気づけば深夜と呼べる時間は過ぎ、空はもう朝の気配を帯び始めていた。
人気のない雄英高校の敷地を、二つの人影が並んで歩いている。どちらもヒーロースーツ姿だ。
背の低い方が口を開いた。
「……あの、相澤先生」
「なんだ」
「明日も授業ですよね?」
「四時間後には始業のチャイムが鳴る。遅刻するなよ、緑谷」
その言葉に緑谷出久はがっくりと肩を落とした。
先日、学校の屋上で殻木霊火からプロヒーロー免許を受け取って以来、緑谷はすでに三十時間以上連続で活動していた。二十七人の敵を退け、百人以上の市民を救助し、迷子探しから避難所の設営まで。とにかく不眠不休で動き続けていたが、結局敵は尽きず助けを求める声も止まなかった。
「……相澤先生、僕はまだ動けます。先生は先に戻ってください」
「やめとけ、緑谷。“動ける気がする”だけだ。集中力は確実に落ちている」
「僕は――」
「このまま続ければ大事故を起こすぞ。犠牲になるのが市民かお前自身かは分からないがな」
「……そう、ですね」
緑谷は力なく頷いた。一方の相澤は前髪の奥で目を細める。
(……緑谷がプロヒーローか。……未熟な十六歳や指定敵団体の長、迷惑系動画投稿者にまで免許を出すとは……公安は一体全体何を考えている)
少年の歩調はふらつき、今にも倒れそうだ。
相澤自身の活動先で偶然遭遇して無理やり連れ帰れたからよかったものの、このまま彼一人で活動を続けていればそのうち限界が来ただろう。
(しかしまあ、"実力が高すぎる"というのもそれはそれで問題だな。“誰でも助けられる”割には経験不足で、自分の限界を把握できていない)
相澤から見ても今の「デク」は確かに強い。
どんな敵でも倒し、どんな人でも救けられるスーパーヒーロー。そう呼んでも遜色ない存在だ。単純なヒーロー活動でのスペックならば、間違いなくプロヒーローチャート上位10名に入るレベルだろう。
しかし、緑谷は常に他人を優先し、助けを求められれば必ず駆けつけてしまうような心優しい性格だ。今の日本では、『デク』が休むことがそのまま被害拡大に直結する。本人の意思だけでは休めない。
そういう意味では一週間以上続いた『ピースキーパー』活動中に関しては、殻木霊火が強制的に休ませていたのだろうが―――。
相澤はため息をつき、口を開いた。
「緑谷。お前の単独でのヒーロー活動を禁止する」
緑谷は目を丸くし、勢いよく振り返った。
「えっ……! でも、それは……僕には免許だってあるのに……」
「俺には担任教師としての監督責任がある。お前は確かにプロだが、雄英の生徒で未成年だ。保護者から預かっている以上、無理を止めるのは教師の義務だ」
緑谷が言葉に詰まると、相澤は続けた。
「第一、法律上は免許があっても未成年の夜間単独活動は条例違反だ。教員が同行していれば教育活動として説明できるが、そうでなければ無謀だ」
「……っ」
「納得できないなら明日校長に直訴しろ。それまでは俺の判断が最優先だ。分かったな」
しかし校長は緑谷の訴えを聞き入れないだろう。そこまで含めての活動制限だ。
そんなやり取りを交わすうちに、二人はハイツアライアンスに辿り着く。校舎から少し離れた場所に建つ新しい寮舎だ。
相澤が軽く見上げると、窓はすべて暗い。新居に浮かれて夜更かししている生徒はいないようで、担任教師としては安堵する。
「入るぞ」
正面玄関を開け、中に入る。
寮に初めて足を踏み入れる緑谷は立ち止まり、辺りを見回した。
一階の共用部はしんと静まり返り、月明かりに家具の輪郭だけが浮かんでいた。
緑谷はおずおずと声を出す。
「ここが……」
「ハイツアライアンスだ。昨日から入寮が始まった。緑谷の部屋は二階だが——」
ごそりと。
誰もいないと思われた共用スペースのソファで、小さな影が身じろぎした。
相澤と緑谷は思わず身構える。しかし続けて聞こえたのは、寝起きで滑舌の怪しい少女の甘い声だった。
「んあ……んん、お帰りなさい出久くん。やあっと帰ってきた……。朝になっても戻らなかったら、学校の監視を振り切って外に捕まえに行こうと思ってたけれど……」
割と物騒なことを言いながら、小さな影は暗がりの中で毛布を払いのけた。
大きな欠伸と共に彼女は手探りで眼鏡を掴み、上品に両手でフレームを持ち上げる。
直後、白い鬼火がボッと燃え上がり、部屋を照らした。
浮かび上がったのはラフなTシャツワンピース姿の殻木霊火だ。金髪のショートボブが光に照らされ、寝起きのぼんやりした顔でゆっくり瞬きを繰り返す。
緑谷はそれを見て破顔し、優しい声で語りかけた。
「ごめん霊火さん、起こしちゃったね。その髪形、とても似合ってるよ」
「!! えへへ…………!!」
真夏の向日葵のような照れ笑いがあった。殻木らしくない表情に相澤は仰天する。
ご機嫌な霊火はそれでも寝起きのぼんやりした顔で来訪者を見やり、ここでようやく担任の存在に気づき、ゆっくり瞬きを繰り返した。
「あれ……? おはようございます? 相澤先生?」
「殻木、共用スペースで寝るな。割り当てられた部屋で寝ろ」
