殺人現場より、愛をこめて   作:トリスメギストス3世

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061:『マジョリティ』

▶The day 10:17

 

『繰り返します。現在、超大型敵が南南東にまっすぐ――――』

 

「……うわちゃあ……流石にヤバいかも」

 

 ホテル備え付けの大画面テレビに映し出される大惨事を見て、霊火は普通に卒倒しそうになった。

 

 ……現在進行形で都心に壊滅的被害をまき散らしている巨人を、霊火は良く知っている。

 

 『ギガントマキア』。全ての『脳無』の原型にして最大戦力。『耐久』軸の複数”個性”持ち。

 生きた”脳無”のオリジナルで、ある意味霊火と非常に近い存在でもある。

 そして霊火の対マキアは絶望的な相性だ。本気で手段を問わなければ勝てなくもないが、それでも70パーセントは負ける。

 

 ドクターもAFOも普通に本気出してきたなと言うのが、霊火の率直な感想だった。

 

(……まっすぐ私のいる新横浜に来てるって事は、私の位置がわかっているからだよね。……『犬』の嗅覚? もしかして林間合宿で千切れた私の左腕でも嗅がせているのか? その場合、私がここから離れても意味が無い……逃げればその方向に方向転換して追いかけてくるだけ。つまり私が逃げれば逃げるほど被害が大きくなる仕組みになってる? わあ趣味が悪い……)

 

 気分的には世界最強の猟犬を放たれた感じだ。

 

 こうなってしまうと直接追跡を振り切るのはかなり難しい。

 匂いというのは非常に消しづらい痕跡の一つだ。ましてや体臭などを誤魔化し続けることは事実上不可能だ。

 霊火が頭から香水をバケツで被っても、海水浴してもあの巨人は霊火の方を正確に嗅ぎ付けて最短距離で襲ってくるだろう。

 

『殻木霊火を出せ。殺せ。主のために殺せええええええ!!!!!!!』

 

「Oh…………」

 

 オマケにギガントマキア君、霊火の名前を大声で宣伝しながら爆走していた。

 ある意味こっちの方がまずい。本当にマズい。

 

「た……」

 

 霊火が思考していると、液晶を見て固まっていた緑谷が再起動した。

 生粋のお人好しはバッと霊火の方を見るとこう仰った。

 

「た、大変だ霊火さん!!!! 霊火さんは隠れなきゃだし、僕は早く皆を助けに行かないと!!!!!!」

 

「ばかっ!!!!!! 何をどう見てもそれどころじゃないじゃん!!!!!! こんな選挙カーみたいに私の名前を宣伝しながら歩かれたら絶対」

 

 そして、いきなり来た。

 ピッ、という小さな電子音に、ガチャリという金属音。

 

 ホテルの部屋に来客があった。

 緑谷と霊火が振り向くと、開いたドアの前にクラシカルなスーツをきっちり着こなした女性が立っていた。

 このホテルの従業員で見た目の年齢は40代程。霊火の記憶が正しければ昨日のチェックインで対応してくれた人だ。

 

 彼女の手にはフロントカウンターに置かれていた大理石製の文鎮が握られていた。

 ホテルにふさわしい上品な装飾が施された品だが、女性の持ち方は鈍器のそれだった。

 

 マスターキーを使って部屋に侵入してきた彼女は、血走った眼で霊火を睨みつけていた。

 中年女性のへっぴり腰はどうにも迫力が足りないが、覚悟は本物だ。

 

「「「…………………………」」」

 

 硬直している緑谷。

 部屋に来たのはいいものの、どうすればいいか分かっていない様子の従業員。

 気まずい沈黙を破ったのはやはり荒事慣れしている霊火だった。

 

「なるほど。確かにチェックインで名前は書いたけれど、それを私的利用するのはどうかと思うけどな〜?」

 

「……私の主人は五反田のデパートで働いています」

 

「ふーん……もう死んでいるんじゃない?」

 

 重い足音が次々とカーペットに吸い込まれるように響く。

 女性従業員の背後から次々と人影が現れた。

 ホテルのスタッフの制服を着た者もいればそうでない者もいる。

 

 無遠慮に霊火たちの部屋にずかずかと踏み込んできた。

 明確に空気が変わる。

 彼らは捕食者。何対もの仄暗い視線が少女に向けられていた。

 

 ベッドに腰掛けて淡く微笑む小柄な少女。

 そして人の良さそうな中年女性は、震える声でこう告げた。

 

