仮免試験を翌日に控えたハイツ・アライアンス。
自室で設計図を組み上げるのに飽きた霊火が深夜にふらりと降りてきた共用リビングだが、なんかもう全体的に張りつめた空気が漂っていた。
これではリラックス出来ない。
「ピリピリしてるのは分かるけどさあ、その『救助・救護ガイドブック』を前日夜に見ることは切奈の合格を手助けしてくれるわけ?」
「うるさいうるさい試験受ける必要がないプロヒーロー様は黙ってて。今忙しいんだから」
「え~、ペーパーテストならとにかく明日やるのは実技でしょ? 早く寝た方がいいと思うんだけどねえ」
こんな感じで最近はクラスメイトたちの気が立っていてちょっと居心地が悪い。推薦で先に大学が決まった高校3年生はこんな気持ちなのだろうか。
学友のために湯気の立つカップを乗せたトレイを運んできた霊火は、ソファの脇を抜けながら小さくため息をついた。
対面のソファに腰を下ろしてカフェインレスのコーヒーを取蔭切奈の前に置く。ついでに『救助・救護ガイドブック』をそっと取り上げた。
薄い冊子をパラパラとめくって特に重要な箇所を確認する。
……正直、試験前日の夜に新しい教材を引っ張り出してきて変に謎知識を詰め込んでも、普段の訓練以上のことは出せない気はするが……。
それでも取蔭を落ち着かせるため、霊火は無表情で問いかけた。
「ヒーローに求められる基本の三要素は?」
「避難・救助・撃退が基本の三要素」
「ふうん。切奈の得意分野は?」
「救助」
「それが分かっていれば大丈夫だよ。得意なことに専念すればいい。仮免で救助要素がないってのもさすがに考えづらいし」
パンフレットを閉じて返す。
しかしA組委員長の顔にはまだ不安の色が残っていた。いつも飄々としている彼女にしては妙に弱気だ。
プロヒーローの少女は軽く鼻を鳴らしてこう付け加えた。
「もし試験中に余裕があれば現場で指揮系統の確立までできるといいね。正直ちょっと難しいと思うけど」
だがここまでしなくても受かるだろう。おそらく今回の仮免試験は易化する。
なぜなら今の日本にはヒーローが圧倒的に足りていないからだ。試験を難しくする理由が無さすぎる。
実際、『ピースキーパー』システムが世間のヒーロー観に与えた影響は大きい。
なにしろあのアプリは治安回復のためにピースキーパー”ユーザー”なんて無茶な仕組みまで持ち出してきたのだ。
こんな制度、有事になればプロヒーローは全く足りないという現実を突きつけたようなものである。
110番が繋がらなくなったあの夜に、オールマイト時代の平和ボケなんて簡単に吹き飛んだのだ。
今では日本中の誰もがヒーロー教育の必要性を痛感し、分かりやすく強いヒーローを求めている。
(そう考えると『ステイン』も報われないなあ……)
今求められてるのは「動けるヒーロー」だ。職業的でも事務的でも何でもいい。
敵を退治して市民を救う訓練を積んだ専門的な技術を持つ人間が大量に必要とされている。
ヒーローに人格を求めたステインの理想からは乖離する一方だが、それもまたひとつの真理ではあった。そりゃあオールマイトが50人もいたら世界は平和になると思うがそうはならないから現実だ。
理想だけでは飯は食えないとは良く言ったものである。
取蔭切奈は小さな声でこう言った。
「……救助訓練じゃなかったら、どうしよう」
「弱気すぎない? いやまあ“撃退”も絡んでくるとは思うけれどさ。繰り返し言うけど公安側もそこまで難しいことは求めてこないと思うよ……?」
ここで不安を煽っても仕方がない。
あえて気楽に自分のカップを傾ける霊火を、取蔭は羨ましげに見つめた。
コーヒーカップを両手で持つ友人は、小さな声でこう言う。
「……私さあ、推薦入学者なのに……」
「ん?」
「体育祭の騎馬戦で負けちゃった。本選のトーナメントに行けなかったのよ。プロヒーローになるために物凄く大事な場面だったのに……普通科とサポート科からも本選に出た人がいるのにさ」
「心操と発目はちょっと例外だと思うけどね」
心操は“個性”が尖りすぎている上に人と運に恵まれた。
発目に至っては正真正銘のギフテッドだ。彼女は霊火よりもむしろ『ドクター』に近い。
