殺人現場より、愛をこめて   作:トリスメギストス3世

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096:インターン②

 緑谷出久はいまだに慣れない。

 ヒーローコスチュームを着て街を歩くだけで、人の視線が一斉に集まってくるからだ。

 

「『デク』だ! 本物だ!」「応援してます!」「頑張ってください!」「まだ雄英の生徒なんでしょ? えらいわねぇ……!」

 

 ざわめきと歓声が絶えない。

 ギクシャクと歩くシャイな少年に、下から語りかける声があった。

 

「おい小僧、ずいぶん人気者じゃねぇか。ニヤけとるぞ」

 

「ニ、ニヤけてなんかないですグラントリノ!」

 

 小柄な老ヒーローが鼻を鳴らす。

 

「まったく……ここまで人垣ができちまっちゃ、調査もへったくれもねぇな。尻尾を掴む以前に観衆にのまれそうだ」

 

 今回の任務は死穢八斎會の動向調査。

 ナイトアイ事務所の要請で行われているチームアップだがここまで成果はなし。

 緑谷はフードの端をいじりながら、そっと呟いた。

 

「……オールマイトはこういうとき、どうしてたんですか?」

 

「俊典か? アイツはこういう地道な仕事は警察やナイトアイに丸投げだったな。ま、アレに関しては放っておいても事件の方が向こうから寄ってきとったが」

 

「なるほど……さすがオールマイト……。あ、ちょ、すみませんっ!」

 

 言い終えるより早く、若い女性が人垣を抜けて走り寄ってきた。

 手には色紙。緑谷は目を丸くしながらも、慌てて笑顔をつくり、サインペンを受け取った。

 視界の端でグラントリノの呆れ顔が映る。

 

 女性ファンは興奮したようにこう話しかけてくる。

 

「あのっ!! 覚えていらっしゃいませんか!? ピースキーパー期間のバスジャックで『デク』さんに助けられてるんですが……!!」

 

「えっ、そ、そうですか!! ご無事なようで良かったです!!」

 

「これからも応援してます!!」

 

 こんな感じで10分強。

 15人ものファンを捌いたデクはファンが途切れた隙に慌てて路地裏に飛び込むと、ホッと一息をついた。

 

「ファンサービスはまだまだじゃな。もっと堂々とせい」

 

「これでも霊火さんと練習してるんだけどな……」

 

「あの嬢ちゃんに関してはそろそろ年貢の納め時だぞ小僧……」

 

「……?」

 

 それにしても死穢八斎會だ。

 グラントリノの言う通りで、ギャラリーにここまでつき纏われると調査もままならない。決して嫌な気分ではないのだが……。

 

「よし小僧、俺はちょっと一人で行ってくる」

 

「え、相澤先生が一人で行動するなって」

 

「俺より強い化物相手に何言ってんだ雄英教師。自分の身ぐらい自分で守れ」

 

「待って下さいグラントリノ!! ……行っちゃったよ」

 

 ぽかんと空を見上げるトップヒーローが路地裏に一人。

 少年が困ったように肩を落とし、ため息をついたその時だった。

 

 ドン、と。

 狭い路地の影から飛び出してきた少女が、緑谷出久の腰にぶつかった。

 

「わっ……!? だ、大丈夫? 痛くなかった?」

 

 慌てて屈みこみ手を差し出す。少女はその手を見てびくりと肩を震わせた。

 腰まで伸びた白い髪に揺れる赤い瞳。額には小さな角。

 色褪せた半袖のワンピースは擦り切れ、手足は包帯で覆われている。

 

(……なんだこの格好)

 

 胸の奥にざらりとした違和感が広がった。

 狭い路地、裸足。追われているような足取り。

 

(虐待――? そんな、まさか……)

 

「ダメじゃないか、ヒーローさんに迷惑かけちゃ」

 

 低く滑らかな声が裏路地に響いた。

 緑谷が顔を上げるとそこにいるのは黒髪の男だ。

 ファーのついたコート。鳥のくちばしのようなペストマスク。

 

 思考が一瞬で真っ白になる。

 

「オーバーホール……!?」

 

「……はじめましてですね『デク』。こんなところで会えるとは」

 

 男の眼差しがわずかに細くなった。

 少女……エリは微動だにしない。

 

「ほら、帰るぞ」

 

 しかし少女は動かず、むしろそっとこちらに身体を寄せてくる。

 緑谷は反射的にその小さな身体を抱き寄せるが思考はまるで追いつかなかった。

 

(嘘だろ……! どうして、ここに……!!)

