深夜1時、真夜中の高速道路を黒塗りの高級車が走っていた。
見る人が見れば一目で分かる特別製だ。
なにしろ窓にはスモークガラス、爆発物や銃弾を想定した装甲、重厚なエンジン音。
ボンネットの奥でV12と酸素を繋いでいるためその気になれば時速400キロぐらいは叩き出す、要人護送用のモンスターマシン。
覆面パトカーか、それかヤクザの大物でも乗っているのかと思ったのだろう。普通に1億円クラスの死ぬほどプライドが高そうなスーパーカーが大人しく道を譲る。
その運転席に座るいつも軽薄な男の表情は、非常に厳しいものだった。
ミラーに映る後部座席には、オールバックに纏められた髪が特徴の中年女性が座っている。
「ホークス、貴方はどう思う?」
「滅茶苦茶マズいです」
車内の空気は重い。
公安直属のトップヒーロー『ホークス』は、後部座席の公安委員会会長の問いに即答した。
「隕石騒ぎと超大型巨人で疲弊している事も、通信の遮断と溢れかえる偽情報で被害規模が全く分からない事も滅茶苦茶マズいのですが、何より敵の正体が分からないのが本当にマズい」
「タイミング的にも唯一の被害確認箇所的にも、署に自首したという報告があった”殻木霊火”ではないのかしら?」
「彼女が超有力容疑者であることは確かですが、警察署からの報告が途絶えた19時30分からまだ6時間も経っていません。それなのに北海道の証拠品保存庫や九州の警察署も全滅――という噂です。破壊工作の手間を考えたら俺でもそんなスピードで動くことは絶対に不可能っす」
「……つまり殻木霊火の単独犯ではなく、複数犯だと?」
「誰にしても碌でもない奴なのは確かですが、結局分からないんですよ、何も。俺たちにはとにかく情報が無い」
実を言うとだ。
警察は科学捜査機関、殆どの証拠品保管庫、12の警察署、監視カメラ運営会社といった組織を運営していくうえで極めて重要な施設を悉く破壊される致命的な大打撃を受けていた。
しかし彼らは誰一人、敵の正体も被害の全貌も見抜けずにいた。
何しろ警察組織の通信網は完全に遮断され、組織間の連携は事実上不可能だ。
重要施設は次々と機能を停止して指揮系統は寸断された。どういう理屈か警察ベースではないSNSや私用の電話網も軒並み使用不能になっている。テレビも先ほど繋がらなくなった。
こうなってしまうと大きな組織は弱い。それぞれ不思議な顔で
運転手は苛立たし気にハンドルを指で叩く。
情報封鎖に同時攻撃。治安維持組織を狙った大規模な犯行。警察、特殊部隊、プロヒーローといった戦力を易々とねじ伏せる戦闘力。
神奈川の人口集中地区に落ちた隕石と、前代未聞の超巨大敵の大被害で日本という国が疲弊した瞬間を狙った計画的犯行としか思えない。
となると、公安委員会のトップとしては考慮しなければならない可能性がある。
「……クーデター? だけど国内ではどの組織も、そういう仕草は見せていなかったはず……」
「
「なら隕石やギガントマキアの被害を見て、混乱している今がチャンスとばかりに急遽温めていた計画を実行に移した
「分からないっすね。正直今ここで俺たちが色々と考えても、それは妄想の域を出ない。とにかく今はあなたを安全な場所に送り届けることが先決だ。あなたを軸に指揮系統を組みなおしてもう一度この国に秩序を取り」
ギャン!!!!!!!! と、ホークスは唐突にブレーキを踏み込んだ。ハンドルを大きく切る。
しかし時速100キロ越えだ。当然タイヤが悲鳴を上げて滑り、頑丈な車体が軋んだ。
公安委員長は息を呑み、ヒーローは叫んだ。
「マズい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
ボン!!!!! と、車両が爆炎に包まれた。
