殺人現場より、愛をこめて   作:トリスメギストス3世

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059:"誤"作動

 静岡より新横浜へ。

 冷房の効いた新幹線から駅のホームに降り立った瞬間、真夏の熱気が二人を包み込んだ。

 

 霊火は思わず両目を瞑る。

 八月の空気と道行く人いきれで生温かく揺らめく空気。温度差にやられた病弱少女は軽い眩暈を起こす。

 なんにしても熱帯夜という表現がこれほど似合う天気も無い。ホームに降りた途端にぐらりとバランスを崩す霊火の身体を緑谷は咄嗟に支えた。

 

「ごめん出久くん、私体調悪いかも」

 

「霊火さん本当に無理しちゃダメだからね。ほら……」

 

 緑谷も霊火の体調不良には慣れていた。なにしろこのような事は一度や二度ではないのだ。

 海浜公園で修業していた時から、霊火は定期的に倒れている。そしてこの場合はとにかく涼しくて落ち着ける場所に連れていくのが最優先だった。

 

 霊火の大きなスーツケースを片手に引く緑谷は少し迷ったような表情をした後、「ごめんね」と断りを入れて霊火の膝裏に片腕を回した。

 そのまま滅法小柄な少女の体重をひょいと抱え上げる。霊火の体重は片腕の喪失込みで30キロ台前半なので、緑谷には余裕があった。

 

「……ありがと」

 

「なんでちょっと拗ねてるの霊火さん?」

 

 特に照れも何もなく行われる救命行為に少女は口を尖らせた。

 腕の上にお尻を乗せる形で抱えられるのは、こちらとしては結構恥ずかしい。

 彼だって同年代の女の子とこれほど密着しているのだから少しぐらい赤面くらいしてくれても罰は当たらないのに、と思う。

 

 おそらく彼の中では心臓マッサージと同じ枠で、恥ずかしがる場面ではないのだろう。

 

 緑谷は霊火を抱えたまま神経質に周囲を見回していた。

 人の流れは絶え間なく、スーツケースを引きずる観光客やスーツ姿のビジネスマン、夏服に身を包んだ学生たちが自由に行き交う。

 都会の人間は冷たく、体調の悪い霊火の事をちらりと見ても誰も話しかけてこない。

 しかしこの都会の冷たさは今回に関しては好都合だった。

 

 群衆の中から敵を探そうとする緑谷に、霊火は軽い警告を入れる。

 

「そんなに気にしていたら逆に怪しいよ」

 

「そんなもんかな……?」

 

「そんなもんだよ。向こうだって怪しい動きの人を探しているんだからとにかく目立たないこと」

 

 かなり顔色の悪い霊火が真顔で伝える。

 

 こちらも折角”夏休みを楽しむ大学生カップル”で纏めているのだから、敢えて目立つ必要もないのだ。

 倒れていて何だが、追跡を躱す時にはとにかく自然体であることが大切だ。霊火達がそもそも群衆の中から見つからなければ、根本的に問題は発生しないのである。

 

 ストーカーをする側もされる側もプロフェッショナル故に追われていること自体よりも自分の体調が心配な霊火に対して、緑谷の方は心底不安そうに先ほどまで乗っていた新幹線の方を振り返った。

 

「ねえ、僕たちこんな公共交通機関を使っちゃって大丈夫だったのかな……? こんな人が多い所じゃ周りの人を巻き込んだりとかは……」

 

「うーん……あのね、今の私を判別するのは相当難しいはずなの。 今の私を探すなら『隻腕』っていう一番分かりやすい基準で探すはずだけれど……」

 

 少年に抱えられたまま少女は、左腕をひらひらと動かしてみせた。

 手袋と長袖に覆われたその腕は、どう見ても普通の左腕にしか見えない。

 当たり前のようにそこにあるはずの左腕があるように見える。

 

 緑谷は嘆息した。

 

「……確かに義手には見えないね」

 

