「まいったなあ……、いや本当に困ったな……。ぇえ……本当にどうしよう……」
足音と独り言が虚しく反響する。
深夜の地下鉄。点々とした非常灯が唯一の光源。つまりは真っ暗なトンネル。
殻木霊火は目が良いため暗闇である事自体は全く問題ないのだが、八百万百が
「うぅ……いや別にヤオモモがどうなろうとどうでもいいっちゃいいんだけれど……」
先ほどの発言と矛盾するが、八百万百に何が起きたとしても霊火は一切困らない。
文字通りの意味で本当に何一つ不利益は被らない。
とは言え一応は学友。それも相手は筋金入りの善人だ。一般市民がどうなろうと知ったことではないが、名前と顔が一致してしまう友人となると霊火の内心も穏やかではない。
「……大人しく殺されたなら逆にマシなんだけれど」
我ながら常識を疑う一言が飛び出したが普通に本心からの発言だった。
霊火とて強酸目薬チャレンジで泣き叫ぶヤオモモなんて見たくない。彼女が非常に綺麗な女子高生というのも強烈な心配ポイントだった。“個性“が強すぎるため金の卵を産む家畜扱いコースもそこそこ高確率。生きた脳無コースもめっちゃある。
「うおおマジで勘弁してくれ……」
霊火は頭を抱えた。『死因』持ちはこういう時辛い。
いわゆる“悲惨な末路“の解像度が並の人に比べて高すぎるのだ。
霊火の“個性“は『死の瞬間を分析出来る』というと聞こえがいいが、実際やってる事は『スナッフムービーを見る能力』みたいな物だ。故に精神的な負荷が大きい。
しかも”個性”の性質上、被害者の絶望とか恐怖とか諸々をガッツリ読み取る凶悪な仕様のため臨場感も桁違いだ。並の人に1回でも“鬼火“を読み込ませたらそのまま余裕でPTSDになると思う。
様々なパターンのヤオモモ死亡例を、死ぬほど細かいディテールまでガッツリ想像してしまって遠い目になる霊火。
文量が多くなりすぎて不謹慎な読み物扱いされがちなネット百科事典の凶悪事件項目どころではない。霊火に言わせればあのレベルは、世に出てる以上まだ浅い。悲劇度の比較など虚しいだけだがもっと最悪なパターンもあるにはあるのだ。
なにしろ霊火の仕事はそういう事件を隠蔽し、関係者という関係者から利益をむさぼる事なのだから。
まあ実際に“鬼火“になってしまえば楽しめるとは思うが、流石にその『死因』は欲しくない。
この展開が嫌だったから彼女の周りを超重力で封鎖したというのに何でこんな事になったのだろう。
「うぅううぅうぅ………ああもう八百万百を勧めたの私なんだよなあ……大人しく
一方で、霊火の冷静な部分はこうも思っていた。
八百万が立ち回りをミスって無間地獄に陥った場合、最悪の場合は霊火自身の手でサクッと暗殺してしまえばいいだろう。
ここまで考えた末、霊火は1人で首を傾げた。
「……いや待って。
思いついてみれば、ここまでこの可能性が出て来なかったのが不思議なぐらいだった。
『創造』なんてハイパー激強“個性“が敵の手に渡るなど普通に悪夢過ぎる。『〇〇を操る』系の“個性“が軒並み凶悪な事になりそうだ。霊火自身もそういう応用法を考えているし。
霊火は0.3秒ぐらい考えた末、いきなり興味が薄い他人事テンションになってこう結論付けた。
「しゃーない。あの子が『創造』を回収したら『透視』メガネと『ブラックホール』銃のコンボで影も形も残さず消し飛ばすか……少なくとも痛くはないでしょ」
リスクが、同級生一人分の命が持つ価値を完全に超えた。
こうなってしまうと暗殺一択。
