すずめのお宿と月の道   作:西風 そら

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イチゴ農家とエイジさん・Ⅱ

 

 

 

 イチゴ農園のFさんにとって、新妻エイジは、どんなに感謝してもしきれない大恩人だ。

 

 彼の素性は、本日バイクで訪ねて来た青年に教えて貰って初めて知った。

 もっともエイジさんが何億も売り上げるような漫画家だとか、土曜の夜に毎週流れているアニメの原作者だったとか、どうでもいい(驚きはしたが)。

 うちの子供にとってこの世にただ一人、掛け代えのないヒーローなのだ。

 

 

 

 『自閉症スペクトラム』『緘黙症(かんもくしょう)』、妻から訳の分からない言葉を聞いた時、相手にしなかった。またイシキタカイ系のセミナーに嵌まって……ぐらいに思っていた。

 息子が保育園に入って他所の子みたいに喋れなくなったのは、単に人見知りが発揮される年頃だからだ。

 

「今からきちんと専門の教育を受けさせれば、健常の子と変わらない社会生活を送れるように……」

 ケンジョーって何だよ、俺の息子がカタワだってのか! 多分そんな事を言って、妻の差し出す紙を破いて怒鳴り付けた。俺の家族も同意見で、子供が()()()()()のは妻が甘やかすせいだと言って責めた。

 

 アホだったと思う。

 それから家の者に何を言う事も諦めて一人でセミナーに通っていた妻が、ある日帰って来なかった。飲酒運転のトラックがバス停に突っ込んだのだ。

 

 息子は壊れたように無表情になった。それまで多少の受け答えをしていたのが、どんどん無音になって行った。

 慌ててダメ元で妻の通っていたセミナーを訪ねてみたら、俺や家族のやっていた叱咤激励が全くの逆効果だったと知って愕然とした。

 小学校へ上がっても声を出さない息子に、担任教諭は昔の俺と同じような台詞を言い放って、俺はやっと妻のさらされていた孤立無援の苦しみを知った。

 

 

 ――ドギャーン・・

 

 イチゴ狩りの受け付けカウンターで、信じられない声を聞いた。

 

 慌ててそちら、駐車場の方を見ると、

 

「ズガ――ン、ビビビビビ」

「ズガーン、ズガーン」

「ドッカ――ン」

「クロウパーンチ」

「わ――、やられたです――」

「クスクス」

 

 声、何年か振りに聞く息子の声・・!?

 

 息子の前でクネクネした大仰な身振りで遊んでやって(?)いるのは、知らない男性だ。

 しかし側にシモノゴウのD君が突っ立っているので、胸を撫で下ろした。

 D君はこちらに気付いて駆け寄って来た。

 

「あの人はC先輩の……仕事先の上司みたいな人です。息子さんのフィギュアの写真を見せたら、直に見たいと仰って」

「そう、C君の……」

 

 その間にも、息子の声はどんどん大きくハッキリして行く。聞きながら胸が震えた。

 何が良かったのだろう、何が切っ掛けだったのだろう。妻が積み重ねた努力がここに来て栓を抜いた、と思いたかった。

 

 D君から『彼が麓街の板金屋に展示されていたウニモグをいたく気に入った事』と『免許を取りたがっている事』を聞いた。板金屋は同級生で顔が利くし、一発免許はC君の時も手伝ったから要領は分かる。

 何より、彼にまたここへ来て貰う理由を作りたかった。

 こちらから申し出て、雑事を引き受けた。

 

 それから、毎週決まった曜日に、その人・・エイジさんは訪れた。最初、麓街のビジネスホテルを取っていたのだが、息子が離れないので、引き留めて我が家に滞在して貰うようになった。

「一宿一飯の恩義です――」と言って、ハウス作業を手伝ってくれた。息子はそわそわと横で真似事をしていた。

 

 珍しい積雪の朝、早くに起き出した二人が雪だるまを作っていた。

 雪だるまには俺と同じ太い眉毛とホクロがあって、息子は俺を見て、雪だるまを指差して声を立てて笑った。妻と同じエクボだった。俺は人目も憚らず大泣きした。

 