「んにゃ……自室にTXTとかRDXを投げ込まれて爆死しかけたのが割とトラウマでして」
林間合宿後の暗殺未遂事件の話をしながら、彼女は心底面倒そうに天井を仰いだ。
「なんとも情けない話、上の部屋で寝っ転がっても『今ここに爆弾放り込まれたら死ぬな〜』って思ったらどうにも眠れなくて……」
「霊火さん……」
「せめて意表を突いたところならって思って共用スペースに来たけれど、眠りは浅かったな。睡眠薬でも処方してもらおうかな……。あの手の薬の効きが死ぬほど悪いんだよな私……。まあいいや」
霊火はここで言葉を区切る。
「……で、私は何の話してましたっけ?」
少女はゆらりとソファから立ち上がり、肩に毛布を掛けてマントのように羽織って大きな欠伸を漏らす。
見れば見るほど眠たげだ。立ったまま軽く目を閉じ、ふらふらと身体を揺らしながら、半分眠りかけのふにゃふにゃした声でこう言った。
「そうそう。出久くんも相澤先生も無事に帰ってきてくれて良かったです」
そしてこう付け足した。
「でも出久くんは無理しない事。遅くなる時は、せめて私に連絡をいれてよ。ずっと心配して待ってたんだから、ね?」
――――――――――
そのうち東の空が白み始め、薄明かりが差し込む。
明日の授業はきっと地獄だろうと、霊火は思った。
相澤と別れて二人きり。緑谷としては当然、ヒーロー活動での汚れを落とすために共用スペースの風呂に入りたかったのだが――。
人気のないハイツアライアンスの脱衣所で、緑谷出久は後ろを振り返り、声を裏返らせた。
「な、な、なな……!」
「え、何?」
「な、ななな、なんで入ってきてるの霊火さんっ!? ここ男湯だよ!!」
脱衣所で顔を真っ赤にして叫ぶ緑谷。
ようやく目が覚めてきた様子の霊火は慌てて周囲を見回すと、人差し指を口元に立てて「しぃっ」と小声を出した。
「……静かにしてよ! 寮のみんなが起きちゃったらどうするの!」
「ならなんで入ってきてるの!? 峰田くんじゃあるまいし……!!」
「ちょ、待って!? それは一線越えてるからね!?」
霊火は一気に目が覚めた。さすがに不本意すぎる。
「そういう目的じゃないってば! 何が悲しくて貴方のお風呂を覗かないといけないの!?」
「じゃあ何のため!? ぼ、僕の入浴なんか見ても何にも……!!」
「だから違うって言ってるでしょ!? 私のこと何だと思ってるの!?」
これ以上心にダメージを負う前に、霊火は用意していた小包を勢いよく投げつけた。
顔面でキャッチした緑谷が手にしたのは、ビニールに包まれた新品の男物の水着だった。
霊火は真っ赤になって彼の右手を指さす。
「あのさあ、その大怪我した手で身体なんて洗えるわけないでしょ!! わ、私はそれを手伝おうと……!!」
ヒーロー活動や保護者面談ですっかり印象が薄れていたが、あの弓矢暗殺未遂からまだ三日も経っていない。
緑谷が霊火を守るために負った右手の矢傷は、ヒーローコスチュームのグローブに隠れているが、癒えるはずもない。
しかし緑谷は顔を真っ赤にして、着替え用のパジャマを胸元に抱きしめた。
「なんで!? 身体は片手でも洗えるよ!! 霊火さんに手伝ってもらう必要なんてないってば!!」
「失血とか疲れとか寝不足とかで、湯船で溺れそうで怖いの! ……もう、男の子が起きてる時間に帰ってきてくれたら彼らに監視を任せられたのに」
「だからといって霊火さんに任せる必要なんて……よく考えたら君も怪我人じゃないか!?」
都合の悪いことは聞かない。
Tシャツワンピの裾を押さえながら、防水エプロンを頭からすっぽりかぶる。
「はいはい、さっさと入るよ。長居したら早起き組に見つかって説明が難しいし」
「だから一人で入れるって……」
面倒になってきた霊火は、最終手段をちらつかせた。
「あんまり抵抗するなら、“出久くんに男湯に引きずり込まれた”って叫ぶけど? 大声で」
華奢で小柄で容姿に優れた霊火は、この手のハラスメントバトルに滅法強い。
霊火が他所を向いている間に、少年はこそこそと水着に着替え――。
「こんなの絶対おかしいよ……」
「…………ね、割とドキドキしたね?」
「………………」
緑谷出久、同級生の女子(実年齢9歳)に寮の男湯で身体を洗ってもらうという、貴重な(?)トロフィーをゲット。
初心な少年は霊火の方を見ることもできず、湯船に浸かって真っ赤に茹で上がっていた。
その右手には大きめのビニール手袋をはめられ、さらに包帯が巻かれている。
霊火が強引に防水仕様にしたものだ。病院暮らしが長い霊火はこういう知識に詳しい。
そんな霊火は少し物珍しげに周りを見回した。
女の子の身としては、普通なら男湯に入る機会なんてない。別に入りたいわけではないが、いざ入ってみると構造が気になる。
「構造は男湯も女湯も大して変わらないかな。でも、こっちの方がちょっとだけ広いね」
「……そうなの?」
「ヒーロー科って結局どこまで行っても肉体労働だからね。体格と筋力に優れる男の子が多くなるから、男湯の方が広いのが当たり前。でも一人あたりのスペースなら女湯の方がずっと広いよ」