他の選択肢はあり得ない。ご丁寧に『二倍』八百万を置いていってくれたお陰で、下手したら一生発覚しないし。
最後の最後に真っ黒な部分が顔を出した。
テレビゲーム感覚。“まあいっか“で自分ルールを投げ捨てて最適を取りにいける人間性の欠如。
そもそも『死亡者ゼロ』なんて無理に目指す必要無いのだ。基本的に霊火側に何の恩恵も無いわけだし。
(……ま、『ブラックホール』で消し飛ばされる人間の鬼火はちょっと興味あるしね)
これを口に出さないだけの良識は残っていた。
だから何だという話ではあるが。
―――――――――
「イージーゲーム過ぎて逆に心配になるなこれ」
雨が打ち付ける廃ビル内。
最近不運気味な霊火は1人で首を捻っていた。絶好調すぎる。
仮にも研究者として幸運や不運が交互にやってくるなどという非科学は信じていないが、それでも『死因』を見ていると運命の流れみたいなのが見えることがある。
一つ確実に言えることがあるとすれば、人が不意に死ぬときがあるとすればそれは絶好調の時だ。
人は、何かが上手くいくと次も上手くいくと信じる。例えそれ偶然だとしても上手く行き過ぎた人間は自分のスペックを見誤りがちだ。
そしてそのまま取り返しのつかなくなる位置まで突っ込んで、当たり前のようにそのまま死ぬのだ。
身分相応な位置にい続けるというのは表でも裏でも長生きに必要なスキルだ。人生というのは欲をかいた奴から死んでいくように出来ている。
「……まあ私って元々こんな感じだもんな。ヒーロー科にいること自体が相当無理しているというか……」
普通に死ぬほど危険な悪党サイドの霊火にとって、今のように1人きりというのは非常にやりやすい環境だ。
真っ赤な影にノイズ音。次々と異形のテクノロジーが顔を出す。このシチュエーションならば“都合が悪い“戦力も存分に投入できる。
何にしても久しぶりに呼吸が出来たような安心感だった。
そして雄英高校生徒という枠組みさえ抜ければ霊火はかなり強い。
あの『AFO』に媚びず、彼の縄張りを土足で踏み荒らして死んでいないというのはそのまま実力の証明でもある。
というか『検死官』なんて真っ黒な秘密を握りまくりの役割、敵対=即死クラスのレアリティを維持しないとやってられないのだ。
「結局7人で全員なのかな? あの爬虫類男がいないけれど……運がいいのか勘がいいのかは判断に困るところだなあ」
始末。
自分を狙った残念な悪党を殆ど全員殺した霊火はご機嫌だった。
因みに半死半生の放火魔に関しては『死因』で霊火を狙ったものではないと発覚しているため、一応殺すリストから外してある。
(あのバカ長男、音の方向に取り敢えずで火炎放射するってどういう神経してるんだ……?)
そして今回の暗殺、霊火はそこまで難しい事はしていない。
何しろ黒霧が敵を放出する地点に逐一サインを残してくれているのだ。あの真っ黒な彼の『こいつらを殺せ』という思念がこちらまで何となく伝わってくる。
つまりかくれんぼというよりはスタンプラリーに近い感覚だった。
欠伸混じりで一つ一つ、命を指先で潰していく。
どうやらあの異形集団、敵連合でも厄介者扱いだったらしい。
あのはぐれもの集団でさえ溶け込めないというのは逆に才能を感じる。どこまで感情的に喚き散らしたらそんなことになるのだ。ムーンフィッシュですら所属できた組織だぞ?
(……派閥争いみたいになっていたのかな。よりにもよって『ワープゲート』に嫌われる道を選ぶとかどんだけ立ち回り下手なんだって話だけれど。この辺がいじめられっ子から抜け出せない原因なんじゃないの?)
