とある病院の地下に存在する研究室は、今日も変わらずどうしようもない不吉さで満たされていた。
壁一面に這う無数の配管からは時折異様な音が漏れ、天井から吊るされた蛍光灯は不規則に明滅を繰り返している。
実験台の上には赤黒い液体の入った試験管が整然と並び、その隣には何かの組織が浮かぶ培養槽が青白い光を放っていた。
金属製の手術台器具が並ぶ消毒器が低いモーター音を出し続ける。研究室の奥には厚いガラスで仕切られた別室があり、そこには得体の知れない生命体らしきものが保管されている。
この場には二人の男がいた。片方はこの部屋の主で白衣を着ている小柄な老人だ。
もう片方の男は巨大なマスクを着けていた。工業地帯の排気装置を思わせる仰々しいもので、呼吸のたびに機械的な音を立てる。
チューブが首から胸部にかけて這い、マスクの中で青白いランプが点滅していた。
「ドクター」マスクを通した声が、低く響く。「最近、君の娘が気になってね」
ドクターは実験台の上の試験管を手に取りながら、わずかに動きを止めた。
ニヤリと嗤って男の方を見る。楽しくて仕方がないといった表情だ。
「ホ! 霊火のことかの?」
「ああ」マスクの男は大きく息を吐く。その音が、フィルターを通して機械的な反響を作る。
「彼女、雄英高校を目指すんだろ? あれはドクターの指示かい?」
「ワシの判断じゃ。勝手に指示してしまったがもしかして先生の邪魔だったかのう……? もしそうならすぐ引き揚げさせるつもりじゃが……」
「いや、自由にやってくれ。 いくら僕でも人の子育てに口を出したりはしないさ。 だけど互いに後進を育てている同士、親愛なる友人の教育方針がどんなものなのか気になってね」
「ホ! あの子をワシの後進と認めるわけにはいかんのう!」
白衣の老人はケタケタと笑った。
その反応が意外だったのか、マスクの男は本当に不思議そうに首を捻った。
「ふむ……それではドクターの後継としてはもしかして力不足と?」
「いや、むしろ逆じゃ。こと”個性”に関してはあの子の研究は既にワシに迫っておる」
『ドクター』は断言した。
「ただどうにも考え方や問題解決のアプローチがのう……ワシとは流派が違ってのう……」
「なるほど、『真っ当すぎる』とかか?」
「それもあるが」
老人は肩をすくめて、こう続けた。
「あの子はなまじあのような”個性”を持っているせいか人の生き死にへの捉え方がワシらとまるっきり違くての」
「『死因』だったかな? 人の死亡原因を抽出して読み取るとか……」
「そうじゃ。そのせいかあの子はワシや先生ですら当たり前に持っている『死』への忌避感が歪すぎる」
マスクをかぶった男は考え込む。
白衣の老人はそれを見てこう言いなおした。
「殻木霊火、彼女はワシらと違って研究で無辜の民やヒーローに手を出さん。むしろ彼女はそれを強く嫌悪しておる。あの子がワシらと距離を置きたがるのはそれが理由じゃな」
「なるほど、そこが『真っ当』なところか。それではその歪んだ死生観については?」
「あの子曰くワシらがダメなところは、遺された遺族、殺人被害者の最期の無念、本人の尊厳、その辺りをまとめて踏みにじるやり方らしい。極めて悪趣味と言っておった」
「……要領を得ないな。まさにそれこそが一般的な、まさに善良な考え方というやつじゃないかい?」
「婉曲な話し方になってしまって申し訳ない。あの子のことを先生にしっかり理解してもらいたいのじゃ。親バカだと思って勘弁しておくれ。」
培養槽の青い光が男のマスクに反射し、その歪んだ影が壁に揺らめいていた。
白衣の老人は悪辣さを一切隠さず、大口を開けて笑っていた。
「実をいうとあの子は殺人自体がダメとは思っていないのじゃ。人間はいずれ死ぬ。それが他殺でも自殺でも事故死でも自然死でも、それらは本質的には同価値らしい」
「なるほど?」
「時に先生。一つ質問じゃ。先生は人工妊娠中絶についてどう思う?」
「なるほど、きな臭くなってきた」
『先生』は、この期に及んで面白そうな声色が発言に混ざる。
