殺人現場より、愛をこめて   作:トリスメギストス3世

8 / 122
008:ルール違反

 夕暮れ時の緑谷の部屋。窓から差し込む柔らかな光が、所狭しと並ぶオールマイトのフィギュアやポスターを優しく照らしていた。

 壁一面に貼られたポスターは様々な時代のオールマイトのものだ。棚には限定品(と緑谷が言っていた)のフィギュアが大切そうに飾られ、机の上にも小さなマスコットが何個も鎮座している。

 手持ち無沙汰な霊火は意味もなくヒーローコレクションを眺めていたが、この部屋の主と趣味が絶望的に合わないことを改めて認識するだけだった。

 

 緑谷は勉強机に向かっている。白い包帯に吊られた左腕が痛々しい。

 この左腕が今年二度目の骨折である。まだ一月なのに。

 

 ……右腕が治った瞬間に"個性"の制御に再挑戦し、左腕を複雑骨折する緑谷の姿は霊火から見ても実にホラーだった。イカれている。

 

 そして災難なのは緑谷のお母さんだ。

 息子が正月に右腕折って帰ってきたと思ったら”個性”が出てきたとか言ってきて、その二週間後には今度は左腕を折って帰ってくるのだ。いったい何が起きてるんだという話である。

 二回目の骨折の時は霊火も緑谷に随伴して緑谷家にお邪魔したが、哀れな緑谷母は玄関でリアルに卒倒していた。

 あの後、緑谷が母親にどう言い訳したのか想像も出来ない。

 

 それに利き腕が使えなかった先々週までは大変だったのだ。

 飯でもなんでも箸が使えなかったりと不便なうえ、手を動かして文字を書けないとなると勉強の効率がガタ落ちだった。そのくせトレーニングはするのだから狂気的だ。

 霊火は割と付きっ切りで面倒を見ていたが、この前ついに緑谷母に『殻木さんは自分の勉強大丈夫……?』と聞かれてしまった。

 純粋に心配してくれているならまだいいのだが、迷惑だと思われていたら少し悲しいなと霊火は思った。

 

「…………………………」

 

 "個性"の制御がうまくいかず、緑谷の表情は曇ったままだ。いつもの明るい笑顔は影を潜め, 机に向かう姿勢にもどこか力がない。

 二度目の骨折は、彼の自信を大きく揺るがしているようだった。試験まで残り一か月を切る中、焦燥は明らかに緑谷を蝕んでいる。

 

 ピピピピ、とタイマーが鳴った。

 

「OKここまでにしよう、丸付けは私がするね」

 

「ありがとう殻木さん……僕ちょっと飲み物とってくるよ」

 

 壁掛け時計(オールマイトグッズ)の秒針が、静かな部屋の中でカチカチと時を刻んでいた。

 

 ――――――――――――――――――――――――――

 

 霊火は街外れの建物にきていた。駅前の大型スーパーに完全に客を取られた古いスーパーが地下一階にある、二階建てのビルだ。

 看板の文字は剥げ落ち、外壁には無数のひび割れが走っている。今にもつぶれそうなスーパーだった。

 

 一階には埃をかぶった商品が並ぶ、本当に商売する気があるのかも不明な衣料品店が入っているが、営業時間が夜7時までのため既に閉店している。

 閉じたシャッターは完全に錆びついて金属が汚い赤茶色に変色し、割れたガラスは緑色の養生テープで補強されていた。

 

 霊火はこの建物の持ち主だ。もちろん霊火は中学生なので書類上は別の人物の名義で買っているが、それでも事実上霊火がオーナーだった。

 因みに先代の持ち主はこの不良物件を手放せることを泣いて喜び、殆どタダ同然で霊火に譲ってきた。

 不動産というのは捨てるのも苦労する中々難しい分野なのだ。

 

 建物の裏手、人目につきにくい場所にある従業員用の金属製ドアの鍵を開ける。

 

 1階フロア、変色した床や天井に稼働中の狭いエスカレーターに階段、そして少し先に行った視線の死角に古びたエレベーターが一台ある。

 エレベーターの扉には「故障中」の張り紙。もはや何かの消防法に引っ掛かりそうなありさまだった。

 

 上と下のボタンにポケットから出したIDカードをかざすと、音もたてずに滑らかに扉が開く。

 霊火は中に体を滑り込ませて素早く閉ボタンを押すと、扉は閉じた。

 

 すぐさまエレベーターは重たい音を立てながら下降を始める。

 

 1秒、2秒、3秒、4秒、5秒、6秒、きっかり7秒

 

 アナウンス一つもなしにドアが開く。行き先は地下一階のスーパーではない。

 