あらゆる職場には敵に回してはいけない人間というのが存在する。事務室のボスおばちゃんとか人事部全般とか。今回の場合は黒霧だ。
それを嗅ぎ取れないというのは結構ガチの死活問題だ。というか『ワープゲート』なんか絶対に恩を売らないと駄目だろう。
(……結局私があのクソ馬鹿お兄ちゃんの手伝いに付き合うのもあれが死ぬほど有能だからだもんね。……唯一無二性だったらこっちも負けていないんだけど利便性がなあ……)
そして世の中にはもう一つ敵に回してはいけない人間がいる。
自分で言うのもなんだが、頭が良い奴も絶対に敵に回してはいけない。
そして世界最悪クラスの負のギフテッドは、全員返り討ちなんて甘い事はしない。
『霊火に挑んだ刺客が全員死体となって帰ってきた』
響きは無駄にカッコいいが、実際はただただ罪が増えるだけだ。帰ってこなかったとかも結局面倒なことになる。
であれば、殺人と分からない方法で殺すしか無い。
『血栓』
とある化学物質とナノマシンを霊火特製ラジコンで埋め込む遠隔攻撃。効果は寿命の設定。
年単位のタイムラグで発動し(即時発動も可能)、自然死そのものな心不全で対象を死に至らしめる、必殺にして無痛にして不可視の弾丸。
解除には霊火特製のおくすり(小売価格7億円。原価は4円)が必要だぞ♡
それを霊火を狙った身の程知らず全員にぶち込んだ。
更に少女はツツツとスマホを操作する。液晶に映っているのは自作のアプリで地図の上に何個もの人型マーカーが置かれている。これらはすべて霊火の手駒だ。
人の弱みを握って脅迫する事が本職の霊火はこういう時に使える人材が割と多い。
アプリを操作して指示を出す。
これで一般市民の手駒にタイミングと場所を合わせて通報させる事で、警察に悪党の位置情報を一々吹き込む。
そして警察に捕まえさせた
よく善なる市民(笑)は誰か犯罪者が捕まって判決が出ると『犯罪者は一生檻の中に閉じ込めておけ!! こんな酷いことをしたのに判決が軽すぎる!!!! 被害者の気持ちはどうなるんだ!!!!!』等とヒステリックにギャーギャー大騒ぎするが、霊火は結局は法律に従わないと生きていけない無力で無意味な凡人連中のそういう所を心底軽蔑していた。
というか彼らは将来的に自分が何らかの犯罪の加害者になる可能性を微塵も考えていないのだろうか。殺人犯だって大抵は元は普通の人なのだが……。
凶悪犯の再犯を許さない方法とは何か?
自らの手で殺してしまうことに限る。これだけが100%だ。
まあつまり、緑谷にはああ言ったが結局霊火は、自分に攻撃した奴を絶対に殺すつもりだったのだ。
自分の命を狙った相手を生きて返すほど甘くない。
(林間合宿で既に捕まったメンバーの方はキリングベクターを使った劇症型ウィルスで殺せる……あっちもあっちで本式のタルタロスとかにぶち込まれると流石に手が届かないからガードの甘い護送中とか拘置所とかに不意打ちしないと駄目なんだよなあ……やる事が多い……)
んんっ!! と軽い伸びをして霊火は頭を切り替えた。
そろそろ霊火を必死に探し回っている緑のモサモサ頭を回収しに行ってもいいだろう。
「…………………………あっちもそろそろ駄目かな」
実のところ霊火は結構な大問題を”八百万誘拐事件”の他にもう一つ抱えていた。
簡単に言おう。
爆弾魔への対応が上手すぎた。緑谷に正体を疑われた可能性が出てきている。
このまま素知らぬ顔をして"無害なヒーロー科の学生"という立場をキープすることは少し難しいかもしれない。
「…………………………リスクを取るしかないか」
決断の時だった。
この問題は放置できない。ずるずると引き延ばせばどうしようもない破滅が待っている。
猶予がある今のうちに先手を取ったほうがいい。
(……偽物の底を設定する形が最適。出久くんの想像よりもちょっとだけ悪質で、実態よりはマシ。それでいて彼の倫理観や正義感を同情票友情票込みでギリギリクリアできるラインで設定して……ああ、これ全部アドリブの作り話になるな)
