少女がパチンと指を鳴らすと、10メートル規模で積み上がった灰色の瓦礫の山が丸ごと『消失』する。
それだけで生き埋めになった一般市民が地表に露出した。プロヒーロー達は霊火に礼を言いながら救助に走る。
……生還者以上に死亡者がごろごろと見つかるのが現場の過酷さを物語っているが。
“個性“『死因』
対物性能が非常に高く対人性能がイマイチという珍しい性質故に、生存者が埋まる瓦礫の撤去に有用という地味な特徴があったりする。
なにしろ景色の中からコンクリートと鉄筋だけを指定して除去すれば、それだけで生還者を掘り出せてしまうのだ。
霊火は歩き回りながら複数回”個性”を使い、特に大きな瓦礫の山を生存者を残して丸ごと消し去る。
それを数十回繰り返したころ、怪我人の搬送や迷子探しに走り回っていた緑谷が霊火を見つけて駆け寄ってきた。どうやら彼の方は一息ついたようだ。
彼は霊火の右手をギュッと握り、不安げに少女の目を見つめた。
霊火は茫洋とした目付きで少年を見つめ返した。
……ギガントマキア戦、負荷の大きすぎる同時操作、『死因』の反動。流石の霊火も放心状態だった。
精神状態云々というよりシンプルに頭が痛すぎる。アドレナリンやエンドルフィンがドバドバ出ている戦闘中はまだいいが、一旦落ち着いてしまうと中々地獄だ。
感覚的には血の涙を流しそうだった。
様子のおかしい霊火を心配した緑谷は、真剣なトーンで言う。
「霊火さん、君は少し休もう……今は“個性“を使っちゃ駄目だ」
「今更数十個追加で使ったところで何も変わらないよ出久くん。それに現状、私も救出活動に取り組まないと救える命も救えなくなっちゃう。……多分1000人単位で」
「でも……」
「何が最悪って今が8月って事。生き埋めには脱水症状というタイムリミットが掛けられてるし、明日には死んでる人が腐りまくっていよいよ地獄になっちゃうよ」
真顔でエグい話をする少女だったが、事実として真夏の太陽が容赦なく照りつける救助現場では既に軽い死臭が漂っていた。
アスファルトからは熱気が立ち昇り、空気そのものが揺らめいて見える。そこら中に散らばっているブルーシートの上には赤と黒ででろでろになった肉塊が何体も横たえてある。
……今の東京は、”個性”の関係で死への耐性が非常に高い霊火でも眉を顰めたくなる死の密度だった。ちょっと死人が多すぎだ。おそらく神野区の方はもっと最悪な事になっているだろう。
この手の災害現場はガス漏れや漏電なども怖かったりと、心身ともに何かとハードな現場だ。プロヒーローの中からも引退者が出てしまうかもしれない。
緑谷と道端の木陰でこそこそ話をしていると、救助の指揮を執るプロヒーローが霊火を見つけて走ってきた。
メキシカンなコスチュームの優男、『マジェスティック』。ヒーローランキングでトップ10入りすることもある結構な大物だ。
「ごめん君、あっちの瓦礫も除去してくれない?」
「はあい……」
体調不良でローテンションの霊火は浮かない声で返事をした。
災害救助のタイミングで”個性”が強すぎるというのも考え物だ。霊火の場合は病院の娘でもあるので応急手当から小児心臓外科(無免許)まで出来たりするのだが、それを明かすと仕事の量が爆増しそうだから黙っておく。
社会人の常識だが、人というのはちょっと無能な振りをするぐらいがちょうどいいのだ。
「……そういえば公共の場での”個性”無断使用に引っかからないんですか? 私仮免許も無いですよ?」
「瓦礫の撤去に関しては俺が責任を取るよ。ただ君の場合、それ以外はどうだろうな……」
ふと気になったことをプロヒーローに聞いてみたら、ちゃんと誠実な返事が返ってきた。
この場合、救助において仮免許すらない学生の”個性”に対して責任を持つと断言するだけでもかなり肝の据わった行動だ。
何しろ救助の過程で霊火が何かミスして民間人を殺してしまった――或いはその疑いが出た時点で、マジェスティックはその全責任を負うことになる。
つまり、例えば混乱した遺族に『私の夫は救助活動の時に死んだ!! ヒーローは責任とって10億円払え!!』なんて主張された時、矢面に立つのはこのヒーローなのだ。ヤバすぎる。