「殻木霊火が死ねば、あの怪物は止まる。そうですよね? も、申し訳ありません!!!!!!!!!! 私の家族のために死ん」

 

 話す価値なし。

 そう判断した少女の指先に、力を持つ光が踊った。

 

 緑谷の静止は間に合わない。ホテルの部屋にキュガッ!!!!!!!!!! と凄まじい爆音が響く。

 不可視の衝撃で側頭部を撃ち抜かれた女性が鮮血を撒き散らしながら、部屋から廊下へ叩き出された。

 

 霊火は想い人にベッドに押し倒されながらもハンドサインで攻撃方法を次々に切り替える。

 

 複数の破砕音と悲鳴と怒号が響き、善良な市民の皆様は纏めて無力化されたとさ。

 

 ――――――――

 

▶The day 10:17

 

「う、うそでしょう!?!? なんなんですかこれ!?!?」

 

「…………………………殺される」

 

「ふ、ふうかさん!?!?!?!?!?!?!? 大丈夫ですか!?!?」

 

 八百万と鬼は、暗い通路を身をかがめながらも必死で駆けていた。

 濁った雨水に足首まで浸かって脚運びが阻害され、前に進むだけでもとにかく不安定だ。

 

「な、なんなんですか? 教えてください!! 私たちは何に追われているのですか!?!?」

 

「【拝金主義】とか言っていたような……」

 

「は、拝金主義……? それは何かのコードネームですか……!?!? 悪口とかではなくて……?」

 

「うん。因みに私【食人主義】」

 

「しょ……!?!? えっ!?!? 食人!?!?

 

 八百万の目の前でトンネルの壁面が歪む。

 濡れた壁を伝う水滴が溶けた金属のように光を反射する。懐中電灯の光が壁面に当たるたびにまばゆい金色の閃光が闇を切り裂く。

 それらは明らかに古びたコンクリートでは無い。材質そのものに何か致命的な変化が起こっている。

 

 壁面が不気味にうねり始める。

 まるで巨大な蛇が蠢くように狭い通路が歪み。眩い光沢が重力に負けて内側へと折れ曲がっていく。

 ここは下水道だ。低くなり続ける天井を見て八百万の喉が干上がる。

 

「……っ!!! 広い所へ!!!!」

 

 走る。

 

 懐中電灯の光線が作り出す金色の反射光が崩壊していく通路を幻想的に照らし出す。

 まるで万華鏡の中にいるかのように無数の光の断片が踊り、皮肉にもその光景は美しかった。

 

 八百万の後ろをついてくるふうかが、小さくつぶやいた。

 

「私のお兄ちゃんだ……」

 

「えっ?」

 

「思い出した、[Class4:mammonism]……!! 確か”個性”は『黄金化』。周りの無生物を問答無用で金に変質させる能力を持った、対構造物決戦兵器!!!! なんかタルタロスに放り込むだけであらゆる装甲もハイテク兵器もきらっきらの黄金になって機能停止するとかなんとか……」

 

「な、なんですのその金相場に喧嘩を売った能力は……!!! そんなのが世に出たら、冗談抜きに世界の経済が崩壊してしまいます!!!」

 

「…………………………ごめん、『創造』ちゃんのツッコミ待ちだったり……? あ、ヤバ、追いついてきた」

 

 にゃあん。

 

 と、地下道に似つかわしくない鳴き声が響いた。

 水音混じりの軽い足音が響く。

 

「……猫?」

 

「……あれ、私は見られたら一発アウトだったはず? もしかして手助けに来てくれた?」

 

 体高30センチ程。

 短い鼻に長い体毛。離れた両目に幅広の顔。所謂ペルシャ猫が、じっと二人を見ていた。

 

 一瞬、間があった。

 

「……敵意は無い?」

 

「お、お兄ちゃん? ごめんあの人はなんて」

 

 にゃーんという鳴き声が暗い地下道に不気味に反響した。

 

 頭上から轟音が響き渡る。

 コンクリートの壁面が見る間に変質し、軋むような音を立てて歪み始める。

 金は、非常に柔らかい金属だ。重力に負けた地下道全体がゆっくりと潰れていく。

 

「ッ!!!!」

 

 鬼の童女と八百万は一瞬の目配せを交わし、地下道を全速力で駆け出した。

 足元の水が跳ね上がり壁面に映る二人の影が不規則に揺れる。謎の猫から距離を取ることが今は一番の最優先事項だ。

 

 暗闇の中で光る猫の目が二人の動きを執拗に追いかけてくる。

 

 必死に走りながらも、八百万は全力で思考を巡らせていた。

 

(なんか……甚振られているというか、走らされているというか。遊ばれて……いや、追い立てられている?)