『ドクター』の問いには答えず、首を振って先を促す。そして老人はこう続けた。
「霊火が言うにはな、妊娠中絶で『死因』は反応しないようじゃ。それに妊婦が胎児ごと死んだからといって鬼火が二個出てくるわけでもないらしい。出産に伴う死亡事故は物によりけりとのことじゃが……。とにかくこれは妊娠何週目とかそういう話ではなく、体外に排出され、産声を上げないと人間ではないということじゃ」
「だがそれは彼女の”個性”に限っての話だろう? だからといって胎児に命がないという根拠にはならないはずだ」
「霊火もそう思ったそうじゃ。彼女は遺された遺族が嘆き悲しむのを見て、あくまで胎児が人間判定されないのは自分の”個性”の都合と自己解釈しておった。霊火自身は胎児を一つの命だと認めておるのじゃ」
「それは面白い。自身の分身たる”個性”と全く別の結論に辿り着いたのか」
「しかし彼女は同時にこうも言っておった。『悲しむ人がいなくて、本人も苦しくなければ、人の死は避けるべきものじゃない』とも。ワシらを責めるときに挙げていた条件じゃな」
男のマスクから空気の排出音が響いた。
「そこで『死因』か。第一条件の悲しむ人がいないかはとにかく、第二条件の本人が苦しいかどうかは本来は検証不能だ。だがあの”個性”は死にゆく人間の最期の感覚や感情まで丸ごと吸い上げる。死ぬ人が最期に何を思ったかが分かってしまう」
「そして霊火が選んだ道は心無い機械に、あの子の”個性”を満たす必要最低限度の人間を生産させ続けることじゃった。 死を認識できる知能さえ持ち合わせないぐらいのな」
「ハハ、それは傑作だ! 流石ドクターの娘だ! まさかそこまでとは想像もしていなかった!」
「そう、無尽蔵の被検体と人間の死亡理由を正確に判別する”個性”を使った果てのない人体実験こそがあの子の研究者としての最大の特徴じゃ。おそらく霊火の使い潰した被検体の数はこれまでワシと先生が殺してきた人間の数を超えている。 もちろん霊火に罪悪感はない。何しろ誰も悲しまず、誰も傷ついていないからのう……」
「それで肝心の研究内容は? その資源を使って『検死官』は何を探求しているんだい?」
「色々と手を出しておるようじゃが、まあ基本は個性特異点の乗り越え方についてじゃの。 ワシらとは違ってあの子は真面目にいつか来る破滅の未来を乗り越える方法を探しておるのじゃ。 先生の計画が成功した後、きっと先生のお役に立てると思う」
「それは素晴らしい! 僕が天下を取ったら必ず彼女を厚遇しよう! いやはや流石ドクターだ、その子育ての手腕は僕も見習わないといけないな!」
二人は気の合う親友のように大笑した。
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年の瀬の海浜公園は、冷たく乾いた空気に満ちていた。
夕暮れの空は茜色に染まり、街の喧騒は遠い。
かつて様々な廃棄物で埋め尽くされていた公園の砂浜はすっかりと元の姿を取り戻していた。
緑谷は整理され、纏められたごみの山の頂に立って、吠えた。
その姿は、まるで一年の苦労を全て昇華させるかのように凛としていた。冬の風が彼のボロボロのジャージを揺らし、彼の髪を優しくなびかせる。
「オーマイ…………グッドネス」
霊火の隣で八木が個性的なコメントをしているが、その声音には彼の成長を目の当たりにした感動が滲んでいた。
霊火は思わず八木の方を見やり、二人は目を合わせて微笑んだ。自然と手が上がり、こつんとグータッチを交わした。
大晦日の夕暮れ時、三人の周りを包む空気は澄み切っていた。波の音が微かに聞こえ、それは穏やかな BGM のように場の雰囲気を優しく彩っていく。
「八木さん、殻木さん、僕、できた! できました!」
緑谷の声には達成感が満ち溢れていた。
「ああ...」八木は感慨深げに目を細める。「本当に驚かされたよ。想像以上だ緑谷少年」