それでもこのヒーローは、今は霊火の”個性”が人命救助に必要だと判断して、この特大のリスクを背負い込んだのだ。
何か言いたげな緑谷に雑に手を振って、霊火はまた別の現場に向かう。
死臭が漂う悲惨な事件現場。
死の濃度としてはかつて戦争『死因』ツアーで訪問した南の島とかそういう次元に達しつつある都心部に向かって、空を飛ぶ。
頭痛と体調不良でぐったりしている霊火を見て何を勘違いしたのか、救助を専門とするプロヒーローは気遣うように言った。
「……大丈夫だ。これは君のせいじゃない。暫くは世間の当たりも強いかもしれないが、そうする義務もないのにあの超大型敵と対等に戦った君を、俺たちヒーローは見ていたよ」
「……正直、逆恨みした遺族に背中を刺されないか怖い所があるんですが」
「ああ……少なくとも市民の皆様の差し入れには気を付けた方がいいね。毒物とかあるからさ。後は警察が君をどう判定するかなんだけど…………”個性”無断使用って結構重めの処罰になるからなあ……」
ヒーロー社会の世知辛い所が全開だった。公共の場で”個性”を利用できるのはプロヒーローだけ。誰でも知ってる基本のルールが牙をむいてきた。
ブルーな気持ちの霊火は半眼でじっとりと目の前の瓦礫の山を見やる。
「そもそもこのレベルの大惨事で、警察とヒーローはちゃんと機能しているんですか? なんかこの調子だと時間経過で容赦なくでろでろに溶けて異臭を放つ遺体を、死体と名前の照合すら間に合わないまま無縁仏扱いで纏めて火葬して大穴に放り込む未来しか見えないんですけれど」
「その辺りは霞ヶ関の方に頑張ってもらうしかないね。さあ、霊火ちゃん。僕が責任を取るから、今この瞬間にも助けを求めている市民の皆様方を救出するぞ!! 踏ん張りどころだ!!!!!」
結構無理やりにでも気合を入れに来る優男に辟易として、霊火は天を仰いだ。
ほどほどのところで逃げ出さないと延々と無給で働かされそうだ。もしかしたらその前に逮捕されるかもしれないが。
――――――――
夕暮れ時、空き地には大規模な休憩所がヒーローの手で設営されていた。
複数のテントが立ち並び炊き出しの香りが漂ってくる。ヒーローも市民も同じ場所に集まっていた。
その喧騒から離れた上空、半壊したビルの上層階に一つの部屋があった。
ほんの12時間前はオフィスとして扱われたその空間には、机やパソコン、書類などが散乱したまま残されている。割れた窓からは夕暮れの風が吹き込み、カーテンが不規則に揺れていた。
暗がりの中、霊火の鬼火だけが揺らめいていた。
死んだ目の少女はコンビニから勝手に拾ってきた食料をもそもそと口に運んでいた。
何となく下の休憩所を見下ろして。夕暮れの光に照らされる忙しない光景をぼんやりと眺める。
流石に疲れた。
そもそも霊火が左腕を失ってから一週間もたっていないのだ。
その間に起きたことといえば、緑谷との喧嘩(?)と自宅の爆破と襲撃者4人と逃走劇とギガントマキア戦と黒霧との交渉と『天落』の発動だ。一生に一度あればいいような大イベントが起き続けている。
霊火が放心していると、視界の端で緑色の光が走った。
「霊火さん!」
「やっほ出久くん。取り合えず互いに無事でよかったよ」
緑谷が割れた窓から飛び込んできた。
霊火の表情が僅かに和らぐ。少女は今更ながらぼさぼさの髪や汗の匂いが気になるも、緑谷の方も埃と汗で悲惨な状態だったため一先ず保留とした。
霊火ちゃんは今も多分可愛い。確かめられないけれど。
基本的に”個性”を用いた瓦礫撤去だった霊火と違い、緑谷の方はガチガチの肉体労働だったのだろう。彼はかなり疲弊した様子だった。
「お疲れ。初めてのプロの現場はどうだった? 死体を見て吐かなかった?」
「……僕は大丈夫だったけど……霊火さんは大丈夫だったの?」
「私は死体よりも8月の野外活動の方がしんどかったかな?」
コンビニの使い捨てプラスチックスプーンを指先でくるくると回しながら適当に答えると、緑谷は複雑な顔をした。
並の