 

「ウチの娘がすみませんね。遊び盛りで怪我が多くて。困ったものです」

 

「……娘さん、ですか」

 

 治崎廻に子供はいるなんて情報は資料には無かったが……。

 

「ええ。子育てというのは難しい。お若いヒーローにはまだ分からないでしょうが」

 

「そ、そうですね……経験がなくて……」

 

 脳が追いつかない。

 危機感知はまだ沈黙しているが、本能が全身で警告を鳴らしている。

 

「ところで、『デク』さんはここで何を?」

 

「パ、パトロールです」

 

「雄英の授業は? まだ事務所を持っていないだろう」

 

「き、今日は……授業がなくて……」

 

 自分でも酷い誤魔化し方だとは自覚している。こういう不意打ちの無茶なアドリブに強いのは霊火の方だ。

 オーバーホールの目が冷たく細められる。

 

「――エリ、帰るぞ」

 

 沈黙。

 やがて、緑谷の腕の中で、少女が小さく震えた。

 

「…………いかないで」

 

 小さな掌でヒーローコスチュームをぎゅっと握られたその瞬間。

 緑谷出久の中心で、高熱の炎が燃え上がった。

 

 混乱で揺れた精神が原点(オリジン)を思い出す。

 ヒーローは、傷ついた少女を抱き抱え、ゆらりと立ち上がる。

 

「ごめんなさい、オーバーホール。この子は、こちらで保護させてもらいます」

 

「……なんだと?」

 

 頭を刺すような痛み。ついに『危機感知』が発動した。

 

 目の前の男から剃刀のような殺気が放たれる。

 エリが怯えて身をよじり抱擁を振りほどこうとしたが、緑谷はその腕を緩めなかった。

 

(証拠も理由も後でいい。今はこの子を守らないと……!!)

 

「ヒーローさん。他人の家庭に口を出さないでいただきたい」

 

「申し訳ありませんが、それはこの子が安全になってから伺います」

 

「その子を連れて行ったら誘拐罪だ。ヒーロー失格どころか犯罪者になるぞ」

 

「ヒーロー職務執行法で緊急時の未成年一時保護は保障されています。正当な職務です」

 

 ……これはかなり怪しいが、断定で言い切る。

 

「……子どもを奪われた親が、無理矢理わが子を取り返すのも緊急避難のうちだ」

 

「……()()()()()()?」

 

 緑谷出久の全身から緑色のスパークが迸る。

 オーバーホールは手袋を外す。エリは殺戮の気配に怯えて緑谷の胸に顔をうずめた。

 

「――保護、させてもらいます」

 

「英雄症候群の重病人が……!!!!」

 

―――――――――

 

 夜更けのハイツ・アライアンス。

 共用スペースのソファでうたた寝していた殻木霊火はドアの開く音にぱちりと目を覚ました。

 

 照明の落ちたリビングに生暖かい夜気が流れ込む。

 霊火はまだ寝ぼけたままスリッパをぱたぱたと鳴らして玄関へ向かった。

 

 靴音。

 見慣れた姿に霊火は胸を撫でおろす。

 

「おかえりー出久くん。遅かったね、いったい何が……」

 

 そこで一度止まった。

 玄関の明かりの下にいたのは緑谷出久だが、その腕の中に小さな影が抱かれていた。

 

「ちょ、……どこで拾ってきたのその子!? うちでは飼えないよ!?

 

「そんな野良猫を拾ってきたみたいな言い方……」

 

 玄関の灯りに照らされて少女の姿がはっきりとする。

 年の頃は六歳ほど。白髪は無造作に伸び、着ているワンピースは擦り切れてボロボロ。

 細い手足には包帯が巻かれ、包帯の下からは赤く滲んだ血が見える。

 

(虐待……?)