脅迫も詐欺も、基本は孤立と遮断と焦燥感だ。
適切な条件を揃えて決まった方式を取れば確実に要求が通る。心と思考とはそういうものだ。
この分野に関して霊火は文字通りのプロフェッショナルであり、しくじるなんてあり得ない。
何しろ霊火がいつも相手にしているのは、大企業の社長さんやアイドル事務所のトップ、政治家に官僚、警察に弁護士などだ。
つまり社会経験豊富で無数の人を蹴落としてきた海千山千の怪物どもを相手にして、脅迫でいいなりATMにしてきた実績がある。
はっきり言って霊火には、脅迫という分野ならば爆豪勝己や相澤消太さえ攻略する自信があった。
あの学校で霊火の力が通用しないのは八木と根津ぐらいだ。
ましてや完全な人生経験不足でウルトラお人好しの緑谷出久程度が、こちらの話術に対抗出来るとは思えなかった。
(……私が出久くんに死ぬほど弱いことを計算に入れなければだけれど)
超不安だった。
そして問題がもう1つ。
「でも今はムリ……」
一昨日に左腕を爆炎で消し飛ばされ、昨日の夕方に起床。
その後色々とお作法に気をつけながら病院を脱出。
何時間もかけて静岡の海浜公園に移動。
その後『トランジスタ』実戦テストを兼ねたメンタルケアでバカ騒ぎ。
体調悪すぎて軽い吐き気を抱えた状態でやっとのことで家に帰り、風呂に入ってようやく眠れると思ったら襲撃。
爆弾魔2人を爆速で始末し、一応警察を煽った後自分が作り出した激強キラーマシンと映像映え重視の魅せプ八百長バトル。多分再現『プロミネンスバーン』なんて一生使わない。
その後色々と現場に細工した後、他の敵を全て殺害。
そう、霊火は一昔前の少年漫画主人公ではないため場面が切り替わったら傷が回復してるなんて事はない。
むしろ他の人以上に怪我を引きずり続けるのだ。因みにUSJの脚の傷の後遺症で50メートル走が未だに15秒台だったりする。100メートル走のタイムですらない。
霊火の攻撃が遠距離特化ばかりなのは、傷一つなく圧勝しないと結構重たい代償を支払う事になるからという事情さえあったりするのだ。
(……そういえば林間合宿のあの『透過』先輩、あの人私に完全相性有利だなあ。いくらテクノロジーを展開して数と範囲で圧殺しようとしても全部すり抜けて物理で殴ってくるなんて一番苦手な相手じゃん……)
とにかく霊火は怪我した状態で動くと怪我が悪化する。疲労もたまる。なんなら寝ても回復しない。
そもそも何も無くとも普通に体調を崩す病弱少女の体力ゲージなんてとっくに尽きていた。
古ぼけたビルの薄汚い階段。
人の気配のない踊り場で力尽きた少女は、遠のく意識に若干焦りながらスマホを取り出した。
「………やばやば、こんなところでダウンしたら誰にも見つけてもらえずに死ぬ……!!」
今からでもいい。
傷の絶えない戦闘担当から路線変更したい。
か弱い日常担当になりたい。
―――――――――
「おい起きたぞ」
「随分とお眠りだったねお嬢さん」
「いいから早く話すぞ。おい」
いくつかの知らない声が聞こえた。
意識が戻って最初に感じたのは手首の痛みだった。両手は何かで固定され、金属の感触が肌に食い込んでいる。
体を動かそうとしてもままならない。
腰から下は椅子にしっかりと固定されており、がっしりとした木の椅子が背中に沿っていた。
少し体を揺らすと椅子が軋むような音を立てる。
「暴れちゃダメよ?」
「抵抗したら死ぬよう? 何の脅しでもなく本当の意味で」
しなを作ったような男性の声と、舌足らずな甘い女の子の声。
既に身体中の細胞が危険信号を発していた。絶対に悪い人の声だった。
冷や汗が背中を伝う。心臓の鼓動が不規則に高鳴り、耳元で血液の流れる音が聞こえる。
本気で「夢であってくれ」と願うも八百万自身、これが現実なのは理解していた。呼吸を整えようとしても胸の奥が締め付けられるような感覚が消えない。
人生で経験したことのないレベルの圧倒的な恐怖が全身の神経を貫く。
(……覚悟を決めなさい八百万百。ここで目を瞑っていても何も始まらない!!)