 

 壁面に亀裂が走り、天井から謎の破片が落下し始める。

 下水道はその巨大な躯を内側へと折り畳もうとしていた。暗闇の中で、地獄の鬼ごっこが始まった。

 

 ――――――――

 

▶The day 10:21

 

「おおう……ダメだこりゃ。もうすっかり私を生け贄にして災害を収めようムードだけれど」

 

「嘘だろ……!?!? でもだってそんなことは」

 

「何もかもあの巨人が『殻木霊火を差し出せば帰る(意訳)』って大騒ぎしながら行軍しているからだし……。嫌がらせにも程があるというか……」

 

 考えれば考えるほどよく出来た作戦だった。

 霊火はそもそもギガントマキアに勝てない。その上民衆を恐怖に陥れることによって、霊火から逃走という選択肢も奪い取った。

 わざわざ平日昼間に都心を横断するコースをとらせたのもそのためだろう。地味にヒーロー志望の殻木霊火としても、完全な致命傷だ。

 

 逃避行。そんな訳で二人は、とりあえずホテルの屋上へ向かっていた。

 

 少女は自分のスマートフォンを見て舌打ち。SNSを眺めてみるとタイムラインは前代未聞の大パニックだった。

 

 悲惨を極めた被害状況や人の命が失われていく動画。不安を煽る情報と、モザイクすらもかけられていない人の死体。

 見る人を狂気に引きずり込む極彩色が検索除けもされずに堂々と流れている。

 

 その中でも『殻木霊火が死ねばこの災害は収まる』という情報は、とびきりの劇薬だ。

 こんな情報に晒された民衆が恐怖と正義感に駆られて霊火を殺しに来るのは当然と言える。

 

「……うっわ。噂ですらない。これ確定情報で生け贄を求められてるのか。……正直ここまで指示が具体的だと”民衆は愚か”なんて上から目線で講釈するのも気が引けるなあ。奴ら、真面目に『家族を守るため』に戦ってるもん」

 

「絶対にそんなことはさせない!!」

 

「そう言ってくれるのはとても嬉しいけれど、ごめんね。実は出久くんも巻き込まれてるの。私の同行者として顔と名前が割れてて、貴方を人質にすれば私を殺せるみたいな情報でいっぱい。……これ貴方のお母さんを警察に保護させたのナイス判断だったな私」

 

 そして霊火の養父たる殻木球大もまあまあな大ピンチな気がする。

 これもよく考えてみるとシュールな話だった。ギガントマキアはそもそもドクターの管轄だ。黒幕兼巻き込まれ被害者なんて立場が良すぎる。

 

 というかこの大混乱ぶりだと、下手したら警察のリミッターすら外れそうだ。

 特に都心部に家族がいる警察官たちの中から保護中の緑谷引子を利用して緑谷と霊火を追い詰めようと考える者が出てくる可能性も否定できない。

 それほどまでに、状況は制御不能なパニックへと発展している。

 

 スーツケースを引いて階段を上がる二人。

 先ほど霊火がズタズタ(甘口)にした女性従業員一行のために救急車を手配しようとしていたお人好し少年は、スマホ片手に絶望的な声を出した。

 

「電話が繋がらない……119番だぞ……!?」

 

「そこが落ちてるなら多分警察にも繋がらないね。ついでにSNSのサーバーが落ちていてくれたらだいぶやりやすかったんだけれど……」

 

「さっきから思ってたんだけど霊火さんはなんでそんなに平気そうなの!?!? 怖くないの!?!?」

 

「あー……私に関しては根本的に人間って生き物を信じていないからな……。これぐらいやるだろうと思ってたというか、期待値が低い分ショックが無い……というか出久くん、まさかとは思うけれど、ここがドン底だと思ってる?」

 

「え?」

 

「甘い。甘すぎ。いい? よく聞いてね。人間はここからもっと壊れるよ」

 

 霊火はここで一度言葉を区切った。

 

「まあ見てなよ、じきに私と全く無関係な女の子に私のコスプレさせてぶっ殺して、死体をあの巨人に捧げる奴が出てくるはず。後はどこぞの大金持ちが私に賞金を懸けたり、巨人が方向転換したってデマが出てきて更に手が付けられなくなったり、火事場泥棒だったり、あるいは混乱に乗じた誘拐事件だったり。そんな事件が多発するはず。分かる? あと30分であの巨人がやってくるって言うのに別枠の心配事がいっぱいだけれど?」