「でしょ? だから彼らが私を見つけても『左腕があるから違うな』って最初に思うはずだよ。多分、私の顔をしっかり見る前に人探しの検索条件から外れるんじゃないかな?」

 

 霊火は興味なさげに説明したが、緑谷は内心戦慄していた。

 

 これまでの車椅子も首輪も驚異的の一言だったが、今回の義手も尋常ではない。

 人間の腕のようなシルエットを保ったまま自由自在に動かせる一枚の包帯なんて、あのI・アイランドに展示されていた最先端の試作品と比べても全く見劣りしない。

 というか完全にそれ以上だ。

 

 一介の高校生である緑谷には詳しいことは分からないが、一つ確かなのは彼女の作品が驚くほど扱いやすいということだ。

 エキスポで展示されていた物には共通して「凄いは凄いんだけどこれどうやって使うんだろう」という印象があったが、霊火の制作物からはそれを全く感じない。先端技術をお披露目するための試作品とは違い、彼女のそれはれっきとした実用品なのだ。

 なんというか、両者の実際の技術力には見た目以上に大きな差が開いているように感じる。30年後の近未来を民生モデルにまで落とし込めてしまっているというか……。

 

 そしてそれこそが緑谷が霊火を恐れる理由でもあった。

 

 ……彼女が、もし社会に敵対する立場に立ったとき。

 この異常な技術力が丸ごと敵に回ったら、どれだけ悲惨な事になるのだろうか……?

 

 そんな少年の警戒など露知らず、少女は体調が悪い時特有のローテンションで話し続ける。

 

「ほら、私って本当に小柄だけれどさ、今の私は並の一般女性ぐらいは身長も体格もあるじゃん?」

 

「まあそうか……?」

 

 ……霊火の言わんとする事は分かるが、こちらはそれでも心配だった。

 

 なにしろ緑谷には今の霊火が、普通に霊火にしか見えないのだ。

 今の女子大生風コーデも精々『めっちゃおしゃれしてるね』ぐらいの認識だ。どう考えても変装という雰囲気ではない。

 

 ……或いはこれは、付き合いが長すぎる故に起こる弊害なのだろうか? 他所から見たらとても似ている兄弟でも、本人たちや家族にとってはそう思えない的な……。

 

「あんまり心配しないの。出久くんには私が殻木霊火に見えても、周りにはそうでもないよ。実際、誰も私に話しかけてこないでしょ?」

 

「ちょっと待ってなんで僕が考えてることがわかったの!?」

 

「それこそ付き合いが長いからじゃないの?」

 

 ……全てが彼女の掌の上な気がした。

 正直な話、緑谷は心理方面で彼女に勝てる気がしない。

 

 こちらを見透かしてくるような赤い瞳から目を逸らすと、ふと霊火の左手が目に入った。

 ここで追加の疑問を一つ。

 

「……ねえ霊火さん、『義肢造り』って、本当に嘘の話だったの?」

 

「ご想像にお任せしますう~」

 

 少女はわざとらしく甘えた声で、口角を吊り上げて妖しく笑った。

 

 お人形さんのように可愛らしい低身長インテリヤクザは、今日もこちらの質問に答えてくれる気は無いらしい。

 いつもの様にはぐらかされてしまった緑谷は追及を諦めて首を振った。

 

 なにしろ霊火相手に探りを入れるのは非常にリスキーだ。

 何しろ、霊火が何故こちら側についてくれているのかが分からない。

 今現在、ギリギリのバランスでも友好関係が成り立っている以上、変に引っ掻き回して藪蛇にはしたくない。

 

 というかこちらが霊火を信じていないと知られた瞬間、この関係の全てが崩壊しそうな予感がする。

 

 少年は話を逸らした。

 

「……僕たちどこに行くんだっけ?」

 

「ホテル取ってるからそっちで……あ、同室だけれど出久くんは大丈夫?」

 

「霊火さんがいいなら。いや本当はダメなんだけど……」

 