そして彼女は、ゆっくりと瞼を持ち上げる。
そこはバーの一室のようだった。窓はない。
天井から吊るされた照明は頼りないがカウンターの向こう側には整然と並べられたグラス類が光を反射して輝いている。
ウイスキーやブランデーのボトルが並ぶ棚もあるが種類については良く分からない。
周りを見てみると逆に何人もの視線がこちらに突き刺さった。
もうだいぶ心が砕けそうだった。
現実逃避がてら少し記憶を遡ってみる。そう、自分はつい先ほどまで林間合宿にいた。補習を受けていたら重力が強くなって押しつぶされて……。
彼女が必死に自分の現状を掴もうとしていると、”手”を全身に付けた奇怪な男が話しかけてくる。
確かニュースで見た顔だ。USJにも来ていたらしいが確か……。
「あー……雄英高校の八百万だよな。ようこそ敵連合へ。俺が……あー、ここのリーダーの死柄木弔だ」
「……私は……あそこから一体どうなって……貴方たちの目的は……?」
「別に取って食おうってわけじゃない。スカウトだ。お前、俺たちと一緒にこっち側でやって行かないか?」
「……リーダー? まず説明しないと『創造』ちゃんも困っちゃうよ?」
角の生えた小さな女の子がため息交じりに割り込んできた。
小学生にしか見えない童女は、間延びした口調でこう補足する。
「あのね、あなたは私たちに誘拐されたの。今は襲撃発生から3日目だよ。……ああ、先に言っておこうかなあ。救けは来ないからね」
そのセリフを受けて、仮面にトップハットの男がテレビのリモコンを手に取った。
液晶の電源が入る。それはニュースの記者会見だった。
「ブラド先生……!!」
そこには見慣れた教師の姿があった。どうやら雄英高校への記者会見らしい、
そして八百万にとっては見慣れないカッチリしたスーツ姿の彼は、報道陣に向かってこう述べた。
『えー、幸いにして生徒たちには死亡者も行方不明者も出ませんでした。更に――』
「え…………………………?」
そして頭が真っ白になった。
テレビ画面の中で自分の担任は記者たちの質問に答えている。
音声は確かに耳に入ってくるし、言葉の一つ一つは聞こえている。
そして彼は、自分の生徒が
「うそ……」
これでは一生助けが来ない。
血の気が引く。
担任の声が続いている。質問が続く。答えが返ってくる。
呆然とテレビを眺める彼女に死柄木はこう切り出した。
「まあこういう事だ。同情するぜ。とにかくお前が誘拐されたこと自体をヒーローも警察も知らないって訳だ」
死柄木はやれやれといった感じでこう言った。
童女が目を細める。
「…………………………スカウトを受ける以外の選択肢が無いように思えるけれど? ね、『創造』ちゃん? ……それにヒーローサイドの優等生ちゃんには分からないかも知れないけれどお、こっちもこっちでまた別の良さがあるんだよ?」
―――――――――
「霊火さんは身体を張りすぎだと思うよ?」
「張りたくて張ってるわけじゃないもん……」
よりにもよって緑谷出久に言われてしまうとは。なんか人間としておしまいな気がする。
スマホで位置情報を送って10分。すぐに彼は来てくれた。
階段の踊り場でひっくり返ったまま動けなくなっている霊火だったが、目を閉じたまま応対する。
「よ、良かった……!! 警察が”林間合宿にも来た女の子の敵と戦ってた”なんていうから心配で心配で……」
「撒くのに時間が掛かったの……あのバ火力幼女、明らかに”複数”個性な上に最終的には電子機器のハックとかまでしてきたけれど、あれは一体何? あんなのぽっと出で出てきていいの?」
「逆に霊火さんは良く逃げ切れたね……」
「監視カメラを覗き見ているみたいだったから逃げる時も大変で……ああもう……私もう体力の限界」
ベラベラと喋ってはいるが明らかに顔色が悪い霊火を前に、緑谷は少し迷ったような仕草を見せる。
そう、霊火が調子が悪そうだからと言って、家が爆破された以上彼女をどこに担ぎ込めばいいのだ?