霊火はテーブルの上に身を乗り出して、チョコレートクッキーを取蔭の口に差し込む。
「むぐ」
「んもう、体育祭だけでもチャンスはあと2回もあるよ切奈。アレだって入学して一カ月ぐらいで行われる一年生の奴はプロもあまり重視してないもん。三年生のBIG3だって体育祭は全然活躍してないしさ」
「……うう、来年に霊火とか緑谷とか轟とか爆豪に勝てるビジョンが全く見えないんだけど……」
「極限の戦闘マシーンに火力で対抗しようとしてどうするのよ? 私は切奈にしか出来ないこといっぱいあると思うけれどなあ……」
これは本音だった。
人生というのは何も戦闘力の数字が高い方が勝ちとかいう単純なゲームじゃない。勝ち方にもゴールにも色々ある。
その点で、取蔭はどの分野についても極めて高水準な物を持っている。何を目指してもいいし、いくらでも可能性はある。
"時間"がない霊火は、その可能性自体が本気で羨ましい。
とはいえ、きっとそういう話ではないのだろう。
霊火の素朴な感想に取蔭は苦笑した。
しかし彼女は吹っ切れたようにコーヒーを飲み干すと、そのまま席を立つ。
「ありがと。ちょっと元気出たわ」
「あ、そう? あんまり役に立てた感じがしないんだけど」
「ううん、ちゃんと元気出た。霊火の言う通り今日はもう寝るわ」
「不眠に効くって話題の『睡眠』の鬼火、一発受けとく?」
「大丈夫大丈夫!! そこまで迷惑掛けられない!! それに"それ"、本当はノーリスクってわけじゃ無いんでしょ?」
霊火は軽く眉を上げた。
『死因』の副作用は"使用における人間性の喪失"。
緑谷以外には教えていないし、彼にも口止めしてある。
「あれ、言ってないはずだけどな……」
「『呪い火』でしょ? 人を呪わば穴二つというか……使えば使うほど霊火自身も呪われて精神状態が悪化していく、とか?」
「……なるほど?」
当たらずといえども遠からずだ。
個性名自体を偽っている事まで考慮すればほぼ正解と言える。
しかし彼女はそのまま予想外の事を言った。
「だって"個性"を使った後の霊火、人を殺しそうな目をしてることがあるし」
「え、そうなの?」
「時々だけどね」
普通に初耳の情報が出てきた。
霊火は慌ててスマホを取り出し自撮りモードで自分の目を見ようとしたが、自分の顔貌を認識できなくなっていることを後から思い出した。だから手鏡を持っていないのか。
画面を見て思い切り首を捻る霊火を見て彼女は小さく笑う。
「大丈夫だよ、緑谷の前ではいつも優しい目をしてるから」
「別の問題があるんだけど」
「時々全てを貫通して憎悪に染まった目をしてることもあるけど」
「え、嘘、出久くんの前で?」
「気づいてなかったんだ……。私たちも最初はびっくりしたけど今では慣れてるよ。緑谷も全く動じていないし気にしてないんじゃないかな?」
「え、ええ……?」
全く知らなかった。
霊火は中学生以前は公的な場で『死因』を使うことが滅多に無かったため、指摘してくれる人がいなかったのも一因か。
サングラスでも使おうかと真剣に考えていると、取蔭切奈は立ち上がった。
「それじゃあ今日は霊火の言う通り寝るよ。話してくれてありがとうね」
「あ、うん。切奈もゆっくり休むんだよ? 明日は頑張ろうね」
女子寮の階段を上がる友人は最後にこちらを振り返って手を振ってくれた。
こちらも手を振って見送りつつ、カフェインレスのコーヒーを啜る。
おやすみなさい。
―――――――――
自分が受ける必要のない試験ほど気楽なものもない。
雄英のバスで移動した先は国立多古場競技場。『プリムローズ』の傘モードを日除け代わりにする霊火を、葉隠透と小森希乃子が不思議そうに見つめる。
「なんで霊火ちゃんも来たの? 仮免試験受けないよね?」
「だからってハイツアライアンスで一人待機ってのも嫌。仲間外れみたいじゃん」
「緑谷がいないのに来るとは思わなかったノコ」
「別に私たちいつも二人一組ってわけじゃないんだけど。なにさ、別に観客席から応援しててもいいでしょ?」
因みに緑谷出久はグラントリノに呼ばれており会場には不在だ。
彼も仮免試験の応援に来たがっていたのだが……。
(しかしまあ何のお仕事なんだろう。割と高難度案件っぽいんだけれど………あれ?)