 目の前に広がるのは冷たいコンクリートで囲まれ、金属製の網の足場が張り巡らされ、その下で大量の金属製の機械が蠢く魔境。

 公権力の手が届かない、悪が支配する秘密基地。

 

 『工場(ファクトリー)

 

 殻木霊火――『検死官』の本拠地だった。

 

 ――――――――――――――――――――――――――

 

 (ヴィラン)と一言で語っても色々ある。

 

 裏路地にたむろするチンピラから、そこから一歩落ちてしまった空き巣、詐欺、強盗犯、薬の売人。

 つい魔が差した一般人に生粋の殺人鬼。義爛のような職業化された犯罪者など、その性質は多種多様だ。

 

 その中でも少数派。

 得体のしれない薬品、稼働する機械、消える被験者、モラルの壊れた仮説の群れ。

 オールマイトの台頭まで、かつては大きな影響力を持っていたのはこの分野だった。

 

 ”個性”研究者。

 現在では『ドクター』や『検死官』が該当する、マッドサイエンティストたちである。

 

『お帰りなさいませご主人様、本日の要件はなんでしょう?』

 

「必要なものがあって……」

 

 エレベーターを降りると機械仕掛けの鳥が奥からすいーっと飛んできて合成音声で話しかけてきた。

 これは霊火が作った羽ばたき型の鳥型飛行機だ。音声AIが搭載されていて、簡単な受け答えと道案内ができる。

 

 ……一人で研究をしていると寂しいのだ。だからといってこれを話し相手と主張するのは壮大な一人遊びみたいで若干虚しいが。

 

『具体的には?』

 

「”個性”抑制剤」

 

 個性特異点という話がある。

 ”個性”は世代を経るごとに複雑に、曖昧に、強くなる。このままでは人類は膨らむ”個性”に体が追い付かず、コントロールを失い人類は滅ぶという学説だ。

 

 提唱者は『ドクター』なのだがこの説を発表した当時、この説は世間に拒絶された。

 ドクターが言うには「社会がこれから”個性”を受け入れて進歩してこうという時代で、ワシの説は邪魔だった」とのことだった。

 今では『強すぎる”個性”を持った個人が世界を滅亡させる』終末論としてオカルト扱いされている。

 

 …………………………断言するが、個性特異点は本物だ。霊火はある方法で既にそれを確かめていた。

 

 まあそれで実際に学界から追放されたのだから確かに普通にかわいそうだ。まあ大人の世界なんてどこでもそんなものかもしれないけど。 

 しっかりした根回しと世論に合った結論、それと分かりやすさ、それだけが世間に認められる。そこに正しさは必要とされないのは社会では常識だ。

 それでも自分が信じた学説を必死に守ろうとするあたり、あの老人はどこか子供っぽくて純粋なところがある。

 

「…………………………」

 

『どうされました?』

 

 ……誰にも信じてもらえないだろうが、霊火は『ドクター』にも善の、人の為に役に立ちたい心があったと思っていた。

 彼はあれでいて意外と優しいのだ。霊火がドクターから離れて研究を始めた時にも喜んで最大限の餞別を送ってくれたし、表の医者業でも人望がある。

 あれは倫理観がきれいさっぱり消失しているだけで行動理念自体は割と善性なのだ。あと好奇心。

 

 実をいうと『ドクター』が狂ったのは学界から追放されて『あの男』に会ってからなのではと、霊火は疑っていた。

 追放後の傷心中にあの悪のカリスマ性にあてられた結果、あの狂った研究者になったというのは霊火としては中々あり得る可能性だと思っていた。

 

 ……霊火は、当時の『ドクター』が、”個性”に呑み込まれる人類を救うために”個性特異点”を世に発表したのだと信じていた。

 今の彼はどうしようもない悪性で狂気の研究者だとしても、人類を救うことなど望んでいないとしても。

 それでも霊火は、学界から追放された哀れで不器用な研究者の無念を晴らしてあげたかった。

 

 霊火は自分を造ってくれた彼の名誉の為にも、どうしても”個性特異点”で人類を滅ぼすわけにはいかないのだ。

 

『考え事ですか?』

 

「うん。ごめんね……ここにくるとどうにも色々考えちゃって……」

 

 霊火は特異点対策の為に色々と研究していたが、その過程で出来た副産物。

 

 ”個性抑制剤”。投与してしばらくの間、”個性”をほぼ使用不能にする薬物。

 後遺症、副作用共に無し。これは何回も実際の人間を使った人体実験で確認済み。

 スペックだけ見れば全世界の政府や敵が欲しがる一品ではあるのだが、材料が人体だという一点で倫理的にも生産力的にも実用化は夢のまた夢である。

 