「今回に関しては同じ部屋じゃない方が色々危ないんだよ。爆弾投げ込まれた時とか、私がいないと対処できないでしょう?」

 

 ――――――――

 

「そもそも自分が死ねばそれで収まると思っている所から激甘なんだけどお……」

 

 金色の瞳に蒼い角。

 10歳ぐらいの見た目の極悪童女は、その見た目に合わない呆れ顔だ。

 

「……どうして」

 

「どうしても何も、おなじみ『脳無』は死体を元にした兵器だからだしい……『創造』ちゃんがここで意地を張っても、結局は貴女の死体が大暴れして”市民の皆様”大虐殺ってわけだよう……」

 

「そんな……あなた方は、どうしてそのような非道が出来るのですか?」

 

「んなことあたしに聞かれても……」

 

 鬼は無表情に首を傾げた。

 泣きすぎて目元が赤く腫れた八百万は、ここで再度自分を見張る童女の事をよく見る。

 

 現実逃避混じりだった。

 明らかに敵連合の中でも浮いていた、いまいち危機感の無い小学生ぐらいの女の子。

 八百万は素直に、気になったことを質問をしてみる。

 

「……貴女は何という名前なのですか?」

 

「ん~……『あいうえおかきくけこさしすせそ』で頭に思い浮かんだ文字を教えて。ハイ3秒以内、3、2、1」

 

「っ!?!? ふ、『ふ』!!!!!!」

 

「それじゃあ『ふうか』ちゃんでいいや。よろしくねえ『創造』ちゃん」

 

 雑極まりない命名に唖然とする八百万だったが、しばし遅れて今のは偽名だと思い至る。

 確かに名前を聞かれて本名を答える(ヴィラン)など不自然だが……。

 

 そう考える八百万を見た鬼は辟易とした顔をした。

 

「……まさか、見た目通りの年齢だと思われてる?」

 

「えっ?」

 

「やめてよねぇ……ここは闇も闇、社会の最下層。人道破りの怪物しかいない超危険地帯。こんな所で目の前の(ヴィラン)が見た目通りの相手だと勘違いしたらそのまま死んじゃうよ」

 

 鬼の童女はそう口にすると、八百万の目を至近距離から覗き込んだ。

 

 急に顔を近づけられた八百万は反射的に距離を取ろうとするが、椅子に縛られたままではそれすらも満足に叶わない。

 

 しかし彼女は、今更そんな当たり前の反応を返している場合ではなかった。

 

「私の目をよく見てね」

 

「えっ!?!?!?」

 

 バツン!!!! と。

 

 古いテレビの電源を落としたような大きな音が響き、()()()()()()()()()()()()()

 

 愛らしい顔立ちが台無しだった。

 ……漫画やアニメを見ればすぐに分かるように、“目“というパーツは非常に重要な外見の構成要素だ。

 それが丸ごと否定され、非常に恐ろしい見た目になる。

 

 白目も黒目も何も無い。

 まるで眼孔内に黒いガラス玉でもはめ込まれたかの様な歪な見た目に、八百万は絶句する。

 

 鬼の童女は更に畳み掛けるかのように、細い指先を器用に動かして眼球を顔面から穿り出してしまう。

 

 あんまりな光景に八百万百はパクパクと口を開閉させ、やっとのことで喉の奥から声を絞り出す。

 

「ちょ……待って下さい……もしかして義眼……?」

 

「そうじゃなくって」

 

 童女は、顔面にぽっかりと空いた空洞の奥を見せ付けるように、八百万に対する顔の角度を調整する。

 そして八百万は見た。

 

 眼球の奥。

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 あまりの衝撃に、現状を忘れた。

 言葉が出ない八百万を無視して、『ふうか』は黒いガラス玉を元の場所に戻してしまう。

 

「アンドロイド。この身体は隅から隅まで機械ベースなの」

 