ふと目線を感じた。
我に返った霊火が振り返ってみると、何故か別高校の男子生徒が霊火の方を真っすぐ見ていた。
士傑高校、西日本で最もレベルの高いヒーロー科の制服だ。しかし当然知り合いではない。
目をつけられる心当たりのない霊火は思い切り首を傾げるが、糸目が特徴の彼はそのまま真っすぐ近寄って来る。
(……んん?)
霊火は全くの無意識で『プリムローズ』のグリップを握り直し、モードを”傘”から”杖”へと切り替える。
自身の得物を鋭利な刃を隠した“仕込み杖”に変換したのは、糸目の男から強い敵意を感じたからだ。刃を仕込んだ杖のヘッドを親指で押し上げる。
霊火の手前5メートルほどまで来た男子生徒は、尊大な口調でこう言った。
「殻木霊火だな?」
「まず名乗れ糸目」
「肉倉精児!!!! そして私の目は見目良く長大である!!!!!」
大声を出された。
少女はコイツを反射的に本気で斬り殺しそうになったが、ギリギリ制動が間に合う。
騒ぎになったからだろう。視界の端で相澤がこちらを振り向いたのを確認。
霊火が『プリムローズ』に手を掛けているからか次の瞬間には『抹消』をかけられた。視線の動きから察するに、肉倉とかいう男の"個性"も封じてくれている。
少女は突っかかってきた男子生徒の糸目をわざとらしく見つめると、思い切り鼻で笑う。いくら否定しようと見事な糸目だ。
対面する相手の怒りの雰囲気が膨張するのを楽しみながら『プリムローズ』をショットガンモードに切り替える。
"個性"抜きでも殺傷力は十分確保できる。
その余裕を握りしめ、少女は澄ました声でこう切り出した。
「ふっ……初めまして? そして二度と話しかけないでください好みじゃないんです」
「っ!!!! 噂通りの無礼者だな殻木霊火、貴様がプロヒーローなど片腹痛い。粗野で徒者のまま英雄となるなど聞いて呆れる!!」
「あ、何かと思えばステイン信者か。良かった、ギガントマキア関連とかならどうしようかと……」
どうにも拍子抜けだった。霊火嫌いの中でも英雄思想かぶれは無害な側だ。
なにしろ"ギガントマキアに親族殺されたシリーズ"は大抵メンタルがぶっ壊れている。そして奴らは『私の子供が亡くなったのは殻木霊火のせいだ』とか喚きながら本気で殺しに掛かってくるのだ。普通に怖すぎる。
あの時ほど緑谷の『危機感知』が羨ましい瞬間も無い。なにしろ相手がド素人であろうと霊火の耐久性では一撃喰らえば普通に死ぬのだ。
しかしステイン信者方面なら危険は少ないだろう。霊火はショットガンのトリガーから指を離す。
一方で士傑の男子生徒は更に感情のボルテージを上げてきた。
「ステイン信者とは何たる侮辱!! 私は敵の言葉に影響など……」
「うっざ。初対面で思想語んな。距離感おかしいんだよ童貞」
「っ!?!?!?!?!? ま、待て!! 貴様のヒーローとしての――」
霊火は超絶適当に話を切り上げた。
『プリムローズ』を"傘"に戻して軽く振り回す事で相澤からの視線を一瞬遮断。『抹消』を解除する。
向こうも騒ぎを聞きつけたのだろう。まとめ役っぽい長毛の士傑生が糸目を叱責していた。
無理矢理連れて行かれる糸目を見ることもなく見ていると、取蔭に肩を掴まれた。
「ほらおいで霊火、喧嘩してないで円陣やるよ!!」
「え、私もやるの?」
「ほら来て!! せーのっ」
「「「「”Plus Ultra!!!!”」」」」
―――――――――
「殻木お前なあ……」
「説教やめてくださーい。いや、実際不審者すぎますよあの人!! 私もよく自制したと思います!!」
「試験が終わったら士傑に謝罪に行くぞ」
「えー、どうせ謝るなら殺しとけば良かったな……」
冗談はさておき。
多古場競技場の観客席に座った霊火がグラウンドに目をやるとそこには巨大な四角い箱がそびえ立っていた。
