『+NATURAL』の原作者秋名愛子。
亜城木たちの中学の同級生で、純文学小説で文壇デビューした、漫画界としては変わり種。
「どうせ『ヒット作家を巻末に彷徨(ほうこう)させる原作者』ですから」
「純文学風に言い換えるな」
玄関まで話し声が漏れていたようで、扉を開いたとたん板挟みになったカヤには気の毒だった。
しかし並みの女子の如く走り去らないでしっかり上がり込んで言い返しに来る秋名は流石。
「新妻先生のもう一つの連載が終わってしまってから、プレッシャーが大変なのよ。何でこっちが残った? って嫌がらせ文書が届いたり直接言われたり。そんな中〆切ばかりが迫って、綿密にストーリーを練れない時があったって仕方がないじゃない」
「それでも毎週アンケートが行われて数字が出され、結果が悪いと容赦なく切り捨てられるんだ。それがお前が馬鹿にしていた漫画連載の世界だよ」
彼女が漫画畑に踏み込んだのは、学生時代から一方的にライバル心を燃やしている高木を見返したいからだ。
しかし今はその高木に言い伏せられて、唇を噛み締めるのみ。
「ねえ、相談があって来たんでしょ、秋人さんもお説教は別の時にして」
カヤがお茶を運んで来て口を挟んだ。
「俺はお説教なんか……」
「シュージン、一旦ストップ」
今度は真城。
「秋名、これだけ連載を続けたら、週刊漫画雑誌のセオリーを少しは理解しただろ? 『+NATURAL』がどれだけ特別な形態で連載されていたか」
「え、ええ……」
「新人の原作に連載中の作家が絵を付けてくれるなんて、当時も今もあり得ない。それだけあの原作に編集者もエイジも情熱を持っていたんだ。そこは忘れるなよ」
「……ウン……」
「もし息切れしているんなら、作家から連載を畳む事を進言してもいいんだぞ」
「・・!」
秋名が顔を上げた。高木とカヤもちょっと驚いて真城を見る。
「打ち切られて不本意な終わり方をするよりも、作家の主導で納得の行く着地をさせた方がいいだろ。ファンの為にも、作画者の為にも」
「そうだな、エイジの絵で『オレたたEND』なんて俺は見たくないぞ」
「お、『おれたたえんど』って、なに……?」
秋名が泣きそうな声で聞いた。
あっ、知らないか、
えっと…………
「メロスが王様の所へ帰り着かない事よ」
とカヤ。
「セリヌンティウスも放置で『俺たちの闘いはこれからだ』って走ってる途中で終わっちゃうの」
「え、それは嫌だわ」
「でしょ――」
「メロス激怒した意味ないじゃん」
「知らなかった創作用語だわ、オ、レ、タタ、……」
「いやメモらなくていいって」
生真面目な秋名に高木も笑い、場の空気が緩んだ。カヤちゃん凄い。
秋名は茶を一口、二口と含んで落ち着いた。
「ありがとう。一度、担当の港浦さんと話し合ってみる」
「おお、頑張れ」
「師匠とも相談してみなよ」
「に、新妻先生は……」
秋名が急に口ごもった。
「どうした?」
***
「話しちゃいなよ、聞いて貰いたくてマンションの玄関をウロウロしていたんでしょ」
「ウ、ウロウロなんか……たまたまこっちに用事があって……」
「いいから早く言え」
カヤに突っ込まれ高木に促されて、秋名はためらいがちに話し始めた。
「に、新妻先生、おかしいのよ。普段からおかしいけれど、今は別の……心配になるおかしさなの」
「え」
高木の頭に休載の時の不穏が甦った。
「前に、『+NATURAL』にCROWを登場させたくて、お願いに通い詰めた時があったでしょ。その後もたまに直接打ち合わせる機会があったりで、先生の人となりは分かったつもりでいたのだけれど」
「ふぅん、どんな風に分かったつもりでいた?」
高木が意地悪そうに聞いた。
「孤高で冷たい、けれど責任感があって、他人の言葉はキチンと最後まで聞いてくれる。ハチャメチャなようで肝心の所は常識人」
「ふむ」
意外と他人の事を見ている。地頭は良いもんな、秋名。
「でも最近、その冷たい部分……寄らば切るぞという空気が無くなって、……何と言うか穏やかで、優しいの」
「優しくなったなら良いじゃん」
エイジの恋愛事情を知っているカヤが言った。誰かを好きになって丸くなったって事でしょ?