一瞬でオレンジ色の灼熱が車内を舐め尽くし、後部座席の女性が悲鳴を上げる。
更に地雷でも踏んだかと錯覚するような下から突き上げる強烈な衝撃。鈍い音と共に運転手の視界が10メートルほど跳ね上げられる。
滅法頑丈な護送車を真上に打ち上げた――
信じ難い事に襲撃者は高速道路の高架ごと真上に放り投げ、巨大なジャンプ台として扱ったのだ。
真っ赤に燃える護送車は垂直に投げ上げられ、数秒の間宙を舞った。
そしてその空白の時間はこの極限状態ではあまりにも無防備だ。致命的な燐光が車体に吸い付く。
バンッ!!!!! と大きな音を立てて黒い車は一枚の鉄板に変形した。
そのギリギリの瞬間にホークスは燃える車体から脱出した。
後部座席の護送対象を抱きかかえたヒーローは背後で護送車が叩き潰される薄気味悪い音に戦慄しながらも、付近のビルに飛び込みながら叫ぶ。
「大丈夫ですか!?!?」
「な、なんとか…」
「意識があるなら何とか自力で逃げてください!!!!! 俺は敵を今すぐ確保し」
ズンッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! と。
ホークスが逃げ込んだ大型タワーマンションの高さが3分の1に縮んだ。
構造体に身体を噛み千切られる前に建物から中年女性を抱えて飛び出したヒーローを狙って、基部から毟り取られた高速道路の橋脚が4つ、莫大な加速を受けて上下左右から叩き込まれる。
更に複数の橋桁が次々と高速道路から強引に切り離され、円盤投げの軌道で投げ出されたそれは大質量をもって2人の位置を埋め尽くした。
「くっ……!!!!!」
自分狙いか公安委員長狙いかは分からないが、民間人の巻き添えを全く気にしていない事だけは絶対だった。
極めて広範囲かつ凶悪な出力。
中に市民が入った乗用車が莫大なエネルギーで叩き潰されて1枚の鉄板になったのを見たホークスは、強く奥歯を噛み締めながらも護衛対象を抱えたまま必死に攻撃を避ける。
「ホークス!!!!! 私は放っておいて!!!!! 敵の確保を!!!!!」
「っ……!!!!! 許せん……!!!!!」
景色を構成する雑居ビルが数棟、ロールケーキよりも簡単に切断される。
この攻撃手段は見たことがある。それも今日の午前中に中継で。
一つ一つが数万トンもある鉄筋コンクリートの質量塊が、中に人を閉じ込めたままダルマ落としみたいに弾き飛ばされる。
『剛翼』は間に合わなかった。
人を閉じ込めたビルを”弾かれた”場合、その最初の衝撃で中にいる人は絶命してしまう。そしてここは人口密集地帯だ。着弾点にだって確実に人がいて、確実に命を落としている。
大きな翼を持つヒーローは、奥歯をギリギリと噛み締めながら公安委員長の服に羽を引っ掛けて避難させる。
トップヒーローは、夜空を睨みつけた。
敵の姿は見えないが、襲撃者が誰なのかは明白だ。こんな大規模破壊とそれを応用した凶悪な質量攻撃を可能とする人は、世界に一人しかいない。
彼女にどんな事情があるのかは知らない。……警察が彼女を不当な理由で逮捕しようとしているという噂は聞いているが、あまり詳しい事は聞かされていない。
そして確かに、ギガントマキア周りでのSNSでのバッシングは本当に酷かった。ホークス個人としてもあんまりだと思っていた。
それでもあの超巨大
だが、もう庇えない。
なにしろここだけで、既に民間人の犠牲者は3000を優に超えている。完全に大量殺戮犯だ。
……こうなってしまうと、あの小さな少女は絶対に逃がせない。
何しろ彼女は、15歳で碌な訓練も受けずにステインを小細工なしの真っ向勝負で磨り潰し、仮免すら持っていないのに”あの”超大型敵相手に互角に渡り合った正真正銘の怪物だ。常闇踏陰も彼女の事は非常に高く評価していた。