霊火は立ち上がり、持ってきた大判タオルを湯船の縁にふわりと広げた。
スカートの端を指でつまみ、ほんの少し持ち上げて、そこに腰を下ろす。
「よいしょ……っと」
「っ!? ちょ、霊火さん!?」
緑谷が慌てた声を上げたが、霊火はそのまま素足をゆっくりお湯に浸す。
ぱしゃりと小さな水音が響き、ほの白い湯気が脚を包み込んだ。
USJ事件で大怪我を負った右脚は決して露出させない。
変則的な横座りで足湯に移行した少女は、見た目の幼さに似つかわしくないほど蠱惑的に目を細めた。
「……出久くん、あんまり女の子の脚をジロジロ見るもんじゃないよ?」
「ご、ごめ……いや見てないよ!?」
「私はまあ、貴方になら、見せてあげてもいいけど……?」
緑谷出久は真っ赤になってそっぽを向いた。
霊火はケラケラと笑って場を和ませる。こっちの頬も熱いことにきっと彼は気づいていない。
「出久くんはあれだね、ハニートラップに引っかからないようにね。冗談ではなく、結構真面目に」
「大丈夫……っ!!! 僕なんかに近寄ってくる女の子なんて、全員何か悪質な狙いがあるって分かってるから、ちゃんと全員きっちり断るよ!!」
「え、それはそれで女の子が不憫じゃない? 別にそういう意図もなく、素直に貴方に魅力を感じた子もいると思うんだけど……」
ちょっと心配な発言だった。緑谷に素直に魅力を感じてくれる女の子だってちゃんといる。目の前とか。
当たり前だが、女の子は全員が悪女というわけではないのだ。金や立場目当てであることだって、ヒトとして愛していることと両立する。大切なのはバランスだ。
――というか、霊火の「女避け教育」が上手くいきすぎている節がある。
仮に緑谷が女性ファンに引っかけられたら霊火が悔しすぎて死ぬので、確かに女の怖さについて相当誇張して吹き込んだ覚えがあるが……。
緑谷の中で、こちらまで悪女扱いされていないか少し心配だ。
(……出久くんが冴えない中学生の頃から仲いいもん。時系列的にハニトラはあり得ない、って理解してる……よね?)
「いやいやいや、僕はちゃんと身の程をわきまえてるから!! 僕は女性に好かれるタイプじゃないし、ハニトラには引っかからないよ!!」
「出久くんはもう少し自分に自信を持ってほしいのと、ハニトラ仕掛けてくるような百戦錬磨の黒髪ロングの清楚系を舐めすぎ、っていうのが半々かなあ……」
「清楚け……え?」
「ちょっとショック受けてるんじゃないよ」
緑谷出久は多少改善したとはいえ、女性耐性が壊滅的だ。
性格も純情で人の善意を無条件で信じる傾向にあるため、男慣れした女に一定の距離まで近づかれれば瞬殺だろう。
それを嫌がる霊火がどれだけ気を張って、彼に近づく女をあの手この手で遠ざけているかに彼は絶対に気づいていない。女の真っ黒なマウント合戦と政治劇なんて男に知らせるものではないが。
とにかく黒髪ロングは男性ウケが良いため、恋愛市場で有利に立つために意識的に選ぶ人も多い。
完全に霊火の偏見だが、黒髪女全体の平均を取ったら茶髪女子より遊んでそうだ。
……話の流れが完全に明後日の方向に向かっていると霊火は気づいた。
だが恋する乙女は、好きな男の子との会話は出来るだけ引き延ばしたいものだ。
「それにしても男の子って本当に黒髪好きだよね……。ちょっと男の人の意見も気になるな。せっかくだから出久くんに聞くけれど、なんで黒髪が一番人気になるの?」
「う、うーん……ちょっと言いづらいな……。一般的に、髪を染めてない人の方が、なんか怖くないよね。霊火さんくらい頻繁に髪型変える人だとまた違うけど……」
「染めてなければ遊んでないというのは幻想だし、“黒髪は地毛”ってのも普通に誤解なんだけれどな……。この“個性”社会、地毛が黒い人の方がむしろ珍しいのに」
そして緑谷は、霊火をじっと見つめた。
何かを思い出すような仕草を見せると、一言。
「霊火さんも、確か染めなければ銀色だよね?」
「私は元々黒髪なんだけれどね」
霊火が頻繁に髪型を変えるのは、変えるたびに緑谷が褒めてくれるからというのが理由の七割だ。
彼はクソナードのくせに観察眼が鋭く、霊火がちょっと前髪を切っただけでもすぐ気づく。女性としてこれは相当ポイントが高い。こちらも切り甲斐がある。
因みに中三で彼と仲良くなる前は霊火はごく一般的な黒髪ボブで、髪型を変えることも滅多になかった。
そんな霊火が、ふと思いついたままに口にした。
「実は黒髪ロングって、自分の顔に相当自信がないと選べない、けっこう上級者向けの髪型なんだけど……」
「そうなの!?!?」
「そ、そうだよ? ほら、身近な所だと切奈とか、隣のクラスのヤオモモとか、後はミッドナイトとか? びっくりするぐらい全員美人でしょ?」
① 髪の黒と肌の色の対比が強いため、くすみや色ムラ・肌荒れが異常に目立ちやすく、透明感のある肌が必須。
② カラーリングによるハイライトや濃淡の立体感に頼れず、顔の輪郭を補正したり視線を分散させる効果も薄い。つまり、顔のパーツ配置や骨格がそのまま目に入る。
