まあ好きでやっていることですから」
そう言って視線を逸らした。
「…………もし差し支えなければ、どうしてそこまで緑谷少年を……」
八木は言葉を選びながら続ける。
霊火はそっぽを向いた。
「おっと、すまない! 無理に答えなくていい!」八木は霊火の様子に気づき、慌てたような表情を浮かべる。
「まあ正直に言うと……」霊火は少し考えながら言葉を選んだ。
「最初は"無個性"の人間がどうやって雄英に入るつもりなのか、疑問に思って見ているだけです」
これはまあ本心だった。
海浜公園で見守るのがどこか落ち着くようになったから、というもう一つの理由は秘密にして霊火は言葉を続ける。
「……かわいそうですよ。出来ないことに希望を持たせて頑張らせるって」
これもまた本心だったが、トレーニングを続ける緑谷を眺めながら零れた言葉は、言った本人の霊火が思う以上に明確に非難の感情で溢れていた。
「大丈夫。 彼は立派なヒーローになるさ」
隣に座る八木という男の意思はぶれない。
完全な自信、絶対の確信に裏付けされた聞くものを安心させる発言だった。
霊火はバカにしたように鼻を鳴らした。
こんなこと言って具体的な策を何も語らない、この男のこういうところが霊火は苦手なのだ。
Q、本当はなんで八木が苦手なの?
A、霊火が本当は敵で八木が本当はオールマイトだから
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