あれを自由にするのはもう一度ギガントマキアの進軍を許すことに等しい。今度こそ日本という国は滅亡してしまう。
ホークスは、怒りのままに吼えた。
「絶対に許せん!!!!! 罪は償ってもらう!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 殻木霊火ああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
――――――――
「ぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶく」
「きゃああああ!!!!! 緑谷引子さん大丈夫ですか!?!?!」
ところで緑谷出久の母、緑谷引子は警察の保護施設で泡を吹いて倒れていた。
そもそも緑谷引子が警察の保護施設に身を寄せることになったのは殻木霊火のマンションが爆破された事件がきっかけだ。
敵連合の刺客に命を狙われていた霊火は、行動を共にしていた緑谷出久の家族の安全を考え、警察に保護を要請。
その結果、緑谷引子は警察のシェルターで保護されることとなった。
「ぶくぶくぶくぶく霊火ちゃぶくぶくぶくぶく」
「知り合いなんですか!?!? い、いや知り合いですよね"あの"緑谷出久くんのお母さんですから!!!!!」
若い女性警官は倒れ行く緑谷母を支えながら叫んだ。
……ここは本来、ストーカー被害に遭った女性の為に造られたシェルターだ。住所非公開で窓がない部屋、風呂トイレは共用だが1人部屋。
柔らかな照明に包まれた居住空間は決して広くはないが、ソファが置かれて壁掛けテレビが映像を映している。
因みに画面にはさっきまで『被害情報不明、殻木霊火全国指名手配』というテロップが流れていた。
そりゃあ気絶ぐらいするよなと、女性警官は思う。
緑谷出久と殻木霊火の2人は、全国放送の雄英体育祭以降とても有名だ。
まああれほど華がある病弱少女と、地味目だけど滅茶苦茶実力派な男の子があんなに仲が良さそうなのだ。そりゃあ注目も集まる。
その後女の子の方は、ステイン殺しという凄まじい功績でも知られることになったのだが……。
女性警官は私情交じりで、興味のままに尋ねた。
「……結局出久くんと霊火さんって、どれぐらい仲がいいんですか?」
「ぶくぶくぶくぶく良く家に来てぶくぶくぶくぶく私の料理を手伝ってくれぶくぶくぶくぶく」
「あ、もう思いっきり親公認のお付き合いを……? え、高校生でもう彼氏のお母さんと料理……!?!? 難易度高くない……!?!?」
勘違いしてわなわなと震えている若い警察官(結婚する気がなさそうな彼氏持ち)だが、緑谷母に訂正する余力は無かった。
……これは霊火も出久も知らない事だが、実は緑谷母からの霊火への印象は非常にいい。
そもそも緑谷母は霊火が出久に想いを寄せていることぐらいお見通しだ。
……彼女は同性から見ても非常に恋心の隠蔽力が高いため気が付くのには時間がかかった。
とはいえ中学生の女の子が、男の子の家に来て毎日勉強を教えてくれて、毎日一緒に登下校してくれて、一緒の高校に進学して、名前呼びを要求してくるのだ。
これが恋じゃなきゃなんだってんだ。出久も少しは好意に気が付くべきだとは思う。
そして当然、母として霊火の事はとても気に入っている。
何しろ頭が良い、面倒見が良くて献身的。息子の夢を応援してくれる。激烈に可愛い。
挨拶もしっかりできる。料理も嫌な顔一つせずに手伝ってくれて、滅茶苦茶上手い。
しかも大病院の娘と来た。
何なら彼女のお父さん(血は繋がっていないと本人から聞いた)は、出久の”無個性”診断を出した医者だった。殻木という苗字からまさかとは思っていたが、もはや運命すら感じる。