③ 黒は収縮色なので、強いフレームのように顔を囲む。目鼻立ちがはっきりしていれば華やかに、そうでなければのっぺりした印象になる。
④ さらに黒髪は、傷みやパサつきが“艶のなさ”として直に現れる、とても難しい髪色でもある。
「つまり"可愛い"黒髪ロングちゃんは清楚系で売っているかはさておき、基本的に容姿に自覚的で美容にも気合いが入ってる女の子だよ。これは私が保証する」
「保証されてもな……」
「ついでに言うと、『自分が可愛いことに無自覚な可愛い女の子』って、そういう感じでやっている子は多いけれど実際はガチで実在しないからね。ほら、今A組のどの子を思い浮かべた?」
「霊火さんそろそろ僕がコメントに困ってる事に気付いて?」
女の子は幼いころから容姿の良し悪しで周囲からの扱いが露骨に変わってくる為、容姿に無自覚で居続ける事は事実上不可能だ。
逆に、イケメンに無自覚なイケメンというのは普通に実在する。轟焦凍とか。
ついでに自分の不細工に無自覚な女の子は、何故かまあまあいる。
「……確かに霊火さんは、黒髪が良く似合うもんね」
「!?!?」
不意打ちで心臓が止まるかと思った。
「あ、もちろん霊火さんはどんな髪型でも滅茶苦茶似合ってるよ!!」
「い、出久くんはいつも私の容姿だけは手放しに褒めてくれるよね……」
実はベリーショートだけはやった事が無かったりする。
霊火の持ち味は、華奢さと小柄さから成立するフェミニンな女の子らしさだ。
活発さや意志の強さを象徴するショートカットは、似合う似合わない以前にどうにも霊火の趣味に合わない。ベリーショートで可愛い女の子はホンモノという話もあるので、試してみる価値はあるが……。
そして少し気になる事を、我慢しきれずに聞いてみた。
「………私は、"違う"から。 その……遊んでるとか……」
「え、男慣れみたいな話? 霊火さんは男性どころか人間全般大嫌いじゃん」
「………………………」
それはそれで不本意なんだけど。
遅れて霊火は取蔭と八百万に流れ弾を飛ばしてしまったことに気づいたが、フォローの機会を逃してしまった。黒髪ロングは本人の好みでしている人も多いということを、霊火は一応心の中で補足しておく。
まあ取蔭は黒髪ロングではあるが、そもそも清楚系として自分を見せていない女だ。八百万に関しては同性の霊火から見ても純粋培養のお嬢様なので、やはり条件に合致しない。
(……ヤオモモ、あんな言動しててバリバリに遊んでたらそれはそれで大した物だけどな)
そういえばヤオモモ、寮の部屋とかどうなったのだろうか。
ミッドナイトは黒髪ロング以前に“清楚系”の真逆の道を爆走しているので除外した。どういう精神構造をしていればあのヒーローコスチュームを着て公共の場に出ようと思えるのだろうか。
小学校の時代から授業のプールをあの手この手で全て休んでいる程度には肌の露出への嫌悪感が強い霊火には、ミッドナイトのアレは本気で理解出来ない趣味嗜好だ。
緑谷は笑ってこう言った。
「でもやっぱり、僕は霊火さんと話すのが一番楽しいな」
「私もだよ。私ってこんな親しい友達が出来たの生まれて初めてだから、本当に楽しい」
……ちなみに、こういう“容姿”の踏み込んだ話題は、“個性”社会では結構センシティブだ。
なぜなら、この世の中には髪色どころか髪や頭部が“人間の形”をしていない人たちが大量に存在するからである。
実は”個性”出現以降、いわゆる「スタンダードで美人」な存在はそれ以前と比べてかなり数が減った。
“個性”由来の器官が外見に一切出ていない霊火や、肉球がある程度でほぼ標準的な外見の麗日などといった外見を持つ人はかなり珍しく、羨望の対象となる。
そして特権階級である女性は当人の世渡りのためにも、何かと周囲に対する配慮が求められる。女の子にとって可愛いという事は基本的に極めて有利に働くが、周囲との関係については特有の難しさがあるものだ。
霊火も人間関係の立ち回りはあまり得意では無かったため、小学校や中学校では時々トラブルが発生し、そのたびに”個性”で同級生の女子をズタズタにして物理的解決を図っていたりする。因みにこれを失敗すると中学時代の波動ねじれみたいなことになる。
具体的には、A組女子の中でも葉隠透は変則的な“異形型”(この分類は学術的ではないが)にあたるため、霊火は彼女の前でファッションやメイクの話を避けている。
実際、葉隠は自分の姿を“見られない”ことをかなり気にしている節がある。
また(本人が気にしているかはさておき)芦戸三奈の前で“肌色”の話を避けるなど、この手の話題には地雷が多すぎるのだ。
人気商売ゆえに美人揃いで知られるヒーロー科でさえ、これである。
公共の場で容姿の話などとてもできたものではない。重度なマナー違反とさえされる。
(ま、超常の出現程度で万年単位で蓄積されてきた人間の美醜感覚が変わるわけがないもんね……)
"個性"出現前後でヒトの容姿の評価基準はほぼ変わらなかったが、それは当たり前だ。
何千年も前に掘られたローマの彫像が、今見てもイケメンで美人なのは何故か?
