服部雄二郎にとって、新妻エイジは担当漫画家を越えた存在だ。
いや、自分で言うのもなんだけれど、そこまで仕事人間じゃないし古典的な熱血編集者をやりたい訳でもない。
だけれど新妻エイジというデビュー数年で累計三千万部を越えてしまった天才作家が、自分を平凡なサラリーマンで居させてくれない。
今日だって休日返上で車の置き場を探し回り、マンション管理の不動産屋の好意でやっと近隣の空き地を借りられた。午後から遊栄社の配送スペースに置いていたウニモグの移動。いい加減邪魔だから早く退けろと守衛に怒られている。
その足で新妻エイジのマンションへ行き、やっと起きた部屋主に固く固く言い含める。
「大人だから誰と付き合おうと勝手だけれどねっ、口出しする筋合いは無いけれどねっ、本当に、マジで、日本の宝を雑に扱うのと、あのおっさんの逆鱗に触れる事だけは止めてねっ、頼むからっ、お願いだよっ!」
当のエイジは寝惚けまなこで分かったような分からないような返事をする。
夕方の、行楽帰り家族連れで賑わう電車でどっと疲れて二つ折れになる。
(これ、編集部員の仕事かあ……?)
ホッと息を付いたのも束の間、週明けの雄二郎のデスクに、権利部からジャックのキャラクター商品担当社員がやって来た。
「銀座の宝珠画廊って所から問い合わせが来ているんだけれど……」
持っていたお茶をファンブルしそうになった。
***
「こちらからの依頼なのに出向いて頂けるとは恐縮でございます」
銀座、一本裏通りにあるとはいえ、歴史ある風格をかもす老舗の画廊。
思ったよりも大きな店構えにビビり、通された応接室の大理石の調度にビビり、明るい昼間に見る整えられた口髭の威厳にまたビビる雄二郎。
オーナー支配人だという比羽守(ひわもり)の言葉は恐縮しているのに、醸すオーラが全然恐縮していない。
「こ、こちらとしましても初めてのお取り引き相手ですし、何分特殊なご依頼です。直接出向いた方がより詳しく事情をお伺い出来るのではと。それと今回は私が全権を任されております」
比羽守支配人は悠然と座って茶を勧め、午前中に電話で依頼した内容を確認する。
所属作家の雀々家厘子が、新妻エイジにキャラクター人形の制作を依頼されている。彼女が断り続けている理由のひとつは、エイジが生み出したキャラクターであっても商品化権は出版社にある事を知っているからだ。
依頼されて正式に作るのではプロとして料金が発生する。近所の子供に手慰みで作ってあげるのとは訳が違う。
「うちの委託販売にも版権が必要な物を作っている作家がおりますから、雀々家はそちらから知識を得たのでしょう。作家たちは個々に手続きをしていますが、雀々家は初めての事で要領が分からぬと私に相談して来た訳で」
「聡明な方ですね」
「あの子は仕事はキチンと線引きします」
「確かに、そういう話ならば版権を取得された方が安心ですよね。では一体のみを制作販売ということで、書類を持って参りましたので確認をお願いします」
「…………」
「あの、何か?」
「複製の権利などを譲渡する時は、我々は相手先の技量や直接の出来映えを確認する物でございますが」
か、固いな、この人本当に固いなっ。
「二代目葦伐(よしきり)のネームバリューのみで判断されていると?」
「違いますよ。私は既に雀々家厘子先生の作品を拝見しています、スマートフォンの小さい画像ですが」
「例の、子供の玩具に作ったという物ですか?」
「はい、子供の玩具ですらあんなに人心を虜にするのなら、本気になったらどんなに凄い物を作り出すんだろうかと、心が踊るじゃないですか」
支配人はしげしげと雄二郎を見ている。口髭が分厚いのでこの人も表情が分かりにくい。
「俺……私は新妻エイジの担当です。未完成な小僧の時代からあの天才を見ている。奴が心を動かし、欲しいと執着している物なら、それだけで価値があるんです。だから引き受けて下さった事に手放しの感謝しかありません」
うわっ何だ、語り過ぎてるぞ、俺。
「キュレーターでもそこまで熱い弁舌を振るう者は、最近は珍しいですよ」
言われて雄二郎はすぐに理解出来なかった。時間を置いて、理屈っぽく誉められているんだと気付いた。
「余計な嘴(くちばし)、大変失礼致しました」
「いっ、いえいえいえ」
頭を下げられて焦る。
「珈琲はお好きですか」
「ひ、ひゃい」
比羽守は立って窓際のカウンターへ向き、サイフォンで珈琲を淹れ始めた。香ばしい香りが漂う。
(え、もしかして、俺、おもてなしされてる? 気に入られた?)
「私のブレンドですのでお好みに合えば宜しいのですが」
青地に白い浮き彫り模様の皿付きカップで珈琲を差し出される。
味なんか分からんが多分旨い。
比羽守が書類に記入し、CROWの肖像使用許可の手続きを完了した。
「良かった、新妻くん、喜びます」
「そうですね、うまく彼が引き当てる事を祈っていますよ」
「……はい?」