昼休み中に流れた校内放送で授業は午前で切り上げになると発表された。
九月の上旬、台風の接近。
つまりは本格的に雨風が吹く前に家に帰れという学校のお達しである。
「こうなるって分かってるなら最初から休校にすればいいのにね」
「きっと先生たちにも何か事情があるんだよ」
靴箱のある昇降口は帰宅を急ぐ生徒で一気にごった返し、物音と騒がしい声が混ざり合う。
霊火と緑谷は混雑を避けるように少し離れた場所で立ち止まった。
緑谷はスマホの画面を見て少し困った顔をする。
「あ、八木さんからメールが来てる。今日は家に帰りなさいだって」
「台風だもんね」
清掃活動をしている海浜公園は当たり前だが海辺にあるので、こんな天気で行くのは自殺行為だ。
霊火がちらりと窓の外を見ると空は既に不吉な灰色に染まっている。それに木々の揺れ方を見るに風は相当強くなっているようだ。
二人が靴箱前でもたもたしていると、低く唸るような声が背後から聞こえた。
「おい、デク」
振り返ると金髪のツンツン頭で三白眼の悪人面の男がこちらを睨みつけてきていた。
制服にスポーツバッグを持っていかにも今から帰りますといった格好だ。ズボンを腰履きしていかにも不良といった印象を持たせる容姿だったが、それを裏切らずいかにも機嫌が悪そうだった。
「か、か、か、か、か、かっちゃん…………!」緑谷は一気に萎縮してしまう。
爆豪は二人に近づき、霊火の方をジロリと見た。
「なあおい、このチビ女とつるんでいったい何やってやがんだ、言ってみろよ? あ!?!?」
身長が同学年の女子の中でもかなり小さい霊火は、緑谷を見上げてどうするこいつという意味を込めて肩をすくめる。
しかし緑谷はまだフリーズしていた。その隙に爆豪は更に詰めよってくる。
「なあおい、てめえ…………まさかとは思うが、なあ、まだ雄英目指すなんて夢を見てんじゃねえだろうな⁉!?!?」
フリーズこそしていたが、緑谷の体つきは海浜公園の清掃活動が実を結び、明らかに筋肉質になっていた。霊火から見ても本来学校で喧嘩を売られるような体格ではない。
春ごろと比べるとまるで別人だ。まあ緑谷を知るものであれば雄英を目指していると推理できてもおかしくない激変ぶりだった。
「べ、別にいいじゃないか! 目指すだけなら自由だろ⁉」緑谷は精一杯の勇気を振り絞って反撃した。
「よくねーよ!! "無個性"で何するつもりなんだボケ!」
BOM!と効果音付きで爆豪は怒りを爆発させる。
「あー、それは私も本当に不思議に思ってる」霊火は嬉々として参戦した。
「殻木さん!?!?」
いきなり背後から撃たれた緑谷はぎょっとした顔でこちらを振り返ったが、その反応に爆豪の目は更に吊り上がった。
「こっち見ろ!!!」
爆豪の大声に緑谷も霊火も、周りにいた生徒たちすらもビクッと体を震わせた。
「なあデク、そろそろ諦めろよ。な! そろそろ進路について真剣に考えなきゃいけない頃だぞ。な?」
怖い笑顔で詰め寄ってくる爆豪に霊火はドン引きする。これでヒーロー志望なのか……。
爆豪の発言に周囲の雰囲気が最悪になる。誰もが物音を出すことを避けるような最悪の空気だ。
「おーい! 爆豪!」
昇降口の向こうから声が響いた。
爆豪は一瞬その方を向いたが、すぐに緑谷に視線を戻した。鋭い眼光が緑谷を射抜く。
「チッ」
舌打ちをした。爆豪は最後にもう一度緑谷を睨みつけると、踵を返した。
制服のズボンが擦れる音と、いらだたしげな足音が静かになった廊下に響き、爆豪は去っていった。
「ねえ緑谷……前から思ってたけどあの人大丈夫? だいぶ情緒不安定じゃない?」
「かっちゃんは昔からあんな感じだから……」
「それはそれでダメだと思うけど……?」
二人の会話に場の空気が一気に弛緩する。周りの生徒たちも何事もなかったかのように動き始める。
霊火は爆豪については未だに疑問がいっぱいだったが、緑谷との関係についてはひとまず放っておくことにした。
幼馴染の男同士の関係性など複雑怪奇で女の私には手に余る。
なんだ? 普通仲が悪くなったなら関わらなくなるだけじゃないのか?