 

 ただでさえ気分が悪そうだった緑谷の顔色が更に悪くなった。

 対して霊火は終始冷静だ。いつものテンションで、いつもの雰囲気で、いつもの判断力をキープし続けている。

 こればかりは経験と才能がモノを言う。霊火はこれでもネームドの超級敵なのだ。

 

(救急車が止まっているとなると、さっきボコボコにした従業員ご一行の安否がちょっと気になってくるなあ。治療前提でやっちゃったから放っておいたらそのまま死ぬけれど……)

 

「……霊火さんは凄いね。僕と同じ年だなんて思えないや」

 

「昨日は私に子供っぽいって言っていじめてきた癖に……」

 

 とはいえ緑谷も、霊火(実年齢9歳)と話すことでかなり冷静さを取り戻す。

 二人はそれなり以上に互いに影響しあっているが、霊火が緑谷に与えた影響の中でも特に有用なものに冷静さと思慮深さがある。

 人間は、思考することに意味がある。霊火の哲学は彼にもしっかりと浸透していた。

 

 そして二人が屋上に出る扉の前に辿り着いた時だった。

 

「「……ッ!!!」」

 

 ズズン……ッ!!! と、ホテルのある高層ビル全体が激しく振動した。

 

「何だ……?」

 

「あの巨人が来るには早すぎるけれど、まあ私たちにとっては良くないものだろうね」

 

 そう言いながら霊火がぱちりと指を鳴らして、鍵のかかった金属製の扉を吹き飛ばした。

 緑谷は一瞬何か言いたげな顔をしたが止めた。

 

 ビルの最上階。

 人の足跡がほとんど残されていない屋上は、工業的な無機質さが支配する空間だった。

 一つ一つが人間の身長以上の大きさの空調設備の室外機が整然と並び、絶え間なく唸りを上げている。

 錆びついた換気扇や黒ずんだ煙突が無秩序に林立した、典型的なホテル屋上だった。

 

 高圧電線の警告サインが風に揺られ、配管が這うように屋上を縦横に走る、

 メンテナンス用の細い通路以外は、機械の部品が占拠していた。

 

 二人は速足で屋上の縁に向かうと、下を見下ろす。

 

 わあっっっっ!!!!!!!!!!! と。

 街を埋め尽くすのは人の群れだ。

 

 通りは人で埋め尽くされその数はもはや数えることすら不可能だった。

 蟻の巣を踏み荒らしたように、人々は至る所で無秩序に蠢いている。

 遠くで爆発音が轟く。オレンジ色の火柱が夜空を染め上げ呼応するように群衆から悲鳴が上がる。

 パニックに陥った車両のクラクションが街中で不協和音を奏でていた。

 

「殺せ!」「捕まえろ!」「身勝手な殻木霊火を許すな!」「殻木霊火さえ死ねば皆が助かる!!!」「この辺りにいるぞ!!! 探して引きずり出せ!!!!!!!!!!!」

 

 憎悪に満ちた叫び声が建物の谷間を這い上がってくる。

 ……ここまでくると、何か扇動系の”個性”が使われているのではと疑いたくなるレベルだった。

 

 悪意に当てられて真っ白になっている緑谷の頬を抓って現実世界に呼び戻しながら、霊火は冷静に現状を分析した。

 

「あちゃー……もう完全に沸騰してるね。ここにいる事を知られたら八つ裂きにされそう」

 

「そんな馬鹿な……」

 

「素直に1億人がまるっと私の敵に回ったと考えた方が良さそうだね」

 

 こうなってしまうと霊火は逃げるのもままならない。

 穏便な選択肢はすべて封じられた。これから先の逃避行は過熱する市民を本気で消し飛ばしながらのものになってしまう。

 それが分かっているからだろう。緑谷は真っ青になって認めたくないという風に首を振った。

 

「こんな……!! こんなことがあるかよ……!?!? どうして皆、霊火さんを責めるんだ!?!?」

 

「まあそれに関してはしょうがないところがあると思うよ。今回の場合は『殻木霊火を殺せば自分の家族が助かる』って図式がちゃんと成立しちゃっているからね。彼らは自分が大切にするものを守るために戦っている。ここに関して彼らに落ち度は無いよ。……そしてそういう人間は何を言ってもブレないから面倒だけれど」

 

 そもそも新横浜も巨人の進行ルートである関係上、命が惜しい人は大体避難したがっていると考えてもいいだろう。

 つまりここに残っているのはほぼ全員が霊火を殺すことで平和を取り戻そうと考えている人たちだという事だ。多分当人は、自分の事をヒーローだと思っている。

 