それは、ヒトの美的感覚が本能に刻み込まれたものだからだ。
ギリシャ・ローマ美術は人間の顔や体を数学的比率――いわゆる「黄金比」に基づいて捉え、全体の均整と調和を重視したが、後世の研究で人間の脳は対称性や平均性、そして黄金比のような整った比率を「良いもの」として無意識に認識する事が判明した。
進化心理学的には、左右対称の顔や体は健康で遺伝的に優れているサインとされる。異性にそれを求め、自分もそれに憧れるのは当然のことだ。
つまり美は、時代も文化も超える物なのだ。
『異形』が醜いのも当然の帰結なのだ。なんかいい感じに神のデザインみたいな異形がいるのが話をややこしくしているが。B組の蛙吹梅雨とか。
霊火は小さく息を吐き、湯に浸けていた左足を上げた。
「………のぼせたかも」
「左脚だけで!?!?」
病弱女をあまり舐めない方がいい。霊火は寝ているだけで不整脈を起こすタイプの人間だ。
緑谷は立ち上がる霊火に同調して、湯船から身を起こす。
「僕もそろそろ上がろうかな。霊火さんは体調大丈夫?」
「う、もっと話したいことがあったのに……」
「全然霊火さんの話を聞くよ!! ちょっと盛り上がっちゃったね」
――――――――――
夜明け前の空気は、思ったよりもひんやりしていて心地よい。
共用スペースに戻ると緑谷は冷蔵庫から麦茶のピッチャーを取り、それを二つのコップに注いでくれる。
ソファで身体を休める霊火はそれらを一気に飲み干すと、こう切り出した。
「つまりは
「すごい話の始め方だ」
「本当はお風呂で話す予定だったのよ」
まだ頬に残る湯気の赤みを気にする様子もなく、霊火は少し真剣な目を向ける。
「もう中止されちゃったけど、『ピースキーパー』で何人かずば抜けた高額賞金首がいたでしょ? 覚えてる?」
「最終的に200億円を超える懸賞金を懸けられてたのは、デヴィット・シールド博士に、九州の脳無、そして都心の『風香』の3人。でも結局、僕たちでは見つからなかったね……」
「色々未知数なシールド博士はとにかく、残りの2人に関しては『呪い火』の対物ルールで即死を取れるから私としては狩りたかったけどなあ。全国飛び回って本気で探したんだけれど……」
「霊火さんでも見つけられないなんて……」
「高額賞金首であることには理由があるってわけだ。結局、一番優秀な敵は見つからない敵だからね」
現代日本に二人だけ存在する“天才”の片割れ。
『検死官』かつ『アマリリス』。都心の『風香』や札幌の『美貌』の製作者。捕まれば確実に死刑判決を受けるであろう有史以来最悪の犯罪者は簡単に言った。
「それにしても厄介なのが盤面に出てきたね……。当人が暴れている分かりやすい敵ならまだしも、脳無にしてもアンドロイドにしても『制作物』の方が暴れまわっていているのは困り物だけれど」
「開発者本人を捕まえないと、ずっと同じものを作られ続けちゃうからね」
「まあ今日はそういう話をしようと思ってるの。要は目的意識の共有をするべきかなって。とりあえず出久くんが疑問に思っている事があるなら、それを一緒に考えていきたいかな」
「そうだね……。整理はお願いするよ霊火さん。……じゃあ、最初の質問は―――」
緑谷はコップを両手で持ちながら、少し迷うように言葉を選んだ。
「脳無って、結局なんなんだろう。死体をもとにして動いてるって話だけど……そんなこと本当に可能なの?」
霊火は少し目を細めた。
脳無は『ドクター』の領分だが、当然霊火も開発には助手として関わっている。
しかし当然、霊火が知っていることを喋るわけにはいかない。話しても絶対理解されないが。
とにかく適当にお茶を濁しながらも、彼が戦う上での要点だけは抑える必要がありそうだ。
まずは謙遜から入る。
「さあ……? 脳無を逮捕した研究機関の大人たちに解明できていない以上、私にその仕組みが分かるとは思えないな。完全な推測でいいなら聞く?」
「多分霊火さんの推測なら合ってるよ」
流石にそこまで頭は良くない。
創作でのヴィクター・フランケンシュタインは盗み出した死体を材料に化学と錬金術で「理想の人間」を創造した。しかし現実にそれをやろうとすると、霊火レベルの頭脳をもってしても極めて難しい話になる。
霊火は、死体を"創る"事は出来る。しかし死体を動かすなんて神をも恐れぬ技術を持つのは、霊火の知る限り世界にただ一人、『ドクター』だけだ。
「……私が目の前に横たわる死体を何とか脳無に改造しようとするなら――」
「いきなりすごい仮定だ」
「一番困るのは”脳”だね。酸素不足で数分で急速に破壊されて腐った脳細胞をどう扱えばいいのかが、ボトルネックになる」
宇宙進出をするような時代になっても、人体と言うのは未だに未知の塊だ。
特に意識や人格の正体は完全な聖域で、ドクターはまだしも霊火には仕組みが理解できなかった。
そして仮に脳を再生したとしても、今度はその指令を全身に伝える神経系を再接続しなければならない。
脳から全身の筋肉や臓器へは膨大な数の神経が張り巡らされているが、これを一本一本正しくつなぎ直す作業はあまりにも複雑で精密だ。手術というのは現実的ではない。
オマケに特に脳や脊髄などの中枢神経は一度損傷すると再生が極めて困難だ。もし一部でも接続が間違っていれば体は全く動かないか、意図しない動きをしてしまう。