『何に使うんです?』

 

「何に使おうとしてるんだろうね」

 

 霊火自身にも、なんで自分があの少年にここまで肩入れしてしまうのかよく分かっていなかった。

 

 ――――――――――――――――――――――――

 

 放課後の靴箱。今日は男の子も女の子もそわそわとしていた。

 

 霊火は見慣れた緑の癖毛を見つけ、靴箱を覗く彼に後ろから近寄り、背伸びして耳元で囁いた。

 

「チョコ入ってた?」

 

 緑谷はヒュッと息を吸い、肩をすくめた。

 慌てて振り返って犯人に気が付くとほっと胸をなでおろす。

 霊火はくすくすと笑うと彼を待ち、緑谷が靴を履くと返事も聞かずに手を引いて外に連れ出した。

 

 今日はバレンタインだ。

 受験期の中三の教室は勉強のストレスとテストの緊張とそれぞれの下心が混ざり合って中々凄い雰囲気だった。

 気のせいか外を歩いていると呼吸が楽に感じる。今日の行先は海浜公園だ。

 

「あんまりからかわないでよ殻木さん!! 明日皆になんて言われるか……」

 

「ごめんごめん、で、結局どうだったの? チョコもらえた?」

 

「僕みたいなのがもらえるわけないよ……」

 

 そう言う緑谷はついに二度目の骨折も治り万全といった様子だった。因みに新年早々二回も骨を折りクラスメイトをざわつかせていた。

 彼は最近は体格もガッシリしてそこそこ見栄えが良く、元々成績も性格もいい彼ならクラスの誰かが狙ってくる可能性も十分にあっただろう……というのが霊火の見立てだった。

 

 ……本当のことを言うと、正確には霊火がガッツリ牽制して周りに緑谷にアタックさせなかったというのが正直な所だった。

 女の子は、男の子が思うよりずっと強かで、意地が悪いのである。

 

(まあ今来られたら受験に影響しそうだし……うん)

 

 これもまた建前で実際のところ、ここまで面倒を見た男の子がどこぞの馬の骨に掻っ攫われるのが死ぬほど癪だったというのが本音だった。

 自分が得するよりも他人が得するのが許せない。人間ならそういう性格が悪い時もある。

 

 性格が悪いと言えば……

 

「えー、爆豪はいっぱいもらってたね、受け取ってはいなかったけど」

 

「かっちゃんはあれで昔から結構人気があるよ」

 

「今日もチョコ渡しに来た子を全部キレながら追い返してたの面白かったね。個人的には付き合うには激情家すぎてしんどくないとも思うけど」

 

「あれは単に完全主義なだけなんだよ……」

 

 なんで緑谷が爆豪を庇っているのかはさっぱりわからないが、そんな話をしているうちに駅に着いた。

 二人で改札を通り過ぎ、閑散としたホームで電車を待つ。霊火は電光掲示板をチラ見した。

 

「それじゃあ出久くん。口開けて?」

 

「えっ……?」

 

 緑谷は一瞬困惑したようだが、霊火は有無を言わさず「あーんして」と迫る。

 

「あ、あーん」

 

「えいっ」

 

 迫力に押されて彼が半端に口を開いた瞬間、霊火はポケットから出した飴粒程度の大きさのチョコを包み紙を破いて緑谷の口の中に放り込んだ。

 

「むぐーっ!?!?!?」

 

 霊火の小さい手に口を手で塞がれた緑谷が目を白黒させる。

 

 周りに自分たちを見ている暇人がいないか確認した後、霊火は緑谷がごくんとチョコを飲み込んだことも確認した。

 

「んっ……うっ……ブハッ!!!!!! ねえ殻木さん!! 普通にくれない!?!?」

 

「ごめんごめんちょっと恥ずかしくって……」

 

 いろんな意味で顔を真っ赤にした緑谷の抗議を躱していると、時間通りに電車がやってきた。

 二人で車内に乗り込む。そのまま並んで電車のシートに座った。

 

「でもチョコもらえて良かったね」

 

「それはありがとうだけど……」

 

 霊火が右手を上げて緑谷の頭に触れてよしよしと撫でると、緑谷は急にスン……と落ち着いた。

 

 そのまま二人並んでしばらくの間電車に揺られる。

 5分程たって、緑谷はハッと我に返り隣の霊火に慌てたように話しかけた。

 

「あれっ⁉ もしかして僕寝てた?」

 

「え? 寝てはいなかったけどちょっとボーってしてたよ。疲れているんじゃない?」

 