 そして霊火は霊火で緑谷とは少し違う視点で群衆を見ていた。

 

「……あの人たち、一方的に私を殺す前提で来ているけれど本当にそう話がうまく運ぶと思っているのかな?」

 

「……ごめん、どういう意味?」

 

「災害と化した『巨人』ではなく、怒りを収めるための『生け贄』を求めている。まあそれ自体はよくある集団ヒステリーだけれどさ、今回の場合は別の大問題があると思うんだけれど……」

 

 そして凶悪敵はかく語りき。

 

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「!?!?!?!?!?!?!?」

 

「あの人たち、私のステイン戦を見てないのかな? こっちは生け贄ポジの哀れな村娘とかじゃないんだよ? 私が”個性”全開で戦ったら被害規模はあの巨人以上だぜ? あんまり刺激して私が冷静さを失ったりやけくそになったら、普通に巨人級の災害がもう一つ発生するだけって誰かが気が付かなかったのかな?」

 

 霊火はくるりと指先を振って複数の鬼火を生成した。

 儚く淡い微笑みで、少女は囁く。

 

「高層ビルを一つ輪切りにして転がして、ロードローラーっぽく町全体をぺちゃんこにすればいいんでしょう? ふうん、貴方たちがそこまで望むならやってあげようかな……」

 

 ぎょっとした緑谷が霊火を見る。

 少女は感情の読めない目で少年の事を見返した。

 

 緑谷は固い声だった。

 

「それは、絶対に駄目だ」

 

「あの人たち、私を犠牲にして自分が助かるつもりでしょう? だったら私も、彼らを殺して自分を助けようと試す権利があると思うんだけれど」

 

「あの人たちは、今は恐怖でおかしくなっているだけだ!! だから霊火さん……」

 

「へえ。出久くんまで私に死ねって言うんだ」

 

「そんな訳無いだろ!! もっと別の方法が……」

 

「……はあ。それじゃあしょうがない。コソコソ隠れて港から貨物船か何かに乗り込んで、こっそり海外に逃げる感じで行こうか……追跡を振り切るまでに相当被害が広がりそうだけれど……」

 

 霊火は退廃的に息をついて、じとりと湿っぽい目つきで緑谷を睨みつける。

 

 そして少女はドキリとした。

 

 彼の瞳は揺れていた。肩は力なく垂れていて、これ以上ないぐらい分かりやすく意気消沈していた。

 

 ……おそらく、彼にとってこの光景は相当受け入れ難い物だったのだ。

 『誰もを救えるヒーローになる』。自分の親友を殺そうと叫ぶ人々を前に、緑谷の根幹は大きく揺らいでいる。

 救いたいはずの人々が大切な友人の命を求めているという矛盾に、心をやられたのだろう。

 

 迷子の子供のようだった。

 腹の底まで真っ黒な霊火にとっては今更だが、人の善性を信じている緑谷にとって暴走する民衆が相当な衝撃だったことが伺える。

 

(……惚れた方が負けって奴じゃん。ほんと最悪……)

 

 彼には笑っていてほしいなんて、自分でも馬鹿らしすぎて笑ってしまう。

 だけどそんな顔をされたら、どうにかしてあげたくなっちゃうのも仕方がない話だ。

 

「……()()()()()()……ったく、もう良いから手伝って」

 

 強い言葉とは裏腹に、霊火の機嫌は意外と悪くなかった。

 少女は軽い苦笑いで自身のスマホを緑谷に押し付けると、そのまま黒ずんだコンクリートの床に寝転がる。

 

 脈絡のない霊火の謎行動に目を白黒させる少年に、下からこう命令した。

 

「撮って。スマホのカメラで良い感じに」

 

「なんで!?!?」

 

「良いから。理想ばっかり先行して具体的な案の一つも出てこない貴方の為に優しくて寛容で有能で可愛い私が力を貸してあげるって言ってるの」

 

 指示に従った緑谷は、訳も分からないままパシャパシャと数枚写真を撮る。

 左の義手を解いて片腕になった霊火の写真が何枚か、写真フォルダに収まった。

 

 スマホを返してもらった霊火が10秒ほど画面を操作すると、あっという間にお目当ての画像が出来上がった。

 

「よーし。ねえ、これどう思う?」

 

「な、なんだこれ!?!? 霊火さんが死んで、えこれどうするの?」

 