 キュイン……と、静かな起動音。

 大きな瞳。黒い背景の上を緑色のアルファベットが超高速で流れる。

 

 そのまま青色や赤色、黒目と白目の反転。

 様々な色に切り替わる眼球をくるくると動かしながら、愛くるしいロボットは小首を傾げ、澄んだ声でこう発声した。

 

「失踪中のとある天才研究者が造り出した殺人兵器。それが私の正体なの」

 

 ―――――――――

 

 ビジネスホテルの一室。

 お風呂上がりの半袖パーカー少女はかく語りき。

 

「ちんちくりんになっちゃった」

 

「反応しづらい自虐ネタはやめてね」

 

 身長137cm。

 つい先程まで履いていたヒールや胸の詰め物やメイクを失った結果、今の霊火はその華奢さが強烈に目立っていた。

 

 魔法が解けたシンデレラといえば聞こえはいいが、どちらかというとシャワー後の小型犬みたいだった。

 何故だかやたらいい匂いを振りまく霊火がかます身体を張った特大自爆を前にして、早々に白旗をあげる緑谷出久。

 

 この場合、霊火の自虐を無理にフォローしようとすると、むしろこちら側の傷が深くなる。

 緑谷は何度も痛い目を見たから分かる。このやり取りは基本的にスルー推奨の即死トラップなのだ。

 

 自身の経験に縛られて不自然に黙り込む緑谷。それを見た少女は一瞬考え込む。

 

 そして純情一途な年下系小悪魔ちゃんは思いついた。

 

「あ、こういうのが欲しいの?」

 

「え?」

 

「もう、言ってくれたらやってあげるのに。まあ自分から言うのも勇気がいるか……まあ私に任せてよ出久くん」

 

 片想いガールは軽く咳払いした。

 そのまま数歩身体を寄せ、至近距離の上目遣いで少年を見上げる。

 

 緑谷は超絶嫌な予感がした。

 

 少女は胸の前で両手を合わせた。

 ギュッと目を瞑り、数秒のタメの後、思い切り甘ったるい声でこう発言した。

 

「今日もありがとう!! いずくおにーちゃん!!」

 

 にぱーっ!! と。

 真夏の向日葵のような。

 無邪気そのもの、大人であれば絶対に出来ないような明るさの笑顔で、彼女は言った。

 

 お人形さんみたいに可愛らしい少女は、穢れを知らない子供のように、ただ笑った。

 

 ……霊火との付き合いも長い緑谷ですら、本気で一度も見たこと無い系統の笑顔だった。

 少年の知る殻木霊火は、世界がひっくり返ってもこんな顔をするタイプじゃない!!

 

「ちょ、ちょ……」

 

「どーしたのおにーちゃん?」

 

 少女のあまりの変幻自在ぶりに呼吸が止まりかける緑谷出久。

 揶揄われていると分かっていてもギャップが凄い。

 

 地味に凄いのがここまで派手に演技しているにも関わらず、その言葉自体にはわざとらしさが無いのだ。

 末恐ろしい演技力だった。多分大人っぽさの演出と同様、子供っぽさの演出にも色々あるのだろう。そう緑谷はアタリをつけた。

 

 女の子って怖い。

 

 そして年下系は舌っ足らずにこう言った。

 

「いつも守ってくれてありがとう!! いずくおにーちゃん!!! 大好きっ!!!」 

 

「どどどどどういたしまして……」

 

 なお悪い事に、緑谷は霊火のこのモードがとても気に入ってしまっていた。

 

 そもそもが、『人を助ける』ことに取り憑かれたような少年だ。

 『お礼を言われる』という状況が、本人の思う以上に人格の根っこに突き刺さっていた。

 

 なにしろ霊火もふざけてはいるが、彼女が本気で感謝していることは緑谷にも伝わるのだ。

 そんな年下系の見た目の霊火から直球で感謝を伝えられるというのは、非常に新鮮で刺激的だったと言える。

 