そして何より、霊火は出久が”超パワー”に覚醒して輝きだした雄英入学前、つまりパッとしない中学時代からずっと一緒にいてくれた異性だ。
つまり立場狙いでも、金狙いでもない。母親としてはやはりそこが大きな加点ポイントだった。
ちょっと早死にしそうなぐらい病弱な事だけは心配だったが。
とはいえ、一人息子の恋愛事情に口を出す嫌な感じの母親にはなりたくないのであまり嘴を突っ込まない事にはしている。
まあ母親としては、霊火にも十分チャンスはあるように思うが……。
「ぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶく……はっ!!!!!」
「緑谷さん大丈夫ですか!?!?」
目を覚ました緑谷引子を支える婦人警官に安堵の色が浮かぶ。
緑谷引子、息子と同様にこちらはこちらで災難な日ではあった。
元々、今週は林間合宿での襲撃の連絡、霊火の左腕の欠損、近所の霊火の家の爆破といった強烈な情報が次々と舞い込み、その後警察が家にやってきて保護施設に連れて行くというのだ。
小心者の身には色々キツイ。
そして今日は超巨大敵が都心で大暴れし、『霊火を殺せ』という論調が溢れかえり、テレビには息子の姿までも映り、もう緑谷引子の精神ゲージは完全に尽きていた。
その上なんか謎の隕石まで落ちてきて、100万人は亡くなったとかいう速報まで出てきた。
だが、息子たちは何とかかんとか巨人を撤退させた。
息子からも電話があり、霊火も無事と聞いた時お母さんは本当の本当に安心したのだ。
……霊火が本当に無事なのかどうかは少し怖かったが。普通、あれ程のバッシングを受けたら人は歪むと思う。
それでだ。
夕方ごろだった。
テレビの速報に『殻木霊火、逮捕』という訳の分からないテロップが出た。
20時ごろには『殻木霊火、脱走』という更に意味不明なテロップが出た。
緑谷引子はそのすべてで心臓が止まりかけた。
「引子さん!!!!! テレビ見るの、やめましょう!!!!! どうせ何も出てこないんですから!!!!!」
「はっ……!!!!! ぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶく」
「ああもう!!!!! ……でも本当に何で、何の報告も無いのかな……? 絶対に何か起こってるのに……上の方で緘口令でも引かれてる……? いや、誰も被害状況を掴めていないのか……?」
勘が良い新人警官は、不思議そうに首をひねった。
――――――――――――
(どこだ……!?!? どこから攻撃している!?!? 殻木本人はどこにいるんだ……!?!?!?!?)
タンクローリーが空中に弾き飛ばされ、路面が捲れあがり、巨大な建物が柳のように揺れる。
ビルも一軒家も地面から引きはがして好き放題に武器に転用し、凶悪な速度で空中にいる男を叩き潰そうとしてくる。
とはいえ、攻撃自体は避けられる。
率直に言うと、ワンパターンだ。なにしろ直撃すれば一撃死の大質量攻撃はかなり軌道が分かりやすいため、ホークスであれば余裕をもって回避可能。
問題は、当たりもしない攻撃一つ一つにつき何も知らない市民の命が数十数百は散っている事だ。
しかも、箱庭に両手を入れてぐしゃぐしゃに叩き壊すかのような天変地異を引き起こしている本人が全く見つからない。
”鬼火”と称される燐光は時々ちらつくが、発射点が絞り込めない。
軌道は直線ではなく曲線。迂回や時間差。とにかく巧妙に、本体の位置が露見しないように工夫されている。
先ほどからホークスも全力で『剛翼』を操り呼吸や心拍から少女を捕捉しようとしているが、救助に必要とする羽と回避に必要な羽が多くて索敵に数を回せない。
そもそも『剛翼』は護送車を狙った最初の爆炎攻撃で半数近くが焼失していた。