(“お父さん”はそれ用に調整した一欠片の細胞片を脊髄に埋め込んで、身体に合わせて自動的に分岐する神経系を身体になじませる形でこの問題をクリアしていたかな……)
生体というのは案外ファジーに出来ているので、適切な条件さえ整えたら後は割と自力でなんとかしてくれると、ドクターは言っていた。理屈は分かるのだが具体的にどうすればいいのかまではさっぱり分からない。
彼の言い分は、神経を身体に配線する際に神経網や各種組織の配置を隅から隅まで精密に設計する必要はない――という考え方だ。
まあこのやり方はこのやり方で、全身にネットワークが完成した時点で自己停止機能が無ければ神経が無限に増え続けるなどの問題がある。
一方の緑谷は難しい顔をして、こう質問した。
「……なら、脳を設計できないのなら、脳無たちはどうやって動いているんだろう」
「だから『脳無』って名前なんじゃない?」
「え?」
「あの露出した脳みそに感情とか人格とかがあると解釈するのが間違いなのかも。つまり、複雑極まりない"人格"や"記憶"を介さずに、五感から受け取った情報を、事前に設定されたデータ通りに解析してそのまま身体を動かす仕組みが、脳とは別途に外付けでもしてあるんじゃないかなあ……」
「……………えぇっと????」
「人間の脳を持っていないのかもって話。私たちは頭蓋骨内の脳みそで物事を処理して考えるけれど、彼らはそうじゃないって話。具体的には、経験に基づいて行動を決定して問題を解決する能力を持たせるだけなら、昆虫とかの脳を参考にした内分泌系の原始的な思考で賄えちゃうのかも」
「?????? え、意識を持たせずにどうやって身体を動かすんだ……?」
「私ならアドレナリンやドーパミンの分泌条件をいじって『快・不快』を設定し、そのパターンで行動を制御する」
キョトンとした表情の緑谷に対して、霊火は優しい顔で説明を噛み砕く。
「うーん、生物が持つ欲求や快楽って、『不快を避けて快を求めているだけで、効率良く食事と成長と生殖ができる』っていう指示ガイドとしての性質があるのよ。空腹は不快で食事が快楽だから、食事をする。眠らないことは不快で、睡眠は快楽だから、眠る。呼吸が止まれば苦しいし、性欲がないと子孫を残さないって具合で……」
いわゆる“本能”と呼ばれるものだ。
報酬系という神経回路がその仕組みに深く関わっているが、全ての生物は自前のこれに支配されているといって過言ではない。
あまりに強力なガイドなので、この辺の条件がズレると深刻な精神病になることもある。違法な薬物の中毒性が高いのも、この報酬系にダイレクトに作用するからだ。
「あー……腐った果実より新鮮で美味しい果実を選ぶ、みたいな感じ?」
「そう解釈してもらって大丈夫だよ」
霊火は頷いた。
「で、脳無の場合はそれを逆手に取って、『人を攻撃することでON』『命令を無視することでOFF』といった具合に快・不快条件を設定する。こうする事で意識や人格を設定せずとも、製作者の都合で行動を制御できる人格らしきものを組み上げられるとは思わない?」
「な、なるほど……??」
「まあこれはこれで、「命令権をもつ人間の見分け方」とか「体の動かし方」とか、そこら辺の設定は別途にしなきゃいけないんだけど……つくづくオーバーテクノロジーの塊だな、あの脳無とかいう改人……」
緑谷は唸った。
地頭が良く呑み込みが早い彼は、霊火にとっても良い“生徒役”だ。話していて楽しい。
「じゃあ霊火さん、脳無がそういう原理で動いているとしたら、彼らに“人”としての人格は無いの?」
「それは解釈次第かな。ほら、『人を助けることは楽しい』『皆が笑うことが快い』『弱者が怯えるのは不快』って具合に細かく条件付けしていけば、緑谷出久に近い振る舞いの脳無も作れるんじゃない? 『オールマイトが好きだ』『力には責任が伴う』『大勢の人の前に立つと緊張する』って細かく条件を設定していって、数千数万と『価値観のスイッチ』を取り付けて組み上げた人格は、貴方と何が違うのかな?」
「っ……!!」
「『好きな人と同じになりたい』『好きな人の血を飲みたい』『人を殺すことに不快を感じない』って設定したらトガヒミコになるし、『物事が完全であることが快楽だ』『負けることは強い不快だ』『些細なことで過剰に不快になる』なら爆豪勝己になる。天然物か人工物かが違うだけで、私たちの“人格”も仕組みとしては脳無と同じなのかもね」
まあ初心者向けの説明としてはこんな所だろう。人格というのはそう単純な話ではない。
因みにこの辺を巧く設定して、ほとんど普通の人間のように振る舞う“人格”を創り出したのが『黒霧』だ。
彼は『死柄木弔を守ることは快楽』という傾向を強く持たされていて、その他の条件も非常に繊細だ。判断能力系統も相当手が入っている。
しかし彼でさえも死柄木と全く関係ない話題になると割と“バグる”。それは、その分野に関して条件を設定されていないからだ。
ちなみに霊火自身も、林間合宿で自分が脳無ではないと気付く前は自分の感情の出所をこの説明だと思っていた。
だからこそ、緑谷出久に恋をした時にはそういう設定をされる理由が無さ過ぎて、自分の在り方にあらゆる意味で動揺したのだが……。
「ま、もしこの“脳内麻薬の分泌条件を設定する”技術自体がまあまあ夢物語だけれどな……。民間レベルまで下りてきたら犯罪者の更生にダイレクトに『法に反することは強い不快だ』と植え付けるとかの応用も利きそうで中々おっかないけれど……」