 なぜか高まる心拍数と強くなる多幸感。

 

 まんまと乗せられて感極まっちゃってる緑谷出久は、自分の感情をこう解釈した。

 

「……洸汰君に手紙を貰った時も嬉しかったな。こういう事があると助けてよかったなって」

 

「おっと? そっちに接続されちゃった? まさかのあのクソガキと同じ枠?」

 

 一瞬で子供嫌いで割と口が悪い霊火が戻ってきた。

 多分相当無理していたんだろうなと少年は素直に思った。霊火は基本的に究極的な腹黒で、凄まじい人間不信だ。無邪気な子供のフリなんて一番負荷が大きい演技だろう。

 

 そして緑谷はこう反撃した。

 

「……霊火さんは、うーん……親戚の小さい子だよね。姪っ子がいたらこんな感じなのかなあ?」

 

妹ですらなく!?!? そこまで子ども扱いなの私!?!?」

 

「いやあ霊火さんは可愛いね!! いつもこんな感じだったらいいのに!!」

 

天真爛漫架空妹モードにあっさり心射貫かれてるんじゃないよ緑谷出久!! え、やだやだやだやだやだやだこっちの方がいいなんて言わないでよ!!!! こんなの私の性格全否定じゃん!?!?」

 

「…………………………」

 

「意味深に黙らないで!!!!!! 何か言って!!!!!! わ、私貴方と同学年の女の子なんだよ!?!? こんな屈辱的な話ある!?!? ま、え、ダメダメダメダメ子ども扱いなんてヤダ!!!!!!」

 

 寄りにも寄って妹枠に寄せてしまった霊火の判断ミスだった。

 ただでさえ片想い相手の好み(多分巨乳のお姉さん)から完全に外れているのに、更に恋愛対象外へ踏み出してどうするのだ。

 

 ぐるぐるお目目の霊火は大混乱したまま口走る。

 

「ようし、それじゃあ次はお姉さんタイプで行くからね!!!!!! ちゃんと見ててね!!!!!!」

 

「霊火さんには無理だよ……わりとこどもっぽ」

 

「一線を越えたからな今!?!?!?!?!?!?!? このっ……!!! 勉強とか全部私に教わった癖に……!!!!!!」

 

 デカめのネコ科みたいな挙動で少年に飛び掛かる殻木霊火。

 そのままベッドの上で、不毛なくすぐりあいが始まる。

 

「きゃん!?!? ちょ、どこ触って……!!」

 

「ご、ごめんなさい!! ……いや流石に勝手に突っ込んできた霊火さんが悪くないか!?!?」

 

 男女の関係は繊細だ。

 

 些細なじゃれ合いも、交わした言葉もくすぐりあいも、今この瞬間でしか成立しない。

 これを友達以上恋人未満というには、少し片想いすぎるかもしれないが。

 

 ―――――――――

 

 処分の時が近づいてきた。

 心変わりを許されるタイムリミットが迫る。

 

「死にたくない……」

 

「あ、人間特有の反応だあ」

 

 八百万百は椅子に縛られたまま、ただ震えていた。

 

 薄暗い部屋の中で彼女の肩が小刻みに揺れる。

 縛られた手首が痛むのか、時折指先が痙攣するように動く。束縛具が擦れる音だけが静寂を不規則に破っていた。

 

「う、うぅ……」

 

 喉から絞り出されるような声は、すぐに嗚咽に変わる。涙が頬を伝い襟元を濡らしていく。

 

「どう、して……嫌」

 

 声を絞り出そうとするたびに嗚咽が言葉を遮った。ボロボロと零れ落ちる涙は、八百万にはもう止めることができない。

 

「んん……どうする? 死体の再利用をされたくないなら私が粉々に破壊するぐらいはしてあげてもいいけど……アフターサービスって奴?」

 

「お……お願い……しますっ」

 

「わあ偉い……? ……それにしても自分が死んだ後の事考えるなんて、人間って良く分からない……」

 