(クソっ……!!!!! このままじゃ駄目だ!!!!! 俺が戦い続ければ続けるほど犠牲者が増える!!!!! 絶対に、今すぐに短期決戦で仕留めないと……)
焦る。
この中部地方の湾岸都市は普通に人口密集地帯だ。
こんなところで『呪い火』なんて凶悪な能力を本気で振るわれている現状が既に最悪だ。冗談抜きに都心以上の大惨事になりつつある。
しかも警察は事実上機能しておらず、プロヒーローはほぼ全員都心の復興作業に行ってしまっているのが質が悪い。
深夜ということもあって避難すらもままならない状況だ。あまりにも周辺被害が出すぎている。
奥歯を強く噛み締めるホークスの耳元で、バチッと小さな音がした。
『ね? 今どういう気持ち?』
「っ!?!?!???!?!?!?! 殻木霊火か!?!!? どうやって!?!!?」
『電波に横入りするぐらい簡単だよ?』
インカムから、綺麗に澄んだ甘い声が響いた。
言葉を継ぐ暇もなく、新たな攻撃が来る。
”衝撃波”。質量攻撃ではない。ホークスは体を捻って間一髪で致命的な一撃を回避。
慌てて発射点に目をやるも、そこには誰もいなかった。
「……今すぐに、これをやめろ」
『やだ☆』
ヒーローを嘲笑うかのように風景を構成する高層建築物がバラバラに分解される。
次々と上空に位置するホークスに向かって飛んでくるブロックを見たヒーローは、血相を変えて本気で怒鳴る。
「やめろっつってんだろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
『へえ、なら死ねば?』
大人の男の本気の怒声に、少女は怯みもしなかった。
次々と上空に打ち上げられた鉄筋コンクリートが、ホークスを捉え損ねて次々と地面に落下する。
放物線を描いて落ちていくブロック。地面に落ちるこの破壊音が一度響くたびに何人の市民が死んだかなんて考えたくもない。
『死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね』
「おい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
一切攻撃が緩まない。
一発一発で人が100人単位で死んでいて、それでいて本体の位置は全く掴めない。
マズい、とホークスは素直に思った。
攻撃自体は避けられる。こんな直線的な攻撃は眠っていても当たらない。
が、いくら目の前で最低最悪な無差別殺人が起きていてもどこに犯人がいるのかが分からない。
あまり想定したくない可能性ではあるが、殻木霊火本人は100キロ離れた別の都市にいるのではという益体のない妄想まで心に浮かんでくる。
もしそうなら、詰みだ。この都市が更地になるまで攻撃は止まず、犯人には悠々と逃げられてしまう。
姿が見えないというのは極めて厄介だ。
目の前にいるのに何の攻撃も効かないギガントマキアとはまた別種の悪辣さがある。
心臓を釣り糸で締め上げるような極限の焦燥感に晒されるホークスだったが、インカムの声は憎たらしいぐらい楽しそうだった。
『
「……は?」
『難しい事は言ってない。貴方が死ねば、私は戦うのをやめる。
露骨だった。この言葉の意図は明白だ。
これは、霊火が受けた言葉と同じだ。
ホークスが生きているから、罪のない市民が死ぬ。敵は言っている。
『ねえ何やってんの? ヒーローでしょ? 戦ってどうするのさ。市民の皆様を守るために、
世論。
殻木霊火を追い込んだ、集団の原理。
正直に言って、ホークスはこの状況自体が堪えられそうになかった。
世論は怖くない。ただ事実として、自分が戦えば戦う程死人が増える。自分が死ぬことが一番皆を”守れる”。
この状況で戦いを選択することは、守るべき市民が死ぬという事だ。