 

 その一語が頭をよぎった。

 服の破れ方やケガや日焼けしていなさすぎる肌もそうだが、裸足というのがあまりに致命的だ。

 そして緑谷にしがみついて離れようとしない姿が、何より雄弁にその過去を物語っていた。

 

 その警戒は霊火も例外ではない。

 少女は怯えたように霊火を見て、一歩でも近づけば泣き出しかねない雰囲気だ。

 

「……な、なに? この……なに? 出久くんのことだから見過ごせずに助けちゃったんだろうけど……」

 

「いや、霊火さんの言う通りなんだけど……」

 

「え、まさか誰にも言わずに連れ帰ってきたとかじゃないよね? 児童養護施設の関係者として言わせてもらうけど、こういうのって手続きが死ぬほど面倒だよ? 普通に警察でもプロでも手が出せない案件だったりするんだけど」

 

「大丈夫だ殻木。いろいろとあったが、手続きは通してある」

 

 玄関の奥から相澤消太が入って来た。

 彼はいつもの無精な風貌のまま緑谷の腕の中の少女をちらりと見やり、霊火に目線で外を指す。おそらく問題の少女に話を聞かせたくないのだろう。

 

 霊火はスリッパのまま玄関を出ると相澤にこう質問した。

 

「……で、結局アレは何枠なんです? 出久くんが正義感爆発させて連れ帰ってきたのは想像つきますけど」

 

「本当にその通りなんだが、事情はもう少し厄介だ」

 

「これ以上……?」

 

 相澤は慎重に言葉を選びながらこう切り出す。

 

「殻木、緑谷が今、何を追っているかは聞いているか?」

 

「八斎會、ですよね? ………………え、ちょっと待って? 嘘でしょ?」

 

 恐ろしい所に思考が繋がった。

 それを知ってか知らずか、相澤はため息をつく。

 

「……八斎會の若頭、『オーバーホール』の娘だそうだ」

 

「おい待て正気か……?」

 

「ギリギリ戦闘にはならなかったらしい」

 

 まさかとは思うが。

 緑谷が連れてきたあの女の子が、霊火が追い求めている『個性破壊弾』の材料?

 

――――――――

 

 アマリリスの最終目的は“個性”特異点の解決にある。

 そのためには、どうしても“個性”そのものを長期的に抑制する手段が必要だ。

 

 一応”これから産まれる人類”が持つ”個性”への対処法は確立できている。

 粒子状の粉末を吸わせる事でゲノムを自在に書き換える能力『遺伝崩し』を妊婦に使い、胎児段階で“個性”を無害なものに書き換える方法だ。

 常時発動型の”異形型”を『リューキュウ』のような”発動型”に書き換えられたりと応用の幅は広いが、『遺伝崩し』による”個性”の改造は胎児限定。

 これだけでは今まさに生きている能力者の“個性”を封じることはできないのだ。

 

 しかし八斎會の個性破壊弾はその問題を全部解決してしまっている。

 『アマリリス』として目指す世界に必須のパーツとなる。欠損は許されない。

 故に八斎會からその原材料となる能力者をどうやって奪取するかについては大きな課題だったのだが……。

 

 相澤から大雑把な説明を受け、再び屋内へ戻って数分。

 霊火はこっそりと状況を図っていた。

 

(……本当は『オーバーホール』の方も欲しかったけど。まあ、『退化』の方だけでも十分合格点か)

 

 棚からぼた餅というか。

 あり得ない偶然が思わぬ方角から霊火の縄張りに転がり込んできた。

 金の卵を産む鶏が自らやってきたようなものだ。後ろ手でスマホの液晶に触れる。

 

(……『転送』で『サブノーティカ』にあの子を放り込めば目標達成だなこれ)

 

 淡々と拉致の段取りを脳内で整えつつ、緑谷が抱える少女を観察する。

 ハイツ・アライアンスの共用部。

 そこにいるのは緑谷、相澤、霊火、そして“エリ”と名乗った少女。

 

 この中に発動した『転送』を止められる者はいない。

 そして『転送』脳無を積んだ潜地艦『サブノーティカ』は、すでに地中三キロで待機中だ。

 

 『転送』まであと――。

 

(3、2、1――)

 

「大丈夫だよ、エリちゃん。ここは安全だ。君を傷つける人はいない」

 

 しかしその一言で指は止まった。

 あと一歩。あと少しというところで霊火は動けなくなってしまう。

 

 灰色の少女に穏やかに語りかける緑谷を、霊火はただ呆然と眺める。

 相澤が眉を寄せた。

 

「殻木、どうした?」

 

「………いえ」

 

 深呼吸する。

 両目を瞑って無理矢理精神を組み直す。

 そして素直な一言。

 

「私も意外と甘いなあって思いまして」

 

「お前……いくらなんでもあれに嫉妬するのはどうなんだ?」

 

「嫉妬じゃないです。そこまで大人げなくないです」

 

 微妙に心外な勘違いをされつつ胸に手を当てた。

 