 エイジさんのいない朝も、息子が早起きしてハウスに来るようになった。それから毎朝、一緒にハウスの作業をやっている。頼んだ事に真剣に頷いて健気にこなし、ありがとうなと誉めるとはにかんだエクボを見せてくれる。

(なんて有り難い事だろう)

 その場所に立たないとこんな小さな幸せは見過ごしていた。

 

 何と学校へも通えるようになった。

 エイジさんの「行っても行かなくてもいいけれど、今のボクにはその年齢にケイケンしておけばヨカッタと思う事が一杯ありマス」という言葉が、幼いながらに響いたみたいだ。

 担任教諭が変わったのもあって、嘘みたいに毎朝登校して行けるようになった。

 

 車を入手してからもこちらへ来ると必ず寄ってくれるエイジさんに、その事を告げて感謝を述べると、

「ボクは何もしていませ――ん。お父さんお母さんと、息子さん本人のチカラで――す」

 と言われた。

 

 

 そこまで語ってFさんは、これからシチゴウへ行くというバイクの青年に、少し噛み締めてから追加で話し始めた。

 

 

 もう一人感謝せねばならない人がいる。

 昔、山奥のシチゴウに、雀々家という男性が住んでいた。職業は、何やら木彫やら人形を作って卸しているらしい。住み始めた頃、Fは高校生だったが、『勘違いした芸術家崩れの田舎暮らし』との揶揄が耳に入った。Fの祖父の話ではあそこは正真正銘雀々家の生家との事で、つくづく田舎の噂は無責任だと思った。

 

 妻にセミナーを紹介したのは雀々家だ。

「あの方のお嬢さんも小さい頃に色々あって、セミナーに通って随分と助けられたのですって」と妻が言うのにも、その頃の自分は詰(なじ)った。

 雀々家は、娘が寛解してもまだボランティアと称してセミナーに関わって、そんな偽善臭い男を妻が誉めるのが気にくわなかった。

 

 バス待ちの列に彼もいた。

 彼は自家用車で街に下りていたのでバスを待つ必要は無く、本当に運悪くそこに居合わせただけだった。

 妻を見て、足を止めて立ち話をしたのかもしれない。妻は、家では塞き止められている悩みをこぼしたかもしれない。疲れていて反応が鈍っていたのかもしれない。雀々家が妻を庇ったのだけは、目撃証言ではっきりしている。

 

 葬式が同じホールの午前と午後だったので、その時初めて彼の娘を見た。見たと言っても頭からすっぽり黒いレースで覆っていたので、最初、植え込みの影かと思った。

 隣に何故か息子が座り込んでいて、彼女に頭をポンポンと撫でられていた。

 

『ちょっと表には出せない娘』

『母親は刑務所に入っている』

『雀々家は人身売買で娘を買った』

 なんて馬鹿みたいな噂があって、村の者はシチゴウの家に関わりたがらなかった。妻を失くす前の自分は率先してそんな噂に荷担していた。

 

 自分がセミナーに通うようになって、そして葬式の時の娘の様子が目に焼き付いて、野菜を届けるなどの世話を焼くようになった。そんな物で自分の罪が解けるとは思わないが。

 

 息子は、シチゴウに届け物がある時は嬉しそうに軽トラの助手席に乗りたがった。

 やがて徒歩で一時間掛かる彼女の家へ一人で遊びに行くようになったのだが、それは自分は知らなかった。

 ある時、息子が、立派なアニメフィギュアを抱えて戻って来た。

 どうしたのかと問い質すと、和紙の便箋を差し出された。見事な筆致で、日頃の感謝と、お誕生日プレゼントですとの旨が記されていた。

 

 そうして今日(こんにち)。

 あのフィギュアが切っ掛けでエイジさんに出逢え、息子は鱗を脱いだように朗らかになり、セミナーの専門家や教諭たちの目を見張らせている。

 

 

 

「本当に感謝しかありません」

 イチゴ農園のFさんは鼻をすすりながら、エイジさんの知り合いだという東京から来たバイクの青年に、長い話を終えた。

 

 

 

 

 

 

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