トップヒーローの偽らざる本音はこうだった。
ヒーローだからとかそう言う話ですらない。
これまで色々と薄汚い仕事をしてきたホークスではあるが、これは種類が違う。
ホークスには、こんな罪は背負えない。
もしここで殻木霊火を撃退して生き残ったとして、ホークスはこれから先どんな思いで生きていけばいいのだ。
……一方で、ホークスはこうも思った。
男はこの話がどう展開していくのかを分かったうえで、やりきれない気持ちで対話を続ける。
「……俺が死んでも、あなたが攻撃をやめる確証が無い」
『私もそう思うよ』
「…………………………合理的に考えたら、結局
『私もそう思ったよ』
「……許せないのか? 我が身可愛さで無責任に人の死を願う市民も、自身を切り捨てようとした警察も、行政も?」
『それは別に。こんなのただの当てつけだよ。八つ当たりですらない』
キュガ!!!!! と火花を散らして再度景色が切断された。
ホークスは避ける。
また何も悪い事をしていない市民が、理不尽に死ぬ。
「ならっ!!! 何で……!!!!! どうしてこんな事をするんだ!!!!!」
『取り調べ中に私の地雷を踏んづけた極限の馬鹿がいるからだけれど。今はそれの精算中。市民にも警察にも公安にもヒーローにも、私を不快にさせた罪は命で償ってもらう』
「っ!!!!! そんな、そんな事で……!!!!!」
『ピンと来てないようだからハッキリ言わせてもらうと、私の価値はこんなちっさな島国よりもかなり高いからね? この国の人口、結局1億はいるんだっけ? ならざっと1000万ぐらいは持っていかないと割に合わないけれど』
――――――――
公安委員会委員長は、走りにくいパンプスを脱ぎ捨てて真夜中の貿易港を必死に走っていた。
遠方から凄まじい轟音が何度も、何度も響く。ホークスは戦っている。戦いは続いている。
つまり人が死んでいるという事だ。
(なんてこと……!!)
先ほど振るわれたビルを遠隔で基礎部から引き千切りそのまま高速でぶつけるあの攻撃。
あんな滅茶苦茶な事が出来るのは殻木霊火だけだ。
あの雄英生に関してはステイン撃退後から公安が常にマークしていたが、スカウト目的だ。
それがこんな事になるとは夢にも思っていなかった。
認めよう。
あのヒーロー志望だけは、絶対に敵に回してはいけない存在だった。
どんな法律違反を犯そうとも、公安委員長として警察に手を回して何が何でも無罪放免にするべきだったのだ。
ギガントマキアが再度現れるのを防ぐための保険? そのためにもう一人怪物を産み出したら何の意味もない。
ワクチン接種のつもりで本物の致死性のウイルスを注入したようなものだ。
悔しさが残る。こんなのは、ギガントマキアとの中継を見た時点で判断できたはずなのだ。
そもそもギガントマキアと互角に渡り合うという事は、ギガントマキアと同じ事が出来るという証明ではないか!!
ヒーロー志望ならそこまではしないだろうという楽観がそのまま裏目に出てしまった。
醜い本音ではあるが、雄英生なら自己犠牲の精神を持っていると踏んでいた。その全てが間違いだった。
殻木霊火に、他に選択肢が無い事は分かっていた。そもそもあれは根本的にギガントマキアと連合が全面的に悪いのだ。
そして本人だって悪い事をした気が無いから、素直に出頭したのだろう。
それで警察が問答無用で逮捕して檻の中に閉じ込めようとして来た時に、彼女がどう思うのかを少しでも考えていたらこれは防げた被害だった。
もう、間に合わない。
彼女は警察も日本も何もかもを見限った。
あの手の怪物が自暴自棄になったら、もう何があっても止まらない。
(誰かあれを倒せるヒーローは……エンデヴァー? エッジショット? ああでも連絡が……!!)