「そうかなあ……確かに最近あまり眠れてないかも……」

 

 緑谷は不思議そうに眼をこすった。

 霊火は聞いた。

 

ねえ(・・)今日チョコもらえた(・・・・・・・・・)?」

 

僕みたいなのがもらえるわけないよ(・・・・・・・・・・・・・・・・)……」

 

「ふーん……」

 

――――――――――――――――――――――――――――

 

 海浜公園は見違えるようだった。

 かつての廃棄物の山は消え、いつの間にか整備された遊歩道や植栽が美しく配置されてカップルがそこら中でイチャイチャしている。

 そう、今日はバレンタインなのだ。

 

「ゴミ捨て場のイメージしかなかったけど言われてみればここもうデートスポットなんだよね……」

 

「そうだね……すっかり忘れてた……」

 

 隣を見ると緑谷はなんかこの光景にすごい満足しているようだった。

 霊火はこの光景を見てまあまあイライラしていたので彼の人の良さに若干引いた。他人がイチャイチャしてるところなんて見てもストレスが溜まるだけだ。

 

「最初にここで出久くんに出会ったときはマジでびっくりしたけど……」

 

「あの時は僕もなんでこんな所に!?!? ってびっくりしてたよ。そういえばあの日殻木さんは何してたの?」

 

「あーーーーー……内緒」

 

 あの日はエンデヴァーの長子がヴィランになっているのが発覚した日だったなと霊火は遠い目をする。

 というかあの件はドクターに報告した後一体どうなったのだ。

 

 そんな感じで二人で思い出話に花を咲かせながら歩いていると、まだ片付けられていない大きな廃材の山が目に入った。

 今日は八木が来てから”個性”制御訓練を始める予定で、まだ時間がある。

 

「あ、これまだ残ってたんだ」霊火は軽やかにその上に飛び乗った。

 

「八木さんはその内片付けられるって言ってたけど」

 

 山は冷蔵庫や洗濯機、さび付いた軽トラなど大型の廃棄物で構成されていて地上から5メートルほどの高さにまでなっていた。

 霊火はトントンと器用にその頂上まで登った。

 

 「ほら、ここから見る夕日がきれいで...あっ」

 

 ぐらりと。

 山の一部が崩れ、頂上に立つ霊火の足場が揺れて。

 落ちた。

 

 ――――――――――――――――――――

 

 殻木さんが落ちるのを見た瞬間、僕の体は考えるよりも早く動き出していた。

 

 意識しないまま、右足で地面を蹴っていた。砂浜を踏み抜いて、その反動で加速する。

 視界が風で歪むほどのスピード。それでも、落ちていく殻木さんの姿ははっきりと見えていた。

 

 バチバチと緑色のスパークが全身を包み込む。大きな力が体中の細胞を震わせる感覚。

 

「殻木さん!」

 

 全身の筋肉が悲鳴を上げるが、今はそんなことを気にしている場合じゃない。

 両腕を大きく伸ばし、落下地点に滑り込む。

 

 息が詰まる一瞬の後、

 思ったよりも軽い重量が、腕の中に収まった。

 

「大丈夫? 殻木さん!」

 

「大丈夫……ごめん足滑らしちゃった……」

 

 抱きかかえたまま、膝をつく。ほっと安堵の息をついた。

 

「…………………………あれ?」

 

 少し遅れて、気が付いた、

 ”個性”を使ったのに、骨が折れていない。

 一回限りのMAXのパワーじゃない、無意識に少しの力を全身にまとわせて継続的に動いていた。

 

「で……………出来た!! 出来た!!!!!!」

 

「……へえ?」

 

 殻木さんがするりと地面に降り立った。小さな声で「ありがとう」ともう一度呟くと、彼女はこう言った。

 

「今の感覚を忘れないうちに練習してみれば?」

 

 殻木さんはくすくすと笑ってそう言った。

 

 僕は殻木さんの声を半分も聞かず、”個性”を使って走り出した。

 

 ――――――――――――――――――――――――――――――

 

 緑色のスパークを煌めかせながら凄まじいスピードで走っていく緑谷を見て霊火は笑った。

 ……明らかに公共の場の”個性”使用禁止の原則がすっぽ抜けていた。警察とかヒーローに怒られないといいのだが……。

 

『自らを破壊するほどの超パワー』 の制御。

 発動すると一発で重傷を負うレベルの強力な増強型。

 その制御のためにはその力のほんの少しだけ取り出して使う必要があるが、練習が間に合わないのが問題。

 それで霊火が取ったのは真逆のアプローチだった。

 