「最初に出久くんを海浜公園で見た時は、こんなの個人で片付けられるものじゃないって思ったけどなあ……」霊火は同調した。
「ああ……十代というのはやはり素晴らしい。若さっていうのはこういうことなんだな」
感無量といった感じだ。霊火もそれなりに緑谷には付き合ってきたので感じ入るものがある。
だからこう提案した。
「それじゃあ今日は皆でお祝いする? 大晦日だよ?」
「……………………………………………………」
霊火としては単純に緑谷を労わりたいという……出来れば一緒に年末を過ごせないかという単純な気持ちから生じた提案だったのだが、なぜか会話が止まった。
「……………………………………………………」
「……………………………………………………」
八木が妙にもじもじとし始めた。何故かやたらと居心地悪そうだ。
彼は何度か口を開きかけては閉じ、時折チラリと霊火の方を見ては目を逸らした。
「……なんです?」
霊火は聞いた。
「あの、その、殻木少女」八木は咳払いを一つして、声を絞り出した。「実は、少年と少し...話があるのだが...」
「ええ……?」
霊火は首を傾げた。珍しい態度だ。
「その、できれば...」八木は言葉を選びながら続けた。「あの……もしよければ……少しの間、席を外してもらえないだろうか」
「ええぇ……?」霊火の声が、少し低くなる。「この期に及んでまた隠し事ですか? このず~~~~~~っと手伝ってきた私に?」
彼女は両手を腰に当て、ジト目でわざと怒ったような仕草を見せる。
八木は困ったように手を左右に振って「いやいやいやいやいやいやいやいや殻木少女待って」と何かを否定し始めた。緑谷は八木の背後でおろおろとしている。
彼らの反応を一通り堪能した後、満足した霊火は情けをかけることにした。
「……別にいいですし。私だけ仲間外れでも」霊火は大げさにため息をつき、くるりと踵を返した。
「まあ人の秘密を探る趣味はないので、安心してナイショのお話をしていて下さい!」
霊火は追及を切り上げる。謝罪と別れの挨拶を背に適当に手を振って答える。
人間関係を上手く続けるコツはあまり深入りしないことだ。
基本的に探られたら痛い腹を持っている霊火にとって、それは特に大事なことだった。
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彼女の後ろ姿が遠ざかっていく。夕陽に照らされた影が、徐々に長く伸びていった。
乾いた砂を踏む足音が次第に小さくなり、やがて波音だけが聞こえる静けさへと溶けていった。
八木俊典――オールマイトはその後姿を見送って、そっと息をついた。
「行ったか……それにしてもお疲れ少年。よくここまでついてきてくれた。君の頑張りで最初の計画よりだいぶ早く終わったな!」
「ええ、ありがとうございます八木さん! 殻木さんが勉強見てくれたおかげでだいぶ時間に余裕が出来たので……」
「ああ、まさか年内に終わるとは……何度でも言うようだが素晴らしいぞ少年!」
八木の声が、冬の空気に温かく響く。
「それにしても殻木少女……彼女は凄いな! 彼女君と同学年だろ? 今どきの女の子はあんなに大人っぽいのか……」
「殻木さんはクラスでも相当大人っぽい方です」緑谷は笑った。「でも、時々すごく子供っぽいところもあって……良く分からない人です」
「そうなのか?」八木は興味深そうに目を細めた。
「例えば、すごく真面目に勉強を教えてくれるかと思えば、急に『甘いもの食べたい!』とか言い出して僕を引っ張ってカフェに連れて行っちゃう気まぐれさがあったり」緑谷は空を見上げる。「あとは……その、なんというか……時々、その……」
緑谷は言葉を選ぶように一瞬躊躇った。
「時々、まるで別人のような……なんて言えばいいんだろうな……。まるで暗い闇の奥の何かを見つめているような……そんな表情を見せることがあって」
波が静かに寄せる。冬の海沿いの空気が、二人の会話を包み込んでいく。
「なるほど……」八木は何か深いことを考えているような表情を浮かべた。「若さと大人らしさの間で揺れ動く、か。それもまた素晴らしい」