霊火は頭を振って爆豪のことを頭から追いやり気を取り直すように話しかけた。
「それじゃあ今日は勉強?」
「うん、今日はそうするしかないね……」
「私が手伝おうか?」
「あ、そうしてくれると嬉しいかもしれない!」
「りょーかい。緑谷の家でいいよね?」
「えっ?」
――――――――――――――――――――――――――
マンションの廊下に緑谷と霊火は立っていた。ドアの脇の表札には緑谷と書かれている。
これといって特筆することもない、一般的な集合住宅の普通の玄関先だ。
緑谷に考える隙を与えず即断即決で家で勉強することを了承させた霊火は、スンとした顔で緑谷を見上げていた。
緑谷は自宅のドアの前で固まっていた。
「意気地なし」
「あの、えっと、その……女の子を家に連れて行くなんて……お母さんにどう説明すれば……」
「別に彼女というわけでもないんだし、勉強教えてもらいに来たって言えばいいでしょ」
しかし霊火の言葉は届いていないようで、緑谷はずっとドアの前でガチガチに緊張したまま立ち尽くしている。
「ああもう、風も強くなってきたし入ろうよ」
緑谷をつついて先を促す。
カチコチに固まった緑谷は、まるで他人の家に帰るかのような奇妙な動きでドアを開けて、
「た、ただいま帰りました……」と玄関に踏み込んでいった。
「お邪魔します」霊火も続いて入る。
玄関に入ると奥からどたばたと足音が聞こえ、緑谷の母親が出てきた。
ふっくらとした優しそうなお母さんだ。驚くほど出久に似ている。
「いらっしゃい! えっと……あなたが出久のお友達?」
「初めまして。出久くんのクラスメイトの殻木です。今日はお世話になります」
丁寧に挨拶をすると、緑谷の母親はかなり動揺した様子を見せる。
想定していたものとは異なる反応に、霊火があれ?となる。その隙に緑谷が再起動した。
「あ、あの! お母さん、この子が前話してた殻木さん。今日は勉強を教えてもらおうと思って……」
「あ…………まあ! そうだったの! いらっしゃい! ゆっくりしていってね!」緑谷母は驚いた表情から歓迎の表情に切り替えた。
緑谷は怪訝な顔の霊火を室内に招き入れ、部屋に押し込むと、その後すぐに
「後でお菓子とか持ってくるからね」と言って席を外した。
部屋を見回した第一印象は、男の子の部屋にしては意外と片付いているというところだった。
そしてそこかしこにオールマイトのグッズが並べられている。
ヒーローコレクションには全く興味がないのでそこは華麗なスルーを決め、霊火はフローリングに置かれていたクッションに勝手に座り込んだ。
廊下の方から母親と緑谷の会話が漏れ聞こえてくる。
「いいいいい出久⁉ 出久が話してた殻木さんって子、女の子だったの⁉」
「え⁉ 僕言ってなかったっけ⁉」
霊火はさっさと勉強道具を取り出して、勉強机の上に並べていく。
ついでにバッグの中から赤ふちの眼鏡を取り出してかける。
クッキーやチョコ、お茶の入ったコップを二つ載せたお盆を持って部屋に戻ってきた緑谷は霊火を見て目を丸くした。
「あれ、殻木さん目が悪かったの?」
「普通に伊達メガネ。どう? 似合ってる?」
「う、うん……なんか、その……賢そうに見えるというか……」
「これもしかして褒められてない?」
「そんなことないよ! すごく似合ってるよ!」
――――――――――――――
時計の針が夜の9時を指す頃、霊火は玄関でローファーを履いていた。
緑谷と緑谷母が見送りに来てくれている。
「今日はご飯までごちそうさまでした。とてもおいしかったです」
「それは良かったけど……ねえ殻木さん……? こんな天気だけど、大丈夫? 危なくない?」
緑谷のお母さんが霊火に心配そうに尋ねる。出久も不安そうな顔だ。