見た目は巨大な白い豆腐のようだが、あれが試験の説明会場ということだ。クラスメイトたちは皆そちらへ向かっており、霊火は教員の相澤と行動を共にしている。
教員向けに配布された仮免試験の資料を膝の上でめくりながら霊火は軽く眉を上げる。
「ふむふむ、第一次試験は的当てで……受験者は1540人。先着1000人が通過可能。……思ったより厳しいですね?」
「こんなもんだろ」
相澤は腕を組み、つまらなさそうに答える。
「仮免試験の合格率は例年五割ほどだ。二次試験まで含めればだいたい例年通りになるんじゃないか?」
「個人的にはもう少し易化すると思っていました。最近は何かと人手が足りないですし」
「いくら人手不足でも実力が明らかに足りないやつに免許は出せないだろ。ヒーロー活動でヘマでもされたら公安の責任問題になる」
まあそれもそうか。
霊火は資料から目を上げた。合格率五割。つまり二人に一人は落ちる。
絶対に受からなければならない試験としては中々怖い確率だ。
「イレイザー、イレイザーじゃないか!!」
「!!」
突然の大声に思わず『プリムローズ』を握り直す。
観客席の通路をオレンジのバンダナを巻いた女性が駆け上がってくる。
彼女はニュースか何かで見たことがある。そこそこ知られたプロヒーローだ。
確か名前は……。
「スマイルヒーロー『Ms.ジョーク』?」
「おっ、話題の殻木霊火だな!! イレイザーのクラスだってのは聞いてたが……そういえば『デク』の方は来てないのか?」
名前を思い出せたのはいいが、霊火は一瞬言葉に詰まった。
緑谷の仕事は機密情報なのだ。
「ジョーク、今は何年を担当してる?」
だからだろう、相澤がすぐに割り込んできた。
彼女は霊火の反応を流して相澤に向き直る。
「私の受け持ちは二年だ。傑物学園高校二年二組。あいつらにとっちゃ今回が初めての仮免試験だよ」
「そうか」
「そっちから聞いといてそれかよ、結婚しようぜ!!」
「しない」
「しかしまあ、殻木霊火ちゃん」
いきなり話を振られた。結婚の約束はいいのだろうか。
グラウンドの方では試験の説明が終わったのだろう。立方体の展開よろしく目の前で開いていく試験会場を横目に霊火は首を傾げる。
「なんです?」
「一年A組、ちゃんと合格できると思う?」
「合格しますよ」
別にここは疑っていない。
クラスメイトたちとは何度も模擬戦をしてきた。この程度の試験は超えてくれないと困る。
「……事故がなければ、ですけれど」
「はは!!!! いいねぇイレイザー!! 優秀そうじゃん!! それで殻木ちゃん、注目すべきクラスメイトは?」
「全員ちゃんと強いですよ。ていうかこの手の学校単位のチーム戦なら私も出た方が良かったな……」
「あ~……君とか『デク』が仮免試験に出るって話だったら、もしかしたら”アレ”も無かったかもね。『ピースキーパー』上位二人を敵に回したい生徒なんていないだろうし」
観客席の手すりに肘を置き、苦虫を噛み潰したような顔でグラウンドを見下ろす。
……仮免試験ではある“慣習的イベント”が存在する。
『雄英潰し』、体育祭で個性や戦法が知られている雄英高校を他校が袋叩きにするとかいう悪趣味な恒例行事だ。
試験開始のカウントダウンが始まる中、少女は毒々しい声色で低く呟いた。
「サイテー……、ヒーロー志望がやること?」
「あ、怒ってるんだ可愛い~!! でもヒーローを目指してるのは雄英以外も一緒なんだぜ? 『フロイライン』も、プロの現場が“正々堂々”だけで食っていけるほど甘くないって分かってるでしょ」
「まあ否定はしませんけれど」
霊火も逆の立場なら絶対に雄英を狙い撃ちにするし。
「でも今年に関しては、私と『デク』がいないからって理由でウチを狙うのは絶対悪手です。だって―――」
