HC(Hollow Cityの略称)は下層、中層、上層、そしてもっとも深い場所にある管理者層の四段で構想されている。
管理者層を除いて、各層ごとに社会信用システムの様な「社会的信用度」と一定水準の「所得」そして「地位」が区切られており、上に行けば行くほど金と地位の高い連中で溢れている。
なら下層にいるのは犯罪者や貧乏人ばかりなのかというとそういうわけではない。
下層はいわゆる平均以下の連中で溢れている場所であり、平均的な地位、所得、信用度な人間もここにはいる。
しかしそれ未満の連中もごまんといる場所ではあるため、必然と治安が悪くなる。
ゆえに下層は犯罪者どもからするといい隠れ蓑にもなるし稼ぎ場所になる。
そのため下層にいる人間のほとんどは中層の検問所を通ることを目指す。あそこにさえ行ければ、少なくとも命の危機に陥ることはほとんどなくなる。
別に中層や上層にもクズはいるけどな。下層から上がってくる途中で他人を踏み台にしてきた奴らばかりだろうし。
とはいえ下層には下層なりの利点もある。実力のある連中が下層で燻っていることも少なくないし、下層から発展した技術も多い。
闇市や闇医者などのグレーなサービスやエリアを探索するのに必須な工房は下層にしかないし、エリアも
多くの探求者が下層に居るのはそれが主な理由だ。
実際、今日も下層のとある闇医者のもとで世話になっている。白衣を羽織い、眼鏡をかけたどこか疲れた表情をしている男性だ。
彼はこの下層で闇医者をしている元外科医の『先生』。本名は誰も知らないので、先生という名前だけが広まっている。
ダストのように体を歪みに侵食されている患者は忌避されており、通常の病院では対処ができないし闇医者でも取り扱ってくれないことが多い。
ゆえに、歪みに侵食された患者の治療を掲げるこの先生しか頼れるとこがないのである。
彼はダストのレントゲン検査の結果を確認すると、カルテとダストの顔を交互に見ながら話し出す。
「うん、部位に異変はなし。臓器も安定して動いてるみたいだね。ただ、肝臓にタールが溜まってるみたいだから、タバコは程々にするように」
「いやぁ、これでも我慢してるんですけどね。やっぱ吸わないとやってられないっていうk....痛ぇ!」
話しているうちに隣に座っていた誘救から頭を殴られた。地味に痛い。
「すみません先生。この馬鹿にはしっかり言っておくので」
「お願いするよ。私が言うより君が言ったほうが彼には聞きそうだ」
「もちろんです。...帰ったら聞くこと聞かせてもらうからね〜?」
「嫌だ!うちの子たちには指一本触れさせないからな!」
こんな世界とこんな状況で煙草のような快楽物質に頼らないわけがない。むしろ薬物や酒に手を出してないだけマシだと思ってもらいたい。
それに、原作のダストも愛煙家だったから別に間違ってはいない。それはそれとしてよく詰められてはいたが。
「その話は君たちが帰った後でやってもらうとして......
誘救君が持ってきてくれた薬なんだけど、投与した人物の再生能力を一時的に高めて組織を修復させて侵食を食い止めるのは考えたことのないアイデアだった。しかし一時的では本人の負荷が高いのと、手当たり次第の細胞を複製しているため複製エラーが発生し、ガンの発症の可能性もある
幸い都市の医療技術は優秀だからガンぐらいならなんとかなるけれど、安全性を高めたい
これを一時的じゃなくて長期間のゆっくりとした修復に置き換えられれば.....」
「それなら間葉系幹細胞の量を調節して本人の体重や身長に合わせればできそうですね。今持ってる材料で調節してみます」
「ありがとう。頼んだよ
ひとまずは前まで使っていた薬を服用して、改善できたら持ってきて。安全性が確認できたらそっちを使って様子を見てみようか」
先生はカルテにペンを走らせたあと、どこか悲しげな表情で俺の方を向いた。
目線の先には俺の左腕。歪みの侵食によってタコのような触手が生えてしまっている部位だ。
「ごめんね、私が治せたらいいんだけど」
「いいですよ先生、こうなったのも先生の所為じゃないですし、治療方法も確立されてないんですから仕方ないです
それに、何かと便利ですよこの体も。高いところにあるものとかすぐ取れますし」
そう言って左腕の擬態を解除して、先生のかけている眼鏡を取る。少々面食らったような顔で固まった先生は、少しすると安心したような笑みを浮かべた。
「そっか、それならいいんだ。いつか絶対、君たちを治す方法を見つけるからね......