オールマイトはかなり大雑把に纏めた。
流石の緑谷もオールマイトの分析にかなりの大きさの疑念を持ったようだがひとまずスルーを選択する。
「さあ緑谷少年……思ったよりも早かったが……ついに器は成した」
この日。
この海浜公園にて。
少年は、力を得た。
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「寒……」
次の日、霊火は手袋をつけた手を口元にあて、そっと息をついた。
これでいて意外と季節の行事を大切にする霊火は、律義に初日の出を神社で迎えるつもりだった。
この辺りは病院暮らしが長かった影響かもしれない。医療関係者というのは患者を楽しませるため、クリスマスでも七夕でも何かと律義に病棟に飾りつけをする習性がある。
特に小児科の場合は顕著だ。
(まあ神様にまともな感性があったら、私が境内に入るだけで三十回ぐらい天罰が落ちてもおかしくなさそうだけど)
そんな台無しな思考を巡らせながら霊火は初日の出を待つ。
列は参道の石畳に沿って伸びていた。前後には、晴れ着姿の家族連れや学生たち、年配の方々が並ぶ。
冬の朝の空気は澄み切っていて吐く息が白く凍る。風が吹くたびに参道脇の木々がざわめく。
石段の上からは、お守りを買い求める人々の声や、鐘の音が微かに聞こえてくる。パチパチと焚き火の煙が立ち昇り、その香りが冷たい空気に溶け込んでいく。
手水舎に立ち寄った霊火は、柄杓を手に取る。澄んだ水が静かに流れ落ち、その音が朝の空気に溶け込んでいく。左手を清め、右手を清め、最後に口をすすぐ。
長い時間をかけてようやく賽銭箱の前に辿り着いた霊火は、何となく周りの人々の仕草を真似るように、小銭を投げ入れた。硬貨は、他の参拝客の賽銭と混ざり合いながら、清らかな音を響かせた。
「…………………………」
二拝二拍手までしてから別に神に祈りたいことも特にない事に気が付いた。
一瞬の思考ののちに自分が受験生だったことを思い出して、取り合えず合格を願うことにした。
最後に一礼。
「あれ」
参拝を終えた霊火が境内の甘酒の振る舞いで手に入れた湯気が立ち昇る紙コップを、両手で包み込んでのんびりしている時だった。
スマホが通知を鳴らす。緑谷からのメッセージだ。
『明けましておめでとうございます! もしよければ今日いつもの海浜公園に来てもらえませんか?』
霊火は一人で首を傾げる。去年一年、あの公園には何度も行ったが何気にこのように向こうから呼び出されたことはなかった。あそこに行くときはいつだって霊火が自分で行くと決めた時だったのだ。
それにもう清掃は終わっているはずの公園に何をしに行くのだろう?
頭の中でいくつもの疑問符を浮かべながら残りの甘酒を飲み干して紙コップを片付ける。
緑谷への返信に、初詣の写真を添付して送って、立ち上がる。
向かう先は海浜公園、去年一年何度も通い詰めたところだ。
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電車を乗り継いで海浜公園に辿り着くまでに一時間弱かかった。
……公園の前にサイレンも付けずに止まっている救急車が色々と不思議だったが関係ないと判断しスルー。
「明けましておめでとう、殻木さん」
「殻木少女。明けましておめでとう」
公園内に入ると二人は既に霊火を待って手を振っていた。
八木はとにかく緑谷の様子が若干おかしい。なんというかガチゴチに緊張していた。
「お待たせしました……いやごめんね、時間かかっちゃって」
「いやいやいやいきなり連絡したこっちが悪いよ!」
「まあ確かに新年早々呼んどいてつまらない話だったらどうしてやろうかなとは思ってる」
「殻木さん時々すごい正直だよね⁉」
手に持ったスマホでクルクルと手遊びをしながら笑いかけると、緑谷は少し緊張が溶けたようだった。
「…………………………」
緑谷は一瞬、八木の方を見た。八木が小さく頷くと、緑谷は深く息を吸った。