「そ、それは……」
「そのうち生まれた赤ちゃんに問答無用で遵法精神を植え付けるのが当たり前になるかもね? 『犯罪防止ワクチン』みたいな名前を付けて、それを拒否する奴は犯罪傾向があるやつっていう論法が通る。そうなったらもうディストピアの世界観だ」
霊火は肩を竦め、やや雑な説明をした。
仮にも『ドクター』の娘だ。その気になればもっと専門的に説明することもできるが、緑谷には理解が難しいだろう。
「……じゃあ、脳無のあの脳みそは何のためにあるの? 破壊されたら死ぬ弱点ではあるよね?」
「真っ当に解釈するなら、あれが“個性”の源泉なんじゃない? 破壊されれば即死の致命的な弱点を露出しているのも、多分運用上の制限なんだろうけれど」
脆い癖に冷却を必要とするがゆえに、薄皮一枚で体外に晒された男性のアレみたいなものだ。
「じゃあ、身体はどうなのかな?脳ほど難しくない? ……脳無って元は死体かもしれないけど、元の人は罪のない一般市民かもしれない。どうにかして殺さずに助ける方法は――」
「無理だと思うよ。というか、意味が無いんじゃないかな」
彼に変な希望を抱かせる前に、霊火はバッサリ切り捨てた。やるせない目で霊火を見上げる少年に首を振る。
「さっきから妙に詳しく聞いてくるなって思ってたんだけど、出久くんは脳無を助けたかったの? 悪いことは言わないから諦めたほうがいい。だって死体は死体だもん。もし素体となった誰かを哀れに思うなら、火葬でもしてあげるのが優しさってもんじゃないかなあ……」
長い沈黙の後、緑谷は恐る恐る訊ねた。
「…………………………それで、死んだ身体を動かすのはどうやるんだろう?」
「私なら体を少しずつ溶かすことで筋肉、神経、血管、リンパ腺、その他諸々を完全に癒着させる。それで腐敗や感染症から身を守り、強度を確保。多分ここまでは合ってる。そして彼らも呼吸はしているから酸素を取り込んで二酸化炭素を吐き出す基本の代謝はしているんだろうし、心臓も動いているから定義上は一応生物という枠組みではあると思うけれど、流石にホモサピエンスとは違った生き物なんじゃないかなあ。具体的に言うとヘモグロビンを使っていないね、匂いがしなかったし」
絶句。
言葉も出ない様子の緑谷だが、霊火は説明を止めない。
「そもそも身体の全体を死体から作らなきゃいけない縛りがある訳でも無かろうし、高分子化学系統の技術も詰め込まれて色々とブーストされてるんじゃない? 臨床に応用できたら不老に手が届くかも……」
「…………じゃあ、“個性”は?」
「すんごく雑に言うと、爆豪勝己の腕を切り取って上手に加工してくっつければ、『爆破』を使える“脳無”ができるんじゃない? それでツギハギモンスターを作ることで複数"個性"を実現しているのかな〜ってなんとなく思っていたんだけれど……」
「………最悪だ」
「『超再生』が複数確認されている以上、脳無の製作元は"個性"の複製まで手を伸ばしているかもしれない。私としては分かりやすい大戦力である脳無より、そっちのほうが恐ろしい」
「確かにそれは大問題だね……」
「本当に理解してる? 『AFO』の複製とかされたらガチで最悪すぎるけれど」
緑谷は真っ青になった。
個性因子絡みの技術は実際はそんな単純な物でもないが、緑谷は取りあえず納得したらしい。これ以上聞いても理解出来ないと悟ったとも言える。
そして彼はこう聞いた。
「それじゃあもう一人、『アマリリス』は? あまり考えたくないけれど……やっぱりデヴィット・シールド博士だと思う?」
(……全然怪しまれてないな。そろそろ私が『アマリリス』なんじゃないかって気づきそうなものだけど。非常時とはいえ『サブノーティカ』を見せたのはやりすぎだと思ってたし……)
ここはあえて一手外してみる。
霊火は『検死官』としての技術でシールド博士=『アマリリス』という図式をほぼ構築している。
今の時点で殆どの公的機関に、『アマリリス』の正体がシールド博士という誤誘導を信じ込ませているが、この場面ではあえて緑谷の願いに同調した。
「私はその説には中立かな。何らかの形で関わりがある気はするけど……神野に隕石を落としたり都心で『風香』を暴れさせたりするのは、私の知る彼のパーソナリティと食い違う」
「そう……だよね。霊火さんもそう思うよね……!!」
「ただ、博士がオールマイトの元を訪ねてきたって話もあるからね。何らかの形で『アマリリス』に関わっているのは間違いないと思うよ。そのせいでメリッサの立ち位置が悪すぎるらしいけれど……」
ここで大事な前提をひとつ。
殻木霊火にとって、“雄英内で『アマリリス』であることが露見しても致命的ではない”ということだ。
(立場が悪くなったら、私の首吊り死体を部屋に飾って皆の関心を釘付けにする。その隙に『転送』か何かでさっさと脱出すればいいもんね)
バレるかどうかは問題でも、捕まるかどうかはまったく問題にならない。
霊火は超一流の悪党なので、どんな状況でもこの学校から逃げ切れる。そこを断言できなければ敵なんてやってられない。
そしてもうひとつの前提。
霊火にとって雄英高校での生活は、あくまで「寄り道」にすぎない。
優秀な“個性”を内部から採取できればという淡い目的はあれど、個性特異点の解決のために必ず通るべきルートではないのだ。