「AI製フェイク画像は確かに随分な社会問題を引き起こしたけれど、自分が利用する側ならここまで便利な技術も無いじゃんね。いやあ頭の足りない市民の皆様は自衛(笑)を頑張ってくださいな」

 

 ま、それが出来ないから馬鹿は馬鹿なんだろうなと嘯きつつ、霊火はSNSに一枚の写真(加工済み)を投稿する。

 腹部から致死量の血液を流して倒れた霊火の死体の写真を、だ。

 

「ちょ、何をしたいの霊火さん!?!?」

 

「バズる投稿なんて計算で作れるものだよ出久くん」

 

 パチン、と。

 霊火が能力を振るうと、今度はお隣の高層ビルの屋上が轟々と燃え始めた。

 

「霊火さん!?!?!?!?!?」

 

「さてこれを見て愚民は足りねー頭でどう考えるかなあ? 殻木霊火を殺した誰かさんが勢い余って火葬し始めた? それとも殻木霊火の最期の抵抗? どちらにしても多数派の皆様は私の死亡確認が取れないと困り果てるからね。私の死亡を証明して巨人を止めないといけないわけだし」

 

「ちょ、ちょっと待ってよ!!! 何もかも勝手に進めないで!?!?」

 

「えーっ? 私は貴方の理想に具体的なカタチを与えているだけだよ。なのにそんな言い方されたら拗ねちゃうよ?」

 

 写真を見たであろう地上の群衆から怒号交じりの悲鳴が届いてニンマリと笑う少女は、自身のスーツケースを開けながら更に民衆の制御に手を伸ばす。

 

「さあ、私の死体探しが始まるよ。あの災害を止める唯一のピースが失われたなんて彼らは認められないもん。有りもしない死体の灰を探し続ける追跡班に、この殻木霊火を殺したけれど最後にヘマした犯人探し。 そして私相手に頭脳戦が出来ると思うなよ愚鈍。大量のbotによる“民意“の操作にインターネットのご意見番(笑)を買収してデマの拡散。新説珍説奇説の群れに不確定情報の嵐。何が真実で何が嘘かなんてこちらの掌の上だからね。なにしろ現在進行形の災害で、細かいファクトチェックなんて絶対に追いつかない。気づいた人が出てきても加熱する集団を抑えられない以上、今の私は誰にも止められないけれど」

 

「だ、大丈夫なのそれ!?!?」

 

「この世の全ては私の為にあるから大丈夫だよ。まあ見てて。民衆がぐらっぐらに沸騰しているなら、無理に冷まさず好き放題に加熱して自分に有利な状況を作るほうがずっと有効だって事を証明してあげる。さあ呆けてる暇はないよ出久くん。”民衆は愚かだ……”なんて半端なニヒリズムは色々恥ずかしいから中学生で卒業しとこう!! 言っとくけど人が群れたら馬鹿になるのって太陽が東から昇るレベルの”事実”だからね!! 高校生にもなったらそれを利用できないと!!」

 

「大丈夫霊火さん!?!? 今のはだいぶ人間不信を極めた霊火さんの理論じゃない!?!? そして色んなところに喧嘩売ってない!?!?」

 

 霊火が端末の上に指を走らせると、それだけで数千数万のアカウントが追従して同調、ネット上での”全体の流れ”を形成していく。

 

 霊火は常日頃からAIを用いて日々の生活を勝手に呟く方式の偽アカウントを万単位で運用している。こんなのJKの嗜みだ。

 ……元はと言えば、緑谷出久が何かの拍子に世間から叩かれるような流れとなった時に世論を捻じ曲げる為のものだったりするが、こう言う応用もある。

 

 目を爛々と輝かせる霊火は次々と自身のアカウント群に指示を出す。

 

 ありとあらゆるディープフェイクを駆使して偽物の動画や静止画を拡散。

 更には都合の悪い競合アカウントをあの手この手で爆発炎上させ、通報から凍結に追い込んでいく。

 

「んっん~……『巨人には他に狙いがある、動画もあるぞ!!!』『俺も聞いた』『私も見た』『なんてことだ立ち止まったらしいぞ』『プロヒーローが止めたらしいぞ!!』『現場から逃げ去った男がいるらしい』『殻木霊火が死んだ写真を見せたら止まったらしい』『二人目が現れた!!』『そんな訳あるかこっちではまだ動いているぞ!!』『俺赤坂にいるけどそんなの来てないぞ?』『殻木霊火の死体を見つけた』『死体を見つけ出して巨人に見せたやつには賞金10億』『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!!』まあこんなところかな。特に最後の奴は強調して……そうそう、良いね。この反論は多数派でもってボコボコにして大炎上させて、オッケー住所本名家族構成年収色々特定してビビらせるのもいいね。お、引っ込んだ引っ込んだアカウント削除。よし、そこの頭のいい冷静なインフルエンサー様はどうぞ好き放題に反論して実証して裏を取ってよ。だけど限られた時間と足りない脳のリソースをそんな事に浪費させていいのかなあ……?」