波のさざめきが静かに響く中、緑谷はまっすぐに霊火を見つめる。
少し震える声で、確かな意志を持って、彼はこう言った。
「僕の"個性"を見せようと思って」
……かなり驚いたというのが、霊火の正直な感想だった。
緑谷は”無個性”だと聞いている。霊火たちの世代では珍しい、何の”個性”も持たない型。
霊火は一瞬、八木の方を見た。しかし彼の落ち窪んだ目からは何も読み取ることが出来ない。
緑谷の方に視線を戻す。
「……確かに最初から不思議だったの。”無個性”の出久くんがどうやって雄英高校に行くつもりなんだろうって。全然教えてくれないな~とは思ってたけど」
「うっ……これまで言えなくて本当にごめん……」
「別にいいけど。誰しも秘密の一つや二つ抱えているもんだし」
霊火は自分のことは棚に上げて緑谷を許した。というより、純粋に興味津々だった。
この公園でトレーニングをする緑谷を見ている間ずっと抱えていた疑問が、遂に解決される。
そう、最初から彼は、一つ大きな矛盾を抱えていた。
「まあずっとおかしかったもんね? 出久くんがここで鍛えてる時の『頑張ればヒーローになれる』って感じの強い確信。どうにも”無個性”のそれじゃない――何か隠してるなあって思ってたんだけど……」
彼が本当に”無個性”なのかどうかを、霊火はずっと疑っていたのだ。
「ほんとごめん……! 隠していたわけじゃないんだ! でもちょっと事情があって……」
「いやあ全然大丈夫。 ”個性”があるって聞いてむしろ安心したよ私」
緑谷はそれには返事をせず意味深に八木と目を合わせた。
緑谷は大きく深呼吸すると覚悟を決めたように拳を握りしめた。
そのまま10メートルほど先にある波打ち際へと歩み、海の方向を見て立ち止まる。
「ねえそんな大仰にやる必要ある?」
てっきり目の前でパッと見せてくれると思っていたので、思わず聞いてしまった。
何というか、緑谷の悲壮感がすごい。
隣を見ると八木も緑谷のことを食い入るように眺めていて、霊火も何かがおかしいと思い始める。
「ちょ、ちょっと待っ」
「行きます!!!!!!」
ゴッ!!!!!!!
構えるだけで、周囲の空気が震えた。
霊火は仰天して緑谷を凝視する。
そして静止する間もなく、緑谷はこう叫んだ。
「デトロイトスマッシュ!!!!!!!」
ドォォォォォン!!!!!
緑谷の拳から放たれた衝撃波が、海を真っ二つに割いた。
水しぶきが高々と舞い上がり、砂浜が抉れ、一瞬海底が完全に露出する。
霊火は思わず目が点になる。しかしその衝撃的な光景を目の当たりにして間もなく——
ドサッ
緑谷がその場に崩れ落ち、八木が駆け寄っていった。
「緑谷少年!」
「いってえええええ!」
緑谷が絶叫する。
彼の腕が衝撃波の反動か、明らかに曲がってはいけない方向に折れ曲がっていた。
「だ……ちょ……えっ……?」
全ての物事が霊火の行動抜きで進行していき、霊火は頭が真っ白になる。
「大丈夫か緑谷少年! くそっ……これは……」
「えっ……びょ……病院!!!!!! 病院に連れて行かないと!!」
少年に駈け寄る八木の姿を見送りながら空白の脳を無理やり再起動させ病院の存在に思い至った瞬間、霊火は公園の前に救急車が止まっていたことを思い出した。
振り返ってみると爆発音を聞きつけてか、薄い青色の服に白いヘルメットを被った緊急隊が担架をもってダッシュで駆けつけてくるのが見える。
「まさか」
霊火は化け物を見るような目で八木を見た。
「こうなることが分かっていてこれをさせたの!?!? ”個性”を発動させたら反動で壊れること前提で!?!? 貴方が救急車を事前に呼んでいた!?!?」
「……予想をしていなかったといえば嘘になってしまうな。すまない殻木少女、刺激が強いものを見せてしまった」
――――――――――――――――――――――
夕暮れ時の総合病院の外。爽快な青空の下、救急外来の入り口前に設置された長いベンチに霊火と八木が座っていた。 緑谷は院内で検査中だ。