とはいえ、霊火個人の感情としては、正体を明かしたくはないのも事実だ。
正体を晒せば緑谷出久との関係は確実に壊れる。それにせっかく楽しい学校生活なのだから、バレるとしてもできる限り先延ばしにしたいのが人情だ。
だからこそ、今この瞬間。
緑谷から『アマリリス』について質問された霊火は、極めて慎重な言葉選びを迫られていた。
生粋の嘘つきである霊火は、いつも通りのテンションでごく自然に答える。
「だけど『アマリリス』については、“コイツを倒せば勝ち”っていう単純な図式に持っていけるかがそもそも疑問だな……」
「え、それは……例えばオールマイトなら『アマリリス』本人を捕まえて、それで解決するってイメージできるよ?」
「私が『アマリリス』ならこう言う。『俺を捕まえたり殺したりしたら、世界中に隕石が降ってくるように設定してある。そして俺にももう設定は変えられない。さあ、この手を離せよはーっはっはっはっは!!』って感じで。さあ、オールマイトはどうする?」
「オールマイトなら、事前にそのシステム自体を破壊してるよ。八年前にもそういう事件が――」
「神野の隕石を射出した人工衛星、なんか月と火星に謎の大都市を建造してるって話があるけれど、オールマイトは『アマリリス』本人を捕まえる前にシステムごと破壊できそう?」
「……………………………」
「『アマリリス』本人が火星にいる、なんてオチじゃなければいいけどね」
何なら霊火が死ねばAIの方が引き継ぐようになっているため、『アマリリス』を封じることは絶対に不可能だ。
呆然とする緑谷に、霊火は苦笑した。
「因みに、頭上を抑えられたことが我慢できない大国によってもう宇宙戦争は始まってるし、人類は既に負けたよ。既存の人工衛星の7割は撃墜されたらしいし、この世界にある全てのロケット発射施設も『見えない』人工隕石で吹き飛ばされたみたい。神野のそれは半径7キロとかを消し飛ばしたけれど、どうやら半径二十メートル程度のミニクレーターでピンポイントに建物を消すとかも出来るらしいね? 正直あそこまで小回りが利くと、暗殺とかの使用法まで想定しないといけなくなるけれど……」
「は……は?」
「でも、私の意見としては『アマリリス』はあまり気にしなくていいと思うんだよねえ」
「そんなわけないでしょ!! 神野も都心も、あれだけの人が死んだのに……!!」
「単に被害規模が戦争クラスなんだよ。個人のヒーローがどうにかできる範疇を完全に超えてる。気にするだけ無駄ってものだと思うよ」
――もちろん、希望のない話だけで終わらせる気はない。
適度に“砂糖”を振りまく。
「まあ一応、アメリカと日本が主導して大規模な『アマリリス』対策班を立ち上げたってさ。他の大国も大体参加してる。まあ誰の頭上にも隕石を落とせるってなればどこの国も必死になるよね。たぶん人類史上一番、全員が団結してる瞬間だろうな……」
「でも、それでも霊火さんは“気にしなくていい”って言うの?」
「何をするにしても、人類が『アマリリス』から制空権を奪取した後の話だよ。研究者たちが日々お高い研究費を浪費してるんだ。人工衛星を破壊する日を信じてそこは任せよう」
「……霊火さんは、何か案はないの?」
「え、人工衛星対策の話? 私の『呪い火』、射程がほぼ無限だから対物ルールでダイレクトに衛星を破壊出来ると思うよ?」
霊火はさらりと爆弾を投げ込んだ。
「でもそんな事したら目立つでしょ? 件の学者に目をつけられて、『隕石』やら『風香』やら得体のしれないオーバーテクノロジーに狙われ続ける生活なんて絶対に嫌」
霊火は少しだけ目を伏せた。
カップの中の麦茶を指先でくるりと回しながら、静かに続ける。
「まあいくら『OFA』継承者の出久くんでも、世界規模の問題を全部抱え込んだら何も動けなくなるよ。オールマイトですら日本の平和は実現できても、世界の平和にまでは手が届かなかったんだ。ここは目の前の誰かを助けるとか、そこから始めていくのが大切なんじゃないかな?」
「でも、それじゃ……」
「『アマリリス』に関しても全く打つ手がないわけじゃないしね。例えば精神操作系の”個性”を直撃させて武装解除させるとか」
実際、本当に状況は楽観してもいい。
何故なら『アマリリス』に、世界を滅ぼす気などないからだ。
状況が変わったのだ。今の霊火は今いる人類をできるだけ生かしたまま、”個性”特異点の問題を解決するつもりだ。
(人工衛星……『自在都市』ちゃんの性能が思ったよりも良かったんだよな。色々と余裕が出てきたからアプローチ方法も変えないとね……)
霊火は極めて凶悪な悪人ではあるが、別に好き好んで人を殺しているわけではないため人が死なないならその方がいい。
犠牲者を少なくするプランの現実味が見えてきた今、こちらとしては人類の90%を吹き飛ばす計画に固執する必要もないのだ。手間暇はかかるが……。
(…………………………もしかして『永夜』の出番はないかな。一回は使ってみたかったけれど……)
少女はいつもより少し柔らかい声で笑った。
「大丈夫だよ出久くん。大丈夫」
「霊火さん?」
「焦らなくてもいいよ。貴方はいつも頑張っているし、結果も出してる。大丈夫、私はいつでも君の味方だよ」
感想や評価ありがとうございます。大きな励みになっております