 

 傍からそれを見る緑谷の表情がどんどん渋くなっていく。

 さっきまであれ程怖かった民衆の狂気が、見る間に霊火に汚染されて全くの別物に捻じ曲がっていくのだ。

 

 緑谷出久は正直、霊火が一番怖かった。

 

「お、ここまで来たらあと一歩だよ」

 

 少女はニヤリと笑って小さな画面を緑谷に提示した。

 

 『殻木霊火が死亡した』という、ネットニュースの速報だった。

 それを見た緑谷出久は本日n度目の呻き声をあげる。

 

「マジか……うっわマジか……!?!? そんなこと出来るんだ……」

 

「ま、pv稼ぎにしか興味が無いネットニュース担当なんてこんなもんだよ。これは実際にこれを書いた記者を騙せたわけじゃない、彼らもフェイクだと薄々気が付いているけれど乗っかってるわけでテレビを飲み込むにはもうちょっと必要だから――おっと!!!!」

 

 しなやかで細い指がパチンと空気を叩いた。

 空中のある一点でいきなり何かが眩く輝き、ジュッ!!!! と金属が灼ける異音が響いた。

 

()()

 

「えっ?」

 

 銃声が耳まで届いて初めて、緑谷は霊火が自身に飛んできた銃弾を焼き払ったという事実に気がつく。

 

 霊火は無造作に左腕を伸ばした。

 

 少女のほっそりとしたシルエットがばらりと解けて、義手が包帯の形に戻る。

 そして1枚の細長い布がいきなり、螺旋を描きながら空気を切り裂く音と共にかっ飛んでいった。

 

 隣のビルの窓に飛び込んでいく白い布を、緑谷は茫然と見送った。

 カテゴリ的にはロケットパンチだが、ビジュアル的には空中を超高速で泳ぐとか伝説を持つスカイフィッシュに近い。

 

「撃破3。こりゃ暗部の殺し屋だね。今時火薬を使った狙撃銃なんて骨董品も珍しい……」

 

 呆気にとられる少年に、霊火が画面を見せる。

 一人でうねうね動く包帯に首の動脈を縛られて、気絶したスナイパーたちのリアルタイム映像だった。

 

 まるで何事も無かったかのように、霊火は話を進める。

 

「さあ出久くん、貴方の役割は『殻木霊火を殺したヒーロー』だよ」

 

「はあ!?!?!?」

 

 意味不明だった。

 

 しかし霊火に見せられたネットニュースの記事を見た緑谷は言葉を失う。

 ヘッドラインにはこう書かれていた。

 

『【速報】お手柄!! ヒーロー『デク』、殻木霊火を殺害!!!!』

 

「もうどこから突っ込めばいいのか訳が分からないけれど、とにかく貴方は『皆を救った最高のヒーロー』だよ良かったね……ていうのは意地悪すぎるかな。とにかく私は最期の嫌がらせとして、自分の死体を残さなかったってストーリーで行くから」

 

「ちょちょちょちょちょっと待ってこれどうすれば」

 

「待たない。悪いけれど説明している暇が無いの。……これ雄英関係者大混乱だろうな。引子さんとかも……」

 

 そう言う霊火は、“個性“で緑谷の服に大きな焼け焦げを作る。

 服の灰を適当に少年の顔に擦り付けて『霊火を殺したスーパーヒーロー』という嘘の強度を上げながら、少女は心底楽しそうに笑った。

 

「つまりは貴方の希望は『私が死なず、あの巨人を倒して平和になる』ルートでしょ? 合ってるよね?」

 

確かにそうだけど……!!!! もっと説明をしっかり」

 

「仕方がないから、私がその願いを叶えてあげる」

 

 空気を裂く音と共に狙撃手を無力化した”義手”が空を飛んで帰ってきた。

 スパァン!!!! と破裂音を鳴らしながら一瞬で左腕の形に再構成される包帯に思わず目を奪われてしまう緑谷。

 

 諦め交じりの声色で霊火はこう言った。

 