「尖った所が無くなった分、孤高で頼もしい部分……が、薄れてしまった気がするの」
「へえ?」
「その辺の凡百な優しいだけの男性と同じになってしまったような」
「贅沢だぞ、秋名は男性に何を求めてんだっ」
「新妻先生に男性なんか求めていませんっ、新妻先生には新妻先生を求めているんですっ」
「お、おぅ……」
言わんとせん事は分かるが
「や、優しくなっただけでおかしくなったなんて言われたら、師匠ちょっと気の毒だぞ」
真城がもっともな事を言う。
「勿論それだけじゃないわ」
秋名がかしこまって居ずまいを正した。
「客間に置いてあるあのお人形」
「う、うん……」
真城たちはピリッと視線を交わした。秋名は雀々家厘子の事などは知らない筈だ。
「あれを気にし過ぎなのよ」
「気にし過ぎって……」
「私が訪ねて行くとあれの前に座り込んでいたり、打ち合わせをしている最中でもしょっちゅうチラチラ見て、心ここに在らずだったり」
あれだけ欲しがっていた傑作だ、目が行ってしまうのは仕方がないだろう。
「フィギュアに夢中になってんのなんて、師匠、いつもの事じゃん」
「そっちは慣れているわ。小さい人形を振り回してズガーン、ドギャーンってやっているの。でもあの人形に対する時は静かなの、違うのよ」
「どう違うの」
「だから……おかしいのよ」
「どうおかしいの?」
言い籠る秋名に、高木が詰めるような形になってしまった。まずいぞヒスられたら困る、と真城が何か言おうとした所で
「あれを作った作家さん、女性なんだよぉ」
カヤがポロッと言った。
「え、そうなの、女性があれを?」
「そうそ。私は会った事ないんだけれど、秋人さんと真城は会っているわよね」
「チラッとだよ」
「どんな方なの?」
「えっと、え――……」
「ミステリアスな人」
「うん、そうそう、ミステリアス」
「まあ」
「だから新妻センセ、人形を見るとその人の事を思い出すんじゃない? それで目が吸い寄せられているんだよ、きっと」
「あらまあ」
全部を話さなくても、秋名の中で勝手に解釈して納得スイッチが入ったようだ。
その後少し『+NATURAL』の残った伏線などの話をし、秋名は礼を言って和やかに亜城木宅を後にして行った。
「秋名も何だかんだ言って鋭いよな」
三人は見送りながら顔を見合わせて苦笑いした。
・・・・・・
訪問して良かった…… 帰りのエレベーターで秋名は肩を下ろす。
秋名愛子にとって新妻エイジは、数少ない、自分より上に据えると認めた人間だ。真城に言われなくても、特別に作画をやってくれたのは分かっているし、感謝もしている。
(そう、そうよね、私の思い過ごしだわ、新妻先生だって男性だし気になる女性が現れてペースを乱される事だってあるわよね。そう考えた方が自然だわ)
名のある作家の物だと港浦さんに聞いたあの人形。まるで見られているようで、同じ部屋にいると息が詰まった。
(それで変な先入観を持ってしまったのかしら)
蓋を開けたら気になる女性が作った物だっただけ。
笑ってしまう、まったく私とした事が、少年漫画の世界に関わり過ぎたせいだわ。
(新妻先生があの人形に精神攻撃を受けていて、ともすれば操られそうになるのを必死に抗って、消耗しているように見えるなんて……)