「ほら、おいで?」
霊火は軽く手招きすると、近くにあった菓子パンを緑谷に押し付けた。
特に選んだわけでもない、ありふれたコンビニの菓子パンだ。レジに店員がいなかったから勝手に持ってきた事は言わなくてもいいだろう。
「あ、ありがとう」
緑谷は受け取ると、包装を開いて食べ始める。
その後しばらく会話は無かった。プラスチック容器を突つく音や、包装紙がこすれる音だけが響く。
「何が問題かというと」
霊火は苦笑しながら切り出した。
「ちょっとルールを破りすぎたね。これから私へのバッシングが激しくなることはまあいいんだけれど、”個性”無断使用で大変な事になるのは確定かも。いくらなんでも周辺被害出しすぎたわ」
「でも……霊火さんに他の方法は無かったじゃないか」
「ううん……? それはどうかなあ……私もだいぶ楽しくなってたからなあれ。不必要な破壊って言われたらちょっと否定できないような……」
きょとんと首をかしげる霊火に凄い勢いで梯子を外された緑谷は面食らった様子でパンをのどに詰まらせていた。
ごほごほと咳き込む少年は、涙の滲んだ目でこちらを見てきた。
「……ところで霊火さんって、周りに何を言われても気にしないの? その……皆に死ねって言われても全然大丈夫そうだから……」
「私にもよく分からないんだけれど、そういう機能は”個性”の反動でぶっ壊れたんじゃないかな? あ、私が悪口言われても気にしないのは名前の知らない他人限定で、例えば貴方に『君が死んだら良かったのに……』とか言われたら普通に泣いちゃうから本当に止めてね。私のギャン泣きを見たいならトライしてみてもいいけれど……」
「言わないよそんなこと……かっちゃんじゃあるまいし……」
くつくつと笑う霊火は食事を終えて、「ごちそうさまでした」と言って立ち上がる。
まだ食事の途中だった緑谷に向かって少女の右手が閃いた。
「えっ!?!?」
「回収しま~す。代わりも用意しておくからしばらくそっちで我慢してね」
緑谷が反応する間もなく、マジシャンのような鮮やかさで少女は銀色の首輪を取り上げてしまう。
その代わりに全く同じ見た目の銀色の首輪をどこからともなく取り出すと、少年の頭に腕を回して正面から首輪をかけてしまう。
警察に調べられてもぎりぎり大丈夫なダウングレード品だ。色々性能は下がってしまうが、それでも十分実用に値するレベルではある。
超至近距離で同い年(?)の女の子から首輪をつけられる少年は挙動不審の極みだった。
「どどどどどどどうしたの!?!?!?!? 近いよ霊火さん待ってナニコレ!?!?!?!?」
「う~ん、もしかして首輪は掛けられるよりも掛けたいタイプだったりする? 女の子につけて支配欲的な……まあ貴方が用意する物なら付けてあげるからその気があるなら用意しておいてね。私もどちらかというと掛けられたいタイプだし」
「そうなの!?!?! いやいやいやそう言う意味じゃなくて!!!!! どういう意味!?!?!」
「混乱しすぎだよ出久くん。いやあ、
「本当にどういう意味!?!?」
緑谷が信じられないものを見る目をしているが、霊火は気にもせずに肩をすくめる。
そのまま霊火はじっと考え込む。天才少女にしては珍しい表情だった。
……霊火にも、この先どういう展開になるかが予想できないのだ。
「うーん……まあ一回は捜査機関に顔を出して事情の説明ぐらいしておこうと思うんだけれどさ、町の大破壊とか”個性”の無断使用とかそもそも林間合宿での出来事とかで色んな法律を破りすぎて、下手したらうっかり逮捕されちゃうんだよね……」
「それは……」
「ま、事情を鑑みて無罪放免の線も一応はあると思うよ? だから顔を出しておこうかと……」
「僕も一緒に行くよ!!!!! 警察には僕からも説明した方がいいでしょ!?」
「…………正直、何も聞かずに身を隠してて欲しいんだけれど、ダメ?」
「それはそれで何する気なの霊火さん!?!?」
滅茶苦茶不安げに叫ぶ緑谷。
そして霊火は言いづらそうに、これから戦う事になる敵を伝える。
「何が起きるか分からないから怖いんだよ……実を言うと新横浜の狙撃手、私はあれは公安なんじゃないかと考えてるの」