「いいよ、私があの巨人を倒せばいいんでしょ?」

 

「だ、大丈夫なの!?!? 僕も一緒に行くけど霊火さんは危険じゃ……!!」

 

「……またこうやってお話をできるかの保証はちょっとしてあげられないな。でも正直このまま逃げても相当リスクは大きいからね。だから貴方のお願いを聞いてあげるよ」

 

 霊火が腕を振ると、青白い光を放つカンテラを括り付けたサポートアイテムが持ち主のすぐ傍に浮遊してきた。

 斧の刃がギラリと光る。自作のものなので切れ味は本物だ。

 

 少女はそれに軽やかに横座りすると、そのまま飛行を開始してしまう。

 

「待って霊火さん!!!!」

 

「待たない。それじゃあ出久くん」

 

 霊火はここで一回言葉を区切った。

 少し迷ったそぶりを見せ、僅かに震える声でこう続けた。

 

「……もし”私”がいなくなったら、もう私の事なんて忘れちゃっていいからね?」

 

「霊火さん!!!!」

 

「あーあ……もしかしたら皆よりも私の事を優先してくれるかもってちょっと期待していたんだけれどなあ……」

 

 ぱちりと、小さな破裂音が響いた。

 次の瞬間には緑谷は分厚い空気の壁に身体を叩かれ宙を舞っていた。

 

 体勢を立て直したときには既に、霊火の姿は無かった。

 

「しまっ……」

 

 広い広い大空を見て、今更ながら緑谷の体内を強烈な悪寒が駆け抜ける。

 

 強い直感があった。

 

 間違えた。

 何かを間違えた。

 何か致命的な選択を誤った。

 

 今のは絶対に霊火を助けなければいけない場面だった。

 最後まで気丈に笑ってはいたが、絶対に一番助けを必要としていたのは霊火だった。

 言い訳にはなるが集団の悪意を突き付けられて思考がマヒして、霊火に流されるままに彼女を見送ってしまった。

 

 彼女があまりにも落ち着き払って、圧倒的な天才であるからこそ大丈夫だと思ってしまったのだ。

 緑谷は彼女が等身大の女の子であることを、分かっていたはずなのに。

 

 緑谷は焦燥のままに無意識に首元に手をやって、指先が固い物に触れた。

 それは霊火がくれた”首輪”だった。

 

「……まだだ」

 

 諦められない。

 まだ諦めてはいけない。

 霊火がどこに行ったのかは分かっている。だったら走って追いかけて、彼女にごめんなさいって謝ってそれで――

 

 背後で大きな音をたてて、屋上の扉が勢いよく開かれた。

 複数の足音が一斉に響く。踏み込んできたのは緊張と疑念の入り混じった表情を浮かべる、『善良なる市民』の姿だった。

 

「本当に殺せたのか?」「確認しないと」「死体はどこだ……!!」

 

 人々の声が重なり合う。

 彼らの中には疑わしげな目で周囲を見回す者もいれば、確信めいた表情を浮かべる者もいた。

 彼らの目には、殺意と不安と恐怖が混ざり合っていた。

 

 その中の一人が、緑谷に向かって駆け寄ってきた。

 

「いたぞ!!!! デクだ!!!! おい、てめえは殻木の死体がどこにあるかを教えろ!!!!!!!!!!! 早く!!!! 俺のカミさんの命が懸かってるんだ!!!!」

 

「れ、霊火さんは……」

 

 迷う。

 すぐに霊火を追いかけないといけない。

 しかし、目の前の目が血走ったおじさんも含めたその他大勢を、全員なぎ倒して行くわけにもいかない。

 緑谷出久は最高のヒーローになる義務がある。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!!

 

(どうする……!?!? どうすればいい……!?!? どう行動すれば霊火さんに追いつける……!?!?)

 

 分からない。

 緑谷出久は、殻木霊火ではない。

 あの少女であれば欠伸交じりに最適解を見つけて楽々と目的を達成するのだろうが、緑谷は霊火の頭脳を持っているわけではない。

 

 目の前の質問にどう答えればいいのかすら分からない。

 何というかこの単純な質問一つをとっても、どう答えても何かの問題が発生しそうな気がする。

 正直者の緑谷出久にとってこの状況はあまりにも相性が悪かった。

 

(どうすれば……!!!! まずここを、どう返答すればいいんだ!?!?)

 

 おそらくここまでが霊火の計算通りだ。

 ここで彼女の予想の外に出られなければ、緑谷は一生霊火の元に辿り着くことは無いだろう。




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