「家、超近いので大丈夫です。予定もありますし……」霊火は軽く答える。
ドアを開けると、ゴオッ!!!と強烈な風に体を持っていかれ、霊火はたたらを踏む。
外は台風の真っ只中だった。強風に煽られた雨が横殴りになっており、街灯の明かりが揺れている。
「…………………………」
「…………………………」
緑谷母子が一層不安顔になった。霊火もだいぶ心配になった。
「ねえ殻木さん本当にこれ大丈夫? 思ったよりも台風強そうだしもうちょっと収まるまでここにいない?」
出久が助けを申し出てくるが霊火は精一杯の笑顔で大丈夫大丈夫とジェスチャーを返してさっさと歩を進めた。
これ以上引き止められないうちにさっさと外に出る。
「お邪魔しました緑谷さん! それじゃあ出久くんもまた明日!!」
風の音にかき消されないように全力の大声で叫ぶと霊火は精一杯の力で風の力に逆らってドアを閉めた。
緑谷宅から脱出した霊火は雨風の音しか聞こえない中で、早足で廊下を歩く。
緑谷宅のマンションは長い廊下の端にエレベーターと階段がある一般的な形のマンションだ。廊下は半分吹き抜けになっているが、エレベーターのある所まで行くと屋根がある。
そのエレベーターホールのところまで行くと霊火はそっと息をついた。
そこから霊火はエレベータではなく外付けの階段の方に進む。
階段の方は屋根がなく大雨が直接当たるためすぐにびしょぬれになってしまうが、霊火は気にしなかった。
「仕事の時間だよ黒霧」
そのまま数秒後、男の声が響いた。
「準備はできています。座標も貴方が指定した所に繋げます」
真っ黒の霧が目の前の空間に広がる。
"個性"ワープゲート。霊火は満足げに目を細めた。
「上出来」
霊火は何のためらいもなく、霧の中に踏み出した。
次の瞬間階段を踏み外したような感覚が霊火の全身を貫く。
霊火の目に映る景色は、既に一瞬前までの雨の日の住宅街から書き換わっていた。
先ほどまでとは比べ物にならない豪風と大雨の音が霊火の耳を打つ。なにしろ真下にあるのは雨に濡れたコンクリートの階段ではなく、遠くに見える果てしなく続く水面だ。
ここは太平洋のある一点。海は台風で大荒れで、波は不気味にうねっている。
「完璧」
落下し始めた霊火は前方に赤い光を見つけて会心の笑みを浮かべる。
その光の主は小型のレジャー用クルーザーだ。小型とはいっても全長20メートル程はあり、赤い航行灯を光らせて台風の中で揺れていた。
霊火は先ほどまでの勉強会で緩んでいた思考が急速に冷却されているのを感じる。
ここからは『検死官』、つまりはお仕事の時間だ。
「さて」
そっと息を吐くと、学校指定の黒のセーラー服とローファーを組み合わせた黒髪の少女は、落下しながら真下の空間に向けてさっと左手を振った。
手の動きに沿って白い靄のようなものが発生し、実体化する。
”個性”『
上に何かを乗せることができる”雲”を作り出し。操る異能。
かつてヒーローを目指していたとある青年の、遺した能力の成れの果てだった。
ワープゲートの位置は海面40メートルほどの高さに展開されていた。
普通に落下すれば少女はゲートをくぐって3秒後には、時速100㎞の速度で水面にたたきつけられ、嵐の海で死亡しただろう。
しかしそうはならない。
霊火は落下することなく自ら生成した小さな白い雲の上に立ち、確かに空中にとどまっていた。
続けて霊火は右手の上にパッと小さな光を灯した。
揺らめくそれは『死因』の”鬼火”だ。それはかつて霊火が路地裏で回収した炎そのものだった。
”個性”『死因』
人が死亡した現場からその情報が詰まった”鬼火”を抽出し、収集する異能。
こちらは霊火が元々所持している”個性”だ。一度採集した鬼火は任意で取り出すことも出来る。
青白い炎の明かりを頼りに、霊火は雲を動かしてすいーっとクルーザーに乗り込んだ。
