日本という国は、国土の70%が森林で占められた自然豊かな国だ。その中でも険しい山中の登山道からすらも完全に外れた一角だった。
空を飛べる霊火にとって鬱蒼とした森林や険しい山道は移動の不便さには繋がらない。
“空飛ぶ箒”に横座りして目当ての構造物を見つけた魔法少女は、軽いジェット音を吹かしながら降下して地上に降り立った。
森の匂いは、湿った土と日向の葉っぱの匂いだ。
それを肺いっぱいに吸いながら、少女は木の根をまたいでやや強引に枝を押しのける。蝉の声はとっくにBGMと化していてもう騒がしいとは思わない。
そんな緑のざわめきの中に不意に現れたのは灰色だ。
木漏れ日を受けても反射の乏しい割と新しめのコンクリート。
「……別に秘密基地を作ったつもりは無いけれど……」
信じられないほど見つけにくい所ではある。
少なくとも市販の地図には書かれていないため、霊火が位置を教えた人にしか見つけられないだろう。
霊火が相対する構造物は、直方体のコンクリートの箱といった外見だ。窓はなく、入り口は厚みのある金属扉が一つだけ。落書きも錆びもない。
生体認証を兼ねた銀色のレバーを握ると、軽い電子音が響く。開錠された扉を引くと、油圧特有の重さとともに手前に開き、内部からのひんやりした風が頬を撫でた。
扉の奥は階段だ。
ステンレス製の手すりがゆるやかに回り、コンクリ打ちっぱなしの壁に沿って下へ下へと降りる螺旋階段。
足音がコツコツと響き、入口はみるみる遠ざかっていく。階段の中心はぽっかり空洞で、見下ろすと照明の丸い光が幾重にも沈んでいくのが見える。
階段を降り切った先は、飾り気のないコンクリート製の通路だ。
壁や床は清潔で湿気はなく、LED照明もどこか薄暗い。広い通路の左右に15ものドアが並び、プレートには「FOOD STORAGE」「THEATER」「ARCADE」などと書かれている。
霊火が選んだ扉を開けて入った先は食糧庫。段ボールの匂いがした。
乾燥させた果物に袋詰めされたシリアル。コメに小麦。その他諸々。棚が所狭しとびっしり並び、銀色や白や茶色のパッケージが整然と積まれている。
ラベルには「25 YEARS SHELF LIFE」なんて文字も印字されていたりする。所謂保存食だ。奥の方には缶詰も乾麺もあって、冷凍庫には特殊加工された肉や魚まで揃っている。
(う~ん……何が食べたいかなあ……)
目についた保存食をいくつか腕に抱えた。金色の袋に入ったスープの素、非常食バー、そしてパスタの束。
通路に出て、別のドアを押して今度は居住区に入る。
広さは普通のワンルーム程度だが、そこに詰め込まれた調度品は霊火のこだわりだ。ふかふかの革張りソファにガラスのローテーブル、小ぶりながら機能的なキッチンまで備え付けてある。
壁際には木目のデスクと薄い大型モニターが鎮座している。照明は柔らかく、天井の間接光が空間をふんわり包む。
「出久くんも早く帰って来ないかな……」
少女はパスタをキッチンに置いてステンレスの蛇口から水を鍋に注いだ。IHコンロが静かに唸る。
やがて湯が沸き、乾いたパスタの束を鍋に落とす。塩をひとつまみ入れると湯気がふわりと顔を撫でた。
10分後には、霊火の目の前には完成品のトマトソースパスタがあった。
それを食べた霊火は一言。
「……うん、普通」
霊火は人並み以上には料理が得意だという自負があるのだが、保存食からだと味に違いをつけようがない。
総じて既製品の味としか言いようが無かった。つまりはそこそこ美味しいという意味でもあるのだが。
つまらない食事も15分後には食べ終わり、少女は一人さみしく『ごちそうさまでした』と手を合わせた。
これでも今の限界状態の日本では極端に贅沢な食事ではあるのだが。
「うーん……お風呂お風呂……」
食器をシンクに置いて息をつくこの今でも、地上では停電やら断水で悲惨な事になっている。