「……霊火さん、僕たち病院に行っても大丈夫だと思う?」
「私めがけて病室に爆弾放り込まれたら死ぬほどだるくない? ……まあ逆に逃げやすそうだけれど」
別に私は良いけど出久くんは嫌でしょ? と言外に込めた返答。
とても困った顔になる緑谷は頭をかいて。
「……別の手段を考えたいね。霊火さんは他に思いつく?」
「貴方のお人好しには慣れているし文句は言わないけれどさ、その後のアイデア出しまで投げられても困るよ……」
緑谷出久と殻木霊火は完全に真逆の性格だ。
それでも2人が上手くいっているのは、やはり霊火が最終的には緑谷の方針に従ってあげるのが大きい。
それが分かっているので緑谷も霊火の発言にはあまり文句を言わなかった。たまに腹黒を通り越してテロリストみたいな思考が漏れてくるのが玉に瑕ではあったが。
そして結局は彼に対して激甘な天才少女は、要請の通りにアイデアを出してあげた。
「……………仕方ない。見せるしかないか」
「えっ?」
「秘密基地。……まあセカンドハウスか。私が趣味で使ってる拠点のこと」
「趣味?」
不思議そうな顔の少年に、少女は薄く笑った。
それではヴェールを一枚剥がしてみよう。
「ねえ出久くん。私がどこで『首輪』を作ったと思う?」
「え、え……?」
「聞いたら後戻りは出来ない秘密の話……もしよければ受け止めてくれませんか?」
その問いに対して少年は……
―――――――――
敵の隠れ家と言っても色々なパターンがあるが、今回のこれもそのバリエーションの一つだ。
かつて活気に満ちていたであろう静岡県のビル街。
景気の悪化と再開発の失敗と需要の読み違えと近隣の大型商業施設の台頭とその他諸々の要因によって徐々に人の息吹を失っていった一角だ。
ひび割れた歩道には雑草が生え閉鎖された店舗のシャッターには錆びが目立つ。
その中でも一等ボロボロの7階建ビル。かつては中小企業のオフィスビルとして使われていたそうだが、今は割れた窓ガラスと剥がれ落ちた外壁が時の流れ(と治安の悪化)を物語っている。
緑谷は背中におぶった霊火を気遣いながら埃の積もった非常階段を慎重に降りていく。
地下へと続く階段は赤い非常灯の明かりだけが頼りだ。
背中に背負う少女の呼吸は浅い。
霊火の指定した目的地まで辿り着いた少年は、数字パネルのついた金属製の古臭いドアを前にして焦ったように背後に呼び掛ける。
「霊火さん大丈夫? ここでいいんだよね?」
「パスワードは987630989276525267940982765837291089472668900002847289だよ」
「無理!!!!!!」
抗議されてしぶしぶと、背負われた状態から右手だけを伸ばして扉のロックを解除する霊火。
軽い電子音をたてて扉を開く。
その先にはそこそこ広い空間が広がっていた。独特の金属と機械油の匂い。
天井まで届きそうな大型工作機械群が整然と並べられているそこは、少年にとっては意外な光景だった。
「右側のドア」
「……!! 分かった!!」
一瞬足が止まる緑谷だったが、弱り切った声に突き動かされて動く。
コンクリートの床は清潔に保たれ、その上にはドラム缶みたいな形のロボットが何台か休止状態で置かれていた。ついているユニットを見るに、おそらく掃除用だ。
そして右側にあった扉を開けると、その先はまた雰囲気の違う一室だった。
広々とした一室は人が住む居住空間として設えられている。打ちっぱなしコンクリートの無骨な壁面がどこか武骨さを残しながらも、床一面に敷き詰められた柔らかなカーペットや置かれたベッドが雰囲気を柔らかくしている。
大きめのソファが配置されキッチンスペースにはコンロと食器棚が整然と並ぶ。