自動販売機がジジッ、と音を出す。時折見舞客らしき人々が行き交い、屋外だというのに嗅ぎなれた病院特有の消毒液の匂いが漂っていた。
正月の緊急外来といえば普通の病院に祝日という題目で締め出された患者で超忙しいのが原則だが、この時間は運よく空いているようだった。
(まあ直に羽目を外しすぎたアルコール中毒患者と餅をのどに詰まらせたご老体が山ほど来るだろうけど)
そんなことを内心で考えながら足を揺らす。そして隣の八木と会話を続けた。
「……なるほど、『自らをも破壊するほどの超パワー』が出久くんが元々持っている”個性”で、この一年はこの“個性”を引き出すための身体づくりだったと……」
「ああ、緑谷少年は元々そういう”個性”を持っていたが、彼自身も気が付いていなかった。私は偶然緑谷少年の隠された力に気が付いて彼を鍛えていたのだが……」
「道理で”無個性”扱いになるわけだ。……自分でも気が付かないというのもまあ無くはない話か。発動条件が厳しすぎる”個性”が本人も存在を気が付かないまま”無個性”判定されるのは時々聞く話ですからね」
例えば、『皆既日食中に狼に変身する』”個性”を持っているとして、それを”個性”診断でどうやって知ればいいのかという話である。
その人の人生で最初の皆既日食の日を迎えるまで、本人ですら自分を”無個性”だと思っていても不思議ではない。
「全ての”個性”は4歳までに発現する」と、4歳までに発動機会があるかどうかは別の話なのだ。
それにこの手の「”無個性”だと思っていたら本当はこういう力があった」みたいな事例はそれなりに存在はする。
(出久くんの場合は本能的に”個性”をセーブできていたみたいなパターンなのかな……それかある程度身体が完成しないと発動すら出来ないとか? あんなの”個性”が発現する幼少期にぶっ放したら反動で肉片になっちゃうもんね)
霊火は一人で納得した。
「それにしてもよりにもよってお正月にこんなことしなくても……救急車まで手配して……病院のことなんだと思ってるんですか……?」
「すまない……怪我するにしてもあそこまで重症になるとは考えていなかったのだ。これは私の落ち度だ」
「あとせめて私にぐらい事前にこういうことがあるかもって警告しといてください。私も予想外のことがあれば人並みに混乱しますし、友達が怪我するのは嫌いなんですよ?」
霊火は驚かされた分、若干八木への恨み言が多くなる。
ただ、緑谷が骨折した時の八木の反応からみて、多分あのレベルの反動は彼からしても想定外だったのだ。救急車も万が一の待機だったのだろう。
それはそれでただでさえ忙しい救急車をスタンバイさせられるこの男の正体が気になってくるが、霊火はひとまず気にしないことにした。
そんな彼は膝に肘を乗せて両手を口元に持ってきて、なんか明らかにしょんぼりしていた。
漂うあまりの哀愁に霊火はため息をついて、八木への追及を諦めた。
「まあ確かにあれは八木さんが肩入れするのも分かります。増強系であの出力、万全に発動出来たらオールマイト級の金の卵だ」
「……その通りだ。私としては何としても緑谷少年にゆくゆくはヒーローになって、皆を救える存在になってもらえればと思っているのだが……」
「…………………………あれ雄英の入試に間に合います?」
「……………………………………………………」
嫌な沈黙が返ってきた。
そう、緑谷は九か月ぐらいをかけて身体を鍛えてきたがあれであの複雑骨折だったのだ。因みに雄英高校入試までは後二か月もない。
「……実技科目がデカい目標相手の破壊力テストみたいな形式だったら腕を犠牲になんとかなるかも……?」
「…………………………何とかして緑谷少年に”個性”の制御を間に合わせてもらうしかない」
「……それで八木さんは間に合うと思います?」
元々重かった空気がさらに重くなった。
どうぞこれからも凶悪敵のスレスレ生活をお楽しみください
たくさんの評価ありがとうございます。励みになっております。