「う……そだろ!?!? え、え、つまり警察内部で霊火さんを殺そうとした人がいるって事!?!? 霊火さんを殺せば巨人がいなくなるって言う
「……いや、警察内部の一部ならまだいいんだけれどね」
霊火の不穏な振りに緑谷の血の気が引く。
そして疑心暗鬼の怪物。殻木霊火はかく語りき。
「何が問題かって、私たちは結局あの超大型
「それはっ!!!!! その……」
「そしていくらお人好しの貴方でも、あのSNSの狂騒を見たら分かるでしょ? 私を殺そうという流れで集団パニックに陥った民衆と同じ理屈で警察内部に『殻木霊火殺害”派閥”』が出来ている可能性はかなり高い。なんなら『世論』通りの思想が警察のマジョリティの可能性も全然現実的。……それに警察官、『同僚が亡くなった』人ばっかりなはずなの。警官殺しは古今東西罪が重くなりがちだし、取り調べでも処罰でも私を公平に取り扱ってくれるとは思えないんだよねえ……」
「そ………んな……」
「謎の罪状を積み上げられて組織ぐるみで重罪にするぐらい全然やってきそうだし、下手したら取調室で”不審死”しそうだもん。何が面倒かって、結局捜査機関は『正義の味方』な事だよ。彼らは自分の行いを間違いなく善行だと信じているし、それに逆らう者は犯罪者。まあ随分と良くできた作戦だこと……これが計算づくなら、ギガントマキアを私にけしかけてきた奴は相当優秀だよ」
霊火はけらけらと笑うが、緑谷は絶望的な顔をしていた。
大人の仕組みを信用できない領域に突入した。
清く正しいはずの警察やヒーロー側が敵に回る。
『民間人を助け安心させる』ヒーローを原点に持つ少年にとって、市民や警察が敵に回る状態は非常にマズい。
それは少年の根本で、絶対に曲げられない部分の否定に他ならない。
緑谷出久の目標である『目の前の人を含めた皆を助けるヒーロー』。
しかし霊火を助ければ、そのまま警察と民衆が敵に回る。つまり、心のうちの目標を絶対に達成不可能な状況になってしまった。
「つまり警察は私を捕まえて、出来れば殺したい。だけど私は自分を犠牲にするつもりが全く無い。あれあれ? 私って『
「ぼ……僕は…………………………」
これが『
大多数から生存を喜ばれず、存在するだけで市民の皆様に迷惑をかける性質を備えてしまった少数派。
パブリックエネミーと呼称される者。大多数から望まれず、大多数から不利益な誰か。
勘違いされがちなことだが、
彼ら犯罪者は”世間に迷惑をかけるから”という理由で自由を奪われるのだ。それは再犯が重く罰せられたり、刑務所が『更生』という名の社会に適応する(笑)教育が目的とされることからも伺える。
脱税、詐欺、薬の売買、強姦、誘拐、殺人。
ありとあらゆる犯罪は、その行為自体が悪なわけではない。それらが大多数の者にとって不利益だからこそ悪として扱われるのだ。
この辺りは『ムーンフィッシュ』や『トガヒミコ』『マスキュラー』あたりが分かりやすいか。
彼らの常人と外れた暴力的な性質は、明確に多数派にとって不利益な『悪』だ。
だから皆がこう思う。『自分の傍にいてほしくない。』『檻の中に閉じ込めて一生出てこないでほしい。』『出来れば死刑にしたい。』と。
その意見があまりに多数派なものだから、人間社会はそれに沿った法律と警察なんて冗談みたいな仕組みまで造り出してしまった。
その上で多数派が少数派に『人の枠を外れた獣』や『絶対悪』呼ばわりしているのを見ると、霊火としては彼らが可哀そうに思えたりする。
こんなのは教室のいじめと同じだ。彼らは、そう言う性質を持って生まれた人間というだけだ。
それで『善』にして『正義』のプロヒーローが彼らを『退治』すると拍手喝采なのだからいよいよ分かりやすい。
つまり『善良なる市民』とは多数派で、霊火に言わせれば彼らは常に加害者だ。
その癖、彼らは敵犯罪が起きたらいじめられっ子に反撃されたいじめっ子の如くギャーギャー騒いでヒステリックに少数派を叩くのだから本当に醜くて仕方がない。