壁掛けテレビと時計、本棚には本が整理され、ダイニングテーブルと椅子も適度な間隔で置かれている。
家具カタログの写真のような出来すぎた配置は、どこか生活感のなさも漂わせていた。
緑谷はベッドへと向かい、丁寧に霊火を横たえた。
白いシーツの上で少女の黒い髪が静かに広がる。緑谷はようやく一息ついた。
「霊火さん何か必要な物はある? 飲み物とか食べ物とか」
「貴方が欲しい。傍にいてほしい」
掠れた声だった。
直接的な言葉にすこし動揺してしまう少年だったが、今の言葉が揶揄いなどではないことはちゃんと汲み取れた。
霊火は本当に体が弱いので彼女のこういう姿を見るのは初めてではない。倒れた彼女を連れて家に帰った事も数度ある。
だから霊火は余裕が無くなると、急に甘えん坊になる事も良く知っていた。そして彼女が次の日には、真っ赤になって前日の事を無かったことにしようとするのも知っている。
そのくせ起きた時に隣にいないと凄く寂しそうにするのが、傍から見るととても可愛いのは本人には内緒だ。
ゆっくりと横になって彼女に向き合うと、お人形のように整った顔立ちの少女は嬉しそうに笑った。
とろんとした目でじっとこちらを見つめてきたと思ったら、そのまま遠慮なく身を寄せてくる。
「おやすみなさい霊火さん」
「おやすみぃ…」
そのまま無防備に寝息を立て始める少女を、しばらく見ていると緑谷の方も緊張するのがバカらしくなってしまう。
……普段いくらしっかりしていても、ギョッとするような毒を吐いても、それでも時々ビックリするほど子供っぽい女の子だった。
緑谷出久は一人っ子なので想像するしかないが、もし自分にも妹がいればこんな感じだったのだろうか。
ふと彼女の事が愛おしくなって、そっと手を伸ばす。
滑らかな彼女の頬をそっと撫でても、霊火はピクリともせず平和な寝息を立てるだけだった。
「……」
どれほど巧妙に隠していても、彼女は極端な人間不信だ。
人の行動の裏にある打算や悪意を敏感にかぎ取ってしまうため、人の善意を全く信じられない状態になっている。
もはや霊火に関しては、分かりやすい悪意を宿した悪人相手の方がやり易そうな様子まであった。
普段の授業から日常生活までどんな時にも警戒を緩められない性格。
そんな彼女がここまで無防備な姿を晒していると、こちらも調子が狂ってしまう。
……どうして彼女は、自分にだけは無条件に信頼してくるのだろうか。
「……そんな事はないとは思うけどな」
思い出すのは母親の言葉。
『出久もあの子のこと、信じてあげないとかわいそうだよ』だったか。
……霊火がかつて”男の子は女親には基本勝てないように出来ている”と言っていたが、全くその通りだった。緑谷引子は緑谷出久が、霊火の事を信用しきっていない事を察しているのだ。
まああの人は『女の子は男の子が思う以上に色んな秘密を隠しているから気を付けなさい』とも言っていたが。……言っていることが霊火と一緒なので、緑谷は女の子がどういう生物なのか分からなくなってきていた。
再度、滑らかな頬を撫でる。
指先に伝わる感触はふにゃりと柔らかく、緑谷の口は自然にほころんだ。
結局。
賢い姉のように頼りになって、無邪気な妹のように愛らしい。
賢い姉のように底が知れず、無邪気な妹のように危なっかしい。緑谷にとっては霊火はそういう子だった。
少年が少女に向ける感情は家族愛に近い……と少年は思っている。
……これを言うと取蔭切奈などは露骨に機嫌が悪くなるのだが、それでも緑谷はこの感情を大切にしたかった。
霊火がどんな道に行ってしまっても、必ずその手を取って引き戻す。
それぐらいの覚悟、こちらもとっくに出来ている。
感想や評価ありがとうございます。大きな励みになっております。