倒すしか――殺すしかない。
ホークスではないという事を前提に、公安委員長はいくつかのトップヒーローを脳内に並べる。
ここは湾岸地帯の工業製品出荷エリアだ。大規模な企業のそれではなく、個人の輸出入がメインのこまごましたエリア。夜の闇に包まれた港に巨大なクレーンの影が不気味に立ち並ぶ。
コンテナや荷物が迷路のように積み上げられている。足元にはロープや荷造り用の資材が散乱し、その都度足を取られそうになる。
とにかく、立場のある自分が無事に隠れて体勢を立て直すしかない。
潮の香りが強くなってきた。ホークスが賊を抑え込んでいる間に逃げ切らなければ――
そう考えていた時だった。
パァンッッ!!!! と。
火薬の乾いた音が真後ろから響き、公安委員長の右ひざが砕かれた。
「ぅあがああああああああああ!!!!!!!!」
「はいはいお疲れさん公安の偉い人。寄りにもよって追いかけっこで私と勝負する気だったの?」
キッチリしたスーツの中年女性はその場に崩れ落ちながらも、咄嗟に隠し持っていた拳銃を取り出し振り向きざまに発砲しようとする。
が、右手に鋭い熱感が走る。トリガーを引く前に頼みの綱の拳銃が”焼失”した。
早撃ち対決で負けた女性は呻く。
「ぐうっ……!!!!! が、殻木……それじゃあホークスは一体……?」
「私の”個性”は射程が長いの。だから視界さえ確保できていれば片手間で戦えちゃうし、私は貴女の事を探し回ればいい」
かつりと、軽い足音と共に闇夜の中から殻木霊火が姿を現す。
左手に構えられたリボルバーの銃口からは煙が漂い、右手は肩の横辺りで軽く握りこまれていた。
右の手首から手錠がぶら下がっている。鎖と、それに繋がれた金属の輪が揺れていた。
黒のロングストレートは美しく、僅かな潤いを帯びて艶やかに光る。
その赤い瞳は闇の中で爛々と輝き口元はどこか呆れたように薄く歪んでいた。
身にまとうのは、黒のゆったりとしたパーカーとロングスカート。
真夏にしては暑そうな装いだと、公安委員長は頭の片隅で考えた。
「正義や悪は――」
コンクリートの地面にへたり込む大人を見下ろして、少女は語りだした。
「――判別が難しい。大昔から哲学やら社会学で散々論じられたテーマだって事はそれだけ複雑って事だもんね。まあ正義の定義に関しては、安易な”答えが無い”という結論よりも”どのルールを採用するかで決まる”って解釈する方が私は好きかな」
「……義務論とか功利主義の話……? ……ええ、あなたの言う通りよ。私たちは殻木霊火を切り捨てて、日本国民の安全を確保する道を選んだ。これは最大多数の最大幸福を追い求める功利主義的な考え方ね」
「まあ私も功利主義者なんだけれど。同じ主義思想を持っていても、見え方が違うだけで全く別のものが見えてくる」
取調室で奪い取った拳銃を構えて、片腕だけ通された手錠を揺らして、自信家の少女は嗤う。
「でも何かと抽象的で分かりづらい『悪』と違って、『
「……そうね。それはその通りだわ」
「そして人というのは役割で立ち振る舞いが変わる。だから私も、
「……それは他責よ。少なくとも、民間人を巻き込んでここまでの殺人をするのは明らかに度を越している。貴方は元々人を傷つけることを好む性質だったというだけ」
「ああごめん。そう言う話じゃなくって。……私ね、元々
今度こそ、公安委員会トップの時が止まった。
少女は目を妖しく細め、引き金を絞る。
「凶悪な
――――――――
実を言うと、霊火は警察が何らかの形で緑谷出久を利用してくる可能性は普通に想定していた。
そして実際に霊火の代わりに緑谷出久が逮捕されると言われたから、警察を機能停止に追い込んだ。
警察を機能停止させるのには、一番有効な手段を選んだ。
罠も張った。演技もした。情報的アドバンテージも存分に稼いだ。
そして忘れてはならない。
殻木霊火は、『脅迫』のスペシャリストでもある。
この状況をセッティングした時点で、霊火の作戦はほぼ全て成功している。
Q:霊火はなんで緑谷母からの評価がこんなに高いの?
A:霊火が細心の注意を払って好感度を上げに行っているから。
あとファンブックが出たので、慌てて確認しています。二次創作している身としては色々と気になる……
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