試験開始の合図と同時だった。
ドオォォォォンッッ!!!!!!!!!!! と。
スタジアムのど真ん中で轟音とともに地面が裂け、特大の氷山が隆起した。
グラウンドのほぼ全てが凍り付き、白銀が観客席の端まで押し寄せる。
会場全体が静寂で包まれた。
平然としている相澤。開いた口が塞がらない『Ms.ジョーク』や他のプロヒーローたち。
1年A組にはもう一人、分かりやすい大戦力が在籍しているのだ。
吐く息が白く変わる中、少女はつまらなそうに呟いた。
「いや、轟焦凍を誰が止めるんだろうなって……」
――――――――――
轟のマップ全面凍結は一見大雑把に見えるが、A組だけはきっちり避けている。
彼の“個性”の扱いもずいぶん器用になったものだ。
そのおかげで霊火のクラスメイトたちは、「これでいいのかな?」という微妙な顔をしながら、凍りついた他校の生徒たちに淡々とボールをぶつけていく。
1年A組、全員一次試験クリア。
観客席の霊火は、呆れ半分感心半分で腕を組む。
そしていつの間にか一次試験は的当てというより氷結耐性バトルと化していた。他の受験生たちは氷から脱出しようとじたばたし、脱出できた者から順に合格していく。
「うっわあ……炎熱系ガン有利ですねえ」
「真堂!! 頑張れ!!!! ウチの子たちを全員救い出せ!!!!」
隣の女教師は声を張り上げて自分の受け持ちを懸命に応援していた。
その視線をたどると黒髪の爽やかイケメンが凍った大地を駆け回っていた。やけに露出度の高いヒーローコスチュームのせいで余計に寒そうだが、おそらく同校の受験生たちを助け出している。
彼が氷の壁に手を当てると分厚い氷に自然とヒビが入る。破壊の挙動からして“揺らす”系統の個性だ。
「轟、アイツ……」
一方の相澤はこめかみを押さえて天を仰いでいた。
だが本当に頭を抱えているのは別の人間だ。
試験監督の公安職員は仮免試験のコンセプトが完全に崩壊した事で膝から崩れ落ちていた。かわいそう。
(……まあ優秀なクラスメイトも実力の内か)
そして自分のクラスが全員試験を通過したならば、もうグラウンドに興味はない。
プリムローズを手に取りスタジアム特有のプラスチックの座席から立ち上がる。
霊火の動きに相澤がちらりと視線をよこしたが、お手洗いに行きたいだけだ。同行してもらう必要はない。
(二次試験が始まるまであと一時間くらい……)
缶コーヒーを飲む時間ぐらいあるだろう。観客席を抜けて裏手の通路へ向かう。
今回の仮免試験のために公安が多古場競技場を丸ごと貸し切っているのか、裏手の照明は節電仕様だ。売店のシャッターはすべて閉じられ、どこか人気のない静けさが漂っていた。
足音だけが響く階段の踊り場を曲がったその瞬間――
「……あれ」
「お」
意外な顔と鉢合わせた。
「『エンデヴァー』……何故ここに?」
「焦凍の様子を見るために決まっているだろう」
「息子さん、ついさっき滅茶苦茶なことしてましたが……」
――――――――――
人間誰しも得意な相手もいれば苦手な相手もいる。
そして霊火も人間なので人の好みぐらいある。
その上で『苦手』が全人類の九十九パーセントを占めるからこそ霊火は“人間嫌い”なのだが、実は轟炎司は一パーセント側の人間だ。
別に特段好ましく思っているわけでもないがリスペクトはしている。
それこそ、世間話の流れで「好きなヒーロー」を挙げなければならない時にエンデヴァーの名を口にするぐらいにはだ。
お手洗いを済ませて備え付けのベンチに座り、霊火はこう切り出した。
「そんなに久しぶりでもないですね、エンデヴァー。ロサンゼルスではありがとうございました」
「いや、あの時はお前や“デク”の助けになれず悪かった。メリッサ・シールドの輸送についても手を貸せれば良かったのだが……俺の立場的にどうにも難しくてな」