特に断水の影響は深刻で、水の確保に走り回っている人が相当数いるはずだ。今が夏というのもあって脱水症状に陥る人も続出している。
そんな中で『女の子は毎日お風呂に入るモノ』という権利を押し通せる生粋の大富豪は、そのまま廊下を抜けてバスルームのドアを開いた。
床は白いタイル、壁は淡いベージュの大理石調。
大きな鏡が正面にあり、洗面台は二つ並んでいる。脱衣所の奥には脚を伸ばしてもまだ余裕のある広い浴槽が据えられ、その隣にはガラス張りのシャワーブース。天井には間接照明が仕込まれ湯気をやわらかく照らす設計だ。
霊火が蛇口をひねると勢いよく透明なお湯が流れ込み、浴槽の底で心地よい音を立てる。指先で温度を確かめるとぴたりと好みの湯加減だ。
服を脱ぎ、パパっと汗だけシャワーで流して、湯の中に身体を沈める。
全身を包み込む温かさに肩まで浸かった瞬間、小さく声が漏れた。
「……あ〜〜〜………………………………。…………………………やっぱり右脚だけ治崎に治してもらった方が良かったかな…………………………」
USJ事件にて脳無に千切られかけた右脚は、どす黒く変色し、形も歪で見た目がとても悪い。閲覧注意レベルの傷で、決して衆目には曝せない。
基本的に自分の見た目に相当な自信がある霊火にとって、この右脚の現状は酷くプライドが傷つく原因になっていた。霊火だって出来ればこの傷を綺麗さっぱり治したいが、霊火にも出来る事と出来ない事がある。
治崎の『オーバーホール』ならばおそらくこの右脚も元の姿に戻す事が出来ただろうが……。
「……流石に、ヤクザ相手に大きな恩が生じる方がヤバいか」
そういう結論になった。
霊火は大欠伸して、湯の中でゆっくりと足を伸ばした。
――――――――――――
洪水でも台風でも地震でも戦争でも、災害対策というのは本気でした方が良い。
食料、飲料水、生活用品。
普通ならスーパーにでも行けば5000円程度で最低限は揃うそれらは、災害発生後には札束を積んでも買えなくなる。
非常持ち出し袋や備蓄品の用意に、ハザードマップの確認。この程度は災害前に必ずやっておこう。
……まあ結構色んな事に言えることだが、『保険』はまだ安全な内から大仰に組んでおくことに意味がある。
この手の『保険』は何かが起こって窮地に立たされてから慌てて準備しようとしても遅いのだ。
そして、人口が500万人吹き飛んだ末に停電と断水と治安の悪化で軽い世紀末状態に突入している日本で、霊火が心地良い生活を維持できているのはまさに「保険」が上手く働いた例と言えよう。
要は、この山中の地下施設は、霊火が用意していた核シェルターなのだ。
別に設計段階では核戦争をメインに想定した訳ではないが、結果的には絶滅戦争にも耐えられるようにはなった安全地帯である。もちろん霊火の設計だ。因みに違法建築でもある。
そしてシェルターとしてのスケールも、個人が自宅の地下に設置するようなこじんまりしたモノではない。
例えばアメリカの心配性な富裕層は、核戦争を怖がってアラスカやらニュージーランドやらに何十億円もかけて核シェルターを設置したりする。感覚としてはそれに近い。
つまりは世界のVIP御用達の、リッチでセレブリティな核シェルターである。
そんな安全地帯で霊火はバスタイムを堪能した。
日本国民の誰もが避難所で先の見えない不便な避難生活をしていると思うと、単なるお風呂の時間も最高の気分だった。
ドライヤーを浴びた後には化粧水、乳液、美容液をこれでもかというぐらい肌に擦り付けて、少女はいい匂いを漂わせながら居住区に戻る。女の子の美容にはとにかく金と時間がかかるのだ。そういう意味では、霊火も何かと雑なのがスタンダードな男の子がちょっと羨ましい。
バスローブ姿の少女がソファに腰を下ろして軽く伸びをしたそのときに、タイミングよく金属の扉が動く音が聞こえた。
耳をすませば螺旋階段を降りてくる足音が聞こえる。
このシェルターの位置は霊火ともう一人しか知らないので、この足音の持ち主は自然と絞られる。