 個性の上限を定めてしまえばいいのだ。アクセルべた踏みでも怪我しないよう、”個性”の出力自体を抑制する。

 

 霊火はあの個性の破壊力と緑谷の身体の両方を天秤にかけ、およそ3%、それぐらいが怪我しないで出せる限界出力だとあたりをつけていた。

 

 緑谷の体重、体温、心拍数、呼吸量、代謝、その全てを観察し、”抑制剤”の吸収スピードを計算。

 経口投与する薬剤の量と投与後の時間を厳密に定めることで、個性抑制剤の血中濃度を完全に制御。

 

 丁度3%、緑谷の個性の上限がそれぐらいまで抑制出来ているタイミングで、霊火は仕掛けた。

 

 緑谷には、特徴があった。

 それは誰かが危険な目に遭っているのを見ると、考える前に体が動いて助けようとしてしまうという病的な性質だ。

 霊火はそれを逆手に取った。

 

 わざと危険な状況を演出し、緑谷の本能を呼び覚ます。彼は、高所から落ちるクラスメイトを、助けないという選択肢は絶対に取れない。

 そうすることで、"個性"発動への恐怖や力みを全て忘れさせ、自然な形で力を引き出させる。

 上限3%の増強型”個性”を扱う感覚を無理やり経験させる。それが霊火の計画だった。

 

「これは……!?!? なんと……緑谷少年!!」

 

「あ、八木さん」

 

 霊火がスパークをまき散らしながら爆走する緑谷を眺めていると、後ろから呆然とした声が聞こえた。

 八木は、驚きと嬉しさが半々ぐらいの表情で少年を見る。

 

「驚いた……まさかこんな急に……!!」

 

「ね、かっこいいですよね。私も助けられちゃった」

 

 ”抑制剤”の効果時間は短いので、そろそろだいぶ効能が弱まっている頃だろう。

 だが走る彼を見るに、彼はうまいこと”個性”を制御する方法を会得したようだ。

 

「殻木少女……彼はいったい……?」

 

「私はな~んにも特別なことはやっていないですよ?」

 

 緑谷の記憶は”混濁”されもう思い出せないだろう。

 抜けていく薬と共に緑谷がなぜ力をモノにしたかの真相は見えなくなり、霊火の献身も完全犯罪となって消滅するのだ。

 

 夕陽に照らされた海浜公園で、八木は笑う霊火をじっと見つめた。

 

「殻木少女」八木の声は柔らかだった。「緑谷少年を見守ってくれて、支えてくれて、本当にありがとう」

 

「いえいえ」霊火は軽く手を振る。「彼は……あ……」

 

 ふと、気が付いた。

 

 なんで緑谷にこんなに肩入れしてしまうのか。

 

 答えは意外と単純だった。霊火にとって彼はドクターと同じ、応援したい特別な人だからだ。

 

 緑谷のように誰かれ構わず手を差し伸べる博愛精神とは違う。

 でも、霊火にも誰かを応援したくなる気持ちがあった。その人にしか持ち得ない何か特別なものを見つけたとき、それを守りたくなる。育てたくなる。手伝ってあげたくなる。

 

 ドクターの為に”個性特異点”の研究をするのもそう。

 緑谷の為に足繁く海浜公園に通ったり、たくさんの時間を使って勉強を見るのもそう。

 

 夕陽に染まる海辺で、霊火は自分の心の中のその衝動の正体に初めて気が付いた。

 

 霊火はまだ八木に見られていることに気が付き、ケフンケフンと咳払いをして誤魔化す。

 

「そういえば」

 

 バッグから包み紙に包まれた箱を二つ取り出す。

 

「これは……?」

 

「ハッピーバレンタイン八木さん。片方は出久くんに渡してもらえますか?」

 

 霊火は二つとも八木に手渡した。

 

「おおありがとう殻木少女!! まさか君から貰えるとは思ってもいなかったよ!! それに緑谷少年も直接手渡された方が喜ぶと思うな?」

 

「えー、恥ずかしいので無理です」

 

 霊火はそう言って、くるりと背を向けた。

 

 そのままバッグを軽く揺らしながら、夕暮れの中を歩いて帰路につく。

 あんまり長居すると必要のないところまで言っちゃいそうな、そんな気分だった。




『混濁』
頭に触れることで、対象の前後五分間の記憶を混濁させる”異能”

霊火の”個性”は、『死因』『雲』『混濁』『摂生』の他にあと二つあります。あんまり強い”個性”ではないです。


ちょっと先になりますが、A組B組のクラス編成を原作からかなり大きく変更する予定です。
その分B組の出番も増やします。タグどうしようかな……
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。