それが私の責任だから」
穏やかで、人を安心させるような笑みで。しかしどこか覚悟はらんだ瞳で先生は言う。
彼自身、ダストのような症状の人たちを目の前で何度も見てきたからこそ言えるのだろう。彼の決意は計り知れない。
「ひとまずは今まで通り活動しても大丈夫。ダストくんの体が人より丈夫なのもあるけど、誘救君の存在も大きいね。
これからも彼が無茶しないように頼んだよ」
「もちろんです。こいつが何かやらかす前に何してでも止めるので」
顔を見合わせて頷く二人。実際に本気で止めようとしてくるからちょっと怖い。
「そしたら俺たちはここで失礼します。先生もお気をつけて」
「うん、気をつけて。次はまた一週間後に来てね」
椅子を立ち上がり部屋を出る。先生が控えめに手を振っていたので、振り返すと嬉しそうに笑っていた。
彼が多くの人から好かれるのは、今のように少しお茶目なところがあるからなのかもしれない。
扉を開けて外に出ればまだ日が明るい。今日は暁灰庵も営業してないし、他の場所に寄ってもいいかもしれない。
「この後の予定はどうするの?」
「『工房』に寄る。爺さんにそろそろ武器見せろってうるさく言われてるから」
「そ、僕は先に帰ってようかな。薬の調合もしないといけないし」
「おう、そっちは任せた。なんか帰りに買っておくか?」
「あ〜....今日の夜用になんか買っておいて。あとトイレットペーパー、在庫ない」
「了解、適当になんか買っとくわ。それじゃあまた後で」
俺は右に、誘救は左に。二手に分かれて目的地へ向かう。目指すは下層の工房区画。『waltz』を手配してくれた鍛治師の元に向かおう。
足を進めていると、ポケットのスマホ揺れる。通知から画面を開いてみれば、誘救から
『帰ったら聞くこと聞かせてもらうから』
というメッセージが一件届いていた。
「....ふぅ〜」
軽く視線を後ろにやると、ご丁寧に誘救が悪戯っぽい笑みでこっちを見ていた。あの野郎。
ヒラヒラと軽く手を振って曲がり角に消えていく姿が、様になっているのが地味にムカつく。
スマホの電源を切って、見なかったふりをする。
一旦帰ったらのことは忘れよう。絶対後でだしにされるだろうが、ひとまず工房に言って、爺さんと笑いながら武器の整備をしてもらおう。
そう現実逃避しながら通りを進んでいった。
◆
下層にある複合住宅の一室にある診療所で、『先生』はダストのこれまでの診察記録を振り返っていた。
そこにはこれまでのヒアリングの記録と、レントゲン検査による記録が詳細に記載されており、先生による書き込みも多く書かれている。
その中で最も彼が奇妙に感じたのはこれまでのレントゲン検査の結果。
一番最初に検査した時から、ついさっきまで記録した時と全く同じ臓器の配置をしている。
それだけなら彼が健康だというだけで話は済むのだが、誘救から命に関わる怪我を薬で無理やり再生したという話を聞いた。
確かに彼の開発力はとても高い。共同して歪みの侵食を抑える薬を何度も調合している以上それは確かだ。
しかし人間の身体というのはそう単純なものではない。臓器の修復は本人の体に合わない形で再生することもあるし、火傷のように元に戻すことが難しい傷もある。
だというのに彼の体は何の異常がない。探求者という死と隣り合わせな職業を続けているにも関わらず、これまでを通して損傷や不調などが一切見られない。
まるで、体が
歪みに侵食した人物が、適合することで特別な力を手に入れることがあるという。もしかしたら、彼は完全に適合しているわけではないが、その兆候があるのかもしれない。
それをさらに解明すれば、歪みに苦しんでいる人を救うことに繋がるかもしれない。
彼についてもっと調べる必要があるのかもしれないな。
眠気まなこをこすりながら、月の光が差し込む部屋で彼は記録を読み直した。
先生みたいなくたびれた中年男性が好きです
TIPS:
探求者の暴走を防ぎ、秩序を守るために設立された探求者の統制機関。
探求者の登録や依頼の斡旋、ランクの査定などを主に行っている。
探求会への登録は強制ではないが、登録することで利用できるサービスや特典が多いため基本的な探求者は登録を行う。
スポンサーにD-TEC社やKAMNABIといったメガコーポがついており、エリアのマッピングや、企業や政府にとって不都合な探求者を合法的に抹消するために生還不可能な依頼を誘導することがあるという噂がある。