少女は心底嬉しそうに、ソファで寛ぎながら明るく笑ってゲストを迎え入れた。
「おかえりなさい出久くん。……また随分と沢山の人を助けてきたようで」
緑谷出久は全身泥と埃でまだら模様だった。
ボロボロのシャツには焦げた跡があり、袖口には赤茶けたシミがこびりついている。
顔は煤と汗でひどく汚れていて息は荒い。今まで何時間も人を助けてきたことが一目でわかる。
緑谷出久は、“ピースキーパー”の施行からずっとこんな感じだった。完全なオーバーワークだ。
誰もを助ける最高のヒーローを目指す緑谷出久が、誰もを助けるだけの実力を手に入れた結果人助けをやめられなくなるのはまあ必然だった。
そんな彼に有形無形の圧力をかけて、無理やり休息を取らせるのは霊火の役割だ。
ソファの霊火を見た少年もまた、安心したように笑った。
「……ただいま、霊火さん」
「はいはいお疲れ様でした。……お風呂にする? ご飯にする?」
ここで新婚三択を完遂出来ない程度には霊火も初心だった。
緑谷はドギマギする霊火に気が付かないまま、『それじゃあ先にお風呂に入るよ』などと宣言する。
バスルームに向かった緑谷の背中を見送って、霊火はキッチンに向かった。
お仕事を頑張って来た彼に、ご飯ぐらいは用意してあげよう。
――――――――
居住区から通路に抜け「THEATER」と書かれたドアを押すと、そこは映画館だ。
目の前に広がるのは、壁一面を覆い尽くす巨大スクリーンで、天井は高く、段差状に並んだふかふかのシートが場の主役だ。
核シェルターの中とは到底思えない娯楽空間に、お風呂に入って清潔になった緑谷出久は心底不安そうな声を出した。
「ねえ、ここに初めて来たときも思ったけど、霊火さんって一体何者なの?」
「私は金持ちお嬢様だよ。核シェルターぐらい持っておかないと」
「……お金持ちって核シェルターを持っているものなの?」
「土地が狭くてマンションが強い日本ではあまり馴染みが無いかもしれないけれど、核シェルター自体は別に富裕層の特権って訳じゃないよ。それこそアメリカとかスイスなんかは自宅の地下にあるのが普通なぐらい浸透しているし、実際便利でしょう?」
「だとしてもここまで豪華な建物をどうやって用意したの……?」
「お金持ちは遊びながら世界の終わりを待つんだよ」
完全なイリーガルかつイレギュラーな手法を使って作った建物であるため、誤魔化すしかなかった。
一応、お役所などに本気で詰められたときの回避法は用意してあるが……。
少なくとも霊火は、地下壕みたいな薄暗い場所でお風呂にも入れずに硬い地面の上で膝抱えて眠るような生活は絶対に嫌だった。
霊火は緑谷の質問を適当に躱そうとしつつ、真ん中あたりの席に腰を下ろして手元の小さな折りたたみテーブルにキッチンから持ってきた皿を置く。
湯気を立てるトマトソースパスタの赤が、薄暗い劇場内でやけに鮮やかに映える。
「はい召し上がれ」
「そもそも映画館でパスタを食べるという事が慣れないな……」
「私が個人所有している映画館だからそれは良いんだよ。無免許運転も私有地なら問題ないみたいなものだよ」
霊火は適当に対応しながら、パスタと一緒に持ってきた自前のノートパソコンを巨大スクリーンに繋げる。
デモンストレーションがてら動画ファイルから適当にオールマイトのドキュメンタリー特番を引っ張り出してみた。壮大なタイトルコールと共に平和の象徴の高笑いがシアター内に響き渡った。
映画館特有の迫力ある音響で臨場感が無駄にブーストされている。
「うおお!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「パスタ食べるとき気を付けてね。トマトソースとかシートに零されたら大変だから」
やはり、映画館で食べるのはポップコーンであるべきなのかもしれない。まああれはあれで映画館公認の食べ物としては、食べるときの音がデカすぎて鑑賞に向かない気がしなくもないが……。