船は高級レジャー用のクルーザーだったが、人の気配はない。雲の上からトン、と甲板の上に降り立つ。
デッキには高価な釣り道具が放置されたままで、キャビンの中も豪華な調度品が散乱していた。
明らかに人がいた形跡があるのに誰もおらず、霊火は幽霊船を連想した。
「私の接近に気が付いて逃げたなら相当なものだけど……」
霊火の調査が正しければこの船を所有しているのはとある大物
まあ間違いなく一筋縄ではいかない相当な曲者なのは確かだった。
船内は暗く鬼火の光で青く怪しく照らされている。船自体が揺れているせいで足元は不安定で、外の波の音や船自体の物音で雑音がひどく、人探しをするのに耳を頼りにするのは難しい。
しかし霊火は数分の捜索の末、キャビンから船底に行くメンテナンス用の扉を見つけた。
「ふうん」
床下収納のような扉。その取っ手を掴もうとして、その手が止まった。
霊火はデッキに戻って転がっていた水差しを一つ手に取り、中の水をかける。
ズヴァヂィ!!!!
凄まじい放電音が響き、青白い火花が散らばった。
「…………………………」
霊火はため息をついた。
これは面倒な仕事になりそうだ。
――――――――――――――――――――
元はといえばこういう話だった。
時を戻して五日前。
蛇腔総合病院の地下深くに位置する研究室。壁一面に並ぶ試験管や瓶には不気味な色をした液体が保管され、青白い蛍光灯の光が金属製の実験器具を冷たく照らしていた。
「霊火、大事な話がある。よく聞きなさい」
「……嫌だけど。今度は何?」
ドクターが重いトーンで話を切り出したとき、霊火は真剣に背中を向けて逃走するべきか悩んだ。
大抵こういう時はろくでもない話だと相場は決まっているのだ。何しろ相手はあの『ドクター』だ。
嫌な想像はいくらでもできる。
「霊火、雄英高校に進学しなさい」
「いきなり親みたいなこと言うじゃん」
「霊火のためを思って言っておるのじゃよ」
しかもかなりめんどくさいタイプの親だ。思っていたのとは違ったけれどこれはこれで嫌だ。
霊火はどっと脱力して身を投げ出すようにその辺に置いてあった机に座りこんだ。
「ええー……敵がヒーロー育成高校にいって何すればいいの……?」
「別にヒーローになれとは言わん! だがあの学校は来年、大物のヒーローが教員になるという情報が入ってきた」
「誰?」
「オールマイト」
霊火は目を細めた。
オールマイト。日本ナンバーワンのヒーロー。平和の象徴。
言わずと知れた
「まあ……行けって言われたら行くけど……何、スパイすればいいの?」
「いや、霊火は自由にやってもらっていい。好きに行動してくれ。」
「なんだそれ……」
諦めたように首を振る。ある意味スパイをしろと言われるよりも難解な指示だった。
霊火は頭を切り替えて考える。日本最高のヒーロー養成機関で活動するには何が必要か。
「じゃああれが欲しいかも。あのブローカーの”個性”」
「ほう! 霊火はあれを選ぶか! 流石ワシの愛娘じゃ! あの方やワシとは考え方とか感性が全然違うのう! ホ!」
「私から見ればドクターたちが二人そろって最強最悪の戦闘力にご執心なのか理解できないんだけど……」
殻木霊火、ドクターに造り出された、数多の試作品の中の一つ。
悪から生まれ悪のために作られた少女はクスリと笑ってこう続けた。
「『混濁』、あの”個性”があれば雄英高校のヒーロー科といえどもかなり自由に動けそうじゃない?」
親愛なる友人と同じ学校に行きたいという個人的なちょっとした願望は、ひとまず心にしまい込むことにした。
何ならオールマイトにはもう会ってる
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