 そして鬼の童女はイマイチ危機感が足りなかった。

 この辺りは、アンドロイドが根本的に生命を持たない故の現象だった。

 そもそも死に対する忌避感をプログラムされていないのだ。

 

 だからこそこんな質問があった。

 

「ねえ、命あるものはどうして死ぬのが怖いの?」

 

 投げかけられた問いに八百万は更に激しく泣き始めた。

 嗚咽が部屋中に響き、彼女の体は椅子に縛られたまま震えている。

 

「こ、怖いです……死ぬのは、怖い……」

 

 言葉の間に入る嗚咽が、その声を幾度も途切れさせる。

 涙で濡れた顔を上げることもできず、1人の女子高校生はただ俯いたまま震える声で語り続けた。

 

「死んだら……死んだらどうなるのかも……分からないです。それに……私、まだ……まだ……」

 

 言葉を探すように八百万は一瞬言葉を詰まらせる。

 そして、まるで堰を切ったように続けた。

 

「まだ何も……出来ていない。やりたい事だっていっぱいあるのに……!! そして私の"個性"も……私の存在も……全部消えてしまって……二度と、誰も……」

 

 震える声で語る言葉の一つ一つに、深い恐怖が滲んでいた。

 

「お母様と……お父様も……先生も……みんな私に期待して……なのに、私……私……申し訳……ない……」

 

 最後の言葉は、完全な泣き声に変わってしまった。

 それに対して鬼は呆れ顔だ。

 

 そう、無味乾燥なアンドロイドはこれを聞いてこう思ったのだ。

 

「仲間になれば助かるのにい……」

 

「……それは出来ません」

 

「……それはヒーローとして?」

 

「いえ、八百万百の生き方の問題ですわ」

 

 涙声ではあった。

 揺るぎない覚悟に裏打ちされた、重い言葉でもあった。

 

 『ふうか』は、心底不思議そうに首を傾げた。

 

「……それは”死”の回避よりも優先されるの?」

 

「ええ」

 

「それはちょっと興味があるなあ……」

 

 何の前触れも無かった。

 鬼の右腕が霞み、轟音が部屋を揺るがした。

 

 何らかの理屈で壁が爆ぜ、瓦礫が部屋の中に飛び散る。灰色の粉塵が視界を遮り八百万は反射的に目を瞑った。

 衝撃波が走り、八百万を縛り付けていた椅子が木端微塵に砕け散る。拘束具も同時に破壊され手首を締め付けていた感覚が消えていった。

 

「なら見せてよ。『創造』ちゃんの生き方を。あたしはそれに興味があるなあ……」

 

「……え?」

 

 自分が椅子から解放されているのに気がついた。

 足元には砕け散った木片と、切れた拘束具が散らばっている。

 

 耳鳴り。

 まだ涙の跡が頬に残っているのに、状況があまりに急転したせいで、泣いていたことすら遠い記憶のように感じられる。

 

 壁には大きな穴が開いており、そこから差し込む光が粉塵の中で幻想的な光の帯を作っていた。

 

 金色の瞳の童女は、心底楽しそうに、悪戯っぽく笑ってみせた。

 

「ボーっとしている暇は無いよう? すぐに追っ手が来る。……ああ、あたしは協力しないからね。これは初回限定だから、一々あたしが助けてくれると期待しないこと!!」

 

「な……? な、どうして……」

 

「さあ捕まったら嬲り殺しだよっ☆ レディー、ごー!!!!!!