 ……しかたない、『デク』が救った少女なのだ。

 彼の面子に免じて今日だけは勘弁してあげてもいいだろう。……最終的にエリは絶対に手に入れる必要があるので先送りにしかなっていないが。

 

「で、なに? 私は寝ていいんです?」

 

「あ、待って霊火さん。その……」

 

 緑谷が気まずそうに目を泳がせる。霊火が首を傾げると彼はためらいがちに言った。

 

「エリちゃんをお風呂に入れてあげて欲しいんだけど……」

 

「…私が⁉ なんで!?!?」

 

「あの……ほら……エリちゃんは女の子だし……」

 

「6歳でしょ? 出久くんか相澤先生が入れてあげればいいじゃんか。アメリカじゃあるまいし」

 

 というかそういうのは教員の仕事だろう。ヒーロー科だってミッドナイトとかいるし、ヒーロー科以外にも女性教員ぐらいいるはずだ。

 霊火が露骨に嫌そうな声を上げると、緑谷はさらに困った顔で言った。

 

「……そういうわけにもいかなくて……お願い、できないかな……?」

 

「……あのさあ……」

 

 転送しておけば良かった。

 

―――――――――

 

 ハイツ・アライアンスの女子風呂。

 結局緑谷に押し切られた霊火は、古びたワンピースの上からエプロンをつけてエリの前に屈んだ。

 

「ほら、包帯取るよ。大丈夫?」

 

「……………………………………………………」

 

 ここまで盛り上がらないお風呂も珍しい。

 エリを緑谷から引き離すこと自体にもまあまあ苦労したが、こちらに対する警戒心が強すぎる。

 しかし特に反対もなかったのでボロボロの服を脱がせて包帯を外すと、手足のえげつない傷跡が大量に露出した。

 

 霊火は眉一つ動かさずにそれらを清潔なタオルでそっと包む。このままお湯を当てたら痛すぎる。

 

(『オーバーホール』ねえ……。人体実験を繰り返して検体が死んだら蘇生でもしてるのかな)

 

 生きたまま開胸されたような跡。

 生きたまま手足を削ぎ落とされた跡。

 生きたまま内臓を取り出された跡。

 

 傷の一つひとつがあまりにも悍ましい。激レアな“治す”能力も使いようだ。

 死ねないというのは最も残酷な苦痛になりうる。何だかんだで死体が専門の『ドクター』とはまた違った醜悪だ。

 

 ささっと傷だらけの身体を洗い終え、シャンプーをつける前にお湯だけで髪と頭皮をしっかりと落とす。

 私物のシャンプーを手の中に出しながら霊火は作った優しい声で言った。

 

「はいはい、身体洗うの終わり。次は髪の毛ね~」

 

「……あ」

 

「ん? どうしたの?」

 

 ただひたすらに無抵抗。

 服を脱がすときも包帯をほどくときも身体を洗う時もされるがままだったエリが、この時初めて声をあげた。

 霊火の声に小さな少女が竦み上がる。

 

 恐る恐る霊火の目を見て、左右を見て、両目をぎゅっと閉じた。

 小さな声でエリは言った。

 

「……いいにおい、って」

 

「300mlで55,000円だからね」

 

 6歳にこの有難さは伝わらなかったらしい。

 シャンプーのついた手で優しく頭を撫でると、エリは可愛らしく首を傾げた。

 

―――――――――

 

 シャンプー、トリートメント、ドライヤーと1時間近く掛かった。

 そして見違えるように綺麗になったエリは、躊躇いがちにこう言ってくる。

 

「おなまえ……きいてもいいですか」

 

「レイカお姉さんですよ〜。あ、いいじゃん似合うじゃん」

 

 霊火が滅法小柄なのがプラスに働いた。

 自前のシャツを適当に見繕ってエリの肩にそっと掛ける。

 低身長の霊火の服でも流石に袖は手の先まで隠れてしまうが、そこは器用に裾を結んで丈を合わせる。

 最終的に、ふわっと膨らんだシルエットが子ども用のワンピースみたいになった。

 

 霊火は満足して頷く。

 

「うんうんかわいい。さすが私」

 

「エリちゃん凄くかわいいね!!」

 

「……ああ、俺も可愛いと思う」

 

 緑谷の勢いに押されて相澤もぎこちなく同調した。

 まあ“可愛い”と言われて嫌がる女の子はあまりいない。まだまだ笑顔は遠いが、少し警戒心が薄れてきたエリを深夜の寮で取り囲む。

 