研究者だからだろうか。
霊火は結果をあまり重視しない。過程の努力と経験を重んじるタイプだ。
どんな物でもいい。何らかの明確な目標の為に人生のリソースを注ぎ込み続ける事こそ、人間のあるべき姿だと霊火は信じている。
ただしその手段や努力があまりに間違っていたりすると、努力している分有象無象よりマシとはいえ流石にイラついてくるのだが。
その意味でエンデヴァーは完璧だ。
「No.1になる」という目標を掲げて狂気的なまでに上昇志向を貫いた男。ヒーローどころか敵ですら、そして霊火も諦めた“オールマイトを超える”事を最後まで諦めなかった男。
善悪で語れないその在り方は唯一無二だ。最高に人間らしい。
それが霊火の心をくすぐる。
カッコいいとさえ思える。尊敬もしている。
(出久くんみたいな“何も諦められない”ガチの理想家も、イバラの道すぎて好きなんだけど……)
自分の目標の為に家庭すら犠牲にする野心家というのも実は嫌いじゃない。
むしろ『野望』というのはこうでなければならない気がする。誰かを不幸にする程度で諦める上昇志向なんて最初から本気じゃなかったことと同義だ。
全力の努力と妥協のない目標こそが人間の真価。その自分勝手な貪欲さを高く評価したい。
……何にしても轟焦凍には絶対に聞かせられない考え方ではある。
そんな思考を知るよしもないエンデヴァーは霊火にこう問いかけた。
「……ところで、メリッサ・シールドはどうなった? FBIは今でも彼女がサンフランシスコに潜伏していると信じているようだが」
「……これは本当に独り言なんですが、実は雄英高校で保護できてるんです。ただ“元に戻す”のに少し手間取ってまして……」
霊火は声のトーンを落とした。ここから先は完全な機密情報だ。
……アルカトラズでMr.コンプレスにメリッサが『圧縮』されてしまったのはかなりの幸運でもあった。
というのも、メリッサ回収後のFBIや賞金稼ぎたちの追跡は本当に熾烈で、終盤は『キャプテン・セレブリティ』などのガチのトップヒーローすら顔を出してくる魔境だったのだ。
まともに戦えるタイプではないメリッサがビー玉ほどの大きさになってくれたのは、隠匿においても護送においても本当に都合がよかった。
それでも霊火たちがトラビス航空基地に着く頃にはアメリカ側の緊張は限界を超えていた。メリッサを連れて日本行きの輸送機に乗れば、下手したら撃墜されかねない状況にまでなったのだ。
そこで霊火はとっさに「緑谷出久と殻木霊火はメリッサを保護できず、二人だけで帰還する」という筋書きを匂わせて、アメリカ側に信じ込ませた。
つまり現在、公式には“メリッサはまだアメリカに潜伏中”ということになっている。
エンデヴァーは裏事情を聞き低く唸る。
「……なるほど。『圧縮』のおかげで首尾良く連れ帰ることはできたが、その『圧縮』がまだ解除できていないわけか」
「はい。雄英の設備で調べた限り中にメリッサさんが生きたまま閉じ込められていることは分かっているんですが……」
「……”個性”による状態変化が自然に解ける条件は、時間制限、個数制限、本体との距離、本体の気絶、本体の死亡あたりが定番だが……」
「時間制限に賭けたい気持ちはあるんですけどね。個人的には“圧縮できる最大個数”かなと思います。つまりコンプレスが自分の“圧縮枠”のひとつを削ったまま許容し続ける限り、メリッサさんは解放されない事に……」
そして霊火の機械を使った『圧縮』で解除する方法は、できれば最終手段にしたい。
何しろこちらの『P・ダイアモンド』は立方体で圧縮してしまう箱詰め式なのだ。球形に圧縮する方法があるなら誰か教えて欲しい。