 

 弾かれたように、八百万は駆けだした。

 

 ”個性”『創造』

 創り出したのはハンググライダー。ビル数階分の高さから、滑空しながら距離を取る選択肢を取る。

 

「……もうバレてるからね? さあ急いで急いで……」

 

「分かってっ……おりますっ!!!!!!」

 

 深夜の逃走劇。

 曇り空を見上げて、八百万百は強く意識する。

 

 これは、おそらく最初で最後のチャンスだ。

 目の前に広がる景色から自由と命を掴みとれるかどうかは全て自分の腕にかかっている。

 

「付いてきてくれるんですのっ!?!?」

 

「興味があるっていったじゃん……折角だから一等席でみたいよう……」

 

 ――――――――

 

『状況は理解しておるのか?』

 

「あの子が八百万百を連れて逃げ出したのは確認した。私そんな指示していないんだけれど……」

 

『過失か故意かはこの際関係ないの。こっちでは完全な裏切り扱いじゃ。霊火はこの特大の失点をどう取り返すつもりかのう?』

 

「取り返すも何もリカバリー不能だよ。こんなことになるなら遠隔で電源落とせる様にしとけば良かった……」

 

 明け方の静寂が満ちるホテルの廊下。

 窓から差し込む薄暗い光が青白い影を落としている。

 深夜四時を回ったこの時間帯に、当然人の気配は全くない。

 

 少女のカタチをした極大の悪性は、頭痛を堪えるように両目を瞑り、低い声で通話をしていた。

 スピーカーの向こうから同情するような声が響く。

 

『……造ったものに裏切られて痛い目を見るのはお互い様じゃのう』

 

「……造られし生命に反抗されるの、マッドサイエンティストとしての箔付けだったりするの?」

 

『そんなはずはないのじゃが……儂らの様な人種の詰めが甘いのは、もしかしたら世界共通なのかもしれん』

 

 白い壁と深緑のカーペット。

 整然と並ぶドアの数々。そのどれもがまだ眠りの中。

 廊下の端にある非常口の赤いランプが無言の存在感を放っている。

 

 霊火は目をつむったまま小さく息をつく。

 

 [Class3:cannibalism]

 元々『人間と見分けがつかない殺人兵器』というコンセプトだった。

 故に人間らしさの再現のため、敢えて非合理的な行動を選択するような傾向にしてある。それがそのまま”人質を逃がす”という方向に発揮されたのだろう。

 

 オマケにあれは、セーフティとして『本当の意味で悪事を働けない』という制限をかけている。

 これも冷静に考えれば、捕まった女子高校生をそのまま殺すという任務との相性が最悪だ。そりゃあセーフティが働いて、捕まっているJKを逃がすに決まっている。

 こればっかりは霊火の慢心だ。言い訳になるが、こちらに悪事を働いている感覚があんまり無かったのだ。

 

(……自分を正義だと思ってる敵なんて一番悪質だっていうのに)

 

 まさか自分がそうなるとは思っていなかった。

 霊火は雑に反省しながら、うんざりした声で電話先に話しかける。

 

「で、そもそもドクターは何で私に電話をかけてきたの? お説教?」

 

『……霊火を殺そうとしているのは『先生』じゃ』

 

 霊火の時間が止まった。

 

 息を呑む音が廊下に響く。動揺は向こうにも伝わってしまっただろう。

 

(…………………………言われてみれば)

 

 確かに。

 言われてみればのレベルだが、これまでの襲撃には不自然な点も多かった。

 

 そしてなにより霊火には、『AFO』に狙われるだけの心当たりがあった。

 

「……もしかして死柄木弔の”個性”絡みか……?」

 

『知ってはいけない事を知ってしまうその”個性”。時々大変そうじゃのう』

 

 ”個性”『死因』

 絶対に知られてはいけない死の秘密を暴きたてる、現代最強のサイコメトリー。

 

 なるほど蓋を開けてみれば、これは典型的な”口封じ”だ。

 

「……死柄木弔に知られたら困るもんねえ。まさか『崩壊』が後からねじ込まれた”個性”で、悲劇の元凶は『先生』側にあるなんて……!!」

 

『そう、儂らにとってはまさに致命傷じゃ。だからあの人は霊火を殺そうとしておる』

 

「…………………………教えてくれるんだ」

 