だから霊火は、犯罪者に対して『衝動を我慢して普通の生活を送れている人もいる』なんて上から目線極まりないコメントをする多数派なだけの馬鹿が大嫌いだ。
緑谷もヒーロー科も割と言いそうな発言なのが最悪だが。
最大多数の最大幸福。
全てが多数決で決まる近代人間社会の最も基本にして、最も危険な部分でもある。
……これでも霊火はかなりラディカルな功利主義者であるため、彼らの反応も理解は出来る。
しかし”義務論”が好きそうなミスター性善説緑谷出久は黙り込んでしまった。
「ま、とにかく出久くんは私を手伝えないよ。だって貴方ってそういう人種でしょう?」
「僕は……霊火さんを助けようと……」
「うんうんそうだね。私を助ける気は本当にあるけれど、そのために市民を危険に晒すのは絶対に無理。自分と他人だったら間違いなく他人を選ぶけれど、他人と他人を比べる事が”出来ない”タイプ。緑谷出久はそういう人だもんねえ?」
明るい笑顔がどこか酷薄に見えるのは目が笑っていないせいだろうか。
警察と敵対することでようやく調子が出てきた悪党のサラブレッド。生粋の悪人は更にこう付け足した。
「という訳で出来るだけ一人で行動していたいの。貴方のような人種は警察辺りの秩序側が敵に回る展開になると一発で詰むからね。こればかりは職業ヒーローの構造的な欠陥でもあるけれど、今の私には貴方が邪魔」
「……僕に、何かできる事はある?」
「
ここで『ない』と言い切る事だけは、霊火の優しさだった。
……もし霊火が『助けてほしい』と涙を流していたら、彼はきっとヒーローとして致命的な変質をしていただろう。
助けを求めていない相手は助けられない。少女は彼のために、自分を救助対象から外した。
硬直する緑谷を他所に、霊火は割れた窓から屋外にふわりと飛び出してしまう。
振り返って緑谷の方を見ると、霊火は苦笑して付け足した。
「あのね出久くん、『霊火さんをまた助けられない』なんて嘆く必要は全く無いんだからね? 基本的に私は自力で大体片づけられるもん。だから貴方の助けは必要ないの」
「……でも林間合宿でも、いつも僕はずっと霊火さんに迷惑をかけてばかりで!! また助けになれないなんて……!!!!!」
「未熟な貴方の苦労を肩代わり出来るぐらいには高スペックって事!! だから貴方が最高のヒーローになるまでの間、私が君を助けてあげる」
ここで霊火は笑みの種類をじわりと変質させる。
悪戯っぽく、危険に、どろりとした目つきで少女は歌うように警告する。
「だけど『選択』は慎重に。この世界では命は一度きりで、一回の選択で誰もが平等に死ぬ」
「何を言って……」
「困ったときは自分の胸の内の原点を思い出すこと。出久くんの場合は……そうだねえ……」
少女は何かを羨むように目を細めた。
「目の前の困っている人を助ける。貴方の場合、あまり難しく考えずに自分の望みを愚直に繰り返すのが近道だと思うよ。だって貴方は人助けが生き甲斐という稀有な性質を持った『多数派』なんだもんね?」
好きな事をやればそれが直接、人望や立場や財産に直結する。
きっと緑谷出久にとって、このヒーロー社会は非常に生きやすい世界なのだろう。
『善』も『正義』も才能だ。
そして自他共に認める天才少女も、その才能にだけは恵まれなかった。
――――――――
結局取調室なんて、全国どこでも造りは一緒だ。
マジックミラーに背中と腰が悪くなりそうなパイプ椅子に机が一つ。
監視カメラに一つしかないドア。そして警官が一人か二人。
霊火の両手首には重たい手錠が嵌められていたが、肝心の犯罪者は笑いを抑えきれずにくつくつと震えていた。
そもそも、霊火の左腕は欠損しているのだ。そして義手に手錠を掛ける事ほど馬鹿らしい話も無い。
どうやら警察サイドも急に自首してきた女子高校生に混乱しているようだ。明らかに情報共有がうまくいっていない。まあ、そうでなくとも犯罪者を取調室に放り込む前に長袖と手袋ぐらい外しておくべきだと思うのだが……。
一通り名前の確認やら所属の確認を済ませた後、男は不審そうに霊火を見た。
「何を笑っている。貴様、自分が何をやったのか分かっているのか」