とにかくシアタールームに来たのはオールマイトのドキュメンタリーを見るためではなく、緑谷と話したいことがあるからだ。
「さて、改めてロケーションやレギュレーションの確認をしようか。出久くんも“ピースキーパー”活動でお疲れだと思うけれどちゃんと聞いてね」
パスタと一緒にシアターに持ち込んできたポテトチップスの袋を開ける霊火。
塩分と油を抑えてヘルシーでカロリーカットがどうだとか何とか書かれたそれは、やや味が薄くパンチがどうにも足りなかった。
緑谷出久は不思議そうに少女の方を見て首を傾げる。
「れ、レギュレーションってどういう意味?」
「出久くんの知っての通り、“表“は断水と停電と治安の悪化で大変な事になっているでしょ? なにしろ供給も物流も何もかもが死んでいる今、避難所にある備蓄が無くなった瞬間に善良な市民の皆様が隣人を殺して食料や水を確保しにかかる時代がやって来る。そうなったら今度は本物の国家の終わり。”ピースキーパー“で場当たり的に犯罪に対応するだけでは絶対に治安を取り返せなくなる」
「僕は霊火さんが真面目に治安回復する気があるって言うのがビックリだよ。……つまり、治安を回復して市民の皆様を安心させるためには、もっと根本的な所で何かしないといけないって事?」
「そういう事。確かに私のような心配性の超富裕層や国外に脱出したVIPは困っていないけれど、流石に私としても日本が一生そのままって訳にもいかないよ。で、その上で治安回復に必要な要件が何個かあって……」
霊火は片手でキーボードを叩き、映画館のシアターいっぱいに日本地図を展開する。
「まず前提条件の確認から行こうか」
「了解」
「そもそもこの”八月の悪夢”は、林間合宿で私が殺されなかった所から始まっているんだけれど……」
霊火は軽く肩を竦めて、左腕を”ほどいて”みせた。
腕の形が崩れて一枚の包帯となるのを見た緑谷は一瞬怯んだようだが、声は出さなかった。
隻腕。荼毘によって奪われた左腕は、霊火がいかにギリギリの所で生き残ったのかを雄弁に語っている。
「ま、彼らが私を殺そうとしたのはステイン絡みのいざこざだったけれど……とにかく林間合宿で私を殺し損ねた敵連合は、林間合宿が終わっても諦めなかった。複数回の暗殺未遂の後、ついに彼らは『ギガントマキア』とかいう最強格の敵を都心に放った。まあこの辺りは出久くんも良く知っているはず」
少女が片手でキーボードを叩くと、スクリーンの日本地図にギガントマキア戦の写真が提示された。
その隣には赤文字で『死者数140万』と表示される。緑谷は呻き声をあげた。
「140万……そんなに……!?!?」
「一応言っておくけれど”推定”だからね。あと救助活動が間に合わなかった死者とかその他とかも含めてある。……噂によると、現場では遺体と名前の照合が上手くいっていないみたい。完全にパンク状態なんだって。ま、平日の昼にビジネス街のど真ん中であの大暴れされたのがマズかったねえ……」
更にはその少し南。
神野にて一つの流星が堕ちている写真が映し出される。こちらは死者数約170万。
絶句する緑谷を置いて、霊火は淡々と説明を続けた。
「そして一番良く分からないのはこれだね。”神野の悲劇”。隕石騒動だけど……なんだこれ。何らかの”個性”攻撃なのか或いは宇宙人の襲来なのか、とにかく隕石が墜ちた。私にもこればかりは本当に良く分からないけれど……。とにかく、ここで『AFO』はオールマイトによって撃破された……らしい……?」
「……隕石、霊火さんにも分からないの?」
「私にも何とも……。起きた現象としては軍事衛星とかが大気圏外から大質量を投下する類の質量攻撃っぽいけれど、それにしても色々とヘンテコなんだよね……ほら見て」
スクリーンには自己増殖する異形の巨大工業地帯の動画が映し出されていた。
