新妻エイジ宅。
またもぬけのからの仕事場で、ポツンと立って受話器を耳にあてる雄二郎。
「今回はケイタイ持って出てくれているみたいで、良かったよ」
「ハ――イ、原稿あったでしょ? 『+NATURAL』、終盤に向かうに連れて原作に魂入って、こちらも負けていられませんでした。秋名先生に宜しく言っておいてください」
「はい、新妻先生も渾身の作画お疲れ様でした。しかしまだ〆切の四日も前で。一応港浦君は明日来訪の予定だったんですが……」
「お手紙見てくれました?」
「しばらく留守にするとか、駄目でしょこんなタイミングで。港浦君だって最終回はきちんと挨拶をして自分で受け取りたかっただろうに」
「ごめんなさいです」
「その……雀々家厘子さん関係ですか?」
「ハイ――、厘子さん、お仕事で遠出するって言うんで、着いて来ちゃいました」
雄二郎はまたクラリとした。信じるって決意した所なのに。
あの新妻エイジが糸の切れた風船みたいに女性の後を追い掛けて…… 嘘みたいだ。
しかし事実は事実として受け止めねばならない。これしきで挫けていては彼の担当など勤まらない。
「くれぐれも彼女のお仕事の邪魔をしないようにして下さいねっ」
「ラジャです。あちらは展示の打ち合わせとかで忙しくて、殆どすれ違いですぅ」
相変わらずこちらから突(とつ)るのみの関係か。大丈夫か? その内訴えられたりしないだろうな……
「でも一回だけ一緒にお散歩してくれました。写真見ます? 写真!」
最近やっと携帯のメールとカメラ機能を使えるようになったエイジが、嬉しそうに画像を送って来る。
いや、写真ったって彼女は…………ん?
ダブルピースでニッコニコのエイジの横に立つのは、白いボアコートの白い狐?
「この狐のお面の人、雀々家さん?」
「はい――、ボクが作ってあげたです」
「へぇえ、そうなの?」
「いつも黒子頭巾ばっかりじゃ飽きるでしょって言ったら、じゃあ作ってと言われました。で、おうちに通って張り子細工を習いながら、リクエストに合わせて作りました。
次の写真が雀のお面で、あとのが順番にトンボ、蛙、コノハズク。日替わりで使ってくれて嬉しいです」
「よ、よかったね……」
後半につれてサイケになって行くけれど、いいのか? 雀々家厘子。
まぁ嫌がられてはいないようで…………んんん!?
「ねぇ、この雀々家さん持っている湯気が立ったの、焼き芋? 包み紙が英字新聞みたいだけど……」
「焼き栗で――す。英字新聞じゃなくてフランス語の新聞です」
えええええっ!!
「ど、何処だって?」
「えっと、モンなんちゃらパルクって」
「だから何処の国にいるのっ!」
「フランスですよ、エッフェル塔って本当にあるんですねぇ」
国際通話かよ――っ!!
そういえば置き手紙に『電話番号の最初に01033と入れてくれ』ってあった、何の意味だと思ったが……説明もちゃんと書けよっ。
し、仕事用のスマホだぞ、経費で落ちるのか、これ?
「ダイジョブです、この通話料金はボクが負担します。約束しますですぅ」
「ほ、ほんとに?」
「比羽守さんに、担当にあまり心労を負わせるな、って怒られました」
ありがとう怖いお父さん!
「それはそうと、こっちでは少年ジャック、二千円以上するです」
「あ、ああ。そちらでは趣味の大人の贅沢品って扱いだな。でも日本の漫画誌が普通に書店に並んでるって凄いだろ」
「はい、凄いです、エクセレントです。佐々木編集長様の夢は叶いましたでしょうか」
「夢? 編集長の?」
「自分が編集長でいる間に一度でも、1995年の六百三十五万部を越えるのが夢だって仰っていました」
「ああ……」
そんなのを覚えていたのか。
漫画雑誌の読み方が配信に移行しつつある今、その夢が実現する事はもう無いだろう。
「佐々木編集長様は、早くからアメリカでのジャンプ作品の翻訳配信を推進しておられました。それが切っ掛けで紙の雑誌や単行本も伸びているらしいです。それを知ってボクは、編集長様はまだ夢を諦めていないんだと思いました」
「へ? ……ええ? そうなのかな?」
「ボクもちょっとでも夢の後押しをしたいと思いました。この国で頑張って一杯宣伝して帰ります。本当はアメリカやタイや他の国も行きたかったけれど、身体が八つ欲しいで――す!」
「・・・・新妻先生、もしかして、佐々木編集長がもうすぐ異動する話、知ってた?」
「『CROW』の完結原稿を渡した時に教えて貰いました」
「そっか……」
「吹雪の中ボクのおうちまで来てくれました。都会に来て漫画だけに専念出来る環境を整えてくれました。いつもボクの作品の面白さを一番に考えてくれました。
異動を聞いた時、急にそういうのが頭の表面に溢れて、ボクは恩を返せていたのだろうかと落ち込みました」
「返せているよ、十分返せている」
「雄二郎さんにもです」
「うん、僕にとっても十分……」
「机の下、見て下さい」
「??」
雄二郎は片手で椅子を引いて、薄暗い机の下を覗いた。新しい段ボールがある。開くといつものお絵描き帳。その下もお絵描き帳、全部みっちりお絵描き帳……
「新作のプロットとネームで――す」
「え」
「順番どおり並べて置きましたから、チェックしておいて下さいね――」
「と、取り掛かっていたの? 新作……」
「当たり前です、ちょっとだけ煮詰まった時期がありましたが、山奥の厘子さんのおうちの畳に寝っ転がって描いたらスイスイ捗りました。あそこはインスピレーションの湧く泉です。
これから編集長様が与えてくれたそのマンションでガンガン描いて行きますから……ちょっと、聞いているんですか、何か不満なんですかっ!?」
「う、うぅん……」
「じゃあしっかり読んで内容を把握しておいて下さいっ。帰国したらすぐ打ち合わせですからねっ」
「…………」
「雄二郎さん?」
返事の無い雄二郎に、エイジの声の調子が変わった。
「あの、まさかまさか、新連載になったら担当替わるとかあるですかっ? それは困ります、ボクは雄二郎さんでないと嫌です、百億光年嫌です」
「あ、ああ……」
雄二郎は涙を気取られぬよう、頑張って声を出した。
「こ、光栄だな、それは僕の一存には決められないけれど、君の担当でいられるように全力で頑張って行くよ」
通話を終えてから、夕陽の差し込む部屋で、雄二郎は腰を据えてカラフルなお絵描き帳の表紙を開く。
・・・・
――主人公は心を持たない操り人形のようなゾンビの少年。
ある時、少しの心が芽生え、かつて自分にも人間の心があった事を思い出す。
誰にも相手にされないダークヒーローが、失った心を取り戻そうと歯を喰いしばって闘う物語。
彼が常に渇望し、懸命に手を伸ばして求めるモノは……『他者を無償に愛せる心』
・・
・・・・
目を上げると窓の外は白み、肩と腰がバキバキだった。
立って赤い目の顔を洗って、玄関からリンゴを取ってきて一口かじり、担当編集は静かにネームの校正作業に掛かる。
+NATURALが原作より早く終わってしまいました。
秋名先生ごめんなさい・・