「ふふ……私は何をやった事になっているのかにゃ~?」
「質問しているのはこちら側だ。あまりふざけた言動をすると心証が悪くなって、不利益をこうむるのはそちら側だぞ」
霊火の目の前に強面の大柄な男性警官が一人。
彼の背後にはクリップボードを保持した女性警官が一人。
中年の男性警官は手元の資料に目を落とした。
例えばこんなやり取りがあった。
「林間合宿。貴様には”個性”を使った過剰防衛の疑惑が出ている」
「へえ、そうなんだ。具体的にどんな? 私が何もせずとも、彼らは暗い森の中で自滅していった感じだよ?」
殺人犯が大嘘を吐きながらにたりと笑うと、警官は不機嫌に睨みつけて来た。
……死者がゴロゴロ出て霊火自身も左腕を喪った林間合宿での森での戦闘は、『混濁』と『霊障』と『死因』を用いて完全に証拠を抹消してしまっている。だから霊火が誰かを傷つけたことを、警察は決して証明できないのだ。
そしていくら怪しくても、物証が無ければ罪には問えない。証拠裁判主義とはそう言う物だ。
「林間合宿後、病院からの逃亡を始めとして、貴様は何故我々警察の接触を避け続けた」
「貴方たちがクソ無能だから。それに『ワープゲート』が敵にいる以上、警察ご自慢のシェルターに籠っても意味がないもん。つまりこれは警察を信用しない私よりも市民に安全を提供できないそちら側の責任じゃなくって?」
少女の分かりやすい挑発で警察官は青筋を立てた。
ただ、言っておいてなんだがこればかりは警察の落ち度とも言い切れない。
単純に黒霧の『ワープゲート』の性能が高すぎるのだ。世界のどこを探しても、彼の攻撃を防げる機関や組織は存在しないだろう。
「何故、あの超大型
「へえ、逃げても良かったなら逃げたけれど? それにしても私が”個性”無断使用禁止のルールを遵守して、被害が無限に広げるべきだったというのが警察の見解なんだ」
「法律を破るべきではない。そして貴様は都心で大規模な”個性”使用を行い、大規模な被害を出した。つまり犯罪者だ」
警察側もいよいよ本音を隠さなくなってきた。何が何でも霊火を捕まえる気だ。
多分霊火の身柄確保は、組織の威信をかけた最重要課題になっている。
この調子だと霊火も知らない謎の証拠を捏造して無理やり有罪にして、公的な手続きを経てタルタロスの奥底に沈められそうだ。
つまり警察にとって、霊火に非があるか無いかは左程重要では無いのだ。
あくまで逮捕から拘禁までが既定路線。後はその行為にどれぐらい正当さを盛れるかどうかの勝負。
最も、国民の殆どは霊火の拘束に異議を唱えてくれなさそうなのが残念ポイントだ。
寧ろ霊火が解放されたと国民が知ったら、彼らは警察を死ぬほど叩きそうでもある。
(まあ、それでギガントマキアが出てくる確率を減らせるというならしょうがないか。私個人の自由よりも日本国民の安全が優先されるのは治安維持組織として当然だもんねえ)
出来ればギガントマキアを直接捕まえてほしい所ではある。
「んん……正義感の強いお巡りさんとしては、この状況に何か感じることはないの? 私だって自分が危険な中、民間人の被害を広げないために身を晒して戦ったんだけれどなあ……」
「…………………………綺麗事だけでは、警官は務まらない」
「ああ、全く無自覚で凶暴な正義という訳でもないのか。それを聞けただけで良かったけれど」
ここまで来て、ようやく強面は不審そうに顔を上げた。
取調室の重圧的な雰囲気の中で、小柄な少女の唇には余裕の笑みが浮かんでいた
捕まえられたのは彼女の方だ。しかし、この場を支配しているのもまた彼女だった。
少女の左手がほどけ、あっさり頑丈な手錠を抜けた。
ギョッとした様子の強面と女子警官が咄嗟に腰部のホルスターに手を伸ばすが、ずっとチャンスを伺っていた霊火の方が数段早かった。
ぐねぐね包帯モンスターと化した霊火の義手がキュガッ!!!! と空気を切り裂いて飛翔して、一瞬で警官二人を纏めて拘束してしまう。
同時にパチンという音と共に男性警官のベルトとチェーンが千切れ、少女は警官の魂である拳銃を掏ってしまう。