 ……この場合。

 霊火の心を揺さぶったのは、この事実をドクターが告げてきたという衝撃だった。

 ドクターは、常に先生の意向を最優先にしてきた存在だ。そんな彼が、先生の意図をターゲットに暴露している。

 

 今回の霊火のミスも大概だが、暗殺対象に狙いを伝えてしまうドクターのこれはかなり明確な裏切りだ。

 完全な離反行為。越えてはいけない一線を越えてしまっている。

 

 だから霊火は聞いた。

 

「そんな事言っちゃって、良かったの?」

 

『霊火が大切だからじゃ』

 

 老人は言い切った。

 ……彼の娘として断言できる。この言葉に嘘は無い。

 

 そして今回のミスはリカバリー不能である以上、霊火はこう言うしかなかった。

 

「…………………………伝えてくれてありがとうね、()()()()。私の方も何とか『自分で気が付いた』体にしておく。……そっちでも元気でね」

 

『待ってくれ!! 霊火、儂の元に戻ってこないか? こっちに帰ってくればきっと、”あの方”だって許して下さる』

 

「…………………………」

 

『もし雄英高校で疲れてたり逃げたいのであれば。とにかく一度、儂の元に戻ってきてもいいのじゃ!! 研究なんて元々儂が押し付けてしまった物じゃ!! 辛かったら止めてもいい!! 霊火にはまだ色んな道が残っておる!!』

 

 力が入る。スマホを握る手が白くなる。

 これだから、霊火はどうしてもドクターの事が嫌いになれないのだ。

 

 緑谷出久に出会った今でも、霊火の事を愛してくれるのは彼だけだ。

 霊火に物の考え方を伝えたのも、世間との向き合い方を教えたのも、短い寿命を必死に伸ばしてくれたのも、全部彼なのだ。

 

「……気を遣ってくれてありがとうね。でも私は続けるよ。まだ何も出来ていないから」

 

『…………………………次は、死ぬぞ。『AFO』は本気じゃ。霊火も、あの方が敵に回った時の恐ろしさは知っておるじゃろう?』

 

「お父さまが育て上げた私を信じてよ。それに貴方も良く言っていたでしょう? 『(ヴィラン)とは、戯言を実践する者だ』ってさ。なら、私は挑戦してみるよ」

 

『…………そうか。そうじゃのう。儂は確かにそう言ったの』

 

 暫しの沈黙。

 老人は、絞り出すようにこう告げた。

 

『……儂は『AFO』側につく。娘一人すら守ってやれない儂を許してくれ』

 

「私はもう、十分な物をお父さまから受け取ったよ。だから後は任せて。……貴方の無念もついでに晴らしてみせるから」

 

『…………………………………我が生涯で唯一の好敵手(ライバル)よ。儂がただ一人認めた天才よ。……汝の幸運を祈っておる』

 

 そう言い残して、通話が切れた。

 少女はしばらくの間、黒い液晶を眺めていた。

 

「私は……」

 

 低い声が闇に溶けていく。

 世界を変えてしまうほどの重みを持った独り言。幸か不幸か、これを聞く者はこの場にいない。

 

「私はまだ止まる訳にはいかない……」

 

 誰もが世界をよくしたいと願う。

 そして誰もが、個人という存在の小ささに折れて諦める。

 

 しかし霊火は、手を伸ばせば届く位置に世界があった。

 だから逃げられなくなった。少しの努力で世界を救えるなら、それは努力するべきなのだ。

 

 結果、少女は人類の大半が死亡するという、途方もない理想を追い求めることになってしまった。

 そんな罪を一人の人間が背負えるはずもないのに。

 

「私は必ず、敵対する全てを轢き殺して」

 

 結局のところ、少女は皆に幸せになって欲しいだけなのだ。

 

 そのために霊火は、"個性"特異点という終末から必ず人類を救わなければならない。

 

 そのために、何人殺すことになろうとも。

 

 霊火はもう止まれない。




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