明らかな超常。緑谷も食い入るように画面を見るも、彼にはその正体など分かるはずもない。
隕石攻撃の実行者は何食わぬ顔でこう続けた。
「隕石の衝突と共に発生した円形の衝撃波が神野区内のすべてを文字通り消し飛ばしたって言うのがやっぱりヤバいね。直径7キロのクレーターが出来てるし、この調子だと白亜紀末よろしく氷河期が来るかもしれない」
「それは…………………………」
「人類が恐竜よりも寒さに強い事を祈るしかないね」
霊火は雑にまとめて、話を先に進める。
「で、その夜には私が指名手配されたんだけれど……。それと同じ晩に、日本中の警察組織が何らかの敵組織に襲撃を受けた」
「……僕は最初、これを霊火さんだと思ったけれど」
「酷い冤罪……。北海道と沖縄の警察署を同時に襲撃する方法があるならご教授願いたいけれど」
この敵組織というのは『異能解放軍』な訳だが、それを知っているのは日本でも非常に限られる。
実際、今の解放軍は警察や政府の中枢にまで入り込んでいる。彼らはクーデターに事実上成功し、既に正義の側なのだ。そして誰にも、正義は裁くことが出来ない。完全な無敵状態だ。
死者数は9万人。この中には警察関係者やプロヒーローが数多く含まれるため、治安の維持という意味では非常に重い数字だ。
「で、その二日後とかには治安の維持が出来なくなった政府が、”ピースキーパー”制度を運用し始めた、と。その後の被害状況としてはこんな感じかな」
スクリーンに更なる被害状況が一斉に映し出された。
その中でも目立つのは、都心の『ふうか』と九州の『脳無』だ。
犠牲者数がそれぞれ100万人を超えている。緑谷出久は拳を強く握りしめた。
「……あの林間合宿の女の子の敵……!! 100万人も殺したのか……!?!?」
「私もこの子と戦ったけれど逃げるのが精いっぱいだったな。貴方の方はどんな感じだったの?」
「……物凄く頑丈で、そして複数”個性”を扱ってくる。おまけに相澤先生の『抹消』を受けた状態でも真空刃とかを扱ってくるんだ」
「なんだそりゃ。『抹消』でも”個性”を使ってくる? そんな訳なくない? 確かに”ピースキーパー”情報ではアンドロイドの可能性があるとか書かれてたけれど……」
【食人主義】の開発者である少女はまたしても素知らぬ顔をした。
神野の”天落”の方にも共通するが、この件で霊火が犯人だと特定するのは霊火がヘマしなければ絶対に不可能なのだ。
なにしろ霊火が扱うのは”個性”を出力する機械である。
肝心の凶器が完全なオーバーテクノロジーである以上、いかなる名探偵でも霊火の元には辿り着かない。
探偵がいくら論理的に思考を重ねても、その「理由」となる物理法則自体が捻じ曲げられているため、手も足も出ないのだ。感覚的にはテレポート装置を扱う犯人にアリバイ勝負を仕掛けるような物である。
もちろん探偵が推理の焦点を「Howdunit(どうやったか)」から「Whydunit(なぜやったか)」にすれば霊火に辿り着ける可能性も無くは無いが、その場合は霊火のフィールドで霊火相手に頭脳戦で勝つことを要求される。そんな名探偵がいるならば、霊火もお目にかかりたいものだ。
「まあその件はひとまず置いておこう。九州の脳無にしても東京の少女敵にしても姿を晦ましちゃったし。とにかく今現在一番に優先するべきことは治安の回復だと思うんだよね」
「……うん。僕もそう思うよ。停電にしても断水にしても、まずはそこの解決からだよね」
「それで、”ピースキーパー”施行から5日も経つのに治安の回復の兆しが全く見えないのは何故かを考えたい。もちろんこれには色んな原因が複合的に関わっているけれど、やっぱりヒーローの再配備が上手くいっていないのが一番致命的だね。分かりやすく言えば、今の日本はヒーローが仕事をしていないんだよ」
「それは僕も気になってた。街を歩いていてもヒーローの姿があまり無いというか……『ヨロイムシャ』とか『マジェスティック』は見かけたけど逆に言うとそれ以外は5日で10人ぐらいしか……」