「……エリちゃん、眠たいなら寝ていいんだよな?」

 

「でも……」

 

 うつらうつらと。

 瞼は落ちかけで上半身を揺らすエリだが中々眠ろうとしない。

 緑谷がソファに座るエリを抱きかかえる。傷だらけの少女は両腕でしっかりとヒーローに抱きついた。

 

 しかし傷だらけの女の子は、それでも必死に両目を開け続けている。

 

(寝ている間に何かが起きることを怖がっているんだろうな……)

 

 睡眠障害は典型的な被虐待児の症状だ。

 霊火はエリから見えない角度で右手の指先に火花を散らせ、ボールペンほどの半透明な『弾』を生成。

 

 エッセンスは『睡眠薬による自殺』。

 霊火は右腕を真っすぐに伸ばして、麻酔を使わない"麻酔弾"を構える。

 しかし相澤は、霊火の右腕を軽く掴んで首を横に振った。

 

「身体には無害ですよ? 撃たれた本人も気が付きませんし」

 

「……安心して眠るという経験を積むべきだ。起きても怖いことは無いという経験とセットでな」

 

 肩を竦めて手中の麻酔弾を消し去る。

 緑谷はとにかく相澤まで深入りしすぎだ。ずっと雄英で預かる訳でも無いのに。

 共感し過ぎると別れる時に苦しい思いをすることぐらい、大人の彼は分かっていそうだが。

 

 そのタイミングでエリが口を開いた。

 

「ねむったら、さわらないで……。私に近づいたら皆もけがしちゃうかもしれないから」

 

「!! 分かった。大丈夫、絶対に触らないよ」

 

 今のは示唆的だった。相澤と顔を見合わせる。

 まるで”自分は危険な存在だ”と刷り込まれているような印象だ。

 

(……破壊弾に搭載された『退化』の個性、もしかして割と危険なのか?)

 

 エリの能力が分からない。

 もし破壊弾の通りにその効果が"個性を破壊する"という物だった場合、霊火たちはエリに接触するべきではない。いつ暴発で個性を消去されるか分からないからだ。

 

 しかし今この場で推定『退化』を知るのは霊火だけだ。そもそも八斎會=個性破壊弾の製造元という事実にヒーローサイドで気がついているのが霊火だけな以上、緑谷や相澤にこの危機感を共有する事が出来ない。

 

 それから二十分ぐらいして、エリは力尽きたように寝息をたて始めた。緑谷は丁寧に彼女をソファに横たえると霊火が待ってきたタオルケットを上から掛ける。

 

 子どもの安らかな寝息に、大人側の3人が同時に息をつく。

 そして口火を切ったのは実年齢が9歳の殻木霊火だ。緑谷との年齢差よりエリとの年齢差の方が小さい。

 

「触らないにしても誰かが傍にいる方がいいだろうな。悪夢で魘されて起きた時、"慣れない暗闇に一人でした"じゃ可哀そうだから」

 

「……ありがとう霊火さん。子ども嫌いなのに手伝ってくれて」

 

「全然好きじゃないけど慣れてはいるから。大病院での小児科入院生活が長かったからかな」

 

 そしてエリが寝たからと言って、すぐ解散するわけにもいかない。

 大人には大人の話がある。相澤は別のソファに座ると乱暴に頭を掻いた。

 

「八斎會……か」

 

「僕も治崎に娘がいるなんて始めて知りました」

 

「それ多分嘘だよ。実親に虐待されてる子の反応じゃなかった」

 

 二人の目線が霊火に集中した。

 霊火は肩を竦める。家柄の都合で児童養護施設に詳しい霊火はこう言った。

 

「エリちゃんが本当に実親から暴力を受けているなら、まず部屋から裸足で逃げ出して、出会い頭のヒーロー『デク』に助けを求めるというのが不自然すぎない?」

 

「え、でも部屋から逃げ出してヒーローに保護をお願いするぐらいあり得るんじゃ……」

 

「絶対に無いね。この年頃ではあり得ない。実親を振り切って初対面のヒーローを信じる未就学児とか聞いたことない」

 

 そもそも子供は実親を裏切れるように出来ていない。未就学児なら尚の事だ。

 親から子への愛と違って、子から親への愛は文字通りの無条件なのだ。いくら暴力を振るわれようと一定の年齢までは必ず、子供は(どちらかの)親を信じ続ける。

 