5発装填のリボルバー。
ちゃっちい銃ではあるが、それでも本物の銃火器だ。人を殺すには十分な性能を持っている。
「…………………………っ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「はいはい黙ってようねお巡りさん。ヒーロー志望の女子高生って事で油断したな? 私はこういう場面ですごすごと捕まるいい子ちゃんじゃないんだよ~っ!!」
「…………………………っ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「んん……だけどここからどうした物かなあ……。無罪放免とまでは行かなくても退学処分ぐらいまでは許容するつもりだったのに、完全に想定から外れちゃった。もうすっかり
口元を猿轡っぽく封じられた警察官たちの視線がしきりに監視カメラの方へと向けられる。
しかし取調室で明らかな異常事態が発生しているというのに援軍は来ない。通常であれば即座に対応があるはずの状況だが何も起きない。
霊火はリボルバーの銃口を警官の方に向けた。
その動きに警官たちの体が一層強張っていく。霊火はビタリと強面警官の額に狙いを定めると、少しだけ警官の口元の拘束を緩めた。
「辞世の句でも詠む? いや別に殺す必要もないから見逃してあげてもいいんだけれど……あ、あんまり大きな声出さないでよ?」
「ふっざけんなよ……この凶悪犯が……!! お前がすぐに死んでいればもっと被害は抑えられたものの、貴様の自分勝手のせいで……!!」
「はいはい私は自分が助かるためには1億人でも殺す悪党ですよ。だから何?」
似たような事を言われすぎてややうんざりした顔の霊火だが、警官はそれにこう答えてきた。
「無事で済むと思うなよ……!!
ギシリと。空気が軋んだ。
ぶわっと、警官の額から汗が吹き出し、手の先から肩にかけて泡立つような感覚が襲い掛かる。
殻木霊火のスイッチが明確に切り替わった。
本当に、本当の本当に危険な犯罪者である死の女王が、極低温の声色で低く呟く。
「…………………………
最終警告。
霊火にとっての明確な地雷。『AFO』でさえ、最後の最後まで触れようとしなかった聖域。
正義を司る警察は、犯罪者にも譲れない尊厳があるとは遂に思い至らなかったらしい。
「……
――――――――――――
19時26分、殻木霊火の取り調べ中に突如として通信が途絶。
現場警官との連絡が完全に絶たれた直後に建物全体が火に包まれ異常な速度で全焼。
消防隊が到着した時には建物は既に燃え尽きており、生存者は一人も確認されなかった。
その後、全国に点在する9つの証拠品保管庫のうち7施設が相次いで破壊。
爆発、火災、腐食。手法は様々だが、その全てにおいて内部の証拠品はすべて致命的な損壊を受けた。
これによって立証不能になった事件は1200を超えると試算される。
また公的な科学捜査機関も襲撃を受け、長年の捜査データと最新鋭の分析機器が全損。
この時に投入された警察の機動隊と特殊部隊も全て壊滅。生存者無し。
この被害で、日本の警察機関が近代的な捜査活動を行う事は実質的に不可能となった。つまり事件現場に指紋や血痕が残っていても、そこから何も繋げられない状態だ。
監視システムの中枢を担っていた監視カメラ運営会社も襲撃対象となった。
建物は崩壊して従業員は全員死亡。データサーバーは物理的に破壊され、復旧の見込みは皆無となっている。
更に警察のネットワークシステムが未知の手段で乗っ取られ完全に機能を停止。
通信網は寸断され、各部署間の連携は事実上不可能となる。
この時点で死亡者は推定8万人で、ほぼ全てが警察関係者。
即ち、これは日本という国の治安維持が不可能となり、無法地帯に突入したことを意味する。
―――――――――
ギガントマキアの都心横断。神野区への隕石の落下による大災害。
ただでさえ史上最悪レベルの大災害で疲弊した日本で、もう一つの怪物が産声を上げた。
日本最悪の日は、ここからが後半戦だ。
感想や評価ありがとうございます。大きな励みになっております。