つまり霊火式の『圧縮』で球形の『圧縮』をちゃんと解除できるのかがまず疑問だ。試すにしてもぶっつけ本番というのはあまりに怖い。中途半端に成功した結果メリッサさんがぐちゃぐちゃにでもなったら後味が悪すぎる。
エンデヴァーは物々しく頷いた。
「状況は把握した。俺も何か考えてみよう」
「ええ、よろしくお願いします」
「さて、焦凍の様子を見に行こうか」
「それは止めておいたほうがいいと思います」
―――――――――
霊火が予想していた通り、二次試験の内容は災害救助演習だった。
一次試験で使用されたフィールド全体を爆破し、敵による大規模テロを想定した現場を再現。
受験者はヒーローとして要救助者の救出にあたり採点はHUCと公安職員による減点方式。持ち点が五十点を下回ればその時点で不合格だ。
……明らかに都心の『ギガントマキア』戦を意識したセットだった。
幸いなことに雄英高校は既に都心にて救助活動をボランティアで経験している。
観客席から見るクラスメイトたちの動きもよく、霊火もホッとしていたのだが……。
「うわっちゃあ……轟……? どうしちゃったの……?」
「……まさか夜嵐イナサと揉めたか?」
「え、あの風の”個性”の人です? 先生の知ってる人ですか?」
「推薦入学の第一位だ。ウチに進学していればお前らと同じ学年だったが、何故か辞退して士傑に行った」
「今のところ士傑にいい思い出がなさ過ぎるんですが……」
霊火は上から目線の糸目野郎を思い出す。士傑高校は思想家でも育てているのか?
相澤は厳しい顔をしてグラウンドを見下ろす。
この二次試験。途中からヴィラン役のプロヒーローが乱入してくる極悪仕様なのだが、そのギャングオルカとの交戦から轟の対応が冴えない。
動きに精彩を欠いているとかいう次元ではなく、そもそも試験に集中できていない気がする。
夜嵐イナサとかいう士傑生との連携をしくじって炎が救助者の方に流れていくのを見て、少女は空を仰いだ。
酷すぎて見ていられない。
「うう……轟焦凍の集中が途切れるから、絶対に観客席に顔出すなってエンデヴァーには言ったんですけどねえ……」
「っ……!! 来てるのか⁉」
「来てます来てます。通路の方で世間話をいくつか。個人的には好きなヒーローなんですけどね、エンデヴァー……」
「そうか……」
「でも轟があそこまで調子崩すの、絶対にエンデヴァー絡みなんですよね」
相澤は真剣な顔で黙り込んだ。
霊火は敢えてギャングオルカを見ないようにしながらため息をつく。
「やっぱり私も試験受けとけば良かった。ギャングオルカの足止めついでに夜嵐の撃墜と肉倉の事故死ぐらいならやれたんですけど……」
「それお前が落ちるだろ」
「だからヒーロー免許いらないんですって」
――――――――――
「皆おつかれ~!! 大変だっただろうけど、わぷっ」
「霊火~!!!! 受かった、受かったよーーーーー!!!!!!!」
歓声と共に突っ込んできた切奈の腕と胸に盛大に押し潰された。
息が詰まる。取蔭は低身長の霊火を持ち上げたまま跳ね回る。
「わ、わかったから! ちょっと落ち着け切奈!!」
「よっしゃああああああああ!!!」
聞けよ。
仮免試験。雄英高校一年A組、轟を除く全員が合格。
取蔭にあちこち振り回されたあげく、投げ飛ばされるように解放された。たぶんマスコットか何かと思われてる。
(轟は……)
視線を向けると、彼は仲間の輪には加わらずに穏やかに空を見上げていた。
その表情に敗北の色はなく、むしろどこか吹っ切れたような雰囲気だ。
(…………………………立ち直ったのかな?)
なんで?
あの試験の中にそういう表情が出来る要素があった?
霊火は夕焼けを見上げて目を瞑った。
男の子って本当に良く分からない。
轟くんは間瀬垣小学校の方お願いします
感想や評価ありがとうございます。大きな励みになっております