 イマイチ納得できない様子の二人に、霊火は髪を手で梳いた。

 霊火自身は実の親とか以前に機械から産まれたレプリカントだ。こういう事を語るのも変な気分ではある。

 

「実親に傷つけられた子供が行う最も特徴的な行動、分かる?」

 

「え、えっと……」

 

 優しい母親に育てられた緑谷出久は完全に言葉に詰まった。

 だからここは教員、子供を責任もって育てるプロフェッショナルである相澤消太が答える。

 

「傷を隠そうとする、だな?」

 

「正解です先生。夏も長袖を着て虐待の跡を隠し、プールの授業をズル休みし、身体検査を仮病で乗り切ろうとする被虐待児の言うことは概ね共通する。まずは『バレたらもっとひどいことをされる』、或いは『自分は悪い子だからお仕置きをされたんだ』、そして一番多いのが『自分が本当のことを言ったら、お父さんやお母さんが警察に捕まってしまう』なのよ」

 

「そんな……」

 

「子どもは例え暴力を振るわれても本能的に親を愛している。だから"自分が我慢すれば家族を守れる"と思い込んでしまうんだなコレが……」

 

 共用スペースに嫌な沈黙が下りるが、霊火の言いたいことはこれではない。

 

「で、エリちゃんだけど、少なくともお風呂に入るときも全く傷を隠そうとしなかった。治崎を守ろうという意志が無さすぎるのよ」

 

「……霊火さんの言いたいのは、エリちゃんは治崎の実の娘じゃないって事だよね?」

 

「出久くんを誤魔化すための咄嗟の嘘だったんだろうな。エリちゃん、たぶん三歳ぐらいまで実親に大切に育てられているよ。愛着の基盤がしっかり出来すぎてる」

 

「待て殻木、推測だけで話を進めすぎだ」

 

「まあそうなんですけどね。エリちゃんに聞けば一発なんだけど、ちょっと厳しいかなあ……」

 

 洋服と包帯の下の夥しい傷跡を想起しながら、少女はうんざりした声で告げる。

 

「いくらなんでも虐待の程度が酷すぎる。本人が話してくれるまで待つしかないね……」

 

 ―――――――――

 

「で、結局あの子はなんなの?」

 

「出久くんがいつものお節介を発動させて連れてきたワケあり幼女。全身と心に傷アリ。だけど本人には詮索せずに丁重に扱ってあげて」

 

「なるほど霊火が不機嫌なわけだわ」

 

 雄英高校ヒーロー科の生徒は基本的に博愛精神と慈愛の心の持ち主だ。

 一年A組、早くも共通スペースの謎幼女に慣れ始める。

 

 その肝心のエリは、砂藤力道が持ち込んできたホットプレートに興味があるようで、テーブルの上に身を乗り出しての注目が止まらない。

 どうやら華やかなパンケーキに興味津々のようだった。ホットケーキミックスを使わずメレンゲやらを混ぜ込んで作った本式だ。むさ苦しい八斎會では縁のなさそうな食べ物ではある。

 食べるというよりかヘラ捌きを駆使した調理風景自体が見ていて飽きないのか、砂籐の手元に集中するエリはデクの不在も気にならないらしい。

 

「……それで、俺たちはどうすればいいんだよ」

 

 そう言って近づいてくるのは鱗飛竜だ。

 おさげが特徴的な留学生に、霊火は曖昧に首を傾げる。

 

「まあ可愛がってあげてよ。安全地帯の演出をしたい。みんなでそれぞれ少しずつ優しくしてあげて、正常な人間関係の作り方を思い出させてあげる事から進めていこう」

 

「了解した。男子の方には俺が伝えておくわ。他に注意事項は?」

 

「"個性"がまだ分かっていないの。ちょっとマズイ能力持ってる可能性があるから、決して油断はしないように」

 

「ああ、だから殻木はピリピリしてんのか……」

 

 鱗は霊火の手に握られている抜刀寸前の『プリムローズ』を見てとても微妙な顔をする。

 この”個性”社会、相手が子供だからと言って舐めてかかればそのまま子供に殺されるだけだ。

 

「レイカさん!!」

 

「どうしたのエリちゃん?」

 

 一瞬で”優しいお姉さん”の表情に切り替える。

 霊火の本性を知らないエリは、嬉しそうに大皿に乗ったパンケーキを見せてきた。

 

「作ってもらったの!!!!」 

 

「……そ、良かったね。エリちゃん」

 




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