「私が出久くんに東京や神野と言った一番被害が大きい所に行かせなかったからね。私は都心の方にも顔を出したからプロヒーローたちが瓦礫をひっくり返して不眠不休で生存者探しをしているのも見たんだけど……。まあ、実際の所プロヒーローは災害現場での救助作業が忙しすぎて治安維持のパトロールしている暇がない」
スクリーン上の日本地図にいくつものバブルチャートが表示された。
一目見るだけで、都心部や九州あたりにプロヒーローが集中している事が分かる。
「救助、避難、撃退の3項目の内、救助が重すぎるのが今の日本の問題かな。後は単に、ヒーローの絶対数が足りないというのもある。殉職者とか重傷者とかもそうだけれど、単に事務所畳んで息を潜めている人たちもいっぱいいるね」
「え?」
「現代日本では、”プロヒーロー”とは言っても所詮は公務員だからね。敵前逃亡が重罪となる軍人って訳でもないし、ギガントマキア戦辺りを見て自分の命が惜しくなった人も多いって事。実際、あれを見たら様子見するのも当然の判断だと思うよ。今回の事件に関しては治安の崩壊っぷりが半端ないから、ある程度気概のあるプロヒーローでも家族優先になっちゃってる人も多いだろうからね」
霊火はつらつらと説明しながらシアターのスクリーンに映し出された図を次々と切り替える。
長々と話したが、ここからが本題だ。
「で、このプロヒーロー不足問題だけれど、実は一発で解決する手段がある。出久くんは分かる?」
「……海外に支援要請するとか? だけど、それが出来るならとっくに海外のヒーローたちが……」
「そう。海外のヒーローに支援を頼めば、救助にしても敵退治にしても人海戦術で日本の問題は大体解決する。しかし私たちは、この5日間でただの一人も海外のヒーローを見かけていない。それは何故か」
そして少女は、切り込んだ。
「ヒーローネットワークが落ちているらしいんだよね」
「……ヒーローネットワークって……?」
「あれ、伝わってない? 『犯人は貴方です』レベルで結論を言ったつもりなんだけれど……。HNって言うのはプロヒーローだけが使える、全国のヒーローの活動報告とかの閲覧や同業者の"個性"を確認して協力を申請するために使用できるシステムの事だよ。……治安が一向に回復しないのはHNが壊れているせいで連携が全く取れないのもあるんだろうな……」
「それは大変だけど……でもそれが海外のヒーローを呼べないのと何の関係が……?」
「プロヒーローの国際派遣って滅茶苦茶手続きが煩雑なのよ。私も軽く目を通したけれど、どうしてもHN無しでは出来ないみたい。逆に言うと、HNさえ復旧出来たら海外からヒーローが来てくれて日本は持ち直せる」
「だけど、それほど大切な物なら、ヒーローネットワークは何で落ちてるんだろう……」
「そこまでは私には分からないけど……何者かに攻撃されていると考えるのが自然じゃない? まあ原因の特定もついでにするとして、HNの復旧を私たちで直接試してみない? 5日も回復していないって事は、実際に何かが起きていると思うよ」
地図上、瀬戸内海の一つの孤島にピンが立った。
同時にその島の写真も表示される。輪郭はシンプルで凸凹なく、木々は背の低い雑木林だけ。
砂浜や桟橋もなく、ただひたすら何の変哲もない岩と草が広がるばかりだ。
霊火は薄暗い劇場内でニヤリと笑った。
「ヒーローネットワークのサーバーが存在する場所は政府によって厳重に秘匿されていたけれど、特定した。瀬戸内海にある私有の無人島。絶対にHNは、ここにある」
「……マジで?」
「大マジ。……ヒーローネットワークさえ復旧すれば、日本の治安は回復する……はず。……どう? 私一人で行くのも心細いし、出久くんも一緒に行ってみない?」
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